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ショスタコーヴィチ(1906-1975)

SACD 交響曲第11番『1905年』 ウィッグルスワース&オランダ放送フィル

交響曲第11番『1905年』 ウィッグルスワース&オランダ放送フィル

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    MISPRISIONER  |  東京都  |  不明  |  2011年01月14日

    個人的な事情により、昨年11月に発売されたゲルギエフ盤と同時期に購入 したので、今更レビューするハメになってしまった(まだ誰もレビューしていないのだから許されたし)。ゲルギエフの同曲録音は、PMF管盤(PMF管自主制作による正規盤。因みに筆者は《1905》年が大好きで、店頭で市販されている同曲盤はCD-Rも含めて殆ど全て所有しているが、Von-Zから出ているキーロフ歌劇場管とされているCD-RもPMF管盤と同じ演奏)で聴いていたので、ゲルギエフ盤の方が良いだろうと思って聴き比べてみたが、意外や意外、内容は演奏・録音とも本盤に軍配が上がった(音質についてはあまり言及したくないが、ゲルギエフ盤は、全体的にスピーカにベールが一枚被さったような、1&15番のディスクで認められなかった曇った音をしており、DSD編集していないのか、ミキシング――11番のレコーディング・エンジニアは1&15番と同一だが、編集とミキシング担当者が異なる――で音質劣化を起こしているように思われる)。マーク・ウィグルスワース(MW)の演奏は、ヤンソンスのように基本的にはオーソドックスだが、時折オーヴァーキル(やり過ぎ)な表現が見られるタイプ。それが成功している時もあれば失敗している時もあり、争点となることも少なくなかったが、本盤ではストレートな表現で一貫している。一方、オランダ放送フィルは、デ・ワールト時代には何の採り得の無い二流オケという印象だったが、ズヴェーデンの時代になって、コンセルトヘボウ管もかくやと思わせる演奏を聴かせることも少なくなくなって、BBCウェールズ・オブ・ナショナル管からオーケストラがスウィッチされて、”全集”としての一貫性は失われたが(この、非ロシア人指揮者によるショスタコーヴィチの交響曲全集は、奇しくも、その枠組みとしては初であったハイティンク盤以来となった)、プロダクト的には良い結果をもたらした。本盤の演奏クオリティも、どこを切っても一流オケのそれで、マッシヴで密度の濃い響きは、MWの奇を衒わないストレートな表現を支え、いささかの弛緩も感じさせない。特に、様々な革命歌から引用された本曲の素材の一つひとつが、まるで交響曲の動機として始めから用意されていたかの如くシンフォニックに響くのは、明らかにオーケストラの功績といえよう。中でもプリンシパル・トランペットとスネアのラディカルで斬新なサウンドは、特筆に値する。豪放な迫力と繊細な表情の交差は、ただただ見事という外ない。MWの、非常に信頼すべき、ドラマティックに盛り上げられた音楽の知的な読みは、ロジェストヴェンスキーの同曲盤を思い出させる。この録音を聴いた後でゲルギエフ盤を聴くと、このモスクワ出身のオセット系ロシア人指揮者が、「演奏とは、先ずは何よりも聴き手を力技でねじ伏せることである」と理解しているのかが、よく判る(彼にそうされたいマゾヒスティックな聴き手は、満足だろうけど)。尚、本盤の録音は、前盤の第4番と半年しか収録日が離れていないが、機材(マイクとデジタル・ミキサー)が刷新されており、音の傾向はやや違っているように思える。とはいえ、他のBISレーベルのSACD同様、低音の充実した大型の装置で、――例の如く録音レベルが少し(5dbほど)低めなので――音量を目いっぱい上げて聴くことをお薦めしたい。

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