TOP > My page > Review List of ココパナ

Review List of ココパナ 

Showing 46 - 60 of 157 items

%%header%%

%%message%%

  • 1 people agree with this review
     2021/07/07

    目の覚めるような快演奏、快録音。ブリテンが作曲家として世界的な名声を上げるのは、1945年の歌劇「ピーター・クライムズ」以降であるが、それ以前の1938年の作品であるこのピアノ協奏曲もたいへん立派な作品。おそらくこの時代のヴィルトゥオーゾ型協奏曲の代表格を言えるものだろう。 ブリテンの作風は多様性に富み、伝統的な部分、民族的な部分、現代的な感覚が一つの曲の中にミックスして現れてくることがよくある。このピアノ協奏曲もそのような作品。それでもブリテンの「基本的に中庸を重んじる」スタイルであることから、音楽的な効果は保守的な印象で、この時代の作品とは思えないほど調性主義的。第1楽章の冒頭、オーケストラの一撃から突如始まる疾走のような音楽は、どこかラヴェルのピアノ協奏曲の冒頭を思わせる。第2楽章は沈滞なワルツであるが、ピアノより先に独奏ヴィオラが音色を奏でるところなど、ブラームスを彷彿とさせる。第3楽章は「即興曲」と題した多彩な変奏曲で、これに続く終楽章が「行進曲」なのは、いかにもイギリスの音楽だと思う。エルガーをちょっと思わせるところもある。 「レチタティーヴォとアリア」は、このピアノ協奏曲が発表された当時第3楽章として置かれたもの。のちにブリテンはこの楽章を、現行の「即興曲」と置き換えた。聴き比べてみると、やはり、改訂後の方が充実した音楽になっていることがわかる。「若きアポロ」は勇壮で親しみやすい音楽。最後に収録された左手のピアノと管弦楽のための「ディヴァージョンズ」は片腕のピアニストヴィトゲンシュタインのために当時の作曲家たちが遺した作品群の一つで、曲は13の細かいパーツにわかれている。1曲1曲多彩な作曲技法が楽しめる。「夜想曲」と題された一説など、たいへんロマンティックで美しい。 オズボーンのピアノソロが凄い。圧巻のテクニックを駆使して、技巧的なパッセージはきわめ速いスピードで正確に弾き抜いている。楽曲そのものが推進性によって造形をキープする要素が強いので、しまった響きが音楽をわかりやすく、ポジティヴなものにしている。オーケストラも曲想に鋭く呼応しており、両者ともノリにのった演奏だ。これらの曲の決定的録音と思う。

    1 people agree with this review

    Agree with this review

  • 0 people agree with this review
     2021/07/07

    北海道出身の伊福部昭であるが、以前、札幌交響楽団は伊福部作品を取り上げることは少なかった。むしろ作風としては対照的といってもよい武満徹(1930-1996)が、このオーケストラの音色を気に入り、札響も武満の作品を多く演奏した。転機が訪れたのは、伊福部昭(1914-2006)の生誕100年となる2014年のことで、札幌交響楽団も伊福部の作品を取り上げ、その録音はキングレコードの「伊福部昭の芸術」シリーズに加わることとなった。この年に開催された札幌国際芸術祭では、旧北海道庁舎(赤レンガ)では、伊福部昭展が開催され、この偉大な作曲家の生誕100年に花を添える形となった。私も展示を訪問したが、多くの人が伊福部の自筆譜や手紙に見入っており、この芸術祭を通じて、作曲家“伊福部昭”を再認識した人も多かったに違いない。そのような流れの中で、北海道出身で伊福部の弟子である藤田崇文が指揮をつとめたこのトリビュート・アルバムがリリースされた。これが既出の札幌交響楽団による伊福部録音とはまた雰囲気の違った、血沸き肉躍るといった祭典的な内容で、しかもオーケストラがノリノリで演奏しているのが抜群に楽しい一枚となった。「JOHR、JOHR、こちらは北海道放送でございます」。このコールのフレーズは、北海道在住者であれば多くが聴いたことがあるHBC放送が使用するもの。北海道民放を先駆けた同放送の第一声に併せて鳴るテーマ音楽は伊福部が書いたものだ。伊福部が生涯大きな関心と共感をもったアイヌの文化、その舞踏をイメージした楽曲である。当CDでは、コールサインに続いてオーケストラ版の同曲が導入役を果たす。そして、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアンといった同時代の祭典的でエネルギッシュな音楽が続く。伊福部も影響を受けた人たちの音楽だが、今回は中でもド派手といってよいナンバーがよりすぐられている。藤田崇文の交響詩「奇跡の一本松」は、元来震災復興の祈念で書かれた吹奏楽曲。このたびオーケストラ編曲版となったわけだが、伊福部の映画音楽にも通じる土俗性、民俗性を感じさせる土臭い音楽で面白い。さらに芥川の傑作、真島の名吹奏楽曲を管弦楽版にした「波の見える風景」と続くが、札響が、いつにないほどの華やかな響きを披露しており、このオーケストラは、こんな音色のパレットも持ち合わせていたのだ、と感心させられる。そして、伊福部の代名詞とも言える怪獣映画の劇伴をベースとした諸作が続くのだが、これがまた素晴らしい迫力だ。これらの楽曲をプロのクラシック・オーケストラが演奏したらどうなるかを示したものとも言える。これまでも、広上淳一が日本フィルを指揮した録音などもあったのだが、当札幌交響楽団の演奏は、録音が生々しく、かつホールトーンの効果も豊かな上に、藤田の指揮による金管、打楽器の表出力がすさまじく、どよもすような迫力だ。そしてトドメは藤田がこのたびのために書いた「北の舞 〜もしもゴジラが北海道に上陸したら〜」である。ゴジラの接近を示すパーカッションの強打、ゴジラの叫びが加わって、そこから伊福部のゴジラのテーマとソーラン節が入り乱れた熱狂的な音楽が繰り広げられる。曲が終わるや否や大喝采もむべなるかな。そして、閉幕もコールサインでとしゃれた演出。確かに派手一辺倒といったところで、音楽の俗な部分で押し通したような感はあるのだが、ここまでぶっちぎってくれれば、文句も筋違いといったところ。ただただ「恐れ入りました」の一語といったところでしょうか。お見事でした。

    0 people agree with this review

    Agree with this review

  • 2 people agree with this review
     2021/07/07

    話題となった録音で、今も人気があるのは承知しているが、個人的には、数回聴いて、ダメだった。最近、もう一度聴いてみたのだが、やはり私の好みではなかった。とにかく情念たっぷりで、マーラーをおもわせる爛熟の表現で、オーケストラはスローなテンポで切々と泣かせ節を歌い上げるのだが、旋律の性向とあわさっての「ど演歌調」が、私の肌に合わない(すいません、演歌が苦手なもので・・・)。弦のこれでもかとういたっぷりしたポルタメントも、思いっきりコブシの利いた歌みたいで、もう、付いていけない。もちろん、こういう解釈や、表現があっても全然いいと思うのですが、これらの曲の演奏として、好きか嫌いか、で問われれば、私は、残念ながらダメですね。ちなみにこれらの楽曲で私の好きな録音は、ルガンスキー/A.ヴェデルニコフ盤、アックス/マッケラス盤、ネボルシン/ヴィット盤です。興味のある方は、聴き比べてみてください。

    2 people agree with this review

    Agree with this review

  • 0 people agree with this review
     2021/07/07

    スリランカ人の両親を持つモナコのピアニスト、シャニ・ディリュカによる「アメリカ・ピアノ作品集」。ピアニストの遊戯的志向の感じられる企画。この芸術家の技量全般を推しはかるものとは言い難いけれど、逆に、それゆえの魅力が横溢した、とってもステキなアルバムになっている。それに、ディリュカというピアニスト、ジャケット写真などみてもなかなかエスニックな美人で、風貌も魅力的。末尾に収録されているコール・ポーターの「恋とはなんでしょう」では、フランスの歌手、ナタリー・デセイがヴォーカルを務める。ちなみに「アメリカ・ピアノ音楽集」とはなっているが、オーストラリア出身のグレインジャーや、アルゼンチンの作曲家、ヒナステラの作品なども含まれているので、そちらの「しばり」は緩い印象。これらの作品に共通するのは、描写的な音楽である、ということ。どこか静かで、美しい雰囲気に満ちている。憧憬的で、小さいころに見た原風景を思い出すような音楽。夏の暑い日に、木陰から、青空に浮かぶ真っ白な雲を、時間のすぎゆくままに見ていた、あの日を思い返すような・・・。ジョン・アダムズ、フィリップ・グラスはいずれもミニマル・ミュージック作家として知られる存在。冒頭のアダムズの曲は、情緒的な雰囲気と、ミニマル的な進行を併せ持った環境音楽的な美観を持っていて、このアルバムの導入に相応しい。ブラウザ・ゲームのサントラのような響きにも聴こえるが、情緒的な含みが深く、色合いが豊か。グラスのエチュードでは響きそのものの美しさが抜群。グレインジャーの子守唄は同音連打の印象的な作品。エヴァンスの名作、ワルツ・フォー・デビイはクラシックのグラウンドを持つ弾き手にも取り上げられる機会が多くなったが、ディリュカは、ここで適度な自由さのあるアプローチで、当意即妙な味わいを示してくれる。楽しい。バーバーとビーチの似た気配を持つ作品を続けて配列するところも、奏者のセンスを感じさせる。暖かな楽想がよく映える。ケージという作曲家の名前に、思わず身構えてしまう方も多いのではないだろうか?だが心配無用。とても美しい曲。こういう音楽も書ける人だったんですね。ドビュッシーの「かくて月は廃寺に落つ」を彷彿とさせるような、印象的な退廃性、耽美性があります。ガーシュウィンの2曲が美しい。いずれも他者による編曲ものであるが、原曲の彩を巧みに活かした編曲で、適度なスイング感のある聴き味が絶妙。ヒャンキ・ジューの逸品も多彩な音で楽しめます。そして、エヴァンスのもう1曲、「ピース・ピース」は、このアルバムのハートとも言える曲で、前述した「少年の日の、夏の思い出」に浸る様な味わい。最後にデセイが加わって、「恋とはなんでしょう」が歌われますが、なかなか雰囲気が大きく変わるので、ややびっくりしますが、聴いているうちに、その音世界に惹きこまれてしまうから不思議。ディリュカの伴奏もうまい。

    0 people agree with this review

    Agree with this review

  • 0 people agree with this review
     2021/07/07

    たいへん聴き味が軽やかでしなやかな演奏。全体的な解釈は、とても良心的で、かつ現代的なものであると感じられる。オーケストラの編成は大きくも小さくもないが、音響は整理が行き届き、特に木管の音色の浮き立つような美しさは印象に残るし、どこをとっても、きれいに分離されていて淀みがない。フレーズの一つ一つが、細やかな表現を突き詰めた形をしていて、そのプロポーションは整っている。独奏ピアノも、音の混濁を避け、風通しの良い、ある意味室内楽的な距離感を感じさせたアプローチと言える。その結果、特に緩徐楽章では、隅々まで光の行き渡った鮮明な情景が繰り広げられ、清々しい緑の中を行くような気持にさせてくれる。冒頭に収録された第2番の軽やかな運動美は忘れがたい爽快さだし、第4番の絹を思わせるトーンも魅力いっぱい。その一方で、これらの演奏は、もう一つ踏み込んだ燃焼性の少なさという点で、一つのベートーヴェンらしさが不足している、というところもあるだろう。全般にテンポの早い祭典的な終楽章では、もう一つギアアップするような興奮が控えられるため、聴き手によっては、物足りない、と感じることもあるだろう。しかし、それを踏まえてあえて確信犯的なアプローチではあろう。そのような知的なセンス、そして、皇帝協奏曲の冒頭のカデンツァに特徴的な「刻み」を意識させるフレージングなどから、同じハンガリーの名ピアニスト、シフの演奏を彷彿とさせた。ヴァーリョンのスタイルは、さらにコンパクトな透明性を感じさせる。清涼な味わいで、心地よく楽しめるベートーヴェンとなっている。

    0 people agree with this review

    Agree with this review

  • 3 people agree with this review
     2021/07/07

    アシュケナージは、その活動期の終盤に、バッハの主要なクラヴィーア曲を録音した。もう、だいぶ昔になるけれど、アシュケナージはインタビューで、「なぜバッハを弾かないのか?」と問われて、「グールドみたいに弾けないからね」と質問者を軽くいなしていた記憶があるのだが、そんなアシュケナージが、人生の時間を重ねる中で、バッハのクラヴィーア曲に向き合い、そして録音したことは、今思い返してみても、大変感慨深いことである。そして、それらの録音はいずれも素晴らしかった。それこそ、私にあらためて「クラシック音楽は本当に奥が深い」と感じさせてくれるような。。。。。最初の一音(その適度な柔らかさと暖かさをたたえた慈しむような音色)に触れたとたんに、ただひたすら音楽の喜びの世界となる。テンポはややゆったりめ。そして柔和でありながら決して線がくずれずに、音楽の自然な流れが人工的な介錯物をまったく不要とせずに、ただそこにある。第2番の前奏曲、豊かな響きでシンフォニックに、短調の悲しい音色にぬくもりが加わり、かつて感じた事のない暖かさを感じる。第3番のパッセージも速いが弾き飛ばすわけではなく、一つ一つの絶対音があるべくいしてそこにある安心感がある。かつ聴いていてこよなく楽しい。第4番の深い色合いは「敬虔」というキーワードについつい思いを馳せてしまう。。。第5番のなめらかな自然さ。。。第6番の3連音の表情付けの見事さ。。。全48曲からなる平均律を収録したこのアルバムは、5千枚以上のクラシックCDを所有していた私にとっても、「特別なもの」になった。

    3 people agree with this review

    Agree with this review

  • 0 people agree with this review
     2021/07/07

    当盤は、2013年録音のソナタ第14番、第19番と、2002年録音で既発売だったソナタ第20番を第21番を併せて2枚組としたもの。別に後年の再編集版というわけではなく、発売時からこの体裁さったた。2002年録音の2枚目については、廃盤だったとはいえ、既出ディスク(HMC901800)とまったく同じ内容。私は既出盤を所有していた。そのため、【CD1】の内容が欲しいばかりに、2枚組アルバム分の価格を、改めて支払わされることになった。これは、消費者心理として納得が行かない。そういった点で、mp3ダウンロードは有利である。しかし、製作側としては、CDというメディア商品を売り上げた方が、収益性は有利なはず。そういった点で、当盤の規格について、私は製作側の意図がまったく理解ができない。ただし、収録されている内容は素晴らしい。第14番と第19番については、再録音となるのだが、以前の録音にさらなるスケール感を加え、その悲壮感、悲劇性がより深い相貌で刻まれている。緩徐な部分の、孤独を象徴する影を伴ったような、絶妙な陰影など、このピアニストのシューベルトだからこそ聴ける味わい。一陣の疾風のように吹き荒れる第19番の終楽章、それは、いつ果てるともしれない付点のリズムが、壮絶な美しさと、時に狂気を思わせる鋭利さを伴って、力強く流れていく音楽となっている。まさに圧巻の一語。現代聴きうる最高のシューベルトと言ってもいい。2002年録音の第20番と第21番も素晴らしい。心地よいホール・トーンを保って、暖かい色合いで微細な表情変化を伴って、楽曲が奏でられる心地よさは無類。そういったわけで、第20番と第21番の既発ディスクをお持ちでない方には、私は当2枚組CDアルバムを、迷うことなく推薦できる。しかし、一つの商品として、当該品の商品価値としての評価を考えた場合、前述の問題が大きすぎるため、その分評価は下がる。

    0 people agree with this review

    Agree with this review

  • 1 people agree with this review
     2021/07/06

    当盤は、トーマス・ファイとハイデルベルク交響楽団によるハイドンの交響曲全集プロジェクトの中で別個に録音されたものを、抜粋して編集したものであるが、第101番のみ、コンサートマスターであったベンジャミン・シュピルナーが指揮を担っている。なぜそのようなことになっているかと言うと、全集企画に完遂が見えてきた頃、まったく予期していなかった悲劇が襲ったためである。2014年、ファイが自宅内で転倒して重症を負い、指揮活動の継続が困難となってしまったのだ。そのため、シュピルナーが、当盤中の時計交響曲を含む未収録作品について、指揮を担って、現在プロジェクトの完遂を目指している(シュピルナーの起用は暫定的で、ヨハネス・クルンプが引き継ぐとの報もある)。交響曲101番の演奏を聴くと、そのことに思いを馳せて、様々なことを感じてしまう。ファイ自身と関係者の無念は如何ばかりかと思うが、一音楽ファンとして、再起を願いたい。さて、録音内容であるが、なかなか素晴らしいハイドンの交響曲集である。シュピルナーが継いだ101番も含めていずれも気持ちよく、ハイドンの音楽がもつ真摯な古典性を堅牢かつ闊達に表現したものだ。おそらくファイのハイドンに関する表現方法がオーケストラの団員の血肉に染みついているのだろう。そう思わせてくれる。オーケストラは、現代楽器をベースとしながらホルン、ティンパニ、トランペットにはピリオド楽器を用いた編成で、ファイの指揮はノン・ヴィブラートを主体とするピリオド奏法を応用している。両端楽章の急速部分がアグレッシヴでスピーディーなこと、メヌエットでは、トリオをゆったりと響かせ、楽曲の規模を大きく感じさせることなどが特徴と言える。緩徐楽章や序奏部は、ノン・ヴィブラートゆえの硬さや重さを感じさせてしまうが、表現としては一貫しており、楽しい聴き味がある。ハイドンのユーモアに対しては、人によってはやや真面目過ぎると感じるかもしれないが、古典の名作を聴くと言う点では、それは落ち着きと捉えることも出来るし、少なくとも私はその解釈を十分に好意的に感じる。印象の強さで言うと、まず第99番。第1楽章におけるこまやかなフレーズの生気に溢れた表現が抜群で、スリリング。終楽章の疾風のような鮮やかさも忘れがたく、この交響曲が名作であることを再認識させてくれる。第97番も大成功。特に両端楽章の鮮やかな推進性は、豊かで、内発的なエネルギーに溢れている。ハイドンの交響曲がもつ勇壮な要素に焦点を当て、そのまま力強く押し切ったもので、多少粗くなったり、ウィットの要素が減じられたりするのは承知の上で、ドイツ的なエネルギーを充填し、開放している。その聴き味は、ベートーヴェン的な熱の発散を感じさせる。交響曲第100番は木管の発色性豊かな演奏が心憎いほど効果を上げている。なるほど、この交響曲には、このような表現方法もあったのか、と感嘆させてくれる。前述の通りシュピルナーが代行した第101番も素晴らしい名演だ。中間2楽章は、気持ち表現が穏当になっているかもしれないが、それは先入観がもたらした悪戯なのかもしれないし、そうでなかったとしても、聴き味を損なう要素ではなく、むしろ古典的なバランスが貴ばれたとも感じられる。第102番の緩徐楽章のエッジの利いた表現と比較すると、スタイルの違いがほんの少しある。第93番、第96番、第98番、第100番は、序奏やテンポの遅い部分で、やや硬さがめだち、時々音色が無表情になるところがあるが、それはピリオド奏法ゆえの必然であり、解釈の前提ゆえに許容すべき部分であろう。むしろ、快活な部分とのメリハリが強調されたと肯定的に捉えた方が、楽しく聴けるだろう。第103番のティンパニは意外と保守的な表現だが、これも全体的な解釈から導かれたものだろう。当演奏では、第2楽章の愉悦性に満ちた変奏が肝要なところとも感じられる。シリーズ最初のころに録音された第94番、第104番は、ハイドンの交響曲のうちでは最も効き馴染まれた2曲だろう。それらの録音で、すでにファイの主張は明瞭だ。活力豊かで、本格的で、両端楽章はエッジの利いた輝かしい響きでグイグイと引っ張る。その前進性がなによりの特徴だ。結果として、ハイドンのこれらの交響曲を、まるでベートーヴェンの作品であるかのように、勇壮に鳴り響かせていることに成功している。ファイが全集途中で舞台を退いたのは無念この上ないが、シュピルナーもしくはクルンプとこの素晴らしいオーケストラが、全集を完結することを切に望む。

    1 people agree with this review

    Agree with this review

  • 0 people agree with this review
     2021/07/06

    「展覧会の絵」ばかりが異様に有名なムソルグスキーであるが、彼が生涯で60編あまり手掛けた歌曲は、重要な作品群であり、ロシア国民楽派を代表し、ドビュッシーをはじめとする印象派の作曲家たちにも多大な影響を与えた。音楽史上も重要なもので、かつ内容も濃く、聴きのがせないものだと思う。貧困や病苦を背景とした暗い詩が多いが、ムソルグスキーの描いた重々しさは、時に壮麗荘厳であり、音楽芸術として気高いクオリティを示す。そして、それらの歌曲をまとめて聴くことが出来るものとして、当盤は、最初に指折りたくなるアイテムだ。CD4枚を費やして、66曲の歌曲を、現在世界を代表する名バリトン、レイフェルクスの歌唱で聴くことができる。レイフェルクスの歌唱は、概して、太く重心が座った美声である。声量の豊かさを背景としたレガートの線の確かさは、ロシアの広大な大地を彷彿とさせる。一方で、歌曲集「子供部屋」では、特徴的なファルセット唱法により、子供の声を示唆した歌唱を繰り広げ、その多芸ぶりにも驚かされる。(ただ、この「子供部屋」は、少々やり過ぎの感もなくはないが)。代表的な作品としては、「死の歌と踊り」「蚤の歌」が挙げられるが、説得力に富んだ輝かしく力強い歌唱だ。「蚤の歌」では、そこにある種の軽妙さも含まれるが、歌曲の性格を積極的に打ち出す歌唱は印象的だ。個人的には「ラヨーク」「風は激しく吹く」「夜(CD4)」なども、楽曲の性格と、レイフェルクスの歌唱ががっちりかみ合った無二の名演といえる。ピアノ伴奏のセミョン・スキーヒンを私はこの録音で、たぶん初めて聴いたのだと思うが、手堅く、適度な主張のあるよい伴奏だ。ムソルグスキーの歌曲群を、このレベルで一通り録音してくれたのはありがたい。また、当盤では、余白にヴォフカ・アシュケナージの奏でるピアノ独奏曲が8曲収録されている。暖かな音色で、チャイコフスキーふうであったり、印象派を思わせるところがあったりで、歌曲よりいくぶん雰囲気のやわらいだ音世界が形成されており、アルバムの末尾を締めるのに、良いサービスだ。

    0 people agree with this review

    Agree with this review

  • 0 people agree with this review
     2021/07/06

    強く、美しく、そして苛烈さも交えて描かれたベートーヴェン。彼らのスタイルの特徴が強く出た1曲が、第7番だと思う。特に中間2楽章が出色で、第2楽章は時に敢えて粗削りな音を演出しながら、激しく曲想の内奥に切れ込むような演出が激しい。またそれに続く第3楽章は痛切さと緊迫感があいまって、ベートーヴェンが書いた緩徐楽章の一つの究極とでも言える芸術的示唆が、深く描き出されている。4人の独奏者は、互いの主張を弱めることなく、しかし一つの表現形に基づいた意志を統一させ、緊密性の高い音楽をドラマティックに解き放っており、その熱量は圧巻。第10番では、タカーチ四重奏団の調和的な名演と比べると、はるかにエッジの利いた表現を多用し、聴き手によっては、必要以上に荒立っている感もあるかもしれないが、その力強さは音楽的に吟味されたもので、エネルギーに溢れている。第15番の緩徐楽章における祈りは感情的な膨らみをもって描かれ、第16番のスケルツォは、この楽章の新規性を強調した積極性に貫かれている。初期の曲にも中後期のような重厚感がもたらされているのもベルチャ四重奏団の演奏の特徴の一つ。第5番の第3楽章のスケールの大きな楽器間の交換の様は、その後のベートーヴェンの足跡を知る私たちには、とても説得力のある表現として感じられるだろう。初期、中期、後期、いずれの楽曲においても、ベートーヴェンの芸術にふさわしい恰幅と厳しさをもって奏でられる。

    0 people agree with this review

    Agree with this review

  • 1 people agree with this review
     2021/07/06

    ベルチャ四重奏団のベートーヴェンは、果敢だ。強弱のダイナミクス、そしてフレージングの劇的な扱いとともに、時にかなり早いテンポを選び、緊迫したドラマを内包する。また、中間楽章のうち、緩徐楽章ではない方(通常メヌエットやスケルツォ)の楽章に、深刻な諸相を感じさせることも、彼らの演奏の特徴の一つであろう。ベルチャ四重奏団の演奏では、例えば第6番は、第3楽章のしっかりとした構築性を経て、第4楽章の序奏に当たる深遠なアダージョに移る過程が、すでに後期のベートーヴェン像を示唆していることが明瞭だ。そこでは、幽玄な雰囲気を醸し出されている。「速さ」が特に凄みを見せるのは、第9番の終楽章や第11番の第1楽章であろう。第11番は、疾風と称したい勢いの中で、細やかなアクセントが取り交わされ、きわめて濃密な音楽が表現されており、見事の一語だ。ベートーヴェンの音楽でしばしば形容される「精神性」と称されるものが演奏を通じて表れていることを強く感じる。第14番は、レガート表現の扱いの巧みさによって、全体の流れがすみやかでかつ引き締まったものとなっており、その結果、中間部に重ねられる内省的な色味が相応しい格調を感じさせて素晴らしい。この名品にふわさしいアプローチ。第1番や第4番のような初期の名作においても、フレーズに込められた情感を美しいアヤで織り込んだ深みがあり、中後期の作品群に劣らない聴き味の豊かさが醸成されている。合奏音の力強さは圧巻であるが、一方で各楽器のソロ・パートにおいてはレガートの扱いが綿密に設計されており、その結果、ソロ・パートが全体の起伏の滑らかさを意識させ、合奏音がきわめて強い表出性で、音楽の意志を伝える。その演出は、彼らのベートーヴェンにおいて、一貫性あるものとして感じ取られる。当録音の個性的な面とも言えるだろう。必要な個所では存分に鋭利さを発揮する弦の艶やかな響き。その響きがもたらす強靭な劇性に、ベートーヴェンの刻印を感じさせる。

    1 people agree with this review

    Agree with this review

  • 0 people agree with this review
     2021/07/06

    2009年から2012年まで、シドニー交響楽団の首席指揮者兼音楽アドバイザーを務めたアシュケナージが、同期間に録音した「ロメオとジュリエット」全曲。アシュケナージは1991年にロイヤルフィルと一度全曲録音を行っているので、当盤は20年振り二度目の録音となる。ロイヤルフィルとの録音も好演だったが、このたびの再録音は、一層音楽に力が漲り、かつ抜群の見通しが行き届いた大快演となった。全曲に渡って魅力的な旋律と音色に満ちた作品であるのだが、一方で、一部の楽曲のみが組曲版や抜粋版を通して、親しまれている状況もある。しかし、これらの組曲や編曲から漏れた部分にも、いやもれた部分にこそ、プロコフィエフらしい色彩感や奇抜なアイデアがあり、人を夢中になって楽しませてくれるものがあるのではないだろうか。ぜひ、この音楽を楽しむなら、全曲で楽しんでほしいと思うし、そんなとき、このアシュケナージ盤は、ベストと言って良い。当盤の客観的特徴として、録音の優秀さを挙げておきたい。この楽曲では、様々な楽器がソロを務め、そのサウンドを堪能させてくれるのだけれど、このディスクの音のリアリティーは格別で、ファゴット、クラリネットといった木管楽器、あるいは「バルコニーの情景」におけるオルガン、「マンドリンを手にした踊り」のマンドリンなどのような特徴的な追加楽器の音が、実に生々しく録られている。少し近めの距離感も、リアルな感触に好作用しており、肯定的に捉えたい。金管やティンパニの幅のある勇壮な迫力も凄い。さらには、その見事な録音をベースとした音楽性豊かな演出が素晴らしい!2枚目のディスクに収録されている「第2幕の終曲」をお聴きいただきたい。決然たるテンポに導かれ、打楽器群と木管陣の鋭角的な響きに導かれ、ブラスが多重に響きを重ねていく迫力と爽快感に、思わず圧倒されてしまうだろう。録音が美麗なことと、的確に楽器本来の音色を引き出したコントロールによって、絶妙なインパクトが得られている。思わず「こうでなくちゃ!」と膝を打つような心地よさだ。一方で高名な第3幕の「ロメオとジュリエット」におけるガラス細工のようなフルートの孤高の響きも忘れがたい。この演奏を可能としたドニー交響楽団の技術力と機能性の高さも特筆したい。全体的に、純管弦楽的に扱われながらも、バレエ音楽としての躍動感や色彩感に満ちあふれた名録音です。

    0 people agree with this review

    Agree with this review

  • 1 people agree with this review
     2021/07/06

    ジャナンドレア・ノセダは、BBCフィルハーモニックを指揮して、2010年から2015年までの6年間で、イタリアの作曲家アルフレード・カゼッラの一連の管弦楽作品を録音したのであるが、そこから交響曲3曲と管弦楽組曲2曲をセレクトした2枚組に再編集されたものが当アイテム。作曲家で音楽学者であったカゼッラは、作曲をフォーレに師事した。また、ヴィヴァルディを研究し、その作品を世間に啓蒙することに大きな役割を果たした人物である。カゼッラの作品は、器楽のためのものがほとんどで、イタリアではレスピーギとともに管弦楽作品の大家であると言って良い。しかし、その作品が録音や演奏で取り上げられることは多くない。しかし、このような、陽の当たり損ねている作品に、的確なスポットライトを当てるのは、ノセダの得意とするところ。演奏、録音ともに優れた当録音の出現は画期的。さて、ではカゼッラの作風はいかようなものか?1883年生まれであるから、新ウィーン楽派と同年代ということになるのだけれど、彼の作品にはそのような要素は感じない。言ってみれば「新古典主義」。そして、おもしろいのは、聴いていると、いろんな作曲家の作品の断片が聞こえてくるところである。形容するなら「折衷主義」だろう。そして、オーケストレーションはそれこそレスピーギを思わせる重厚な華やかさを持っているのだ。とにかく、学術的な嫌味がない。ダークな表現をする個所もあるが、その背景におもわぬ楽天性が潜んでいて、深刻とまで感じさせない。例えば、第1交響曲の第1楽章では、ムソルグスキーを思わせる暗い情緒を伴った冒頭部を持つが、これがいつの間にか活発で行進するかのような音楽に変わり、映画音楽のような華やかなクライマックスへと進む。中間2楽章はロシア的なメランコリーを感じさせるいかにも中間楽章であるという佇まいで、これがチャイコフスキー的ともいえる終楽章への「力をためる部分」となっている。この「作り」も古典的。交響曲第2番は随所にマーラーを思わせる音型が顔を出すから、マーラーが好きな人にはとにかく楽しいはずだ。野趣性に満ちた部分でも、牧歌的な部分でも、あちこちでマーラーのテイストが表出する。実際、この作品を手掛けているころ、カゼッラはマーラーと会っているのだ。ブルックナーの第3交響曲を「ワーグナー」と呼ぶなら、カゼッラの第2交響曲は「マーラー」という呼び名がふさわしい。交響曲第3番にもマーラーの気配は漂うが、いくぶん平和な穏やかさが支配するようになる。カゼッラの作品は、以上のように、聴いていて楽しいのだが、「でも結局カゼッラらしさって何?」という疑問はどうしても残ってしまうだろう。私が感じたのは、やはり重厚壮麗なオーケストレーションの技術が、カゼッラのなによりの顔のように感じられる。それは作品の主張として、「核」となるものではないのかもしれないが、しかし、カラーとしてはなかなか魅力にあふれたものではある。そもそもカゼッラの折衷主義というものが、私たちの判断を越えた、彼のポリシーなのかもしれないとも思う。師のフォーレとは似つかないが、様々な作曲家の要素を組み合わせて自分のものとするカゼッラの作品には、思いもかけない深さがあるのかもしれない。ノセダの優れた演奏を聴いて、私たちが楽しいと感じるのだとすれば、それが何にもまさるカゼッラの存在証明なのかもしれない。

    1 people agree with this review

    Agree with this review

  • 0 people agree with this review
     2021/07/06

    最大の目玉は、世界初録音となる「葬送の歌」。この楽曲は、ストラヴィンスキーが、師であったリムスキー=コルサコフの追悼のために書いた作品で、当時、ストラヴィンスキーもその出来栄えには相応の自信を持っていたとされる。ロシア革命等の混乱の中、そのスコアは散逸し、失われていたと考えられていたが、2015年になって、サンクトペテルブルクの図書館でそのフルスコアが発見され、1世紀を経て、楽曲は蘇った。本録音が登場する前に、ゲルギエフもこの楽曲をコンサートで何度か取り上げているが、権利関係の事情により、最初の録音はDECCAレーベルからリリースされることとなっていて、果たして、このシャイー指揮による録音がその世界初録音盤。この「葬送の歌」、10分程度の管弦楽曲なのであるが、これがとても面白い。冒頭は低音の響く弦のトレモロから、次第に全音的な響きを伴うように進むが、その色彩は、彼の師であったリムスキー=コルサコフだけでなく、チャイコフスキーやムソルグスキー、そしてワーグナーといった人たちを強く想起させるものとなっている。その佇まいは、彼が先行して書いた管弦楽曲より、むしろ保守的な印象さえする。その一方で、ホルンのソロなどに、「火の鳥」の布石を強く感じずにはいれない。初期作品と書いたし、その通りなのだけれど、ストラヴィンスキーの成長は早く、当盤に収録されたop.2〜5の作品を書いたのは1908年ごろ、そして3大バレエと呼ばれる「火の鳥」が1910年、「ペトルーシュカ」が1911年、「春の祭典」が1913年に書かれることとなる。そういった点で、当盤に収録された初期作品は、3大バレエのいちばん最初の作品である「火の鳥」との間にもっとも強い関連性があるのである。op.2の組曲「牧神と羊飼いの娘」は、プーシキンのテキストに基づくメゾ・ソプラノの独唱があり、当盤ではソフィー・コッホが務める。前述の楽曲間の関連性を考えると、当盤の併録曲は「春の祭典」より「火の鳥」の方がふさわしかったのかもしれない(特に「花火」)が、収録時間やコンサート・プログラムなど、諸々の事情があったのだろう。演奏は素晴らしい。シャイー指揮の「春の祭典」というと、1985年にクリーヴランド管弦楽団と録音した洗練を極めたシンフォニックなサウンドを思い浮かべる人が多いと思うが、当盤はライヴということもあって、各フレーズの表現性を増し、野趣的な力強さが濃くなっている。洗練と相反する要素が入ってくることであるため、旧録音にあった都会的な完成度が鳴りを潜めたかわりに、特に第2部の重要なフレーズを担う楽器の表出力はすさまじく、火の出るような勢いだ。とはいえ、全体的なシャイーの制御は、いつものように高く機能していて、テンポ設定などよく計算された冴えを感じさせる。もちろん、初期作品群においても、オーケストラの高いパフォーマンスは十分に機能しており、のちの作品との関連性が明瞭に伝えられるのがありがたい。また、組曲「牧神と羊飼いの娘」では、コッホの独唱が加わるが、こちらも過不足ない好演といったところ。終結部では、ベルカントに近い響きがあり、ここでもストラヴィンスキーという作曲家の若き日の一面を濃く感じることが出来るだろう。

    0 people agree with this review

    Agree with this review

  • 0 people agree with this review
     2021/07/06

    私が、「フレディ・ケンプ」の名を克明に胸に刻んだのはこの録音を聴いた時。思えば、以後も彼の録音をずっと聴き続けてきているが、今でも、やっぱり一番インパクトが大きかったのはこの録音かな。とにかく、今まで聴いた演奏と違う。テンポは全般にかなり速い。驚くほど。それでいて音色は潰れず、その輪郭はきれいで、美しい輝きが維持されている。すごい技巧の持ち主であるとわかる。そして、バラードは1曲1曲に独自の起伏をつけるている。ダイナミックな感性でほとばしるパッションを描き分け、実に爽快。ショパン後期の作品である幻想ポロネーズも普通もっとおごそかに進めるのだが、フレディ・ケンプの演奏は若若しい息吹に溢れて燦燦と輝く。もちろん、この演奏の場合、輝かしく照らし出されすぎてしまって、ショパンの詩情が後退している感もあるのだが、それはツィマーマンの演奏でも感じるところ。むしろ、「こんなアプローチがあるんだ!」と積極的に聴くことで、感嘆のインパクトを大きくしてくれる。興味本位で聴いてみて、損はないと思いますよ。

    0 people agree with this review

    Agree with this review

Showing 46 - 60 of 157 items