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『桃色のジャンヌ・ダルク』 増山麗奈 インタビュー

2011年6月22日 (水)

interview
増山麗奈


戦争よりエロス、原発よりエロス、女体を武器に平和ボケ日本に戦いを挑む!エロティックパフォーマンスでメディアを騒がせた増山麗奈さんの桃色ドキュメンタリー『桃色のジャンヌ・ダルク』が7.8に緊急リリース決定!劇場公開時にお届けしたインタビュー、再び!

職業・画家。反戦パフォーマンス・桃色ゲリラ主催。二児の母親・・・という肩書きを持つ、増山麗奈さんの人生を追った異色ドキュメンタリー『桃色のジャンヌ・ダルク』。ある夜、民衆を救おうと立ち上がったジャンヌ・ダルクのように、高校の時に旅行したヒマラヤで天命を受け、「画家になろう」と決意したという。彼女の代表作である女性の挑発的な肢体を描くネオ春画や女性、そして、母親だからこそ出来た母乳アート。また、ピンクの衣装を身に纏い、LOVE&PEACEを声高に叫び続け、パフォーマンスを増幅し続けている桃色ゲリラの活動など・・・それらすべてにつながるのは、いのちの尊さや大切さだった。今、彼女がどのような心境でどんな活動をされているのか、そして、これから先の未来について・・・丁寧にお話して下さいました。「これはフィクションではない」という事実にただただ、うれしくなるはずです。

INTERVIEW and TEXT and PHOTO: 長澤玲美

とにかく衝動で動いていたわたしの活動がこうやって映画としてまとまることによってちょっと引いて見れる部分もあって、今の日本に欠けているパワーとか生きる力みたいなもの、元気をもらえる作品になってるんじゃないかなって思ってます。


--- 本日はよろしくお願いします。

増山麗奈(以下、増山) よろしくお願いします。

--- 映画を拝見させて頂き、増山さんから溢れるパワーをすごく感じました。『桃色のジャンヌ・ダルク』というタイトルも本当にぴったりだなあと思ったのですが、このアイデアは増山さんからですか?

増山 鵜飼邦彦監督が映画を作り始める時くらいからこのタイトルは決めていたんです。わたしはかっこいいタイトルだなあと思いつつ、ジャンヌ・ダルクについて調べてみたら、すごく悲しい人生の終わり方をされていたので、そこの部分は真似したくないですね(笑)。でも、ジャンヌ・ダルクのように世界を切り拓くというところまでは共感します。ある夜、天命を受けて、民衆を救おうと立ち上がるところとかは自分で言うのも何ですが、似てるところはあるんじゃないかなあと(笑)。


鵜飼邦彦 1950年生まれ。1969年、日活撮影所・編集部入社。日活アクションからロマンポルノまで数多くの作品に編集助手として付く。1979年、日活退社。1980年武智鉄二監督『白日夢』で、編集者として、一本立ち。以後、映画、テレビ、オリジナルビデオと、多岐にわたって編集に携わる。2001年より、(協)日本映画・テレビ編集協会の専務理事に従事、また、ヨコハマ映画祭の初期からの審査員でもある。代表作 映画『冬の河童』(風間志織監督 1994年)、『部屋 / THE ROOM』(園子温監督 1994年)、『SCORE』(室賀厚監督 1995年)、『シべリア超特急5』(水野晴郎監督 2003年)、『乱歩地獄 / 芋虫』(佐藤寿保監督 2004年)、『ジャングルハウス3ガス 林家三平』(水谷俊之監督 2010年公開予定)、テレビ『世界わが心の旅』(NHK・BS)、『ザ・ノンフィクション』(フジ)、『ガイアの夜明け』(テレ東)。

※ジャンヌ・ダルク (ユリウス暦 1412年1月6日-1431年5月30日)は、「オルレアンの乙女」とも呼ばれるフランスの国民的英雄で、カトリック教会における聖人。百年戦争の際にオルレアン解放に貢献し、シャルル7世をランスで戴冠させ、フランスの勝利に寄与したとされる。コンピエーニュの戦いで捕虜となり、宗教裁判で異端者と断罪され、ルーアンで火刑になった。


桃色のジャンヌ・ダルク


--- ご自身で完成された作品をご覧になっていかがですか?

増山 自分自身の物語なんですけれど、本当にいろんな方が関わって下さって1つの作品として完成して、世の中でこれから一人歩きしていくというのがすごくうれしいですね。もう一人子供を生んだような気がしています。作っていく中でだんだん客観視出来ていくところがあったんですが、最初はもう理論でも理屈でもなくて、とにかく衝動で動いていたわたしの活動がこうやって映画としてまとまることによってちょっと引いて見れる部分もあって、今の日本に欠けているパワーとか生きる力みたいなもの、元気をもらえる作品になってるんじゃないかなって思いました。

--- 鵜飼監督とは、2006年のクラブイベントや展覧会ARTLAN@ASIAで出会い、増山さんのパフォーマンスの面白さと画家としての才能に惹かれ、知り合って1ヶ月でカメラを回し始めるとありましたが、監督のアプローチがあったんですよね?

増山 はい。パフォーマンスをしたその日に自伝の「桃色ゲリラ」というPEACE&ARTの革命の本を買って下さって。それを読んで頂いてからは展覧会も見に来て下さって、出会って1週間後くらいに「映画を撮りたい」っていう連絡を頂いて。最初は「まさか、そんなことあるわけないだろう」と思ってたんですが、鵜飼監督はすごく誠実そうな方だったし、わたしは好奇心があって基本的には拒まずって感じなので、このプロジェクトを始めさせて頂いて。でも、本当に映画になって劇場公開まで決まって、こんなに話題になると思っていなかったのでびっくりしています。それは本当に鵜飼監督の努力のおかげというか、執念のような感じでずっとカメラを回して頂き、この不況下で何とかお金も集めてこうやって完成して下さったというのは本当に素晴らしいことというか、ありがたいことだなあと思ってます。

--- 監督は2006年から増山さんをずっと追われていたんですか?

増山 そうですね。ただ、鵜飼監督は売れっ子の編集マンなので(笑)、編集の作業が入る3週間くらいスタジオに籠りっきりだったりで、2年くらいの間、毎日というわけではないんですけど、1ヶ月に多い時は7日とか少ない時は1ヶ月全然会わなかったりとかそういう感じで、来れる時はいろんなイベントに来て頂いてましたね。

--- カメラに追われ、記録されることに対して抵抗はなかったですか?

増山 なかったですね。パフォーマンスするのはずっとやっていたし、それが記録になるのはうれしかったです。パフォーマンスアートというのはそういう映像記録が残ってないものが多いんですよ。撮っていたとしてもホームビデオみたいなものであって、ちゃんとした本とか映画とかDVDとか、資料になっているものが現代アートでも前衛アートでもパフォーマンスアートでも少ないんですよね。なので、当時は上映されるかどうかわからなかったけれど、記録を撮って頂けるっていうだけでありがたいと思っていました。

--- 拝見していて、カメラとの距離がすごく近いような気がしたんですが、それは増山さんの人に対する距離の取り方、スタンス・・・信頼されているといいますか。お互いにいい気持ちの通いがあったからああいった空気感が出ていたのかなあと。

増山 そうですね、確かに。鵜飼監督とはそういう信頼関係みたいなものをちょっとずつ作って来たところがあって、今ではもはや家族みたいな感じがありまして(笑)。そういう関係が映画から感じられるかもしれないです。カメラは使い方を間違えるとマイケル・ジャクソンのバッシングとか自己責任論を作り出したり、メディアとかカメラってとても怖いものでもあるんだけれど、もっとやさしい使い方を出来るんじゃないかなあって。いいメッセージを発信したり、いい関係を伝えたり、そういう風に使って行きたいなあと思っています。

--- 増山さんのお宅でも、すごく近い距離でカメラが回っていますもんね(笑)。

増山 そうなんですよね(笑)。本当に何回もいらしてたので、どのシーンが映画で使われるかもう全然わからなかったし、鵜飼監督がいる風景が当たり前だったので、本当にわたしの素が映ってるんじゃないかなと思いますね。

--- 鵜飼監督の増山さんに対するスタンスは、初めから変わらないですか?

増山 普段はとても穏やかな方なんですけど、映画公開が近付いて、パンフレットを作ったりいろいろ仕事量がとんでもなくなってきて・・・初めてキレそうな鵜飼監督を見ました(笑)。「ああ、鵜飼監督も怒るんだ」って思いましたけど、それは関係が親しくなったということなのかもしれませんね。撮ってる間は本当に穏やかで、穏やかだけど執念深く淡々と追いかけて下さって、嫌だと思ったこととかないですね。

あとは、鵜飼監督の映画に対する情熱というのが本当に素晴らしいなあと尊敬しています。市民が審査員になるヨコハマ映画祭の初期からの審査員をやってらして、映画の世界や文化の世界をすごく愛してらして、それがすごく素敵だなあと思ってます。そういうカルチャーを大事にする人と一緒に仕事をするのはたのしいんですよね。単に商売だけではなく、心がくさくさしないというか、クリエイティブで本当にたのしい。わたしはデジタルとアナログがちょうど切り替わる時代に育った世代なんですけど、鵜飼監督はその前のアナログの時代をたくさん知っていて、フィルムをハサミで切っていた話を教えて下さったりして、関わる中でそういったことを教えて頂けたのはありがたい財産だなあって思ってます。


桃色のジャンヌ・ダルク


--- 増山さんは、反戦アート集団“桃色ゲリラ”を結成され、活動を続けていらっしゃいますが、続けられることで周りの方の意識などに変化を感じられますか?

増山 こうやって続けていると、平和運動を長くされている方が「麗奈ちゃん、本気なんだな」って(笑)っていう風にわかって下さって、単にふざけてやっているわけじゃないっていうことは時間をかけてだんだん理解して下さって、お互いにいい関係になってるんじゃないかなって思います。批判も含めるけれど、例えば、デモのニュースが出た日だけは、ブログがばーっとたくさん見られたり、そういう宣伝効果があるわけですよね?自分のそういう効果でデモになるべく人を多く呼んだり、映画を応援してくれたり、ギブ&テイクでちょうどいい関係になってるかなあと思います。どうしても、「社会のことを考えるのって難しい」とかっていうイメージがありがちで、今、自殺がどんどん増えて、不景気で辛い時代ですけど、特にこれからの若い人がどんどん変えていかなければいけないと思うんですよね。だから、わたしが批判されても、これからの人達に「自分達の方から発信して変えていこう」っていうような機運を作っていきたいなあって思ってます。

--- デモの前にはブログでも告知されるんですよね?

増山 そうですね。ブログで発信すると、「初めてデモに来た」っていう人が最近はすごく多いんです。その人達が継続して毎回来るかっていうとそうでもないけれど、何ヶ月に1回かまた来てくれたり、それはみなさん生活のペースがあるので出来る時で構わないと思うんですけど、わたしは初めてデモにいろんな人を連れて行ってる率は高いと思います(笑)。デモ運動をされている今までの方達って、キャパがどうしても決まっているし、裾野が広がっていかないという問題があるので、どうやって新しい人達を運動に参加してもらうか、社会のことを考えるきっかけを持つか、そこがわたしの役割りかなって思っています。メディアに効果的に訴える手段、「電通」みたいな感じですかね(笑)。

--- 「電通」のような(笑)。

増山 ええ。運動の「電通」みたいな存在かなって、自分では思っていて(笑)、パフォーマンスもするし、アイデアも・・・考えるのが大好きなんです。

--- ご自身で企画し、行動しながら、周りをどんどん巻き込んでいくような感じといいますか。

増山 そうですね。本当にいろんな方を巻き込んでいってますね。自分一人の中でキャンバスを描いて、絵が仕上がるっていうのは今までの古来というか、明治以降、個人主義が始まった西洋絵画の技法というかスタイルなんですよね。ただ、わたしがやりたいのはもちろん、絵も続けて描きますけれど、社会の中でいろんな人と関わりながら何か新しい動きを作っていくこと、それも、ヨゼフ・ボイスが「社会彫刻」と言ったりもしていますけど、現代の「社会彫刻」なのかなっています。その動きに参加したり、デモをちょろっと見た人がその人の人生に何か栄養になるようなものを感じてくれたり、知ってくれたらいいなあって思って、「まだ見ぬ誰かに届いて欲しい」って思って、いつも活動をしています。


※ヨゼフ・ボイス (1921年5月12日−1986年1月23日) ドイツの現代美術家・彫刻家・教育者・社会活動家。初期のフルクサスに関わり、パフォーマンスアートの数々を演じ、名を馳せた他、彫刻、インスタレーション、ドローイングなどの作品も数多く残している。脂肪や蜜蝋、フェルト、銅、鉄、玄武岩など独特な素材を使った立体作品を制作したが、同時代のミニマルアートとは背景となる思想が異なり、その形態と素材の選択は彼の「彫刻理論」と素材に対する優れた感覚によっていた。また「社会彫刻」という概念を編み出し、彫刻や芸術の概念を「教育」や「社会変革」にまで拡張した。「自由国際大学」開設、「緑の党」結党などに関与し、その社会活動や政治活動はドイツ国内で賛否両論の激しい的となっている。しかしその思想と「人間は誰でも芸術家であり、自分自身の自由さから、「未来の社会秩序」という「総合芸術作品」内における他者とのさまざまな位置を規定するのを学ぶのである」という言葉は、20世紀後半以降のさまざまな芸術に非常に重要な影響を残している。


桃色のジャンヌ・ダルク


--- 本作の中で「デモ活動をしている方達は灰色とか黒っぽい格好で活動していて暗かったから、わたし達はデモも明るくポップにピンクの衣装でやった方がかわいいし、たのしい」と発言されたりもしていましたが、このピンク色に込められた意味などもあるんですか?

増山 実はピンク色を決めたのがわたしではなく、最初に参加してくれた佳菜子ちゃんという子が決めました。今考えるとちょうどよくて、赤だと共産党のイメージがどうしてもあるし、白だとインパクトが少ないし、ピンク色というのはちょうどいい・・・女の子っぽかったり、やさしい、柔らかいイメージがありますし、赤ちゃんから見たら、子宮の血管の色がコーラルピンクの色に見えるんですよね。人が潜在的に安心出来る色。だから、戦争より平和っていうことを訴える時にすごくよかったのかもしれない。アメリカでもね、わたし達と同じピンク色を使った女性達の集団がいて、「コード・ピンク」って言うんですよ。

--- 「コード・ピンク」・・・。

増山 ええ。一緒に計画したわけじゃないのに、同時多発的に女性達でピンク色を使った反戦運動が起こって来ていて、「全世界ピンク革命の時代なのかなあ」なんて思ったりするんです(笑)。5月にアメリカに行くので、その時にぜひお会いしてみたいなあとは思ってるんですけど、おもしろいですよね。同じ時代に会ったこともない人が同じアイデアで続けていて、向こうはもう少し年配の方で、代表の方が50歳くらいで、やはりお母さんなんだそうです。

--- すごく興味深いお話ですね。増山さんはアートやデモ、そして母性を通して、生命を大切にしたい、人間として当たり前のことを訴えていきたいと思われ、表現活動をされていると思うのですが、そういった意識はお子さんを生んでから特に強くありますか?

増山 子供が出来た後の方が強いですね。それまでは自殺衝動だったり、拒食症だったり、自分の人生が、身体が上手くいっていない感じがあって、自分自身を大事にする心がなかなか持てなくて苦しかったんですけど、そんなわたしの下にもこんなにかわいい尊い命が生まれてきたっていうのはすごくうれしかったし、救われたんですよね。いざ新しい命が生まれてくると、やっぱり命というのは大事なんだなあと。今まで自分自身を大事に出来なかった分、すごく思ったんですよね。一人目の子供を生んだ時に揺れ動く生命力みたいなものがぴかぴかして見えて・・・見えてっていうとおこがましいですけど、人って最初はものすごいエネルギーを持って生まれてくるんですよね、小さいけれど。それがだんだん大人になる中で、傷ついたり、磨耗したり、衰弱したり、病気になったり、いろんなことでせっかく持っている大事な生命力がどんどん失われていくような気がして。生まれてきてくれたこの子達の生命力をどんどん伸ばしてあげたいなあと、大事にして欲しいなあと。それを自分の血がつながっている子供だけじゃなくて、同じ時代の全ての人に自分達が持ってるエネルギーを大事にして欲しいなあって思っています。


桃色のジャンヌ・ダルク


--- 母親になっておっぱいが出るようになったというところから、「母乳アート」をされるようになったそうですが、直接のきっかけはどういったところからだったんですか?

増山 今の話と少し重なるんですけど、20代前半ぐらいまではすごく不安定な時期が続いて、孤独感があったんです。食べて吐いたりを繰り返したりして、自分の生命と食べ物、自然、社会が何も結び付かないで、自分はどんどんゴミばっかり生み出してるような気がしてすごくさみしかったんです。でも、いざ自分が母乳をあげてみると、わたしはこの子の栄養素になってる。わたしが頂いた食べものがこの子の栄養素になってるっていうのが食物連鎖にすごく上手く合致したみたいでとても幸福感があったんです。過剰に発達した文明で地球を壊してる人間だけど、そこで抱えている現代人の不安っていうものは、実はこういう簡単なこと・・・自分も社会の一部、自然の一部なんだっていうことを気付くことで変わるかなあと思って、この幸せ感をみんなに伝えなきゃっていう余計なおせっかいで、母乳を飛ばし始めたんですね(笑)。そしたらわりとウケがよくて(笑)、試行錯誤をしながら、母乳を搾乳して母乳クッキーを作って販売したり、絵の具に混ぜたり、リアルに母乳を飛ばしたりして、いろんな手法で100箇所以上母乳を飛ばしていました。飛ばしていく中で本当に命が大事とか戦争反対とか、いかにも偽善者っぽい言葉なんですけど、その言葉が自分の身体にどんどん近付いてくるような感じがあって。言ってることとやってることが一緒になってくる感じがあって、言葉を噛み締めるじゃないですけど、そういう感じがありました。これからそれをどんどんいい形で絵に表していきたいなあって思ってます。

--- ブログによりますと、「アジアの命の源、ヒマラヤの氷河で母乳アートしたい」ともありましたが・・・(笑)。

増山 そうなんです(笑)。次は男の子が欲しいんですよね。二人とも女の子なので、男の子を育てるっていうこともやってみたいなあという野望があります。高校の時にヒマラヤに旅行して、自分が人生で見てきた中で一番美しかったんですよ。今まではお芝居を観たり、絵本を読んだりするのも好きだったけど、それを比べても山の方が美しくて、何か嫉妬したんですよね。ムカつくって思って(笑)。「わたし、山より美しいものを作って、人々に見せたい」っていうすごい欲望が生まれて、そこでジャンヌ・ダルクのように天命を受けてしまって・・・「画家になるぞー!」みたいな(笑)。画家になって美しいものを作ろうと思って。だから、ライバルは山なんですよ(笑)。

そのきっかけになったヒマラヤの氷河が毎日ちょっとずつちょっとずつどんどん溶けているっていうことが今、すごく心配なんです。だから、子供達に地球が美しいうちに美しいものを見せたいという気持ちもあります。もちろんずっと美しいのが一番好ましいんですけど・・・わたしはスキーも好きで、家族で毎年、冬はスキーに行ったり、山に行ったりしていて、温暖化でどんどん雪も減っているし、雪の質が悪くなっていて。今年は雪が多いですけど、毎年異常気象と言われていて、自分が見た美しい地球を子供達に見せられないっていうのはすごく辛いことですよね。だから、男の子が出来なくても、子供が生まれなかったら生まれなくても、今いる子供達と家族と父と姉の夫婦達で「増山ヒマラヤ登山隊」っていうのを作って(笑)、そのヒマラヤバージョンをやりたいなあって思っていて、それが最近の家族の約束なんです。「映画をヒットさせて、ヒマラヤ行くぞ!」と(笑)。

でも、氷河って本当に、メコン川とか長江とかアジアの主だった川の源泉になっていて、そこがどんどん崩壊したり溶けていくっていうことは、わたし達はお金ばっかり見てるけど、稲だって水がないと出来ないし、文明だって水がないと出来ないし、すごく自分達の命を作ってくれた源の問題なのになかなか重要視されてないっていうのがムカつくというか。プライオリティーが違うんじゃないかっていう気がします。もっと、命のレベルで地球を見たり、経済を考えたりすればもっと地球はよくなるんじゃないかなと思っています。目の前の細かいお金なんて、はっきり言ってどうでもいいっていうか(笑)。もっと大きいものを見て動けばいいのになって、いろんな政治家や企業の不正とかも見て思ったりしますね。自分の親達の世代が高度経済成長の時代を迎えて、あの時はあの時で自分の子供達を豊かにしようと思って働いてくれたんだけど、その歪みが今来ている。そう考えると自分達が自分達の子供の世代に同じ歪みをぶつけてはいけないなって。その歪みの中で苦しんできたわたし達、ロスジェネ世代ですけど(笑)、思うんですよね。


※ ロストジェネレーション バブル崩壊後、就職超氷河期(1990年代という「失われた10年」)に社会へと送り出された20代後半から30代半ばを指す言葉として、朝日新聞が定義。いまだ名付けられ得ぬ存在として、日々働き暮らし死んでいきつつある。その数、20000000人。(「ワーキングプア」「フリーター」「ひきこもり」「ニート」「うつ病世代」「貧乏くじ世代」「負け組」「下流」「ロストジェネレーション」・・・と様々な言葉のレッテルを張られてもいる) この問題を扱う様々な格差論壇が誕生し、その一つである増山が編集委員を務めるオピニオン雑誌超左翼マガジン「ロスジェネ」4号(大澤信亮責任編集)が3月末に発売される。

※ 超左翼マガジン「ロスジェネ」HP http://losgene.org/

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戦争よりエロス、原発よりエロス、女体を武器に平和ボケ日本に戦いを挑む!エロティックパフォーマンスでメディアを騒がせた増山麗奈の桃色ドキュメンタリー!


『桃色のジャンヌ・ダルク』


監督・撮影・編集:鵜飼邦彦
出演:増山麗奈志葉玲白井愛子澤田サンダー黒田オサム川田龍平坂口寛敏佐々木祐司
ドラマ部分出演:神楽坂恵今野悠夫椎葉智増田俊樹黄金咲ちひろ吉行由実
撮影:増田俊樹、井川揚枝 音楽:菅野慎人
テーマ曲「one かけがえのない君へ」 作詞・作曲・歌:白井愛子
製作:ジャンヌ・ダルクプロジェクト 配給・宣伝:アルゴ・ピクチャーズ
2009年 / カラー / 1時間45分 / DV・CAM

profile

増山麗奈(ますやまれな)

1976年生まれ、千葉県出身。画家・ロスジェネ編集委員。二児の母。東京藝術大学中退。 2003年イラク開戦時に反戦アート集団「桃色ゲリラ」を結成、代表を務める。ドイツ・ベルリン森鴎外記念館にて個展開催。2004年府中市美術館「府中ビエンナーレ」参加。2005年絵本「幼なじみのバッキー」で第10回岡本太郎現代芸術賞入賞。2007年横浜ZAIMにてアジアの現代アート展「ART LAN@ASIA」を総合キュレーション。2008年新潟県新津美術館にてエコ@アジアニズム展を企画。新聞連載小説「さすらい人のフーガ」挿絵を担当。2009年格差貧困をテーマにしたロスジェネ3号「エロスジェネ」を責任編集。早稲田大学 小野講堂・ワセダギャラリーにて「展覧会+シンポジューム アヴァンギャルド<生>あります。」に参加。ザルツブルグ博物館にて「日本の芸術」展で現代美術作家として紹介される。環境問題、反戦運動、人権活動など幅広く社会活動とアート活動を行なう。「ロスジェネ」4号(大澤信亮責任編集)が3月末に、「いかす!アート」 No War そしてエロ&エコの麗奈的アートエッセイも発売中!さらなる新刊は、「所有」概念に縛られない新しいカタチの社会を学ぼう!アート、アニメ、カルチャー、ファッション、農業など、ガーリーでパワフルな活動をしている各界のカワイイスペシャリストの声を紹介した「Girly Power!」が6月発売予定!