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TOP > My page > Review List of 一人のクラシックオールドファン
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0 people agree with this review 2011/03/01
VPOをバックにしてベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を録音演奏し通したのは古くは1950年代後半のバックハウス/イッセルシュテット、1970年代初めのグルダ/シュタイン、1980年代前半のアシュケナージ/メータそして1990年代後半の本盤演奏ブレンデル/ラトルが思いつきますね。私は属する世代の常として平凡ではありますが先頭のバックハウス/イッセルシュテット盤に長く馴染んで気にも入っていたのですがこの演奏を「剛」とすれば「柔」として本盤演奏ブレンデル/ラトル盤も捨てがたくなっております。ブレンデルのベートーヴェンには私は彼がまだ駆け出しの頃のソナタ集LPでその切れ味がある中に何とも言えぬ円やかな運びのタッチが印象的でしたが本盤の演奏はその「味」を結構残しながら流石66〜67歳の草書的な色彩もブレンドされラトルの奏法アプローチ・・・後年の交響曲集よりはまだ刺激性が薄い感じを私は持っております・・・が似合った演奏となりました。ブレンデル自体は何回も協奏曲集を録音しており第2番、第3番での本盤演奏以前のものを年代・指揮者/オーケストラを羅列しておきますと1960年代前半・・・ワルベルク/WFOO、1970年代半ば・・・ハイティンク/LPO、1980年代前半・・・レヴァイン/CSOといった具合でソナタ集も前述の古いものも含め三回?録音しているところからブレンデルのレパートリーの掘り下げ「推移」が聴かれますね。2008年末に引退をして後進指導、著述等の活動を行なっているブレンデルはベートーヴェンについて人間としてと芸術家としての両面が相容れない処に興味があり。演奏においては作品構築性と共にユーモア面とのバランスにも留意することが大切・・・と述べております。そういう事で録音回数を重ねた本盤演奏にその「推移」の結論じみたものがあるのかも知れません。勿論私も本盤演奏以外の全てを聴いてはおりませんが本盤演奏は回数を重ねた結果の「理」に走ったとも評された部分もあるそうですが私には丁度良い加減です。第2番(1998年録音、タイム@14’20A9’06B6’11)は元々最初に作曲されたピアノ協奏曲のためか作品自体少し試行錯誤的な行程を感じさせる部分が多く何かやっつけ仕事の構築性が明らかに欠如した作品でこの辺りを演奏者がどうカバーするかも面白い処ではあります。第1楽章の前奏軽めに出だしピアノもこの作品実力を越えて気負いのない処がこの曲に付きまとう煩わしさを軽減し長いカデンツァも「まとまり」欠けを意識させません。起承転結に弱い第2楽章では最終コーナーでのオーケストラとピアノの語り合いは絶妙。第3楽章も下手するとただやかましい曲に終わる処をオーケストラ、ピアノともこのコンビ特有の潤いがそれを救います。第2番では私は本盤演奏で開眼したと言っても差し支えありません。第3番(1998年録音、タイム@16’49A9’44B9’10)ではカデンツァのフレキシビリティさが聴きものであることと前奏や途中のオーケストラ全奏でのラトルの意外と筋肉質のしなる指揮ぶりが素晴らしいし最終楽章カデンツァの前のオーケストラの引っ張りやがっしりした〆へ向かう処でのティンパニーアクセントも上手く全体としてブレンデルのピアノは勿論バックのただ押せ押せだけでないVPOの演奏が聴き物ですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
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0 people agree with this review 2011/02/28
メンゲルベルクにはブラームス交響曲の録音が案外少なく大指揮者にしては珍しいですね。多分メンゲルベルクにとってはブラームスは同時代人という認識からだった為などではないでしょうか。録音時期としては彼が60歳代後半期に集中しています(本盤以外に同演奏異復刻盤は結構あります。)。本盤第2番は1940年収録でタイムは@13’10A9’33B5’11C9’13と特に反復を考慮したとしても第1楽章は割りと力強くかつサッサと運んで行く感じでいつものポルタメントの使用はあるものの正直少し彼の演奏にしては肩透かしを食ったようでした。最終楽章の最後の方で「溜め」を作ってジャンプする処は彼らしい寸景を見ました。元々この曲自体明るい基調でメンゲルベルクの力強さが合っている事とモノラル録音独特な音色がそれを助長しております。この特徴が果たして第4交響曲にプラスに働いているのかは私は疑問と思いました。1938年録音でタイムは@12’29A11’49B6’22C9’51と特に過不足はない様です。出だし少し速めにスタートしテンポを揺らせながら甘くアプローチし歌わせている第1楽章ではありますが先述の強引?な力強さの余韻が得てして枯淡境地を求めがちな第2楽章では少し場違いになって大きな起伏が滑稽にも映りかねません。第3楽章も特有の節回しは傾聴したもののやや騒々しさに終始し最終楽章の変奏では起承転結の筋書きで焦点ズレが起きた感じにもなりました。総じて若干両曲とも中途半端の印象を持っているのですが、決してナヨッとした演奏ではなくメンゲメベルクの男っぽさは味わえるのではないかと思います。本盤には第3番も含まれているとおもいますが私は未聴であります。第1番と共に聴いてはみたいですね。いずれにしても大指揮者のブラームス、私たちは好みだけで云々するに過ぎないわけで当面OK以上ランクでおさえておきましょう。 (タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/02/27
本盤の収録内容詳細は不明なのですが1920年代ジーリのアメリカ時代において「第二のカルーソー」と呼ばれ始めた黄金期にさしかかり、ベルカント法による自然な甘美な声による幅広い表現が充実し出した彼が30歳代の頃の小品録音集です。以降戦後もヨーロッパに戻って世界のテノールとして活動・君臨した歌手で現代の感覚からすると少し芝居がかっているとは分かっていながら思わず(私が聴いたのはSPながら)聴き入ってしまいました。例えばR.ドリゴのセレナードはパステルナック/JPO伴奏の歌唱(タイム4’11)では美しい声がよく伸びて抒情性もたっぷり。同じバックでE..トセッリのこれもセレナード・・・これはヴァイオリンが主として活躍する魅力的な長い前奏が面白い曲で歌唱の方は多用されるボルタメントで聴き物であります(4’27)。私がクラシック音楽に親しみ出した頃にはジーリはもうこの世におらず又レコードの方で聴くのもどうも後回しになりSP(従って1920年代録音分を主に)で聴く機会をとらえて少しでもかつて君臨したこの名テノール歌手の一端を知った次第。とにかくオペラから民謡まで幅広いレパートリーを誇った歌手は、E.A.マリオの「サンタルチア・ルンターナ」(タイム4’47、バックはシルクレット/NSO)での歌いまわしも素晴らしいしE.D.カプアの「マリア・マリ」(タイム3’38、バックはシルクレット/NSO)での歯切れの良い元気声も人々から敬愛された所以と納得もしました。なお、オーケストラ名は大層にイニシャル表示しましたが何れも簡単な楽団であります。マァ、レコード史上でも演奏・歌唱史上でも現代に至るまでの間違いなく積み重ね礎となって行く系譜の代表的一歌手を聴こうかと思う方には本盤も資料と単に片付けられる以上のものはある素晴らしい盤と思います。しかしHMVでもジーリ関係のCDカタログがこれほど多いとは・・・通常店頭では考えられないですね。今や例えば指揮者では相変わらずフルトヴェングラー関係のCD復刻盤があちこちから蒸し返され、ただでもクラシックと言えば購買層の薄さとCD離れで現役演奏家が全く苦戦気味の状況下本盤等ジーリはどう近い将来位置づけられて行くのでしょうか。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/02/26
メンゲルベルクにはブラームス交響曲の録音が案外少なく大指揮者にしては珍しいですね。多分メンゲルベルクにとってはブラームスは同時代人という認識からだった為などではないでしょうか。録音時期としては彼が60歳代後半期に集中しています(本盤以外に同演奏異復刻盤は結構あります。)。本盤第2番は1940年収録でタイムは@13’10A9’33B5’11C9’13と特に反復を考慮したとしても第1楽章は割りと力強くかつサッサと運んで行く感じでいつものポルタメントの使用はあるものの正直少し彼の演奏にしては肩透かしを食ったようでした。最終楽章の最後の方で「溜め」を作ってジャンプする処は彼らしい寸景を見ました。元々この曲自体明るい基調でメンゲルベルクの力強さが合っている事とモノラル録音独特な音色がそれを助長しております。この特徴が果たして第4交響曲にプラスに働いているのかは私は疑問と思いました。1938年録音でタイムは@12’29A11’49B6’22C9’51と特に過不足はない様です。出だし少し速めにスタートしテンポを揺らせながら甘くアプローチし歌わせている第1楽章ではありますが先述の強引?な力強さの余韻が得てして枯淡境地を求めがちな第2楽章では少し場違いになって大きな起伏が滑稽にも映りかねません。第3楽章も特有の節回しは傾聴したもののやや騒々しさに終始し最終楽章の変奏では起承転結の筋書きで焦点ズレが起きた感じにもなりました。総じて若干両曲とも中途半端の印象を持っているのですが、決してナヨッとした演奏ではなくメンゲメベルクの男っぽさは味わえるのではないかと思います。録音状態はマァこんなものなのでしょう。第1番、第3番も聴いてはみたいですね。いずれにしても大指揮者のブラームス、私たちは好みだけで云々するに過ぎないわけで当面OK以上ランクでおさえておきましょう。 (タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
3 people agree with this review 2011/02/25
VPOをバックにしてベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を録音演奏し通したのは古くは1950年代後半のバックハウス/イッセルシュテット、1970年代初めのグルダ/シュタイン、1980年代前半のアシュケナージ/メータそして1990年代後半の本盤演奏ブレンデル/ラトルが思いつきますね。私は属する世代の常として平凡ではありますが先頭のバックハウス/イッセルシュテット盤に長く馴染んで気にも入っていたのですがこの演奏を「剛」とすれば「柔」として本盤演奏ブレンデル/ラトル盤も捨てがたくなっております。ブレンデルのベートーヴェンには私は彼がまだ駆け出しの頃のソナタ集LPでその切れ味がある中に何とも言えぬ円やかな運びのタッチが印象的でしたが本盤の演奏はその「味」を結構残しながら流石66〜67歳の草書的な色彩もブレンドされラトルの奏法アプローチ・・・後年の交響曲集よりはまだ刺激性が薄い感じを私は持っております・・・が似合った演奏となりました。ブレンデル自体は何回も協奏曲集を録音しており本演奏以前のものを年代・指揮者/オーケストラを羅列しておきますと1960年代前半・・・第1番ベッチャー/SPO、第2番ワルベルク/WFOO、第3番ワルベルク/WSO、第4番ワルベルク/WSO、第5番メータ/WSO、1970年代半ば・・・ハイティンク/LPO、1980年代前半・・・レヴァイン/CSOといった具合でソナタ集も前述の古いものも含め三回?録音しているところからブレンデルのレパートリーの掘り下げ「推移」が聴かれますね。2008年末に引退をして後進指導、著述等の活動を行なっているブレンデルはベートーヴェンについて人間としてと芸術家としての両面が相容れない処に興味があり。演奏においては作品構築性と共にユーモア面とのバランスにも留意することが大切・・・と述べております。そういう事で録音回数を重ねた本盤演奏にその「推移」の結論じみたものがあるのかも知れません。勿論私も本盤演奏以外の全てを聴いてはおりませんが本盤演奏は回数を重ねた結果の「理」に走ったとも評された部分もあるそうですが私には丁度良い加減です。演奏タイム(録音年)をメモしておきます。第1番@17’08A12’15B8’41(1997年)、第2番@14’20A9’06B6’11(1998年)、第3番@16’49A9’44B9’10(1998年)、第4番@17’40A5’01B10’10(1997年)、第5番@20’54A8’17B10’34(1998年)と全体余裕のある運びの印象を受けました。特に私は本盤演奏で最近こそ重視されつつある・・・以前は今一つ注目されなかった第1番、第2番の(若干こじつけ的でも)良さを聴いた様です。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
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0 people agree with this review 2011/02/24
ピアノ協奏曲第1番、第2番については最近何故か「皇帝」を含む後期分より前半期分のこの二つが見直されて来たのか採り上げられる機会が多くなりアルゲリッチも過去何回か録音を重ねている様です。先ず第1番は1983年小澤/BRSO(タイム不詳)、1992年ワルベルク/RCO(タイム@14’10A11’34B8’43)そして本盤1985年シノーポリ/PHOの各演奏盤です。本盤演奏、アルゲリッチ44歳の時のものでタイムは@14’05A12’03B8’59と前掲他の演奏分と大差ありません。シノーポリにとって初?のベートーヴェン録音らしいのですが第1楽章前奏からよく歌い滑らかさ・しなやかさがオーケストラの特徴に対してピアノは示唆に富みつつ歯切れのよさで曲核心に入って行きます。ベートーヴェンの活き活きした面を提示し時には劇的突出も見せます。カデンツァも起伏充分です。第2楽章はいきなりオーケストラとピアノが同時にゆったりスタートするのですがピアノの粒音がニュアンスを使い分け迸ります。曲想も多分に受ける要素があり終わりの方では余韻を残しつつ降下して行き次に振り戻しがあって素晴らしいですね。最終楽章はいきなりアレグロでスタート、やや雑な印象の楽章ですがオーケストラはシノーポリらしく案外落ち着いてはおります。もう一つ、実際は一番最初に作曲された第2番の方ですが録音歴をメモしますと1983年アルゲリッチ/LS(タイム@13’55A9’34B6’11)、2000年アバド/MCO(同@13’19A8’49B6’03)そして本盤1985年シノーポリ/PHOの各演奏盤です。本盤演奏タイムは@14’05A9’49B6’01とこれも他の演奏とそう変わりません。この曲自体は最初のピアノ協奏曲だった為か第1楽章から試行錯誤的な行程を感じさせる部分が多く何かやっつけ仕事の構築性が明らかに欠如した作品でこの辺りを演奏者がどうカバーするかも面白い処ではあるのですがアルゲリッチの闊達な運び、伴奏の滑らかさが逆に気負いを感じさせ空回りしている印象を受けました・・・あくまで私は作品の未熟さにその責の半分はあると思います。中間楽章はややベートーヴェンそのものの抒情性もありますがやはり構成上起承転結が明確ではないようで跳びはねる様な最終楽章をコンパクトにまとめてやっとという感じです。レコードアカデミー賞受賞演奏のものなのですが、両曲の演奏を聴き通しますとこれらの曲の素朴さ、初々しさとは少し離れたイメージでもう少し力を抜いた方が良かったのではと私は思いました。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/02/23
1950年代半ばハイフェッツは四大ヴァイオリン協奏曲を録音しておりバックサポートはチャイコフスキーとブラームスはライナー/CSO、ベートーヴェンとメンデルスゾーンはミュンシュ/BSOで各々名演奏盤であります。以前ハイフェッツの弾くベートーヴェン、ブラームス協奏曲セット盤カタログ番号09026.61742 に書き込んだ時(2010/10)は後者つまりブラームスの方を聴いていなかったのですがこの度聴く機会がありましたので本盤レビューに書き込む次第です。先ず、ハイフェッツの弾くブラームス・ヴァイオリン協奏曲盤について例によってデータ的なものを羅列して見ましょう。録音年代、指揮者/オーケストラ、演奏タイムの順です。1935年トスカニーニ/NYPO(@20’36A8’52B7’38)、1936年バルビローリ/LPO(@20’43A8’18B7’53)、1939年クーセヴィッキー/BSO(@20’36A8’58B7’37)、194X年セル/NYPO(@18’55A8’03B7’21)、1955年ライナー/CSO(@18’48A8’14B7’24)・・・ざっとこんな具合で本盤演奏は一番最後のハイフェッツ54歳の1955年録音分です。こうして並べますと段々短くなっている様な印象を受け事実これら各々についても他のヴァイオリニスト演奏と比較しても短く尚更感じる次第です。第1楽章ライナーはスタートややおっとり刀なのですがすぐテンポを上げます。そしてとっかかりのヴァイオリンの入りは淀まないでトントン拍子に頂点に達しこのアプローチは何回か以降出てくるパターンと同じです。展開部はしっかりしたフォルムでスゥーッ、スゥーッと進みたどたどしさとは無縁。時としてバックオーケストラは全奏でえらく頑張りを見せます。やがてのカデンツァは若干長く多分アウワー、ヨハヒム辺りのものをマイナーチェンジしたものか?と思われその千変万化とテクニックぶりに聴き応えあります。この楽章の〆では区切る様に念押ししています。続く中間楽章は旋律線を明確にしつつも過度な甘さには陥らず上下に適度なフリルをつけます。しかしちょっとした躊躇いもない処から割りと印象の薄い楽章となってしまいました。最終楽章はジプシー舞曲風で進みますがオーケストラも管弦やや粗さを露にしそれなりの効果をあげます。そこを縫う様なヴァイオリンは相変わらず万全で最後〆は堂々と終わります。私自身この曲へは明るさというか青春によぎるニュアンスを求めがちなのでちょっと満点というわけではありませんでした、演奏自体が万全だけに・・・難しいものですね、好みというものは・・・。なお、1960年録音のビアティゴルスキー(チェロ)との二重協奏曲(タイム@14’44A6’47B7’43)は聴いておりません(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)。
1 people agree with this review 2011/02/22
クーベリックの珍しい録音集(演奏対象作品も・・・)ということでファンには堪らないアルバムなのでしょう。私は収録曲の内ベートーヴェン交響曲第7番を聴いておりますので少し触れたいと思います。1970年代初めクーベリックはオーケストラをBPOとBRSOを使い分けてベートーヴェン交響曲全集を録音する意向を持ってトップバッターとして第7番をBRSOと1970年に録ったのが本盤の演奏(タイム@13’16A9’47B9’37C7’07)でありました。ところがいろいろ他の指揮者その他レコード会社との力関係から各交響曲・各別々オーケストラ・・・従って9オーケストラ・・・のバラバラでしかも第7番は今いった録音盤は採用されず1974年VPOとの再録(同@13’14A9’18B9’22C7’03)分が当該全集に組み込まれBRSOとは1975年第九「合唱」録音分が組み込まれたということで事情が複雑にからんだのでしょう。さて、私はVPO分は聴いてはいないのですがクーベリック自身インタビューで「私のテンポは年月がたってもほとんど変わっておりません―それが良いことか、悪いことかは知りませんが。私は一人の指揮者は一つのテンポ感をもっていると信じます・・・」と述べています様にテンポとしては大差ありません。但し他の指揮者演奏と比較概括しますと楽章間相対関係で第3楽章が少し長めではないかと思います。さて、本盤第7番演奏はクーベリックが56歳の頃で集中度の高いものとなっています。第1楽章起伏を持たせた演奏は特に全奏での響きのミクスチュアが素晴らしいです。第2楽章は結構悲劇性を前面にし〆の思い入れも印象的。第3楽章でも内包された充実した響きが聴きものですしいよいよ最終楽章酒精踊りでの低音弦の迫力が次第に高揚されて行く有様はライブ並みに聴こえてきました。BRSOの実力を存分に引き出した演奏でこれ以降このコンビの数々の名演を産み出すスタートだったのかも知れませんね(なお、BRSOとの1960年非正規録音分もマニア間では知られているらしいですよ)。以上こういうわけでこのクーベリック指揮BRSOのベートーヴェン交響曲第7番も「レア物」となっていますが冒頭書いた様に他の本盤収録曲は未聴ですのでOKランクに止めておきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
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1 people agree with this review 2011/02/21
ブラームス交響曲第3番なのですが懐かしい演奏の復活盤で私は本演奏を古いモノラルLP・・・現在も所有・・・で愛聴しておりましたので若干記憶頼りではありますがコメントする次第です。1953年録音というからベームが59歳頃にVPOを振っての演奏。この頃の堅固な基盤に立脚したベームの演奏は武骨ささえ帯びたものですがVPOのサウンドがそれを良い方向に中和しモノラル故の白黒写真を思わせる縁取りが素晴らしいです。演奏タイムは@9’53A9’03B6’05C8’35と私にはバランス良い運びと思いました。抒情的な第3楽章もそんなに情に溺れず作品自体に語らせて全体ガッシリした構成感が味わえます。ベームには第3番録音が意外に少なく後年1975年やはりVPOを振っての盤(タイムは@11’04A10’30B6’41C8’53となりやや弛緩してしまった?感じ)が1970年代収録ブラームス交響曲全集版に含まれているものくらいですね。1950年代半ば頃から1960年代前半録音で残されたベームのブラームス交響曲は録音状態こそベストとは言えないものの演奏自体は決して派手ではないガッチリした基盤に覇気あるブラームス・ロマンを塗せた素晴らしいもので本盤第3番(DECCA)はBPOを振っての第1番、第2番(何れもDG)と共にこれからも長く聴きたい演奏と思っております。ウェーバーの方は未聴であります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)
0 people agree with this review 2011/02/20
HMVで本演奏とほぼ同様内容収録別盤(SKB演奏分)を購入して聴いておりますのでコメントします、ご参考までに・・・。マーラーより一歳年上の1859年生まれのドイツの指揮者カール・ムックは私の世代ではもうそんなにポピュラーな存在ではありませんでした。しかし、彼も20世紀前半の最も偉大な指揮者の一人であり、この世紀初頭のバイロイトを代表するワーグナー指揮者の一人として少しくらいその演奏の片鱗は聴いておきたいというわけで購入したのですが、演奏全般はロマンティックなスタイルでもなければ現代的な洗練なども無く云わば古典的なスタイルにおいて演奏の運びはグチャグチャ言わず淡々と速めに進めて行くタイプ・・・無作為とも言えそうですね。例えば1927年録音(ムック68歳頃)の「マイスタージンガー」第一幕への前奏曲(タイム8’14)も速いテンポで進んでいく具合で「遊び」的要素・雰囲気には乏しい気がします。それでも最後ではテンポをダウンさせるなど面白い側面も・・・。当時の手兵のSKBとの録音で、内容は1927年録音では上記の曲以外には「神々の黄昏」より「ジークフリートのラインの旅」(4’20)、「ジークフリートの葬送行進曲」(7’56)、「パルシィファル」第一幕への前奏曲(15’45)、1928年録音で『トリスタンとイゾルデ』より『第一幕への前奏曲』(11’48)、『タンホイザー』序曲(15’40)、『さまよえるオランダ人』序曲(9’48)、1929年録音で「ローエングリーン」第三幕への前奏曲(3’35)であります。何れもフルトヴェングラーが「荘大な静寂の巨匠」と評したムックの特徴が集約されていると言われれば「そうかいな?」と妙な納得をしてしまいますね。そういった説得力でもってある意味「普遍的芸風」を表現していたのではないかとも思います。ムックという指揮者を少しでも知るには格好の盤となっています。本盤の他の収録曲(BFC,BFO演奏分)は未聴ですのでOKランク確保ということにしておきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2011/02/20
周知の様にオペラ「アイーダ」はスエズ運河開通を祝って建てられたエジプト・カイロの大オペラ劇場のこけら落とし公演のために作曲されました。舞台は古代エジプト紀元前1200年?頃、その古代エジプトとエチオピアとの戦いの最中にエジプト王女アムネリスが恋するエジプト将軍ラダメスと、戦いでアムネリスの奴隷となっているエチオペア王女アイーダとの悲恋物語で、最後は死刑を言い渡されたラダメスと共に死ぬことを選んだアイーダの二人が死んでいく処で幕切れとなるストーリーで途中かの有名な凱旋行進の場もそうですが挿入された美しいアリアとオリエンタル的なメロディも聴きもので代表的なオペラなのですが最後の悲劇〆めはオペラチックな盛り上がりとは異なり少し興奮性は低くはなっております。さて、本演奏盤はいろいろ現在も数多く出ており殊にステレオによる視覚的なオペラの録音として合唱・演奏に舞台裏での左右拡がり感及び前後奥行き感を持ち込み遠近感を再現すべく当時最新の技術で名プロデューサー/カルショウを軸にこれ又当時の名歌手テバルディ(S、37歳)、ベルゴンツィ(T、35歳)、シミオナート(MS、49歳)その他を集めて、オーケストラをVPOとして実施されたものです。この頃のカラヤンは既にある権力を把握しつつありましたが後年の様なカラヤン節は薄く比較的ストレートでしかも上手い語り口と運びが臨場感と共に偉大な名盤となったものですが本盤はハイライト盤で聴き処ばかりを収録したもので聴くならば本来はやはり全曲盤を聴くべきなのでしょう・・・。従って本盤はワンランク落とさせてもらいますね。カラヤンの「アイーダ」はいろいろ海賊盤でライブ物もある様ですが正規のものでは二十年後1979年オーケストラ、合唱団は本盤と同じにフレーニ(S)、カレーラス(T)、カップッチッリ(MS)他でスタジオ再録されたものが例のアイーダ・トランペットに日本の楽器メーカーの製品が採用された事でも本盤に負けず名演となっているそうです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
0 people agree with this review 2011/02/19
エジプトのムバラク氏が辞任に追い込まれた事に特に関係はないのだけれど久しぶりにこの1959年カラヤン51歳の頃録音した「アイーダ」を聴きました。周知の様にオペラ「アイーダ」はスエズ運河開通を祝って建てられたエジプト・カイロの大オペラ劇場のこけら落とし公演のために作曲されました。舞台は古代エジプト紀元前1200年?頃、その古代エジプトとエチオピアとの戦いの最中にエジプト王女アムネリスが恋するエジプト将軍ラダメスと、戦いでアムネリスの奴隷となっているエチオペア王女アイーダとの悲恋物語で、最後は死刑を言い渡されたラダメスと共に死ぬことを選んだアイーダの二人が死んでいく処で幕切れとなるストーリーで途中かの有名な凱旋行進の場もそうですが挿入された美しいアリアとオリエンタル的なメロディも聴きもので代表的なオペラなのですが最後の悲劇〆めはオペラチックな盛り上がりとは異なり少し興奮性は低くはなっております。さて、本演奏盤(タイム前奏3’54、第1幕36’49、第2幕42’55、第3幕33’13、第4幕32’49)はいろいろ現在も数多く出ており殊にステレオによる視覚的なオペラの録音として合唱・演奏に舞台裏での左右拡がり感及び前後奥行き感を持ち込み遠近感を再現すべく当時最新の技術で名プロデューサー/カルショウを軸にこれ又当時の名歌手テバルディ(S、37歳)、ベルゴンツィ(T、35歳)、シミオナート(MS、49歳)その他を集めて、オーケストラをVPOとして実施されたものです。この頃のカラヤンは既にある権力を把握しつつありましたが後年の様なカラヤン節は薄く比較的ストレートでしかも上手い語り口と運びが臨場感と共に偉大な名盤となったもので彼の「アイーダ」はいろいろ海賊盤でライブ物もある様ですが正規のものでは二十年後1979年オーケストラ、合唱団は本盤と同じにフレーニ(S)、カレーラス(T)、カップッチッリ(MS)他でスタジオ再録されたものが例のアイーダ・トランペットに日本の楽器メーカーの製品が採用された事でも本盤に負けず名演となっているそうです。第1幕ラダメス(ベルコンッイ、T)の「清きアイーダ」での朗々たるアリアから聴き入ります。「勝ちて帰れ」でのアイーダ(テバルディ、S)による長い台詞とアリアはスケール感があり続く火の神殿での舞台作りの音色の奥行き感も素晴らしいです。第2幕冒頭の奴隷達による合唱では美しい旋律が舞台での彼らの踊りを目の当たりに感じさせVPOも手を抜いてはおられません。「武運つたなくお前の国は」でのアムネリス(シミオナート、MS)、アイーダ(テバルディ、S)との虚々実々の緊迫したやりとりの後かの有名な凱旋行進曲の場面に入って行きます。第3幕の初めのところは脇役陣がしっかり固めアイーダ(テバルディ、S)が「「ここにラメダスが来るはず」で期待と不安の入り交ざった感情をもはや「楽器」となりきった彼女の実力が発揮されます。ラダメス(ベルコンッイ、T)、アイーダ(テバルディ、S)の二重唱はオペラの醍醐味で最後この幕閉めの引き締まったオーケストラはティンパニーでも象徴されました。いよいよ最終第4幕アムネリス(シミオナート、MS)の親しみ易い歌と駆け引き的な二重唱での見得切りも聴き処。ラダメスが死刑を言い渡される場面での伴奏の凄さは録音が充分カバーしてくれ最後先述のラメダス、アイーダの両人が石牢で死に至る場面で「天の扉は開いている・・・」と二人が繰り返し甘くメロディし静かに一時間半のオペラは終わります。マァとにかく有名なオペラの名盤として聴いておくべきものかと思います。昨年百歳を目前に亡くなったシミオナートはこのアイーダのアムネリスが(本盤ではもう年齢こそ重ねてはいるものの)その気高いルックス、プライド高さゆえの当り役でHMVカタログだけでも本演奏の他に1951年グイ指揮RRSO、1953年バルビローリ指揮CGO、1956年ヴォットー指揮OCTSそして1961年イタリアオペラ日本公演1961年カプアーナ指揮NHKSO(但しDVD)が載っておりアリア的なものが少ない役なのに存在感充分な役回りを演じています。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
1 people agree with this review 2011/02/19
0 people agree with this review 2011/02/18
ヴォーン・ウィリアムズというイギリス作曲家の作品にはちょっとした管弦楽曲しか触れていない状態の時には大作曲家並に九曲の交響曲レコードベースでボールト/LPOやヒコックス/LSO等英国系演奏家による演奏盤が出ていても横目でパスしていました。ただ標題「海」「田園」「南極」といった曲はいつか経験上聴いておかなければクラシックファンの沽券にかかわるかなと言うくらいの意識がもたげてきた時本盤に出くわし、A.デイヴィスと言う私とそう年代的にも変わらない指揮者で他の演奏から想定していたそう気負いのない自然体のアプローチには好感を持った次第です。肝心の作品なのですが第3番「田園交響曲」は水彩画の様な印象でそれは何となくスタートし何となく終わる第1楽章に凝縮されている様です。しかし第3楽章でのマァ親しみ易いメロディや最終楽章での女声での出だし等で全体はっきりした確たるものはつかめないものの遠くで聞こえる管楽器から戦時の牧歌的風景を念頭に置いて書かれた事は安易に納得してしまいました(演奏は1996年の録音で四楽章トータルタイムが34’20)。もう一つ第7番「南極交響曲」は周知の様に1947年の映画「南極のスコット」(周知の様にスコット隊が極点に到達した時既にアムンゼン隊のフラッグがたなびいていた・・・)のBGM用を編曲したもので五部から構成されこの演奏(同じ1996年録音)タイムはトータルで42’50と結構大曲ではあります。第1楽章冒頭の低音は厳しく殺伐とした自然描写で我々に牽制球を投げます。しかし女声が入って来て当然南極探検悲劇を描いていますのである写実性が随所に・・・。写実性といっても我々の踏み込めない世界でそういう意味では女声の合唱、独唱があのホルスト「惑星」の真空的雰囲気を醸し出しかつ遠くで聞こえる空耳的不安を煽る持続音・・・。静かになったりパイプオルガン、総出の打楽器、ウインドマシーンの轟き・・・この辺りはこの作曲家の悠然たる処かも。第4楽章コーナーでの中低音弦を主体とした旋律テーマも親しみが持てその支配力は印象的でもあります。そして最終楽章は女声の挿入が第1楽章テーマと共に戻りある意味レクイエムの位置付け?になっている様です・・・但しこの演奏では各楽章での「語り」は割愛されています。他の演奏は聴いてはいませんがBBCSOは流石英国オーケストラ、スケール感は正直今一ではありますが安心して聴き進みました。多分この二曲がヴォーン・ウィリアムズ交響曲の代表的なものとは思いますが心底分かるにはまだ時間が私には必要ではあります。なお、この代表曲組合盤が廃盤となっているのは少し残念ですね。一応OKランクとしておきます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)
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