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ブルックナー (1824-1896)

SACD 交響曲第5番 パーヴォ・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団

交響曲第5番 パーヴォ・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団

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  • ★★★☆☆ 

    fuka  |  東京都  |  不明  |  2016年05月04日

    N響との演奏が気になったので聴いてみました。基本的には同様のいわゆる現代的なアプローチということなのでしょうか。この大曲をよどみなく聴かせていると思います。どの作曲家の曲も演奏スタイルは変わっていくものであるし、ブルックナーの交響曲も変えなければいけない時期だ、というご意見だったと思います。楽団の方へも「そのやり方は古い」という指示が飛んでいました。ただ、その必然性や根拠がどうなのかなというところが気になりました。常日頃、演奏家がどういう風に考えて演奏しているかを知りたいと思っていましたが、このケースでは知らないで聴いた方が良かったと思います。(ブラームスやベートーヴェンではいわゆる手垢が落ちた感じがするのですが、ブルックナーだとこちらがノスタルジックになってしまうのかもしれません。)

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  • ★★★★☆ 

    J.O.  |  東京都  |  不明  |  2013年01月15日

    演奏時間69分46秒というのは同曲としては短い部類です。ザンダー&フィルハーモニア管といい勝負です。全般的にテンポは速めですがブルックナー休符でしっかり溜めたり歌うところはゆったりとしたテンポで歌わせるなどしてメリハリを付けたことで、気忙しさを感じさせない演奏となりました。ヤルヴィさんいい仕事してます。ブルックナー演奏を評する時に、朴訥さがどうとかブルックナーはこうあるべきといった精神論を振りかざすものが多いですが、何それ?といった感じ。後の世の人々が勝手に解釈しただけであって作曲者がどう考えていたかは知る由もありません。音楽はその時の精神状態で如何様にも聞こえます。理屈を捏ねるとろくなことにはなりません。さて、演奏はとても素晴らしいのですが、音質に関しては苦言を呈したいと思います。弱音部分、特に冒頭のコントラバスのピツィカートは全く聞こえません。私の視聴用機材は、PC(CDをリッピングしてファイル化)。高性能な再生ソフト。プロ仕様のオーディオインターフェイス及びアナログミキサー。スタジオモニター用のパワーアンプ。感度100dbの38cmウーハー&コンプレッションドライバー搭載のスピーカーシステム。ケーブル類も全てプロ仕様。これらを以ってしてもです。本盤はライブ収録ですが現実的な聞こえ具合ではありません。実演を客席で聴いていてピアニシモが聞こえないなどということがあるでしょうか?DAWソフトで第1楽章の波形を見てみました。ピーク時に比べると冒頭の部分は波形の体を成していません。かなり拡大してようやく細かなギザギザが確認できました。これでは聞こえるわけがない。試しに冒頭部分の音量を少しだけ上げる編集を施して聴いてみました。極めて自然。音質も何ら問題ありませんでした。 2010年録音のハイティンク&バイエルン放送響の同曲のレビューに冒頭部分の音量はもう少し上げるべきだと書きました。そうしたら「クラシックの最新録音のダイナミックレンジを落としたら、クラシック録音レーベルとしては品質を否定することになり自殺行為。JPOP録音とは違う」とまるで事情通が語るが如き内容のレビューが載りました。‘76録音(アナログ)のカラヤン&ベルリンフィルや‘96録音(デジタル)のヴァント&ベルリンフィルでは冒頭部分は音量をそれほど上げなくともしっかり聞こえます。別に雑音が乗るわけでもないし品質が落ちていると感じることもありません。寧ろ実演に近い音量で好ましいとさえ思えます。そういう録音も結構あるのです。何もJPOP録音並みの大きな音量にしろというわけではなく、実演で聴くのに近い状態に編集するべきだと言っているのです。少しくらい弱音部分の音量を上げる。仮にJPOP録音並みの音量にしたとしても、それで品質が落ちるようではその録音・編集機材はろくなものではなく、エンジニアの実力も大したことはないと言えます。そんなレーベルは生き残れません。録音がデジタル化されて数値上は広大なダイナミックレンジに設定できるようになりましたが、その結果人間の耳では聞き取れない箇所が現れる。これでは意味がありません。録音はデジタルでも再生時にはどう転んでも最終的にアナログ信号に変換されます。アナログのダイナミックレンジは高が知れているので弱音部分はほとんど聞こえなくなるケースが圧倒的に多いのです。もう少し実際の聞こえ具合や再生機器の性能を考慮すべきです。数値に拘るデジタル録音の弊害と言えましょう。一考の余地があると思います。最新のデジタル録音よりも昔のアナログ録音の方がストレスなく音楽を聴くことができると感じるのは私だけでしょうか?

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  • ★★★☆☆ 

    エーテルの風  |  長野県  |  不明  |  2012年12月26日

    「前向きでやる気充分なブルックナー」という印象を受けます。名演と言う意味ではまったく非の打ち所無いのですが、ここに強く内在する「意思」は、ブルックナーのそれとは大分違っているような気がして、高評価は見合わせました。録音がハッキリしすぎているのも、ことブルックナーに関しては必ずしもメリットではないことに気づかせられた一枚です。某国では指導者にカリスマ性を持たせるために、肉声を敢えて報道しないと言う手法を取ると言いますが、ブルックナーの神格化にも似たような手法が必要なのかもしれません。

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  • ★★★★★ 

    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2012年05月12日

    現在、最も積極的にレコーディングに取り組んでいるパーヴォ・ヤルヴィであるが、楽曲によってオーケストラを巧みに使い分けているのが特色であると言える。その中でも、独墺系の作曲家による楽曲の演奏に際しては、原則としてフランクフルト放送交響楽団を起用することにしているようであり、ブルックナーの交響曲についても例外ではないと言えるところだ。パーヴォ・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団によるブルックナーの交響曲の演奏に関しては、既に第7番及び第9番が発売されているが、本盤におさめられた第5番は第3弾となるものであり、録音は2009年であるが、久しぶりの発売と言えるものだ。本演奏におけるパーヴォ・ヤルヴィによるアプローチは、第7番や第9番の演奏のように中庸のテンポをベースとして、楽想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものとは少し様相が異なっていると言える。何か特別な個性を発揮して、奇を衒った解釈を施すなどということがないという点においては共通しているが、むしろ、テンポはやや早めで、楽章毎のテンポの緩急を際立たせている点も特徴的であると言えるところであり、1990年代に入って一般化したブルックナーの交響曲の演奏様式の王道を行くオーソドックスな演奏とは異なった演奏とも言えるところだ。もっとも、各楽器セクションのバランスの良い鳴らし方には出色のものがあり、いかなるトゥッティに差し掛かっても無機的な響きを出すということはなく、常に壮麗で懐の深い音色に満たされているのが素晴らしい。また、緩徐楽章における旋律の数々もやや早めのテンポをとることによって、陳腐なロマンティシズムに陥ることを極力避けており、それでいて、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが見事である。ブルックナーの交響曲第5番のこれまでの名演としては、古くはヨッフム、そしてヴァントや朝比奈によって圧倒的な名演が成し遂げられてきており、これら大指揮者の深みのある演奏と比較して本演奏を云々するのは容易なことである。しかしながら、必ずしもブルックナー指揮者とは言い難いパーヴォ・ヤルヴィが、重厚長大な同曲の曲想を丁寧に紐解き、これだけの見事な演奏を成し遂げたことにむしろ思いを致すべきであり、私としては、同曲の魅力を十二分に満喫することができるという意味において、素晴らしい名演と高く評価したいと考える。そして、本盤でさらに素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。交響曲第7番や第9番でもそうであったが、パーヴォ・ヤルヴィによるアプローチ極上の高音質録音によって鮮明に再現されているのが見事であり、そうした音質の鮮明さといい、音圧の力強さといい、そして音場の拡がりといい、正に申し分のないものであると考えられる。いずれにしても、パーヴォ・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団による素晴らしい名演を、現在望み得る最高の鮮明な高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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