ドキュメンタリー『ギドン・クレーメル 自分の声を見つけること』(日本語字幕付)(+ヴァインベルグ:24の前奏曲 2017年モスクワ・ライヴ)
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うーつん | 東京都 | 不明 | 2019年11月19日
ドキュメンタリーとヴァインベルグのリサイタルの二本立て。どちらも見応えあるのでお勧めしたい。ヴァインベルグの「24の前奏曲 Op.100」はわずか1ヶ月違いながら別収録のCDもある。CDも今回のリサイタル映像もコンセプトはかわらない。当盤の方がリサイタルの眼目である「アンタナス・ストクスによるポートレートを上映しつつ、失われた時代への前奏曲を奏する」内容を堪能できる意味ではぴったりかもしれない。とはいえ、CD盤の価値が劣るわけではない。 当盤でひとつ注文をつけるとすれば各前奏曲ごとに「第1番」のように画面いっぱいでタイトル映像を挟むやり方は曲間の流れや緊張の持続を削ぐように思えた。各曲が連続せず独立した曲とはいえ全体を通すことで一連の物語になるように思えるからだ。 紹介が逆になったが、前半に置かれたドキュメンタリーも秀逸。時代の波に翻弄され、彷徨いつづける意味でクレーメルもヴァインベルグも「同朋」と言えるのかもしれない。ヴァインベルグのヴァイオリン協奏曲の練習でも音を甘く流さず、意味を持たせるよう要求するクレーメルの真摯さは襟を正さずにはいられない。ともに時代を歩いてきたA.ペルトとの対話も心打つものがある。クレーメルがヴァイオリンを通して「自分の声を見つける」ことをいかに追及しているかを余すところなく伝えてくれている。 当盤のWキャストであるクレーメルとヴァインベルグ。一方はヴァイオリンを弾き続けることで、もう一方は五線譜に音楽を刻み続けることで自分の存在を、もう少し大きく言うなら、うつろう時代の中にその存在意義を見い出していることになるのだろう。これは決して彼らだけの「道のり」ではなく、多かれ少なかれ我々も同じ道を歩んでいるのだ。芸術とかコンサートを開かずとも同じなのだ。それを共感できる方にはこのドキュメンタリーは心打つものとなろう。そんな人生の彷徨の中にいるからこそ、友人や家族との語らいや心鎮まる場所での逍遥に安らぎを感じるのだろう。映像の中でクレーメルが家族と談笑し、街角の寺院をしずかに歩くように。0人の方が、このレビューに「共感」しています。
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