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Review List of 一人のクラシックオールドファン 

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     2011/06/12

    本盤は「抜粋版」というタイトルで私はこれそのものを聴いてはおりませんが全曲版と組曲版は聴いておりますのでその辺りからコメントいたしますので何らかの参考にしていただければ幸いであります。通常私たちが聴く「ペール・ギュント」は二つの作品に分かれた組曲形式となっており、果たしてイプセンのオリジナル劇詩をどこまで理解というか知識としていたかは甚だ疑問でありました。そしてこの組曲に入っている各曲の順番は必ずしも劇詩付随音楽のストーリー通りに配置されているわけではなくただ巧みに並べられた親しみ易い各曲の雰囲気を夫々味わう次元に留まっているのが我々素人レベルの実情でありました。そうした実情になぐりこみをかける様に玄人レベルを対象とした全曲版を北欧オーケストラGSOと長く仕事をしたN.ヤルヴィ(当時50歳頃)が指揮して1987年一気に録音しており、一方彼が指揮した組曲版はこの全曲版からの抜粋に後年1992年に一部録りなおしたソースを追加する形でリリースされており結果第1組曲がタイム14’44、第2組曲が同16’18・・・計31分余と歌唱部分や語り部分も全て含まれている長丁場の全曲版86分弱と比べ大幅短縮となっております。N.ヤルヴィ自身は幅広いレパートリーの中で民族楽派的な作品については打楽器出身という先入観なのか独特のセンスがありこの「ペール・ギュント」もただ我々に聴き慣れた耳に心地良い音楽だけでなく・・・そう北欧音楽の歌い文句たる透明感だけではなく長丁場だから現れる隠れていた土俗的な現実感をおおようにポロッと出している様であります。形式的には従って幕開け直後のハリング(1’25)とスプリンガル(2’07)においてノルウェーの民族舞踊をヴィオラのソロが開放弦による持続低音で演奏するハルダンガー・フィドルも聴けるのが玄人好み心をそそります。歌手陣ではソールヴェイ役のB.ボニー(S,当時31歳)があの有名なアリアを清澄にそしてペール・ギュント役のU.マルムベルイ(B,同25歳)がハチャメチャな人物を上手く演じている様でした。ただ劇詩自体寓想的であり時空を越えたやや私の理解をも超えた運びで正直私自身玄人レベルでも何でもありませんし北欧文学研究にも通じておりませんのでこれ程まで完璧な全編盤の有難さを百パーセント受け入れるわけではなく一般受けはしないかもしれません。最初に書いた様にこの「抜粋版」がどの程度曲数を入れているかわかりませんのですが全曲版、組曲版からの推定で素晴らしいランクと思います(タイムについては盤により多少異なる場合があります) 。

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     2011/06/11

    先般、指揮者の佐渡裕さんが小学校卒業文集で「ベルリン・フィルの指揮者になりたい・・・」と書いた夢を果たしてBPOを相手に武満とショスタコーヴィッチの作品を演奏して話題になりました。この西本智美さんもやはり小学校卒業アルバムで「指揮者か作曲家になりたい」と記しており1998年彼女が28歳の時に指揮者デビューを果たして以降長身と容貌から「男装の麗人」「宝塚の男役スターのよう」と形容され、熱狂的な追っかけ女性ファンもいるほどになって大したものと感心しております。彼女は私の地元に近い大阪出身で何か身近な感じもしますがこれまでリリースされた(主にロシアをはじめ民族楽派作品)CDの演奏出来上がりは決して手放しに評価の高いものとはなっていないのが実情です。本盤出来立てホヤホヤの2011年録音のRSO(あの巨匠スヴェトラーノフが育てた名門オーケストラ)を振ってのチャイコフスキー交響曲第5番(演奏タイム@16’17A13’36B6’31C13’15・・・どちらかと言えばゆったり目での運びです)は彼女自身「5番は私にとって“扉を開ける”曲です」と語っていたらしく先の評価に対して「それでも運命に立ち向かって行く」風に指揮演奏したものとなっております。いろいろかつては週刊誌でも取り沙汰されスッキリしない面もありましたが女性がとにかくこれだけ出て来るだけの居座った「根性」はあるバックがあるとしても賞賛ものかと思われます。今後は更なる芸風の確立への精進を期待したいものであります。さて演奏の方は全体としてはパワーに訴える演奏というよりやや表情としてはあっさりとした抑え目な感じの仕上がりで穿って言えばRSOが本気になればこんな感じではおさまらないのではとも思いました。第1楽章での若干高めの音質の支配とアンサンブル上の密度の薄さが気にはなりました。沈うつな重さの第2楽章は素晴らしいですがやはり前述の様にダイナミックなロシア的雰囲気は以降楽章もセーブ気味。マァ彼女のこのオーケストラを前にしてのあらゆる意味での丁寧さ(遠慮?)が伝わって来る演奏でさりながら女性指揮者ならではという短絡的な見方もどうかとは思いました。客観的には日本の一女性が一流ロシア楽団を指揮してCDを出したという事実は素晴らしいの一言に尽きます。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2011/06/10

    何年か前にこの演奏について書き込んだコメントを本盤にもほぼ繰り返しですけれどもレビューさせていただきます。ワルター晩年にステレオで主要な曲をコロンビアSOという特別仕立ての楽団で再録した一連の演奏で第4番「ロマンチック」はワルター独特のソフトというか明るいイメージで親しみ深い演奏で第1楽章冒頭でのトレモロに合わせてホルンがテーマを先導する有様は親しみ感より懐かしささえ感じさせ素晴らしいと思いますが第2楽章では私はもう少し特に「自然の深遠雰囲気」もあればな・・・とも感じて聴きました。ワルターには意外とブルックナーの録音が少ないのでコロンビアSOとの晩年一連収録は我々ファンには貴重なものであります。交響曲第4番・・・私はブルックナー交響曲で一番好きなものでワルターのは以前LP盤でも聴いていました。ワルター83歳頃1960年録音の本演奏タイムは@18’44A15’42B11’01C20’51と特に過不足感はありません。使用版は原典版かどうか未確認ですが以前・・・ワルターが1940年NBCSOを振っての同曲で@16’38A14’35B10’29C18’26のタイム演奏からすれば年を重ねた表れなのでしょう。さて、本盤コロンビアSOのいつもの少しハリウッド映画的サウンドもあり明るい出来上がりになっておりそこにブルックナーの本来的音楽を見出せないと先入観してしまえばそれで終わりなのですがという感じです。私はワルターのブルックナーには第9番・・・勿論LP・・・で初めて接したのでその分かり易さにはある種の「恩」を感じておりますが本盤演奏を聴くまでには他の演奏家のものもある程度聴きかじった為妙に耳が肥えて?このワルターの明るいブルックナーに最高ランクをつけるまでに今日至っておりません。いい分り易い演奏なのですが・・・。ワグナーの管弦楽曲(24’54・・・)の方は未聴でありますので無難に素晴らしいランクに止めておきますね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2011/06/09

    本盤は1960年ミュンシュ69歳の頃、日本におけるライブ演奏録音であります。先ず「運命」交響曲は演奏タイム@6’28A11’24B5’32C8’49と反復演奏も無い為もあって短い仕上げで同じくミュンシュ/BSOによる1955年スタジオ録音の@6’01A10’44B5’31C9’26(LP時代「未完成」とのカップリングで親しんだ演奏です)と比べて同傾向であることが分かります。第1楽章きついアタックで大変迫力に満ちその生命力の燃焼度は凄いです・・・正にミュンシュのベートーヴェンと言えましょう。録音自体はマァこんなもので重たい低音と相俟ってやや単純な構成音になっているのは仕方ありません。第2楽章はやや軽快になっているのは助かります。最終楽章でもメリハリが効きすぎて切れば血しぶきの散る様なきつさ は尋常ではありません、指揮台を踏み込む音や途中で拍手?が入るのもライブとは申せミュンシュの凄まじさからの導きなのでしょう。とかく外面的効果に気にとられがちになる演奏とは思いますが演奏芸術のしからしむる処でしょう、もう一つのブラックウッドの交響曲についてはミュンシュは本盤1960年ライブ録音(@7’45A5’18B5’21C7’50)の他に1958年の録音分(@9’05A6’51B6’22C10’53)がありタイム上は少し差がありますがいずれにしても私は本盤で初めて聴いた次第です。今や忘れられた様な感じの米国現代作曲家ブラックウッドはメシアンやヒンデミットに師事していたということですがこの演奏ではそんなに抽象的作品ではなく第1楽章管楽器とティンパニーで開始され少しその錯綜感に聴く側は戸惑うものの基調は活発な感じ、続く第2楽章は打って変わって静かな運び。第3楽章では管楽器のテーマが次々なぞられます。最終楽章は初め弦が重くスタートし次第に高揚して行きます。ゆっくり管が主題を出して後、若干抽象風に流れますが緊張感でそれを救い更に経緯があるものの静かな場面に移って最後消え入る様な〆は印象的です。本盤ミュンシュ ファンにとっては必聴の盤でしょうが一般的には先ずOKランク以上でどうでしょうか。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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     2011/06/08

    マーラー没後百年ということで私にはかねてより難曲の交響曲第7番「夜の歌」の幾つかの演奏盤を再度自分の能力上達確認も兼ねて聴き直しております。本盤はインバル/FRSOによる1986年のインバル50歳の時の録音演奏で1987年のレコード・アカデミー賞受賞盤であります。先ず演奏タイムが@22’36A14’40B10’18C13’13D16’49と心持ち最終楽章があっさり目の感じがします。第7番はスコアの第2,4楽章に「ナハト・ムジーク」と記せられていた事から「夜の歌」というタイトルもついていながら支離滅裂な感じでとっつきにくい印象があり・・・プラハでマーラー自身の指揮での初演も聴衆の反応はかなり鈍かったらしくまして我々素人はそのレベル以下で当然なのかも・・・と自ら自己弁護。この曲はマンドリンとかカウ・ベルなど交響曲には珍しい楽器も使われ矛盾・分裂気味の印象を更に煽り聴き様によっては単に「音の瓦礫」にしか聞えかねない世紀末芸術的作品をインバルはどちらかと言えば複雑な響きを整理して抑制を効かして同じユダヤ系のバーンスタイン等の演奏とは異なり粘つきません。各楽器の音を明瞭に出して録音の良さで奥行き感を増長させます。私自身はインバルの本マーラー交響曲シリーズでは第4番の明るい見通しの良い演奏の面影をこの第7番にも見たのですが少し曲場面も異なる処、微妙な隙間がありました。最終楽章と対をなす第1楽章は冒頭葬送雰囲気の陰鬱なリズムでスタートしますがオーケストレーションにおける長短調の絶えざる行き来やシェーンベルク的不協和音に加えるに突如とした爆発と停滞の繰り返しの内にもこの演奏はユダヤ的共感に過度には陥りません。インバルには短調より長調が向いている処も第4番と連想した所以なのかもしれませんがその明暗両立での底入れが少し見当たらないのが些か物足りなくはあります。第4楽章と対をなしていると言われる第2楽章は前楽章と変わって山岳風景的なホルンや前述のカウ・ベルなどで抽象的ではありますが田園風景が想起される楽章です。途中美しいメロディアス部分もありますがただマーチ基調は各楽器に加えティンパニーもアクセント付けしそのメリハリ感が素敵ですね。第3楽章の冒頭の不気味なスタートは印象的、やがて現れるグロテスクな舞曲的テーマもマーラー独特の感触。ある退廃的な臭いを醸し出しますがあくまで粘つかない風通し良い肌合いですね。トリオ中ほどのヴァイオリン、チェロ等の踊る処も絶妙です。やや単調さに流れそうな処を最後ティンパニーで楔が打たれます。第4楽章はヴァイオリン・ソロから入るのですが優しい雰囲気で茶々を入れる如く挿入されるギター、マンドリンののどかさがホッとさせます。時折マーラーの曲に見られる各楽器を入れかわり立ちかわり登場させる室内楽的雰囲気も捨てがたくヴァイオリンのしっとりさが全体の演奏から見ると引き立ちますね。最後は消え入りそうに〆めます。連打ティンパニーがこの最終楽章の象徴ですが決して狂気に走らず後半管楽器中心に「溜め」を不気味にばら撒きながら次第に山場へ・・・鐘も大いに鳴らされフィナーレへの体勢は万全・・・冒頭のティンパニーも多用されて勝利感の内に曲は閉じられますが「切れ」の良い演奏が雪崩れ込み的フィナーレ・クライマックスにも重さ・粘つきがなくこの辺りポイントゲットするかいなかの分かれ目。全体としてはアッサリさ・分かり易さでの素晴らしいアプローチの第7交響曲なのですがそれと対照的なとてつもないタイムのクレンペラー盤が私の中では一歩リード??。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/06/07

    もうコルボの名刺代わりの感もあるフォーレ「レクイエム」はCD盤としても本盤1972年演奏分の他に1992年(ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル)、2005年(ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル・・・東京ライブ)そして2006年(ローザンヌ声楽アンサンブル、シンフォニア・ヴァルソブィア)がHMVカタログにも載っております。多くの方がそうである様に私もこのレクイエムはやや分厚いイメージのクリュイタンス盤(1962年録音の名演奏でこれはこれでLP発売当時以来納得出来ている演奏であります)から入った者ですが1972年録音のこのコルボ盤(コルボ38歳の頃)に接してその透明感にも感激しクラシック音楽の聴く楽しみに今更の如く感じ入った覚えがあります。フォーレ「レクイエム」には何版かあり本盤演奏はフルオーケストラ版で演奏タイムとしては@7’44A8’00B3’53C3’15D6’13E6’16F4’15と例えば2005年東京ライブ盤の室内楽版@7’10A6’52B3’45C3’26D5’57E6’01F3’38との微妙な差はありますが多分それより響きの違いが大きな要素かと思います。それと本盤はオーケストラがBSOでコーラスが少年中心のサン・ピエール・オ・リアン・ド・ビュル聖歌隊(亡きコルボの叔父が指導してきた小さな町ビュルの聖歌隊で、これから音楽として一層の飛躍がかかるこのレクイエム一回目の録音に、それをするところに彼の人間性の一端がうかがえます)、ソプラノにもこの聖歌隊メンバーのボーイ・ソプラノを起用していわば女声陣が参加していない事が特筆されます(このソプラノを担当した少年はこの録音後間もなく変声して先述のローザンヌ声楽アンサンブルのバリトンメンバーになったとか・・・)。特に声楽陣がこういう具合なのでその安らぎと清澄さは異常な程で性的魅力も感じます。ソプラノが登場する第4楽章ではその繊細さが発揮されますね。最初の楽章でのゆったりとした静かな佇まいの内のスタートと分厚くないコーラスからその透明さが直感され宗教曲の厳かさというより清らかさを訴えます。第2楽章、第6楽章でのバリトンのフッテンロッハー(当時30歳)の静けさも印象的です。ただ正直な処、私は女声陣の方がスケール感というか普遍性からも好きであり★一つ保留します。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/06/06

    もうコルボの名刺代わりの感もあるフォーレ「レクイエム」はCD盤としても本盤1972年演奏分の他に1992年(ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル)、2005年(ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル・・・東京ライブ)そして2006年(ローザンヌ声楽アンサンブル、シンフォニア・ヴァルソブィア)がHMVカタログにも載っております。多くの方がそうである様に私もこのレクイエムはやや分厚いイメージのクリュイタンス盤(1962年録音の名演奏でこれはこれでLP発売当時以来納得出来ている演奏であります)から入った者ですが1972年録音のこのコルボ盤(コルボ38歳の頃)に接してその透明感にも感激しクラシック音楽の聴く楽しみに今更の如く感じ入った覚えがあります。フォーレ「レクイエム」には何版かあり本盤演奏はフルオーケストラ版で演奏タイムとしては@7’44A8’00B3’53C3’15D6’13E6’16F4’15と例えば2005年東京ライブ盤の室内楽版@7’10A6’52B3’45C3’26D5’57E6’01F3’38との微妙な差はありますが多分それより響きの違いが大きな要素かと思います。それと本盤はオーケストラがBSOでコーラスが少年中心のサン・ピエール・オ・リアン・ド・ビュル聖歌隊(亡きコルボの叔父が指導してきた小さな町ビュルの聖歌隊で、これから音楽として一層の飛躍がかかるこのレクイエム一回目の録音に、それをするところに彼の人間性の一端がうかがえます)、ソプラノにもこの聖歌隊メンバーのボーイ・ソプラノを起用していわば女声陣が参加していない事が特筆されます(このソプラノを担当した少年はこの録音後間もなく変声して先述のローザンヌ声楽アンサンブルのバリトンメンバーになったとか・・・)。特に声楽陣がこういう具合なのでその安らぎと清澄さは異常な程で性的魅力も感じます。ソプラノが登場する第4楽章ではその繊細さが発揮されますね。最初の楽章でのゆったりとした静かな佇まいの内のスタートと分厚くないコーラスからその透明さが直感され宗教曲の厳かさというより清らかさを訴えます。第2楽章、第6楽章でのバリトンのフッテンロッハー(当時30歳)の静けさも印象的です。ただ正直な処、私は女声陣の方がスケール感というか普遍性からも好きであり★一つ保留します。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/06/05

    通常私たちが聴く「ペール・ギュント」は本盤演奏の様に二つの作品に分かれた組曲形式となっており、果たしてイプセンのオリジナル劇詩をどこまで理解というか知識としていたかは甚だ疑問でありました。そしてこの組曲に入っている各曲の順番は必ずしも劇詩付随音楽のストーリー通りに配置されているわけではなくただ巧みに並べられた親しみ易い各曲の雰囲気を夫々味わう次元に留まっているのが我々素人レベルの実情でありました。スウェーデンGSOと長く仕事をしたN.ヤルヴィ(当時50歳頃)が指揮して全曲版を1987年一気に録音したことがあったのですが本盤組曲版はその全曲版からの抜粋に後年1992年に一部録りなおしたソースを追加する形でリリースされており結果第1組曲がタイム14’44、第2組曲が同16’18・・・計31分余と全曲版86分弱と大幅短縮となっております・・・又、これが我々には通常なのでしょう。演奏自体はN.ヤルヴィの練達師よろしく進められ更に北欧オーケストラにより単に耳に心地よいアプローチに終わらず時に野趣性も見せまローカルな味がするのは説得性がありますね。ただ何故先に触れた新旧演奏の混合にしたのか(因みにタイムだけ見ますと「ドヴレ山の魔王の広間にて」1987年2’51、1992年2’57、「アラビアの踊り」1987年4’51、1992年4’50、「 ソールヴェイの歌」1987年4’59、1992年5’12・・・と大差はありません)、編集上の都合なのかちょっと5年のブランクとは言え気にはなりました。1987年の録音の「十字軍王シーグル」は「ペール・ギュント」の作者イプセンの友でありライバルでもあったビョルンソンという人が書いた戯曲に同じくグリーグが付随音楽として作曲したものですが私は本盤演奏で初めて聴きました。冒頭の四本のホルンによる角笛ファンファーレからスタートし第3前奏曲のマァ親しみ易いオマージユ・マーチ(タイム8’42)を含めテノール歌唱が入ったノルウェー祖国愛に満ちた曲で本盤演奏はトータルタイム34’26とコンパクトなものです。参考までにテノールのM.サンヴェーはこの時28歳頃。ヤルヴィの北欧物はオーケストラの質責も寄与して概ね信頼のおける位置付けとなっており先ほど述べた様に私は他の演奏との比較はしていませんがよーく統制がとれ曲趣にも合った演奏かと理解致しました。「ホルベアの時代」(19’02)その他は残念ながら聴いておりません、(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/06/05

    何年か前にこの演奏について書き込んだコメントを本盤にもほぼ繰り返しですけれどもレビューさせていただきます。ワルター晩年にステレオで主要な曲をコロンビアSOという特別仕立ての楽団で再録した一連の演奏で独特の少し甘ったるい録音なのかワルターの演奏が元々そのういう気味があるのかは確かではありませんがやはりブラームス第4番の最右翼の盤と申せましょう。1959年ワルター83歳の頃の収録にも拘わらず些かの撓みもありません。演奏タイムは@12’55A11’46B6’26C11’16でどちらかと言えば変奏曲で進む最終楽章をじっくり対応している感じであります。第1楽章のコーダに入って行く過程は程のよい興奮を呼び起こし終楽章のコーダはその「諦観」を感じさせずにはおられません。これらの箇所というかポイントをより効果的に演奏している盤は出てきていますが曲全体のバランスを取っての設計はさすがワルター晩年で到達した芸風なのでしょうか。オーケストラの少しハリウッド的サウンドに底浅さはあるもののそれを補って余りある最高ランクの演奏であります。1960年収録の「ハイドン主題変奏曲」(18’31)も明るめのトーンで重厚さには欠けますが演奏自体は素晴らしいです。他の盤同様、クリヤーに臨場感?が増した様な平林氏の制作姿勢が更にバリューアップされていることが期待されますね。((タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/06/04

    本盤ホルスト「惑星」はラトルガ26年ぶりに今回2006年にBPOと再録した演奏盤で演奏タイムは火星7’20,金星8’53,水星3’59,木星7’58,土星9’37,天王星6’05,海王星7’05と前回1980年PHOの火星7’06,金星8’50,水星3’55,木星8’06,土星9’32,天王星6’01,海王星7’16とタイム上では大差はありません。ただ演奏はラトルも51歳になったためか全体を眺め渡したスケール感は伊達に年を重ねたものではなく更に磨かれたインターナショナル的BPOサウンドが客観的な演奏に仕立てております。従ってラトルならでは・・・といった処は期待は少し控えめにしたいですね。火星では余裕の底力を見せ前回の様な鋭敏さのひっかかりはありません。金星での静かなヴァィオリンは流石BPOの機能美を見せ付けられた思いがし又確かにこの静かな楽章ではオーケストラの勝負し処ではあります。平原綾香の「ジュピター」で俄然脚光を浴びた木星は分り易い運びで決してボリューム感で圧倒一辺倒ではありません、割と素直に聴けました。人生終盤の象徴である土星での低音弦から管楽器へのパスは見事だし更に不気味な「溜め」を経て盛り上がってやがて静まりつつゆったり動く弦にもある「明るみ」を加えていく経路も素晴らしいです。海王星ではホルンが神秘のスタートをしやがて舞台裏での女声コーラスが広大な宇宙を彷徨い反復する内に消え入って行きます。さて本盤は続くトラックで2000 年にケント・ナガノがイギリスの作曲者でホルスト協会の会長でもあるコリン・マシューズに作曲を依頼した作品「冥王星」(タイム6’11)が付け加わっているのが特徴です。更に(私は聴いてはおりませんが)二枚目エンハンスドCDで今回のこのベルリンのプロジェクト(宇宙へ) のもう一つの目玉である、4人の作曲者による「宇宙」を題材にした委嘱作やラトルのインタビューやBPOリハーサル点景が納められています。マァ飛びつくほどのものではありませんが・・・。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/06/03

    本盤ホルスト「惑星」演奏はラトルの日本におけるデビューでありPHOを振って1980年録音されたものです。演奏タイムは火星7’06,金星8’50,水星3’55,木星8’06,土星9’32,天王星6’01,海王星7’16で後年2006年BPO演奏盤の火星7’20,金星8’53,水星3’59,木星7’58,土星9’37,天王星6’05,海王星7’05と大差はなく又他演奏ともタイム上はそんなに違いはありません。英国勢での演奏だけに先ず安心出来るのは勿論なのですが全体として万全というよりラトルの生気が垣間見れるものになっており私は特に一番バッターの火星での若干きついというか挑発・挑戦的な音作りからその様子にただならぬものをうかがえました。金星での静寂さはそれ故に存在感が受取れるものの、ややPHOサウンドに任せた部分もあるとは思いました。平原綾香の「ジュピター」で俄然脚光を浴びた木星は序奏弦に若干意図されたものかどうかは別にしてざらついた肌合いが気にはなりあの有名なメロディでは後半に力が入って行きます。土星のきつい執拗さと天王星での管楽器スタートとティンパニー等の扱いはラトルの当時の特性が音色具合に端的に現れて面白いと思いました。全体として取りあえず各星の性格を個々に表現して上手く言えませんが宇宙の繋がり感・・・スケール感にまでは及ばなかったのは当時まだ25歳のラトルなら如何に能力があっても致し方ないのかもしれませんね。記念的演奏として素晴らしいランクに・・・。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/06/03

    通常私たちが聴く「ペール・ギュント」は二つの作品に分かれた組曲形式となっており、果たしてイプセンのオリジナル劇詩をどこまで理解というか知識としていたかは甚だ疑問でありました。そしてこの組曲に入っている各曲の順番は必ずしも劇詩付随音楽のストーリー通りに配置されているわけではなくただ巧みに並べられた親しみ易い各曲の雰囲気を夫々味わう次元に留まっているのが我々素人レベルの実情でありました。本盤はそうした実情になぐりこみをかける様に玄人レベルを対象とした全曲版・・・正しく本物の「全曲」盤でそれも北欧オーケストラGSOと長く仕事をしたN.ヤルヴィ(当時50歳頃)が指揮して1987年一気に録音したものです(彼が指揮した組曲版はこの全曲版からの抜粋に後年一部録りなおしたソースを追加する形でリリースされておりいろいろ盤がある様です)。全曲版なので歌唱部分や語り部分も全て含まれて演奏タイムが85’50と言う長丁場のものであります。N.ヤルヴィ自身は幅広いレパートリーの中で民族楽派的な作品については打楽器出身という先入観なのか独特のセンスがありこの「ペール・ギュント」もただ我々に聴き慣れた耳に心地良い音楽だけでなく・・・そう北欧音楽の歌い文句たる透明感だけではなく長丁場だから現れる隠れていた土俗的な現実感をおおようにポロッと出している様であります。形式的には従って他のレビューの方も書かれていた様に幕開け直後のハリング(1’25)とスプリンガル(2’07)においてノルウェーの民族舞踊をヴィオラのソロが開放弦による持続低音で演奏するハルダンガー・フィドルも聴けるのが玄人好み心をそそります。歌手陣ではソールヴェイ役のB.ボニー(S,当時31歳)があの有名なアリア(4’59)を清澄にそしてペール・ギュント役のU.マルムベルイ(B,同25歳)がハチャメチャな人物を上手く演じている様でした。ただ劇詩自体寓想的であり時空を越えたやや私の理解をも超えた運びで正直私自身玄人レベルでも何でもありませんし北欧文学研究にも通じておりませんのでこれ程まで完璧な全編盤の有難さを百パーセント受け入れるわけではなく一般受けはしないかもしれませんが音楽資料面からは演奏の手堅さと共に貴重なもので素晴らしいランクと思います。「十字軍王シーグル」は「ペール・ギュント」の作者イプセンの友でありライバルでもあったビョルンソンという人が書いた戯曲に同じくグリーグが付随音楽として作曲したものですが私は本盤演奏で初めて聴きました。冒頭の四本のホルンによる角笛ファンファーレからスタートし第3前奏曲のマァ親しみ易いオマージユ・マーチ(タイム8’42)を含めテノール歌唱が入ったノルウェー祖国愛に満ちた曲で本盤演奏はトータルタイム34’26とコンパクトなものです。「ペール・ギュント」同様、演奏指揮はオーケストラGSOを長年率いてきたN.ヤルヴィで1987年の録音です。参考までにテノールのM.サンヴェーはこの時28歳頃。ヤルヴィの北欧物はオーケストラの質責も寄与して概ね信頼のおける位置付けとなっており先ほど述べた様に私は他の演奏との比較はしていませんがよーく統制がとれ曲趣にも合った演奏かと理解致しました。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/06/02

    マーラー没後百年ということで私にはかねてより難曲の交響曲第7番「夜の歌」の幾つかの演奏盤を再度自分の能力上達確認も兼ねて聴き直しております。本盤はクレンペラー/NPOによる1968年の録音演奏で多くの皆さんのレビューに屋上屋を重ねる感じがしましたがコメントさせていただきます。先ず演奏タイムが@27’46A22’08B10’30C15’38D24’40と特に第1,2,5楽章の時間のかけ方は半端なものではありません。第7番はスコアの第2,4楽章に「ナハト・ムジーク」と記せられていた事から「夜の歌」というタイトルもついていながら支離滅裂な感じでとっつきにくい印象があるので更にこの長さに聴く前から腰が引けるかと自分自身の思いもあり、ある覚悟も致し方ありません・・・プラハでマーラー自身の指揮での初演も聴衆の反応はかなり鈍かったらしくまして我々素人はそのレベル以下で当然なのかも・・・と自ら自己弁護のスタート。この曲はマンドリンとかカウ・ベルなど交響曲には珍しい楽器も使われ矛盾・分裂気味の印象を更に煽り聴き様によっては単に「音の瓦礫」にしか聞えかねない世紀末芸術的作品をリハーサルそして初演にも立ち会ったクレンペラー(当時83歳)はタイムをかける事によって判読されないまま過ぎる各楽章をゆっくりかみ締める様に聴かしてくれます。この辺りは表現こそ違ってはいますがHMVレビュー等にもある通りかと思います。それと重厚な演奏、言い換えるとギラギラせずに一音一音をかんで含めるように曲の核心を紐解いて行く姿勢が私の様な素人にも逞しい説得力を与えてくれます。最終楽章と対をなす第1楽章は冒頭葬送雰囲気の陰鬱なリズムでスタートしますがオーケストレーションにおける長短調の絶えざる行き来やシェーンベルク的不協和音に加えるに突如とした爆発と停滞の繰り返しにも聴く側はゆっくり対応できますね。第4楽章と対をなしていると言われる第2楽章は前楽章と変わって山岳風景的なホルンや前述のカウ・ベルなどで抽象的ではありますが田園風景が想起される楽章です。途中美しいメロディアス部分もありますがただマーチ基調は各楽器に加えティンパニーもアクセント付けします、最後のピチカートも効果的でとにかくこの演奏には身を浸したくなりました。第3楽章の冒頭の不気味なスタートは印象的、やがて現れるグロテスクなテーマもマーラー独特の感触。ある退廃的な臭いを醸し出しますがあくまで粘つかない墨絵的肌合いですね。トリオ中ほどのヴァイオリン、チェロ等の踊る処も絶妙です。第4楽章はヴァイオリン・ソロから入るのですが優しい雰囲気で茶々を入れる如く挿入されるマンドリンののどかさがホッとさせます。時折マーラーの曲に見られる各楽器を入れかわり立ちかわり登場させる室内楽的雰囲気も捨てがたいですね。最後は消え入りそうに〆めます。連打ティンパニーがこの最終楽章の象徴ですが決して狂気に走らず後半管楽器中心に「溜め」を不気味にばら撒きながら次第に山場へ・・・鐘も大いに鳴らされフィナーレへの体勢は万全・・・冒頭のティンパニーも多用されて勝利感の内に曲は閉じられます。正直冗長に感ずる時もありますが悠然としたスケール感で充実度もばっちり味わえます・・・。それにとにかくNPOの同伴ぶりも見事です。1964年ルードヴィッヒの歌唱での「リュッケルト歌曲集」五曲(私はこの世に忘れられて・・・6’34、真夜中に・・・5’34、浮世の暮らし・・・3’11、ほのかな香り・・・2’50、美しいトランペットの鳴り渡る所・・・6’06)も同年収録の名演「大地の歌」と軌を一にする素晴らしいものです。とにかく本盤皆さんと同様最高ランクに躊躇いたしません。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/06/01

    ヤンセンの演奏にはあの「四季」でのテクニックとセクシーなジャケットのピンアップ写真で初めて触れた私ですが今回は近々わが国にやって来るハーディング/MCOとの共演のチャイコフスキーVCを特にバックオーケストラにも注目しながら聴きました。2008年彼女が30歳、彼が33歳と若いコンビの演奏録音・・・タイム@18’33A6’26B10’15、タイムでは特に特徴はない様に思われます・・・で比較的情感ある自由な運びがなされております。第1楽章室内管弦楽団らしく軽いタッチで速めの前奏の内にVは伸びやかにゆったりした「間」を挟みつつ入って来ます。決してロシア的という雰囲気ではなくキンキンしません。あのオーケストラの全奏ピークでも馬力を発揮するのではなくソフトタッチでレガートも咬まししっとりした進行。Vカデンツァも冒頭のテクニック一点張りではなくゆったりしたペース。第2楽章のスタートのV音も深くならないで軽くその基調が続くのでオーケストラの意図形がよ〜く分かります。濃厚ではありませんがロマンチック性は充分。最終楽章はややテンポを速くして泥臭さを避けますが緩急を対照化する場面があります。いろいろ変貌を経つつもオーケストラは暴れず一気性は抑制気味。しかし勿論若い演奏の活気も最後のピークに発揮。余録音の「なつかしい土地思い出」はタイムは@9’49A3’32B3’53であります。次世代ホープの彼ら・・・今後も楽しみですね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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     2011/05/31

    1960年代というとまだそんなにマーラー交響曲全曲を演奏・録音する時代ではなかったのにバーンスタインはマーラー交響曲広告塔の如く持前の情熱的な推進力でもってNYPO他を振って断行した指揮者でそれは自他共に認じていたと思われます。私もLPでその大半を求め時折聴いたものでした。曲によっては中々馴染みにくく殊に第7番はスコアの第2,4楽章に「ナハト・ムジーク」と記せられていた事から「夜の歌」というタイトルもついていながら支離滅裂な感じでとっつきにくい印象を長年持っており今言った全集盤中の第7番(1965年収録、タイム@20’52A16’38B9’37C14’38D17’50)も積読状態であります。今回本盤演奏(1985年ライブ、タイム@21’30A16’57B10’27C14’33D17’15)に接して勿論完全に手中におさめたわけではなく更に聴き込む必要というか義務感も伴っているのが現状ではあります。まぁ、プラハでマーラー自身の指揮での初演も聴衆の反応はかなり鈍かったらしくまして我々素人はそのレベル以下で当然なのかもしれませんね。この聴き様によっては単に「音の瓦礫」にしか聞えかねない世紀末芸術的作品を自己顕示欲に駆られつつその起伏経路の流れをマーラー演奏の先駆者、67歳になったバーンスタインが前回同様NYPOを振って如何に表すかがポイントに置きました。この曲はマンドリンとかカウ・ベルなど交響曲には珍しい楽器も使われ矛盾・分裂気味の印象を更に煽ります。最終楽章と対をなす第1楽章は冒頭葬送雰囲気の陰鬱なリズムでスタートしますがオーケストレーションにおける長短調の絶えざる行き来やシェーンベルク的不協和音に加えるに突如とした爆発と停滞の繰り返しはオーケストラもついて行くのがやっとでアンサンブルも怪しくなりますがやはりユダヤ系の指揮者がその整理に向いており勝利感で盛り上がる部分ではバーンスタインの声?も聴き取れます。第2楽章は変わって山岳風景的なホルンや前述のカウ・ベルなどで抽象的ではありますが田園風景が想起される楽章です。途中美しいメロディアス部分もありますがただマーチ基調は各楽器に加えティンパニーもアクセント付けします。なお、この楽章はイメージとしては第4楽章と対をなしているとの事です。第3楽章の冒頭の不気味なスタートは印象的、やがて現れるグロテスクなテーマもマーラー独特の感触。ある退廃的な臭いをバーンスタインは抽出して行きます。第4楽章はヴァイオリン・ソロから入るのですが優しい雰囲気でマンドリンののどかさがホッとさせます。時折室内楽的雰囲気も捨てがたいですね。最後は消え入りそうに〆めます。連打ティンパニーがこの最終楽章の象徴で実に濃厚な脂ギラギラの阿鼻叫喚ぶりと勝利感的盛り上がり方はバーンスタインならではといったところ。鐘も大いに鳴らされフィナーレへの体勢は万全・・・ティンパニーが多用され正しく音量主義そのものでこの辺りがしんどくなるオールドな私ではあります。マーラー没後百年ということでバーンスタインによる第7番再録盤に挑戦しました。バーンスタインのマーラー演奏の凄さを認めつつ、とてつもないタイムのクレンペラー盤が私の中では一歩リード??。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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