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リャプノフ、セルゲイ(1859-1924)

CD リャプノフ:ヴァイオリン協奏曲、ハチャトゥリアン:コンチェルト・ラプソディ、他 宇田川杰子、ブリバエフ&ロイヤル・フィル

リャプノフ:ヴァイオリン協奏曲、ハチャトゥリアン:コンチェルト・ラプソディ、他 宇田川杰子、ブリバエフ&ロイヤル・フィル

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    蜂屋酉庵  |  神奈川県  |  不明  |  2015年03月16日

    何故宇田川杰子なる人物はハチャトゥリヤンを弾くのか。以前、ヴァイオリンとピアノの室内楽曲集をリリースした彼女だが、今回は独奏作品とオーケストラ作品である。愛着があるのか、どこからか強制されているのか、相も変わらず内容はひどい。技術力も表現力もなく、学究的でもない。しかも、今回オケと共演することで分かったがパワーもないらしい。釣り合いを取ろうとミキシングの段階でオケ側の音量も相当落としているが、根本的に弦を少なくしているのが聴き取れてしまっている。ソリストには全く向いていないのだが、何故か活動できてしまっている。クラシック界というのは本当に不思議である。 ところで、カップリング(といっていいのだろうか)のリャプノフだが、ロマン派の音楽ということでそれっぽく弾けているので気付きにくいが、楽譜(IMSLPで見れる)と対比するとやはり弾けていない。というより読譜が甘い。オバサン奏者は本当にアナリーゼをしない。安易に逃げ、誤魔化すことばかり考えている。ひとつの例として今回収録されているハチャトゥリヤンのソナタ・モノローグには特殊奏法として肩当を弓のネジの部分で叩くという指定があるのだが、馬鹿正直にそれに従う必要はもちろんなく、別に適当な木片を用意してそれを叩いても良いはずである。それを作曲者の意図を無視してただのピチカートに改変するというのは愚行としかいえない。

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