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戦慄の「冬の旅」

Tuesday, December 16th 2014

連載 許光俊の言いたい放題 第240回

 シューベルトの三大歌曲集といえば、クラシックの歌の代表選手みたいな超有名曲である。もちろん演奏されることもCDも多い。
 その中でもきわめつけの王様は、フィッシャー・ディースカウであろう。クラシック必聴の名盤、シューベルト必聴の名盤などと言えば、必ずや彼の名前が挙がってくるはずだ。
 しかしながら、シューベルトに限らず、長年私は彼の歌を聴きながら、違和感を消せなかった。作品を正確に表現するために彼は努力したはずだ。だが、最終的には、その表現が、彼の独自性を強めすぎ、どの録音を聴いても、作品に思いを致すよりは、フィッシャー・ディースカウの顔が頭の中に浮かんでくるようになってしまったのだ。バッハの「マタイ」、ベートーヴェンの第9、シューベルト、さらにはいろいろなオペラも・・・。実はこういう違和感を表明した人は昔から少なくなかった。彼らは、それを人工的という言葉で言い表すことが多かったようだ。「すごいんだけど・・・」というわけだ。
 では、誰の歌唱がいいかと言えば、一種のアンチ・フィッシャー・ディーススカウとして持ち上げられたのは、ヘルマン・プライだった。なるほど、かっこいい声の持ち主である。とりわけステージで見れば、楽しかっただろう。が、比べるまでもなく、緻密さではとうてい王様には敵わない。
 そんなこんなで、実はシューベルトの歌を進んで聴こうという気持ちが私にはなかなかに起きなかった。むろん、作品自体に感心させられることはたびたびあったものの、惚れこむ演奏がなかったのだ。

 だが、珍しくもこの12月、3夜も東京・王子ホールに通うことになった。イギリス出身のテノール、マーク・パドモアが三大歌曲集をやったのである。ピアノはポール・ルイス。
 パドモアは、DVDにもなっているラトル指揮ベルリン・フィルの福音史家を歌った人だ。私はそれを聴いて見て、彼のシューベルトなら絶対聴かねばと思ったのである。
 その福音史家は、映像でも確かめられるが、とにかくドラマへの集中ぶりが凄まじかった。まるでキリストの受難というできごとの一切合財が、彼の頭の中で起きた現象ではないかというほどに、全体を掌握していた。このパドモアなくして、ラトルの受難曲演奏はありえなかっただろう。彼らの「マタイ」は、DVD化された初年度のあとも再演されたが、特にこの再演のときの迫真性はすさまじかった。演技にも慣れた合唱団ともども、ここまでやるかという限界までドラマティックな舞台であり、出演者はまさに悲惨なドラマを生きていた。かのいにしえのメンゲルベルクの「マタイ」演奏には、すすり泣く聴衆の様子が記録されいて有名だが、この「マタイ」を目の当たりにして聴衆が続々と号泣しないことが不思議に思われたほどだ。何しろ、私にしてからが、これはもう自分も舞台に上がって、いっしょに歌ったり、嘆いたり、悲しんだり、倒れたりしたいという気持ちがふつふつと湧き上がってきたのだから。

 話がシューベルトから逸れたが、やはりシューベルトにおいてもパドモアは凄絶だった。幸いなことに王子ホールのときと同じ伴奏者によるCDが発売されているから、彼の解釈がどんなだかは誰でも確かめることができる。このパドモアのあとで、久しぶりでフィッシャー・ディースカウを取り出してきたが、いやはや恐ろしいことに、普通の美しい歌に聞こえてしまう。パドモアの心理や劇のえぐり方があまりにも強烈だからだ。
 やはり一番直接的にやる気満々なのは「冬の旅」だ。冒頭曲からして言葉のひとつひとつがきわめて生々しい。私はこういう歌が好きである。言葉と音の意味がひとつひとつ鮮やかに浮かび上がってくる。やさしい表情から強い悲哀まで劇的な振幅も大きい。
 あの有名な「菩提樹」がこれほど暗く絶望的に歌われた例もあまりないだろう。この曲は昔から広く歌われてきたが、本当は決して軽い音楽ではない。もしかしたら、この菩提樹は、首を吊るために最適な枝ぶりをしているかもしれないのだ。脱力したような歌いだしから、転調して第2節に移ると一気に声の響きは暗くなる。その暗さの中でいくつかの言葉だけはまるで希望のように明るく響く。そして、さらに激しい部分を経て、もはや生命が薄らいでいくような曲尾へ。圧倒的だ。
 「流れの上」のグロテスクで不気味な滑稽味も鮮烈だ。物語るようなパドモアに加え、シューベルトが書いた音の揺れを的確に表現しているルイスもすばらしい。「幻の太陽」では、まるでアファナシエフのようなピアノが聴ける。遅く重く沈黙に耳を澄ませる音楽だ。
 どこへともなく辻音楽師とともに姿を消す終曲は、開始されるやあまりにもピアノの音が不気味で震え上がった。こんな薄気味の悪い音がピアノから出るとは、私はそれまで知らなかった。ナマではとりわけ戦慄的だったが、CDでもよくわかるだろう。まるで濃い霧の中に吸い込まれていくような男の姿が見える。パドモアが「不思議な老人」と言葉を発するときのいぶかしげな声音も鳥肌もの。

 王子ホールは小さい会場のため、しばしばチケット入手が困難になる。が、やはりリートはこうした会場で、客に語り掛けるようにして歌われるべきものだ。東京の3夜でその醍醐味を満喫した。
 パドモアの歌は、古楽風だから、オペラ的な歌に慣れ切っている人には違和感があるかもしれない。ヴィブラートを減らせば、言葉は明快になる。楽器のようなレガートをなくし、強弱や響き方に気を遣えば、楽器のようなレガートはなくなる。が、それゆえに、自分の心情を聴きてに伝えているという趣が濃厚になる。フィッシャー・ディースカウのように滑らかな音楽を好む人にとっては、やりすぎとも感じられるかもしれない。
 しかし、とにかくこれほどまでに切迫感に満ち満ちたシューベルト歌唱はそうあるものではない。最高の演奏は、作曲家が書いたときの気持ちを恐ろしいほどに生々しく追体験させる。「冬の旅」以外にも、「白鳥の歌」がやはりその領域に達している。転調や半音階など、シューベルトが書いた音の意味が手に取るように明らかにされている。
 王子ホールは銀座のどまんなか、一等地にある。公演が終了し、クリスマスを間近に控えた華やかな街に出たとき、私はその平和な風景と、シューベルトの心に潜む地獄のギャップにめまいがした。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)

評論家エッセイ情報
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for Bronze / Gold / Platinum Stage.  

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