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3 people agree with this review 2011/11/27
本盤の演奏は、既にBlu-spec-CD盤で発売されていたことから、その際、次のようなレビューを既に投稿済みである。「ザンデルリンクによるブラームスの交響曲の演奏と言えば、本盤(1972年)の後にスタジオ録音したベルリン交響楽団との全集(カプリッチョレーベル)(1990年)が名演の誉れ高く、その中でも交響曲第4番がダントツの名演であった。本盤も、それに勝るとも劣らない名演と高く評価したい。何よりも、オーケストラの力量から言えば、本盤の方が断然上であり、その意味では、新盤とは違った意味での魅力ある名演と言うことができよう。それにしても、東ドイツという国が存在していた時代のシュターツカペレ・ドレスデンの音色には独特のものがあった。重心の低い、それでいていぶし銀の輝きのある美しいジャーマン・サウンドは、特に、ドイツ音楽を演奏する際に、他では味わうことができない深遠さを醸し出すことになる。本盤の演奏で言えば、特に、第2楽章の深沈たる抒情は感動的だ。ザンデルリングの指揮は、奇を衒うことのない正統派のアプローチ。全体の造型をしっかりと構築した上で、オーソドックスに曲想を描き出していく。こうした自然体とも言うべきアプローチが、シュターツカペレ・ドレスデンの素晴らしい合奏とその音色の魅力、そしてブラームスの交響曲第4番という楽曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに成功したと言える。Blu-spec-CD化によって、音質にさらに鮮明さが加わったことも大いに歓迎したい。」要は、ザンデルリンクによるドイツ風の重厚で、なおかつ堅固な造形美を誇る名演奏に、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の音色が付加された極上の名演というのが本演奏の評価であり、これは現在においても変わりがないと考えているところだ。したがって、本盤のレビューでは、今般新たにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の発売が行われたことから、音質面についてのみ言及しておきたいと考える。本演奏については、前述のようなザンデルリンク&シュターツカペレ・ドレスデンを代表する名演の一つだけに、各種のリマスタリング盤や前述のレビューにも記したようにBlu-spec-CD盤が発売されるなど、数々の高音質化の努力が試みられてきたところだ。しかしながら、今般発売されたシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDやBlu-spec-CD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりであると言える。いずれにしても、ザンデルリンク&シュターツカペレ・ドレスデンによる素晴らしい名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。
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5 people agree with this review 2011/11/27
本盤におさめられたマタチッチ&NHK交響楽団によるブラームスの交響曲第1番は、1984年のマタチッチによる最後の来日公演の一つとして、現在でも語り継がれる歴史的な名演であると言える。同じ来日公演でのブラームスの交響曲第1番については、3月24日の演奏が本年になってBlu-spec-CD化が図られたところである。当該演奏については長らくリマスタリングが行われていなかったこともあって、既発の従来CD盤の音質が今一つであったところであるが、かかるBlu-spec-CD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところであり、本歴史的名演の価値の更なるグレードアップが図られることになった。私としても、それで十分に満足していたところであるが、これまで一度もCD化されていなかった3月23日の演奏(DVDとしては既に発売されていた。)が、ついにXRCD盤で発売されることになったことは誠に慶賀に耐えない限りだ。同一の演奏ではないことから、単純には比較はできないものの、今般のXRCD化によって、若干大人し目の音質であった前述のBlu-spec-CD盤に比して、音がより前面に出てくるようになった点を高く評価したい。これによって、音圧、とりわけ重低音の迫力がより増すとともに、臨場感も出てきたと言えるところであり、巨匠マタチッチの最晩年の至高の芸術の真価を満足できる高音質で味わうことが可能となったと言えるのではないだろうか。演奏も、基本的なアプローチとしては3月24日の演奏とさしたる違いはなく、巨匠マタチッチならではの素晴らしい名演であると言える。ブラームスの交響曲第1番は、NHK交響楽団にとっては得意のレパートリーとも言うべき楽曲である。最近でこそ、デュトワやアシュケナージなどを音楽監督に迎え、フランス系やロシア系の音楽も十八番にしつつあるNHK交響楽団であるが、本盤の録音当時は、名誉指揮者であるサヴァリッシュやスウィトナー、ホルスト・シュタインなどのドイツ系の指揮者が幅を利かせ、ドイツ系の音楽を中心に演奏していたと言える。さらに前の時代のカイルベルトやシュヒターなども含め、ブラームスの交響曲第1番は、それこそ自己薬籠中の楽曲と言っても過言ではなかったと考えられる。実際に、サヴァリッシュなどによる同曲のCDも発売されているが、本マタチッチ盤はそもそも次元が異なる名演と高く評価したい。テンポは全体で約42分という、ブラームスの交響曲第1番としては早めのテンポであるが、音楽全体のスケールは極めて雄大である。マタチッチは、必ずしもインテンポには固執せずに、随所でテンポを変化させており、特に終楽章のアルペンホルンが登場する直前など、いささか芝居がかったような大見得を切る表現なども散見されるが、音楽全体の造型がいささかも弛緩しないのは、巨匠ならではの圧巻の至芸と言える。NHK交響楽団も力の限りを振り絞って力奏しており、雷鳴のように轟きわたるティンパニのド迫力など、その強靭な圧倒的生命力は切れば血が飛び出てくるほどの凄まじさだ。当時は、力量はあっても事なかれ主義的な演奏をすることが多いと揶揄されていたNHK交響楽団であるが、本盤では、こうした力強い生命力といい、畳み掛けていくような集中力といい、実力以上のものを出し切っているような印象さえ受ける。したがって、NHK交響楽団の渾身の演奏ぶりを褒めるべきであるが、それ以上に、NHK交響楽団にこれだけの鬼気迫る演奏をさせた最晩年の巨匠マタチッチのカリスマ性を高く評価すべきであると考える。いずれにしても、本盤のマタチッチによるブラームスの交響曲第1番の演奏は、NHK交響楽団の同曲演奏史上においても特筆すべき至高の名演であり、このような圧倒的な名演をXRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
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6 people agree with this review 2011/11/26
これは全盛期のカラヤンだけに可能な圧巻の至芸を味わうことができる名CDと言えるのではないだろうか。カラヤンは幅広いレパートリーを誇ったが、その中でもオペラについては得意中の得意としていた。カラヤンによるオペラ演奏については、いわゆるアンチ・カラヤン派の識者の中にも評価する者が多く存在しているところであり、カラヤンが遺したオペラ演奏の中でも相当数の演奏については、オペラ演奏史上でも歴史に残る超名演と言っても過言ではあるまい。そのようなオペラを得意とするカラヤンにとってみれば、本盤におさめられたオペラのバレエ曲は自家薬籠中の楽曲とも言えるところであり、どの演奏も正に水を得た魚のように、生き生きとした躍動感と切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れた名演奏を成し遂げていると言える。演奏は、1970〜1971年というカラヤンが心身ともに充実していた時代のものであり、加えて、手兵ベルリン・フィルも名うてのスタープレイヤーが数多く在籍する黄金時代にあったと言える。そして、カラヤン&ベルリン・フィルは、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの咆哮、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルのもとに融合し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していたところだ。そして、カラヤンは流麗なレガートを施すことによって、重厚さと華麗さ、そして流麗な美しさを誇るいわゆるカラヤン・サウンドの醸成に成功していたと言える。本盤の各楽曲の演奏においてもそれは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤン・サウンドに満たされた、豪華絢爛にして豪奢な演奏に仕上がっていると言えるところだ。オペラのバレエ音楽には、かかる演奏は見事に功を奏しており、加えて、オペラを得意とするカラヤンならではの聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりも相まって、これ以上は望み得ないような完全無欠の圧倒的な超名演を成し遂げていると言っても過言ではあるまい。現在では、クラシック音楽界も長期不況にあり、このようなオペラのバレエ曲のみを収録したCDを作成すること自体が困難なご時世ではあるが、カラヤンのような大指揮者がかようなオペラのバレエ曲集のスタジオ録音を行ったという、クラシック音楽界にいまだ活気があった古き良き時代を懐かしく思い出す聴き手は私だけではあるまい。本盤については、長らく廃盤の状態にあったが(一部の楽曲については、別の楽曲との組み合わせで発売されている。)、今般、久しぶりに再発売の運びになったことは慶賀に耐えないところだ。加えて、従来CD盤での発売ではなく、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤での発売となったことは、全盛時代のカラヤンを代表する圧倒的な超名演であることに鑑みても極めて意義が大きいと言える。本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の音質の艶やかな鮮明さや臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の圧倒的な超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。
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3 people agree with this review 2011/11/26
本盤には、アルビノーニのアダージョやパッヘルベルのカノンとジーグ、ボッケリーニの小五重奏曲と言ったバロック音楽と、かかるバロック音楽にインスピレーションを得て作曲された近現代の名作であるレスピーギのリュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲がおさめられている。カラヤンは、いかなる管弦楽曲の小品であっても、いささかの手抜きをすることなく、交響曲やオペラなどの大作に接するのと同様の真摯な姿勢で演奏に臨んだが、本盤のこれらの楽曲の演奏においても、そうしたカラヤンの真摯な姿勢を十分に伺い知ることが可能な圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。本盤の各楽曲の演奏は1969年であるが、これは正にカラヤン、そしてベルリン・フィルの全盛期。かかる全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていたと言える。カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤン・サウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。本盤におさめられた各楽曲の演奏においてもそれは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤン・サウンドに満たされた極上の美演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。そして、これらの各楽曲におけるカラヤンの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さは筆舌に尽くし難いものがあり、正に本盤におさめられた各楽曲の演奏は、あらゆる意味で非の打ちどころがない圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。それにしても、カラヤンのような大指揮者が、このような管弦楽曲の小品を録音することについては、いわゆるアンチ・カラヤン派のファンからはセールスマンであるとか、クラシック音楽の品位を落とすとの批判も十分に予測されるところである。それには、とある影響力の大きい某音楽評論家や、某音楽評論家の腰巾着のような各界各層の有識者の罵詈雑言が大きく影響していると思われるが、私としては、交響曲やオペラのような大作であれ、ポピュラリティを獲得している管弦楽曲の小品であれ、その価値には大差はないと考えており、むしろ、カラヤンのような大指揮者が、身を持ってそれを多くのクラシック音楽ファンに示すとともに、いかなる楽曲に対しても手抜きをせずに真剣勝負で演奏に臨んだ真摯な姿勢に、心から敬意を表するものである。本盤については(それぞれの楽曲が別の楽曲との組み合わせで発売されている。)、リマスタリングやSHM−CD化等が施されるなど、高音質化の不断の取組が行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の艶やかな鮮明さや臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。
4 people agree with this review 2011/11/26
昨年よりユニバーサルが開始したシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化シリーズであるが、当初は、これまでに既にハイブリッドSACD盤で発売されていたものの焼き直しに過ぎなかった。しかしながら、本年6月より、これまで一度もSACD化されていない録音を採り上げており、フルトヴェングラー、ベーム、アルゲリッチ、クーベリック、ヨッフムと続き、今般はついに待望のカラヤンの登場となった。カラヤンのシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤としては、既にベートーヴェンの交響曲第3番及び第4番、そしてチャイコフスキーの第3番ほかがおさめられた2枚が既発売であり、今後、どの演奏をシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化するのか大変興味深いところであったが、管弦楽の小品集5枚を選定したのには大変驚かされたところだ。もっとも、意表をつく選定ではあると言えるが、カラヤンは大作のみならず、管弦楽曲の小品にもいささかも手を抜かずに真剣勝負で演奏に臨み、圧倒的な名演の数々を遺しただけに、かかる選定もカラヤンの芸術の一面を知る意味においては妥当であると言うべきであろう。本盤には、1967年にスタジオ録音されたオペラ間奏曲集がおさめられている。本盤におさめられた各楽曲の演奏の印象を一言で言うと巧い。そしてただただ美しいということである。1967年と言えば、正にカラヤン、そしてベルリン・フィルの全盛時代に相当する。かかる全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルは、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックと美音を振り撒く木管楽器群、雷鳴のようなティンパニなどが融合し、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使した圧倒的な音のドラマとも言うべき演奏の数々を行っていた。カラヤンは、流麗なレガートを施すことによって曲想を徹底して磨き抜いたところであり、こうして磨き抜かれたベルリン・フィルの美しい音色は、いわゆるカラヤン・サウンドとも称されていたところだ。本盤におさめられた各楽曲の演奏においてもそれは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤン・サウンドに満たされた極上の美演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。そして、これらの各楽曲におけるカラヤンの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さは筆舌に尽くし難いものがあり、正に本盤におさめられた各楽曲の演奏は、あらゆる意味で非の打ちどころがない圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。どの楽曲の演奏についても、前述のように巧い、そして美しいという評価が当てはまるが、特に、タイスの瞑想曲。同曲の演奏におけるミシェル・シュヴァルベのヴァイオリン・ソロは、もはやこの世のものとは思えないような美しさであり、カラヤンによる心憎いばかりの表情づけの巧さも相まって、身も心も蕩けてしまいそうな極上の絶対美の世界を構築しているとさえ言えるだろう。シュミットの歌劇「ノートル・ダム」間奏曲の重厚な弦楽合奏の滴るような美しさは、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルだけに描出可能な至高の名演奏と言っても過言ではあるまい。本盤については、これまでリマスタリングが行われるなど、高音質化の不断の取組が行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の艶やかな鮮明さや臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の極上の美演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。
4 people agree with this review
5 people agree with this review 2011/11/26
本盤には、カラヤンがベルリン・フィルを指揮して1966年に録音したヨハン・シュトラウス、同2世、ヨゼフ・シュトラウスによるウィンナ・ワルツ集がおさめられている。オーストリア人であったカラヤンは、ウィンナ・ワルツを得意中の得意としており、録音の点数もかなりの数にのぼっている。ベルリン・フィルとは、本演奏の3年後にもヨハン・シュトラウス2世やヨゼフ・シュトラウスのその他のワルツ集をスタジオ録音しているし、1980年にも3枚にわたるウィンナ・ワルツ集のスタジオ録音を行っている。そして、ウィーン・フィルとの演奏では、1959年のスタジオ録音と、最晩年の1987年のニュー・イヤー・コンサートのライヴ録音が名高いところである。この他にも数多くの録音が遺されているが、これはカラヤンが、自分の祖国の音楽として、ウィンナ・ワルツに深い愛着を持っていた証左と考えられるところだ。それだけに、いずれの演奏も名演であると考えるが、特に、1987年のニュー・イヤー・コンサートのライヴ録音が最晩年の枯淡の境地を感じさせる味わい深い名演として随一に掲げたい。そして、カラヤンの個性が全面的に発揮された名演ということになれば、カラヤン、そしてベルリン・フィルが全盛期にあった本演奏(加えて1969年の演奏)を掲げたいと考える。全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていたと言える。カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤン・サウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。本盤におさめられた各楽曲の演奏においてもそれは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤン・サウンドに満たされた極上の美演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。そして、これらの各楽曲におけるカラヤンの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さは筆舌に尽くし難いものがあり、正に本盤におさめられた各楽曲の演奏は、あらゆる意味で非の打ちどころがない圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。聴き手によっては、ウィンナ・ワルツの演奏としてはシンフォニックでゴージャスに過ぎると言った批判も十分に予測できるところであるが、私としては、これだけの圧倒的な音のドラマで楽曲の魅力を堪能させてくれた本名演に文句は言えないのではないかと考えているところだ。本盤については、国内盤が長らく廃盤であり入手難が続いており、リマスタリングの対象にもならなかったことから、必ずしも満足な音質とは言い難い初期盤を長らく愛聴してきたところである。しかしながら、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が図られることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の艶やかな鮮明さや臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。そして、可能であれば、1987年のニュー・イヤー・コンサートのライヴ録音についても、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化をこの場を借りて切にお願いしておきたいと考える。
3 people agree with this review 2011/11/23
ポリーニによる3度目のブラームスのピアノ協奏曲第1番の登場だ。ポリーニは完全主義者として知られているだけに、レコーディングには慎重を期して臨むのが常であるが、そのようなポリーニが同じ曲を3度も録音するというのは異例のことであり、これはポリーニが同曲にいかに深い愛着を有しているのかの証左であると言えるだろう。最初の録音は、ベーム&ウィーン・フィルとともに行ったスタジオ録音(1979年)であり、ポリーニの個性を垣間見ることはできるものの、どちらかと言うと、最晩年のベームの重厚な演奏が際立った演奏であり、かかるベームの多大なる力量によって名演に仕上がっていると言えなくもないところだ。これに対して2度目の録音は、アバド&ベルリン・フィルとともに行ったライヴ録音(1997年)であり、これはポリーニの個性が全面的に発揮された演奏と言えるところだ。アバドは、協奏曲の録音を行う際にはソリストの演奏を下支えする役割に徹するのが常であり、そうしたアバド、そしてベルリン・フィルという望み得る当時最高の豪華コンビをバックとして、ポリーニがその個性と実力を十二分に発揮した演奏を展開していると言えるだろう。もっとも、アバド&ベルリン・フィルによる演奏が無色透明であるだけに、当時のポリーニのピアノ演奏の欠点でもあるいささか無機的な技術偏重ぶりがあらわになっていると言えるところであり、青雲の志を描いたとされる同曲の味わい深さが必ずしも的確に表現し得ていないとも思われるところである。したがって、一部には高く評価されている当該演奏ではあるが、私としてはあまり評価をしていないところだ。そして、本盤におさめられた演奏は、2度目の演奏から14年を経た後のものであるが、これは素晴らしい名演と評価したい。そもそもポリーニのピアノ演奏が、1997年盤とは段違いの素晴らしさであると言える。1997年盤に顕著であった技巧臭さえ感じさせる無機的な演奏など薬にしたくもなく、もちろん超絶的な技量は健在ではあるが、どこをとっても懐の深い豊かな情感が満ち溢れているのが素晴らしい。これは、ポリーニの円熟によることは間違いがないところであり、ポリーニが演奏の技術的な正確さ、緻密さを追及するのではなく、このような情感豊かな演奏を行うようになったことに深い感慨を覚えるところだ。このような演奏を聴いていると、ポリーニこそは名実ともに現代を代表する偉大なピアニストの一人であることを痛感せざるを得ない。ポリーニとしては3度目の同曲の演奏ということになるが、3度目の正直との諺のとおり、漸く自他ともに満足できる名演を成し遂げることが出来たと言えるだろう。かかる偉大なポリーニのピアノ演奏を下支えするティーレマン&シュターツカペレ・ドレスデンについては、このコンビならばもう少しハイレベルの演奏を望みたい気もしないでもないところだ。同曲は、ピアノ伴奏つき交響曲との異名をとるだけに、同曲の分厚いオーケストレーションを活かしたより重厚かつ雄渾なスケールの演奏を望みたいと思った聴き手は私だけではあるまい。ティーレマンは、将来を嘱望されている期待の独墺系の指揮者だけに、今後の更なる研鑽を大いに望んでおきたいと考える。音質は、2011年のライヴ録音であるが、特にオーケストラの音が必ずしも鮮明とは言えず、国内盤においてはSHM−CD仕様が行われたにもかかわらず、音質改善がなされたとは言い難いところだ。ポリーニのピアノタッチは比較的鮮明に再現されているだけに、実に惜しい気がする。いずれにしても、本盤全体の評価としては、ポリーニの素晴らしい円熟のピアノ演奏とティーレマンの今後の更なる成長に期待して、いささか甘いが★4つの評価とさせていただきたいと考える。
11 people agree with this review 2011/11/23
ヨッフムの死の半年前の記念碑的な来日公演が、ついにシングルレイヤーによるSACD盤で発売されることになった。ユニバーサルやEMIが揃ってSACD盤の発売に積極的になってからというもの、一時は瀕死の状態にあったSACDが急速に脚光を浴びるようになったというのは、パッケージメディアの良さをあらためて認識させるという意味において、大変喜ばしいことであると言える。そうしたSACD復活の流れの中で、大指揮者による数々の来日公演のCD化で定評のあるアルトゥスレーベルが、先日のムラヴィンスキーの来日公演(1973年)のCD2点を皮切りとして、シングルレイヤーによるSACD盤の発売に踏み切ったのは、何と言う素晴らしいことであろうか。アルトゥスレーベルによるSACD化第2弾として、何を発売するのか私としても非常に興味を抱いていたところであるが、今般選ばれた音源は、いずれも文句のない歴史的な名演揃いであると言える。特に、ヨッフムの最後の来日公演でのブルックナーの交響曲第7番は、今でもファンの間で語り伝えられている歴史的な超名演であり、今般のシングルレイヤーによるSACD化によって、鮮明かつ臨場感溢れる極上の高音質に生まれ変わった意義は極めて大きいものと言わざるを得ないところだ。それにしても素晴らしい超名演だ。ブルックナーの権威として自他ともに認めるヨッフムであるが、巨匠ヨッフムとしても死の半年前という最晩年になって漸く成し遂げることができた最高の名演奏と言えるのではないだろうか。ヨッフムによる本演奏は、後年のヴァントや朝比奈などによって確立された、いわゆるインテンポを基調とした近年主流となったブルックナー演奏とは必ずしも言い難い。テンポの振幅も大胆に活用しているし、旋律の歌い方も熱きロマンティシズムにさえ満ち溢れているほどだ。それでいて、演奏全体の造型はきわめて雄大。楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫の深さにおいては尋常ならざる凄みがあると言えるところであり、演奏全体としては、いわゆるブルックナーらしさをいささかも失うことがないというのは、正にブルックナーの権威たるヨッフムの真骨頂と言えるだろう。とりわけ、第2楽章のゆったりとしたテンポによる悠揚迫らぬ音楽の運びは、神々しいまでの崇高さを感じさせるほどであり、これはヨッフムが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の清澄な境地と言えるのではないだろうか。併録のモーツァルトの交響曲第33番も、近年の古楽器奏法やピリオド楽器使用による軽妙浮薄な演奏とは正反対の、重厚にしてシンフォニックな名演であり、これぞ巨匠の音楽と言っても過言ではあるまい。オーケストラがコンセルトヘボウ・アムステルダムであったことも功を奏しており、ヨッフムの神々しいまでの統率の下、最高のパフォーマンスを発揮しているのが見事である。いずれにしても、本盤は、演奏の素晴らしさ、そして極上の高音質(とりわけ、モーツァルトの交響曲第33番の演奏における艶やかな音色には抗し難い魅力が満ち溢れていると言える。)という、望み得る要素をすべて併せ持った至高の名SACDと高く評価したいと考える。
11 people agree with this review
7 people agree with this review 2011/11/23
ユニバーサルやEMIが揃ってSACD盤の発売に積極的になってからというもの、一時は瀕死の状態にあったSACDが急速に脚光を浴びるようになったというのは、パッケージメディアの良さをあらためて認識させるという意味において、大変喜ばしいことであると言える。そうしたSACD復活の流れの中で、大指揮者による数々の来日公演のCD化で定評のあるアルトゥスレーベルが、先日のムラヴィンスキーの来日公演(1973年)のCD2点を皮切りとして、シングルレイヤーによるSACD盤の発売に踏み切ったのは、何と言う素晴らしいことであろうか。アルトゥスレーベルによるSACD化第2弾として、何を発売するのか私としても非常に興味を抱いていたところであるが、今般選ばれた音源は、いずれも文句のない歴史的な名演揃いであると言える。第2弾の2点のSACD盤のうち、もう一つのSACD盤におさめられた、ヨッフムの死の半年前の来日公演のブルックナーの交響曲第7番及びモーツァルトの交響曲第33番も、歴史的とも言うべき超名演であるが、本盤におさめられたケーゲルによるベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番についても素晴らしい名演であり、その価値においてはいささかも引けを取るものではないと考えられる。そして、本演奏もケーゲルの死の1年前の来日公演の貴重な記録であり、アルトゥスレーベルによる第2弾の音源の選び方にも、なかなかの工夫がなされているという好印象を受けたところだ。ケーゲルは、独カプリッチョレーベル(現在は解散)に、手兵ドレスデン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音(1982 〜1983年)しており、それもケーゲルの名を辱めることのない名演であると言えるが、本盤の演奏とは比べ物にならないと言えるだろう。それにしても、本盤の演奏はとてつもなく凄い演奏だ。筆舌には尽くし難い演奏というのは、本演奏のようなことを言うのであろう。本演奏には、生きるための希望も、そして絶望も、人間が持ち得るすべての感情が込められていると思われる。田園の第1楽章の超スローテンポや、第5番の終楽章の大見得を切った表現など、個性的な解釈が随所に聴くことができるものの、全体としては、表向きは淡々と音楽が流れており、加えて平静ささえ漂っているだけに、嵐の前の静けさのような不気味さを感じさせる演奏とも言えるところだ。翌年には自殺を図るケーゲルが、どのような気持ちで本演奏を行ったのかは不明であるが、そうしたケーゲルの悲劇的な死を我々聴き手が知っているだけに、余計に本演奏にとてつもない凄みを感じさせると言えるのかもしれない。併録の「エグモント」序曲やバッハのG線上のアリアも名演であるが、特に、凄いのはG線上のアリアであろう。一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、ケーゲルの救いようのない絶望感を聴き取る(というか感じ取る)ことが可能であり、正に我々聴き手の心胆を寒かしめる演奏と言っても過言ではあるまい。いずれにしても、本盤は、演奏の素晴らしさ(というよりも凄さ)、そして極上の高音質という、望み得る要素をすべて併せ持った至高の名SACDと高く評価したいと考える。
7 people agree with this review
4 people agree with this review 2011/11/20
待望のイリーナ・メジューエワの新譜の登場だ。メジューエワは、最近ではシューベルトのピアノ・ソナタ全集の録音に取り組んでいるところであり、タイミング的にもそろそろその第3弾の登場と思っていたところであるが、リスト生誕200年を記念してのリストのピアノ作品集の登場とは、メジューエワの芸風やこれまでのレパートリーからしても大変意外であったと言わざるを得ない。というのも、昨年のショパンイヤーでは、ショパンの作品の数々の名演を聴かせてくれたこともあって、メジューエワにリスト弾きのイメージを見出すことがいささか困難であると言えるからである。したがって、本盤を聴く前は、一抹の不安を抱かずにはいられなかったところであるが、聴き終えて深い感銘を覚えたところだ。メジューエワによる本演奏は、一聴すると地味な装いをしているところであるが、聴き進めていくうちに、じわじわと感動が深まっていくような趣きのある演奏と言えるのではないだろうか。派手さや華麗さなどとは無縁であるが、どこをとっても豊かな情感と独特のニュアンスに満ち溢れており、いわゆるヴィルトゥーオーゾ性を全面に打ち出した一般的なリストのピアノ曲の演奏様式とは、一味もふた味も異なった性格を有していると言っても過言ではあるまい。各楽曲の造型、とりわけ大曲でもあるピアノ・ソナタロ短調の造型の堅固さは、女流ピアニスト離れした重厚さを兼ね備えていると言えるところであり、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、持ち前の桁外れの表現力を駆使して、同曲の魅力を完璧に音化し尽くしているとさえ言えるだろう。例によって、一音一音を蔑ろにすることなく、曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出して行くという正攻法のアプローチを軸としてはいるが、メジューエワの詩情に満ちた卓越した芸術性が付加されることによって、リストのピアノ曲が、単なる卓越した技量の品評会的な浅薄な作品ではなく、むしろロマン派を代表する偉大な芸術作品であることをあらためて認知させることに成功したと言ってもいいのではないだろうか。悲しみのゴンドラ第2番や暗い雲の底知れぬ深みは、メジューエワの芸術家としての偉大さの証左と言っても過言ではあるまい。いずれにしても、本盤の演奏は、メジューエワの卓越した芸術性を証明するとともに、今後の更なる発展を大いに予見させるのに十分な素晴らしい超名演であると高く評価したいと考える。音質は、「愛の夢」及び「カンツォーネとタランテラ」を除くすべての楽曲がDSDレコーディングとなっており、メジューエワの透徹したピアノタッチが鮮明に再現される申し分のないものとなっていると言える。もっとも、昨年来、各社がSACD盤の発売を競って行うようになってきているところであり、本盤についても、メジューエワによる素晴らしい超名演であることに鑑みれば、可能であればSACD盤で発売して欲しかったと思う聴き手は私だけではあるまい。
3 people agree with this review 2011/11/20
本盤はダイレクトカットによるSACD盤であるが、私の財力からするとあまりにも高額であり、おそらくは今後も未聴であると思われる。以下に記すレビューは、現在は廃盤であり中古CD店でしか手に入らないが、かつて発売されていたシングルレイヤーによるSACD盤についてのレビューであることを冒頭に記しておきたい。当該盤は、SACDの音質の素晴らしさ、とりわけオクタヴィアによる初期のSACD盤(シングルレイヤーによるSACD盤)の極上の高音質を堪能することが可能な名SACDであったと言える。したがって、後述のように演奏内容もさることながら、先ずは、その音質の素晴らしさについて言及しておきたい。数年前には殆ど絶滅の危機に瀕していたSACDであるが、2010年よりユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化シリーズ開始したことや、EMIが2011年よりSACDに参入したことによって、急速に息を吹き返しつつあると言える。ネット配信が隆盛を極める中で、パッケージメディアの最後の砦はSACDと考えるところであり、今後とも、大手メーカーが引き続きSACDの発売を積極的に行っていただくことを強く要望しておきたいと考える。アシュケナージによるR・シュトラウスによる管弦楽曲集については、他にもチェコ・フィルとともに演奏を行った、交響詩「ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」や交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」等をおさめた盤(1998年)が発売(マルチチャンネル付きのシングルレイヤーによるSACD盤で発売)されており、それは素晴らしい名演であったが、本盤の演奏もそれに勝るとも劣らない名演と評価したいと考える。アシュケナージは指揮者としてもピアニストとしても一流の存在であるが、その評価については賛否両論があると言える。楽曲の聴かせどころのツボを心得た演奏をするとともに、表情づけなどの巧みさにおいても申し分がないアシュケナージであるが、とある影響力の大きい某音楽評論家を筆頭に、アシュケナージを貶す者からすれば、かかる芸風は、楽曲の内容への追及度が甘いとか、はたまた甘口で厳しさが足りないなどと言った批判に繋がるものと考えられるところだ。確かに、アシュケナージの芸風に不向きな楽曲があるのは事実であろう。ベートーヴェンやブラームスの交響曲などの演奏においては、アシュケナージの演奏の場合、美しい演奏ではあるが今一つ踏み込み不足の感が否めないと言えるところだ。しかしながら、ラフマニノフやチャイコフスキーなどの交響曲や協奏曲などにおいては、他の大指揮者や大ピアニストとも互角に渡り合えるだけの名演を成し遂げており、私としては、アシュケナージの芸風を甘口などと言って、その一切を否定してしまうという見解には全く賛成し兼ねるところである。それはさておき、本盤におさめられたR・シュトラウスの管弦楽曲についても、アシュケナージの芸風に適合する楽曲と言えるのではないだろうか。本演奏の特徴を一言で言えば、楽曲の魅力をダイレクトに表現した自然体の演奏ということになるのではないかと考えられる。本演奏においては、特別な個性などは全く存在していない。奇を衒うことなど一切排して、ただただ音楽そのものを語らせる演奏に徹しているとさえ言える。前述のような、楽曲の聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さも見事に功を奏しており、表情づけの巧みさや各楽器セクションのバランスの良い鳴らし方なども相まって、R・シュトラウスによるこれらの各楽曲の美しさ、魅力を、安定した気持ちで心行くまで満喫することが可能な演奏に仕上がっているとも言えるだろう。加えて、チェコ・フィルの弦楽合奏をはじめとした豊穣な音色や、特に、交響詩「ドン・キホーテ」におけるマイスキーによる人間味溢れるチェロ演奏が、演奏全体に独特の潤いと温もりを付加するのに大きく貢献していることも忘れてはならない。いずれにしても、かつて発売されていたシングルレイヤーによるSACD盤は、演奏内容が優れていることに加えて、シングルレイヤーによるSACDによる極上の鮮明な高音質録音であることに鑑みれば、これまでの様々な指揮者によるR・シュトラウスの管弦楽曲集の中でも上位を占める名盤であると高く評価したいと考える。
6 people agree with this review 2011/11/20
ハイティンクの円熟を感じさせる素晴らしい名演の登場だ。ハイティンクは、アシュケナージなどと並んで評価が大きく分かれる指揮者と言えるのではないだろうか。ハイティンクは、全集マニアとして知られ、さすがにハイドンやモーツァルトの交響曲全集は録音していないが、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ブルックナー、マーラー、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなど、数多くの作曲家の交響曲全集のスタジオ録音を行ってきているところだ。既に、80歳を超えた大指揮者であり、近年では全集のスタジオ録音に取り組むことはなくなったが、発売されるライヴ録音は、一部を除いてさすがは大指揮者と思わせるような円熟の名演揃いであると言っても過言ではあるまい。本盤におさめられたブルックナーの交響曲第4番も、そうした列に連なる素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。ハイティンクは、同曲をコンセルトヘボウ・アムステルダム(1965年)、そしてウィーン・フィル(1985年)とともにスタジオ録音を行っており、特に、ウィーン・フィルとの演奏については、オーケストラの美演もあって捨てがたい魅力があると言えるが、演奏全体の持つスケールの雄大さや後述の音質面に鑑みれば、本演奏には敵し得ないと言えるのではないだろうか。ベートーヴェンやマーラーの交響曲の演奏では、今一つ踏み込み不足の感が否めないハイティンクではあるが、ブルックナーの交響曲の演奏では何らの不満を感じさせないと言える。本演奏においても、ハイティンクは例によって曲想を精緻に、そして丁寧に描き出しているが、スケールは雄渾の極み。重厚さにおいてもいささかも不足はないが、ブラスセクションなどがいささかも無機的な音を出すことなく、常に奥行きのある音色を出しているのが素晴らしい。これぞブルックナー演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。悠揚迫らぬインテンポを基調としているが、時として効果的なテンポの振幅なども織り交ぜるなど、その指揮ぶりは正に名人芸の域に達していると言ってもいいのではないか。ハイティンクの確かな統率の下、ロンドン交響楽団も圧倒的な名演奏を展開しており、とりわけホルンをはじめとしたブラスセクションの優秀さには出色のものがあると言えるだろう。いずれにしても、本演奏は、現代を代表する大指揮者の一人であるハイティンクによる円熟の名演と高く評価したい。そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。音質の鮮明さに加えて、臨場感溢れる音場の広さは見事というほかはなく、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。マルチチャンネルで再生すると、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的であるとすら言えるだろう。ハイティンクによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
4 people agree with this review 2011/11/19
シューベルトの室内楽曲の最高峰、それどころかシューベルトによるあらゆる楽曲の最高傑作の一つでもある弦楽五重奏曲ハ長調は、シューベルトの最晩年の心底に潜む寂寥感が随所に滲み出てくるような旋律の清澄な美しさが魅力の珠玉の名品であるとも言える。これだけの傑作であるにもかかわらず、同曲のSACD盤は現在においても存在していないと言えるところだ。特に、第2楽章のこの世のものとは思えないような繊細な美しさは、SACDによる高音質によってはじめてその真の魅力を味わうことが可能と言っても過言ではあるまい。そのような長年の渇きを癒してくれる素晴らしいSACD盤が登場したのは何と言う素晴らしいことであろうか。しかも、マルチチャンネルが付いていることもあって、臨場感溢れる音場の幅広さには出色のものがあり、同曲の美しさ、素晴らしさを望み得る最高の音質で味わうことができるという本盤の意義は極めて大きいと言わざるを得ないだろう。そして、演奏内容も実に素晴らしい。東京弦楽四重奏団に、ベテランのチェロ奏者であるデイヴィッド・ワトキンを加えたアンサンブルは絶妙であり、その息の合った名コンビぶりは、本名演に大きく貢献していると言ってもいいのではないだろうか。また、東京弦楽四重奏団とデイヴィッド・ワトキンによる本演奏におけるアプローチは、曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出して行くというオーソドックスとも言えるものだ。したがって、聴き手を驚かすような特別な個性などは薬にしたくもないが、それでも淡々と流れていく各旋律の端々からは、独特の豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、シューベルトの最晩年の心底にある寂寥感や絶望感をほのかに感じさせてくれるのが見事であると言える。また、東京弦楽四重奏団の各奏者は、世界に6セットしかないと言われているパガニーニ選定のストラディヴァリウスを使用しており、それによって醸し出される独特の美しい音色は、本演奏に独特の潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。併録の、弦楽四重奏曲第12番ハ短調 「四重奏断章」も、東京弦楽四重奏団のかかる美質があらわれた素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。そして、本盤で素晴らしいのは、前述のようにマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。音質の鮮明さ、臨場感など、どれも一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、シューベルトの最晩年の最高傑作である弦楽五重奏曲の東京弦楽四重奏団とデイヴィッド・ワトキンによる素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。
3 people agree with this review 2011/11/13
本盤には、カラヤンがベルリン・フィルを指揮して1970年代はじめにスタジオ録音を行ったメンデルスゾーンの交響曲全集がおさめられている(LPの全集にはおさめられていた「フィンガルの洞窟」がおさめられていないのが残念である。)。カラヤンは、広範なレパートリーを誇る指揮者であり、しかも独墺系の作曲家の交響曲などについては複数の録音を行うのが通例であった。しかしながら、メンデルスゾーンの交響曲の録音は本盤のみに限られており、本盤の登場前は、カラヤンはユダヤ人であるメンデルスゾーンを忌み嫌っているなどと言った根も葉もない噂を立てられたものであったのだ。しかしながら、本盤におさめられた演奏を聴く限りにおいては、メンデルスゾーンの交響曲との相性はむしろ良かったのではないかと思えるような素晴らしい名演に仕上がっていると言える。カラヤンが、その後二度とメンデルスゾーンの交響曲を録音しなかったのは、カラヤン自身も本演奏の出来に満足していたからに他ならないと言えるのではないだろうか。本演奏の録音当時は、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代であり、鉄壁のアンサンブル、分厚い豊麗な響きの弦楽合奏、ブリリアントな金管楽器、桁外れのテクニックを誇る木管楽器、そして雷鳴のようにとどろくティンパニなどが一体となって、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。本演奏においてもそれは健在であり、その上にカラヤンは優雅なレガートを施し、メンデルスゾーンならではの透明感溢れるみずみずしいオーケストレーションを、これ以上は望めないほどの美麗さで歌い抜いているのが素晴らしい。楽曲毎に寸評を行っていくと、第1番について、おそらくは同曲演奏史上最も荒々しさを感じさせるような凄みのある迫力満点の豪演を展開していると言えるだろう。そして、第2番の壮麗な響きは圧倒的な迫力を誇っており、これはオペラを得意とするカラヤンの真骨頂ともいうべき雄渾なスケールの名演に仕上がっていると言える。スコットランドは、とある影響力の大きい某評論家によって不当に貶められている演奏である。私としても、某評論家が激賞するクレンペラー盤(1960年)を名演と評価するのに躊躇はしないが、それに匹敵する名演として本演奏も高く評価したい。冒頭の序奏部は、クレンペラーに負けないくらいの深沈たる抒情に満ち満ちているし、主部に入ってからの心湧きたつ旋律の歌わせ方も絶妙だ。第2楽章は某評論家が批判するように快速のテンポ設定であるが、それはクレンペラーと比較してのこと。他の演奏と同様のやや速めのテンポで曲想を巧みに描いて行く。第3楽章は素晴らしい音のドラマ。ゆったりとしたテンポによる悠揚迫らぬ歩みは、実に感動的だ。終楽章のラストでの壮大な盛り上がりも、この名演を締めくくるのに相応しい圧倒的な迫力を誇っていると言える。イタリアは、決して急ぎすぎない中庸のテンポで、カラヤンならではの優雅なレガートを駆使した気品ある名演に仕上がっている。宗教改革は、後年にパルシファルの至高の超名演を成し遂げるカラヤンならではの神秘感漂う壮麗さに満ち溢れた至高の超名演だ。いずれにしても、メンデルスゾーンの交響曲全集は、一般にはアバド&ロンドン交響楽団やドホナーニ&クリーヴランド管弦楽団による全集の評価が高いが、私としては、本カラヤン盤を随一の名全集と高く評価したいと考える。音質は従来CD盤でも十分に満足できる高音質であったが、数年前にカラヤン生誕を記念して発売されたSHM−CD盤は、音質の鮮明さといい、音場の広がりといい、素晴らしい水準の音質であったと言える。しかしながら、当該盤は現在入手難であるが、カラヤンによる至高の名演でもあり、今後はSHM−CD盤の再発売、さらにはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化への取組を大いに求めておきたいと考える。
4 people agree with this review 2011/11/12
本盤の売りは、同じくエクストンレーベル(オクタヴィア)から発売されたアシュケナージ&チェコ・フィルによるR・シュトラウスの管弦楽曲集の名演盤(1998年)と同様に、何と言ってもシングルレイヤーによるマルチチャンネル付きのSACDによる臨場感溢れる極上の音質のあまりの素晴らしさであろう。数年前には殆ど絶滅の危機に瀕していたSACDであるが、2010年よりユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化シリーズ開始したことや、EMIが2011年よりSACDに参入したことによって、急速に息を吹き返しつつあると言える。ネット配信が隆盛を極める中で、パッケージメディアの最後の砦はSACDと考えるところであり、今後とも、大手メーカーが引き続きSACDの発売を積極的に行っていただくことを強く要望しておきたいと考える。ところで、ユニバーサルやEMIによるSACD盤は、その殆どはマルチチャンネルが付いていない2チャンネル方式となっている。SACDが発売された当初はマルチチャンネルが売りであっただけに、SACDの復活は嬉しい反面で、いささか複雑な思いがしているところでもある。オクタヴィアも数年前からマルチチャンネル付きのSACDの発売を取りやめてはいるが、本盤のような圧倒的な高音質SACDを聴くと、このままマルチチャンネル付きのSACDが衰退していくのは大変惜しい気がするところだ。マーラーの交響曲のような立体的とも言うべき豪壮華麗なオーケストレーションの魅力を満喫するためには、何と言ってもマルチチャンネル付きのSACDは必要不可欠とも言えるところであり、マーラーの交響曲第9番のマルチチャンネル付きのSACD盤が、他にはシャイーなどの一部の演奏に限られていることに鑑みても(バーンスタインの旧盤は3チャンネル)、本盤の価値は極めて高いと言わざるを得ないのではないかと考えられる。演奏内容については、マーラーの交響曲の中でも最も奥深い内容を湛えた第9番だけに、必ずしも 名演との評価をすることは困難と言えるかもしれない。もっとも、並み居るスタープレイヤーが揃ったチェコ・フィルによる名演奏も相まって、後述のようなアシュケナージによる音楽そのものを語らせる指揮ぶりが、マーラーの交響曲第9番の魅力を浮かび上がらせることに成功しているとも言えるところであり、少なくとも佳演の評価は可能であると言えるのではないだろうか。本演奏の特徴を一言で言えば、楽曲の魅力をダイレクトに表現した自然体の演奏ということになるのではないかと考えられる。本演奏においては、特別な個性などは全く存在していない。奇を衒うことなど一切排して、ただただ音楽そのものを語らせる演奏に徹しているとさえ言える。楽曲の聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さも見事に功を奏しており、表情づけの巧みさや各楽器セクションのバランスの良い鳴らし方なども相まって、マーラーの交響曲第9番の美しさ、魅力を、安定した気持ちで心行くまで満喫することが可能な演奏に仕上がっているとも言えるだろう。いずれにしても、本盤は、演奏内容としては佳演であるが、シングルレイヤーによるマルチチャンネル付きのSACDによる臨場感溢れる極上の鮮明な高音質録音であることに鑑みれば、総体として★4つの評価が至当ではないかと考える。
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