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Review List of つよしくん 

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  • 10 people agree with this review
     2011/10/01

    好評を博しているユニバーサルによるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化シリーズも、今月はクーベリックによるチェコ音楽3点の登場となった。いずれも圧倒的な名演であるだけに、選定された音源としてもいささかも文句がないと言える。今般の企画を行ったユニバーサルにこの場を借りて感謝を申し上げておきたい。今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化の対象となった演奏のうち、クーベリック&ベルリン・フィルによるドヴォルザークの交響曲第8番及び第9番は、本盤におさめられたこのコンビによる交響曲全集からの抜粋である。交響曲第8番及び第9番については、既にリマスタリングCDが発売された際に、次のようなレビューを既に投稿済みである。「クーベリックは、ドヴォルザークの交響曲、とりわけ第8及び第9については何度も録音しているが、その中でも最も優れた演奏は、本盤におさめられたベルリン・フィル盤であると考える。第8については、その後、バイエルン放送交響楽団とともにライヴ録音(1976年)、第9については、バイエルン放送交響楽団(1980年)、次いでチェコ・フィル(1991年)とともにライヴ録音しているが、バイエルン放送交響楽団との演奏は、いずれも演奏自体は優れた名演に値するものであるが、ノイズの除去のために低音域を絞ったオルフェオレーベルの音質が演奏のグレードを著しく貶めていることになっており、私としてはあまり採りたくない。第9のチェコ・フィル盤は、ビロード革命後のチェコへの復帰コンサートの歴史的な記録であり、演奏全体に熱気は感じられるが、統率力にはいささか綻びが見られるのは否めない事実である。こうした点からすれば、クーベリックによるドヴォルザークの第8及び第9の決定盤は、本盤におさめられた演奏ということになる。それどころか、他の指揮者による名演と比較しても、トップの座を争う名演と高く評価し得るのではないだろうか。このうち第8は、1966年と録音年がいささか古いが、それだけにベルリン・フィルが完全にカラヤン色に染まっていない時期の録音であり、チェコの大自然を彷彿とさせるような情感の豊かさや瑞々しさが演奏全体に漲っているのが特徴だ。テンポなども随所で変化させており、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が漲っているが、音楽の自然な流れをいささかも損なっていないのが素晴らしい。本盤の4年後に、セル&クリーヴランド管弦楽団による同曲最高の超名演(1970年)が生まれているが、本演奏はそれに肉薄する超名演と高く評価したい。これに対して、第9は1972年の録音。ベルリン・フィルがほぼカラヤン色に染まった時期の録音だ。それだけに、全体的にはチェコ風の民族色がやや薄まり、より華麗で明瞭な音色が支配しているように感じるが、それでも情感の豊かさにおいてはいささかの不足もなく、第9の様々な名演の中でもトップの座を争う名演であることには変わりはない。ただ、名演としての評価は揺るぎがないものの、クーベリックらしさと言う意味においては、第8と比較するとややその個性が弱まっていると言えるところであり、このあたりは好き嫌いが分かれるのかもしれない。ベルリン・フィルも、両演奏ともにクーベリックの指揮の下、素晴らしい演奏を繰り広げており、各管楽器奏者の卓越した技量には惚れ惚れするほどだ。」そして、かかる高評価は、本全集におさめられた他の交響曲や管弦楽曲(管弦楽曲についてはバイエルン放送交響楽団との演奏であるが、技量的にはベルリン・フィルと何ら遜色がない。)にも共通するものであると言えるところであり、本全集は、いくつか存在しているドヴォルザークの交響曲全集の演奏の中でもトップの座に君臨する至高の名全集と高く評価したいと考えている。音質については、リマスタリングがなされるなどかなり良好なものであると言えるが、前述のように、本全集のうち第8番及び第9番については、今般、ユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が図られることになった。これは、当該演奏が至高の超名演であることに鑑みても、歴史的な快挙と言えるだろう。当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDとは次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりであると言える。クーベリックによる歴史的な超名演、そしてドヴォルザークの交響曲の第8番及び第9番の演奏史上トップの座を争う至高の超名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。また、可能であれば、それ以外の交響曲(特に第6番及び第7番)や管弦楽曲についても、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を望む聴き手は私だけではあるまい。

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     2011/09/28

    近年では数多くの演奏がなされているオルフのカルミナ・ブラーナであり、名演には事欠かないところであるが、現在においてもなお随一の名演として掲げられるのは、ヨッフム&ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団ほかによる超名演(1967年)であると言えるところだ。初演者ということもあるのであろうが、ヨッフムの確信に満ち溢れた強靭な気迫と力強い生命力は、圧倒的な迫力を誇っており、あたかも壮大なドイツオペラを鑑賞しているような趣きがある豪演でもあった。もっとも、当該盤は音質が今一つ冴えないという欠点があったのであるが、ユニバーサルがSHM−CD盤やシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤などを相次いで発売することによって、音質の問題もほぼ解消し、今では随一の超名演の地位を確固たるものとしていると言えるだろう。したがって、ヨッフムによる当該超名演を超える演奏というのは今後も容易には表れないのではないかとも考えられるが、現在のところ、これに唯一肉薄する名演こそは、本盤におさめられたプレヴィン&ウィーン・フィルほかによる演奏(1993年)であると考えるところだ。プレヴィンは、ポピュラー音楽の世界からクラシック音楽界に進出してきた経歴を持っているだけに、楽曲の聴かせどころのツボをしっかりとおさえた明瞭なアプローチを行うのが特徴と言える。本演奏においてもそれは健在で、特に、楽曲がカルミナ・ブラーナという標題音楽だけに、かかるプレヴィンの明瞭なアプローチ、演出巧者ぶりが見事に功を奏していると言える。本演奏のどの箇所をとっても曖昧模糊には陥らず、各フレーズをくっきりと明快に描くのに腐心しているとさえ感じられるところである。かかるアプローチは、ベートーヴェンやブラームスの交響曲などのような陰影に富む楽曲の場合、スコアに記された音符の表層だけをなぞった浅薄な演奏に陥る危険性を孕んでいるが、前述のように、楽曲が当該アプローチとの相性が抜群のカルミナ・ブラーナであったということが、本演奏を名演にした最大の要因であるとも考えられるところだ。特筆すべきはウィーン・フィル、そしてアルノルト・シェーンベルク合唱団及びウィーン少年合唱団の見事な好演であり、バーバラー・ボニー(ソプラノ)、フランク・ロパード(テノール)、アントニー・マイケルズ=ムーア(バリトン)による名唱も相まって、本名演をより一層魅力のあるものにするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質は、従来盤でも十分に満足できるものであったが、数年前に発売されたマルチチャンネル付きのSACD盤が臨場感溢れる鮮明な高音質であったところだ。最近ではSHM−CD盤も発売されたが、当該SACD盤の敵ではないと言える。もっとも、当該SACD盤は現在では入手困難であるが、プレヴィンによる素晴らしい名演でもあり、今後は、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2011/09/28

    近年では数多くの演奏がなされているオルフのカルミナ・ブラーナであり、名演には事欠かないところであるが、現在においてもなお随一の名演として掲げられるのは、ヨッフム&ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団ほかによる超名演(1967年)であると言えるところだ。初演者ということもあるのであろうが、ヨッフムの確信に満ち溢れた強靭な気迫と力強い生命力は、圧倒的な迫力を誇っており、あたかも壮大なドイツオペラを鑑賞しているような趣きがある豪演でもあった。もっとも、当該盤は音質が今一つ冴えないという欠点があったのであるが、ユニバーサルがSHM−CD盤やシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤などを相次いで発売することによって、音質の問題もほぼ解消し、今では随一の超名演の地位を確固たるものとしていると言えるだろう。したがって、ヨッフムによる当該超名演を超える演奏というのは今後も容易には表れないのではないかとも考えられるが、現在のところ、これに唯一肉薄する名演こそは、本盤におさめられたプレヴィン&ウィーン・フィルほかによる演奏(1993年)であると考えるところだ。プレヴィンは、ポピュラー音楽の世界からクラシック音楽界に進出してきた経歴を持っているだけに、楽曲の聴かせどころのツボをしっかりとおさえた明瞭なアプローチを行うのが特徴と言える。本演奏においてもそれは健在で、特に、楽曲がカルミナ・ブラーナという標題音楽だけに、かかるプレヴィンの明瞭なアプローチ、演出巧者ぶりが見事に功を奏していると言える。本演奏のどの箇所をとっても曖昧模糊には陥らず、各フレーズをくっきりと明快に描くのに腐心しているとさえ感じられるところである。かかるアプローチは、ベートーヴェンやブラームスの交響曲などのような陰影に富む楽曲の場合、スコアに記された音符の表層だけをなぞった浅薄な演奏に陥る危険性を孕んでいるが、前述のように、楽曲が当該アプローチとの相性が抜群のカルミナ・ブラーナであったということが、本演奏を名演にした最大の要因であるとも考えられるところだ。特筆すべきはウィーン・フィル、そしてアルノルト・シェーンベルク合唱団及びウィーン少年合唱団の見事な好演であり、バーバラー・ボニー(ソプラノ)、フランク・ロパード(テノール)、アントニー・マイケルズ=ムーア(バリトン)による名唱も相まって、本名演をより一層魅力のあるものにするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質は、従来盤でも十分に満足できるものであったが、数年前に発売されたマルチチャンネル付きのSACD盤が臨場感溢れる鮮明な高音質であったところだ。最近ではSHM−CD盤も発売されたが、当該SACD盤の敵ではないと言える。もっとも、当該SACD盤は現在では入手困難であるが、プレヴィンによる素晴らしい名演でもあり、今後は、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2011/09/27

    バーンスタインは、クラシック音楽史上最大のマーラー指揮者であると考えるが、これに対して、ブルックナーについては交響曲第9番しか演奏していない。その理由は定かではないが、自らの芸風との相性や宗教上の問題など、様々な問題があったのかもしれない。もっとも、交響曲第9番については、二度にわたって録音していることに鑑みれば、バーンスタインは同曲に対しては深い愛着と拘りを有していたと考えられるところだ。最初の録音は、当時の手兵であったニューヨーク・フィルとの演奏(1969年)、そして二度目の録音が本盤におさめられたウィーン・フィルとの演奏(1990年)である。最初の録音は、いかにも若き日のバーンスタインならではの爽快な演奏と言えるだろう。この当時のバーンスタインは、ヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、当該演奏もその一連の演奏に連なるものであったと言える。そのようなバーンスタインも、ニューヨーク・フィルの音楽監督を離任し、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。本盤におさめられた演奏も、ゆったりとしたテンポによる熱き情感に満ち溢れた濃厚さは健在であり、例えば、本盤の後に登場したヴァントや朝比奈などの名演などと比較すると、あまりにも人間臭く、そして表情過多でもあって、ブルックナーの交響曲演奏としては異質にさえ感じられるとも言えるだろう。したがって、本演奏をいわゆるブルックナー的な演奏ではないと言って切り捨てるのは容易であると考えられる。しかしながら、本演奏は、死の数か月前の演奏ということもあって、バーンスタインが自らのこれまでの人生を自省の気持ちを込めて振り返るような趣きがあると言えるところであり、人生の諦観や枯淡の境地を感じさせるような独特の味わい深さが存在していると言えるのではないだろうか。そして、ウィーン・フィルも、そうしたバーンスタインの心底に深く共感し、望み得る最高の演奏を展開しているとも言えるところだ。バーンスタインのいささか荒々しささえ感じさせる指揮によるブラスセクションの無機的な響きも、ウィーン・フィルによる美音によって、独特の潤いと温もりを付加するのに貢献しているのを忘れてはならない。いずれにしても、本演奏は正統派のブルックナー演奏とは言い難いものであると言えるが、バーンスタインが最晩年に至って到達し得た至高・至純の境地をあらわした佳演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質は従来CD盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、音質がより鮮明に再現されるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、バーンスタインによる最晩年の佳演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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     2011/09/26

    本盤におさめられたマーラーの交響曲第4番は、アバドによる2度目の録音である。最初の録音はウィーン・フィルとの演奏(1977年)であったが、本演奏はそれから約30年ぶりのライヴ録音ということになる。1977年盤も、アバドがある意味では最も輝いていた時期の演奏でもあり、強靱な気迫と力強い生命力、そして豊かな歌謡性がマッチングした、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていたと言える。1970年代から1980年代にかけてのアバドの演奏には、このような名演が数多く成し遂げられていたと言えるが、1990年にベルリン・フィルの芸術監督に就任して以降は、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。もちろん、メンデルスゾーンの交響曲第4番やヤナーチェクのシンフォニエッタなど、例外的な名演もいくつか存在しているが、その殆どは大物揃いのベルリン・フィルに気後れしたかのような今一つ覇気のない演奏が多かったと言わざるを得ない。ところが、ベルリン・フィルの芸術監督の任が重すぎたせいか、2000年には癌に倒れることになってしまった。そして、アバドはその癌を克服するのであるが、それは皮肉にもベルリン・フィルの芸術監督の退任直前。もっとも、大病を克服したことによってアバドの音楽には、深みと凄みを増すことになったと言える。その意味では、2000年以降のアバドは真の大指揮者となったと言っても過言ではあるまい。本盤の演奏も、真の大指揮者アバドによるものであり、1977年盤に比べると楽曲の心眼に鋭く切り込んでいこうという彫の深い表現が支配していると言える。各楽器セクションのバランスを重要視した精緻な美しさにも出色のものがあるが、ここぞという時の力奏にも強靭な迫力が漲っており、各フレーズの歌心溢れる徹底した歌い抜きにおいてもいささかも不足はない。ルネ・フレミングによる美しさの極みとも言うべき名唱も、本名演に華を添える結果になっていることを忘れてはならない。ベルリン・フィルも、前任の芸術監督に敬意を表して、圧倒的な名演奏を披露しているのも見事である。本演奏に際しては、ベルリンにおいて大歓迎を受けたとのことであるが、正に現代を代表する大指揮者としての貫録が十分な至高の名演と高く評価したい。併録のアルバン・ベルクの「7つの初期の歌」も、アバドの彫の深い、そして歌謡性豊かな指揮と、ルネ・フレミングによる美しい歌唱が融合した稀有の名演だ。音質は、本従来CD盤でも十分に満足できる高音質であるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質がより鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、アバド、そしてルネ・フレミングによる至高の名演をできるだけ良好な音質で聴きたいという方には、SHM−CD盤の方の購入を是非ともおすすめしておきたいと考える。

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     2011/09/26

    本盤におさめられたマーラーの交響曲第4番は、アバドによる2度目の録音である。最初の録音はウィーン・フィルとの演奏(1977年)であったが、本演奏はそれから約30年ぶりのライヴ録音ということになる。1977年盤も、アバドがある意味では最も輝いていた時期の演奏でもあり、強靱な気迫と力強い生命力、そして豊かな歌謡性がマッチングした、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていたと言える。1970年代から1980年代にかけてのアバドの演奏には、このような名演が数多く成し遂げられていたと言えるが、1990年にベルリン・フィルの芸術監督に就任して以降は、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。もちろん、メンデルスゾーンの交響曲第4番やヤナーチェクのシンフォニエッタなど、例外的な名演もいくつか存在しているが、その殆どは大物揃いのベルリン・フィルに気後れしたかのような今一つ覇気のない演奏が多かったと言わざるを得ない。ところが、ベルリン・フィルの芸術監督の任が重すぎたせいか、2000年には癌に倒れることになってしまった。そして、アバドはその癌を克服するのであるが、それは皮肉にもベルリン・フィルの芸術監督の退任直前。もっとも、大病を克服したことによってアバドの音楽には、深みと凄みを増すことになったと言える。その意味では、2000年以降のアバドは真の大指揮者となったと言っても過言ではあるまい。本盤の演奏も、真の大指揮者アバドによるものであり、1977年盤に比べると楽曲の心眼に鋭く切り込んでいこうという彫の深い表現が支配していると言える。各楽器セクションのバランスを重要視した精緻な美しさにも出色のものがあるが、ここぞという時の力奏にも強靭な迫力が漲っており、各フレーズの歌心溢れる徹底した歌い抜きにおいてもいささかも不足はない。ルネ・フレミングによる美しさの極みとも言うべき名唱も、本名演に華を添える結果になっていることを忘れてはならない。ベルリン・フィルも、前任の芸術監督に敬意を表して、圧倒的な名演奏を披露しているのも見事である。本演奏に際しては、ベルリンにおいて大歓迎を受けたとのことであるが、正に現代を代表する大指揮者としての貫録が十分な至高の名演と高く評価したい。併録のアルバン・ベルクの「7つの初期の歌」も、アバドの彫の深い、そして歌謡性豊かな指揮と、ルネ・フレミングによる美しい歌唱が融合した稀有の名演だ。音質は従来CD盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、音質がより鮮明に再現されるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、アバド、そしてルネ・フレミングによる至高の名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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  • 5 people agree with this review
     2011/09/25

    本盤におさめられたホルストの組曲「惑星」は、カラヤンによる二度目のスタジオ録音である。最初の録音は1961年であり、ウィーン・フィルとの演奏であった。したがって、本盤の演奏はそれから20年後の新録音ということになる。1981年と言えば、カラヤン&ベルリン・フィルという、クラシック音楽史上でも最高の黄金コンビが最後の輝きを見せた時期に相当する。翌年にはザビーネ・マイヤー事件が勃発し、この黄金コンビには修復不可能な亀裂が生じることに鑑みれば、本演奏は、この黄金コンビの究極の到達点を反映していると言えるのではないか。実際に、カラヤンの伝記などを紐解くと、ベルリン・フィルの団員は、本盤のスタジオ録音前は、組曲「惑星」を相当に見下していたということである。ところが、練習時におけるカラヤンの真摯な姿勢を見て、団員は同曲に対する見方をあらため、それからは真剣に練習に取り組んだということであり、その意味でも、本演奏は、カラヤン、そしてベルリン・フィルが真剣勝負で挑んだ、この黄金コンビの究極の到達点に相応しい名演奏に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。この黄金コンビは、とりわけ1960年代〜1970年代にかけて、ベルリン・フィルの鉄壁のアンサンブルや超絶的な技量をベースに、カラヤンが流麗なレガートを施し、重厚にして華麗ないわゆるカラヤン・サウンドを醸成していたと言える。そしてこのいわゆるカラヤン・サウンドを駆使した演奏は、正にオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言えるだろう。本盤の演奏でも、そうした圧倒的な音のドラマは健在であり、おそらくは同曲の演奏史上でも最も重厚にして華麗な名演と言ってもいいのではないだろうか。しかしながら、同曲に特有のイギリス音楽ならではの詩情の豊かさと言った点においては、いささかカラヤン・サウンドによって犠牲を強いられた感も無きにしも非ずであり、そうしたイギリス的な詩情の豊かさや、同曲を一大人気曲に伸し上げることに貢献したという意味においては、私としてはウィーン・フィルとの旧盤の方をより上位の名演に掲げたいと考える。もっとも、本演奏についても、前述のように、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが構築し得た究極の音のドラマとして、十分に存在価値のある素晴らしい名演であると高く評価したい。音質については、これまでリマスタリングが行われたこともあって、従来CD盤でも十分に良好な音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、カラヤンによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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     2011/09/25

    本盤にはショパンの前奏曲とシューベルトの楽興の時がおさめられているが、いずれも素晴らしい名演だ。特に、シューベルトの楽興の時については、同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。楽興の時は、即興曲集と並んでシューベルトのあまたのピアノ作品の中で最も人気の高いものであるが、即興曲集のように作曲者の行き場のない孤独感や寂寥感が込められた奥深い内容を有するものというよりはむしろ、楽曲の標題のとおり愉悦性とともに、詩情に満ち溢れた美しさが際立った作品であると言える。ピリスによる本演奏におけるアプローチは、同曲の詩情に満ち溢れた旋律の数々を、瑞々しささえ感じさせるような透明感溢れるタッチで美しく描き出していくというものだ。その演奏は純真無垢とさえ言えるものであり穢れなどはいささかもなく、あたかも純白のキャンバスに水彩画を描いていくような趣きさえ感じさせると言えるだろう。そして、そのような美しさが、いわゆるスコアに記された音符の表層を取り繕っただけの薄味のものではなく、一音一音に独特のニュアンスが込められるとともに、どこをとっても格調の高さを失っていない点が素晴らしいと言える。また、同曲においても時として聴くことが可能な寂寥感の描出についても、お涙頂戴の陳腐な哀嘆調に陥るということはいささかもなく、ピリスならではの気品を感じさせるのが見事である。正にピリスによる本演奏は、シューベルトの楽興の時の演奏の理想像の具現化と言えるところであり、今後とも本演奏を超える名演を成し遂げることは至難の業と言えるのではないかとさえ考えられるところだ。一方、ショパンの前奏曲も名演だ。ただ、同曲については、かつてのルービンシュタインをはじめ海千山千の大ピアニストが素晴らしい名演を成し遂げており、ピリスによる本演奏を随一の名演とするのは困難であると考えられる。もっとも、本演奏においては、ピリスならではの詩情に満ち溢れた清澄な美しさに加えて、女流ピアニスト離れした強靭な打鍵による重厚な迫力も垣間見せるなど、各曲の描き分けが実に巧みであり、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質は従来CD盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、ピリスのピアノタッチがより鮮明に再現されるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、ピリスによる至高の超名演(特に楽興の時)を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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     2011/09/25

    ラトル&ベルリン・フィルによるチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」全曲については、数年前にHQCD盤が発売された際に、次のようなレビューを既に投稿済みである。「昨年末(2009年)のジルベスターコンサートに、一部スタジオ録音を加えたラトルによる新録音であるが、ラトル&ベルリン・フィルの現在最高の黄金コンビの深化を感じさせる名演と高く評価したい。全体としては実に軽やかな演奏を行っている印象を受ける。このあたりは、フルトヴェングラーやカラヤン時代のベルリン・フィルの凄みのある重厚な分厚い音色を知っている聴者からすれば、いささか軽妙浮薄の誹りを免れないとも考えられるが、現代の古楽器奏法などが全盛を誇っている演奏傾向にかんがみれば、私としては許容範囲ではないかと考える。むしろ、12時の鐘(これがいかにも弱すぎるが)の後のクララとくるみ割り人形、トレパーク、花のワルツ、パ・ド・ドゥの導入部などにおける重量感溢れる演奏は、現代においてもなおベルリン・フィルが底力を失っていないと感じさせるような重心の低い分厚い音色を出しており、その意味では、ラトルは、ベルリン・フィルにおいて、いかなる音色をも自在に引き出すことができる色彩感豊かな音のパレットを会得したと言えるだろう。ベルリン・フィルの技量も卓抜したものがあり、スペインの踊りにおけるトランペットの妖しい音色など、幻惑されるような色彩美に満ち溢れている。HQCDによる鮮明な音質も、本盤の価値を高めることに大きく貢献している。」かかるレビューに関して、演奏内容の評価については現在でも殆ど付け加えることがないと言ってもいいと思われるが、音質面については、今般、ついにSACD盤が発売されることになったことから、それについて言及しておきたい。本SACD盤は、これまでの既発の従来CD盤やHQCD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音場の広さ、音圧のどれをとっても一級品の素晴らしい仕上がりであると言える。あらためて、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、ラトルによる素晴らしい名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/09/25

    本盤には、晩年のカラヤンがベルリン・フィルとともにスタジオ録音したワーグナーの管弦楽曲集がおさめられている。本盤の演奏は1984年であるが、これはカラヤンとベルリン・フィルの関係が、例のザビーネ・マイヤー事件の勃発によって修復不可能にまで悪化し、抜き差しならない関係にあった時期のものである。カラヤン&ベルリン・フィルというクラシック音楽史上にも残る黄金コンビの全盛時代は1960年代から1970年代にかけてであるというのは論を待たないところだ。この時期のベルリン・フィルには、各楽器の奏者史上でもトップを争う名うてのスタープレイヤーがあまた在籍しており、鉄壁のアンサンブルと超絶的な技量を誇っていたと言える。カラヤンは、このような超名人集団であるベルリン・フィルを統率し、その演奏に流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤン・サウンドと称される重厚にして華麗な音色を醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。音楽内容の精神的な深みの追及という意味においては、前任者のフルトヴェングラーには及ばなかったと言えるが、この時期のカラヤンの演奏には、そうした音楽内容の精神的な深みを絶対視するとともに、偏向的な見解によってカラヤンを不当に貶し続けてきているとある影響力の大きい某音楽評論家を一喝するだけの圧倒的な音のドラマが構築されていたと言える。したがって、音楽の持つ根源的な迫力においては、フルトヴェングラーによる名演と容易には優劣を付け難い高水準に達していたとも言えるのではないだろうか。ところが、前述のようなサビーネ・マイヤー事件の勃発による手兵ベルリン・フィルとの関係悪化、そしてカラヤン自身の健康悪化も相まって持ち前の圧倒的な統率力に綻びが生じてきたところであり、本演奏においても、随所にそれが顕著に表れていると言えなくもない。カラヤンはベルリン・フィルとともに、その全盛期である1970年代にEMIにワーグナーの管弦楽曲集をスタジオ録音(1974年)しており、それは超名演の呼び声が高い演奏であるが、当該演奏と本盤の演奏を比較すると、演奏の精度においてはその差は歴然としているとも言える。しかしながら、本盤の演奏には、晩年のカラヤンならではの枯淡の境地とも言うべき独特の味わい深さがあるとも言えるところであり、前述の1974年盤とは異なった魅力があると言えるのではないだろうか。したがって、本盤の演奏は、音のドラマとしては若干の綻びがみられるものの、カラヤンが自身のこれまでの波乱に満ちた生涯を自省の気持ちを込めて回顧するような、いわば人生の諦観さえ感じさせる味わい深さという意味においては、私としては素晴らしい名演との評価をするのにいささかも躊躇するものではない。音質については、これまでリマスタリングが行われたこともあって、本従来CD盤でも十分に良好な音質であるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。カラヤンによる素晴らしい名演をできるだけ良好な音質で味わいたいという方には、SHM−CD盤の方の購入を是非ともおすすめしておきたいと考える。

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     2011/09/25

    本盤には、晩年のカラヤンがベルリン・フィルとともにスタジオ録音したワーグナーの管弦楽曲集がおさめられている。本盤の演奏は1984年であるが、これはカラヤンとベルリン・フィルの関係が、例のザビーネ・マイヤー事件の勃発によって修復不可能にまで悪化し、抜き差しならない関係にあった時期のものである。カラヤン&ベルリン・フィルというクラシック音楽史上にも残る黄金コンビの全盛時代は1960年代から1970年代にかけてであるというのは論を待たないところだ。この時期のベルリン・フィルには、各楽器の奏者史上でもトップを争う名うてのスタープレイヤーがあまた在籍しており、鉄壁のアンサンブルと超絶的な技量を誇っていたと言える。カラヤンは、このような超名人集団であるベルリン・フィルを統率し、その演奏に流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤン・サウンドと称される重厚にして華麗な音色を醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。音楽内容の精神的な深みの追及という意味においては、前任者のフルトヴェングラーには及ばなかったと言えるが、この時期のカラヤンの演奏には、そうした音楽内容の精神的な深みを絶対視するとともに、偏向的な見解によってカラヤンを不当に貶し続けてきているとある影響力の大きい某音楽評論家を一喝するだけの圧倒的な音のドラマが構築されていたと言える。したがって、音楽の持つ根源的な迫力においては、フルトヴェングラーによる名演と容易には優劣を付け難い高水準に達していたとも言えるのではないだろうか。ところが、前述のようなサビーネ・マイヤー事件の勃発による手兵ベルリン・フィルとの関係悪化、そしてカラヤン自身の健康悪化も相まって持ち前の圧倒的な統率力に綻びが生じてきたところであり、本演奏においても、随所にそれが顕著に表れていると言えなくもない。カラヤンはベルリン・フィルとともに、その全盛期である1970年代にEMIにワーグナーの管弦楽曲集をスタジオ録音(1974年)しており、それは超名演の呼び声が高い演奏であるが、当該演奏と本盤の演奏を比較すると、演奏の精度においてはその差は歴然としているとも言える。しかしながら、本盤の演奏には、晩年のカラヤンならではの枯淡の境地とも言うべき独特の味わい深さがあるとも言えるところであり、前述の1974年盤とは異なった魅力があると言えるのではないだろうか。したがって、本盤の演奏は、音のドラマとしては若干の綻びがみられるものの、カラヤンが自身のこれまでの波乱に満ちた生涯を自省の気持ちを込めて回顧するような、いわば人生の諦観さえ感じさせる味わい深さという意味においては、私としては素晴らしい名演との評価をするのにいささかも躊躇するものではない。音質については、これまでリマスタリングが行われたこともあって、従来盤でも十分に良好な音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。カラヤンによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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     2011/09/24

    本盤には、カラヤンが最も得意としたR・シュトラウスの有名な管弦楽曲がおさめられている。演奏は1983年のスタジオ録音であるが、これはいわゆるザビーネ・マイヤー事件の勃発後であり、カラヤンとベルリン・フィルの関係が修復不可能にまで悪化した時期であると言える。カラヤンは、本盤におさめられた3曲については、何度も録音しており、各種あるスタジオ録音の中でも特に名高い名演は、ウィーン・フィルとの演奏(1959〜1960年)とベルリン・フィルとの演奏(1972〜1973年)であると考えられる。このうち、ベルリン・フィルとの1972〜1973年盤については、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが全盛時代を迎えた時の演奏である。当該演奏は、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルと各楽器セクションの超絶的な技量を駆使した名演奏に、カラヤンによる流麗なレガートが施された、正にオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。これに対して、ウィーン・フィルとの1959〜1960年盤については、名プロデューサーであったカルショウとの録音ということでもあり、ウィーン・フィルによる極上の美演と英デッカによる超優秀な高音質録音が相まった、美しさの極みとも言うべき至高の名演奏に仕上がっていたと言える(シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によってさらに演奏のグレードが上がったのは記憶に新しい。)。これら両者相譲らぬ超名演に対して、本盤の演奏は、カラヤンとの関係に大きな亀裂が生じた時代のベルリン・フィルとの演奏。それでも、さすがにカラヤンならではの重厚で、なおかつ極上の美しさを兼ね備えた名演とは言えるが、1972〜1973年盤と比較すると、前述のような両者の関係の亀裂やカラヤン自身の健康悪化もあって、カラヤンの統率力にも綻びが見られるところであり、演奏の精度や完成度と言った点においては、若干ではあるが落ちると言わざるを得ないだろう。しかしながら、本盤の演奏には、晩年のカラヤンならではの枯淡の境地とも言うべき独特の味わい深さがあるとも言えるところであり、前述の1972〜1973年盤、さらには1959〜1960年盤とは異なった独特の魅力があると言えるのではないだろうか。したがって、本盤の演奏は、音のドラマとしてはいささか綻びがみられると言えるものの、人生の諦観さえ感じさせる味わい深さという意味においては、私としては素晴らしい名演として高く評価したいと考える。音質については、これまでリマスタリングが行われたこともあって、本従来CD盤でも十分に良好な音質であるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、カラヤンによる素晴らしい名演をできるだけ良好な音質で味わいたいという方には、SHM−CD盤の方の購入を是非ともおすすめしておきたいと考える。

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     2011/09/24

    本盤には、カラヤンが最も得意としたR・シュトラウスの有名な管弦楽曲がおさめられている。演奏は1983年(交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」については1986年)のスタジオ録音であるが、これはいわゆるザビーネ・マイヤー事件の勃発後であり、カラヤンとベルリン・フィルの関係が修復不可能にまで悪化した時期であると言える。カラヤンは、本盤におさめられた3曲については、何度も録音しており、各種あるスタジオ録音の中でも特に名高い名演は、ウィーン・フィルとの演奏(1959〜1960年)とベルリン・フィルとの演奏(1972〜1973年)であると考えられる。このうち、ベルリン・フィルとの1972〜1973年盤については、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが全盛時代を迎えた時の演奏である。当該演奏は、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルと各楽器セクションの超絶的な技量を駆使した名演奏に、カラヤンによる流麗なレガートが施された、正にオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。これに対して、ウィーン・フィルとの1959〜1960年盤については、名プロデューサーであったカルショウとの録音ということでもあり、ウィーン・フィルによる極上の美演と英デッカによる超優秀な高音質録音が相まった、美しさの極みとも言うべき至高の名演奏に仕上がっていたと言える(シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によってさらに演奏のグレードが上がったのは記憶に新しい。)。これら両者相譲らぬ超名演に対して、本盤の演奏は、カラヤンとの関係に大きな亀裂が生じた時代のベルリン・フィルとの演奏。それでも、さすがにカラヤンならではの重厚で、なおかつ極上の美しさを兼ね備えた名演とは言えるが、1972〜1973年盤と比較すると、前述のような両者の関係の亀裂やカラヤン自身の健康悪化もあって、カラヤンの統率力にも綻びが見られるところであり、演奏の精度や完成度と言った点においては、若干ではあるが落ちると言わざるを得ないだろう。しかしながら、本盤の演奏には、晩年のカラヤンならではの枯淡の境地とも言うべき独特の味わい深さがあるとも言えるところであり、前述の1972〜1973年盤、さらには1959〜1960年盤とは異なった独特の魅力があると言えるのではないだろうか。したがって、本盤の演奏は、音のドラマとしてはいささか綻びがみられると言えるものの、人生の諦観さえ感じさせる味わい深さという意味においては、私としては素晴らしい名演として高く評価したいと考える。音質については、これまでリマスタリングが行われたこともあって、従来CD盤でも十分に良好な音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、カラヤンによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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     2011/09/23

    本盤には現代を代表するチェリストであるマイスキーによる二大チェロ協奏曲の演奏がおさめられている。いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。マイスキーのチェロは、超絶的な技量はさることながら、いかなる難所に差し掛かってもいわゆる技巧臭がすることはなく、常にヒューマニティ溢れる温かさを失う点がないのが素晴らしいと言える。そして、どこをとっても情感の豊かさが支配しており、各フレーズを心を込めて歌い抜いているのであるが、徒に感傷的に陥ったり、はたまた陳腐なロマンティシズムに陥ったりすることなく、常に格調の高さを失っていない点を高く評価したい。ドヴォルザークのチェロ協奏曲については、マイスキーは2度にわたってスタジオ録音を行っている。それはバーンスタイン&イスラエル・フィルと組んだ本演奏(1988年)とメータ&ベルリン・フィルと組んだ演奏(2002年)であるが、マイスキーの個性が全開の演奏は、明らかに2002年盤であると言える。したがって、マイスキーのチェロ演奏の醍醐味を味わうのであれば、私は2002年盤の方を躊躇せずに推薦する。しかしながら、本演奏には2002年盤にはない独特の味わいがあると言えるのではないだろうか。それには、バックをつとめたバーンスタインによる名演奏が大きいと言える。バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。本盤の演奏では、そうした芸風が幸いにもプラスに働いたと言える。同じドヴォルザークの交響曲第9番では、とても大指揮者による演奏とは思えないような凡演(というか醜悪な演奏)に堕していただけに、ある意味では奇跡的な名演奏とも言えるのであろう。本演奏でもバーンスタインはゆったりとしたテンポによって曲想を濃密に描き出して行くが、情感豊かで格調の高いマイスキーのチェロ演奏との相乗効果によって、同曲演奏史上でも最もヒューマニティ溢れる濃厚な味わいに満ちた名演に仕上がっていると評価したい。他方、エルガーのチェロ協奏曲については、本盤がマイスキーにとって唯一の録音(1990年)であると言える。同曲については、デュ・プレが数々の超名演を遺していることから、他のチェリストの中には録音を逡巡する者もいるところだ(例えばロストロポーヴィチなど)。マイスキーによる本演奏も、さすがにデュ・プレほどの渾身の生命力を備えているとは言い難いが、かつてのフルニエによる名演(1966年)に存在した気品と、デュ・プレによる各種の超名演にも存在した奥深い情感の豊かさを併せ持った名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。バックは、シノーポリ&フィルハーモニア管弦楽団であるが、ここでのシノーポリはいつもの楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした分析的なアプローチを控えて、むしろマイスキーのチェロの引き立て役に徹しているのが功を奏していると言える。音質は従来CD盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、マイスキーのチェロの弓使いがより鮮明に再現されるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、マイスキーによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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     2011/09/23

    ラトルは今日でこそベルリン・フィルを完全に掌握し、現代を代表する大指揮者の一人として数々の名演を成し遂げつつあるが、ベルリン・フィルの芸術監督に就任してから数年間は鳴かず飛ばずの状態が続いていたと言える。今般、同様にSACD化された、芸術監督お披露目公演のマーラーの交響曲第5番も、意欲だけが空回りした凡庸な演奏であったし、その後もシューベルトの交響曲第8(9)番「ザ・グレート」、ブルックナーの交響曲第4番、R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」など、箸にも棒にもかからない凡演の山を築いていたと言える。本盤には、ホルストの組曲「惑星」と、コリン・マシューズによる冥王星、そして、国籍の異なる4人の作曲家による宇宙をテーマとした小品がおさめられているが、このうち、メインの組曲「惑星」が、イマイチの凡庸な演奏に成り下がっていると言えるところだ。ラトルも、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は、名うての一流奏者たちを掌握するのに相当に苦労したのではないだろうか。そして、プライドの高い団員の掌握に多大なる労力を要したため、自らの芸術の方向性を見失っていたのではないかとさえ考えられるところだ。それ故に、必然的に意欲だけが空回りした演奏に終始してしまっていると言える。本演奏も美しくはあるが根源的な力強さがない。同曲を精緻に美しく描き出すことにつとめたのかもしれないが、本演奏を聴く限りにおいては、ラトルが同曲をこのように解釈したいという確固たる信念を見出すことが極めて困難であると言える。ラトルは1980年にも、フィルハーモニア管弦楽団とともに同曲を録音しているが、当該演奏の方が、若干の荒々しさは感じさせるものの、若武者ならではの気迫溢れる力強い熱演に仕上がっていたと言えるところであり、本演奏よりも数段優れた演奏のように思われるところだ。メインの組曲「惑星」と比較して、コリン・マシューズによる冥王星や、国籍の異なる4人の作曲家による宇宙をテーマとした小品については、録音自体がそもそも珍しい楽曲であることや、おそらくはベルリン・フィルも演奏した経験を殆ど有していなかったこともあって、ラトルのペースで演奏が行われているように感じられるところである。したがって、組曲「惑星」よりもラトルの解釈が演奏にしっかりと刻印されていると言えるところであり、これらの楽曲の演奏に関してはなかなかに優れた演奏ということができるのではないだろうか。音質は驚天動地の鮮明な高音質であると言える。本盤については、既にHQCD盤が発売されているが全く問題にならない。あらためて、SACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、本盤の評価についてはラトルの組曲「惑星」の演奏に★1つ、そしてその他の楽曲の演奏に★3つであるが、SACDによる高音質化を考慮して、全体として★3つの評価とさせていただくこととする。

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