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CD グリモー&サロネン 『クレド』〜ベートーヴェン:テンペスト、合唱幻想曲、コリリアーノ:オスティナートによるファンタジア、ペルト:クレド

グリモー&サロネン 『クレド』〜ベートーヴェン:テンペスト、合唱幻想曲、コリリアーノ:オスティナートによるファンタジア、ペルト:クレド

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    sunny  |  兵庫県  |  不明  |  2013年05月08日

    グリモ―の弾くベート―ヴェンのソナタ、とうとうベートーヴェンの作品を、CDとして出したサロネンも注目だけど、コリリアーノの数少ないピアノ作品で始まり、続くベートーヴェンのテンペスト・ソナタの後は、おもむろにピアノ独奏に入り、ずっと独奏の曲。ようやくオケと合唱が入って、芸術と人間を賛美し、盛り上がったと思ったら、終わってしまう「合唱幻想曲」。すっと、清らかなぺルトの「クレド」、このアルバムのタイトル曲(信条)の合唱が始まり、やがてピアノも入って、サロネンお得意の20世紀音楽か、と、思ったら、「鏡の中の鏡」のシンプルで美しい旋律が。コリリアーノは、ベートーヴェンを範とし、フィリップ・グラスのモチーフが、出て来る。ぺルトにも、やはり、ミニマルなグラス、バッハ/グノ―の有名な音楽が登場して、大団円を迎える。日本盤には、そのもの、バッハのプレリュードが最後に付いていて、安らかに終わる。新しい音楽に古い音楽が結びついていて、伝えようとしているものは、変わっていない。その中心にあるのは、グリモ―の雄弁なピアノで、選曲、プロデュース能力。ついでに、自分の弾きたいように、弾かせないなら、弾けることだけ示して、相手がどんなに重鎮だろうと、キャンセル、自分が納得、いいと思うものを、披露する。エレ―ヌ・グリモ―は、信じるものが、確固としてあるアーティストである。

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    Johannes  |  埼玉県  |  不明  |  2007年09月16日

    「テンペスト」は第1楽章と第2楽章では軽やかで繊細な演奏であり、終楽章では情熱的になり何かを訴えかけてくる。なかなか面白い(優れた)演奏だと思う。「合唱幻想曲」や「クレド」では与えられたピアノ・パートを余裕を持って弾ききっていると思われる。今後はベートーヴェンのピアノ・ソナタやピアノ協奏曲を弾いてもらいたい。

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    かばくん  |  とちぎ  |  不明  |  2003年12月16日

    確かにこれはグリモーのピアニズムを聴くCDではない。ベートーヴェンに依拠したコリリアーノから「テンペスト」へ、そして、そのまま合唱幻想曲の冒頭のピアノ・ソロに連なると、何の不自然もなく管弦楽と合唱がはいってくる。ベートーヴェン的高揚には「クレド」の宗教的高揚が違和感なく連結され、現代的音響の暴力をへて、バッハの引用が高らかに歌われ「クレド」と歌われる。アルバムとしてとてもよくできている。しかし、何を「信じる」のか?

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    fuka  |  横浜  |  不明  |  2005年02月01日

    credoには常に平安が伴うわけではないようです。Brukner第5の2楽章後半のtubaの咆吼は自分ではコントロールできない慟哭のようなcredoでしょうし、弱い存在である人間にとっては常にfaltering(揺らぎ)とcredoが背中合わせになっていると思います。このPartのcredoにはそうした様々な要素が音楽的に感じられると思うのです。ああなんとBeethovenのcredo(Missa Solemnis)と違うのでしょう。

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