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Review List of つよしくん 

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     2011/11/06

    これはシノーポリの傑作だ。シノーポリの遺した数々の録音の中でもトップの座を争う名演であるだけでなく、シューマンの交響曲第2番の様々な指揮者による演奏に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。精神医学者でもあり、作曲家でもあったシノーポリの演奏は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さを特徴としていると言える。このような分析的なアプローチに符号した楽曲では、例えばマーラーの交響曲などが該当すると言えるが、比類のない名演を成し遂げることになった。他方、分析的なアプローチにそぐわない楽曲においては、極端なスローテンポに陥ったり、はたまた音楽の自然な流れを損なったりするなど、今一つの演奏の陥ってしまうこともあったと言える。ところが、本盤におさめられたシューマンの交響曲第2番においては、かかる分析的なアプローチが見事なまでに功を奏していると言えるのではないか。シューマンは長年に渡って精神病を患っていたが、とりわけこの第2番を作曲していた時は、死と隣り合わせにいたとさえ言われている。シノーポリは本演奏において、かかるシューマンの心の慟哭や絶望感を徹底的に追及するとともに抉り出し、持ち味の分析的なアプローチによって完全に音化することを試みており、他のいかなる指揮者による演奏よりも彫の深さが際立っていると言える。とりわけ第3楽章の思い入れたっぷりの濃厚な表現は、心胆寒からしめるほどの凄みがあると言えるところであり、その奥深い情感は我々聴き手の肺腑を打つのに十分であるとさえ言えるだろう。また、これだけ細部に至るまで彫琢の限りを尽くした表現を行っているにもかかわらず、むしろ音楽がいささかも淀みなく流麗に流れていくというのは、ウィーン・フィルによる美演によるところが大きいと言えるのではないだろうか。さすがのシノーポリも、これだけの高みに達した演奏を再度行うことは至難を極めたと考えられる。というのも、シノーポリは、その後、シュターツカペレ・ドレスデンとともにシューマンの交響曲全集を録音することになるのであるが、当該全集に含まれる第2番の演奏には、とても本演奏のような魅力は備わっているとは言えないからである。なお、カプリングの「マンフレッド」序曲は、交響曲第2番のように随一の名演との評価は困難であるが、それでも名演との評価をするのにいささかも躊躇をするものではない。音質は従来CD盤でも比較的満足できる音質であるが、これだけの名演であるにもかかわらず、これまでSHM−CD化すらされていないというのは実に不思議な気がする。シノーポリによる至高の超名演でもあり、今後はSHM−CD化、さらにはSACD化を図るなど、高音質化への取組を大いに望んでおきたいと考える。

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     2011/11/06

    クラシック音楽をはじめ様々なジャンルの音楽を手掛けてきた稀代のミュージシャンでもあるプレヴィンも、最近では座って指揮をするようになるなど、すっかりと高齢(82歳)になってしまった。もっとも、NHK交響楽団の首席客演指揮者に就任するなど、指揮への意欲はまだまだ強いようなので、今後は少しでも長生きをして、様々な名演の数々をできるだけ多く聴かせてくれることを望んで止まないところだ。プレヴィンが、これまでクラシック音楽のジャンルで遺した録音の中で最も偉大な業績は何かと問われれば、私は躊躇なく本盤におさめられたラフマニノフの交響曲全集&管弦楽作品集を掲げたい。プレヴィンは、若い頃からラフマニノフを得意としており、本盤におさめられた全集のほかにも、第2番についてはロンドン交響楽団(1966年)及びロイヤル・フィル(1985年)とのスタジオ録音を行っており、ピアノ協奏曲についてもアシュケナージ及びロンドン交響楽団とともに全集(1970〜1971年)を録音している。しかしながら、ピアノ協奏曲は別として、本盤におさめられた演奏こそは、プレヴィンによるラフマニノフの交響曲(第2番)のベストの名演であるとともに、他の指揮者による様々なラフマニノフの交響曲全集&管弦楽作品集にも冠絶する至高の超名演集と高く評価したいと考える。プレヴィンのアプローチは、ラフマニノフ特有の甘美な旋律の数々を徹底して美しく歌い上げると言うものである。もっとも、そのような演奏は、近年、急速にその人気が高まっているラフマニノフの交響曲だけに、他にも数多く存在していると言えるが、プレヴィンの演奏の素晴らしいのは、どこをとっても陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、格調の高さをいささかも失っていないという点にあると考える。要は、とかくラフマニノフの演奏では、旋律のあまりの甘美さ故に、厚手の衣装を身にまとったような重々しい演奏やお涙頂戴の哀嘆調の演奏などが散見されるが、プレヴィンの場合は、いささかも重々しくなることはなく、さりとて軽薄になることもなく、各種旋律を格調の高さを保ちつつ情感豊かに歌い抜くという、ある意味では難しい剛柔のバランスのとれた演奏を実現していると言える。かかる演奏は、正にラフマニノフ演奏の理想像の具現化と言えるところであり、それ故に、本交響曲全集&管弦楽作品集が現在においても随一の名演であり続けるとともに、その後の演奏に大きな影響力を発揮するという普遍的な価値を有している所以であると考えられるところだ。加えて、第2番については、それまで大幅なカットを施して演奏されていたのを史上初めて完全全曲版により演奏したものであり、第2番の真の魅力を広く世に知らしめるとともに、その後広く普及することとなった完全全曲版による演奏に先鞭をつけたという意味においても、本演奏の意義は極めて大きいものであることを忘れてはならない。なお、前述のように、プレヴィンは、ロイヤル・フィルとともに第2番を再録音しているが、当該演奏はテンポが若干遅くなるなど円熟の名演ではあると言えるものの、若干角が取れた分だけいささか甘美さに傾斜した点が見られなくもないところであり、私としては、若干ではあるが本演奏の方をより上位に置きたいと考える。音質は、1973〜1976年のいわゆるアナログ録音の完成期のものであるが、EMIだけに必ずしも十分な音質とは言い難い面がある。もっとも、あらゆるラフマニノフの交響曲全集&管弦楽作品集中の随一の超名演集であることもあり、既にHQCD化されている第2番以外の楽曲についてのHQCD化、可能であればすべての楽曲のSACD化(第2番については、今後SACD化が予定されているとのことであり、大いに歓迎したい。)を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2011/11/03

    本盤には、ディリアスのヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲という、知る人ぞ知る名作がおさめられている。このうち、チェロ協奏曲については、稀代の名チェリストであったデュ・プレと、名匠サージェント&ロイヤル・フィルによる素晴らしい名演(1965年)が存在していることから、比較的耳にする機会も多い楽曲であると言えるが、ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲やヴァイオリン協奏曲に至っては、国内盤が存在していないだけでなく、輸入盤も目ぼしい演奏が殆どないことに鑑みれば、本盤は極めて貴重な演奏であると言えるだろう。ディリアスは、イギリスの詩情に満ち溢れたエレガンスな美しさを誇る管弦楽曲の名曲で知られているが、本盤におさめられた各協奏曲も、他の協奏曲で聴かれるような超絶的な技量を全面に打ち出した楽曲ではなく、むしろ、イギリスの詩情に満ち溢れた極上の美しさが持ち味の名作であると言える。本盤の演奏において、ヴァイオリン演奏を受け持つのは、気鋭の女流ヴァイオリニストであるタスミン・リトルだ。タスミン・リトルは、本演奏と同じアンドリュー・デイヴィスと組んで(オーケストラはBBC交響楽団ではなく、ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団であるが)、エルガーのヴァイオリン協奏曲の名演(2010年)を成し遂げているだけに、本演奏においても、抜群相性の指揮者の下で、自らの個性を全面的に発揮した渾身の名演奏を繰り広げていると言える。強烈な個性という意味では、他の世界的な若手女流ヴァイオリニスト、例えば、ヒラリー・ハーンなどと比較するといささか物足りない気がしないわけではないが、イギリスの詩情溢れる情感の豊かさの描出においては、タスミン・リトルの方に軍配を上げたくなるところだ。とりわけ、ディリアスの協奏曲の演奏に際しては、楽曲に込められたイギリスの詩情をいかに格調高く表現できるのかに演奏の成否がかかっているとも言えるところであり、その意味においては、タスミン・リトルのヴァイオリン演奏は正に理想的と言っても過言ではあるまい。チェロはポール・ワトキンスであり、例えば、チェロ協奏曲など、前述のデュ・プレによる演奏と比較すると、演奏の持つ気迫や強靭な生命力において大きく落ちると言わざるを得ないが、タスミン・リトルのヴァイオリン演奏と同様で、イギリスの詩情溢れる情感の豊かさの描出においては、十分に合格点を与えられる名演奏を展開していると言ってもいいのではないだろうか。指揮は、英国の大御所指揮者であるアンドリュー・デイヴィス、そしてオーケストラはBBC交響楽団という最高の組み合わせであり、これ以上は求め得ないような絶妙な表現で、本盤の各協奏曲に込められたイギリスの詩情を感動的に歌いあげており、これら各協奏曲のバックとしては、理想的な名演奏を行っていると評価したい。いずれにしても、本盤におさめられた各協奏曲は素晴らしい名演であり、チェロ協奏曲を除けば殆ど世に知られていない名作を広く認知するという意味においても、極めて意義の大きい名CDと高く評価したいと考える。そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。タスミン・リトルによるヴァイオリン演奏やポール・ワトキンスによるチェロ演奏の弓使いまでが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。かかる臨場感溢れる高音質のマルチチャンネル付きのSACD盤であることが、本盤の価値を更に高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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     2011/11/03

    ステンハンマルは、シベリウスやニールセンとほぼ同時代に活躍したスウェーデンの大作曲家であるが、その認知度はシベリウスやニールセンと比較するとあまりにも低いと言わざるを得ない。交響曲第2番やセレナード、そしてカンタータ「歌」など、シベリウスやニールセンの数々の名作に劣らないような偉大な傑作を作曲していることを考えると、現在において知る人ぞ知る存在に甘んじているのはあまりにも不当であると言わざるを得ない。50歳代という比較的若く鬼籍に入ってしまったことから、例えば、交響曲については第3番を完成させることがなく2曲にとどまっているなど不運な面もある(シベリウスはクレルヴォ交響曲を含めて8曲、ニールセンは6曲)とは言えるが、それにしてはもう少しその作品が一般に知られてもいいのではないかと考えられるところだ。もっとも、ステンハンマルには、シベリウスやニールセンをはるかに凌駕するジャンルが存在する。それは、本盤におさめられた弦楽四重奏曲であり、数の上においても(シベリウスは4曲(うち3曲は若き日の習作の域を出ない。)、ニールセンは4曲)、そして質においても(とりわけ第5番及び第6番)、北欧の音楽界においてもその存在感には極めて大きいものがあるのではないかと考えられるところだ。ところが、録音の点数はこれまたあまりにも少ないと言わざるを得ない。本盤以前に私の手元にあったのは、カプリスレーベルから発売された北欧の弦楽四重奏団による全集(1981〜1982年)(第1番及び第5番はフレスク弦楽四重奏団、第2番及び第6番はコペンハーゲン弦楽四重奏団、第3番〜第4番はゴットランド弦楽四重奏団)のみであり、これ以外には存在していないのではないかと考えられる。そのような中で、今般、オスロ弦楽四重奏団による、第3番〜第6番をおさめた弦楽四重奏曲集が発売されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。初期の第1番及び第2番が録音されていないのは残念なことではあるが、ステンハンマルの個性が発揮されたのは第3番以降の諸曲であり、収録曲においては申し分がないと言えるのではないだろうか。演奏も、カプリスレーベルによる前述の演奏と遜色はなく、むしろ同一の弦楽四重奏団による演奏で一貫していることもあり、本演奏こそがステンハンマルの弦楽四重奏曲の現時点での決定盤とも言うべき素晴らしい名演と言っても過言ではあるまい。そして、音質も、マルチチャンネル付きのSACDという現在望み得る最高の音質であり、本名演の価値をより一層高めていることを忘れてはならない。各奏者の弓使いまでが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、本弦楽四重奏曲集は、知る人ぞ知る存在に甘んじているステンハンマルの魅力を世に知らしめるためにも恰好の名演集であるとともに、演奏の質、そして高音質録音という必要な要素を兼ね備えた至高の名演集と高く評価したいと考える。

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     2011/10/30

    これは素晴らしい名演だ。現代を代表する最高のピアニストの一人でもあるバレンボイムが、リスト生誕200年を記念して満を持して臨むリストのピアノ協奏曲第1番及び第2番の録音であり、それだけにその覚悟と自信のほどを伺い知ることが可能な圧倒的な名演に仕上がっていると言える。何よりも、バレンボイムの音楽の構えが極めて大きい。そしてその骨太の音楽づくりは、演奏をスケール雄大なものにするのに大きく貢献していると言えるのではないだろうか。超絶的なテクニックにおいてもいささかも不足はないところであるが、それでいて巧過ぎるなどと言ったいわゆる技巧臭を感じさせないのが何より素晴らしいと言える。強靭で叩きつけるような打鍵は圧倒的な迫力を誇っていると言えるし、他方、繊細な抒情的表現においても申し分がないものがあり、その表現力の桁外れの幅の広さには殆ど唖然とさせられるほどだ。このように、スケールの雄大さ、技巧臭をいささかも感じさせない内容の豊かさ、そして表現力の幅の広さなどを駆使した結果、とかく技量一辺倒で薄味な演奏が多いリストのピアノ協奏曲を極めて内容豊かで奥深いものに昇華させたと言えるところであり、殆どベートーヴェンのピアノ協奏曲の域にまで引き上げているのに成功したと言っても過言ではあるまい。いずれにしても、バレンボイムによる本演奏は、リストのピアノ協奏曲のあらゆる演奏の中でも、最も奥深い内容を有した至高の名演奏と言ってもいいのではないだろうか。このような圧倒的で彫の深いバレンボイムのピアノを下支えしているのが、ブーレーズ&シュターツカペレ・ベルリンによる名演奏であると言える。徹底したスコアリーディングに基づいて、楽想を精緻に描き出して行くというブーレーズならではのアプローチは本演奏においても健在であると言える。バレンボイムの彫の深いピアニズムに触発された点も多分にあるとは思われるが、かつてのブーレーズの演奏に顕著であった冷徹さは薬にしたくもなく、むしろ各フレーズの端々からは豊かな情感が滲み出してきているところであり、演奏全体に独特の潤いと温もりを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。アンコールとしておさめられたコンソレーション第3番や忘れられたワルツ第1番も、バレンボイムならではの雄渾なスケールと重厚さ、そして奥行きのある彫の深さを感じさせる素晴らしい名演だ。音質は、ピアノ演奏と相性が良いSHM−CD盤であることもあって、バレンボイムのピアノタッチが実に鮮明に捉えられており、素晴らしい鮮明な高音質と高く評価したいと考える。

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     2011/10/30

    エマールが、リスト生誕200年を記念して2晩にわたって行ったコンサートのライヴ録音の登場だ。本盤には「ザ・リスト・プロジェクト」との標題が付されているが、おさめられている楽曲はリストの諸作品にとどまらず、リストの影響が見られる作品が含まれているとともに、それらを交互に配するというきわめて独創的なアルバムとなっているのが特徴である。このような意表をつくコンサートの演目の構成を行ったのは、いかにも近現代音楽を得意とするエマールならではの抜群のセンスの良さであると言える。そして演奏内容も素晴らしい。前述のように、本年はリスト生誕200年ということもあって、様々なピアニストによるリストのピアノ作品集が発売されているが、本盤はその中でも最右翼に掲げられるものと言えるのではないだろうか。ディスク1においては、ワーグナーの死を予感して作曲された「悲しみのゴンドラ」で開始されるという尋常ならざる演目構成に驚かされるが、その演奏の彫の深さ、そして演奏の持つ高踏的な美しさには抗し難い魅力が満ち溢れていると言える。その後は、リストの灰色の雲や凶星を挟んで、ワーグナー、ベルク、スクリャービンの各ピアノ・ソナタを配列するという演目構成の何と言う巧みさ。いずれの楽曲も決して明るいものではないが、エマールの場合は深刻で重々しくなることはなく、音楽は滔々と淀みなく流れるとともに、センス満点の味わい深さをいささかも失わないのが素晴らしい。そして、スコアに記された音符の表層をなぞっただけの美しさにとどまらず、楽曲の心眼を鋭く抉り出していくような奥行きの深さも健在であり、知情兼備の名演に仕上がっていると評価したい。リストのピアノ・ソナタロ短調は凄い演奏だ。超絶的な技量を要する楽曲であるが、エマールの演奏を聴いているといわゆる技巧臭をいささかも感じさせず、ただただ音楽の美しさ、素晴らしさのみが伝わってくるのが見事というほかはない。随所に聴くことが可能な強靭な打鍵などは圧倒的な迫力を誇ってはいるものの、エマールの場合は、そのような箇所においても独特の洒落た味わいに満ち溢れた美しさを失うことがないのが素晴らしい。おそらくは、同曲演奏史上でも、美しさや味わい深さにおいてはトップの座を争う至高の超名演と評価しても過言ではあるまい。ディスク2は、ディスク1の延長線上にある楽曲として、重くて暗いリストの「エステ荘の糸杉に−哀歌」で開始されるが、その後は、バルトークやラヴェルなどの諸作品を経て、メシアンの鳥のカタログからの抜粋である「カオグロヒタキ」、そしてリストの「オーベルマンの谷」という、崇高な美しさを湛えた楽曲に繋げていくと言う巧みな演目構成にはただただ圧倒されるのみである。いずれの楽曲も彫の深い表現とともに、エマールならではのフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいと優美さを湛えており、いい意味での剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると評価したいと考える。音質は、ウィーン、コンツェルトハウスの豊かな残響を活かしたものであり、SHM−CD仕様であることもあって、エマールのピアノタッチが鮮明に再現されるなど、十分に満足できる高音質であると言える。いずれにしても、本盤は、カプリングの抜群のセンスの良さ、そして演奏内容の素晴らしさにおいて非の打ちどころがないものであり、リスト生誕200年を記念して発売されたCDの中ではダントツに優れた至高の名CDと高く評価したい。

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     2011/10/30

    ハイティンクが得意とするショスタコーヴィチの交響曲の待望の最新録音の登場だ。ハイティンクは、本盤におさめられた交響曲第15番を約30年前にもロンドン・フィルとともに、ショスタコーヴィチの交響曲全集の一環としてスタジオ録音(1978年)していることから、本演奏はハイティンクによる同曲の2度目の録音ということになる。ところで、ハイティンクほど評価が分かれる指揮者はいないのではないか。長年に渡ってコンセルトへボウ・アムステルダムの音楽監督をつとめ、ポストカラヤン争いでも後継者の候補の一人と目されベルリン・フィルの団員にも愛された指揮者であり、そして現在ではシカゴ交響楽団の音楽監督をつとめるという輝かしい経歴の持ち主であるにもかかわらず、ハイティンクの名声が揺るぎないものとは言い難い状況にあると言える。ハイティンクは全集マニアとして知られ、数多くの作曲家の交響曲全集を録音している。いずれも決して凡演というわけではなく、むしろいい演奏ではあるが、他の指揮者による演奏にも勝るベストの名演を成し遂げているとは言い難いのではないだろうか。このように、ベターな演奏を成し遂げることが出来てもベストの名演を成し遂げることができないところに、ハイティンクという指揮者の今日における前述のような定まらない評価という現実があるのかもしれない。もっとも、ハイティンクが録音した数ある交響曲全集の中でも、唯一ベストに近い評価を勝ち得ている名全集がある。それは、完成当時はいまだ旧ソヴィエト連邦が存在していたということで、西側初とも謳われた前述のショスタコーヴィチの交響曲全集(1977〜1984年)である。これは、ハイティンクに辛口のとある影響力の大きい有名音楽評論家さえもが高く評価している全集だ。もっとも、当該全集については、すべての演奏がベストの名演というわけではないところが、いかにもハイティンクらしいと言える。ハイティンクは、ロンドン・フィルとコンセルトへボウ・アムステルダムの両オーケストラを使い分けて全集の録音を行ったが、どちらかと言えば、コンセルトへボウ・アムステルダムを起用した演奏の方がより優れていると言える。したがって、当該全集におさめられた交響曲第15番の演奏は、いささか不満の残る内容であったことは否めないところだ。ところが、本盤におさめられた約30年ぶりの本演奏は、当該全集におさめられた演奏とは段違いの素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。本演奏におけるハイティンクのアプローチは直球勝負。いずれの演奏においても、いかにもハイティンクならではの曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、ショスタコーヴィチがスコアに記した音符の数々が明瞭に表現されているというのが特徴であると言える。したがって、ショスタコーヴィチの交響曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるというのが素晴らしい言えるところだ。加えて、本演奏には、最晩年を迎えたハイティンクならではの奥行きの深さが感じられるところであり、さすがにムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる超名演(1976年)ほどの凄みはないが、同曲に込められた作曲者の絶望感などが、淡々と進行していく曲想の中の各フレーズから滲み出してくるのが見事であると言える。このような彫の深い名演を聴いていると、ハイティンクが今や真の大指揮者になったことを痛感せざるを得ないところだ。ハイティンクの確かな統率の下、かつての手兵であるコンセルトへボウ・アムステルダムが持ち得る実力を最大限に発揮した入魂の名演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると言える。音質の鮮明さ、臨場感など、どれも一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。いずれにしても、ハイティンクによる円熟の名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/10/30

    ホーネック&ピッツバーク交響楽団によるマーラーの交響曲チクルスの第4弾の登場だ。既発売は第1番、第3番及び第4番という初期の交響曲であったが、今回は中期の第5番。これまで好評を博してきたこのコンビによるマーラーの交響曲チクルスの真価が問われる曲目と言うことができるだろう。ホーネックのアプローチは、バーンスタインやテンシュテットなどのように思い切ったテンポや強弱の変化、そしてアッチェレランドを駆使するなどによるドラマティックな演奏ではなく、むしろ近年のマーラー演奏に一般的な、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという演奏を基調としていると言える。そして、このような近年の一般的な演奏の中でも、特にホーネックの場合は、オーケストラの中でヴァイオリンを長年にわたって演奏してきただけあって、各楽器セクションの精緻な響かせ方には際立ったものがあり、各楽器セクションの細やかな動きをおそらくはこれ以上は求め得ないほど完璧に音化しているのが素晴らしいと言える。マーラーの交響曲の演奏において必要不可欠な剛柔のバランスも見事に取られるとともに、前述のような際立った精緻さによって他の演奏ではなかなか聴くことが困難な音型も聴くことが可能となっており、単にスコアに記された音符の表層だけを取り繕っただけの内容の希薄な面白みのない演奏にはいささかも陥っていない点を評価したい。また、とりわけ、第3楽章におけるテンポの思い切った振幅や、第4楽章における効果的なゲネラルパウゼの活用など、精緻かつ丁寧なアプローチの中にも個性的な解釈を的確に散りばめてくれているのも素晴らしい。ピッツバーク交響楽団は必ずしも一流のオーケストラとは言い難いが、それでもホーネックの薫陶の下、他の一流オーケストラと遜色がないほどの名演奏を繰り広げているのも見事であると言える。マーラーの心情の吐露が顕著に表れてきた中期の交響曲第5番だけに、我々聴き手の肺腑を打つのは、バーンスタインやテンシュテットなどによるドラマティックな演奏であると言えるが、ホーネックによる本演奏のような精緻なアプローチもまた、同曲の魅力の一面を表現したものとして高く評価をするのにいささかも躊躇するものではない。そして、本盤の魅力は、こうしたホーネックの精緻なアプローチを完璧に捉えきった極上の高音質録音であると言える。ピッツバーク、ハインツ・ホールの豊かな残響を活かしたSACDによる現在望み得る最高の音質は、マルチチャンネルが付加されていないにもかかわらず臨場感においても申し分がないところであり、ホーネックの精緻なアプローチをより一層際立たせるのに大きく貢献していることを忘れてはならない。いずれにしても本盤は、演奏、録音の両面において極めて水準の高い素晴らしい名SACDと高く評価したいと考える。

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     2011/10/29

    ヴァントは、1990年代に入ってブルックナーの交響曲の崇高な超名演を成し遂げることによって真の巨匠に上り詰めるに至ったが、1980年代以前のヴァントがいまだ世界的な巨匠指揮者としての名声を獲得していない壮年期には、たびたび来日して、NHK交響楽団にも客演を行っていたところだ。本盤におさめられたブルックナーの交響曲第8番及びシューベルトの交響曲第9番「ザ・クレート」は、いずれもヴァントが得意中の得意としたレパートリーであり、NHK交響楽団に客演した際のコンサートの貴重な記録でもある。まずは、シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレート」であるが、演奏は1979年のもの。ヴァントは、同曲をケルン放送交響楽団とシューベルトの交響曲全集をスタジオ録音(1977〜1984年)する際に併せて録音するとともに、その後は、北ドイツ放送交響楽団(1991年)、ミュンヘン・フィル(1993年5月ライヴ録音)、ベルリン・ドイツ放送交響楽団(1993年6月ライヴ録音)、ベルリン・フィル(1995年ライヴ録音)とともに4度にわたって録音していることから、本盤をもって同曲を6度にわたって録音したことになる。これらの6つの演奏のうち、最も優れているのは最後の3つのライヴ録音であることは論を待たないと言えるが、本演奏も含め、その他の演奏も名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。同曲の演奏は極めて難しいと言えるが、ヴァントは、ワルターのようにウィーンの抒情的な作曲家としてシューベルトを捉えるのではなく、むしろ、自らが得意としたブルックナーの先駆者としてシューベルトを捉えて演奏を行っているとも言えるだろう。比較的ゆったりとしたテンポによる演奏ではあるが、演奏全体の造型は他の指揮者によるどの演奏よりも堅固であり、いささかも隙間風の吹かない重厚にして凝縮化された音の堅牢な建造物が構築されたような趣きがあると言える。最後の3つのライヴ録音においては、さらにスケールの雄大さとある種の柔軟性も付加され、いい意味での剛柔のバランスがとれた名演に仕上がっていると言えるが、本演奏は、ケルン放送交響楽団とのスタジオ録音とも共通しているが、徹底して剛毅な演奏に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。もちろん、情感の豊かさを欠いているわけではないが、むしろ演奏全体の造型美や剛毅さが勝った演奏と言えるところだ。もっとも本演奏には、終楽章において特に顕著であるが、ライヴ録音ならではの畳み掛けていくような気迫と強靭な生命力が漲っており、その意味では、ヴァントの壮年期を代表する名演として、ケルン放送交響楽団とのスタジオ録音よりも優れた演奏と評価してもいいのではないだろうか。次いで、ブルックナーの交響曲第8番であるが、これは1983年の演奏。ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との演奏(1971年)、ケルン放送交響楽団との演奏(1979年)に次ぐ3度目の録音ということになる。ヴァントは、本演奏の後も、北ドイツ放送交響楽団との3度にわたる演奏(1987年ライヴ録音、1990年東京ライヴ録音、1993年)、ミュンヘン・フィルとの演奏(2000年ライヴ録音)、ベルリン・フィルとの演奏(2001年ライヴ録音)の5度にわたって録音を行っており、本盤の登場を持って同曲を8度にわたって録音したことになるところだ。いずれ劣らぬ名演と考えるが、この中で最も優れた名演は、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。本演奏の性格はケルン放送交響楽団とのスタジオ録音に近いものと言える。ヴァントがいまだ世界的なブルックナー指揮者としての名声を獲得していない壮年期の演奏であるだけに、1990年代における神々しいばかりの崇高な名演が誇っていたスケールの大きさや懐の深さはいまだ存在していないと言えるところであり、本盤の演奏を前述の1990年以降の超名演の数々と比較して云々することは容易ではある。しかしながら、本演奏においても、既にヴァントのブルックナー演奏の特徴でもあるスコアリーディングの緻密さや演奏全体の造型の堅牢さ、そして剛毅さを有しているところであり、後年の数々の名演に至る確かな道程にあることを感じることが可能だ。また、本盤の演奏においては、こうした全体の堅牢な造型や剛毅さはさることながら、金管楽器を最強奏させるなど各フレーズを徹底的に凝縮化させており、スケールの小ささや金管楽器による先鋭的な音色、細部に至るまでの異常な拘りからくるある種の神経質さがいささか気になると言えるところではあるが、それでも違和感を感じさせるほどでもないというのは、ヴァントがブルックナーの本質を既に鷲掴みにしていたからにほかならないと考えられる。そして、本演奏には、ライヴ録音ならではの畳み掛けていくような気迫と生命力が漲っており、その意味では、ケルン放送交響楽団とのスタジオ録音よりも優れた演奏と言っても過言ではあるまい。いずれにしても、本演奏は、世界的なブルックナー指揮者として世に馳せることになる後年の大巨匠ヴァントを予見させるのに十分な素晴らしい名演と高く評価したい。両演奏ともに、ヴァントの剛毅で緻密な指揮にしっかりと喰らい付いていき、持ち得る実力を最大限に発揮した名演奏を披露したNHK交響楽団にも大きな拍手を送りたい。音質は、1970年代から1980年代にかけてのライヴ録音ではあるが、アルトゥスがマスタリングに協力したこともあって、十分に満足できる良好な音質に仕上がっていると高く評価したいと考える。

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     2011/10/29

    ユニバーサルが昨年来、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の発売を開始したことは、不況にあえぐクラシック音楽界にあって、起死回生とも言うべき素晴らしい快挙と言えるものである。当初は、既に発売されたハイブリッドSACD盤の焼き直しに過ぎなかったところであるが、本年6月のフルトヴェングラーによる一連の録音を皮切りとして、未だSACD化されていない過去の様々な指揮者による名演のSACD化を開始したのは実に素晴らしいことであると言える。そして、今月はヨッフムによる一連の録音のSACD化が行われることになったが、SACD化の対象となる3枚の選定に際しては若干の疑問を感じずにはいられないところだ。カルミナ・ブラーナについては初演者による不朽の歴史的超名演であり全く異存はないが、他の2枚、とりわけ本盤のモーツァルトの交響曲第41番及びシューベルトの交響曲第8番を、何故に今般のSACD化の対象として選定したのかについては、大いに理解に苦しむところである。ヨッフムによるブルックナーの交響曲であれば、第7番ではなく、第6番(ないしは第1〜第3番)を選定すべきであろうし、場合によっては既にハイブリッドSACD盤が発売されているコンセルトへボウ・アムステルダムとの第5番のライヴ録音を選定すべきではないだろうか。また、ヨッフムがモーツァルトを得意としており、何度も繰り返し録音を行っていたことはよく理解できるところであるが、本盤におさめられた演奏も名演の名に値はするものの、他の演奏を押しのけてまで優れた演奏であるとは必ずしも言い難いと考えられる。シューベルトの交響曲第8番についても同様のことが言えるところであり、ヨッフムとボストン交響楽団の組み合わせによる演奏は極めて珍しいと言えるが、仮にそれだけで選定したというのであれば、それはいかにも短絡的と言えるのではないか。せっかくSACD化をするのであれば、他のより優れた演奏を対象とするべきであったと言えなくもないところだ。もっとも、本演奏自体も、ヨッフムならではの重厚でなおかつ滋味豊かな味わい深い名演であり、前述のような問題点を一切度外視して、本盤の演奏だけを聴く限りにおいては何らの文句もつけようがないとも言える。したがって、本盤のアドバンテージは、演奏内容というよりはむしろ、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤による、およそ信じ難いような鮮明な高音質であると言える。従来CD盤は既に長らく廃盤であり比較のしようがないのが残念ではあるが、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは、本演奏の録音年代から言って殆ど驚異的ですらある。加えて、マルチチャンネルが付いていないにもかかわらず、臨場感についても抜群のものがあり、おそらくは現在において望み得る最高の鮮明な超高音質であると言える。いずれにしても、ヨッフムによる素晴らしい名演を、シングルレイヤーによる超高音質SACDで味わうことができることを大いに歓迎したい。

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     2011/10/29

    本盤におさめられたヨッフム&ベルリン・フィルによるブルックナーの交響曲第7番は、ヨッフムが2度にわたってスタジオ録音したブルックナーの交響曲全集のうち、最初のものに含まれるものである。2度にわたる全集はいずれも名全集の名に恥じないものであり、どちらを上位に置くべきかについては大いに議論の分かれるところではあるが、2度目の全集(1975〜1980年)がEMIによる必ずしも万全とは言い難い音質であることを考慮に入れると、私としては1958〜1967年にかけて録音が行われた最初の全集の方をわずかに上位に掲げたいと考えている。当該全集に含まれた演奏はいずれも名演の名に相応しいものであると言えるが、どちらかと言うと、初期の交響曲第1〜3番及び第6番がより優れた演奏であると言える。それでも、後期の第7〜9番の演奏が劣っているというわけではなく、一般的な意味においては名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。本盤の第7番の演奏におけるヨッフムのアプローチは、1990年代になってヴァントや朝比奈が確立した、悠揚迫らぬインテンポによる荘重な演奏とは大きく異なっていると言える。むしろ、随所にテンポの振幅を加えており、旋律もたっぷりと情緒豊かに歌わせるなど、ロマンティシズムの色合いさえ感じさせるほどだ。ブラスセクションなどは、後年のヴァントや朝比奈のように、必ずしも最強奏させることなく、むしろ全体をオルガン風にブレンドしているような印象を受けると言える。したがって、ヴァントや朝比奈の演奏に慣れ親しんだ耳で聴くと、いささか柔和な印象を与えると言えなくもないが、それでもスケールは十分に雄大であると言えるところであり、演奏全体として、ブルックナーの音楽の魅力を十分に描出するのに成功しているというのは、ヨッフムがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならないと言える。同じく後期の交響曲である第8番の演奏においては、いささかスケールの小ささが気になったところであるが、本盤の第7番については、その演奏の壮大なスケール感において不足はないと言えるところだ。ベルリン・フィルもヨッフムの確かな統率の下、その合奏能力を十二分に発揮した壮麗な名演奏を展開しており、その演奏の重厚さにおいては、後年のシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏(1976年)や、ライヴ録音であるミュンヘン・フィルとの演奏(1979年)やコンセルトへボウ・アムステルダムとの演奏(1986年)と言った名演を大きく凌駕していると言っても過言ではあるまい。そして、本盤で素晴らしいのはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、およそ信じ難いような鮮明な高音質に生まれ変わったことである。従来CD盤では、各楽器セクションが明瞭に分離せず、一部混濁して聴こえたりしたものであるが、本盤では明瞭に分離して聴こえるところである。加えて、マルチチャンネルが付いていないにもかかわらず、臨場感についても抜群のものがあり、おそらくは現在において望み得る最高の鮮明な超高音質であると言える。いずれにしても、ヨッフムによる素晴らしい名演を、シングルレイヤーによる超高音質SACDで味わうことができることを大いに歓迎したい。

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     2011/10/29

    ヨッフムがベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団等とともにスタジオ録音したオルフのカルミナ・ブラーナについては不朽の歴史的な超名演として名高いものであり、既に私も次のようなレビューを投稿済みである。「最近では非常に人気のある作品であり、数々の録音がなされているカルミナ・ブラーナであるが、録音以来40年以上が経過した現在においてもなお、本ヨッフム盤の価値がいささかも色あせることはない。それどころか、本演奏は、プレヴィン&ウィーン・フィル盤(1995年)などの様々な指揮者による名演に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。作曲家オルフが認めた演奏であり、ヨッフム自身が同曲の初演者であるということもあるが、それだけでなく、やはり演奏自体が非常に優れていると言える。同曲は、紛れもないドイツ音楽であるが、ヨッフムの演奏は、同曲をドイツ音楽であることをあらためて認識させてくれるのが何よりも素晴らしい。同曲は、華麗な合唱やオーケストレーションを誇る楽曲であることから、最近ではそうした華麗さに焦点を当てた演奏が数多くなされているように思うが(それも、魅力的ではある。)、ヨッフムの演奏は、外面的な華麗さよりは、ドイツ音楽ならではの質実剛健さを基調としていると言える。したがって、全体の造型の堅固さには際立ったものがあるが、それでいてヨッフムは、これ以上は求め得ないようなドラマティックな演奏を展開しており、その畳み掛けていくような気迫と力強い生命力は、圧倒的な迫力を誇っていると言える。あたかも壮大なドイツオペラを鑑賞しているような趣きがあり、そのスケールは雄渾の極みであると言える。歌手陣も優秀であり、特に、ソプラノのヤノヴィッツとバリトンのフィッシャー・ディースカウの歌唱は秀逸である。このうち、フィッシャー・ディースカウの歌唱はうますぎるとさえ言えるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団やシェーネベルク少年合唱団も最高のパフォーマンスを示していると言える。」演奏評については、現在でもこれに付け加えることは何もないが、本盤で素晴らしいのはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、およそ信じ難いような鮮明な高音質に生まれ変わったことである。従来CD盤では、各合唱が一部混濁して聴こえたりしたものであるが、本盤では明瞭に分離して聴こえるところであり、オーケストラとの分離についても申し分がない。マルチチャンネルが付いていないにもかかわらず、臨場感についても抜群のものがあり、おそらくは現在において望み得る最高の鮮明な超高音質であると言える。いずれにしても、ヨッフムによる不朽の歴史的な超名演を、シングルレイヤーによる超高音質SACDで味わうことができることを大いに歓迎したい。

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     2011/10/23

    本盤には、2001年に惜しくも急逝したシノーポリが遺した唯一のシューマンの交響曲全集がおさめられている。シノーポリによるシューマンの交響曲の名演としては、何と言ってもウィーン・フィルとスタジオ録音した交響曲第2番の演奏(1983年)が思い浮かぶ。当該演奏は、カプリングされていた「マンフレッド」序曲ともども、細部に至るまで彫琢の限りを尽くした緻密な表現と豊かな歌謡性を併せ持つ稀有の名演に仕上がっており、とりわけ交響曲第2番については、現在においてもなお、同曲演奏史上トップの座を争う至高の超名演と評価してもいいのではないかと考えているところだ。本全集は、1992〜1993年にかけての演奏であり、ウィーン・フィルとの交響曲第2番の演奏から約10年ぶりのものである。アプローチ自体は、基本的には変わりがないと言えるところであり、オーケストラがウィーン・フィルからシュターツカペレ・ドレスデンに変わったのが最も大きな違いであると考えられる。精神医学者でもあり、作曲家でもあったシノーポリの演奏は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さを特徴としていると言える。このような分析的なアプローチに符号した楽曲としては、例えばマーラーの交響曲などが該当すると言えるところであり、シノーポリも比類のない名演を成し遂げることに成功したところだ。したがって、精神分裂的な気質がマーラーに酷似しているシューマンの交響曲においても、シノーポリが名演を成し遂げたというのは、ある意味では当然のことであったと言えるだろう。シューマンは長年に渡って精神病を患っていたが、シューマンの各交響曲における各旋律の随所に込められている心の慟哭や絶望感を徹底的に追及するとともに抉り出し、持ち味の分析的なアプローチによって完全に音化することを試みており、他のいかなる指揮者による演奏よりも彫の深さが際立っていると言える。他方、シノーポリのイタリア人指揮者としての資質に起因すると思われるが、交響曲第1番や第3番(第4楽章を除く)などに顕著な明朗な旋律の数々も豊かな歌謡性を持って歌い抜いており、細部に至るまで彫琢の限りを尽くした表現を行いつつ、音楽の流れもいささかも淀みがなく流麗に流れていくと言う、ある意味では二律背反する要素を巧みに両立させた見事な名演奏を繰り広げていると言っても過言ではあるまい。そして、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の重心の低い音色が、演奏全体に独特の潤いと奥行きの深さを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。もっとも、第2番については、ウィーン・フィルによる極上の美演の魅力と、若き日のシノーポリならではの畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っていたこともあり、本全集の演奏は1983年の超名演ほどの魅力は有していないと考えられるが、他の交響曲の演奏も含め全集総体としては、シノーポリならでは素晴らしい名演と高く評価したいと考える。併録の序曲、スケルツォとフィナーレは、オペラを得意としたシノーポリならではの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さが光った名演と評価したい。音質は、1990年代のスタジオ録音であり、これまで特段の高音質化は図られていないが、従来CD盤でも十分に満足できる良好なものであると言える。しかしながら、本全集は、シノーポリの遺産とも言うべき素晴らしい名演でもあり、今後は最低でもSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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     2011/10/23

    本盤におさめられたシューベルトとシューマンのピアノ五重奏曲は、今をときめく弦楽四重奏団であるカルミナ弦楽四重奏団が田部京子を迎えてスイスにてスタジオ録音を行ったものであるが、両曲ともに素晴らしい名演と高く評価したい。何よりも田部京子の気品溢れるピアノ演奏が素晴らしい。ロマン派を代表するピアノ五重奏曲だけに、ロマンティシズム溢れる名旋律の宝庫でもある両曲であるが、田部京子は一音一音を蔑ろにせずに精緻に、そして情感豊かに曲想を描き出しているところだ。ある意味ではオードドックスとも言えるアプローチであるが、田部京子の場合は、どこをとっても気品と優美さを失っていないのが見事であると言える。情感を込めるあまり全体の造型が弛緩したり、はたまた陳腐なロマンティシズムに拘泥するようなことは薬にしたくもなく、どこをとっても格調の高さを失っていないのが田部京子のピアノ演奏の最大の美質であると言える。カルミナ弦楽四重奏団は、現代を代表する弦楽四重奏団として、現代的なシャープな演奏を特徴としているが、本盤の演奏においては、そうした片鱗を感じさせはするものの、共演に田部京子も得て、この団体としてはオーソドックスなアプローチに徹しており、奥行きのある豊かな情感に満ち溢れた名演奏を展開しているとも言えるのではないだろうか。いずれにしても、本盤の演奏は、田部京子とカルミナ弦楽四重奏団の抜群の相性の良さが功を奏した素晴らしい名演として高く評価したいと考える。次いで音質について指摘をしておきたい。ユニバーサルが昨年夏ごろからシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の発売を開始したが、それから約1年が経過して、日本コロムビアも同様にシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤に踏み切った。4500円という価格が適正化どうかはともかくとして、EMIなども含め、昨年来の大手レコード会社によるSACD化への積極的な取組については大いに歓迎したいと考える。本盤は、数年前に発売されたマルチチャンネル付きのハイブリッドSACD盤であるが、正に文句の付けようのない極上の高音質であると言える。それに対して、今般日本コロンビアが満を持して発売したのは、前述のようにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤であり、その音質面の比較は困難を極めるとも言える。これほどのハイレベルの高音質になると、後は好みの問題とも言えるが、私としては、音質が若干シャープかつより鮮明になったという意味において、今般新たに発売されたシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の方をより上位に掲げたいと考える。いずれにしても、田部京子&カルミナ弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、現在望み得る最高の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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     2011/10/23

    ユニバーサルが昨年夏ごろからシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の発売を開始したが、それから約1年が経過して、日本コロムビアも同様にシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤に踏み切った。4500円という価格が適正化どうかはともかくとして、EMIなども含め、昨年来の大手レコード会社によるSACD化への積極的な取組については大いに歓迎したいと考える。本盤におさめられたシューベルトとシューマンのピアノ五重奏曲は、今をときめく弦楽四重奏団であるカルミナ弦楽四重奏団が田部京子を迎えてスイスにてスタジオ録音を行ったものであるが、両曲ともに素晴らしい名演と高く評価したい。何よりも田部京子の気品溢れるピアノ演奏が素晴らしい。ロマン派を代表するピアノ五重奏曲だけに、ロマンティシズム溢れる名旋律の宝庫でもある両曲であるが、田部京子は一音一音を蔑ろにせずに精緻に、そして情感豊かに曲想を描き出しているところだ。ある意味ではオードドックスとも言えるアプローチであるが、田部京子の場合は、どこをとっても気品と優美さを失っていないのが見事であると言える。情感を込めるあまり全体の造型が弛緩したり、はたまた陳腐なロマンティシズムに拘泥するようなことは薬にしたくもなく、どこをとっても格調の高さを失っていないのが田部京子のピアノ演奏の最大の美質であると言える。カルミナ弦楽四重奏団は、現代を代表する弦楽四重奏団として、現代的なシャープな演奏を特徴としているが、本盤の演奏においては、そうした片鱗を感じさせはするものの、共演に田部京子も得て、この団体としてはオーソドックスなアプローチに徹しており、奥行きのある豊かな情感に満ち溢れた名演奏を展開しているとも言えるのではないだろうか。いずれにしても、本盤の演奏は、田部京子とカルミナ弦楽四重奏団の抜群の相性の良さが功を奏した素晴らしい名演として高く評価したいと考える。音質は、数年前にマルチチャンネル付きのハイブリッドSACD盤が発売され、それは極上の高音質であった。それに対して、本盤はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤であり、その比較は困難を極めるとも言える。これほどのハイレベルの高音質になると、後は好みの問題とも言えるが、私としては、音質が若干シャープかつより鮮明になったという意味において、本盤のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の方をより上位に掲げたいと考える。いずれにしても、田部京子&カルミナ弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、現在望み得る最高の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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