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ブラームス(1833-1897)

CD 交響曲第1番 フルトヴェングラー&ウィーン・フィル(1947年8月ライヴ)(平林直哉復刻)

交響曲第1番 フルトヴェングラー&ウィーン・フィル(1947年8月ライヴ)(平林直哉復刻)

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    黒熊怪  |  千葉県  |  不明  |  2014年02月15日

    非常に魅力のある演奏、戦後間もないころの緊迫した雰囲気をよく反映している。これだけ古い、この劣悪な技術的環境の時代の音を非常によく拾っていて、平林氏の復刻の技術の高さは実に見事なものだと思う。演奏の本質は、冒頭から強靭な気合が入り、誠に勇壮でスケールの大きい芯の確かなブラームスだと想う。かって特典版としてザルツブルグの全集で出た時以来、再販されるのを長い間待っていた。そして今聞いてみると期待にたがわず、素晴らしい出来だと感じる。但し、正直に言って、この演奏はいつものフルトベングラーとはだいぶ違う、そのことは事実だ。やはり相当違うような気がする。瞑想的というか、この曲で見せるいつもの猪突猛進性というか、そうゆうものは影を潜め、一音一音、まるでたった今、創り出された手作りの曲のように、ゆっくりと丹念に曲を構築してゆく。フルトベングラーが弁証法的な曲の哲学的構築を得意としており、演奏ごとに新たな発見をすることのできる巨匠であったことはよく知られているが、その意味でも、極めてフレッシュな演奏だと思う。第四楽章になってやっといつもの曲想にもどってくる。それ位特異な演奏といえる。当初、この録音は同じ時代、47年の4月に、クナッパーツブッシュがVPOと共にこの曲を演奏していて、一瞬クナーではないかと錯覚するほど演奏の振幅を感じた。しかし、響きは、VPOそのもので、やはりこれだけ大きな展望、彫りの深さは、稀にみる天才の手になる演奏だと思う。演奏の録音データを議論する必要は全く感じない。フルトベングラーという人は、人々にそれだけの夢を与える偉大な演奏家だった。ドイツの巨匠達はやはり同じ領域に到達していると言わざるお得ない。特に第一楽章の開始部の響きは、実に見事な圧倒的な意志の強さを感じる。

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    eroicka  |  不明  |  不明  |  2013年03月28日

    1947年8月にウィーンフィルとザルツブルク音楽祭で共演した時のライヴ。サウンドや演奏スタイルは1952年1月の有名なライヴと同一と見まがうばかりに似ている。マイクが近いせいか弦や木管のむせかえる甘美な響きが貧しい録音を通じて聴こえる。勿論、2週間後のルツェルン音楽祭のライヴも同様の演奏で、50年のコンセルトヘボウ、51年のNDR、52年のベルリンフィルなど、いつものフルヴェン節がここでも聴ける。47年11月にウィーンフィルともSP用にセッション録音しているが、それだけは(例えば晩年の朝比奈隆のような)即興的な流動性より渋い構築感が前面に出た演奏だ。だが、フルヴェンらしい昂ぶりや躍動感は薄く、まるで別物であり、この4ヶ月前のライヴとの演奏解釈の落差は何なのだろうか、と改めて考えてしまう。これも私的なエアチェック音源らしく、あまり状態は良くなく所々音揺れや大きなノイズが入るが、思ったよりは聴きやすい音で、回転ムラが全体に目立つ同時期のルツェルンライヴよりは個人的にはマシだと思った。

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