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9 people agree with this review 2012/05/01
スメタナの交響詩「わが祖国」は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」と並んで、累代のチェコ出身の指揮者にとっては、最も重要なレパートリーとして位置づけられる名曲中の名曲という存在であり、それらの累代のチェコ出身の指揮者によって優れた名演の数々が生み出されてきた。チェコ・フィルとの演奏に限ってみても、録音年代については本レビューにおいては省略するが、往年の名指揮者ターリヒにはじまり、アンチェル、ノイマン、クーベリック、スメターチェクなど、枚挙にいとまがないと言える。アンチェルによる演奏は1963年のものであるが、ナチスによって家族を虐殺されるという悲劇的な経験をしたアンチェルにとっても、同曲は極めて重要な作品であったと言っても過言ではあるまい。本盤におさめられたアンチェルによる同曲の演奏は、やたらチェコの民族色を振りかざしたものではない。即物的な解釈で知られたターリヒほどではないが、後年のクーベリックやノイマンなどと比較すると、華麗さなどは薬にしたくもなく極めて地味な解釈に徹しており、純音楽的なアプローチによる質実剛健さが持ち味の演奏であるとさえ言えるのではないかと考えられる。しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、祖国チェコへの深い愛着、そして、自らが悲惨な経験をしたからこそ強く希求する平和への願いが込められていると言えるところであり、端正にして質実剛健な様相の演奏でありつつも、内に秘めた強靭な生命力、そして祖国チェコへの深い愛着に基づいた豊かな情感には尋常ならざるものがあると言えるところだ。こうした真に味わい深い演奏こそは、正に悲劇の指揮者アンチェルだけに可能な彫の深い表現とも言えるところであり、その意味では、累代のチェコ出身の指揮者による同曲の数々の名演と比較しても、いささかも遜色のない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。音質については、1963年のスタジオ録音であり、私はこれまで1995年に発売された国内CD盤により愛聴してきたが、音場があまり拡がらず、いささかデッドで今一つの音質であったことは否めないところだ。しかしながら、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売されるに及んで驚いた。音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である。いずれにしても、アンチェル&チェコ・フィルによる歴史的とも言うべき素晴らしい名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。
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2 people agree with this review 2012/04/30
スメタナ弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲については、既に第12番及び第14番、そして第15番及び第16番をおさめたCDがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されて発売されているところだ。そして、今般は、ついに第13番と大フーガが、その第3弾として待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされることになった。スメタナ弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の名演としては、1976〜1985年という約10年の歳月をかけてスタジオ録音したベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集が名高い。さすがに、個性的という意味では、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による全集(1978〜1983年)や、近年のタカーチ弦楽四重奏団による全集(2002年)などに敵わないと言えなくもないが、スメタナ四重奏団の息のあった絶妙のアンサンブル、そして、いささかもあざとさを感じさせない自然体のアプローチは、ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに大きく貢献していると言える。もちろん、自然体といっても、ここぞという時の重量感溢れる力強さにもいささかの不足はないところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた美しい演奏というのが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏の最大の美質と言っても過言ではあるまい。ベートーヴェンの楽曲というだけで、やたら肩に力が入ったり、はたまた威圧の対象とするような居丈高な演奏も散見されるところであるが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏にはそのような力みや尊大さは皆無。ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力を真摯かつダイレクトに聴き手に伝えることに腐心しているとも言えるところであり、正に音楽そのものを語らせる演奏に徹していると言っても過言ではあるまい。本盤におさめられたベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番及び大フーガは、前述の名盤の誉れ高い全集におさめられた弦楽四重奏曲第13番及び大フーガの演奏(1982年)の約20年前の演奏(1965年)だ。全集があまりにも名高いことから、本盤の演奏はいささか影が薄い存在になりつつあるとも言えるが、メンバーが壮年期を迎えた頃のスメタナ弦楽四重奏団を代表する素晴らしい名演と高く評価したい。演奏の基本的なアプローチについては、後年の全集の演奏とさしたる違いはないと言える。しかしながら、各メンバーが壮年期の心身ともに充実していた時期であったこともあり、後年の演奏にはない、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出してくるような強靭な生命力が演奏全体に漲っていると言えるところだ。したがって、後年の円熟の名演よりも本盤の演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないとも言える。第13番及び大フーガは、ベートーヴェンが最晩年に作曲した最後の弦楽四重奏曲でもあり、その内容の深遠さには尋常ならざるものがあることから、前述のアルバン・ベルク弦楽四重奏団などによる名演などと比較すると、今一つ内容の踏み込み不足を感じさせないわけではないが、これだけ楽曲の魅力を安定した気持ちで堪能することができる本演奏に文句は言えまい。いずれにしても、本盤の演奏は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏としては最右翼に掲げられる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。音質は、1965年のスタジオ録音ではあるが、比較的満足できるものであった。しかしながら、今般、前述のようについにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、従来CD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりであると言える。4人の各奏者の弦楽器の音色が見事に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。いずれにしても、スメタナ弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。
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10 people agree with this review 2012/04/29
チェリビダッケは生前、自作を除いては自らの演奏のCD化(LP化)を一切禁じていた。表向きは、実演をCD(LP)では表現尽くすことができないというのがその理由であったとされるが、ベルリン・フィルの芸術監督に係るフルトヴェングラーの後継者争いで敗退したカラヤンに対する対抗意識も多分にあったのかもしれない。それ故に、チェリビダッケの演奏を聴くことは実演以外には不可能になったことから、あまたの海賊盤が跋扈するとともに、その存在の神秘性が高まっていくことになった。我が国にも来日し、その際の演奏がFMでも放送されたことから、一部に熱烈なチェリビダッケファンを生み出したのも記憶に新しいところであるが、殆どのクラシックファンにとっては縁遠い幻の指揮者的な存在であったと言える。もっとも、チェリビダッケの没後には、遺族の了解を得て、ミュンヘン・フィル(EMI)や、さらにそれ以前のシュトゥットガルト放送交響楽団(DG)などとのライヴ録音が相当点数発売されることになり、一般のクラシック音楽ファンでもチェリビダッケの芸術を味わうことができるようになったところだ。正に、幻のベールを没後になって漸く脱いだのである。チェリビダッケは、カラヤンをはじめ同業者への罵詈雑言を浴びせ続けていたが、これは罵詈雑言の対象となった指揮者のファンならずとも、決して気持ちのいいものではなく、このことが現在におけるチェリビダッケに対する評価が二分されている理由であると言えるのかもしれない。チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということなのであろう。楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢とかなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿りついたのがミュンヘン・フィルであったと言える。チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追及しようというものではない。むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、正に音のドラマ。これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらないと言える。ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、一音一音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたと言えるが、チェリビダッケの場合は、音の一つ一つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは一つ一つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であったと言える。したがって、チェリビダッケに向いた楽曲とそうでない楽曲があると言えるところであり、本盤におさめられたブルックナーの交響曲集についても、そうしたことが言えるのではないだろうか。特に、第5番、第8番、第9番の超スローテンポによる演奏は、間延びした曲想の進み方に違和感を感じずにはいられないところであり、熱狂的なチェリビダッケのファンはともかくとして、とても付いていけないと思う聴き手も多いと言えるのではないだろうか。他方、第3番や第6番などは、その極大なスケールに圧倒されるところであり、チェリビダッケだけに可能な個性的な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。このように、功罪相半ばする交響曲集であると言えるところであるが、チェリビダッケの最晩年の芸風を満喫することができることや、約3000円という信じ難いような廉価(私は、国内盤として愛蔵家ナンバー付きの選集を購入した記憶があるが、約3万円であったと記憶している。)であることに鑑みれば、★4つの評価が至当ではないかと考えられるところである。
10 people agree with this review
7 people agree with this review 2012/04/29
これは素晴らしい超名演だ。いや、超の前にいくつもの超を並べてもいいのかもしれない。近年では、雨後の竹の子のように綺羅星のごとく輝く若手ピアニストが登場してきている。それぞれに優れた名演を成し遂げてはいるものの、これから10年先、20年先と、果たして順調に大ピアニストに成長していけるのかどうかは未知数であると言える。これに対して、ルイサダは、正に大ピアニストへの道を着実に歩んでいると言っても過言ではあるまい。フランス人のピアニストとして、その独特の洒落たセンスに満ち溢れた瀟洒な味わいの名演奏の数々を成し遂げてきたルイサダであり、とりわけショパンの演奏に関しては、他のピアニストの追随を許さないものがあるとさえ考えている。そのようなルイサダが、久しぶりに、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの楽曲を軸としたアルバムを発売した。もちろん、ドイツ風の重厚な演奏を展開しているわけではない。そこは、ルイサダもフランス人。そのような土俵では勝負を繰り広げていないと言える。しかしながら、それぞれの各演奏に込められた何というセンスの良さ。前述のように、ルイサダならではのフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいは、そこかしこに聴くことが可能ではあるが、テンポの効果的な振幅や思い切った強弱を施して、実に個性的なアプローチを行っていると言える。それでいて、あざとさなどはいささかも感じさせず、格調の高さを失うことがないというのは、大ピアニストたるルイサダだけに可能な圧巻の至芸であると言えるだろう。当然のことながらドイツ風の演奏などではないが、重厚さなどにも不足することはない。ルイサダならではの個性的な演奏ではあるが、いわゆるバッハらしさ、モーツァルトらしさ、そしてベートーヴェンらしさを失わないというのは、現今のピアニストの中では、ルイサダだけに可能な演奏と言えるのではないだろうか。ドビュッシーの月の光は、正に水を得た魚の如くであり、フランス音楽の魅力のすべてが描出された至高の名演奏が繰り広げられていると言える。ワーグナーのエレジーは、前述のバッハやモーツァルト、ベートーヴェンの演奏などとは異なり、楽曲の性格のせいか憂いのある色調が支配しているが、それでいて感傷的にいささかも陥らず、高踏的な美しさを失っていないのが素晴らしいと言えるだろう。いずれにしても、本盤の演奏は、ルイサダが、更なる大ピアニストに上り詰めていく確かな道程にあることを感じさせるとともに、その表現力の桁外れの幅広さなどを大いに感じさせる至高の超名演であると高く評価したいと考える。ルイサダの次なるアルバムを期待したい。また、本盤で素晴らしいのは、SACDによる高音質録音であると言える。ルイサダの幅広い表現力を誇るピアノタッチが鮮明に表現されるのは、やはりSACDによる高音質録音に負うところが大きいのではないだろうか。いずれにしても、ルイサダによる至高の超名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。
7 people agree with this review
8 people agree with this review 2012/04/29
凄い演奏だ。いまや世界最高のマーラー指揮者として君臨しているインバルの勢いや、もはや誰もとどめることが出来ない。インバルによるマーラーの交響曲演奏と言えば、かつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団との全集(1985年〜1988年)が名高いが、ここ数年にわたって、東京都交響楽団やチェコ・フィルとの演奏は、段違いの素晴らしさと言えるのではないだろうか。本盤におさめられたチェコ・フィルとのマーラーの交響曲第1番の演奏は、チェコ・フィルとの演奏としては第5番、第7番に次ぐ第3弾ということになるが、インバルとしては、前述の全集中に含まれた同曲の演奏(1985年)以来、約30年ぶりのものと言える。同曲は、マーラーの青雲の志を描いた交響曲であるだけに、前回の全集の中でも非常に優れた演奏の一つであったと言えるが、本盤の演奏は更に優れた名演に仕上がっており、正に、近年のインバルの充実ぶりが伺える圧倒的な超名演と言っても過言ではあるまい。かつてのインバルによるマーラーへの交響曲演奏の際のアプローチは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションを抑制して、可能な限り踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。全集の中でも優れた名演の一つであった第1番についても例外ではなく、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な名演奏ではあるが、今一つの踏み外しというか、胸襟を開いた思い切った表現が欲しいと思われることも否めない事実である。ところが、本演奏においては、かつての自己抑制的なインバルはどこにも存在していない。インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、どこをとっても気迫と情熱、そして心を込め抜いた濃密な表現を施しているのが素晴らしい。それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的かつロマンティックな表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、さすがの至芸と言うべきであろう。いずれにしても、テンポの効果的な振幅を大胆に駆使した本演奏のような密度の濃い表現を行うようになったインバルによる超名演を聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニなどの累代のマーラー指揮者が鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられないところだ。オーケストラにチェコ・フィルを起用したのも功を奏しており、金管楽器、特にトランペットやホルンなどのブラスセクションの卓抜した技量は、本超名演のグレードをさらに上げる結果となっていることを忘れてはならない。そして、SACDによる極上の高音質録音も、本超名演を鮮明な音質で味わえるものとして大いに歓迎したいと考える。
8 people agree with this review
4 people agree with this review 2012/04/29
本盤には、プレヴィンが当時の手兵であるロンドン交響楽団とともに1970年代にスタジオ録音したチャイコフスキーの三大バレエ音楽のうち、最晩年の傑作「白鳥の湖」全曲がおさめられている。プレヴィンは、クラシック音楽の指揮者としてもきわめて有能ではあるが、それ以外のジャンルの多種多様な音楽も手掛ける万能型のミュージシャンと言える。したがって、本演奏においてもそのアプローチは明快そのもの。楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。したがって、ベートーヴェンなどのように、音楽の内容の精神的な深みへの追及が求められる楽曲においては、いささか浅薄な演奏との誹りは免れないと思うが、起承転結がはっきりとした標題音楽的な楽曲では、俄然その実力を発揮することになると言える。本盤におさめられたチャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」は、そうしたプレヴィンの資質に見事に合致する楽曲と言えるところであり、加えて若さ故の力強い生命力も相まって、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、プレヴィンの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いていると言える。クラシック音楽入門者が、バレエ音楽「白鳥の湖」をはじめて聴くに際して、最も安心して推薦できる演奏と言えるところであり、本演奏を聴いて、同曲が嫌いになる聴き手など、まずはいないのではないだろうか。いずれにしても、プレヴィンによる本演奏は、チャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」(全曲)には、ロジェストヴェンスキー、ゲルギエフなどによるロシア風の民族色溢れる名演や、アンセルメやデュトワによる洗練された色彩美を誇る名演などがあまた存在しているが、安定した気持ちで同曲を魅力を味わうことができるという意味においては、第一に掲げるべき名演と評価したい。音質は今から40年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったと言える。数年前にリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、私も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤やリマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1970年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった言える。いずれにしても、プレヴィンによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
4 people agree with this review
4 people agree with this review 2012/04/28
本盤は、スペイン風の異国情緒ここに極まれりと言った趣きの名CDと言えるのではないだろうか。44歳という若さで亡くなったアルヘンタであるが、アルヘンタが遺した数少ない録音の中でも最良の遺産であると言っても過言ではあるまい。エスパーニャという表題に相応しく、スペインをテーマにした管弦楽の小品の組み合わせであるが、このようなスペインをテーマとした管弦楽小品を組み合わせるというカプリングは、正にアルヘンタならではのものと言ってもいいだろう。冒頭のシャブリエの狂詩曲「スペイン」からして、他のどの指揮者よりも濃厚なスペイン風の情感が演奏全体に込められていると言える。いや、他のどの指揮者が束になってもかなわないような濃厚なスペイン風の情緒が込められた至高の超名演であるとも言うべきであり、正に、本演奏こそは、同曲演奏の理想像の具現化と言ってもいいのではないかと考える。R・コルサコフのスペイン奇想曲は、ロシア音楽であるだけに、むしろロシア風の抒情を際立たせた演奏も一部に散見されるところであるが、アルヘンタによる本演奏は、それらの演奏は一線を画する、同曲の随所に散りばめられたスペイン風の旋律を、それこそ異国情緒満点に歌い抜いたものであり、その意味では、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なった魅力を有する名演と言えるのではないだろうか。同曲は、管弦楽法の大家とも言われたR・コルサコフによる楽曲であるだけに、オーケストレーションの華麗さや、更には、場面の変転なども随所に施されているが、アルヘンタはこうした同曲の持つ魅力を最大限に引き出すのに成功しているとも言えるところであり、正に、本演奏は、アルヘンタの個性や資質が最大限に発揮された素晴らしい名演と言えるものと考える。グラナドスのアンダルーサ(スペイン舞曲第5番)やモシュコフスキのスペイン舞曲第1巻も、いかにも「スペイン」を感じさせる見事な名演と評価したい。また、ドビュッシーの管弦楽のための映像が、これまた素晴らしい名演だ。もちろん、クリュイタンスやアンセルメ、近年のデュトワのような、フランス風のエスプリに満ち溢れた洒落た味わいで勝負するような演奏ではなく、むしろ、同曲のスペイン風の情緒を全面に出した演奏ということができるが、そのむせ返るようなスペイン風の情感には抗し難い魅力み満ち溢れており、同曲の根源的な美しさを見事に描出することに成功した名演に仕上がっていると評価するのにいささかも躊躇するものではない。音質は、英デッカによる名録音ではあるものの、1957年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったと言える。数年前にはSHM−CD盤が発売され、かなりの音質改善効果が見られたものの、未だ万全とは言い難いものがあると言える。このような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売されるに及んで驚いた。音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である。いずれにしても、アルヘンタによる素晴らしい名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。
8 people agree with this review 2012/04/28
アンセルメはLP時代に一世を風靡した名指揮者である。現在でも一部のコアなファンの間では人気が高いとも言えるが、CD時代に入ってからは、かつての人気がやや下火になったのではないかとも思われるところだ。アンセルメと言えば、手兵のスイス・ロマンド管弦楽団とともに行った膨大なスタジオ録音で知られているが、英デッカによる当時としては極上の鮮明な録音によって、極彩色とも言える独特の音色を作り上げたところであった。もっとも、このコンビが来日した際の実演が、スタジオ録音とはかけ離れた凡庸な演奏であったことから、このコンビによる演奏の高評価は多分に英デッカによる優秀な録音に支えられていたということを指摘する識者もいるところである。編集が容易ではなかったアナログLP時代には大きなアドバンテージを有していたアンセルメによる各種のスタジオ録音も、デジタルCD時代になり、編集などが容易に行われるようになると、そのアドバンテージはほぼなくなったとも言えるからかもしれない。加えて、アンセルメと同様の芸風を有するとともに、レパートリーもほぼ重なるデュトワが、手兵モントリオール交響楽団とともに、CD時代の到来と軌を一にして、数々の美演を録音するようになると、アンセルメの影はますます薄くなっていったと言えるのではないだろうか。デュトワの場合は、アンセルメと異なって実演でも圧倒的な名演を成し遂げたことから、アンセルメが知る人ぞ知る存在になっても致し方がない面もあると言えるのかもしれない。それでもアンセルメが遺した膨大なスタジオ録音の中で、未だに他の指揮者の追随を許さない名演が存在している。それこそは、本盤におさめられたファリャのバレエ音楽「三角帽子」、歌劇「はかなき人生」からの間奏曲と舞曲、そしてバレエ音楽「恋は魔術師」をおさめた1枚であると考える。アンセルメは数学者でもあったことから、精緻にして緻密なアプローチを基調としていたが、本演奏においては、そのようなアンセルメの印象を根底から覆すような大熱演を展開していると言える。演奏全体に漲る気迫や切れば血が噴き出てくるような強靭な生命力は、とてもスタジオ録音とは思えないほどであり、各フレーズからは、スペイン風の異国情緒溢れるむせ返るような熱き情感が滲み出していると言える。とりわけ、バレエ音楽「三角帽子」についてはアンセルメが初演をつとめたということもあると思うが、あたかも楽曲自体がアンセルメの血となり肉となっているような趣きさえ感じられる超弩級の名演に仕上がっているとさえ言えるところであり、その後、デュトワもモントリオール交響楽団とともに同曲の素晴らしい名演を成し遂げてはいるが、とても本演奏には敵わないと言える。テレサ・ベルガンサやマリーナ・デ・ガバラインによる歌唱も最高のパフォーマンスを発揮しており、本名演に華を添えている点を忘れてはならない。いずれにしても、本盤におさめられたファリャの管弦楽曲集は、アンセルメの膨大なスタジオ録音の中でもトップクラスの名演であるとともに、これらの楽曲の様々な指揮者による演奏の中でもトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したいと考える。音質は、1955年〜1961年のステレオ初期の録音ではあるが、英デッカによる超優秀録音ということもあり、従来盤でも十分に通用する音質であったと言える。数年前には、SHM−CD盤も発売されるなど、音質的にはかなり恵まれた状況であったが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売されるに及んで驚いた。音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である(本盤におさめられた楽曲のうち、バレエ音楽「三角帽子」及び歌劇「はかなき人生」からの間奏曲と舞曲については、既にESOTERICからSACD盤が発売されており、それとの音質面での優劣については議論が分かれるところだ。)。いずれにしても、アンセルメによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。
6 people agree with this review 2012/04/22
ネーメ・ヤルヴィによる、グリーグやスヴェンセンの少し後の世代のノルウェーの作曲家、ハルヴォルセンの管弦楽作品シリーズの第4弾の登場だ。これまでの第1弾から第3弾までは、それぞれ交響曲を軸として、知る人ぞ知る名管弦楽作品をおさめていたが、今般の第4弾では、すべて管弦楽作品で占められているのが特徴だ。交響的間奏曲などを除くと、ノルウェー祝典序曲、ノルウェー狂詩曲、ノルウェー結婚行進曲など、楽曲の名称にノルウェーが付されている楽曲が中心であると言えるが、いずれの楽曲も、ハルヴォルセンならではの北欧の白夜を思わせるような清澄な抒情に満ち溢れた逸品揃いであると言える。ネーメ・ヤルヴィについては、一部の口の悪い音楽評論家が、何でも屋であるとか、はたまた粗製濫造などと言った必ずしも芳しからざる評価を行っているが、本盤におさめられた演奏を聴いていると、それが全く根拠のない罵詈雑言、誹謗中傷であると言えることが理解できるところだ。近年では、息子のパーヴォ・ヤルヴィが、シンシナティ交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、パリ管弦楽団などを手中におさめて、広範なレパートリーを誇る数多くの録音を行っているが、ネーメ・ヤルヴィも、老いてもいささかもレコーディング活動への強い気持ちを失っていないのが素晴らしい。特に、本盤におさめられたハルヴォルセンや、既に第1弾が発売されて好評を博しているスヴェンセンなどのような北欧の知られざる作曲家による名作を、多くの音楽ファンに知らしめてくれる功績は極めて大きいと言わざるを得ないだろう。それに、前述のように、一部の評論家が批評するような、粗製濫造などということは全くない。本盤におさめられた各管弦楽作品の演奏についても、これまでの第1弾から第3弾までと同様に、素晴らしい名演と言えるのではないだろうか。もちろん、比較の対象となる演奏が輸入盤を除いて殆ど存在していないだけに、本盤の演奏だけを聴いて、同曲の最も優れた演奏とするということについては躊躇をせざるを得ないが、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりはネーメ・ヤルヴィならではのものであり、少なくとも、これらの知られざる名作の数々の魅力を、我々聴き手が安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、十分に優れた名演と高く評価したいと考える。音質も素晴らしい。本盤については、シャンドス・レーベルにおいて、近年では一般化されつつあるSACDではないのが残念ではあるが、2010年から2011年の最新録音だけあって、十分に鮮明な素晴らしい音質であると言えるところであり、ネーメ・ヤルヴィ&ベルゲン・フィルによる素晴らしい名演を鮮明な音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。
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33歳という若き日に不治の病でこの世を去らなければならなかった悲劇のピアニストであるディヌ・リパッティであるが、本盤におさめられた演奏は、死の数年前にスタジオ録音されたグリーグとシューマンのピアノ協奏曲の演奏である。リパッティの録音自体が数少ないだけに貴重な存在であると言えるが、いずれもリパッティならではの素晴らしい名演と高く評価したい。両演奏ともに、これまでリマスタリングなどが施されてきたが、1940年代後半のモノラル録音だけに、音質向上効果は必ずしも万全とは言い難かったところだ。ところが、今般、待望のSACD化が行われるに及んで、もちろん最新録音のようにはいかないが、これまでの既発CDとは次元が異なる音質の向上が図られたことは、演奏自体が優れているだけに実に意義が大きいことと思われる。音質が劣悪であるが故に鑑賞を避けてきた音楽ファンも存在していたとも考えられるだけに、今般のSACD化を機会に、本演奏にできるだけ多くの方に親しんでいただき、悲劇のピアニストであるリパッティの真の実力が再びクローズアップされることを願ってやまないところだ。両曲の演奏ともに大変優れているが、特に素晴らしいのはシューマンのピアノ協奏曲であると言える。同曲の演奏は、いささか俗な言い方になるが、同曲に込められたファンタジーの飛翔のようなものをセンス豊かに表現し得ないと、ひどく理屈っぽいつまらない演奏に陥ってしまう危険性がある。ところが、リパッティにはそのような心配は全くご無用。リパッティによる本演奏には、シューマンのピアノ曲演奏に必要不可欠のファンタジーの飛翔のようなものや、加えて豊かな詩情、そしてこのピアニスト一流の独特の洒落た味わいが満ち溢れていると言えるところである。いや、それだけではない。同曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫の深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ているとさえ言える。いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる当該演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。いずれにしても、本演奏は、シューマンのピアノ協奏曲の演奏という次元を超えた底知れぬ深みを湛えていると言えるところである。そして、本演奏にかける命がけの渾身の情熱の凄さは、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っていると言えるだろう。こうしたリパッティの凄みのあるピアノ演奏を下支えしているのが、若き日のカラヤン率いるフィルハーモニア管弦楽団であるが、これまた実に優れた演奏を聴かせてくれていると言える。この当時のカラヤンは、後年の演奏とは異なり、溌剌とした躍動感溢れる指揮の中にも、自我を抑制し、楽曲そのものを語らせようと言う姿勢が見られるところであり、リパッティのピアノ演奏を際立たせる意味においても、正に理想的な演奏を展開していると評価したい。他方、グリーグのピアノ協奏曲については、さすがにシューマンのピアノ協奏曲の演奏ほどの深みを感じることは困難であるが、洒落たセンスに満ち溢れたピアノ演奏ぶりは健在であり、ガリエラ指揮のフィルハーモニア管弦楽団の演奏ともども、素晴らしい名演奏を展開していると評価したいと考える。音質は、前述のとおり、必ずしも最新録音のようにはいかないが、これまでの既発CDとは次元が異なる見事な音質に生まれ変わったと言える。とりわけ、リパッティのピアノタッチが1940年代後半の録音としては、かなり鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。いずれにしても、リパッティによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
5 people agree with this review 2012/04/22
クリュイタンスがパリ音楽院管弦楽団とともに録音したラヴェルの管弦楽曲集は、クリュイタンスの遺した最良の遺産であるとともに、様々な指揮者によるラヴェルの管弦楽曲集の中でも随一の名演と高く評価したいと考える。ラヴェルの管弦楽曲は、光彩陸離たる華麗なオーケストレーションが魅力の一つであり、それ故に多くの指揮者によってオーケストラ曲としての醍醐味を味あわせてくれる数々の華麗な名演が成し遂げられてきているところだ。クリュイタンスもそうした指揮者の列に連なるものと考えるが、クリュイタンスの演奏はそうした華麗さにとどまらず、どこをとってもフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいと独特の気品に満ち溢れているという点において、他の指揮者による演奏とは一線を画していると言える。そして、一聴すると曲想を精緻に描き出して行くと言うオーソドックスな演奏のように聴こえなくもないが、よく聴くと各フレーズには独特の洒落たニュアンスと瑞々しいまでの感性が満ち溢れており、常にコクのある響きが全体を支配しているのが素晴らしい。しかも、コクのある響きと言っても厚手の衣装をまとったような重苦しさなどはいささかもなく、むしろ現代的な清新さを兼ね備えていると言えるところであり、こうしたいささかも古色蒼然としていない清新さが、本管弦楽曲集を普遍的な価値を有するものとするのに大きく貢献していると言える。本盤におさめられたバレエ音楽「ダフニスとクロエ」も、そうしたクリュイタンスの芸風が顕著にあらわれた超名演であり、華麗さと繊細さを併せ持つ剛柔のバランス、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいと格調の高さ、そして瑞々しいまでの清新さと言った、望み得るすべての要素を兼ね備えた完全無欠の演奏と言っても過言ではあるまい。そして、クリュイタンスの統率の下、美しさの極みとも言うべき名演を繰り広げたパリ音楽院管弦楽団や、最高のパフォーマンスを発揮したルネ・デュクロ合唱団にも大きな拍手を送りたい。音質は、リマスタリングが行われたこともあって比較的良好な音質に生まれ変わったと言えるが、本管弦楽曲集の第2集のようにHQCD化されることもなく、高音質化の波に乗り遅れていたとも言えるところであった。しかしながら、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言えるところである。音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。1960年代のスタジオ録音とは思えないような音質の劇的な変化は、殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。いずれにしても、クリュイタンスによる素晴らしい超名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
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4 people agree with this review 2012/04/22
同時発売のドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」が、あまりにもスヴェトラーノフ節全開の超個性的な演奏であったことから、本盤におさめられたシューベルトの交響曲第8番「未完成」、そして、第9番「ザ・グレート」の演奏についても、鑑賞する前は相当に身構えて臨んだところであるが、これが意外にもまともな演奏なのだ。そのように評しては、大指揮者であるスヴェトラーノフに対していささか失礼と言えるのかもしれないが、前述のドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」や、既にヴァイトブリックから発売されて話題となっているショーソンの交響曲変ホ長調、レスピーギのローマ三部作、ブルックナーの交響曲第9番などの超個性的な名演を耳にした聴き手からすれば、致し方がないと言えるのかもしれない。もちろん、第9番「ザ・グレート」の第1楽章終結部などに、スヴェトラーノフならではの個性を感じることも可能ではあるが、それも許容されるレベルでの解釈であり、両曲ともに、大家の指揮による名演奏と言えるだろう。本演奏を、指揮者の名を伏して聴いたとしても、スヴェトラーノフの指揮と当てる者は殆どいないのではないだろうか。正に、一昔前の独墺系の大指揮者による演奏に限りなく近い性格を有していると言っても過言ではあるまい。これだけの立派な演奏をすることができる指揮者であるからこそ、スヴェトラーノフは真に偉大な存在であり、多くの音楽ファンの崇敬を集められる存在なのであると考えられるところだ。シューベルトの交響曲第8番「未完成」は、LP時代にも録音を遺しているようであるが、私は未聴。したがって、私としては、はじめて聴くスヴェトラーノフのシューベルトであるが、深沈とした味わいの中にも、シューベルトの楽曲の生命線とも言うべき寂寥感溢れる抒情に満ち溢れており、いい意味で剛柔のバランスのとれた見事な名演であると高く評価したい。他方、交響曲第9番「ザ・グレート」は、スヴェトラーノフによる唯一の録音ということになるが、ゆったりとしたテンポによるスケールの雄大な音楽の構えの中で、同曲特有の美しい旋律の数々を格調高く歌い上げ、これ以上は求め得ないような気宇壮大な超名演を成し遂げるのに成功していると言える。同曲は、演奏自体がなかなかに困難な楽曲であると言えるが、スヴェトラーノフによる名演奏は十分に説得力があるものと言えるところであり、スヴェトラーノフが、ロシア系の音楽のみのスペシャリストにとどまらず、クラシック音楽の王道とも言うべき独墺系の音楽にも見事な名演奏を聴かせることができる大指揮者であったことがよく理解できるところだ。大指揮者スヴェトラーノフの統率の下、スウェーデン放送交響楽団も最高のパフォーマンスを発揮していると言えるところであり、交響曲第9番「ザ・グレート」の演奏終了後、指揮者を讃えるファンファーレが鳴り響くという点にも、スヴェトラーノフとスウェーデン放送交響楽団の抜群の相性の良さを感じることが可能だ。音質も素晴らしい。今から約20年以上前のライヴ録音ではあるが、現在でも十分に通用する素晴らしい音質であり、スヴェトラーノフ&スウェーデン放送交響楽団による素晴らしい名演が鮮明に再現されるのが見事である。
7 people agree with this review 2012/04/21
これまで多くの聴者によって支持を集めているメジューエワによるシューベルトのピアノ作品集もついに第3弾の登場となった。曲目も、最後の3つのピアノ・ソナタのうちの第20番、そして同じイ長調のピアノ・ソナタとして有名な逸品である第13番、そして楽興の時などの有名な小品集もおさめられており、正に第3弾の名に相応しいラインナップを誇っていると言えるだろう。それにしても、演奏は素晴らしい。いや、それどころか期待以上の見事さと言っても過言ではあるまい。本盤の演奏においても、メジューエワの基本的なアプローチは、第1弾や第2弾の演奏と基本的には変わっていないと言える。メジューエワは、スコアに記されたすべての音符の一つ一つをいささかも揺るがせにすることなく、旋律線を明瞭にくっきりと描き出していくというスタンスで演奏に臨んでいる。それでいて、いささかも単調に陥るということはなく、強靱な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現力の幅は桁外れに広いと言える。全体の造型は非常に堅固であるが、音楽は滔々と流れるとともに、優美な気品の高さ、格調の高さをいささかも失うことがないのがメジューエワの最大の美質であると言える。そして、細部に至るまでニュアンスは豊かであり、その内容の濃さはメジューエワの類稀なる豊かな音楽性の証左と言えるだろう。シューベルトのピアノ曲は、もちろん最後の3つのソナタの一角を構成する第20番はもちろんのことであるが、その他の楽曲についても、ウィーン風の抒情に満ち溢れた名旋律の端々には寂寥感や死の影のようなものが刻印されているが、メジューエワによる本演奏は、かかる寂寥感や死の影の描出においてもいささかの不足もなく、前述のような気高くも優美なピアニズム、確固たる造型美なども相まって、正に珠玉の名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。第1弾及び第2弾の際のレビューにおいても記したところであるが、これほどの名演を聴くと、メジューエワの類稀なる才能をあらためて感じるとともに、今後の更なる成長・発展を大いに期待できるところだ。今後、メジューエワがどのようなスケジュールでシューベルトのピアノ作品集の録音を進めていくのかはよくわからないが、第4弾以降にも大いに期待したいと考える。特に、シューベルトのみならず、あらゆるピアノ・ソナタの中でも最高峰の傑作とされる最後の3つのソナタのうち、本盤の登場によって第19番及び第20番の2曲の録音が揃ったことになるが、第21番において、メジューエワがどのような演奏を成し遂げるのか、実に興味深いと言えるところだ。音質についてもメジューエワのピアノタッチが鮮明に捉えられており、素晴らしい高音質であると評価したい。なお、今般の録音に際しては、第2弾において行われたDSD録音がなされていないようであるが、これほどの名演であるだけに、今後可能であればSACDで聴きたいところだ。
6 people agree with this review 2012/04/21
クリュイタンスのラヴェルは素晴らしい。クリュイタンスがパリ音楽院管弦楽団とともに録音したラヴェルの管弦楽曲集は、クリュイタンスの遺した最良の遺産であるとともに、様々な指揮者によるラヴェルの管弦楽曲集の中でも随一の名演と高く評価してもいいのではあるまいか。他のフランス人指揮者によるラヴェルと比べても群を抜いて素晴らしいとも言えるだろう。ラヴェルの管弦楽曲は、光彩陸離たる華麗なオーケストレーションが魅力の一つであり、それ故に多くの指揮者によってオーケストラ曲としての醍醐味を味あわせてくれる数々の華麗な名演が成し遂げられてきているところだ。クリュイタンスのラヴェルにも、そうした華麗さを有していると言えるが、どこをとってもフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいと独特の気品に満ち溢れているという点において、他の指揮者による演奏とは一線を画していると言える。そして、一聴すると曲想を精緻に描き出して行くと言うオーソドックスな演奏のように聴こえなくもないが、よく聴くと各フレーズには独特の洒落たニュアンスと瑞々しいまでの感性が満ち溢れており、常にコクのある響きが全体を支配しているのが素晴らしい。しかも、コクのある響きと言っても厚手の衣装をまとったような重苦しさなどはいささかもなく、むしろ現代的な清新さを兼ね備えていると言えるところであり、こうしたいささかも古色蒼然としていない清新さが、本管弦楽曲集を普遍的な価値を有するものとするのに大きく貢献していると言える。本盤におさめられたバレエ音楽「マ・メール・ロア」や高貴で感傷的な円舞曲もそうしたクリュイタンスの芸風が顕著にあらわれた超名演であり、華麗さと繊細さを併せ持つ剛柔のバランス、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいと格調の高さ、そして瑞々しいまでの清新さと言った、望み得るすべての要素を兼ね備えた完全無欠の演奏と言っても過言ではあるまい。クリュイタンスの統率の下、美しさの極みとも言うべき名演を繰り広げたパリ音楽院管弦楽団にも大きな拍手を送りたい。音質は、リマスタリングが行われたこともあって比較的良好な音質に生まれ変わったと言えるが、本管弦楽曲集の第2集のようにHQCD化されることもなく、高音質化の波に乗り遅れていたとも言えるところであった。しかしながら、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言えるところである。音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。1960年代のスタジオ録音とは思えないような音質の劇的な変化は、殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。いずれにしても、クリュイタンスによる素晴らしい超名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
5 people agree with this review 2012/04/21
果たしてこれ以上の演奏が可能と言えるであろうか。ラヴェルの管弦楽曲は、光彩陸離たる華麗なオーケストレーションが魅力の一つであり、それ故に多くの指揮者によってオーケストラ曲としての醍醐味を味あわせてくれる数々の華麗な名演が成し遂げられてきているところであるが、クリュイタンスの演奏は別格の素晴らしさを誇っていると言えるのではないだろうか。もちろん、他の指揮者による演奏と同様に華麗さにおいてもいささかも不足はないが、どこをとってもフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいと独特の気品に満ち溢れているという点において、他の指揮者による演奏とは一線を画していると言える。そして、一聴すると曲想を精緻に描き出して行くと言うオーソドックスな演奏のように聴こえなくもないが、よく聴くと各フレーズには独特の洒落たニュアンスと瑞々しいまでの感性が満ち溢れており、常にコクのある響きが全体を支配しているのが素晴らしい。しかも、コクのある響きと言っても厚手の衣装をまとったような重苦しさなどはいささかもなく、むしろ現代的な清新さを兼ね備えていると言えるところであり、こうしたいささかも古色蒼然としていない清新さが、本管弦楽曲集を普遍的な価値を有するものとするのに大きく貢献していると言える。本盤におさめられた各小品もそうしたクリュイタンスの芸風が顕著にあらわれた超名演であり、華麗さと繊細さを併せ持つ剛柔のバランス、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいと格調の高さ、そして瑞々しいまでの清新さと言った、望み得るすべての要素を兼ね備えた完全無欠の演奏と言っても過言ではあるまい。とりわけ、有名な亡き王女のためのパヴァ―ヌの冒頭のホルンソロの美しさには、身も心も蕩けてしまいそうになるほどだ。そして、クリュイタンスの統率の下、美しさの極みとも言うべき名演を繰り広げたパリ音楽院管弦楽団にも大きな拍手を送りたい。いずれにしても、本盤を含め、クリュイタンスがパリ音楽院管弦楽団とともに録音したラヴェルの管弦楽曲集は、クリュイタンスの遺した最良の遺産であるとともに、様々な指揮者によるラヴェルの管弦楽曲集の中でも随一の名演と高く評価したいと考える。音質は、リマスタリングが行われたこともあって比較的良好な音質に生まれ変わったと言えるが、本管弦楽曲集の第1集のようにHQCD化されることもなく、高音質化の波に乗り遅れていたとも言えるところであった。しかしながら、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言えるところである。音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。1960年代のスタジオ録音とは思えないような音質の劇的な変化は、殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。いずれにしても、クリュイタンスによる素晴らしい超名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。
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