TOP > My page > Review List of 村井 翔

Review List of 村井 翔 

Showing 316 - 330 of 613 items

%%header%%

%%message%%

  • 3 people agree with this review
     2014/05/24

    「トルコのハーレム」は大勢のモデルやお針子たちを抱える現代のオート・クチュール、「太守セリム」はそこを仕切るカリスマ・デザイナーという読み替えは悪くないと思ったのだが、大掛かりなセットだけが取り柄で、演技を含めた個々の場面の作り方があまりにもおざなり。二百数十年前の古典芸能をオペラハウスの外へ持ち出そうという斬新な試みなのだから、もっと寛大に見るべきという声もあろうが、こんなに作りが杜撰では寛大になりようがない。このオペラ、21世紀に入ってからは、実はコンスタンツェはセリムの方を愛してしまっているという設定で濃密な心理劇を見せるジョナサン・ミラー(チューリッヒ)やクリストフ・ロイ(フランクフルト/リセウ)の演出が見られるようになったが、それらに比べると全く物足りない。現代化・非トルコ化演出としても、才気煥発なヘアハイム演出(2006年ザルツブルク)に遠く及ばない。
    オケの音は耳の中のイヤホンからしか聞こえないという悪条件にもかかわらず、歌手陣は健闘している。しかし、エーベンシュタインのペドリッロが目立つぐらいで、演奏自体も凡庸。ニールセンのブロンデはあまり愛想のない、キツ目の役作りで、もともとブロンデ出身のランカトーレとキャラが逆転してしまっているが、これもまずかろう。ダムラウが早々に降りてしまったのは賢明な判断。彼女の頭のよさを裏付ける結果になった。

    3 people agree with this review

    Agree with this review

  • 2 people agree with this review
     2014/05/24

    細かいところでは、あちこち齟齬があっても、作品の「核心」だけは絶対にはずさない、またしても見事なカーセンの読み替え演出。夜の女王とザラストロは最初からグルで、すべては子供たちの成長を促し、タミーノとパミーナを結びつけるためのお芝居、イニシエーション劇だったという設定変更で、女性差別ともからんで厄介な「光=男=啓蒙」対「闇=女=無意識」という対立軸をはずしてしまった。だから「夜の女王とその取り巻きたちが地獄に落とされる」はずの最終場などは茶番に過ぎなくなるが、パミーナが(彼女に一番、嫌なことをしたはずの)モノスタートスに手をさしのべ、仲間に入れてやるというエンディングは実に感動的。暗い地下の世界を抜けた果ての緑の芝生も美しいし、モーツァルトが最も喜びそうな最終景ではないか。
    ピリオド・スタイルを十分に踏まえたラトルの指揮は、圧倒的名演とは言えぬにしても、みずみずしく、好ましい。それに小編成でもさすがベルリン・フィル。響きの美しさは比類ない。歌手陣もブレスリクのタミーノ以下、粒が揃っている。ただし、「人形のような」ロイヤルだけは、私にはまだ良さが分からない。少なくともパミーナ向きではないと思う。パパゲーノが伝統的な三枚目ではなく、孤独の影を感じさせる現代の青年になっているのは、演出家の意図でもあろうが、喜劇的効果はややもの足りぬとしても、なかなか面白い。

    2 people agree with this review

    Agree with this review

  • 2 people agree with this review
     2014/05/17

    ちょうどドゥダメル/BPOのアルバムと同じ曲目になった。オケの底力という点では、バーミンガム市響がどんなに頑張っても、ベルリン・フィルにはかなわないだろうが、実は演奏はこの方が精彩がある。さしものドゥダメルもBPOとの初録音は少し構えたのか、慎重になり過ぎているように思うが、ネルソンスは思うがままにオーケストラをドライヴして、闊達な演奏を繰り広げている。『ツァラトゥストラ』は最初はド派手だが、どうも後半、尻すぼみになりがちな曲だが、この演奏では「学問について」のフーガの克明さ、特にウィンナ・ワルツになってからの圧倒的なノリの良さが印象的。冒頭もコントラバスとオルガン他の保続音がかなり強く、ppという楽譜の指定を完全に無視しているのが面白い。『ドン・ファン』と『ティル』はこれも出たばかりのホーネック/ピッツバーグ響の方がさらに個性的だが、ネルソンスの指揮も非常に輝かしい。いずれの曲も終盤の盛り上がりは白熱的だ。なお、拍手なしのライヴ録音だが、指揮者の足音など若干の演奏ノイズが聴こえる。

    2 people agree with this review

    Agree with this review

  • 5 people agree with this review
     2014/04/19

    まず印象に残るのは2017年冬からミラノ・スカラ座の音楽監督に就任することになったシャイーのすこぶる闊達な指揮。1998年にスカラ座で録音されたCDと比べても、さらに緩急自在で、まさに水を得た魚とはこのことだ。演出は手堅い。印象派〜後期印象派の名画を模した映像が局面に応じて画家マルチェッロのキャンヴァスと背景に投影されるハイテク仕様が唯一の新味だが、さして大きな不満はない(斬新な読み替えを望まれる方はヘアハイム演出をどうぞ)。ヒロインのガル・ジェイムズは血色良く、結核で死にそうには見えないが、いかにもはかなげで清楚な従来のイメージよりもっと積極的な女性に作られているのは演出家の意図としても、彼女自身もこれに応じて非常に達者な演唱を見せる。今後、注目すべきソプラノ歌手の一人だろう。対するアキレス・マチャドはいかにも不器用そうなキャラ(ひょっとして地か?)。口八丁手八丁のカヴァレッティ(マルチェッロ)とは、いいデコボコ・コンビだ。カルメン・ロメウは見るからにスペイン人のムゼッタ。野性味満点のキャラで役には合っている。南欧系のキャスト、スタッフが優勢で舞台もカラフル。あまり湿っぽくない『ボエーム』と言えば、分かりやすいだろうか。

    5 people agree with this review

    Agree with this review

  • 2 people agree with this review
     2014/04/18

    演出は全く感心しない。原爆を作ってしまった科学者の苦悩という読み替えの枠が所詮はメロドラマに過ぎないオペラの中身とマッチせず、取ってつけたように見えてしまう。ワルプルギスの夜(バレエは全面的にカット)のみ強引に原爆と関連づけたが、場違い感はぬぐえず、教会音楽(天使)とオペラ(悪魔)の間で引き裂かれた作曲者グノー自身の苦悩を枠に使ったコヴェントガーデンのマクヴィカー演出に遠く及ばない。しかし、演奏そのものはなかなか魅力的。普段は軽薄に聴こえてしまうファウスト役だが、カウフマンのこの役には重過ぎるほどの声(高い音はファルセットでかわしている)は、見た目は青年だが中身は老学者というこの人物のギャップをうまく表現している。マルグリートも「宝石の歌」のコロラトゥーラから最終場の劇的な表現力まで『椿姫』のヴィオレッタ並みの多彩な能力が求められる難役だが、ポプラフスカヤは大いに健闘。一方、パーペはこの種の役を演じると非常に作り物めいた、人工的な演唱になってしまう。それを良しとするかどうかで好みは分かれよう。退屈なページもなくはないオペラだけに、作品を引き締めているネゼ=セガンのシャープな指揮も高得点だ。

    2 people agree with this review

    Agree with this review

  • 5 people agree with this review
     2014/04/18

    バレンボイム指揮、カシアス演出によるスカラ座リングの完結編。パドリッサ演出のバレンシア版、ルパージュ演出のメト版、いずれもハイテク映像を駆使して演出家の解釈をあまり押し出さないタイプの舞台だが、このカシアス演出が一番おとなしい。独自のアイデアが見られるのは第1幕幕切れの隠れ頭巾をかぶったジークフリートの見せ方ぐらい。最終景もベルギーの彫刻家、ジェフ・ランボー作のレリーフに丸投げというのは、いただけない。音楽を邪魔しないから最初に見るにはいい、とも言えようがシェロー、クプファー、コンヴィチュニーなど明確なコンセプトを持った各演出に比べると物足りない。指揮も演出に調子を合わせたのか、表現意欲全開だったクプファー版の頃に比べると、かなり枯れた印象。テンポは遅めで表現は重々しいが、どうもモタつき気味だ。
    歌手陣ではブリュンヒルデがステンメからテオリンに代わってしまったのが痛恨事。力めば力むほどヴィブラートが多くなって聞き苦しい。女声陣では第2のノルンとヴァルトラウテで登場のマイアーが相変わらず一番目立っている。ライアンのジークフリートは悪くない。悲劇的な彫りの深さがないという声もあろうが、演出のコンセプトでも彼は死の直前まで愚か者のまんまだから、これで構わないと思う。ペトレンコのハーゲンはラトル指揮のザルツブルク/エクサン・プロヴァンス版の時から非常に面白いと思っていた。ギラギラした悪意を前面に出すタイプではなく、少し斜に構えたクールでニヒルな悪役。こういう役作りもありだと思う。ところで、1万円超というNHK版の値段はちょっとどうなのか。日本語字幕付きとはいえ、ほぼ半額でARTHAUS版が手に入るという状況では、いったい誰が買うのかね。

    5 people agree with this review

    Agree with this review

  • 3 people agree with this review
     2014/04/17

    2013年3月、ワーグナー・イヤーのメトでの『パルジファル』だが、オーケストラ・パートの素晴らしさに反して舞台上は目をおおわんばかりのティーレマン指揮ザルツブルク版とは対照的な結果になった。何よりも演出がきわめて秀逸。ほとんど具象物のない舞台で、第1、3幕はひび割れた荒野に一本の小川が流れるだけ。背景への映像の投影と群衆の効果的な動かし方で長丁場を飽きさせずに見せる。第1幕ではその小川が男性同性愛的共同体である聖杯騎士団の面々とクンドリー以下の女性たち(最初から舞台上にいる)を隔てているが(HMVレビューの下の写真)、幕切れではこの小川が開いて、脇腹の傷のような深く赤い裂け目になる。ちなみに騎士団は現代の白ワイシャツ姿だが、全く違和感なく、前奏曲では現代人達がスーツと靴を脱ぎ、ネクタイと時計を外して伝説の世界に入ってゆく様を儀式的に見せる(ベジャールのバレエなどでおなじみの手法)。第2幕は床一面に血のような赤い水が張られ、槍が林立する赤い裂け目の底の世界(HMVレビュー上の写真)。クンドリーの接吻を受けるとパルジファルも激しく出血し、ベッドの白いシーツが血に染まる(ジャケ写真)。接吻後も舞台に残る花の乙女(ダンサー)達の象徴的な動きも非常に面白い。第3幕ではもはや小川が男女の間を隔てることはなく、最後はクンドリー自らが聖杯を開帳して息絶える。つまり、珍しくほぼワーグナーのト書き通りのエンディングだが何の抵抗もなく、初演から百数十年を経て作品はついに「反ユダヤ主義」の呪いから解き放たれた感がある。
    指揮はテンポ遅く、劇的な緊張をきわだたせるというよりはデリケートな音色の織物を豊麗に織りなしてゆく。シェーンベルク、ベルクまで違和感なく振る指揮者だが、こういう演奏を聴くと、やっぱりイタリア人、ラテン的感性の人だなと思う。これはこれで大変素晴らしい。歌手陣もダライマンのクンドリーのみイマイチだが、男声陣は強力。パルジファルは全曲の真ん中でキャラクターが百八十度変わってしまう難しい役だが、さすがにカウフマンは実にうまい。もう少しリリックな声でも歌える役だが、彼の重い声は後半でのこの人物の言動に「重み」を添えている。マッテイのアムフォルタスも、いたずらに絶叫に走るのを避けて、一つ一つの言葉に的確な表情を与えた名唱。パーペのグルネマンツは久々の完璧なハマリ役。全く安心して見ていられる。

    3 people agree with this review

    Agree with this review

  • 6 people agree with this review
     2014/04/06

    この大作の(おそらく)五組目の映像ディスク。しっかりした主張のある演出、攻撃的な指揮、なかなかの豪華歌手陣を擁する注目の演奏だ。演出は時代を19世紀半ばに移し、シェロー版『指輪』同様にそのような読み替えが可能であることを説得力十分に見せてくれる。たとえば、前半のトロイ戦争のくだりは、機械じかけの木馬に象徴されるように、産業革命をなしとげたヨーロッパ列強(ギリシャ軍)が後進国(トロイ)を蹂躙するという構図。確かにナポレオン3世治下のフランスもその「ヨーロッパ列強」ではあろうが、(ロンドンの批評家は誰も思い至らなかったようだが)それはまさに「大英帝国」のことではないか。この演出がコヴェントガーデンで大喝采という皮肉な結果に、スコットランド出身のマクヴィカーは密かにほくそ笑んでいるのではあるまいか。一方のカルタゴは「反近代」的なエスニックな世界。北アフリカ風の街のミニチュアを「蜂の巣のような」城壁が囲み、「女王蜂」ディドンがここを仕切っているという趣向。彼女の長いモノローグはコンヴィチュニーの『神々の黄昏』さながらに、幕の前でのプリマドンナの独演会となる。
    パッパーノの指揮は速めのテンポで鋭角的かつ力強い。ロマンティックなふくらみを多少、切り捨てたとしても魅力的だ。カウフマンの代役だったハイメルはカリスマ性には欠けるが、技術的には達者。私には『悪魔のロベール』のイメージが抜けないが、終盤の「人でなし」ぶりを考えれば、実はエネはダークヒーローなので、悪くない人選だ。ガーディナーの盤に続いて登場のアントナッチは堂々たる巫女ぶり。ウェストブロークは相変わらずパワフルだが、この役では抒情的な部分での繊細さ、声楽的には中音域の豊かさが足りない。そのためこの人物の器の大きさが表現できず、最終場もやたらヒステリックに流れてしまうのはまずい。

    6 people agree with this review

    Agree with this review

  • 7 people agree with this review
     2014/03/29

    指揮者のやりたいことと作品の求めるところがぴったり一致した(ように聴こえる)非常に幸福な演奏。6番ではさほどの冴えを感じなかったインバルだが、やはり7番との相性は抜群だ。私はこの曲を、アドルノの言う通り「苦難を乗り越えて栄光へ」というベートーヴェン以来の交響曲プログラムを内側から堀り崩すような破壊的作品と見るが、インバルはラトルのようにはっきりとパロディ交響曲と聴こえるような見立てはとらない。総譜をとにかくきっちりと音にして、後は聴衆が自由に感じてくださいというスタンスだ。それでもこの演奏の彫りの深さは驚異的。2011年のチェコ・フィルとの録音では、オケのカラーゆえか、普通の意味での「ロマンティック」な路線に流れたインバルだが、都響という高機能オケを得て、再びフランクフルト放送響時代のシャープで精細なアプローチに戻ってきた(全体で4分ほど演奏時間が短い)。緩急、強弱、声部のバランス(主旋律の裏の響きや対位旋律を強めに押し出すのがインバル流だが、これはマゼールなどと同じ流儀と思う)、すべてにわたってコントラストが強く、アンプを「ラウドネス」に設定したような雄弁で(悪く言えば)やかましく、押しつけがましい演奏だが、時間当たりの情報量が途方もなく多い。7番の終楽章はマーラー交響曲中でも技術的な最難関の一つだが(2013年1月、ジンマン指揮N響は悲惨だった)、都響のあざやかな演奏は圧巻。

    7 people agree with this review

    Agree with this review

  • 4 people agree with this review
     2014/03/14

    カンヌ四冠監督のハネケがこのオペラの「不自然(人工的)な」設定にどう挑むのかが注目。新婚のドン・アルフォンソとデスピーナ夫妻(ただし、彼女は夫よりもずっと若く、姉妹たちと同世代)の新居披露パーティに招かれた二組の恋人たちに女性不信のアルフォンソが「ゲーム」を仕掛けるというのが大枠。男たちがお義理の「変装」をしているのは一番最初だけ。第1幕フィナーレになると素顔に戻ってしまうが、それでも結末はいつも通り。エロスの衝動の前では、貞節などという観念は風前のともしびという教訓だ。だから第2幕の二つのラヴシーン(二重唱)は、かつてないほど濃厚。認めたくない人もいるだろうが、これこそ人間の真実なのだから、何もかも(相手が自分を裏切るかもしれぬことも)分かってしまっているドン・アルフォンソとデスピーナは夫婦を続けるしかあるまい。ここに至って、この「苦い」後味はいつものハネケ映画と全く同じであることに思い至る。
    6人の歌手たちは歌・演技ともにお見事。特にこの演出では重要、かつ普通の『コジ』とは異質な、デリケートな演技が要求されるドン・アルフォンソとデスピーナは素晴らしい。シメルが「かつてのドン・ジョヴァンニ」であったことも、このキャラクターの奥行きに寄与していると思う。

    4 people agree with this review

    Agree with this review

  • 4 people agree with this review
     2014/03/11

    既に飛ぶ鳥を落とす勢いのクルレンツィス、この画期的な録音でさらにそのカリスマぶりを高めることだろう。基本的な様式の枠組みは、1)古楽器オケ(概して速いテンポ)、2)レチタティーヴォ担当のフォルテピアノがきわめて奔放、3)歌手たちは18世紀の流儀で旋律に装飾を加えて歌う。つまり、ヤーコプスの録音とさして違わないのだが、演奏の様相はさらに闊達で、活気と生命力にあふれている。題材が危険であるのみならず、『フィガロ』は音楽の作り自体も革命的な作品であったことを改めて思い知らされる録音。たとえば、早くも序曲から手に汗握る快速テンポで、常にスタッカートな弦の刻みに乗って、例の下降音型がなだれ落ちる花火のように華々しく奏される。第2幕でケルビーノを着替えさせるスザンナのアリアなどは、リズミックな弾みのために曲の性格が一変してしまっているほどだ。女声陣はヴィブラートのない美声の持ち主ばかりだが、伯爵夫人は私の好みから言えば、やや淡彩に過ぎる。ケルビーノももっと性格的、男っぽくても良かった。アントネルーのスザンナは大変魅力的だ。一方、男声陣はかなりアクの強い人が多く、女声陣とは対照的だが、セッション録音にもかかわらず指揮者が演劇的なリアリティを求めているせいだろう。フィガロは素直な美声の持ち主だが、伯爵はコワモテの役作りで、かなりヌケたところのある愛すべきオジサマぶりは、あまりうかがえない。でも、Contessa, perdono!(妻よ、許してくれ)は大変遅いテンポで感動的だ。

    4 people agree with this review

    Agree with this review

  • 2 people agree with this review
     2014/03/08

    マーラー・シリーズの録音は中断しているが(エクストンさん、まさかこれで打ち切りじゃないでしょうね)、ホーネック/ピッツバーグ響の好調ぶりがうかがえる、きわめて大胆かつ個性的な演奏。『ドン・ファン』では冒頭以下の颯爽とした速い部分と、緩徐でねっとりとした、エロティックな部分とのコントラストが考えうる限り最大にとられている。中盤以降の主役となる、最初はホルンが朗々と吹きあげる主題が思いっきり引き延ばされるのに対し、最後のアッチェレランドはフルトヴェングラーさながら。ここまで極端にやると、ほとんどパロディだ。やはり緩急の起伏が大きく、非常に克明でなまなましい『死と浄化』に続く、『ティル・オイレンシュピーゲル』はまるでアニメ映画のような諧謔曲に仕立てられている。伸縮自在のテンポで戯画的な側面をこれでもかと強調するし、随所で浮き出てくる管楽器の表情づけも何とも奔放だ。白熱的な終盤の盛り上がりでは金管楽器の名技が全開。

    2 people agree with this review

    Agree with this review

  • 1 people agree with this review
     2014/03/08

    マーラー・ツィクルス2シーズン目の第1弾。最初のフランクフルト放送響との録音からこの印象は変わらないが、インバルは6番をやはり特別な作品と考えているようだ。近年の彼の多くの演奏とは違って、かなりテンポは遅めで、特に第1楽章などは音楽の身振りが重く、アルマの主題もテンポを伸縮させて、濃厚にしなを作る。指揮者が作品に対して「構えて」いるのが良く分かる。6番なんだから「構えて」どこが悪い、という声も当然あるだろう。しかし「構えた」結果、いつものインバルの「自然体」なように聴こえる演奏(実際にはそのように聴こえるだけで、声部のバランス調整など実は色々と仕掛けがあると思う)とは、ちょっと違ったものになっている。もちろんバーンスタインやテンシュテットのような情念山盛りの演奏ではないが、たとえば先頃出たノット/バンベルク響のような端正なスタイルと「情念」型の間ぐらいの感じ。終楽章では第1主題の再現あたりにクライマックスを持ってくる(その前の「ピウ・モッソ」からの第2主題の加速は激烈!)設計の確かさはいつもながらだが、全曲を通して絶対的なインバル印の刻印はあまり感じられない。中間楽章がスケルツォ/アンダンテの順なのは、ブルックナーでも初稿主義者のインバルとしては当たり前。横浜公演では災難だった首席トランペット氏も、もちろん傷のない方のテイクが採られていて、都響の技術力は相変わらず確かだ。指揮者のやや重めの解釈に沿って、力一杯の力演を見せる。2007年のフォンテック録音とは段違いの、きわめてなまなましい録音もこれまで通り。

    1 people agree with this review

    Agree with this review

  • 0 people agree with this review
     2014/03/07

    このコンビによるシューベルト交響曲録音の第3弾は2番、4番という魅力的な組み合わせ。第2番はインマゼール、ブリュッヘン、ジンマンと聴いてきたが、私にとってはこれが決定打。小編成(弦は8/7/5/4/3)ゆえの身軽さとピリオド的な味の濃さに加えて、この指揮者の旋律の歌わせ方には独特の艶がある。第1楽章第2主題やテンポを落とした第3楽章のトリオなどは、ふるいつきたくなるほど素敵。第1楽章展開部では転調による色合いの変化を繊細な手つきで表出している。第2楽章の変奏曲も歌のしなやかさ、低声部の強調による立体感、どちらも申し分ない。終楽章ではめざましいリズムの弾みを見せるが、ここでも強烈なアクセントの打ち込みの合間に思い切ったピアニッシモで繊細さを見せるところがある。第4番「悲劇的」はマッシヴなド迫力では、これも出たばかりのダウスゴー/スウェーデン室内管の方が上手だが、マナコルダの歌の美しさとデリカシーを聴いてしまうと、ダウスゴーがやや一本調子に聴こえるほど。

    0 people agree with this review

    Agree with this review

  • 2 people agree with this review
     2014/03/05

    めでたく完結したパーヴォ・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルの全曲録音はもちろんシャープで切れのよい精妙さが特徴だが、2番、4番あたりでは意外にロマンティックなふくらみも大事にしているなと感じた。団員は多国籍化しているとはいえ、やはりドイツのオケらしいところがある。このコンピが次にブラームスをやるというのも納得。一方、このネゼ=セガンの録音はいわば無国籍風で、ピリオド・スタイルはさらに急進的だ。特に晦渋な感のあった2番のリニューアルぶり、内声部までのクリアな見通しの良さとその身振りの迅速さ、ロラン・バルトの言う「ラッシュ(急速に)」の精神には驚かされる。ヤルヴィとネゼ=セガンの楽章ごとのタイミングを比べてみると、両者の志向の違いがかいま見れるだろう。
    ヤルヴィ 11:48/7:28/10:00/8:11
    ネゼ=セガン 11:06/6:46/9:33/7:28。
    しかし、ロマンティックなタメが全くないかと言うとそうでもなく、テンポは細かく動くし、たとえば第1番終楽章第2主題の付点リズム動機に不思議に粘着したりするのも面白い。もうこれじゃシューマンじゃないという声も出るだろうが、実に面白い全集だ。ただ一つ惜しいのは、ライヴ録音のため、演奏の精度自体はセッション録音のヤルヴィに及ばないこと。

    2 people agree with this review

    Agree with this review

Showing 316 - 330 of 613 items