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ショパン (1810-1849)

CD バラード集、スケルツォ集 フランソワ

バラード集、スケルツォ集 フランソワ

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    一人のクラシックオールドファン  |  兵庫県  |  不明  |  2013年09月22日

    コルトー亡き後、フランスを代表するピアニストになったS.フランソワは、酒・煙草・ジャズをこよなく愛し、不健康な生活の果てに46歳の若さで逝ってしまった天才ピアニストとして実に個性的な芸術家でした。そのルックスからして独特の雰囲気を有しており天才のみが持つ自由奔放さ、豊かなファンタジーとポエジー、気高さ、ロマンティックな情緒とほろ苦くまろやかな味わいといった要素が、渾然一体となって存在しています。私がクラシック音楽を聴き出した頃売り出して来た演奏家なのですがある意味でちょっと近づき難い・・・正直扱いにくい人材・・・感じもしないではありませんでした。兎に角一筋縄では行かないという感じで演奏自体も「フランソワ節」とも呼ばれた溜めを絶妙に行使して演奏を展開して行くのですが気分次第な要素が大きく彼の最も得意した作曲家ショパンにおいても出来・不出来・・・そうした「ムラ気」のある処を是として見事に結実しているフランソワならではの持ち味の演奏が楽しめる事と思います。まるでライブ的即興的演奏の様相を呈しているのですが彼の演奏は没後も何度もCD版が重ねられているようです。本盤は1954〜1955年フランソワが三十歳台に差し掛かった若き頃収録したバラード集(モノラル)第1番(タイム7’44)、第2番(6’48)、第3番(7’01)、第4番(9’24)及びスケルツォ集(モノラル)第1番(同8’29)、第2番(10’11)、第3番(6’42)、第4番(11’53)で、例によって演奏タイムをメモしておきました。その天才的な閃きとファンタジーで、美しくも儚いショパンの世界を詩情豊かに展開しているのでしょう、モノラルという録音ハンディ関係なしに聴き継がれて行くべき演奏と思います。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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    M  |  愛知県  |  不明  |  2011年04月02日

    バラード3番と4番の演奏が存在価値が高いと思う。3番はまさに”水を得た魚の様”という形容がふさわしい。フランソワの資質が曲にピッタリ嵌った感じ。4番は本来どんな曲かと考えると、曲のクライマックスに向かって収斂していくような背後の力を感じる変奏曲形式なのだと思われる。それはベートーヴェン的思考でもある。で、その事を解らせてくれたのが最高の演奏と考えられるコルトーの29年録音であった。このフランソワも路線を一にするが、コルトーよりもう少しアッサリしたところに音楽センスを感じる。スケルツォ集も各曲の音楽的特徴をよく把握している。これでテクが充分なら曲集としてのベストだったかもしれないだけに少し残念。

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    カラジャン  |  山口県  |  不明  |  2010年03月14日

    この先、何が起こるか分からないような所がいいね。自由奔放というか、閃くままに演奏しているが、この人の気性の激しさのようなものも感じた。他では味わえない独自の演奏で、フランソワのファンは聴き逃せない。音質はこのレヴェルなら演奏を楽しむのには十分だと思う。

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    つよしくん  |  東京都  |  不明  |  2010年02月23日

    いわゆるショパン弾きと称されているピア二ストは数多くいるが、その中でも、フランソワは最も個性的な解釈を披露したピアニストの一人ではないかと思う。本盤におさめられた楽曲においても、実に自由奔放な弾きぶりで、自らの感性のみを頼りにして、即興的とも評されるようなファンタジー溢れる個性的な演奏を行っている。したがって、このあくの強いアプローチに対しては、弾き手によっては抵抗を感ずる者もいることと思うが、少なくとも、テクニックのみを全面に打ち出した表層的な演奏よりは、よほど味わい深い演奏と言えるのではないだろうか。もちろん、フランソワのテクニックが劣っていたというわけではない。バラードもスケルツォも、いずれもショパンが作曲した数多くのピアノ曲の中でも難曲の部類に入るものであり、フランソワも、このような難曲を弾きこなす技量は兼ね備えていたというのは当然の前提だ。ただ、その技量を売りにするのではなく、楽曲の魅力を自らの感性のみを頼りにして、ストレートに表現しようという真摯な姿勢が、我々聴き手の深い感動を誘うのだと考える。もっとも、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭ないことから、聴き手によっては、前述のようにそのあくの強さに抵抗を覚える者もいると思うが、フランソワの魔術にひとたびはまってしまうと、やみつきになってしまうような独特の魔力を湛えていると言える。

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