2010年4月10日 (土)
栄光と波乱の60年代を乗り切ったローリング・ストーンズ。新時代の幕開けに向けて大きくカジをきるシーズンに直面したのもちょうどこの時期で、1970年7月には、デッカ・レコーズとの契約およびロンドン・レコーズのアメリカにおけるライセンス契約が切れた。前年から続くニュー・アルバム(『Sticky Fingers』)用のスタジオ・セッションにも参加していたボビー・キーズ、ジム・プライス、2人のホーン陣営と、この時期のレギュラー・ピアニスト、ニッキー・ホプキンスを連れ立った夏のヨーロッパ・ツアー終了後には、引き続きイギリスのオリンピック・スタジオ、イギリスのバークシャーにあるミックの別荘スターグローヴスで録音が行われた。ライ・クーダー、ジャック・ニッチェらも遊撃的にバックアップしているこのレコーディングでは、『Exile On Main Street』に収録されることとなる半数近くの楽曲の骨格はすでにでき上がっていたという。1971年4月、おなじみの“ベロ・マーク”をロゴとした自らのレコード・レーベル、ローリング・ストーンズ・レーベルの設立を発表し、キニー・グループ(傘下のアトランティック・レコード配給)とのディストリビュート契約を交わしたことも全世界にアナウンスされた。翌週、移籍第1弾アルバムとなる『Sticky Fingers』は、アンディ・ウォーホールが手掛けたジャケット・デザインとともに姿を現した。
時を同じくして、2週間のイギリス・ツアーを大盛況に終えたバンドは、イギリスの税金が高いということを理由に、フランス移住を計画。『Sticky Fingers』発表直後には、メンバー全員が南フランスに住居を構える手筈を終えていた。次なるアルバム『Exile On Main Street』用の残りのマテリアルの録音セッションは、“タックス・エグザイル”として選んだ南フランス、ニースとモンテカルロの中間部に位置するヴィルフランシュ・シュル・メールにキースが借りた邸宅ヴィッラ・ネルコート、その地下室で行われることとなった。 地下にあったキッチンは常に多くの機材で埋め尽くされ、その中で妊娠中であったキースの妻アニタが時を問わずに20人分もの食事を作ったり、メンバーが空けたワイン・ボトルを片づけたり、幼い息子マーロンを寝かしつけたりと、いくら夫が天下のローリング・ストーンズのギタリストであっても、セッションに費やされた三ヶ月間毎日こんなプレッシャーと衣食住を共にしていたと思うと、他人事ながらゾッとしてしまう。また、蒸し暑さも常軌を逸していたようで、アルバムにおけるギターのチューニングが若干甘いのはそのせいだという指摘もある。それでもキースは「しょうがねぇ、ウチでやるか。カミさんにはうまく言っとくよ」とオーケーを出したのだから、よほどこの作品に、これからのストーンズに懸ける思いは強かったのだろう。そんな奉仕精神(?)もあって、ボブ・ディランとザ・バンド「ベースメント・テープス」のストーンズ版とも呼ばれる突出した1枚が生まれることと相成ったのは事実だ。また実際には、ヴィルフランシュ・シュル・メールが地中海を見下ろす丘の上にあるということで、メンバーは息抜きにしばしば水遊びに興じていたり、キースが息子マーロンを寝かしつけるために席をはずした数時間を利用して近郊のニースやモンテカルロで夜の街を楽しんだということだから、イギリス在住時とは比べものにならないぐらいリラックスした雰囲気の生活は送れていたようだ。 ミックも新婚おのろけ気分が一息着いたと思われる同年11月、LAはハリウッド・スタジオでの最終ミックス時には冴えたアイデアをバンバン投入し、ある種のコンセプトを持たせた作品に仕立て上げることに貢献している。アルバムを全18曲の2枚組として発売することはもちろん、「Rocks Off」中間部のサイケな展開や「Ventilator Blues」から「彼に会いたい」にいたるつなぎの仕掛け、細部のエフェクト処理など、「バンド内での冷静な状況判断やマーケティング・センスはやっぱりオレにしかできない」といった具合の緻密に練られたシュアな最終アレンジを加えている。ここに、骨組みをキース、最終仕上げをミックというセルフ・プロデュース・チーム=グリマー・ツインズの方法論の輪郭がおぼろげながらに浮かび上がってきている。 こうして1972年5月12日に発表された『Exile On Main Street』は、当時のバンドの勢いからすれば当然のごとく英米で1位を獲得するも、シングル・カットされた「Tumbling Dice」やキースの「Happy」、当初第1弾シングル候補にあった「All Down The Line」を除けば、チャートに常駐するようなキャッチーな楽曲は見当たらない。むしろ初心に帰ったかのように、大好きなブルース、カントリーなどと好きな時に好きなだけ戯れている、かなりメンバー個々の嗜好に実直でナード感たっぷりの出来ばえという印象さえもある。 しかし、「ストーンズ版ベースメント・テープス」とも呼ばれるその”南仏密室芸”こそがこの作品の特徴であり本領でもある。蒸し風呂のような地下室での仕込みで発酵に発酵を重ねたベーシックなトラックは、時に地中海の潮風にさらされながら、大らかな時の流れを経てじっくりと熟成されたものばかり。ほどほどの雑味の中にある吟醸香がたまらない。LAで何人もの匠の技によりトータル的にコクのあるものに整えられた『Exile On Main Street』は、ならず者(≠国外追放者)たちが夢見る豊穣な音楽畑への憧憬が、豊潤な地において一大叙事詩のようなものとして形成されていくという、商業主義もへったくれもないひとつの人間くさいストーリーとして見事に結実。少なくとも僕は、そんな過程の一部始終を想像しただけでただただうっとりさせられてしまう。『Beggars Banquet』と同じくバンドにとって一番大事な時期のアルバムを、家族との時間を犠牲にしてまで精根込めて作り上げたキースが後に語っている。「これでやっとガキ相手のバンドから脱皮することができたぜ」。
|
|