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ユリナッチさん死去

Friday, November 25th 2011

ベーム、カラヤン、クレンペラー、フルトヴェングラー、エーリヒ・クライバー、クナッパーツブッシュ、クリュイタンス、クリップス、ブッシュ、ヨッフム、カイルベルト、ショルティ、ギーレンなど錚々たる巨匠たちと数多い共演を果たした20世紀の名ソプラノ歌手、セーナ・ユリナッチさんが、さる11月22日、ドイツのアウクスブルクで亡くなられました。90歳でした。心よりご冥福をお祈りいたします。

【プロフィール】
セーナ・ユリナッチは、1921年10月24日、ボスニアの小都市トラヴニクに誕生しています。本名はスレブレンカ・ユリナッチで、父はクロアチア人で、母はオーストリア人でした。
 ユリナッチはザグレブ音楽院で声楽を学び、1942年にザグレブの歌劇場で『ボエーム』のミミ役でデビュー。1944年、23歳の時にカール・ベームの招きでウィーン国立歌劇場と契約し、戦後、ケルビーノ役が当たって人気歌手の仲間入りを果たし、1950年代から1970年代まで、ミラノ・スカラ座やグラインドボーン音楽祭、コヴェントガーデン王立歌劇場、テアトロ・コロン、ザルツブルク音楽祭など世界各地で活躍、舞台からの引退は1982年の『ばらの騎士』でした。
 ユリナッチはソプラノ歌手でしたが、声域が広かったため、メゾ・ソプラノの役も得意としており、『ばらの騎士』のオクタヴィアン役と、『フィガロの結婚』のケルビーノ役では特に高い評価を受けていました。
 ユリナッチは幅広いレパートリーを持っていましたが、特に熱心に取り組んでいたのがモーツァルトとR.シュトラウスの作品の数々。これには大恩人である巨匠、カール・べームの影響も大きかったのかも知れません。
 ベームに招かれてウィーンに移ったユリナッチはロシア軍の砲撃や、兵士の横暴に晒され、脅されてケルビーノのアリアを歌ったりもしたということです(指揮はクリップス)。ちなみにスレブレンカという名前がオーストリア人には発音しにくいのではないかということでセーナという名前に変えたのもこの頃のことでした。
 その後、ユリナッチはカラヤンからイタリア・オペラも歌うよう薦められ、プッチーニの『蝶々夫人』や『トスカ』、ヴェルディの『オテロ』、『ドン・カルロ』、モンテヴェルディの『ポッペアの戴冠』などにも取り組むようになります。
 一方ではユリナッチは歌曲に対しても深い関心を持っており、ジェラルド・ムーアとのリサイタルのほか、オーケストラ伴奏での歌曲リサイタルやレコーディングなどもおこなっていました。(HMV)


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