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伊福部 昭(1914-2006)

CD 伊福部昭トリビュート 春の音楽祭 in Kitara

伊福部昭トリビュート 春の音楽祭 in Kitara

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    ココパナ  |  北海道  |  不明  |  2021年07月07日

    北海道出身の伊福部昭であるが、以前、札幌交響楽団は伊福部作品を取り上げることは少なかった。むしろ作風としては対照的といってもよい武満徹(1930-1996)が、このオーケストラの音色を気に入り、札響も武満の作品を多く演奏した。転機が訪れたのは、伊福部昭(1914-2006)の生誕100年となる2014年のことで、札幌交響楽団も伊福部の作品を取り上げ、その録音はキングレコードの「伊福部昭の芸術」シリーズに加わることとなった。この年に開催された札幌国際芸術祭では、旧北海道庁舎(赤レンガ)では、伊福部昭展が開催され、この偉大な作曲家の生誕100年に花を添える形となった。私も展示を訪問したが、多くの人が伊福部の自筆譜や手紙に見入っており、この芸術祭を通じて、作曲家“伊福部昭”を再認識した人も多かったに違いない。そのような流れの中で、北海道出身で伊福部の弟子である藤田崇文が指揮をつとめたこのトリビュート・アルバムがリリースされた。これが既出の札幌交響楽団による伊福部録音とはまた雰囲気の違った、血沸き肉躍るといった祭典的な内容で、しかもオーケストラがノリノリで演奏しているのが抜群に楽しい一枚となった。「JOHR、JOHR、こちらは北海道放送でございます」。このコールのフレーズは、北海道在住者であれば多くが聴いたことがあるHBC放送が使用するもの。北海道民放を先駆けた同放送の第一声に併せて鳴るテーマ音楽は伊福部が書いたものだ。伊福部が生涯大きな関心と共感をもったアイヌの文化、その舞踏をイメージした楽曲である。当CDでは、コールサインに続いてオーケストラ版の同曲が導入役を果たす。そして、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアンといった同時代の祭典的でエネルギッシュな音楽が続く。伊福部も影響を受けた人たちの音楽だが、今回は中でもド派手といってよいナンバーがよりすぐられている。藤田崇文の交響詩「奇跡の一本松」は、元来震災復興の祈念で書かれた吹奏楽曲。このたびオーケストラ編曲版となったわけだが、伊福部の映画音楽にも通じる土俗性、民俗性を感じさせる土臭い音楽で面白い。さらに芥川の傑作、真島の名吹奏楽曲を管弦楽版にした「波の見える風景」と続くが、札響が、いつにないほどの華やかな響きを披露しており、このオーケストラは、こんな音色のパレットも持ち合わせていたのだ、と感心させられる。そして、伊福部の代名詞とも言える怪獣映画の劇伴をベースとした諸作が続くのだが、これがまた素晴らしい迫力だ。これらの楽曲をプロのクラシック・オーケストラが演奏したらどうなるかを示したものとも言える。これまでも、広上淳一が日本フィルを指揮した録音などもあったのだが、当札幌交響楽団の演奏は、録音が生々しく、かつホールトーンの効果も豊かな上に、藤田の指揮による金管、打楽器の表出力がすさまじく、どよもすような迫力だ。そしてトドメは藤田がこのたびのために書いた「北の舞 〜もしもゴジラが北海道に上陸したら〜」である。ゴジラの接近を示すパーカッションの強打、ゴジラの叫びが加わって、そこから伊福部のゴジラのテーマとソーラン節が入り乱れた熱狂的な音楽が繰り広げられる。曲が終わるや否や大喝采もむべなるかな。そして、閉幕もコールサインでとしゃれた演出。確かに派手一辺倒といったところで、音楽の俗な部分で押し通したような感はあるのだが、ここまでぶっちぎってくれれば、文句も筋違いといったところ。ただただ「恐れ入りました」の一語といったところでしょうか。お見事でした。

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