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【インタビュー】志磨遼平(毛皮のマリーズ)

ROCK NEXT STANDARD

2010年3月8日 (月)

interview

毛皮のマリーズ

圧倒的な存在感でインディーズシーンを暴れまわっていた毛皮のマリーズ。いよいよ彼らがメジャーへ進出!各社争奪戦の中、“好きな数字をいれなさい”と白紙の小切手を手渡したコロンビアと破格の契約金で契約(あくまでも志磨氏談です。。。)、メジャーへ殴りこみをかける、ロックンロールの伝道師・志磨遼平にインタビューを敢行!長いです!!

--- 宜しくお願いします!

志磨遼平(以下、志磨):前回の取材と違うことが言えるかが課題で…延々としゃべり続けちゃうんで(笑)今日は新鮮な感じで(笑)

--- 前回のインタビュー覚えていますか?普通の方は短い受け答えなんですけど、志磨さんすごい量で(笑) 文字にすると長文なんですよ!すごい楽しかったです。

志磨時間止めないと、延々喋っちゃうんで(笑)レコーディングやってるときに、早く取材を受けたいなって思ってます(笑)

--- もう話すことを決めてるってことですか?

志磨全部終わって、後はしゃべるだけにしたいっていう。いつも思うんですよね。「あー、早く取材になればいいのにな」って。

--- いつもレコーディングはしんどい感じですか?

志磨なんか「下手の横好き」じゃないですけど、楽器にいろいろ手をつけたんで…自分でできてしまうので、「ちょっと貸してみ!」って言うわけにもいかず…。そういうジレンマとかストレスというか。ストレスだけですね。自分の中でこうなってるのに、伝えようって思っても…ギターとかだったら出来るんですけど、ピアノとかドラムとか、「音はあの曲みたいな感じで!」って言ってもなかなか違った感じがして。そういうストレスがなければ…

--- そうですよね…。頭の中では鳴ってるんですよね。

志磨人と共有するのがすごい大変で。

--- でも、全部の楽器が出来たら、独りでやっちゃいませんか?

志磨全部…やるっすね!全部できたら。なんか様式美があるじゃないですか、バンドの。多分それだけじゃないですかね。もし、ライブもなくて…僕が身長150cmくらいのすごいデブやったらやってますね。そういう憧れみたいなのがありますからね。

--- 音だけで言えば、独りでもってことですね。

志磨そうですね。曲を作るのは趣味なんですね。それをどうこうしていくってなると…難しいっすよね。それ悩んでるんですよ。他人とのズレ…それもいいのかなぁって思ったりもするんですけどね。

--- でも、それはあるんじゃないですかね。

志磨レコーディングとかだとPro Toolsとか波形で音が全部出るんですけど、リズムが機械上ではテンポがビシビシクリックの縦線が入ってて、横に音の揺らぎがあるんですけど。で、僕が揺らいでて、山がちょっとずれてたりするんですよ。すごい象徴的な「ズレてんなー!俺達!」(笑) 「揃ってないなー、気持ち!」って象徴的な(笑) でも、それが良かったりするわけですよ。

--- グルーヴだったり。

志磨そうなんですよ。グルーヴだったりとか…。やっぱり他人と分かり合えないってところが、それが演奏か…って考えてしまう(笑) 深いですなぁ〜、バンドは。

--- それはたぶん永遠ですよね(笑) …それでは、そろそろ本題にいきましょうか。今回メジャーデビューということで、メジャーに行こうと思ったきっかけは何ですか?

志磨きっかけはもう中学校くらいですよ(笑)

--- 元々メジャーでやるつもりだったんですか?

志磨そうですね。逆に「苦節何年」って感じですね。

--- ずっとアンダーグラウンドな世界でやっていくのかな、と思っていたので。

志磨そんなこともないんですよね。

--- メジャーは、より多くの人に音を伝えられるっていうメリットはあるじゃないですか。

志磨逆にRolling Stonesってアンダーグラウンドなんでしょうかね?

--- そうですね、音楽で言うと。

志磨っていうことになると、アンダーグラウンドな音楽好きですね…って話になるんですよね。Rolling Stonesになりたいっていう夢があるとして、初期のストーンズを目指してるのかわかんないけど、ちっちゃいライブハウスで古いソウルとかブルースのカヴァーをやる、っていう風にとる人もいれば、僕は全然スタジアム「Let’s Spend the Night Together」のビデオとか…大きいところとかでやってるんですけど、そういうの好きなので。別にアンダーグラウンドを目指した覚えはございません!っていう話なんですけど、意外とそういうの好きな人がいなかったんだな、って。振り返ると。なので、最初から何も変わってないですけどね。

--- 前作から1年くらいなんですが、前作が割りとスケールがデカいというか…「WHITE ALBUM」みたいな感じだとしたら、今回はシンプルというかロックンロールというイメージだったのですが、これは初めからコンセプト的なものはあったんですか?

志磨ひとつコンセプトとしてあったのが、「コピーしやすい」っていう(笑) 普及活動じゃないですけど。歌詞を書くとかになるとどうしてもいろいろあるじゃないですか。「歌は世につれ、世は歌につれ」みたいなもので。(逆に)演奏スタイルとか音楽っていうのはないじゃないですか。あっ、僕はないと思っているんです。良いものっていうのは、すごい昔の音楽もいいし、最近のやつのほうが良くなかったりもするでしょうし。録音技術も一緒で、すごい昔のレコードのほうが良い音やったりとか。そういう意味でもってミュージックの話だけをすると、10年ぐらいずっと聴いてもカッコいいなって思うのが変わらないので。そういうスタイルが我々得意なんですけど。なので、そういうのが広まればいいなぁって。若い子達が古い音楽とかを聴いて勉強したりするの…夢があっていいじゃない!とか思って。なんか、急に老け込んだんですけど(笑)最近そういうのをやたら若い子に託そうと思ってまして。そこから今回のような伴奏をバンド内の中でつけたつもりなんですけど。だから、カッコいいエレキギターの音とかそんな感じの音はあるかもしれないですね。カッコいいエレキギターの音でカッコいいギターのフレーズとか。僕が知っている中でオススメのロックンロールパターンっていう。

--- 最近の若い子達は、掘っていかないっていう…

志磨ね!ね!それ楽しいのになぁ… 何なんでしょうね?やっぱりみんなこういう場でも言わないんじゃないですか?皆さん。「ああいう音楽が好きで、すごい影響を受けて…」みたいな。あんまりないですよね。大っぴらに言っちゃいますけど…僕は。

--- そうですね。ルーツを隠すっぽいような…

志磨もしかしたら、ないのかもしれないですよね… 逆に僕は出来ないですけど。憧れちゃう的な。昔はすごい憧れましたね。どこから出てきたかわからない音楽っていう、聴いたこともないような演奏とかあって、やっぱりやりたいなぁって思ったんですけど。まぁ、向いてなかったっていうのはありましたけど(笑)僕らはオーソドックスな…伝統芸能を継承していくっていう役割分担もありますからね。文化ですからね。そういう文化保護の演奏隊です、うちは(笑)

--- そこはブレていないですよね。

志磨そうですね。一番カッコいいと思うんですけどね。個人的には趣味ですから…いいんですけど。

--- 歌詞の方はいかがですか?

志磨歌詞はですね…今言ったようなこともありまして、多分一番大きかったのが(忌野)清志郎さんが亡くなったことなんですよね。去年4月8日にアルバム(Gloomy)が出たんですね。で、発売前日に大阪のイベントで背中の骨を折ったんですよ。アルバムが発売されると同時に寝たきりになって…(苦笑)だから、アウトプットがないんですよね。「俺たちの最新作だ!」っていうのが出来てないんですよ。家で「チーン」って動けないんですよ。で、1ヶ月くらい寝たきりの時に5月2日に清志郎さんが亡くなって。もう、むちゃくちゃリアルに衝撃を受けて。「うわあぁ!」と思って、最初ビービー泣いたんですけど。それから夏に青森で「夏の魔物」っていうフェスに出て、いろんな人が出てるのに僕らがトリをやったんですね。

そのイベントの主催者の方と前から話してたのが、日本のロックンロールバンドで今一番現役でカッコいいアルバムを作れてるのって、清志郎さん、ヒロトさん、マーシーさん、トータスさん…ベンジーさんもそうでしょうね。ルーツがあって、さっき言ったような僕らの好きなスタイルの音楽家で。みんなもう40歳を超えていて…永ちゃんとかも現役バリバリですし。そんな事でいいのか?っていう話をよくしていて。若いヤツがもっと下克上じゃないですけど、王座から引きずり下ろさんと!って感じで。そして、「志摩さん、来たっすよ!その時が来たっすよ!今年やるしかないですよ!」って。そういうインプットばっかり情報が入ってきて…。清志郎さんが亡くなって、王座奪回だ!みたいなことになって。去年のアルバムはパーソナルな部分が多くて、こんなの聴きたいヤツいるのか?みたいな感じだったんですけど…結局今までの自分達の中で一番良い記録を打ちたてた。僕、記録とか大好きなんで(笑)そういう流れに巻き込まれたと言うのが合うかもしれないですけど…僕が動けない間になんかが周りで起こっているなぁ、って。

--- むしろ動けなくなったことで気づいたことがあったという感じですかね?

志磨そうなんですよね。そこでライブとかしてたらわからなかったこともあったと思いますしね。アルバムのリリースツアーを延期して休んでいる間、一生懸命リハビリしながら(王座奪回に)相応しい男なのか、バンドなのか…骨が治ったら見に行ってやろうかな、みたいな感じですよね。そんな感じで全国ツアーに行って、「夏の魔物」に参加して、いろんな人から反応があるわけで。さっき言ったストーンズの話じゃないですけど、「僕はこういうのが観たかったんだ!」っていう人がたくさんいまして。若い子がどうやらロックンロールっちゅうのを待ってるらしいなぁっていう結果が出まして(笑)

--- 求められているって感じですね!

志磨そうです!向こうからしたらロックンロールを僕らを通して観ているわけですからね。「ロックンロールって最高です!」って僕らに言われても…これ、散々言ってて頭おかしいヤツだなって思われるかもしれないですけど(笑)一番わかりやすく言うと、僕なんですよ。ロックンロールっていうのは。自分ではわかっているんですよ、私がロックンロールっていうのは。でも、それは僕が納得しているだけで。僕はそんなこと言いつつ謙虚なので(笑)自分のハードルが高いので、曲を満足して作れていないっていう意味で、僕の中で世界が満ち足りてるんですよ。ずっとやりたい事があるから。でも、何かを与えて欲しいっていうのは初めてで、気づけば僕も20代後半で…周り見たら10代の子達がいっぱいいて。「志摩さんみたいになりたくてバンド始めました」くらいの。「黒猫チェルシー」っているでしょ?彼らは僕らのことを中学校の時に聴いてたんですって。中学校の時にそんな…まぁ、彼らが若過ぎるだけなんですけど。で、「毛皮のマリーズと同じレーベルからCDを出したい」って言って。そういうことを見ていると、僕が清志郎さんにしてもらったことがいっぱいあったんですよね。同時にいろんなこと考えてたので…清志郎さんの音楽があって、ずいぶん助かったなみたいなこととか。そういうのが全部リンクしまして。

和歌山生まれの和歌山育ちなんですけど、そこには友達がいっぱいいるんですよ。どこに行っても全然一人じゃないんですよ。でも、僕が20歳くらいの時に東京へポーンと一人で出てきたら、ただの通行人な訳じゃないですか。誰も知り合いいないし、声もかけてくれないし。そういう時に清志郎さんの曲をずっと聴いてまして。「わかってもらえるさ」とか「君が僕を知ってる」っていう曲がありまして。あと「世間知らず」っていう曲とか。他の人のCD宣伝してどうするんだって話ですけど(笑)今度、清志郎さんの新しいCDが出るんですよ。それにも入っているんですけど「LIKE A DREAM」とか良い歌がいっぱいあって。その時、清志郎さんと東京に出てきた時の僕は全く同じだと思ってたんですよね。ひとりぼっちでも自分はバンドも素晴らしいことをやっているって自信もあるし、でも、もがいても理解されないってやつですよね。清志郎さんは清志郎さんでゴッホが天才だって思ってたらしいんですけど。生きているうちは認められないって言って。若者にありがちと言えばそうなんですけど、「天才の孤独」みたいなものを一人でね。

--- 悶々としながら…

志磨そうです。なんか浸ってたわけですよ。でも、それがないと…清志郎さんの曲がないと僕はペチャンと潰れてたような。そこから初めて思ったんですよね、僕の音楽…そういう用に作ってないわけですからね。自分のパーソナルな部分はこれだけですかね。自分を含め、我々の世代というか、人間が生きていくっていうことへの自問自答の末に肯定ってことだけしかやっていなかったんですよ。それが、知らない間にいろんな効果をもたらしてたような。若い子に向けて「そろそろ僕の出番かね?」っていう(笑)そこでひとつ腹をくくって一念奮起、最近やってるんです!って(笑) 長っ!!ごめんなさい(笑)まとまってないです…