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「レコード・コレクターズ」編集長・寺田正典 インタビュー 2

Friday, May 7th 2010

interview
レコード・コレクターズ編集長 寺田正典 インタビュー



--- 今回このタイミングで『メイン・ストリートのならず者』のデラックス盤をリリースするにあたっては、バンド側もしくはレコード会社側に何か特別な意図でもあったのでしょうか?

 リリースを決めるまでの大まかな流れとしては、デラックス・エディション・シリーズを売りにしているUniversalの方から、まずはバンド側に未発表テイクの追加をお願いしたそうで、さらには、それに合わせて『メイン・ストリートのならず者』を全曲演奏するライヴのオファーもしたらしいんですよ。断られたそうですが、「できません」と(笑)。メンバーが当時とは違っているということもあるんですが、チャーリー・ワッツ曰く「スタジオでしか出せないノリとライヴでしか出せないノリがはっきり別れているから」ということらしいんですよ。まぁ、チャーリーは当時のアルバムを自分で聴き直すというタイプではないからよく憶えていないんでしょうけど(笑)。ミックにしてもライヴのMCで収録アルバムを間違えたりしていますから(笑)、過去の作品なんかに関してはファンほど思い入れはないのかもしれませんけど。あるいは、さっき言った“ダブル・レイヤー方式”のような作り方をしているから忘れてしまうのかも知れませんけどね。そういうオファーを出したぐらいだから今回のデラックス盤に関しては、Universalサイドがかなり乗り気だったんだと思います。

 ストーンズとしてはそれを受けて、「出したいもの」 「出したくないもの」、「憶えているもの」 「憶えていないもの」を振り分けた。それでも、アウトテイクといっても完成品から程遠いものがかなり多かった。しかも、Universalも含めて“アンダーグラウンド”ですでに出回っているものがあるっていうのは十分意識はしていたみたいなんですね。そうなるとただ正規盤として出すだけとなると商売しづらいという考えもあって、新たに手を加えることになったみたいなんですよ。

--- ここまで作り込んだものを出してくるということは、当時あるいはこれまでに、ミック、キースにとってもやり残したことが特に多くて、「いつかは・・・」と今回のような機会を伺っていたとも考えられそうなのですが。

 そう・・・なんですが、そのわりには有名で意味のあるものを入れなかったというのはあるんですけどね。

--- 以前に出回っていた重要なソースの中で外れているものがあると?

 例えば正式に出回っていたものの中では、「All Down The Line」が「Happy」のシングルのB面に収められていた時には(註)モノラル・ミックスで、そちらの方が「スワンプっぽくてかっこいい」という声がファンの中では多かったんですが、いまだCD化すらされていない。

--- キャシー・マクドナルドのコーラスが全面に出ているミックスですね。

 だからデラックス・エディションの日本盤にボーナス・トラックとして「All Down The Line」の別テイクが追加されるということが決まったときには、そのモノラル・ミックスか初期の有名なアコースティック・ヴァージョンが入るのかなと思っていたんですが、全く別のテイクが採用されているんですね。


  (註)「All Down The Line」モノラル・ミックス・・・72年7月にアメリカでの第2弾シングルとしてカットされた「Happy」。その初期プレスのB面は、アルバム・ヴァージョンとは異なるモノラル・ミックスの「All Down The Line」が収められており、ピアノとキャシー・マクドナルドによるコーラスがより前面に出されていた。ファンからCD化を切望されるストーンズのレア・トラックの中でも代表的な音源のひとつでもある。



 あるいは、ストーンズ側としては出したくないものだったのかも知れませんが、(註)レオン・ラッセルのDCCからゴールドCDとして再発された1stアルバムのボーナス・トラックの中には、「Shine A Light」(「(Can't Seem To)Get A Line On You」)がレオン・ラッセルの作曲クレジットで入っていて、バックもストーンズではないけどミックが歌っているというものがあって。『メイン・ストリートのならず者』に収録されたときには、しっかりストーンズのクレジットになっているし、かなり不思議ではあったんですが、今回その謎についても全く触れられておらず解明されずじまい。


  (註)レオン・ラッセル 24KARAT GOLD DISC 「Leon Russell」・・・「Shine A Light」の原曲というよりは、そのリハーサル・テイクともいえる音源「(Can't Seem To)Get A Line On You」をボーナス・トラックとして収録したDCCの『Leon Russell』24KARAT GOLD DISC。L.A.スワンプ勢に加え、ビル・ワイマン、チャーリー・ワッツ、エリック・クラプトン、ジョージ・ハリスンらも参加し、69年9月のロンドン・オリンピック・スタジオで行われたこのアルバムのセッション・ソースが出所となっており、歌詞はストーンズ版「Shine A Light」と異なるものの、ミック・ジャガーが歌い、リンゴ・スターがドラムを叩くというかなり興味深いパーソネルとなっている。



 もうひとつは、当時72年の2月ぐらいに「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」というイギリスの音楽新聞に付いていた(註)プロモーション用のソノシート。ミックがピアノを弾きながら「Exile On Main Street Blues」というブルースを歌い、合間に収録される曲名を挟み、曲名が出てくるとその曲がかかるという、わりとノベルティ性の強いものではあるんですけど、それに関しても当時はバックのピアノをスティーヴィー・ワンダーに弾かせようと思っただとか、キャロル・キングに電話で声まで掛けたものの子育てに忙しく断られ、結局ミックが弾いただとか(笑)、諸説あるみたいなんですよ。たかがプロモ用ソノシートのためにそこまでやるか、と思いましたけどね(笑)。 そういった音源が残念ながら入らなかったんですよ。


  (註)「Exile On Main Street Blues」ソノシート・・・『メイン・ストリートのならず者』アルバム発売を2週間後に控えた72年4月の最終週、イギリスの音楽新聞「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」には、ピアノの伴奏をバックにミックがアルバムに収録曲名を組み合わせて歌った即興的なオリジナル・ブルース「Exile On Main Street Blues」が付録として付けられた。その曲の合間に、「All Down The Line」、「Tumbling Dice」、「Shine A Light」、「Happy」の5曲がダイジェストで併録されている。



 でもまぁ、その辺の音に関しては、7月に出る『Stones In Exile』というアメリカ、イギリスではTV放映されるドキュメンタリーDVDの中でちらちら聴けるんですよ。そのDVDを観ていると、未発表ボーナス・ディスクとはまた異なるアウトテイクや別ミックスがけっこうかかるし、トークバックなんかではスタジオのセッション・テープがそのまま使われているんです。だから、本当にアウトテイクだけで作ろうとしても何とかカタチにはなったんじゃないかなって思うんですけどね。でも色んな意味でそうはしたくなかったんでしょう。つまりそれが彼らのスタイルかなと。

--- 例えば「So Divine」などは ”アンダーグラウンド”では完全なインストで、「Aladdin Story」という副題がむしろ一般的でしたよね。

 「So Divine」というタイトル自体聴いたことがなかったし。アラビックというか東洋的なあのメロディが出来た時点でワーキング・タイトルとしてバンドが付けたか、流出した際に業者が付けたか・・・それで後に「So Divine」というタイトルが付けられたってことは当然歌詞も後から付けられていると。それで”対象”が判るように「Aladdin Story」と書いてあるんだと思います。

--- この曲に限らず、”アンダーグラウンド”方面にも親切なタイトル付けがされていますよね。

 意識はしていますよね。意識していなければ「So Divine」だけでよかったわけですから。それとおもしろいのが、特にこの曲で思ったことなんですが、『メイン・ストリートのならず者』のときの雰囲気と違いますよね?(笑) 本編はもうちょっとアーシーでブルージーな統一感があるから、こんなサイケな、むしろ『サタニック・マジェスティーズ』のときのアウトテイクと言われても信じてしまいそうな曲があるのは不自然だなとも思ったんですが、よくよく考えてみるとこの曲のアイデアというのは”持ち越し”をして、そのまま次の『山羊の頭のスープ』のジャマイカ・レコーディングへと流れていったんじゃないかなと。で、このアイデアの発展形がおそらく「すべては音楽(Can You Hear The Music)」という曲になったんじゃないかなという想像ができたんですよ。そうなってくると今度は『Let It Bleed』や『Sticky Fingers』のアウトテイクで『メイン・ストリートのならず者』ができたように、『メインストリートのならず者』からもさらにこぼれ出たものがあって、それはその後のアルバムにつながっているという。


--- 「ダブル・レイヤー方式」であり、「キャリー・オーバー方式」でもありますね(笑)。

 そうなんです。『メイン・ストリートのならず者』に流れてくるアウトテイクだけが捉えられているのではなくて、そこから流れ出すものも捉えられている。そのことから、実は『メイン・ストリートのならず者』はL.A.で71年の暮れから72年にかけて、一応ミックを中心に当時の時代性などを考慮しつつ収録曲をある程度絞っているんじゃないかと思うんですよ。それでも2枚組にはなっていますけど。当時は曲が雑多すぎて判りにくい、キャッチーな曲がないってけっこうキツく言われていたようですが、それでもきっと絞っていて、本当はもっとアイデアが膨らんでいたんじゃないかなと。膨らみすぎてそこに収まりきらないアイデアが次の『山羊の頭のスープ』に持ち越されたり、ファンクっぽいニュアンスを個人的に感じた「Pass The Wine」なんかは『Black And Blue』にまでつながったりとか。つまりスワンプと呼ばれるアメリカ南部と一部イギリス勢による音楽の一大ムーヴメントが起こった70年代前半に、ストーンズはすでにその次に向けたものを作りかけていたんじゃないかな、となるわけなんですね。

 だから、「Plundered My Soul」なんかをはじめとして、意外と『メインストリートのならず者』っぽくないなという声がすでに挙がっていると思うんですよ。それには2つ意味があって、今の音として作り直しているという面が1つと、『メインストリートのならず者』のコンセプト的にも文字通りのアウトテイクとなっているものが入っているからではないかと僕は思いました。

 他のバンドも大なり小なりやっていることだとは思いますが、そういう風に考えれば考えるほど、レコーディング・バンドとしてのストーンズというのは、レコーディングはレコーディング、完成品は完成品ときっちり選り分けつつ、その時代性を試行錯誤し色付けして作品を出してきたバンドなんだなと思ってしまうんですよ。

--- さらに言えば、アウトテイクの管理能力といいますか“寝かし方”にも長けていたのではないかと・・・

 “寝かし方”が上手だってことはあるかと思います。全部の曲をきちっと管理していたとは思えないのですが、一部 “持ち越し”でリ・ワークされるようなものに関しては、ミックなりキースなりの頭の片隅、わりと手の届く範囲にあったりして、ときどきそれに手を伸ばすとか・・・むしろ『刺青の男』の以後、そういったことが激しくなってきたのかもしれませんけどね。あのアルバムがうまくいったということもあって。

 さらに、その『刺青の男』がウケたことによって、ストーンズ自身が“70年代の自分たち”というものを再評価し始めている感じがするんですよ。70年代の自分たちのどういった部分がファンにウケていたのか? あるいは今もウケるか? と考え出す。

 おそらく80年代ぐらいだったかと思うんですが、この『メイン・ストリートのならず者』が「彼らの最高傑作だ」と急に言われるようになったんですよ。当時は厳しい評価だったのに。僕の記憶では、80年代後半にアメリカン・インディーズの中で、例えば(註)デル・フエゴス(註)ブラック・クロウズのようなちょっとゴスペル、スワンプっぽい味付けをしたサウンドのバンドが出てきたりとか、(註)トム・ペティのバンドがそういったようなサウンドを目指し始めたりとか、そういった時期に「<メイン・ストリートのならず者>みたいな・・・」ということをものすごく耳にしたような気がするんですよ。それ以前にもエアロスミスみたいなバンドはいたんですけど、そこまでハードロック色が強くないところで 「ストーンズっぽい」って言われるバンドのサウンドに対して、必ずと言っていいほど引き合いに出されていたのが『メインストリートのならず者』なんですよね。「All Down The Line」のようなパワー・コード以上のコード感を感じさせるリフに、ゴスペルっぽいコーラスやスライド・ギターなんかが乗ってたりする8ビートのロックンロールに対しては、大体そう言われていたような気がします。


(註) 文中に登場する80〜90年代の ”ならず者”的アルバム+@ 《海外編》

Stand Up Let Me Up I've Had Enough Georgia Satellites Bit Of What You Fancy: Deluxe 20th Anniversary Edition
Del Fuegos
『Stand Up』
Tom Petty & The Heartbreakers
『Let Me Up』
Georgia Satellites
『Georgia Satellites』
Quireboys
『Bit Of What You Fancy
-Deluxe Edition』


 で、その前後からストーンズ本人たちもそれを意識するようになって、『Voodoo Lounge』ではそれがかなり具体的に顕れているんじゃないかなと。「You Got Me Rocking」を聴いたときに、「ストーンズがストーンズの真似しちゃマズイよ」って僕は思ったんですけど(笑)。ストーンズ自身が70年代のストーンズを、かっこよく言えば再構築(笑)。

--- 悪く言えば、むりやりなぞった(笑)。

 (笑)「You Got Me Rocking」には、『メイン・ストリートのならず者』に「Brown Sugar」の要素なんかも入っていますから。マラカスの振り方も含めてすごく70年代的。

--- 今お話に出たブラック・クロウズなんかの“ならず者っぽさ”というのは、(註)『Southern Harmony & Musical Companion』から特にという感じなのでしょうか? むしろ1stアルバムの(註)『Shake Your Money Maker』から?

 1stあたりからすでにそうした感じはあったかと思いますが、どちらかといえば「「フェイセズ的」な感じも・・・でもあのアルバムが出た89年頃だと、(註)ガンズ・アンド・ローゼズなんかの方がもっとストーンズっぽいんですよね。少しハード・ロック寄りですけど。日本で「バッドボーイズ・ロック」が盛り上がったときですね。この辺りの作品に対しては、「ストーンズ的なもの」と「フェイセズ的なもの」と「T・レックス的なもの」ぐらいまでがよくごちゃまぜになって語られるときがあるんですよ。「T・レックス的」というのは、「Get It On」みたいな裏拍を使ったリズム・ギターで、あれをキースがやると「It’s Only Rock’n Roll」になるという(笑)。


(註) ブラック・クロウズの”ならず者”的アルバム

Shake Your Money Maker Southern Harmony & Musical Companion By Your Side Warpaint Live
『Shake Your Money Maker』
『Southern Harmony & Musical Companion』
『By Your Side』
『Warpaint Live』

(註) ガンズ・アンド・ローゼズの”ならず者”的アルバム

Appetite For Destruction Use Your Illusion T Use Your Illusion U Izzy Stradlin & Ju Ju Hounds
『Appetite For Destruction』
『Use Your
Illusion T』
『Use Your
Illusion U』
Izzy Stradlin
『Izzy Stradlin &
Ju Ju Hounds』

--- “ストーンズ自身の70年代回帰”といえば、寺田さんのブログでは、(註)Superflyの『Box Emotions』とストーンズとの関係についてのかなり興味深い言及がされていましたね。

 Superflyの場合おもしろいのは、「90年代ストーンズの中における“70年代ストーンズ再評価”」以降の音が感じられるというところなんですよ。リアルタイムではない分少し距離感があって、(註)ストリート・スライダーズ(註)村八分、最近では(註)毛皮のマリーズのやっているストーンズ的な要素とは違う。しかも、アティテュード抜きで、格好も抜き。純粋にサウンドだけ。その中で、「90年代以降のストーンズ自身による “70年代ストーンズ再評価”」の流れにある70年代ストーンズ・サウンドを追っているように思っているので、感覚がだいぶ違うんですよね。音はモロだけど、雰囲気は全然違う。おまけに「Alright!!」という曲には、ミックのソロの要素も入っているという(笑)。レニー・クラヴィッツも好きなんでしょうけど、その両者が共同で楽曲を作っているということを意識した上で、レニー・クラヴィッツの要素を強めて、さらに全体的に「Jumpin' Jack Flash」のスパイスを散りばめていると。

--- “ストーンズ・チルドレン”というよりは、 もはや“孫世代”の新しいストーンズの捉え方ですよね。

 90年代以降に洋楽を聴き始めているんだけど、その前にJ-POPが大好きだった時代があったりするから、ドリカムの上にストーンズが乗っているみたいなところもあるんですよね(笑)。だから、それまでのいわゆるストーンズ・フォロワーと呼ばれていたバンドとはアティテュードが異なって、でも音はおもいっきりストーンズだっていう。それがおもしろいんですよね。

 さらに感じることとして、より“あからさま”にやるということは、ひょっとするとDJ以降の感覚なのかもしれないということですね。ストーンズと同世代だと“まんま”やることに抵抗はあるけど、その後の世代の敬意の表し方としては、「リスペクトは素直に」ということかもしれませんよね。


(註) ストーンズ・チルドレン〜孫世代のアルバム+@ 《日本編》

レア & モア・コレクション 1 -ライヴ・ヒストリー編 ライヴ Rhythm And Truth + Live Freedom スクリューバンカーズ 廃盤
タイガース
『レア&モア・コレクション1』
村八分
『ライヴ』
フールズ
『Rhythm And Truth』
スクリューバンカーズ
『スクリューバンカーズ』
(廃盤)
Rhapsody Naked Live -Heaven & Hell(廃盤) 毛皮のマリーズ Box Emotions
RCサクセション
『Rhapsody (Naked)』
ストリート・スライダーズ
『Live -Heaven & Hell』(廃盤)
毛皮のマリーズ
『毛皮のマリーズ』
Superfly
『Box Emotions』


--- 今回『メイン・ストリートのならず者』が未発表テイクとともに再度世の中的に盛り上がると、また“孫世代”による新しい解釈が色々と生まれる可能性もありそうですね。

  Superflyが今回の『メイン・ストリートのならず者』に反応して影響を受けるとすれば、おそらく未発表テイクの方からじゃないでしょうか。ストーンズ自身がより今っぽいセンスで70年代を捉え直しているという部分で。それに、これまで一般的に『メイン・ストリートのならず者』で人気がある曲というのは、やっぱり「Tumbling Dice」、「Rocks Off」、「All Down The Line」だったりしたんですけど、これからは「Loving Cup」、「Ventilator Blues」、「彼に会いたい」みたいな曲が今のバンドなんかに影響を与えたりするとおもしろいですよね。

--- “ストーンズ・チルドレン”の末裔とも言えるガンズでは、(註)『Use Your Illusion 1 & 2』の“ごった煮感”は、わりと “ならず者っぽさ”を感じるのですが。まとまりがないように見えて、実はアルバムを通してのテンションは一貫しているという点などにもすごく近親性を感じます。

 ガンズ、ブラック・クロウズ、あるいは(註)クワイア・ボーイズといったようなバンドが色々と出てきたということが『メイン・ストリートのならず者』、あるいは『ならず者』を中心とする70年代前半のストーンズの再評価のきっかけになったのかもしれないですね。90年代以降はストーンズ自身もそのことを十分に意識する。ひょっとしたらその中で70年代当時の録音を聴き返すことが増えていた可能性もありますよね。

--- なるほど。その延長で今回の『メイン・ストリートのならず者』のリニューアルにまでつながってきているというフシもありそうですね。

 だから、ストーンズってアルバムを出す度に「今度こそ<メイン・ストリートのならず者>が帰ってきた!」って書かれるんですよ。「今度こそ」っていうのがちょっと悲しいところですけど(笑)。洗剤やカセットテープなんかの宣伝と一緒ですよ。「前ヴァージョンより品質10%アップ!」みたいな(笑)。

--- 当社比10%アップみたいな(笑)。

 (笑) 「“メイン・ストリートのならず者・度”当社比10%アップ!」みたいなことは常に言われていたんだけど、実際しばらく聴いているうちに違いが目立ってくる。それ以前に、みんながそういう期待があって聴いているっていうことですよね。ほとんどのファンにとってはそのぐらいパーフェクトなアルバムだし、ストーンズ自身にもそれが影響している。そういうこともあって、Universalとしては『メイン・ストリートのならず者』を普通に再発したくなかったんでしょうね。


--- タイミングを計らいつつもレコード会社がここまで“寝かせて”きた意図というか思惑も、その辺にあったんですね。

 2008年にローリング・ストーンズ・レコードがPolydorレーベルと再契約をした時点で、まずレーベル側から「<メイン・ストリートのならず者>をデラックス・エディションで出したいのですが、年内(2009年)リリースの方向でいけますか?」という打診があったと思うんですよ。それが2010年にズレ込みはしましたけど、ちょうど新録アルバムもツアーもなかった時期ということもあって、より集中して制作に取り組めたんじゃないかなと思いますけどね。



(次の頁へつづきます)







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profile

寺田正典 (てらだ まさのり)

 1962年長崎生まれの福岡育ち。早稲田大学卒業。1985年ミュージック・マガジン社に入社。93年から「レコード・コレクターズ」編集長に着任。監修及び編集に携わったローリング・ストーンズ関連の書籍としては、『レコード・コレクターズ増刊 ローリング・ストーンズ』(1990年発刊)、『レコード・コレクターズ増刊 STONED! The Ultimate Guide To The Rolling Stones』(1998年発刊)、『レコード・コレクターズ増刊 The Rolling Stones CD Guide』(2003年発刊)などがある。

「レコード・コレクターズ」

 ミュージック・マガジン社から刊行されている、ひと味違う音楽ファン、レコード・ファンのための月刊誌。1960〜70年代の米英のロックを中心に、ポピュラー音楽を幅広く扱う。詳しいディスコグラフィー付きで取り上げたアーティストの音源をすべて聞くためのガイドとなる特集が好評。





インタビュー中に登場する主要人物について


アンディ・ジョンズ Andy Johns
(アンディ・ジョンズ)


ロンドンのオリンピック・スタジオを拠点に仕事をしていたイギリスの名エンジニア/プロデューサー、グリン・ジョンズを兄に持つアンディ・ジョンズ。60年代末から70年代初頭にかけては兄の関わる作品で共同エンジニアを務め、レッド・ツェッペリンブラインド・フェイスのアルバムに携わり、また、70年代初期のフリーの作品をプロデュースしていることでも知られている。ストーンズ作品では、『Sticky Fingers』から『It's Only Rock'n'Roll』までの4作品でエンジニアを務め、70年代黄金期のストーンズ・サウンドの確立に貢献している。70年代末にアメリカに移り、テレヴィジョンジョニ・ミッチェルロン・ウッドの作品に参加。80年代以降はヴァン・ヘイレンなどハード・ロックの名プロデューサーとして名を馳せている。


ビル・プラマー
Bill Plummer
(ビル・プラマー)


米西海岸出身で元々ジャズ畑を中心に活動をしていたマルチで異色なベース・プレイヤー/シタール奏者、ビル・プラマーは、「The Basses International Project」というプロジェクトで共に活動していた、ジョン・レノンエリック・クラプトンライ・クーダー作品への参加でおなじみの名セッション・ドラマーのジム・ケルトナーを介してストーンズのプロデューサー、ジミー・ミラーと知り合い、そこで『Exile On Main Street』の数曲でアップライト・ベースを弾くよう依頼されたという。


ボビー・キーズ Bobby Keys
(ボビー・キーズ)


60年代末、レオン・ラセルを中心とする米南部スワンプ・ロック・サークルで活動していたボビー・キーズは、ジミー・ミラーを介してストーンズと出会うことになる、テキサス出身のサックス奏者。10代でバディ・ホリーのバック・バンドでの演奏を経験し、その後も様々なバンドでの演奏を経たのちにレオンの紹介でディレイニー&ボニーのツアー・バンドに参加。この大編成バンドには、エリック・クラプトンデイヴ・メイソンらも参加していたということもあり、彼らからストーンズ作品参加へのアドバイスなどもされていたのだろう。『Let It Bleed』所収の「Live With Me」を皮切りに、『Sticky Fingers』「Brown Sugar」など数々のストーンズ楽曲でブルース・フィーリング溢れるサックス・ソロを披露し、1970年以降はツアーのレギュラー・メンバーに着任(1975〜78年はゲスト扱い)している。ボビーに「キースのような人間に一生で5人会えればラッキーだよな」と言わしめたそのキースとは同じ生年月日(1943年12月18日)ということもあり、ソロやニュー・バーバリアンズなどストーンズ以外の活動でも度々共演しながら、現在もソウルメイトのような理想的な信頼関係を保ち続けている。


クライディ・キング Clydie King
(クライディ・キング)


テキサス州ダラス出身のR&B/ソウル・シンガー、クライディ・キングは、60年代にはレイ・チャールズのコーラスを担当していた3人組レイレッツの一員として活動していた。ソロとしてもSpecialty、KENTといった名門にシングルをコンスタントに吹き込んでいたが、彼女の知名度を飛躍的に伸ばしたのは、やはり様々なセッションへのコーラス参加だろう。ジョー・コッカー『Mad Dogs And Englishmen』のツアー一行として、ヴェネッタ・フィールズ、シャーリー・マシューズらと結成したブラックベリーズは、そのまま『Exile On Main Street』のLA録音の現場になだれ込むかたちとなった。そのほか、ハンブル・パイボブ・ディランスティーリー・ダンなどの名アルバムの中に彼女のクレジットを見かけるはずだ。


Dr.ジョン Dr. John
(ドクター・ジョン)


おなじみニューオリンズ・スワンプの生き字引、Dr. ジョンことマック・レベナック。ニューオリンズ・ミュージックとスワンプ・ロックの素晴らしい交叉盤『Gumbo』をすぐ近くのサウンド・シティ・スタジオでレコーディングしていた時期でもあり、そちらのレコーディング・メンバーであったタミ・リン、シャーリー・グッドマンを引き連れ、ハリウッド・スタジオでの「Let It Loose」のコーラス録音に参加したというのがおおよその経緯。また、1970年に録音されたDr. ジョンのアルバム『The Sun、Moon & Herbs』には、ミック・ジャガーが6曲もバック・コーラスで参加しており、そのお礼に、といったところも多分に含んでいるのだろう。


グラム・パーソンズ Gram Parsons
(グラム・パーソンズ)


インターナショナル・サブマリン・バンドバーズ(『ロデオの恋人』時代)、フライング・ブリートー・ブラザーズを渡り歩き、カントリー、またはカントリー・ロックを追求し続けた男、グラム・パーソンズ『Let It Bleed』の制作にとりかかった頃から、キースとグラムとの親交は始まったと言われている。「Love In Vain」「Country Honk」「Wild Horses」「Dead Flowers」、また、キースとグラムが南カリフォルニアの公園にUFOを見に行った時にアイデアが浮かんだとも言われている「Moonlight Mile」など、グラムがストーンズ・サウンドに与えた影響というものは計り知れない。もちろん『Exile On Main Street』のレコーディングにおいても、仏ネルコート、最終ミックスが行われたLAハリウッド・スタジオにグラムは訪れていて、「Sweet Virginia」「Torn & Frayed」といった楽曲でその親睦がのぞかれる。グラムは、1973年、2枚目のソロ・アルバム『Grievous Angel』を完成させた直後にアルコールとドラッグの過剰摂取により26歳という若さでこの世を去ったが、その後もストーンズは、「Far Away Eyes」「Indian Girl」「The Worst」「Sweethearts Together」といった曲にカントリー・フレイヴァを吹き込むことによって、その友情を永遠のものとしている。




ジミー・ミラー Jimmy Miller
(ジミー・ミラー)


1968年、春の訪れとともに「ブルース」、「米国南部」というルーツ・ミュージックへの指針をしっかりと捉えたストーンズは、アイランド・レコーズ創設者クリス・ブラックウェルの肝煎りとしてスペンサー・デイヴィス・グループトラフィックなどを手掛け注目を集めていた新進気鋭のジミー・ミラーをプロデューサーに抜擢。ちょうどその頃完成したばかりだったトラフィックの2ndアルバム『Traffic』のサウンドをミックがいたく気に入ってスカウトしたそう。ブルースを機軸とした手堅くアーシーなサウンド作りの中にも実験的な試みを次々と取り入れた『Beggars Banquet』でそれは吉と出て、以降『Goat's Head Soup』までにおいてジミー・ミラーはストーンズから全幅の信頼を得て、揺るぎない黄金期のサウンドを作り上げている。


ジム・プライス Jim Price
(ジム・プライス)


ボビー・キーズと同じくLAスワンプ・サークル諸作品やビートルズ作品などに参加していたテキサス出身のセッション系トランペット奏者ジム・プライス。ボビ・キーズの紹介によりストーンズ作品へ参加となったその初登場曲は、『Sticky Fingers』所収となる「Bitch」で1970年のオリンピック・スタジオにて。Stax系ジャンプ・ナンバーをストーンズ流に昇華したこの曲では、ジムとボビーによるパンチの効いたホーン・セクションが明らかにドライヴ感を与えている。この後1973年のウインター・ツアーまでバンドに同行し、70年代ストーンズの黄金期を支えた。


キャシー・マクドナルド Kathi McDonald
キャシー・マクドナルド


ジャニス・ジョプリン亡き後のビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーの2代目ヴォーカリストとして、さらには、ジョー・コッカー『Mad Dogs And Englishmen』レオン・ラッセル率いるシェルター・ピープルへの参加など、地味ながらもブルース・ロック、スワンプ・ロックの最重要作品にこれでもかと名を連ねているブルース・ロック女裏番長シンガー、キャシー・マクドナルド。白人でありながらディープなソウル/ブルース歌唱で魅せるという点でジャニスやボニー・ブラムレットらとしばしば比較されるキャシーだが、ミュージシャンズ・サークルにおける彼女の評価というものは2人を遥かに凌ぐ高いものがあった。1974年のソロ1stアルバム『Insane Asylum』(邦題:精神病棟!)には、スライ・ストーンニール・ショーンロニー・モントローズニルス・ロフグレン・・・といった大物たちが参加。彼女の歌声がいかに魅力的かを間接的に証明している。ストーンズとは『Exile On Main Street』「All Down The Line」での共演となり、疾走感のあるキャッチーなフックを華やかにバックアップ。


レオン・ラッセル Leon Russell
(レオン・ラッセル)


グリン・ジョンズの紹介でストーンズと出会うこととなるレオン・ラッセルは、まずは『Let It Bleed』「Live With Me」にピアノで参加し持ち前のLA流スワンプ・サウンドの一片を名刺代わりに差し出す。しかし、レオンのストーンズへの最大の貢献は、その広い人脈を生かし米南部のミュージシャンズ・サークルを彼らストーンズと共有したという点にある。自身のシェルター・ピープル、デラニー&ボニー&フレンズジョー・コッカーのマッド・ドッグス&イングリッシュメンといった共同体が誇る腕利きの人海を、当時南部ルーツ・サウンドに飢えていたストーンズの助力のために惜しげもなく送り込み、ブルース、ソウル、カントリー、ゴスペルの持つ泥くさく豊かなニュアンスを分かち合ったその功績は称えられてしかるべき。また、1969年初のソロ・アルバム『Leon Russell』の録音には、ビル・ワイマンチャーリー・ワッツが参加している。


ロバート・フランク Robert Frank
(ロバート・フランク)


大方のロック・ファンにとっては『Exile On Main Street』のジャケット・アートワーク、そして、ドキュメンタリー・フィルム『Cocksucker Blues』という、ストーンズ史上屈指のいかがわしい芸術性を匂い立たせる2大プロダクツを手掛けた人物としてよく知られるロバート・フランク。1924年、スイスのチューリッヒで生まれ育ったフランクは、47年に移民としてニューヨークに出てきた後、50年代半ばには全米を放浪しながら、実にフィルム767本を使用しながら市民の現実の生活を写真に収め続けた。撮影イメージ約27、000点、ワークプリント約1000枚の中から83作品が写真集にまとめられ、58年5月に「Les Americains(アメリカ人)」として刊行されている。アレン・ギンズバーグジャック・ケルアックといったビート詩人らと共鳴し合うことで「視覚的詩人」とも呼ばれていたフランク。「Les Americains(アメリカ人)」にも掲載されていた写真をコラージュしたアートワークは、ストーンズの楽曲イメージを肥大化させる一種の魔法や麻薬めいたパワーに満ちている気がしてならない。


ヴェネッタ・フィールズ Venetta Fields
(ヴェネッタ・フィールズ)


ニューヨークはバッファロー出身のR&B/ソウル/ゴスペル・シンガー、ヴェネッタ・フィールズは、アイク&ティナ・ターナーのバック・コーラス・グループ、アイケッツに在籍していたことでも知られている。アイケッツがレビューを離れた後は、据え置きメンバーでミレッツとしての活動に移行。その後はクライディ・キング、シャーリー・マシューズらとのブラックベリーズとして様々なミュージシャンのバック・コーラスに参加。中でもピンク・フロイド『Dark Side Of The Moon』のツアー、そして、『Exile On Main Street』といったロック畑でのビッグネームとの仕事が特に目を引く。