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ブラームス(1833-1897)

CD 交響曲第3番、第4番 チェリビダッケ&シュトゥットガルト放送交響楽団

交響曲第3番、第4番 チェリビダッケ&シュトゥットガルト放送交響楽団

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  • ★★★☆☆ 

    no music no life  |  奈良県  |  不明  |  2012年07月20日

    シュッシュッとかのフルトヴェングラーに似た興奮した息づかいや唸り声が随所に聞かれ、所々個性的な美しい表現が見られる。早めのテンポで変化も大きい「解脱」前の動的な表現だが、フレージングにはやや恣意的で譜面にない極端に息の長いクレッシェンドやディクレッシェンドが違和感を感じさせる。晩年にミュンヘンフィルと辿り着いた唯一無二の極大解釈のわずか10年前のチェリの表現の履歴として興味深いものだ。

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  • ★★★★★ 

    eroicka  |  不明  |  不明  |  2011年08月21日

    チェリビダッケとしてはまだ大人しい演奏をしていた時代のものだが、微細なテンポの動きとオーケストラの音色の変化だけで人生の春秋まで雄弁に語る様な趣だ。特に3番の第3楽章や第4楽章の終幕の寂寥感は秀逸だ。ライヴだけに高揚すると時折、巨匠の例のうなり声や叫び声が聴こえるのはご愛嬌だが、弦や木管のサウンドの変化、表情付けの巧さには瞠目させられる。地方の放送交響楽団からベルリンフィルにも劣らないレベルの音響美を引き出すとは、どれほどまで血のにじむような特訓があったのか。フルトヴェングラーやクレンペラー、ジュリーニ、バルビローリ、ベームなど、人生の春夏秋冬を表現しつくすようなブラームスの交響曲の名盤は少なくないのだが、これもまた格別な味わいだ。以前買ったものを久しぶりに取り出してみて再び聴いたのだが、歳をとったせいか以前にまして、ブラームスの3番と4番を聴いたらなぜか寂しい気分になった。本当に人生の苦節、そしてほろ苦さを実にさらりと味わい深く表現している。まだ晩年の遅いテンポとなる前の演奏でクナッパーツブッシュばりの凄まじい呪縛感はないのだが、(E社から出ていた晩年の名演シリーズのように)廃盤の憂き目には遭わぬようにだけはしてほしいと切に願うばかりだ。

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  • ★★★★★ 

    sunny  |  兵庫県  |  不明  |  2010年05月15日

    わたしはチェリビダッケに関しては、ミュンヘンフィル派です。テンポは遅くなりましたが、独自の、他の人がやらなかった、音の扱いを突きつめた細部、感性、理論、音楽を、それ自体の大きさ、深深さを、恐ろしいと言えるほどに達成しています。また、シュトットガルトとのブラームス4番では、冒頭から、終結まで見事に応えています。一楽章冒頭からして奇跡の様な音。2楽章も深遠。あんまり遅くないので、聴きやすい。そして、素晴らしい、恐れ入る。基本的アプローチはミュンヘンに同じ。熱い。

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  • ★★★★☆ 

    一人のクラシックオールドファン  |  兵庫県  |  不明  |  2009年12月11日

    HMVレビューにもありますように第3番が1976年(タイムは@9’13A10’14B6’10C9’20)、第4番は1974年(タイムは@12’58A12’59B6’23C10’29)のライブ収録です。チェリビダッケは周知のようにレコードという商品をその録音音声と実演音声との違いから回避しており後年遺族によりCD等媒体販売が解禁されたのですが決して件数は多くなくその中でもHMVカタログでも見る限りブラームスはウエイトが高い方になっております。第4番は特にこの指揮者が気に入っていたのか出ているライブもので1958年、1959年そして評判の高い東京ライブ1986年のものがあり1986年東京ライブはMPOを振って晩年のスロー演奏がタイム@13’44A14’19B7’02C11’25ととてつもない長帳場を広げています。本盤のSRSO時代の頃はまだ結構まともなタイム(冒頭参照して下さい)で第4番第1楽章出だしはそうテンポは遅くなく小波立つ感じで進んで行きます、ある段落で妙にボリュームを下げたり途中で殆ど静止状態になる寸前の時も・・・そして終盤メリハリをつけテンポアップでやや篭り気味のティンパニーを伴って感慨込めて終わります。第2楽章は初めの方メロディ弦のバックで奏でるピッチカートが美しいです。しかしこの楽章やや冗長的で第3楽章の中間部ホルン他管楽器の緩やかさから「動」へ転ずる鮮やかさは素晴らしいです。いよいよ最終楽章テンポを自在に濃淡に動かし特に掛け声も強くこの変奏曲でフルート登場のあたりはスローダウンそして掛け声と共に縁取り明確にクライマックスへ・・・。素晴らしい第4番演奏です。第3番は第1楽章ややテンポは早く終わりの方はゆったりと、第2楽章はじっくり攻めて行きますがやたら長く感じました・・・大体今回1970年代半ばのSRSOとのライブ分はいずれも第2楽章が他の演奏者との比較でも長いのが特徴です・・・第3楽章有名な楽章は特に連綿としないで結構マトモ。最終楽章も終わりの方が特徴的で余韻をもってバラすように終結します。全体としては素晴らしいランクにさせて下さい。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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  • ★★★★★ 

    遊悠音詩人  |  埼玉県  |  不明  |  2009年10月29日

    これぞ、隠れ名盤!コアなファンを除いて殆ど話題にならないCDだが、いやはや、これ程凄いとは。晩年の遅すぎる程に遅い指揮の印象からチェリビダッケを敬遠する人もいるだろうが、70年代のチェリはむしろ快活で、怒濤の求心力に満ちている。あたかも、あのオールバックの髪を激しく揺らし、檄を飛ばしながら指揮する姿が目に映るようだ。両端楽章の追い込むかのような凄まじさと、中間楽章での耽美的なまでの美しさとの対比はさすが。特に第4番は、第1楽章終盤の畳み掛けが壮絶だし、第2楽章では一転、朝露に濡れたお花畑のような幻想的な風景を映し出す。録音の所為か、弦を中心とする中音域がとても豊かに聞こえ、こだまする倍音も相まって、他では聴けない玄妙な響きを聴くことができる。勿論70年代のライヴ録音だから音質上の制約は付き物だが、入念なマスタリングによって現代人が聴くに堪え得るクォリティにはなっていると思う。もっとも、録音嫌いのチェリの与り知らぬことではあるが、しかし、今日のように録音の方法や媒体が進化した世の中にもし彼が生きていたとすれば、恐らくチェリも昔ほど録音に対してヒステリックにならずに済んでいたのかも知れない。ともかく、我々現代人がチェリに触れる手段は録音を通じてでしかないのであって、その“遺産”をよりベストな状態で味わいたいとするのが、ファン心理ではないだろうか。だからこそ、リマスタリングがよいのは有り難いことである。

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