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『あがた森魚ややデラックス』 竹藤佳世監督インタビュー 2

2009年11月17日 (火)

interview

あがた森魚ややデラックス


この映画を観終わった後、あまりにアドレナリンが出てしまい・・・試写会場から2駅も歩いてしまった。それはお酒に興じすぎて終電を逃し、酔ったままの意識で夜が明けていく空を待つあの感覚に似ていて、とどまることなく思考が溢れた。音楽ドキュメンタリーでここまで胸に迫る作品を観たのはひさしぶりだったし、何よりも、あがたさんの”人間力”のようなものに強く共鳴した。そして改めて、あがたさんの音楽の素晴らしさを実感することが出来たし、この映画の後初めて、あがたさんのライブを体験することも出来た。60歳を記念して、60箇所を回る「惑星漂流60周年」ツアーが敢行され、「それを記録に残そう」ということから始まった『あがた森魚ややデラックス』。本作をまとめられたのは、若松孝二監督や河P直美監督の元で”映画体験”をされた竹藤佳世監督。また、監修にあがたさんと30年来のお付き合いという森達也氏が加わり、全編を通して、あがたさんに対する愛に溢れた作品となった。この作品に関わることをさせて頂きたく、竹藤監督とそして、あがたさんご本人にお話を伺う機会を頂いた。第1弾としてまず、竹藤監督のインタビューをおたのしみ下さい。そして、少しでもご興味が湧いた方はぜひ、劇場の大きなスクリーンで身を委ねながら観て頂きたいです。本当の”贅沢さ”はきっと、こういうことなのだと思うのです。INTERVIEW and TEXT: 長澤玲美

60年代、70年代の日本のすごく自由な時代の息吹っていうものをあがたさんを通して、若い人にも感じてもらえて、勇気をもらえる映画なんじゃないかなと。


--- 竹藤さんは現在、学生さんに教えられたりしているんですよね?

ええ。今年の4月から、千葉の城西国際大学のメディア学部で教えてます。そういう意味ではあがたさんじゃないですけど、わたしの中で1つの刺激になっているところもありますね。今回は、その学生達にこの映画の宣伝を手伝ってもらったりもしてるんです。わたしにとっては、「人に何かを伝える」ということでは「教室」っていうすごく小さな規模でより密な環境でやるか、映画としてもうちょっと広くいろんな媒体を通して投げるかっていうだけの違いで、「おもしろい」って思ったものを「これ、おもしろくない?」「おもしろいよね?」「もっとおもしろいことやらない?」っていうその行動原理は変わらないかなって思ってますね。


あがた森魚ややデラックス


--- 新たなストーリーを作られて映像化されるよりも、今作のようにあがたさんの“人間力”といいますか、ドキュメンタリーで伝えることの方に興味がおありですか?

実はこれから撮影が始まるものがあるんですけど、それは400年前という設定の時代劇なんです。ただ、だからと言って、自分で書いたシナリオをそのまま撮るのは嫌なところがあるんですね。アニメーションとかじゃないわけですから演じるのは生身の人間なわけで、「ドキュメンタリーとフィクション、どちらなんですか?」ってよく聞かれるんですけど、いわゆるお芝居を撮るっていうのは、お芝居している役者さんのある意味、ドキュメントなわけですよね。実際に今、400年前じゃないのに400年前の設定の人になってもらってやるわけだから、それをどんな風にやってもらうか、その時に出てきた役者さんの一番おもしろいものがシナリオでわたしが頭の中で考えたことよりも、目の前の人間から滲み出てきているものの方が大事というか。

例えば、ドキュメンタリーでもキーワードにしたい言葉を言ってくれるまでインタビューする人もいると思うんですけど、わたしはその人の中から出て来た言葉の中から探すんです。だから、今回の“ややデラックス”もあがたさんと2人で旅した時に、九段会館のライブのことを「まあ、“デラックス版 あがた森魚”みたいなもんかな」ってあがたさんがおっしゃってたんです。それがちょっと頭の中に残ってて、「“あがた森魚デラックス”ってインパクト強いなあ」って思ってたんですよね。

だから、このタイトルもそうですし、その人の中から出て来たものから、自分の中に響くところを見つけるというか。そこをポイントにするっていうのがドキュメンタリーでもそうですし、お芝居でシナリオを書いてセリフを言ってもらっても、「この人の言い方だったら、ここ変えた方がいいかな」とかって、わりと変更する方なんですよね。それはやっぱり、「目の前にいる人間から出てくるおもしろいオーラを切り取る」っていうことがわたしにとって一番おもしろいことなので。だからそれは、ドキュメンタリーであろうとシナリオのあるものであろうと変わらないと思います。

--- そういった思いは、若松孝二監督や河P直美監督から受けた影響もありますか?

わたしなんかはあれほど強烈ではないと思いますけど(笑)、それでもやっぱり、最初の現場が若松(孝二)監督の現場だったっていうのは大きいと思いますね。いわゆる「業界ってこうなんじゃないか」ってわたしが思ってたようなものを若松監督はことごとく否定しましたからね。「慣れっこはダメだ」って。スタッフの方でもベテランの方ほど罵倒されてて(笑)。100本くらい映画を撮ってるベテランの人が「絶対に慣れちゃいけないんだ」っておっしゃるのはすごいことですよね。でも、だからこそ100本作ってこられたんだろうし、それはやっぱりすごく学ぶべきところで、わたしもミュージックドキュメンタリーみたいなものもやったことがなかったし、誰かに教わったこともないんですけど、逆にやったことないからこそやってみる。それは自分の中で発見があるっていう風にしないともの作りっていうのはおもしろくないですし。

若松監督は今、江戸川乱歩の「芋虫」を原作にした『キャタピラ』っていう作品をもうじき完成するみたいですけど、少なくてもあのジジイの歳になるくらいまではがんばりたいなと思ってますけど(笑)。

河P(直美)監督の場合は、わたしと年代的に近いところもあったり、ビジュアルアーツという学校で同じように教えてたこともあったりして、何かとつながりがあったんですけど、河P監督は若松監督以上にいわゆる業界の形みたいなものと全く違う現場なんですね。河P監督は役者さんじゃない人達をとっても上手に使われるんですね。映画の現場は普通、カチンコで「よーい、スタート」って始まるんですけど、そういうものが一切、現場でないんです。カチンコの代わりにライターで合図を出したりとか(笑)。

形式から入るんじゃなくて、まず初めにやりたいことがあって、そのためにはどういうアプローチがいいのかっていう風に考える。やりたい内容からその方法、体制を作っていく。映画だって初めは、何か形があって始まったわけじゃないですから、ある意味、映画の原点的なところというか、それはすごく勉強になりましたね。

--- 体験された現場がそうだと、ご自身が思われている思いが崩れた時に入ってくることも違いますよね。

そうですね。「若松監督の現場の後に河P監督の現場に行くと大変でしょう」ってよく人に言われたんですけど、わたしは全然そう思っていなくて。少なくとも「バカ野郎」とか「帰れ」とか罵倒されないだけいいかなみたいな(笑)。だから今も、どこに行っても「バカ」とか「アホ」とか「お前なんかいいから帰れ」とか言われないだけマシじゃんっていう(笑)。

若松監督の『17歳の風景』のメイキングは、わたしがひたすら怒られてるだけのもので、若松監督に説教されてるメイキングなんです(笑)。だから、あれに比べたらいかなる現場もまだマシなんじゃないかなって(笑)。それが今までわたしが何となく生き抜いてこれた秘訣なのではないかなと(笑)。だから、若松監督に「地の底まで落として下さってありがとうございました」って感じですね。

でも、そうは言いながら、若松監督の『17歳の風景』がポレポレ東中野で公開している時にわたしが撮ったメイキング『67歳の風景 若松孝二は何を見たのか』を若松監督はレイトショーで2週間くらい上映する機会を下さったんですよね。全然、海のものとも山のものとも知れない人間が「現場に行きたいんです」って言ったら、「じゃあ、来ていいよ」って、少ないスタッフの中に入れて頂いて出来た作品ですけど、レイトとはいえ、劇場で2週間も上映するって、普通ではそんなに出来ることじゃないんですよね。それを「やらせて下さい」って言って、「お前がやりたいならやればいいじゃないか」っておっしゃって下さる。常にそういうチャンスというか機会を必ず与えてくれる。罵倒するとか、暴力的なイメージが強いですけど、若い人とか実績のない人にあんなにチャンスを与えて来てる人ってたぶんいないと思います。

“若松プロダクション”からそれこそ、崔洋一監督をはじめ、いろんな方が出て来てますけど、やっぱりそこは厳しいと同時にチャンスも与える・・・何かを1本撮れる時になったら、「じゃあお前、撮ってみろ。監督デビューさせてやる」とかって。こうやって、若松プロの伝説は出来てきたんだなっていうのをわたしも若松監督と接してすごく勉強させてもらいましたね。

--- 全くタイプの違う監督の現場を体験されて・・・。

よく、「変わった経歴だ」って言われます(笑)。


あがた森魚ややデラックス


--- そんな現場を体験されている竹藤さんから見て、今の映画業界であったり、マーケット的なものに関して、違和感などはおありですか?

要は若松監督も河P監督もどこを見てるかっていうとやっぱり、「お客さんを見てる」っていうことだと思うんですね。言ってみれば2人とも自主制作と同じですから。河P監督の『殯の森』はカンヌ映画祭でグランプリ(審査員特別大賞)を受賞しましたけど、どこか大きい会社が入っていたわけではないですし。

だから、業界の仕組みとかコネクションとかっていうことじゃなくて、「お客さんにとって今、本当に観たいものはどういうものなのか。どうやったらお客さんが観たいと思ってもらえるのか」っていう、そこから組み立ててるんですね。業界の仕組み的に「こういう会社があって、こことここを通してこうやればこういうものになって、ある程度動員がこうです」っていうような仕組みからじゃなくて、その映画を観る観客の顔を見て、「今だったらこういう映画だろう」と。

若松監督の『実録 連合赤軍 あさま山荘への道程』は、団塊の世代をすごく意識してると思うんですけど、その世代が今、映画館を支えている層でもあるわけですよね。だから、自分のわがままというか好き勝手に作っているように見えて、マーケティング的な感覚で作品を作ってる部分もあると思うんですよね。

わたし達なんかは、映画会社や撮影所というものなどのいわゆるシステムがないところから始まってますから、映画を作り続けて行くには今あるシステムにどうやって入っていくかよりも、「ちゃんとお客さんの顔を見て、映画として観ておもしろいものを作る」っていう風に考えないといけないって思いますね。どこかいい会社のいいプロデューサーと知り合いになって、コネクション作って(笑)とかっていうことはもう、映画がデジタル化している今、どんどんどんどん崩壊してる状態だと思うんですよ。その中で残っていく作品というのは、本当に中身がおもしろいものですよね。逆に言うと、昔の作品でも中身がおもしろいものはBlu-rayにもなっていったりとかして、元フィルムでカタカタしてるような白黒フィルムとかサイレントフィルムでも、今にも引き継がれるわけなので。だから、仕組みからではなくて、映画の中身とかお客さんの顔から考えなきゃいけないということは2人から学んだかなあと。

でも、この映画も業界の仕組みから全く外れた作り方なわけですよね。構成案もないまま始まっちゃってるわけですから(笑)。だから、うがった言い方をすると、「わたしだから出来たんだ」っていう風に思ってるところもやっぱりありますね。いわゆるちゃんとした「構成は・・・」とか「おさえるポイントはこことここ」、「狙いどころはこことここ」みたいなことがなくて、素材がばーってある状態でどう出来るかっていうのは、わたしはある意味、そういう風にゲリラ的な戦い方をしてきたので(笑)、それが少しこの映画にも役立てられたのかなって感じがしますね。

--- 先ほど400年前の設定の時代劇を撮られるとのお話がありましたが、他に今後のご予定はありますか?

わたしの中ではそういう作品とドキュメンタリーでやってみたいなっていう企画となぜか両方あるんですよね。どっちかっていうと、“人への興味”っていうところがまずあって、「この素材を生かすにはどっちの形がいいかな」っていう考え方なのかもしれないですね。なので、今後も形としては両方やっていくことになるんじゃないかなと。


あがた森魚ややデラックス


--- 最後になるんですが、「これだけは」ということがありましたら、ぜひお聞かせ下さい。

そうですね、あがたさんを見ていると生きていく力、勇気をもらえるって感じですね。わたしなんかは60歳になったら、「心静かに隠居していたいよね」みたいな(笑)、決してそこから「僕はこれからまだまだ」とかって、60箇所とか絶対回らないと思うんですけど(笑)、「そんなこと無理だよ」っていう風にどうしても思ってしまう・・・そこからするとあがたさんみたいに出来るかどうかもわからない・・・60歳なわけだから、途中で倒れるかもしれないじゃないですか?具合が悪くなるかもしれないし。「そうなったらどうしよう」とかって思ったら、普通は始められないと思うんですけど、でも、あがたさんは「そんな理屈じゃねえんだ」っていうことを体で表現している。

だから、そういう姿を見るとやっぱり、表現にはとにかく、“想い”っていうものが大事なんだと。それがあれば、こうしてお金がなくても(笑)、別にテレビに出てなくても好きなことをやって、みんなにそれを観てもらって生きていくことも出来るんだなってすごく勇気をもらったんですね。ある意味、すごく自由さを感じたというか。だから、60年代、70年代の日本のすごく自由な時代の息吹っていうものをあがたさんを通して、若い人にも感じてもらえるんじゃないかなと。「ああ、なんだ。60になってもこうやって生きていけるんじゃん」みたいな、勇気をもらえる映画なんじゃないかなと。もっと自由に生きていいんだっていう。

あがたさんは自分でも「ミュージシャンじゃない」って言ってるくらいで、唄はとっても円熟味のあるボーカルだと思いますけど、超絶的にギターが上手いとか、演奏がすごく上手いわけでもない。あがたさんの生き方というか、ポジティブなパワーっていうものをみんなが受け止めたいっていう気持ちがあるから、ライブって成り立つと思うんですよね。60歳の記念アルバムを作るだけでもよかったと思うし、1200人が入る東京の会場だけでライブをやるっていうことでもいいと思うんですけど、そうじゃなくて、「人に会いたい」っていう気持ちでその人の住んでる土地に行って、全国各地の20〜30人くらいのお客さんの前で、「こんにちは」って言いたいっていう。あれは本当にすごいことですよね。想像してみても、わたしだったら絶対やらないと思うもん(笑)。

--- そうですか(笑)。

うん(笑)。それをやっちゃうところがすごいところですよね。あがたさんがいたのって、明治大学だったらしいんですけど、たまに神輿担ぐような感覚でヘルメット被って、デモとかに行ってたらしいんですけど(笑)、何かそういう過激な感じがやっぱり、染み付いてると思いますよ、あの人は。死ぬまできっと、こんな感じじゃないかな(笑)。「90までは唄っていたい」って言ってましたから。だからまだ、3分の2らしいです(笑)。

--- そう考えるとまだ、あと30年ありますもんね(笑)。

そうそうそう(笑)。わたしもまあ、そこまで及ばなくても、90歳のあがたさんがそれでも「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」とかを絶叫してたら、「これは撮るしかないだろうな」って。それまでは一応、手持ちでドキュメンタリー撮れるくらいの筋力腕力は取っておかないといけないかなとは思ってますね。

--- 何がそうさせてるんでしょうね?

やっぱり、ボブ・ディランが原点にあるみたいですけど、単に自分の好き嫌いっていうよりは、「世の中に対してものが言いたいんだ」みたいなところはあると思いますね。個人生活上は全然、わがまま言ったりとかってそんなにない人ですけど、「エキセントリックなところをわざと出そう」っていうのは、森さんの作戦なんです。でもそれってある意味、すごく失礼じゃないですか?あがたさんもこんなに変なところばっかり取り出されると思ってなかったと思うんですけど、でも森さんは、「ある種、エキセントリックに見えるかもしれないけど、そのエキセントリックな行動の中にこそ、表現者としてのあがたさんの強い使命感とか想いがあってそういう行動に出たりするわけだから、そこは出していいんだ」って、森さんの確信があって。

わたしは「これをあがたさんにプレビューするのはちょっと気まずい」みたいなところはあったんですけど(笑)、あがたさんは自分が怒ってるシーンを観ながら、大うけしてましたね。だから、その姿を見て、「ああこれは、客観的に観ておもしろいんだ」って。「これなら大丈夫かもしれない」って思いましたね。

あとは、あがたさん自身が映画監督だったから、この映画が出来たっていうところがあると思いますね。普通のミュージシャンの方だったら、カメラに対してもっとセンシティブというか、はっきり言って嫌がりますよね。リハーサルとか控え室なんかでちょっと映ってるものでも、「今おにぎり食べてるからやめて」とかって結構ありますから。でもあがたさんはやっぱり、自分が映す側でもあるので、カメラに対してすごくオープンだったんで、普通のミュージシャンの方だったらむしろ、「止めてくれる?」っていうのが当たり前のところでも、「いや、むしろ回せ」って、ちょっと煽るような感じがあったので、映画監督 あがた森魚の演出も、あがたさんが自分をあがた森魚として演出してるところもあって。

これはスタッフも言ってたんですけど、がーって怒った後に、「こういう人間もいるんだっていうことなんだよ」みたいなことを結構冷静に言ったりして。やっぱりそこはちょっと演じてるところも、演出してるところももちろんあると思う。本当に素だったら成立してないと思いますね(笑)。そういう意味では、現場というか撮影は怒られたり、いつキレるかっていうのはありましたけど、とってもスリリングでたのしい現場でしたね。

--- そのお話がそのまま、1本の作品になっている感じがします(笑)。

そうですね(笑)。これは「このままが一番、おもしろいだろう」っていうね。過去の映像とかいろいろあったんですけどそういうところを引っ張ってこないで、『ドキュメンタリー 頭脳警察』(伝説的バンド“頭脳警察”の全貌を記録した、魂の3部作。11月7日 シアターN渋谷にてロードショー予定!)みたいに3部作っていう風になったら別ですけど、90分の中で見せるならやっぱり、今のあがたさんを観てもらいたい、過去の何とかの人じゃなくて。

「今ちょっとおもしろい人がいるんだ、それがたまたま還暦なんだけど・・・」っていう、そういう切り口ですね、この映画は。それがわたしと森さんとプロデューサーの石毛さんとの共通したみんなの考え方だったんだなって思いますね。でも、本当に若い方にそういう風に興味を持って頂けたのですごくうれしいです。

--- とても素晴らしい作品だと思っておりますし、今の自分にとってすごく響きました。あとは一番大事なことで、あがたさんのことが以前よりももっと、大好きになりました(笑)。

わあー、今までで一番褒められたかも(笑)。

--- (笑)。いろいろな面であがたさんを捉えられていて、竹藤さんをはじめ、すごくあがたさんに対しての愛がたくさん詰まったあたたかい作品だと思いました。この映画をきっかけに、あがたさんの過去の作品をもう1度改めて、聴き返したりしたいと思います。

そうそうそう、そうですね。”あがた入門編”ですよ。まずはこれがね、種だと思いますから。

--- 本日はたのしい時間をありがとうございました。

こちらこそ、どうもありがとうございました。



『あがた森魚ややデラックス』 公開&イベント情報!


大阪・第七藝術劇場(11月28日〜12月11日)、北海道 シアターキノ(12月12日〜12月17日)、京都シネマ、広島 横川シネマ、群馬 シネマテークたかさき他順次公開!


詳細は『あがた森魚ややデラックス』 Official Siteで!


監修:森達也 撮影・編集・監督:竹藤佳世

出演:あがた森魚 / 鈴木慶一 / 矢野顕子 / 久保田麻琴 / 緑魔子

プロデューサー:石毛栄典
企画:成浩一 / 倉科杏(Dargelos Pop La)

撮影:佐伯慎亮 / 石垣直哉ほか 整音:有元賢二 絵:奈良美智

製作・配給・宣伝:トランスフォーマー 宣伝協力:太秦

(2009年 / カラー / 90分 / デジタル上映 / アメリカン・ビスタ / ステレオ)

© Transformer,Inc.


『あがた森魚ややデラックス』 劇場鑑賞券を抽選で3組6名様にプレゼント!


本劇場鑑賞券は上映終了の11月13日(金)まで、シアターN渋谷のみで有効となりますので、予めご了承下さい。

※応募締切 2009年10月23日(金)
※1. 応募には会員登録が必要になります。(新規会員登録は⇒コチラ
※2. 会員登録のお済みの方は、詳細と応募フォームへ

※応募の受付は、終了いたしました。たくさんのご応募、ありがとうございました。

profile

東京都出身、東京都立大学人文学部社会学科卒。映像作家集団「パウダールーム」代表として、上映会・ワークショップ等を企画・開催。広告代理店勤務・専門学校教員を経て、若松孝二監督・河P直美監督の作品に参加。『実録・連合赤軍』 ドキュメントムービーが劇場上映され話題となる。初の劇場長編監督作品『半身反義』(2007)は、ロッテルダム国際映画祭他、数々のドキュメンタリー映画祭に出品された。