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Review List of 村井 翔 

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  • 10 people agree with this review
     2015/03/20

    メトでの『ジークフリート』が素晴らしかったので(『神々の黄昏』も悪くはないが、こちらの方が遥かに上)、大いに期待して買った録音。演奏、選曲ともに明確な主張があり、見事な出来ばえのCDだ。演奏の特徴は、かつては厚塗りの油絵だったワーグナーの響きが水彩画になった、と言えば分かりやすいだろう。響きがスリムに、見通しよくなり、埋もれていた声部がクリアに聴こえるようになった。「ジークフリートの葬送行進曲」のクライマックスでは、これまで金管の咆哮に押しつぶされがちだった高弦の対位旋律が明確に聴こえるし、低弦が引きずるような「英雄の死の動機」を繰り返しているのも、はっきり聴き取れる。カラヤンやサヴァリッシュ、ベームに対しても、前の世代のワーグナー指揮者に比べて響きが透明になったと言われたものだが、ルイージはさらに一歩進んでいる。彼の演奏自体は HIP(Historically informed performance)とは呼べないだろうが、その影響を受けていることは間違いない。しかし、響きがスリムになったからといって演奏自体が「草食系」になったわけではない。「ジークフリートのラインへの旅」のアッチェレランドによるクライマックスへの持ち込み方など、堂に入ったものだし(ちなみに、演奏されているのは『黄昏』の第1幕終わりとも違う、独自の終結部をつけた版)、『トリスタンとイゾルデ』のつややかな官能美も見事なものだ。
    選曲は『パルジファル』前奏曲から珍しい『妖精』序曲へと、ワーグナーの音楽語法の発展を逆向きにたどれるように工夫したもの。『妖精』から『ローエングリン』までですら、同じ作曲家とは思えぬほどだ。ただし、ちょっと画竜点睛を欠いた感があるのは『さまよえるオランダ人』序曲がないこと。同時期にアルティノグル指揮によるチューリッヒでの『オランダ人』全曲録画が出るので遠慮したのかもしれないが、CDの収録時間にも余裕があるわけだから、あと一曲入れてもらいたかった。
     

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  • 6 people agree with this review
     2015/03/19

    チョン・ミョンフンのマーラー9番は東フィル(2006年)、N響(2008年)との演奏を聴いたことがある。指揮者と曲との相性の良さは間違いなく感じたが、技術的に難のあるオケに足を引っ張られて(あくまで一昔前の話。両オケとも今は非常にうまいです)、必ずしも会心の演奏ではなかったように思う。しかし、このCDは見違えるような素晴らしい出来。ほぼ半年後に収録されたインバル/都響と実にいい勝負だが、演奏の性格は全く対照的だ。対位声部が克明に表出されたインバルの演奏はいかにもがっちりと作られた構築物という印象だが、チョンの方はさらに細かく緩急の変化をつけ、デリケートな陰影と柔軟な歌に富んでいる。写真を見ると弦の編成が非常に大きいことが分かるが(18型。ただし対向配置ではなく、指揮者の右横はヴィオラ)、決してゴリゴリ弾かせることはなく、弦の豊麗な歌はしなやかに流動する。特に第1楽章の構えの大きさ、呼吸の深さは出色。第2楽章も流麗な演奏だが、ここでは苦みの効いたアイロニーと3主題の描きわけが欲しい。こういう音楽はこのコンビ、意外に苦手かもしれない。第3楽章は副主題部でテンポを落とすほか、終盤の終楽章先取り部が遥かに遅いので、物理時間はインバルよりかかっているが、基本テンポはこちらの方が速い。技術的には限界ぎりぎりの猛烈なスピードだが、演奏からは強靱さよりもむしろ軽やかな俊敏さを感じる。もちろん最後は凄まじい突進を見せるが、大見得を切るようなアゴーギグは非常に個性的。終楽章ではインバルが強音のアタックを強調する楷書風演奏なのに対し、チョンは角を丸めて音楽を流線型につなげようとする。見事に正反対だ。ソウル・フィルの弦は強音よりも弱音、息をひそめて歌う部分の繊細なデリカシーに持ち味があるが、それはこの楽章最終盤で絶大な威力を発揮している。

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  • 5 people agree with this review
     2015/03/17

    今や世界で一番面白いコンビと言っても過言ではないホーネックとピッツバーグ響のリファレンス・レコーディングズへの録音三作目。今回も指揮者自身がライナーノートを執筆していて、演奏意図はそこに全部書いてある。ブルックナーが手紙など色々なところで書いたこの曲についての説明、今やほとんど顧みられることもないアレを全く字義通りにとって、交響曲を標題音楽、事実上の交響詩として解釈してみようというのが今回の作戦。第1楽章冒頭は「中世の町で、町役場の尖塔から朝を告げるホルンが響いてくる」、第3楽章は「狩りのスケルツォ」なんてのは、ごく常識的な曲のイメージ通りで何ということもないけど、第1楽章第2主題は「シジュウカラの鳴き声」ということで、HMVレビューの記述通り、かなりテンポが速い。第2楽章は「若者が恋人の窓辺に忍び寄ってセレナードを歌おうとするが、拒まれる」のだそうだ。そんなイメージでこの楽章を聴いたことはなかったが、葬送行進曲と言うよりはもう少し足どりの軽いこの演奏なら、確かにそのようにも聴こえる。第4楽章冒頭は「晴れた一日の後に突然、夜の嵐が襲ってくる」。これもなるほどという感じ。第8番でこんなことをやられちゃかなわないが、第4番ならこれも面白いと思える。全体としては先の二作、R.シュトラウスとドヴォルザークほど過激ではないが、やはりかなり細かくテンポを動かす演奏。スケルツォのトリオのように民俗音楽(レントラー)の語法を露骨に使うところでは、テンポ・ルバートが巧みだ。終楽章第2主題が意外な快速調で、リズミックな弾み(田園風景の中をスキップするような感じ)を見せるのも新鮮だった。なお、録音は相変わらず優秀だが、第3楽章冒頭など編集が荒っぽいと感じる。音が切れているわけじゃないと言われれば、確かにそうなのだが。

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  • 2 people agree with this review
     2015/02/27

    バーバラ・ハンニガンの題名役は確かに一見に値する。コヴェントガーデンの『リトゥン・オン・スキン』でもセックス・シーンを含むなかなか大変な役を体当たりで演じていたが、こちらでは全裸にこそならないものの、最初から「あられもない」姿で登場。演技も非常にうまいし、歌の方も難しい「ルルの歌」など技術的にもきわめて高度。本格的に踊るシーンこそないものの、トウシューズで爪先立ちできるバレエの素養もこの役には有利だ。他には見事なハマリ役と言えるヘンシェルのシェーン博士、軽めの声だがとても丁寧に歌われているワークマンのアルヴァ、魅力的なペトリンスキーのゲシュヴィッツ(最近、どの上演でもこの役は魅力的に演じられている)と歌手陣は揃っている。問題は演出。舞台中央の透明な檻のような空間を一貫して副舞台として使うほか(ルルはこの中で切り裂きジャックに刺されるので、観客から丸見えだ)、舞台後方でも常に何らかの演技が展開。上部のモニターにも常に映像が映っているので、舞台前面の本来の演技空間と合わせて三元、あるいは四元同時進行でストーリーが展開してゆく。情報量が多いこと自体は悪いことではないが、シェーン博士射殺というような重要なアクションすらも、あちこちで同時進行する演技の重なりの中に埋もれてしまうのは、やはりまずかろう。さらに言えば、ルルがサロメやマリエッタ(『死せる都』)同様、「踊る女」であるというのは確かに物語の重要なファクターであるし、そもそもバレエは非常にエロティックな芸術ではあるが、この演出ではバレエがらみのネタが多すぎないか。指揮者はイングリッシュ・ナショナル・オペラで英語版全曲を録音していた人のはずだが、あまりに猥雑な舞台に押されて、ほとんど印象に残らない。

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  • 3 people agree with this review
     2015/02/27

    演出のアンドレア・ホモキが相変わらずいい仕事をしている。舞台は一貫してダーラントの家、正確に言えば貿易商社ダーラント商会のオフィスの中。時代は20世紀初頭といったところか。第1幕では幽霊船は姿を見せず、オランダ人は事務所の中にまさしくゴーストのごとく忽然と登場する。つまり、舞台を支配しているのは1920年代ドイツ怪奇映画の雰囲気。歌に合わせて壁の絵(実はテレビモニター)が動く「ゼンタのバラード」もまさしくそうしたテイストだ。ちなみに娘たちはもはや糸紡ぎはしておらず、商会のタイピスト達という設定。タイプライター、電報、電話といった当時の最新メディアが登場している。このオペラをハッピーエンドで終わらせようとするのは、もはや欺瞞でしかないと思うが、クプファーと同じ1843年初演時の稿を採用していることからも分かるように、最後は予想通りの結末。他には幽霊船の船員たちの歌とともに壁のアフリカ地図が燃え上がる第3幕第1場もなかなか秀逸。第1幕からダーラントの召使いとして黒人の青年が登場していたのは、この伏線だったのかと合点がいく。
    歌手陣はきわめて強力。ターフェルは声の力、表現力ともに申し分ないが、例によって、ちょっと作り物めいた歌。でも、この演出ではゴーストという設定なので、これで構わない。カンペは声の力自体は圧倒的とは言えないが、思い込みにとらわれた乙女を的確に表現して、まことに素晴らしい。半世紀前のアニア・シリアもこんな感じだったろうか。ダーラントがサルミネンというのも豪華だが、声自体の衰えをさほど気にする必要のない役だし、娘を金品同様にやりとりしてしまう家父長制の象徴としては、これぐらい貫祿があってもいい。指揮はもう少しワイルド、粗削りであってもいいと思うが、響きをあまりふくらませず、初期ワーグナーらしい節度を守った上で、十分な劇的迫力は確保している。

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  • 0 people agree with this review
     2015/02/11

    『ツァラトゥストラ』と『ティル・オイレンシュピーゲル』はこれに先立ってバーミンガム市響とのライヴ録音があったが、そちらの方がはるかに個性的で、精彩がある。ショスタコの8番も一年前のベルリン・フィル・デビューの時の演奏と比べて、コンセルトヘボウとの映像ディスクではだいぶ大人しくなったが、この曲に関しては「若さに似合わぬ」内省的な演奏も悪くないかなと思った。しかし、シュトラウスのポピュラー名曲での安全運転演奏は買えないな。もちろんバーンスタイン以後、最も絵になる(指揮台上でのアクションと出てくる音がぴったり一致している)指揮者と言える、ネルソンスの指揮ぶりが見られるのは楽しいけれど、演奏そのものは物足りない。これならパリ管との『アルプス交響曲』の録画をディスク化した方が良かったかも(ちなみにその前座、セルゲイ・ハチャトリアン(Vn)とのベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲は驚異的名演)。まだ前途洋々の才能なのだから、このままただ器用なだけの指揮者にはなってほしくないな。「ポピュラー名曲」ではない『マクベス』でも、もともと粗削りなこの曲らしさをもっとアグレッシヴに見せてほしかった。

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  • 1 people agree with this review
     2015/02/11

    ルイージ指揮の『リゴレット』にはドレスデンでの録画もあったが、フローレス、ダムラウといった大物歌手出演にもかかわらず、いまだ映像ディスク化されていない。まあ当然だろう。レーンホフのゴテゴテと飾りたてただけで、焦点の定まらない演出が何もかもぶち壊しにしてしまったからだ。それに比べて、このギュルバカ演出の何と素晴らしいこと。HMVレビューの通り、大道具のほとんど何もないアンチリアルな舞台だが、それが逆に観客の想像力をかき立てる。そもそもこのオペラでは、ジルダがなぜマントヴァ公の身代わりで死のうとまでするのか、「うぶな乙女の思い込み」以上の説得力ある説明が見つからない。今回の舞台では第3幕の「女心の歌」から「四重唱」にかけて、通常と全く違った展開になるが、女性演出家らしくジルダの心情にさらに切り込もうという意図を見ることができる。彼女の「救い」を表現した最終景もなかなか秀逸。
    主役三人はいずれも好演だが、特にめざましいのはクルザク。ジャケ写真が彼女なのも偶然ではあるまい。技術的にもきわめて繊細、緻密だが、無理をすればハイティーンに見えないこともない容姿も高得点だ。彼女に「命をかけて」愛されるマントヴァ公は、ただの軽薄男ではなく、それにふさわしいキャラである必要があるが、ピルクは声楽的に輝かしいのみならず、そういう要求にもちゃんと応えている。ペテアンはヌッチのように鬼気せまる演唱
    ではないが、父親らしい暖かみを感じさせる歌。過去の歌手ではブルソンに近いタイプか? ルイージの指揮も全く見事。心理的な綾の表現が鮮烈、克明でシノーポリの録音を思い出させるが、遅い所でシノーポリほどもたれないのがさらに良い。

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     2015/02/03

    フランクフルト放送響音楽監督時代のパーヴォ・ヤルヴィ最大の仕事であるマーラー交響曲全曲録画がいよいよリリース開始。このツィクルスでは三箇所の収録地を使い分けるということだが、第1番はユーゲント様式の装飾が美しい、20世紀初頭に建てられたヴィースバーデンのクアハウス付属のコンサートホール(設計者の名前をとってフリードリヒ・フォン・テイアシュ・ザールと呼ばれる、座席数1300ほど)で収録。第2番はラインガウのエーベルバッハ修道院で収録、客席後方に置かれたバンダとの掛け合いではさすがに縦の線が合わないが、残響の長い聖堂内での録音にもかかわらず、音そのものは予想以上にきれいに録れている(イーリー大聖堂でのバーンスタインの録画とはケタ違い)。さて、肝心の演奏について。この2曲はマーラーとしてはまだ独自スタイルに至る完成途上の作品で、意外に因習的な書法ときわめて斬新な書法が混在しているが、指揮者は前者の側面には目もくれない。だから第1番にはもう少し甘やかなロマンティシズムが、第2番にはスケール感と宗教的な雰囲気が欲しいという不満も出てこようが、指揮者は相変わらずスリムなフランクフルト放送響の響きを生かして(このオケのこうした特質はインバル時代と少しも変わらないが、技量自体は遥かに上がっている)、クールかつ鋭利に、マーラー音楽の前衛的な側面に切り込んでゆく。細かいクレッシェンドとディミヌエンド、弦楽器のグリッサンド、ホルンのゲシュトップト奏法など総譜の細部が克明に音化されているのも、現代のマーラー演奏としては通例通り。だから全体としては曲にのめり込まない、客観的な解釈なのだが、表現の振り幅自体は、たとえばインバル/都響などより遥かに大きく、随所で細かいアゴーギグ(加速・減速)を駆使している。さらに特筆すべきなのは、ボーナストラックでの指揮者の曲についてのコメント。そんなに雄弁に語るというタイプの人ではないが、全くダメだった某指揮者とは段違いの、知性の高さを証拠立てるような非常に鋭い言葉が随所に聞かれる。たとえば「マーラーが多くを望んだのは衝撃、時には醜さ」(第1番)、「明らかに復活を信じていない人が書いた『復活』交響曲」(第2番)など。つまり、ヤルヴィは第2番をマーラーがキリスト教世界に迎え入れてもらうための自己偽装、自己演出の作品と考えているわけで、聖堂内での演奏にもかかわらず、第2番の演奏が全く非宗教的である理由がこれで納得できる。

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  • 5 people agree with this review
     2015/01/19

    演出はなかなか秀逸。映像投影を全く使わず、最小限の装置と星空を散りばめた前面扉の開閉だけで手際よく見せるが、型通りではない一味違った趣向があちこちにある。もちろん人物の服装は現代のもので、ドンナ・アンナは婚約者は押さえておきたいが、ドン・ジョヴァンニとはしっかり「お楽しみ」してしまうし、ツェルリーナも純朴な田舎娘ではなく、もう少しヤンキーな姐ちゃんになっている。第2幕のセレナードの場で、天井から垂らされたシーツを伝ってエルヴィーラのメイドが降りてくるというアクロバットがほぼ唯一の派手な見せ場。地獄落ちの場も地味ながらしっかり作られていて、舞台に置かれた石像たちはこの伏線だったのかと合点がいく。
    スター揃いの歌手陣だが、まずシュロットの主役が魅力的。今どきこんなスーパースター型ドン・ジョヴァンニをやって、サマになるのは彼ぐらいだろう。ネトレプコにとってドンナ・アンナは既に手に入った役。堂々たる安定感だが、女声陣の中で最も目立つのは、実はエルンマン。シリアスかつ滑稽、かなりパロディの気味を漂わせつつ、狂気さえ垣間見せる役作りで、見事に主役の対抗軸になっている。完全なプラハ版なので第2幕のアリアがないのが惜しいほどだ。画像つきカタログの収集に余念のないカメラ小僧のピサローニも相変わらずの芸達者。カストロノーヴォの繊細さも出色だ。ヘンゲルブロックの指揮がまた実に素晴らしい。そんなにピリオド臭を前面には出さないが、緩急自在の指揮で、抱腹絶倒の場面が一瞬にして修羅場に変ずるこの難しいオペラを鮮やかに仕切ってみせる。コンティヌオのフォルテピアノはかなり雄弁、歌手たちも随時、即興的なカデンツァを加えるというスタイルの演奏だ。

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  • 6 people agree with this review
     2015/01/18

    何といっても10番はマーラー全作品中、最愛の一曲であるから、渡邉暁雄と都響によるクック版の日本初演(1976年)以来、聴きうる限りの5楽章版の演奏には欠かさず足を運んできたが、これはやはり別格と言うべき圧倒的な演奏。近年のインバルの指揮は、総譜の緻密な再現に徹して、余分な表情づけをどんどん切り捨てていっているが、クック版は演奏家による表情づけがなければ、もはや音楽にすらならないような楽譜。全曲最後のヴァイオリンのグリッサンドをフリーボウイングで印象づける(結果としてトーン・クラスターのように聞こえる)など、演奏経験豊富な指揮者ならではの練達の技が随所で光るが、インバルとしては珍しい積極的な楽譜への踏み込み(第2スケルツォではマーラーの書法ではないと評判の悪いシロフォンをあえて採用してさえいる)がもともと淡白なクック版と絶妙な化学変化を起こしたと考えるべきだろう。今回のマーラー・ツィクルス最大の成果であることは間違いない。ただ、一箇所だけ文句を言うならば、響きの薄い箇所でせっかちになりがちな、彼の悪癖が顔をのぞかせてしまっている。具体的には第4楽章末尾や第5楽章冒頭だが、こういう所ではもっと休符に「物を言わせて」ほしかった。都響はもちろん圧倒的にうまく柔軟性に富み、その限りでは何も言うことはないのだが、今のところは指揮者の道具でしかない。オーケストラ自体が明確な個性と自発性を持って、指揮者の解釈に対峙できるようになれば正真正銘、どこへ出しても恥ずかしくない世界第一級のオーケストラだ。

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     2015/01/18

    「高雅で感傷的なワルツ」と「ラ・ヴァルス」を両端に置き、スクリャービンからも珍しい「ワルツ Op.38」を入れているが、まずこの人の三拍子の取り方が面白い。前のめりに突っ込むかと思うと、ウィンナ・ワルツ風に二拍目を遅らせてみたりと、変幻自在だ。本人は直感的にやっているのかもしれないが、譜面上は三拍子でも変拍子のような不安定な感覚を味わわせる。「ラ・ヴァルス」ソロピアノ版はユジャ・ワンと互角の勝負。テンポの緩急や強弱を含めて「押したり引いたり」の呼吸は、今のところユジャ・ワンの方がうまく、現時点ではより完成されたピアニストであることが分かる。リムは終始押しまくりなので聴き疲れするが、眩暈がするような麻薬的な感覚は、こちらの方が上だ。一見、彼女の芸風に合いそうにない「ソナチネ」も面白い。ラヴェルの擬古典主義の仮面をひっぺがして、不穏な情動をえぐり出してみせる。一方のスクリャービンは相変わらず個性的ではあるが、様式的には全くぴったり。でも彼女がスクリャービンでデビューしなかった理由は良く分かる。技巧の切れ味は申し分なく聞き取れるが、ベートーヴェンのような暴力的なインパクトはないからだ。ヤマハを弾くのも、響きが飽和するのを嫌って、むしろ金属的な鋭さを求めているからだろうが、録音はベートーヴェンより直接音が多めになって、指が回りすぎるために細かい音が聞き取れないという不満はだいぶ解消された。

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     2015/01/12

    この時の演奏がディスクで出ることになったのは、何といってもネトレプコのおかげなのだから彼女には感謝しないわけにはいかない。肝心の演奏はというと・・・一昔前までのロシア人歌手のドイツ語たるや実にひどいものだったが、さすがに彼女の世代になれば、そんな心配は無用。声自体には今が盛りの歌手らしい堂々たる輝きがあるし、歌詞への情感の乗せ方も、何語で歌ってもやはり彼女はうまい。けれども、発音自体の明晰さやここぞという所(たとえば全曲最後の一行)の決め方では、まだドイツ語ネイティヴの歌手にかなわない(近年の録音ではシュヴァネヴィルムス/シュテンツが秀逸。ジェシー・ノーマンの録音は依然として比較を絶した遥かな高みにあるが、これを聴いて、もうシュヴァルツコップは要らないなと私は思った)。いずれ映像も出るだろうが、譜面台を前に置いて、楽譜を見ながら歌っている。
    というわけで、この盤の本命はもちろん『英雄の生涯』。これはバレンボイム昔からの得意曲で、(前座のモーツァルト K.595のピアノ協奏曲の方がさらに凄かったが)1989年、昭和女子大人見記念講堂でのパリ管との演奏など、私の生涯最高の音楽体験に数えられるほどだ。細部まで非常に克明、力こぶもりもりという印象だったシカゴ響との録音に比べると、今回はやや枯れた感じ。特に前半は抑え気味に進むが、「英雄の戦場」は相変わらず華々しく盛り上がり、再現部の頭にクライマックスを持ってくる。音楽自体としてはこの先「英雄の業績」「隠遁と完成」と嫌らしさ満点の部分が続くのだが、今のバレンボイムは、ついにこういう所をそれにふさわしい風格を持って振れる年齢に達した。このピアニスト=指揮者を半世紀にわたって聴き続けてきた聴き手としては、まことに感慨深い演奏。

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     2015/01/05

    演奏スタイルは『フィガロ』と同じ。即興的なカデンツァの挿入は華々しいし、コンティヌオのフォルテピアノは雄弁。テンポの速さも相変わらずで、序曲主部や第2幕フィナーレ冒頭では正真正銘のプレストが聴ける。歌手陣も『フィガロ』以上の充実で、ドン・アルフォンソ役がやや弱く、「恋人たちの学校」の仕掛け人としての存在感を示し得ていないのは残念だが、他はいずれも良い。ケルメスの清潔だが貧血性気味の歌はあまり好きではなかったのだが、ちょっとアナクロなほど貞操の固い姉娘にはぴったり。妹役のエルンマンは技巧の切れ味、性格表現ともに達者だ。デスピーナはそもそも見せ場たっぷりのおいしい役だが、カシアンも大車輪の活躍。ターヴァー/マルトマンの士官コンビも申し分ない。このオペラは一面では典型的なオぺラ・ブッファでもあるので、そういう面に限れば、つまり第1幕の終わりまでなら百点満点の演奏と言える。
    けれども、『コジ』はそのストーリーも音楽も『フィガロ』とは比べ物にならぬほど深く、苦く、過激だ。もちろん指揮者もそれを知らないわけではなく、第2幕のドラベッラ/グリエルモの二重唱の全部、あるいはフィオルディリージのロンドやフィオルディリージ/フェランドの二重唱の一部、さらに第2幕フィナーレの一部(乾杯の四重唱)などでは歌手たちに声を張らせず、ソット・ヴォーチェのまま押し通している。ショスタコの交響曲第14番でも使われたスタジオ録音ならではの手法だが、これらの音楽における情念の深さに配慮した解釈だろう。ただ、そうした部分が全体のアグレッシヴな様式の中でやや浮き気味で、渾然一体となっていないのが惜しい。第2幕フィナーレ終盤も本来、全員が途方に暮れた状況であるはずなのだが、少し素っ気なさ過ぎる。というわけで、若干の注文はつけたが、凡百のモーツァルト演奏をはるかに超える水準の録音であることは変わらない。星は5つのままにしておきたい。

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     2014/12/29

    ミキエレットの演出では例外なく舞台は現代、つまりは読み替え演出だ。けれども彼の場合、現代のスター演出家が必ず見せてくれるような、読み替えによってオペラから何が取り出したいのか、どんな新しい面を見せたいのかという問題意識が希薄であるように思えてならない。ただ、こうも読み替えられるから、この方がファッショナブルだから、という理由で舞台を現代に変えているだけなのだ。それでも同じザルツブルクの『ボエーム』、新国立の『コジ・ファン・トゥッテ』、二期会の『イドメネオ』ではそれなりに光るところがあった。それらに比べると、この『ファルスタッフ』は最悪だ。これは確かに練達の書法で書かれたヴェルディ最後のオペラだが、老いを感じさせるようなところは皆無だし、むしろ非常にみずみずしい作品だ。それをどうして「カーサ・ヴェルディ」住まいとなった老人の見た夢にしなければならないのか、私にはさっぱり理解できない。
    歌手陣は決して悪い出来ではないが、マエストリの芸達者ぶりを味わうのならベヒトルフ演出のチューリッヒ版以下、他にいくらでも良い映像ソフトがある。他にもう一つ、耳を覆いたくなるほどひどかったのは、鈍重なだけで全く生気のないメータの指揮。少なくとも壮年期まではいい仕事をした指揮者なのだから、これ以上、晩節を汚さないでほしいというのが私の切なる願いだ。

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     2014/12/29

    日本で売られている商品に付いている「くるみケース」には「日本語字幕付き」と大書されているものがあるが、HMVレビューの記述通り日本語字幕はないので、くれぐれもお間違えなく。こういう不当表示は困るが、字幕があろうがなかろうが、この稀代の名演出、名舞台がNTSC版DVDになったのは大歓迎だ。PAL版DVDを持っていた私も買い直しました。これをコンヴィチュニー演出の最高傑作と断言する勇気はないが(許先生の著書によれば、日本で見られるのは彼の仕事のまだほんの一部に過ぎないようだ)、彼以外の誰にも作れない独創的な舞台であることは確かだ。序盤のパロディ路線が徐々にマジ路線に転換してゆくペース配分のうまさ。第2幕第2場の終わり、メロートに先導されたマルケ王一行が逢引きの場を急襲すると(その時、劇場内のすべての明かりが点灯する)、いるはずの二人の恋人たちはもぬけの殻で、それまで舞台だと思ってきた空間の下にさらに舞台があることが分かるという鮮やかな仕様。そして、もはや語り尽くされた感すらあるが、オペラとは演劇ではなく、演劇とは全く別種のアンチリアルな劇形式であることを改めて思い知らされる「愛の死」の名演出。何度見返しても感嘆するばかりだ。
    マイアーは来日公演時のインタヴューでこの演出のことをボロクソにけなしていたが、あれはオールド・ファン向けのリップサービスに過ぎなかったのだろう。映像を見ると、彼女が演出意図を完全に理解していることが良く分かるし、しかも三種類の映像があるマイアーのイゾルデ役のなかで、明らかにこれが最も良い。そもそも主演歌手にとって、「愛の死」の場面など、こんなに「おいしい」演出は他にあるまい。小太りで童顔のジョン・フレデリック・ウェストは見た目のイメージとしては好ましいトリスタン役ではないかもしれないが、その強靱な声は得難いし、演技はとても上手いのだ。他にはリポヴシェク、ヴァイクル、モルという完璧な布陣。(顔の演技だけだが)第2幕終盤でのモルの喜劇的センスには思わず吹き出してしまう。そしてメータの指揮がまた実に素晴らしいのだ。第2幕の白熱的な愛の二重唱には、手に汗握る。われわれが知るフルトヴェングラーの『トリスタン』全曲演奏は彼のベスト・フォームからは程遠いフィルハーモニア管とのスタジオ録音しかないことを割り引いて考える必要があるが、とりあえずあれを基準とするならば、メータの指揮は「フルトヴェングラー以上」と言っても差し支えない。メータ一世一代の名演だ。

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