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Review List of 一人のクラシックオールドファン 

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     2011/02/09

    私がシェハムの演奏を聴き出したのはシューベルトのヴァイオリン・ソナタ等を弾いた盤からでその時の印象が本盤でも垣間見えました。1991年収録というからシャハムが二十歳の頃の演奏のシベリウス協奏曲、演奏タイムとしては@15’35A8’07B7’17とマァマァなところでしょう。バックはシノーポリ/PHOですが録音自体ヴァイオリンが前面に出た感じで割りと線の太いたっぷりその技術芸を聴かせてくれます。第1楽章、スタート辺りはヴァイオリンが先行する曲なのでオーケストラが全開するまでとにかく自在に胸すくボウイングで圧倒します。オーケストラ全奏は低音を強調して「山」「谷」をつけ比較的速いテンポで過ぎ再びカデンツァ気味のヴァイオリンは引っ張る処は充分引っ張りとにかくよく「歌う」シベリウスと思いました。従って感情込めが深く息遣いも深い演奏・・・果たしてこれがシベリウスかどうかは別にしてある「新鮮さ」は聴けましょう。第2楽章、管が主部へ導きながらヴァイオリンはやはり明確にそのポジションを主張・・・間を伴った見得切りも楽しいですね。オーケストラも我を出して時には性急さを織り交ぜ焦燥感を駆り立てます・・・この辺りがシノーポリの上手さなのでしょう。しかし他の演奏では普通聴こえないヴァイオリンの流れがちゃんと聴こえるのは雄弁というより少し録音の不自然さも感じました。民族舞曲の様な最終楽章、悪魔の踊りの様に曲が進みますが相変わらずヴァイオリンは前面押し出し状態。山を作りながら最後〆は駆け上ってチョン。とにかく存在感のあるヴァイオリンが特徴の演奏であり録音でありますが息のむ思いもした事も事実であります。チャイコフスキーの方(1991年録音、タイム@18’13A 6’57B 10’12)は未聴なのですがシャハム、シノーポリどちらもユダヤ系である処から来る訴求力は期待されましょう(なお、シャハムは2004年このチャイコフスキー協奏曲をシンガポールの楽団と収録している様です)、シベリウス、チャイコフスキー面白い組合せ盤です (タイムについては盤により多少異なる場合があります)。

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     2011/02/08

    先ずトップバッター、「新世界」交響曲はカラヤンともなれば過去何回も録音しており代表盤を年代順に演奏タイムと共に記してみますと1940年BPO@9’46A13’10B7’27C9’46、1958年BPO@9’35A12’50B8’08C10’54、1964年BPO@9’18A13’06B8’13C10’58、1977年BPO@9’42A12’08B8’24C11’06、1985年VPO@10’00A12’25B8’35C11’23となり本盤1964年(カラヤン56歳の頃)分はこれらの中では第1楽章が短め、第2楽章が長め(この第2楽章の長めは他の指揮者分と比べてもどうも言えそうです)となっております。演奏自体は皆さん書き込まれているように所謂土俗的カラーのないあくまで当時のカラヤン・スタイルでのスマートな標準調和型演奏です。第1楽章静かな序奏からホルンに渡された後のオーケストラの区切る全奏では私の聴き違いかその一発目左右弦が瞬間差がありドキッとはしましたが重心低く走り出します。しかし中盤よりやや足取りは軽くなり最後ビシッと決めます。第2楽章の出だし管だけ聴くとそんなにゆったりとは思わないのですが全体結果的には随分と歌いこんだようです。第3楽章ティンパニーはそんなに大袈裟ではなく又〆は間を割りと設けて閉じます。最終楽章は割りと何かと密度の詰まった感じで急ぎ足の処が目立ちます、フィナーレ・コーダは流れる様で最後やはり間を何回か作って充分余韻をばらまきひっぱる様に終わります。全体としてマァ安心して聴けるのではないでしょうか。ボザール・トリオによるピアノ・トリオ第4番「ドゥムッキー」は1969年録音の本トリオ活き活きしていた時のもので演奏タイムは@4’31A7’33B6’30C6’05D4’03E4’46と後年メンバーチェンジして2004年録音した分(@4’39A8’00B6’50C6’28D4’19E5’20)と比して明らかに短めですが緊迫感があって素晴らしいです、但し後年分は未聴であります。クーベリック/BRSOによるスラブ舞曲(No1タイム3’46,No2同4’50,No3同4’18,No4同6’47,No6同5’28,No7同3’11)はこの共演組合せは新世界はじめ各ドヴォルザーク交響曲を残しているクーベリックの確信に満ちた演奏でチェコ色を出しつつオーケストラのカラーも堅持しているという印象を持ちましたる。他の管弦楽曲は未聴であります。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/02/08

    本盤はブランデンブルグ協奏曲後半三曲その他を収録しているものですが前半三曲他が入っている別盤とまとめて感想を述べさせていただきます。我々の世代ではブランデンブルグ協奏曲というとミュンヒンガー、レーデル、パイヤール、リステンバルト、リヒター等々が率いる各室内楽団の再録分も含めた演奏盤に比較しながら親しんだものです。本演奏はゲーベルが34歳の頃、1986〜1987年に今述べた様な各演奏盤と決別すべく古楽器、ピリオド演奏で楽器編成上の諸問題研究成果も踏まえMAKとして乗り込んで録音したものです。全体としてはこのスタイルにお馴染のテンポの速さと古楽器によるピリオド演奏がやや過激先鋭的に聞こえるのが特徴と言えましょう。第1番(タイム@3’38A3’10B4’02C7’33)は割と長い曲を変化をつけて退屈させません。第2番(同@4’34A3’20B2’36)では古管楽器バラエティが楽しめ最終楽章の最後の〆の語尾がフッと消えるのが印象的。第3番(同@5’07A3’51)での第2楽章は舞曲風なのですが大変スピーディで何を言いたいのか少し不明。第4番(同@6’11A3’19B4’16)はホッとする曲でヴァイオリンが結構踊ります、最終〆が長く引っ張られるのが第3番と対照的。有名な第5番(同@9’46A5’46B5’07)での第1楽章長いチェンバロ・ソロ部分はもう少しドラマ性が欲しいとは思いました(彼らのアプローチとは路線が異なってしまうので無理は承知・・・)。地味ながらバランスの良い第6番(同@4’25A4’12B4’51)での第1楽章も猛スピード、第3楽章は印象的でスッと終わります。他の本盤収録曲は未聴ですが、いずれにしても多様な編成・形式に拠った本命ブランデンブルグ協奏曲本演奏は当時としては一つの問題提起を行なった意義はあったのでしょう。以前ゲーベルは来日直前手を傷め公演中止になった事があったのですがその前後の録音から以降調子はどうなのでしょうか・・・。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/02/08

    本盤はブランデンブルグ協奏曲前半三曲その他を収録しているものですが後半三曲他が入っている別盤とまとめて感想を述べさせていただきます。我々の世代ではブランデンブルグ協奏曲というとミュンヒンガー、レーデル、パイヤール、リステンバルト、リヒター等々が率いる各室内楽団の再録分も含めた演奏盤に比較しながら親しんだものです。本演奏はゲーベルが34歳の頃、1986〜1987年に今述べた様な各演奏盤と決別すべく古楽器、ピリオド演奏で楽器編成上の諸問題研究成果も踏まえMAKとして乗り込んで録音したものです。全体としてはこのスタイルにお馴染のテンポの速さと古楽器によるピリオド演奏がやや過激先鋭的に聞こえるのが特徴と言えましょう。第1番(タイム@3’38A3’10B4’02C7’33)は割と長い曲を変化をつけて退屈させません。第2番(同@4’34A3’20B2’36)では古管楽器バラエティが楽しめ最終楽章の最後の〆の語尾がフッと消えるのが印象的。第3番(同@5’07A3’51)での第2楽章は舞曲風なのですが大変スピーディで何を言いたいのか少し不明。第4番(同@6’11A3’19B4’16)はホッとする曲でヴァイオリンが結構踊ります、最終〆が長く引っ張られるのが第3番と対照的。有名な第5番(同@9’46A5’46B5’07)での第1楽章長いチェンバロ・ソロ部分はもう少しドラマ性が欲しいとは思いました(彼らのアプローチとは路線が異なってしまうので無理は承知・・・)。地味ながらバランスの良い第6番(同@4’25A4’12B4’51)での第1楽章も猛スピード、第3楽章は印象的でスッと終わります。他の本盤収録曲は未聴ですが、いずれにしても多様な編成・形式に拠った本命ブランデンブルグ協奏曲本演奏は当時としては一つの問題提起を行なった意義はあったのでしょう。以前ゲーベルは来日直前手を傷め公演中止になった事があったのですがその前後の録音から以降調子はどうなのでしょうか・・・。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/02/07

    トルトゥリエとユボー、この二人は少しユボーは若かったものの同じ時代の生涯寿命を送ったフランス演奏家でありました。本盤はチェロの曲と位置づけるならば1962年録音時トルトゥリエは48歳、演奏家としてまさに「旬」の頃で何れも晩年作曲の短調のフォーレ、ドビュツシーの曲に対して大人の雰囲気で重厚に対応しており、片や伴奏のユボーは独特の繊細さでサポートし最早当時巨匠たる「かけあい」魅力を相互に引き出した名演かと思います。トルトゥリエと言えばチェロにもたれかかって死んでいたそうで大げさでも流麗でもないけれどその節度のあり具合が魅力で渋い音色をたっぷり聴かせてくれたチェリストですね。フォーレの第1番(演奏タイム@5’06A7’14B6’22)の第2楽章の安らぎに満ちた旋律具合や第2番(同@5’54A7’32B4’42)最終楽章の多様感はフォーレの簡潔清潔な内省的甘美世界に誘ってくれます。一般にトルトゥリエの弾くフォーレ・チェロソナタは後年1974年ハイドシェツクと組んだ演奏盤・・・第1番(同@5’17A6’21B5’30)、第2番(同@6’06A7’25B4’45)・・・に軍配が上がっている様ですが私は聴いてはおらず本盤演奏をこゝしばらく唯一最高と聴き続けて行くつもりです。エレジー(同6’49)も小品ながらジンワリ何か伝わって来るものがある演奏で時々私はチェロ・ソナタ第2番の中間楽章と硬軟ではありますが同じ想いを持つ曲でもあります(なお、この小品も1974年(タイム7’06)に再録されています)。ドビュッシーの方はたゆといながらの哀愁を熱く語る様な演奏(同@4’13A3’18B3’21)でトルトゥリエ、ユボー双方のバランスの絶妙さも素晴らしいです(このドビュツシー・チェロソナタについては1959年ラッシュ伴奏のものも残されている様ですね)。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/02/07

    トルトゥリエとユボー、この二人は少しユボーは若かったものの同じ時代の生涯寿命を送ったフランス演奏家でありました。本盤はチェロの曲と位置づけるならば1962年録音時トルトゥリエは48歳、演奏家としてまさに「旬」の頃で何れも晩年作曲の短調のフォーレ、ドビュツシーの曲に対して大人の雰囲気で重厚に対応しており、片や伴奏のユボーは独特の繊細さでサポートし最早当時巨匠たる「かけあい」魅力を相互に引き出した名演かと思います。トルトゥリエと言えばチェロにもたれかかって死んでいたそうで大げさでも流麗でもないけれどその節度のあり具合が魅力で渋い音色をたっぷり聴かせてくれたチェリストですね。フォーレの第1番(演奏タイム@5’06A7’14B6’22)の第2楽章の安らぎに満ちた旋律具合や第2番(同@5’54A7’32B4’42)最終楽章の多様感はフォーレの簡潔清潔な内省的甘美世界に誘ってくれます。一般にトルトゥリエの弾くフォーレ・チェロソナタは後年1974年ハイドシェツクと組んだ演奏盤・・・第1番(同@5’17A6’21B5’30)、第2番(同@6’06A7’25B4’45)・・・に軍配が上がっている様ですが私は聴いてはおらず本盤演奏をこゝしばらく唯一最高と聴き続けて行くつもりです。エレジー(同6’49)も小品ながらジンワリ何か伝わって来るものがある演奏で時々私はチェロ・ソナタ第2番の中間楽章と硬軟ではありますが同じ想いを持つ曲でもあります(なお、この小品も1974年(タイム7’06)に再録されています)。ドビュッシーの方はたゆといながらの哀愁を熱く語る様な演奏(同@4’13A3’18B3’21)でトルトゥリエ、ユボー双方のバランスの絶妙さも素晴らしいです(このドビュツシー・チェロソナタについては1959年ラッシュ伴奏のものも残されている様ですね)。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/02/06

    我々の世代ではブランデンブルグ協奏曲というとミュンヒンガー、レーデル、パイヤール、リステンバルト、リヒター等々が率いる各室内楽団の再録分も含めた演奏盤に比較しながら親しんだものです。本盤はゲーベルが34歳の頃、1986〜1987年に今述べた様な各演奏盤と決別すべく古楽器、ピリオド演奏で楽器編成上の諸問題研究成果も踏まえMAKとして乗り込んで録音したものです。全体としてはこのスタイルにお馴染のテンポの速さと古楽器によるピリオド演奏がやや過激先鋭的に聞こえるのが特徴と言えましょう。第1番(タイム@3’38A3’10B4’02C7’33)は割と長い曲を変化をつけて退屈させません。第2番(同@4’34A3’20B2’36)では古管楽器バラエティが楽しめ最終楽章の最後の〆の語尾がフッと消えるのが印象的。第3番(同@5’07A3’51)での第2楽章は舞曲風なのですが大変スピーディで何を言いたいのか少し不明。第4番(同@6’11A3’19B4’16)はホッとする曲でヴァイオリンが結構踊ります、最終〆が長く引っ張られるのが第3番と対照的。有名な第5番(同@9’46A5’46B5’07)での第1楽章長いチェンバロ・ソロ部分はもう少しドラマ性が欲しいとは思いました(彼らのアプローチとは路線が異なってしまうので無理は承知・・・)。地味ながらバランスの良い第6番(同@4’25A4’12B4’51)での第1楽章も猛スピード、第3楽章は印象的でスッと終わります。他の本盤収録曲は未聴ですが、いずれにしても多様な編成・形式に拠った本命ブランデンブルグ協奏曲本演奏は当時としては一つの問題提起を行なった意義はあったのでしょう。以前ゲーベルは来日直前手を傷め公演中止になった事があったのですがその前後の録音から以降調子はどうなのでしょうか・・・。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/02/06

    我々の世代ではブランデンブルグ協奏曲というとミュンヒンガー、レーデル、パイヤール、リステンバルト、リヒター等々が率いる各室内楽団の再録分も含めた演奏盤に比較しながら親しんだものです。本盤はゲーベルが34歳の頃、1986〜1987年に今述べた様な各演奏盤と決別すべく古楽器、ピリオド演奏で楽器編成上の諸問題研究成果も踏まえMAKとして乗り込んで録音したものです。全体としてはこのスタイルにお馴染のテンポの速さと古楽器によるピリオド演奏がやや過激先鋭的に聞こえるのが特徴と言えましょう。第1番(タイム@3’38A3’10B4’02C7’33)は割と長い曲を変化をつけて退屈させません。第2番(同@4’34A3’20B2’36)では古管楽器バラエティが楽しめ最終楽章の最後の〆の語尾がフッと消えるのが印象的。第3番(同@5’07A3’51)での第2楽章は舞曲風なのですが大変スピーディで何を言いたいのか少し不明。第4番(同@6’11A3’19B4’16)はホッとする曲でヴァイオリンが結構踊ります、最終〆が長く引っ張られるのが第3番と対照的。有名な第5番(同@9’46A5’46B5’07)での第1楽章長いチェンバロ・ソロ部分はもう少しドラマ性が欲しいとは思いました(彼らのアプローチとは路線が異なってしまうので無理は承知・・・)。地味ながらバランスの良い第6番(同@4’25A4’12B4’51)での第1楽章も猛スピード、第3楽章は印象的でスッと終わります。以上六曲の他に三重協奏曲BWV1044(同@8’13A5’04B6’45)が収録されているのですが私はいつもこの曲に感じている例えば第1楽章の素晴らしい主テーマの割には三重の為か次第に濁って行く曲進行具合に今一という処は遺憾ゲーベルでも削減はされても解決はしませんでした・・・曲自体の責任?いずれにしても多様な編成・形式に拠った本命ブランデンブルグ協奏曲本演奏は当時としては一つの問題提起を行なった意義はあったのでしょう。以前ゲーベルは来日直前手を傷め公演中止になった事があったのですがその前後の録音から以降調子はどうなのでしょうか・・・。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/02/05

    「新世界」交響曲はカラヤンともなれば過去何回も録音しており年代順に演奏タイムと共に記してみますと1940年BPO@9’46A13’10B7’27C9’46、1958年BPO@9’35A12’50B8’08C10’54、1964年BPO@9’18A13’06B8’13C10’58、1977年BPO@9’42A12’08B8’24C11’06、1985年VPO@10’00A12’25B8’35C11’23となり本盤1964年(カラヤン56歳の頃)分はこれらの中では第1楽章が短め、第2楽章が長め(この第2楽章の長めは他の指揮者分と比べてもどうも言えそうです)となっております。演奏自体は皆さん書き込まれているように所謂土俗的カラーのないあくまで当時のカラヤン・スタイルでのスマートな標準調和型演奏です。第1楽章静かな序奏からホルンに渡された後のオーケストラの区切る全奏では私の聴き違いかその一発目左右弦が瞬間差がありドキッとはしましたが重心低く走り出します。しかし中盤よりやや足取りは軽くなり最後ビシッと決めます。第2楽章の出だし管だけ聴くとそんなにゆったりとは思わないのですが全体結果的には随分と歌いこんだようです。第3楽章ティンパニーはそんなに大袈裟ではなく又〆は間を割りと設けて閉じます。最終楽章は割りと何かと密度の詰まった感じで急ぎ足の処が目立ちます、フィナーレ・コーダは流れる様で最後やはり間を何回か作って充分余韻をばらまきひっぱる様に終わります。全体としてマァ安心して聴けるのではないでしょうか。1967年録音の「モルダウ」(12’00)は後年例1977年12’46より少し短めで要領良く運んでいます、一番私が印象に持ったのは前奏部の処で管弦が河の流れを表現するのですがいろんな音旋律が情報として明確に織り込まれそれが雑然としないで水の泡の様に表れては消える処をこのようにきっちり捉えた演奏は珍しかったということです。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/02/04

    モントゥー指揮の幻想交響曲演奏盤は結構種類が多く何か彼の名刺代わりの様な感じがしますね。フランス系指揮者が夫々自負をもって世に送り出す曲だけに比較のしどころなのですがモントゥー分だけの比較も私は出来ておりません。とにかく彼の盤で分かっているデータを先ずメモしておきましょう・・・1930年PSO(演奏タイム@12’58A5’44B15’50C4’29D8’54)、1945年SFSO(同@13’17A5’46B15’51C4’53D9’35)、1948年ACO(不明)、1950年SFSO(同@12’59A5’45B15’41C4’44D9’22)、1958年VPO(同@13’56A6’01B16’22C4’51D9’46・・・本盤演奏)、1962年ACO(同@14’09A6’21B16’44C5’05D10’21)、1964年NDRSO(同@13’54A5’58B15’26C5’01D9’58)。こうして並べて見ますと本盤演奏を境として前半楽章が心持ちタイムが長くなっていった様ですね。それでも他の指揮者の演奏と比べるとこれらモントゥー前半楽章は短い傾向を示しています。さて、私は本盤演奏(モントゥー83歳の頃)をLP時代から聴いているのですがVPOの特徴がモントゥーの普段の少し分厚いサウンドから趣を異とした様でモントゥーの割には分り易く言えば淡口な感じがしました。具体的に申しますと第2楽章のテンポの微妙な調節はVPOだからなのか素晴らしいし第3楽章での不安予想や決然とした凄みのある第4楽章そして当時としては録音の良さが例の鐘の音等で現れる最終楽章と私には時としてべったり感じる事がある(多分にフランス系オーケストラにこの傾向を特に抱いています)幻想交響曲に濃淡をつけながら聴き易くしてくれている演奏かと思います。数少ないフランス系指揮者・・・ひょっとして唯一?・・・によるVPO演奏の幻想交響曲としても貴重なのではないでしょうか。 (タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/02/03

    2002年VPOとの一連のベートーヴェン交響曲のライブ録音・・・私自身正直「ライブ録音」と銘打っての盤で例えば本盤第九が複数日にわたっての収録である事に少し違和感を持っています・・・でラトル47歳頃BPOにも関与し出す充実期のとっかかりであろう、実に色々な意味において問題提起を行なっている演奏であります。周知の通り特に1980年代半ばから私たちの前に現れた所謂新トレンドのベートーヴェン交響曲演奏は少なからずのショックと戸惑いを与えたものでした。モダン楽器によるピッチ奏法、オリジナル楽器による奏法そして使用諸版の問題・・・これらの組合せで同じ「新トレンド」と言ってもいろいろな演奏がありましたが当初はそれまでのベートーヴェンに付きまとう事大主義的?演奏と比較して小編成なオーケストラで余分な響きを制御して曲の音構成をハッキリさせ反復演奏を実施しつつテンポは速く進めているのが一様の特徴となっている為新鮮さは感じつつも味も素っ気も無い演奏のように受取っておりました。そして本盤もVPOという一部古楽器めいたツールを扱い配置も一工夫されラトルの従来演奏から脱しようとする表現意欲の下では当然我々オールドファンにとっては「面白い」結果をもたらせてくれております。ベーレンライター版使用に伴う先述の様な特徴は言うに及ばずそうした迸りを受け止めVPO自体がよくフォローしたものだという点に尽きるわけですが私の好みから・・・というより私の感受能力からこのラトルアプローチでスンナリ納得出来るベートーヴェン交響曲とそうでない交響曲に分かれてしまった様です。第九は残念ながらやはり皆さん取り上げられている第4楽章合唱で後者交響曲に今のところは属しているのが現状であります。演奏タイムは@16’54A11’58B17’03C23’52と他の数多ある流布版による演奏とそう大差は無いように思えますが細かく変化するテンポとアクセントを伴っての独特の奏法はある澄み切った世界をも再現させ聴く者に新鮮な第九に一応導いてくれます。第2楽章などもティンパニー協奏曲然とさせない点、打楽器出身のラトルの真骨頂なのかもしれません。いよいよ声部に入るとそうしたラトルの意図が新鮮さから少し軌を外れ意表つきに転化して行く様がありありと分かるのです。確かに管弦部でもそうした表現・節回しを採ってはおり首尾一貫性に欠ける事はないのですが声部ともなると突発的アクセントがシュプレヒコール染み曲を聴く体勢を落ち着かなくしてしまうのです。ドイツ語発音に精通しているわけではないのでこうした演奏でも最初に聴くうちは物珍しさも手伝ってついて行くのですがさて、繰りかえし聴くとなると私には自信がありません。手の内が分かってその次元に留まってしまいそうなのです。ラトルがやがてBPOその他のオーケストラとも再録する場合どうなるのかが興味がありますね。独唱者ではSが健闘している様に思いました。一度は聴いておくべき演奏盤かとは思いますがランク付けは申し訳ないのですが低くなりました。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/02/02

    ムターは代表的なヴァイオリン協奏曲をカラヤンの伴奏で録音をしており大概はオーケストラがBPOなのですがチャイコフスキーについてはVPOバックで1988年にライブ収録(本盤、ムター25歳の頃、演奏タイム@19’18A7’18B10’10)しているし2003年にもやはりオーケストラはVPOで前年2002年に結婚した(但し2006年離婚)夫プレヴィン指揮により熱々?の演奏録音(タイム@18’26A6’58B9’43)を残しています。本盤は全体としてカラヤン(当時80歳)主導の下ややゆっくりした運びで演奏されます。第1楽章VPOの柔らかな当たりで前奏後入るヴァイオリンは勿体ぶってレガート気味を効かせ節回しよろしく濃厚な色合いを帯びながら変化して行きます。バックオーケストラは余裕綽々、途中の全奏も極めてゆっくり貫禄(弛緩?)を見せます。長いカデンツァも充実ぶりを若い彼女は見せ付ける如くで確かに表情付けによりもたつきは感じられず〆もある官能ネットリ感すらあります。第2楽章はVもオーケストラも比較的セーブ気味に所謂ロシア色は薄くしかしメロディは甘くつけます。途中大波・小波を噛ませてはいますが相変わらずテンポはゆっくり、続く最終楽章への不安な橋渡し後いきなりアレグロ調から特にVと管楽器しの遣り取りは工夫され・・・多分カラヤン色・・・Vの技も節回し中心にバッチリでロシア民族舞曲風な楽章なのですが決して土臭くありません。華々しさも結構あります。カラヤンの許容の下で好き勝手にやっている印象にも受け、いずれにしても人生、物事共に永遠ではなくこのコンビの録音盤も本盤演奏が最終コーナーになりました。このカラヤン・チルドレン「師弟」(?)関係の演奏盤はチャイコフスキーに限らず何でもよいのでクラシックファンとしては知っておいて損はないでしょうし大指揮者カラヤンの(甘いのを充分承知で)そういう微笑ましく記録されるべき側面かと思います。ジャケット表紙ではカラヤンは後姿だけでムター中心の写真である事も暗示的ですね。一曲だけの贅沢な?収録盤・・・。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/02/01

    2002年VPOとの一連のベートーヴェン交響曲のライブ録音・・・私自身正直「ライブ録音」と銘打っての盤で例えば本盤第九が複数日にわたっての収録である事に少し違和感を持っています・・・でラトル47歳頃BPOにも関与し出す充実期のとっかかりであろう、実に色々な意味において問題提起を行なっている演奏であります。周知の通り特に1980年代半ばから私たちの前に現れた所謂新トレンドのベートーヴェン交響曲演奏は少なからずのショックと戸惑いを与えたものでした。モダン楽器によるピッチ奏法、オリジナル楽器による奏法そして使用諸版の問題・・・これらの組合せで同じ「新トレンド」と言ってもいろいろな演奏がありましたが当初はそれまでのベートーヴェンに付きまとう事大主義的?演奏と比較して小編成なオーケストラで余分な響きを制御して曲の音構成をハッキリさせ反復演奏を実施しつつテンポは速く進めているのが一様の特徴となっている為新鮮さは感じつつも味も素っ気も無い演奏のように受取っておりました。そして本盤もVPOという一部古楽器めいたツールを扱い配置も一工夫されラトルの従来演奏から脱しようとする表現意欲の下では当然我々オールドファンにとっては「面白い」結果をもたらせてくれております。ベーレンライター版使用に伴う先述の様な特徴は言うに及ばずそうした迸りを受け止めVPO自体がよくフォローしたものだという点に尽きるわけですが私の好みから・・・というより私の感受能力からこのラトルアプローチでスンナリ納得出来るベートーヴェン交響曲とそうでない交響曲に分かれてしまった様です。第九は残念ながらやはり皆さん取り上げられている第4楽章合唱で後者交響曲に今のところは属しているのが現状であります。演奏タイムは@16’54A11’58B17’03C23’52と他の数多ある流布版による演奏とそう大差は無いように思えますが細かく変化するテンポとアクセントを伴っての独特の奏法はある澄み切った世界をも再現させ聴く者に新鮮な第九に一応導いてくれます。第2楽章などもティンパニー協奏曲然とさせない点、打楽器出身のラトルの真骨頂なのかもしれません。いよいよ声部に入るとそうしたラトルの意図が新鮮さから少し軌を外れ意表つきに転化して行く様がありありと分かるのです。確かに管弦部でもそうした表現・節回しを採ってはおり首尾一貫性に欠ける事はないのですが声部ともなると突発的アクセントがシュプレヒコール染み曲を聴く体勢を落ち着かなくしてしまうのです。ドイツ語発音に精通しているわけではないのでこうした演奏でも最初に聴くうちは物珍しさも手伝ってついて行くのですがさて、繰りかえし聴くとなると私には自信がありません。手の内が分かってその次元に留まってしまいそうなのです。ラトルがやがてBPOその他のオーケストラとも再録する場合どうなるのかが興味がありますね。独唱者ではSが健闘している様に思いました。一度は聴いておくべき演奏盤かとは思いますがランク付けは申し訳ないのですが低くなりました。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/01/31

    ジュリーニにはフランク交響曲の録音演奏盤が三種類残されており1957年PHO、1986年BPO(本盤演奏)、1993年VPOを夫々振ったものであります。本盤1986年というからジュリーニ72歳、演奏タイムは@20’23A11’57B12’15とゆったりしたものです。第1楽章極めてゆっくりの出だし、曲が進んでも静かな思索的な雰囲気。時として1880年代の仏作曲家の交響曲につきまとい勝ちな或いはカトリック独特の重苦しさはこの演奏からは感ぜられません。そう、確かに内面を厳しく見つめながらそれを聴く者に強制せずかえって清々しい抒情美が漂う有様。従ってストーリーの運びは明解で追い込みも実に丁寧です。続く楽章は結構豊かな響きの弦ピチカートに乗って管が情緒的に歌ってくれます。柔らかな弦が後をフォローしますがやはりその順次が淡々ときっちりしています。最終楽章は「苦悩」から脱して「光明」勝利への楽章なのですがそれは一旦沈静化し様々なニュアンスを呈します。例えばピークテーマからの落ちは絶妙で散漫にはなりません。とにかく落ち着いた運びで録音も聴き易かったです。余白の「プシュケ」(9’17)は美しい娘のエロス愛の神への愛と別れそして聖化を綴る交響詩なのですが私は余り聴いた事はありませんでした。静かな弦の向こうで管が鳴っています、やがて中低弦が官能的に奏でられそれが高揚して行く・・・BPOの美しい機能美が聴き物。本盤演奏全体で最高ランクにさせて下さい。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)。

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     2011/01/30

    この20世紀の大指揮者たちシリーズ(これも多分販売終了に近い状態)は正月の福袋みたいなものでその指揮者の意外なレパートリーが収録されている場合があり本盤オーマンディもブラームスの交響曲という意外性を楽しめます。これを含めて本盤に収録されている主な交響曲二つについて触れてみます。最近オーマンディ/PPOによるブラームス交響曲全集がHMVの競合会社から販売されたとの事ですが本盤には同じ音源の交響曲第4番が含まれておりますのでHMVカタログから消えない内にデータだけでもメモしておきたく書き込む次第です。さてそのブラームス第4番は1967年の録音で演奏タイムは@12’23A11’58B6’25C10’19と心持ち第1楽章が短く第2楽章が長い・・・それもほんの心持ちで他の楽章は普通かと思います。第1楽章はしんみりムードなどは微塵も無く颯爽と進み続く第2楽章も枯淡からは遠く結構歌っているのではないでしょうか。変奏進行の最終楽章では管楽器に本来の華やかさも聴かれますがそれがこの曲の本質を逆なでするものではない処が当時68歳のオーマンディのプロフェツショナルの所以であります。オーマンディと言うと色彩感豊かなフィラデルフィア・サウンドでの演奏がすぐ思い浮びそれに相応しい曲目盤を私も含めリスナーは求め勝ちであり、最近になって所謂独墺のちゃんとした?交響曲の収録盤が出だし彼への評価が見直されて来ている様です(なお、参考までにこの第4番の収録時期と前後する他のオーマンディ/PPOによるブラームス交響曲のタイム、録音年は次の通り→第1番@13’42A9’57B4’46C17’13(1968年)、第2番@15’14A9’55B5’28C9’33(1966年)、第3番@10’14A9’03B5’49C9’08(1967年))。本盤でもう一つのメイン曲ラフマニノフ交響曲第2番は1973年録音の完全全曲版であり@18’49A9’39B13’02C14’52の演奏タイムは遡ること約二十年、1951年の最初の録音盤(オーケストラは同じPPO)のタイム@15’40A7’19B11’22C11’21と比べても明らかですね(なお、このコンビによるこの曲には1979年ライブDVDも別にあります)。ラフマニノフとは因縁浅からぬオーマンディはこの甘い曲を管楽器を充分活躍させややテンポを速めに進めていますが第1楽章の〆でティンパニーを用いるなど若干の編曲を実施している処が面白いです。最終楽章でのテーマでテンポを大きく揺らせる処などもオーマンディの職人としての自信の技のなせるところでしょう。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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