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ハンス・ヴェルナー・ヘンツェさん死去

2012年10月29日 (月)

ドイツの作曲家、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェさんが10月27日、ザクセン州ドレスデンの病院で亡くなられました。86歳でした。
 ヘンツェさんは伝統的な様式と前衛的な手法を巧みに融合、オペラやバレエのほか、交響曲、映画音楽といった音楽により、20世紀の作品ながら、多くの聴衆を獲得したことでも知られていました。
 ヘンツェさんの作品は、現代音楽ファンだけでなく、映画『エクソシスト』のエンド・タイトルに『弦楽のためのファンタジア』が使用されたことにより、映画ファンにもよく知られていました。心よりご冥福をお祈り致します。

【プロフィール】
戦前
現代作曲界の重鎮ハンス・ヴェルナー・ヘンツェは、1926年7月1日、ドイツ北西部、ノルトライン=ヴェストファーレン州のギュータースローに生まれています。幼少から音楽とアートに強い関心を示していたヘンツェは、1942年、16歳からブラウンシュヴァイクの音楽学校で、ピアノと打楽器、音楽理論を学びますが、翌年、兵役のため東部戦線に送られ、その後、通信兵としてイギリス軍の捕虜となり終戦を迎えています。

戦後
終戦後、ビーレフェルトの劇場でコレペティトゥーアの職を得たヘンツェは、ハイデルベルクの教会音楽学校で音楽理論の研究もおこなっています。その師は、かつてヘンツェが所属していたヒトラー・ユーゲントのオーケストラの指揮者でもあった作曲家のヴォルフガング・フォルトナーでした。
 戦前にはフォルトナーの講義は「文化ボルシェヴィズム」と攻撃された種類のものでもありましたが、戦時中は徴兵されて衛生兵として軍務に就き、戦後は本来のスタンスで活動を再開、ダルムシュタットでも活躍、数多くの作曲家に影響を与えており、ヘンツェのほか、ヴォルフガング・リーム、ハンス・ツェンダー、ベルント・アロイス・ツィンマーマンといった錚々たる面々を育てています。
 ヘンツェはこのフォルトナーのほか、パリでルネ・レイボヴィッツに十二音技法を師事するなどしており、この時期の作品としては、1947年に初演された交響曲第1番とヴァイオリン協奏曲第1番、弦楽四重奏曲第1番、1948年のオペラ『不思議な劇場』、1949年の交響曲第2番とバレエ変奏曲、1950年の交響曲第3番とピアノ協奏曲第1番がありました。
 同年、ヘンツェは、ヴィースバーデンのヘッセン国立劇場バレー団の指揮者兼音楽監督に就任、1951年にオペラ『孤独大通り』とバレー『ラビリントス』、1952年にバレエ『愚か者』などを発表していました。
 さらにヘンツェは、ダルムシュタットでも新進作曲家として脚光を浴び、ケルン音楽大学で音楽劇を教えるなどしましたが、やがて左翼思想の影響を受けて実際に政治的な作品なども手がけ、さらに同性愛者であったこともあり、当時、連合軍支配下にあったドイツでは活動がしにくくなってきます。

イタリア移住
そうした背景もあって、1953年には、その後の人生のほとんどを過ごすこととなるイタリアに移住し、少し前に書いていたカフカ原作のラジオ・オペラ、『村の医者』により、イタリア放送協会のイタリア賞を獲得。
 ヘンツェがまず移り住んだのは、温暖なナポリ湾のイスキア島でした。この地でオペラ『鹿の王』(1955)、バレエ『マラソン』(1956)、バレエ『ウンディーネ』(1957 チェリビダッケ初演)、オペラ『公子ホムブルク』(1958)、バレエ『皇帝のナイチンゲール』(1959)などを作曲、作風を幅広いものに拡大して行きました。
 1961年には、ローマ近郊の小さな町、マリーノに転居、新古典的で自由な作風の『若き恋人たちのエレジー』(1961) のほか、アラン・レネ監督の映画『ミュリエル』のための音楽、オペラ『若き貴族』(1964)、オペラ『バッカスの巫女』(1965)などを作曲しています。

政治と音楽、キューバ滞在
ベトナム戦争の激化にともない、反戦運動が世界的に盛り上がった1960年代後半から1970年代にかけては、戦争や政治に関するメッセージ性を持った作品が多くなり、1969年から1970年にはキューバのハバナに滞在して研究・創作や教育活動に当たるなどしていました。  この頃の作品では、シュレンドルフ監督の反戦映画『テルレスの青春』(1966)のために書いた音楽の中の「弦楽のためのファンタジア」が、大ヒット映画『エクソシスト』のエンド・タイトルに転用されて一躍有名になっており、その他、チェ・ゲバラの思い出に捧げられたオラトリオ『メドゥーサの筏』(1970)、キューバ人奴隷の一生を描いた『エル・シマロン(逃亡奴隷)』(1970)、シュレンドルフ監督の反戦映画『カタリーナ・ブルームの失われた名誉』(1975)、ピアノ協奏曲第2番(1967)、声楽曲『逃亡奴隷』(1976)、交響曲第6番(1971)、刑務所の歌(1971)、ガストン・サルバトーレの詩による『ナターシャ・ウンゲホイエル家への険しい道のり』(1971)などといった話題作が発表されています。

1970年代
1970年代、ライヴ・エレクトロニクスの手法に関心を持ったヘンツェは、ヴァイオリン協奏曲第2番(1971)、ピアノ協奏曲『トリスタン』(1973)などをテープも交えて作曲したほか、オペラ『我々は川に来た』(1976)、弦楽四重奏曲第3〜5番 (1976〜77)、ヴィオラ・ソナタ(1979)、王宮の冬の音楽(1976,79)などを作曲。
 1975年には、英国ロイヤル音楽アカデミー名誉会員となっています。

1980年代
三島由紀夫「午後の曳航」によるオペラ『裏切られた海』(1989)、児童オペラ『おやゆびこぞう』(1980)、オペラ『イギリスの猫』(1983)、バレエ『オルフェウス』(1986)、交響曲第7番(1984)などを作曲したほか、1981年にはモンテヴェルディ『ウリッセの帰還』の編曲もおこなっていました。
 1980年にケルン音楽大学作曲科教授に就任し、1987年には英国ロイヤル音楽アカデミーの作曲科教授にも就任、さらに翌年、ミュンヘン・ビエンナーレを創設して芸術監督となっています。

1990年代
ピアノ五重奏曲(1991)、レクィエム(1993)、交響曲第8番(1993)、オペラ『ヴィーナスとアドニス』(1995)、ヴァイオリン協奏曲第3番(1996)、交響曲第9番(1997)などを作曲。
 1991年、ベルリン・フィルハーモニーのコンポーザー・イン・レジデンスに任命。

晩年
交響曲第10番(2000)、侵略交響曲『マラトンの墓の上で』(2001)、オペラ『ヤツガシラと息子の愛の勝利』(2003)、『夢の中のセバスチャン』(2005)、オペラ『フェードラ』(2007)などを作曲したほか、三島由紀夫の「午後の曳航」によるオペラ『裏切られた海』を、ゲルト・アルブレヒトの提案によりあらためて日本語のオペラとして改作、2003年に読響の定期で初演し、その後、ザルツブルク音楽祭でも演奏会形式で上演されていました。
 2007年、40年以上に渡るパートナーであったファウスト・モローニが癌のため死去。2012年10月27日、ザクセン州ドレスデンの病院で亡くなられました。(HMV)

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