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TOP > My page > Review List of 村井 翔
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1 people agree with this review 2014/08/30
シンプルな舞台装置、人物はみな現代の服装(エレクトラはぼろぼろのタンクトップにジーンズ)だが、天才シェローの死を悼むにふさわしい鮮やかな舞台。まず冒頭の侍女たちによるプロローグ、台本ではエレクトラはここにいない設定だが、この演出では音楽が始まってすぐ、彼女が舞台に駆け込んでくる。したがって、彼女らの噂話は本人に聞こえよがしに語られるわけだが、付録のインタヴューでも述べられる通り、侍女、召使いたちを物語に巻き込むというのが、今回の演出の一つの狙い。彼らは譜面上、出番のないところでも出てきて、クリテムネストラの前に赤い絨毯を敷くところから始まり、オレスト死亡の誤報に一緒に悲しむ、彼との再会を共に喜ぶなど、いわばコロスのように動く。オレストとその扶養者(かつてのシェーン博士、フランツ・マツーラ!)も本来の出番のずっと前から舞台上にいて、エレクトラとクリソテミスのやり取りを一部始終、見ている。これも出のタイミングを変えることによって、コンテクストを動かそうという工夫だ。最終場では悲鳴だけじゃなく、クリソテミス殺害の瞬間を舞台上で見せるほか(『ルル』の最終景と同じ)、エギストに至っては舞台の真ん中で殺される。一番最後、復讐成就後の虚脱感もシェローらしいリアリズム。 サロネンとパリ管が素晴らしい。この曲では定番の居丈高なコワモテを排して、非常にしなやか。しかも総譜をレントゲンにかけたように、隅々までクリアに聴こえる。ヘルリツィウスはティーレマンのCDで声だけ聴いた時には、イマイチ感が拭えなかったが、演技を見てみて納得。弱さを含めた一人の女性の表現として、それなりに説得力がある。クリテムネストラはこの役につきもののおどろおどろしさとは正反対の聡明で魅力的な女性に作られている。彼女も運命にもてあそばれた被害者という解釈(これもインタヴューで語られる通り。台本では表立って語られないが、彼女の夫殺しはアガメムノンが長女を生贄にしたことへの復讐という解釈もある)。前のレーンホフ演出とは逆の、こういう抑えた演唱でも、マイアーはさすがの貫祿だ。
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9 people agree with this review 2014/08/29
聞き終わって「うーん」と頭を抱えてしまった。少なくともブラームス全集よりは前向きな姿勢が感じられるけど、それが成功したかどうかは微妙。常に新しいことが求められる反面、あまり無茶なこともできないポストにいる指揮者に同情したくなった。今回、ラトルが試みたのは現代楽器を持ち(フルートのみ一部、木製楽器を使用)、弦はヴィブラートたっぷりというベルリン・フィルで疑似ピリオド・スタイルをやってみようということ。もともとゴツゴツ感のあるシューマンのオーケストレーションだから、結果は興味津々。いわば、このスーパーカーでゴツゴツした未舗装道路を走ってみようという企画だったのだが・・・ 結果、このスーパーオケはあまりにもあっさりと悪路を征服してしまった。もう少しピリオド色が前面に出て欲しかった。複雑な味わいではあるけれど、どっちつかず、折衷的であることは確かだ。 曲ごとに言うと、特に残念なのは1番と4番。4番の初稿版は大好きで、改訂版よりベターだと思うが、この版らしさが感じられない。指揮者にとってもオケにとっても難所の終楽章へのなだれ込みなど、鮮やかの一語だが、いささかスムーズに流れすぎている。それにこの2曲では響きがダブつき気味だ。弦の編成は12/10/8/7/5で普通のオケなら適正人数のはずだが、弓をいっぱいに使って力奏するベルリン・フィルの面々にとっては10人ぐらい多すぎた。もともと大交響曲の趣きのある2番、3番は普通にサマになっているが、そうなると今度はあっさりしすぎという不満が出てくる。マーラー、シベリウス以降はおおむね良いし、ハイドンなども素敵なラトルだが、やはり19世紀独墺の音楽とは相性が悪い。なお、かなり高価なセットだが、192kHz/24bit音源がダウンロードできることを考えれば、お買い得とも言える。USB接続できるDAコンバーターにもっと投資しておくべきだったと後悔したが、わが家のかなり貧弱な装置でも確かに凄い音がする。
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5 people agree with this review 2014/08/29
未完成作を除く全ソナタをそれぞれ数日ずつの二度のセッションで一気に録音。最近、ヨーロッパ各地で盛んにシューベルト・リサイタルをやっていたのは、これの布石だったのかと合点がいった。バッハからブーレーズまで何でも弾けてしまうためにかえって軽く見られがちなピアニスト・バレンボイムだが、改めてその能力の高さに驚嘆させられる一組。70歳を超えたが、少なくともこのセッション録音で聴く限り、技術的には全く危なげないし、テンポも遅くなってはいない。もちろんシューベルトらしい歌の美しさも損なってはいないのだが、和声の変転を敏感に反映する音色、タッチの多彩さとリズミックな弾みで勝負する演奏。シューベルトはむしろ音色とリズムの作曲家であることを強く主張している。おそらく前世代の巨匠たちから学んだのであろう絶妙なテンポ・ルバートとリズムの駆動力、さらにもっと大きな範囲でのテンポの操作が絶大な威力を発揮しているが、たとえばその典型は第19番ハ短調の終楽章。タランテラのリズムを持つこの楽章、物理的にはかなり時間がかかっている(10:01)、つまり一貫して快速テンポで飛ばしているわけではないのだが、リズミックな駆り立ての効果により実際より速く感じられるというマジック。しかも、緊張の緩む楽想では、はっきりとテンポを落として対位旋律を克明に聴かせる。お見事な手腕だ。第20番イ長調第2楽章でも両端部のリズムが良いため、中間部の壮絶な表現主義が一層、引き立って聴こえる。
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7 people agree with this review 2014/08/17
2009年、このオーケストラが初演した5番の録音から始まった、このコンビによるマーラー全集の完結編。6年で9つの交響曲+『角笛』歌曲集を録音したわけだが、そのすべてを高水準に仕上げて、しかも自らの個性を刻印するというのは指揮者にとって難事業。たとえば、この一つ前の録音である6番など、きっちり演奏され、オケも決して下手ではないのだが、数十種に及ぶ同曲異盤の中で独自性を主張するのは、ちょっと難しい出来ばえであった。 しかし、最後の9番にはまぎれもなく、このコンビの個性がしるされている。LPから配信まで諸メディア取り混ぜて、私が所有することになるこの曲の55番目の音源だが、喜んでコレクションに加えたい。 現代のマーラー演奏の常として、きわめて緻密に演奏されていることは、もはや言うまでもないが、このコンビの持ち味はやや速めのテンポと克明なポリフォニー処理の両面にわたるアグレッシヴさ。両端の緩徐楽章もたっぷり歌うというよりは、むしろ音楽の流動性を重んじている。でも、その速めのテンポのせいで、9番がCD一枚に収まってしまい、2枚目のCDが第10番のアダージョだけになったのは皮肉な結果。私はもはやこのアダージョだけを単独の楽章として楽しむことができなくなってしまっている。アダージョが終わるやいなや、私の頭の中では第1スケルツォの音楽が響き始めるのだから。アダージョだけでは「蛇の生殺し」状態だ。
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2 people agree with this review 2014/08/13
場面転換のできない野外での上演ではあるが、演出は昨年の来日公演で観られたステージ用のものと基本的には一緒。大々的に映像の投影を使うほか、基本的にはリアルに作っているが、最後にはなかなか大胆な読み替えもある。イタリア・オペラ界でもこういう演出が受け入れられているというのは興味深い。最後については、露骨なネタバレは避けたいが、簡単に言えばコンヴィチュニー演出『トリスタンとイゾルデ』と同じ。これでは悲劇にならないし、そういうつもりで作曲しているヴェルディの音楽と合わないけど、個人的には大いに面白い。 クンデの題名役は、不器用な猪突猛進型のデル・モナコとも、手練手管でキャラクターを作ってゆくドミンゴとも違う、魅力的なオテロ。まさしくベル・カント、声の美しさそのものでストレートに勝負するが、それがこの役に合っている。ただし、響きが拡散してしまいがちな野外なので、心持ち彼の良さが殺されてしまっている感もある。レミージョも軽めの声のソプラノなので、もし相手役がアントネンコだったら全く合わないが、うまく全体のコンセプトにはまっている。それに、こういう映像作品ではやはり美人は得だ。ヤーゴは現在のオペラ界ではやはりガッロにならざるをえないのだろうけど、「小物」感は払拭しがたい。少なくとも舞台全体を彼が支配しているという感じではないが、この人物のバランスはこのぐらいで丁度いいという人もいるだろう。バスティーユ歌劇場時代の鮮烈な録音が忘れがたいチョン・ミョンフンの指揮、今回はあまりマッシヴな力で押すことは避けて、むしろ繊細さ、緻密さを重視している。歌手陣やオーケストラの質を考慮した結果のアプローチだろう。
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4 people agree with this review 2014/08/12
このSACDにも同内容の音源を入手できるダウンロード・コードが付属している。「今後、音楽を円盤の形で所有しようとするのは一部好事家だけになるだろう」と予言されて久しいが、クラシック音楽業界でもこの予言が現実のものになり始めたということか。192KHz/24bitという凄いデータを入手できるラトル/ベルリン・フィルの盤ではCDは完全にオマケだしね。 さて、肝心の演奏について。以前に比べれば遥かに色々なレパートリーが見聞きできるようになったティチアーティだが(個人的にはコヴェントガーデンでの『エウゲニ・オネーギン』録画が鮮烈だった)、私には「彼はこういう指揮者」と言い切ってしまえるようなキャッチフレーズがまだ見つからない。なかなか複雑な性格を持った人、あるいはまだ発展途上の指揮者ということだろうか。でも、このシューマン全集もとても興味深い特徴を持っているので、言葉の及ぶ限りレポートしよう。スタイルは完全にピリオドだが、かつてのピリオド派のような「俺たちがやってることは最前衛なんだぜ」といった気負いは、もはや全くない。アレグロ系の楽章もアダージョ系の楽章もテンポは中庸で、ネゼ=セガンなどに比べるとかなり遅い。けれども、ラトルが「それだけはやるものか」と厳しく自らに禁じているクライマックスでのテンポ操作をティチアーティはあっけらかんとやってしまうところが、何とも面白い。第2番の最後ではあっと驚くリタルダンド、第3番の最後では予想通りのアッチェレランド。響きのバランスに関しても、かつてはフローリアン・メルツの盤のように「全曲がティンパニ協奏曲になってしまった」今となっては微笑ましい録音があったけど、ティチアーティはいたって穏当。けれども、ここぞという所ではティンパニの強打をアクセントとして使うし、非常にクリアなセッション録音を利して、埋もれた声部を掘り起こすことに関しては、これまでのどんな指揮者よりも熱心だ。さらに第1番第2楽章、第3番第3楽章のような比較的シンプルな緩徐楽章では、歌心の美しさが印象に残る。こうした部分でのティチアーティは全く邪念のないロマンティストだ。こうした多面的な特徴が、まだ一つの「個性」へと収斂していかないのが、今の彼の面白さなのだろう。
4 people agree with this review
14 people agree with this review 2014/08/07
『ドン・カルロ』と並ぶ昨夏ザルツブルクの目玉公演。演出、演奏ともに超高水準で日本語字幕付きディスクの発売は嬉しい。ヘアハイム演出、今回の仕掛けは第一にザックス/エーファの関係をワーグナー自身/マティルデ・ヴェーゼンドンク夫人のそれと重ねる伝記的枠組み。第二に『少年の魔法の角笛』『グリム童話集』など同時代の文化的枠組みの参照。第2幕終わりの乱闘に白雪姫以下、グリム童話のキャラクター達が大挙加わるのは楽しいが、これによって観客は本作で強調される「ドイツ」が、まだそういう名前の国が存在しない時代の言語=文化的共同体であることが実感できる。そしてワーグナーの夢の中ではザックスと・・・・・・・は一人二役であったという最後のサプライズ(良く考えてみれば当たり前で、驚きでもないのだが)に至るまで、きわめて知的に組み上げられた演出。しかもこの演出チームの凄いところはアイデアをちゃんと実際の舞台に載せる技を持っていることだ。ワーグナーの書き物机の上がそのまま第1幕の舞台になるセットなど秀逸。カタリーナ・ワーグナーのようなイデオロギー批判も一度はやっておくべきだが、あの演出は一度観れば十分。こちらの舞台は何度観ても飽きない。 そのカタリーナ版ではベックメッサーだったミヒャエル・フォレがザックスにまわっているが、シリアスかつ滑稽、人情味あふれるキャラクターで、これほど魅力的なザックスが過去にいただろうかと思うほど。若くてイケメン、かつ演技達者ののベックメッサー、ヴェルバもまさしく演出コンセプトにふさわしい。サッカの明るい声もアウトサイダー、よそ者であるこの人物に最適。ガッティの指揮は、各楽器を柔らかく溶け合わせるドイツ系指揮者のアプローチと正反対。線的なポリフォニーのからみがしっかり聴こえて、色彩豊かな指揮はとても新鮮だ。
14 people agree with this review
2 people agree with this review 2014/08/03
第1幕では電脳空間の中で迷子になったダーラント達がIT企業の社長然としたオランダ人に出会う。これ自体、今やとっくに陳腐な設定で、笑うしかない箇所が多いが、第2幕の扇風機工場になると、段ポール製のオランダ人像、これまた段ポール製の天使の羽根など、キッチュでチープな場面が続出する。最後にはオランダ人とゼンタが抱き合う「バイロイト土産」を工場で作っている様を見せて、ストーリー全体を相対化してしまう。つまり、演出家がやりたかったのは、すべてはゼンタの妄想というクプファー流読み替えに対するアンチテーゼだが、いまどき「愛は資本主義に勝つ」なんて話を大真面目にやったら噴飯ものだから、もう一回りひねってみました、というわけ。大方のワグネリアンは意図的なキッチュさに拒否反応を起こしそうだが、なかなか面白い舞台だ。 ティーレマンの指揮は相変わらず雄弁。もう少し粗削りに、ストレートに振ることもできる曲だが、カラヤン風に(?)後期の作品のような豊麗な響きを聴かせる。ただし、演出と演奏が「てんでばらばら」でお互いに寄り添う気配がないのは惜しい。韓国人ユン・サミュエルはなかなかの美声かつ達者な表現力の持ち主。見た目が東洋人であることも、この演出なら何らマイナスにならない。メルベートも悪くはないが、なぜもっと若くて生きのいい歌手を起用しないのか・・・という疑問は残る。ゼーリヒはこの役には勿体ないほどの立派な歌。
1 people agree with this review 2014/08/01
演出はあっと驚くようなシーンは何もないが、それなりに現代化しつつ、このオペラが演出家に突きつける様々な課題に真面目に取り組んだ手堅いもの。チューリッヒ歌劇場でのクーシェイ演出は特殊な読み替え仕様だったので、これを喜ぶ人も多いだろう。この演出、いかにもいま風なのは夜の女王(闇=無意識)、ザラストロ(光=啓蒙)両陣営とも完全に相対化していること。ザラストロ教団の信徒たちは怪しげな科学者集団で、『アイアンマン』風の反応炉(これが「太陽の環」らしい)を脳に接続したザラストロ自身は、絵に描いたようなマッド・サイエンティスト。ちゃんと黒人として表象されたマノスタトス(「一人で立つ者」という意味のモノスタトスの方が筋が通っていると思うが、モーツァルトの自筆譜はこの表記だという)に対する人種差別発言も元の台詞通りだ。エンディングでは相変わらず争いを続ける両陣営に呆れ果てた若者たちは、新しい道を探すことにする。つまり、結末だけ見ればシュトゥットガルト歌劇場来日公演で観られたコンヴィチュニー演出と同じだが、コンヴィチュニーのような突飛さやパロディのないこの舞台は少々、理が勝ちすぎている。少なくとも私はカーセン演出(2013年、バーデンバーデン)の方が遥かに好きだ。 さて、アーノンクールの『魔笛』は最初のCD録音の時からかなり特異だった。手兵コンツェントゥス・ムジクスをピットに入れた今回は彼としても最も「好きなようにやった」演奏だろう。夜の女王の復讐アリア、パミーナのアリアなど一部ナンバーを除けば、テンポはむしろ遅めで、緩急、強弱の落差も大きい濃厚な味付け。このコテコテのアーノンクール節を受け入れるか否かで、賛否は分かれよう。3大交響曲なら断固支持の私も、このオペラに限っては「もってまわりすぎ」だと思う。極端な「緩」と「弱」のせいで音楽の自然な流れが随所で断ち切られてしまっている。歌手陣は小粒だが、適材適所。ツェッペンフェルトは『ローエングリン』のハインリヒ王(2011年、バイロイト)に続いて、役の標準イメージから相当かけ離れた「変なおじさん」を今回も好演。最も良いと思ったのはヴェルバのパパゲーノ。伝統的な三枚目でもモンスターのような鳥人間でもなく、普通の現代の若者としてこの役を演じおおせている。
4 people agree with this review 2014/07/19
これと次の、最後のオペラ『金鶏』がリムスキー=コルサコフの最高傑作だと思うが、作品の真価を知らしめるにふさわしい素晴らしい上演(日本語字幕付きもありがたい)。チェルニャコフ演出は例によって舞台を現代に置き換えており、タタール人たちも昨今のテロリスト御一党といった感じだが、一見、暴力的な彼らの強さは意外に見かけ倒しなので、このぐらいで良いと思う。総じて現代化はとてもうまくいっている。悲惨な話だが、あくまでメルヒェン調で、舞台上での劇的な緊張はむしろ乏しい作品なので、演出は非常に難しい作品のはずだが、観客を飽きさせない工夫があちこちにある。第5幕ではト書き通りの大キーテジの壮麗な街並みをあえて見せないが、これもとても良い(その理由は一番最後に分かる)。歌手陣では主役フェヴローニャのみ、カリアリ歌劇場での映像に出ていたモノガローワの方が上だと思うが、イグナトヴィチも決して悪くない。他のキャスト、指揮とオケは文句なしにこちらの方が上。相手役フセヴォロド王子を演じるアクセノフも申し分ないが、特に性格的なテノールの役、グリシュカを演じるジョン・ダスザックが歌・演技ともに出色の出来。指揮のマルク・アルブレヒトは手の内に入った「お国もの」でないがゆえに、逆に非常に丁寧な音楽作りが印象的だ。
3 people agree with this review 2014/07/19
もちろん総譜がテンポの動きを指示している所はその通りにやっていて、終楽章最後の減速→加速の決まり具合など鮮やかの一語。でも、それ以外はそんなにアゴーギグに凝ってみせるタイプではなく、テンポは概して速めで造形はむしろ端正、アポロ的とも言える。にもかかわらず演奏はとても個性的だ。最も目立つのは、やはりイタリア人らしい非常にくっきりした旋律の歌わせ方。葬送行進曲冒頭のコントラバス・ソロは表情を殺して奏させる指揮者が多いのに対し、明確なアーティキュレーションを奏者に指示し、ひなびた感じを演出している。オーボエの皮肉な注釈にも、すこぶる鮮明な表情が付けられているし、終盤ではトランペットの対旋律の浮き立たせ方がうまい。スケルツォのトリオ、第1楽章(提示部の反復はない)展開部序盤などでの弦楽器のグリッサンドもきわめて克明。第1楽章では220小節 Etwas bewegter(幾らかより活発に)からの思い切ったテンポ・アップにもはっとさせられるが、それでもチェロはグリッサンドのままだ。葬送行進曲の中間部、終楽章第2主題など近年ではデリケートな手つきで扱われることが多い部分も、過剰に繊細ぶらず、むしろ速めのテンポで一息に歌ってみせる。バッティストーニが1番を振るのはこれが初めてだというが、逆に慣れていないがゆえの新鮮な楽譜の読みがことごとく好結果に結びついたのだろう。この曲そのものが本当に二十代の若い指揮者が振るのにふさわしい青春の名作なのだけれど。録音はやや硬質だが、東フィルも気合の入った申し分ない出来ばえ。
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9 people agree with this review 2014/07/06
演奏自体は後述の通り、なかなか面白いし、録音も優秀だからハンブルク稿の代表的な録音として推したいところなのだが、肝心の「稿」に大きな問題がある。「花の章」入り、第1楽章の提示部反復やスケルツォ冒頭部のダカーポがないわけだから、まぎれもなくハンブルク稿なのだが、この稿の特徴と言われてきた通常版のオーケストレーションとの違いがほとんど無くなってしまっている。残っているのは第1楽章序奏、最初のファンファーレが舞台裏からのホルン(通常版ではクラリネット、かつてのハンブルク稿では舞台上のホルン)になっていること、終楽章でティンパニが通常版と違う動きをする箇所があることぐらいか。葬送行進曲冒頭もコントラバス・ソロだ。国際マーラー協会はこの版を全集の補巻として出版するらしいが、この協会の間抜けな体質がまた出てしまった。こういう楽譜があることは事実のようだが、こんなに通常版に近いものをわざわざ出版してどうするのよ。 演奏自体はどこが面白いかと言うと、このコンビがこれまでソニーに録音してきたシューベルト、メンデルスゾーン、シューマンの録音と同じく、楽器はモダンだが、明らかにピリオド志向があること。第1楽章以外、テンポは概して速めで表情は淡白、オケは室内楽的に各パートが透けて見えるように聴こえる。ティンパニは明らかに硬めのマレットを使用、弦楽器のヴィブラートも皆無ではないが、かなり控えめであろう。1番の録音ではノリントン、ロトなど、そういう志向のディスクが既にあったが、彼らが通常の4楽章版を使っていたのに対し、ピリオド風アプローチにさらに適したハンブルク稿を使ったのがこの録音。だからこそ、通常版と違ったオーケストレーションの面白さをもっと聴かせてほしかった。
1 people agree with this review 2014/06/14
着々と進行する映像による全集。この後、2013/14シーズンには9番、来日公演曲でもあった7番が収録されている。この5番では一貫して速いテンポ、特に従来、かなり遅めのテンポが普通だった第2楽章第2主題(特に展開部序盤のチェロによるユニゾン部分)、第3楽章のピツィカートによるレントラー部、第4楽章全般などでも停滞感のない快速テンポが維持されていて、このコンピが最近CDリリースしたベートーヴェン、ブラームス全集と共通の志向を認めることができる。なるほど構築性を重んじた純器楽曲としてのアプローチは5番には合っている。しかし、ブラームスまでの方法論をそのままマーラーに持ち込むのは無理ではないかとも感ずる。なぜなら、マーラーの総譜ではメトロノーム表示がない代わりに、言葉による詳細なテンポの指示があるわけで、第3楽章「速すぎないで nicht zu schnell」、第4楽章冒頭「非常に遅く sehr langsam」などは作曲者の指示に逆らっているとしか思えない。たとえば、インバル/都響は物理的なテンポは速くても、表情そのものは濃厚だが、このコンピの演奏では上記のような(遅いテンポが求められるはずの)表現上の勘どころが、どうしても淡白に聴こえてしまう。 指揮者自身による演奏についてのコメントも、4番の時に比べれば遥かに情報豊富だが、言葉で語ってしまったために、かえって読みの浅さを露呈したり、(純器楽的解釈を志向しているくせに、プログラム的なメンゲルベルクの総譜書き込みにとらわれ過ぎといった)矛盾に陥ったりしているのは皮肉だ。
1 people agree with this review 2014/06/07
いよいよ全集録音も追い込み。4番に続いて、もうひとつの「高峰」である第14番に挑戦。さすがに表現主義的な表出力ではクルレンツィスに及ばない感があるが、これも悪い演奏ではない。明らかにクルレンツィスに勝っているのは、打楽器の巧みな生かし方。特に金属打楽器の響かせ方がとてもうまい。モノクロームになりがちな弦合奏も(もちろんゴリゴリと弾かせる所もあるが)色のパレットが思いのほか豊富だ。つまり死だの晩年だの晦渋だのといった既成イメージをいったん棚上げして、素直に楽譜に向かい合った演奏とも言える。おかげで、この曲がとても聴きやすくなっている(なかにはこのような「軟化」を嫌う人もいるかもしれないが)。まだ三十代の二人の歌手もとてもうまい。ジェイムズはシャイー指揮『ボエーム』のミミ(その前にはバレンボイム指揮『マノン』に端役で出ていた)以上に印象的。表現の引き出しが豊富な、達者な歌手だ。ヴィノグラードフ(ジャケット表記ではバリトンだが、オペラでの持ち役から見てもバスだろう)も絶叫の一歩手前で踏みとどまる知的なコントロールの効いた歌を聴かせる。
3 people agree with this review 2014/06/06
演出は全くの正攻法ながら、たとえば火刑の場(HMVレビューの写真)なども場面の作り方、群衆の動かし方が非常にうまい。演出家としては頭の痛い幕切れも、それなりに納得のいく終わり方。きわめてシリアスな作りで、ヴェルディというよりも、むしろシラーの原作戯曲に近い雰囲気を漂わせる重厚な舞台だ。歌手陣も超強力。お坊っちゃまゆえ軽挙妄動型の王子様はカウフマン向きではなかろうと思っていたが、観てみて納得。少なくともこのプロダクションの重い空気には合っている。あれよあれよという間に大プリマドンナになってしまったハルテロスも素晴らしい。ピアニッシモのまま続く終幕の二重唱などは息をのむ美しさだ。ハンプソンは相変わらずのハマリ役。17年前の仏語版と比べても、まだあまり年齢を感じさせない。サルミネンはさすがに声の方は衰えを隠せないが、見た目としては確かにこのぐらいの歳の方が説得力が感じられるし、貫祿はさすがだ。(コヴェントガーデン版と同じ)ハルヴァーソン、ロイドに至るまで、全く隙のないキャスティング。これでエボリがヴァルトラウト・マイアー(さすがにもう無理か)もしくはナディア・ミヒャエルだったら最高なのだが、さすがにそれは無いものねだりか。 唯一のイタリア人であるパッパーノの指揮も素晴らしい。仏語版を含めて三度目の今回の指揮が最も積極的で、「攻め」の姿勢が感じられるのは、オケがウィーン・フィルであるせいだろう。
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