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Review List of 村井 翔 

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     2015/04/25

    第7番は第1番と同じヴィースバーデンのフリードリヒ・フォン・ティーアシュ・ザール、第8番はフランクフルト放響の本拠、フランクフルトのアルテ・オーパーで収録。演奏は第7番が圧巻の出来ばえ。パーヴォの指揮は曲が複雑になればなるほど、ますます冴える傾向があるが、その見本のような演奏だ。第1楽章冒頭、伴奏音型の符点リズムのクリアな処理以下、全曲のスコアを徹底的に掘り起こしていて、会場の音響特性が良いので、それが細部まで克明に聴こえる。たとえば第5楽章冒頭、金管のファンファーレに唐草模様のようにからみつく木管の「茶化し」音型をこれだけ明確に聴かせるのは、このような一発ライヴでは容易ではあるまい。全体としては速めのテンポ設定だが、終楽章は意外に速くなく、むしろ余裕のある運び。 その中でこの楽章の盛りだくさんのコラージュ風音楽を万華鏡のように繰り広げる。
    一方の第8番は特に実演では肥満した巨大化のあまり、俊敏な動きのできない演奏を聞かされることが少なくないが、これは極限まで曲をシェイプアップし、スリム化した演奏。そもそも演奏者の人数が少ない。二百数十名ほどで、8番では最小の部類だと思うが、少年合唱など驚くほど少人数だ。ゆえにテンシュテットの録画のような巨大なスケールは全く望めないし、あくまで他の曲の演奏と比べてではあるが、パーヴォの指揮としては細部の彫琢、メリハリの効果ともに、やや物足りない。第2部の真ん中(スケルツォ部)あたりは、どうもダレ気味だ。指揮者自身のコメント以上に、演奏そのものが曲に対する愛着の薄さを物語ってしまっている。

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  • 3 people agree with this review
     2015/04/19

    何と5番、6番もエーベルバッハ修道院で収録。ラインガウ音楽祭を機に録画ということなので仕方ないのかもしれないが、ポリフォニックな様式の5番などは残響の長い聖堂内での収録は明らかに不利だ。演奏自体もやや粗いところがあって、2012年の日本での演奏の方が上であったように思うが、やはりここぞという勘どころは外さない。たとえばアダージェットは、煩瑣な作曲者のテンポ変化の指示に忠実に従った、理想的な出来ばえだ。スケルツォのオブリガート・ホルン奏者はラトル/BPOと同じく指揮者の横に出てきて吹くが、来日公演ではオケの右奥、テューバの横、コントラバスの後ろあたりに移動して、立って吹いていた。これだと左奥に位置する他のホルンとの掛け合いも完璧で、こちらの扱いの方がベストだと思った。
    一方、最も新しい収録の6番は気力充実、きわめてメリハリの強い圧倒的な出来ばえで、これまでに発売された6曲の中ではベストと言える。中間楽章はスケルツォ/アンダンテの順で、やはり私はこれが「正しい」と思うが、特にアンダンテから終楽章への接合のスムーズさ(この演奏ではほぼアタッカで続けている)は間違いなく「正しさ」を裏付けてくれる。ハンマーは(指揮者自身の発言に反して)2回だけ。総譜では第1ハンマーはfff、第2ハンマーはff、第3の運命の打撃に相当するタムタムはfになっていて、アバドのようにこれをその通りにやる指揮者もいるが、パーヴォは反対。第1より第2ハンマーの方が強いし、最後のタムタムも思いっきりひっぱたく。劇的効果としては、まさにこれが正解だと思う。ハンマーも重く鈍い音ではなく、凄まじい衝撃音がする。それにしても、この6番でのフランクフルト放送響の精度の高さには舌を巻く。1960年代から「マーラーの時代が来た」と言われるが、実は半世紀前にはニューヨーク・フィルをもってしても、これほど総譜の要求に従った精密な演奏はなしえなかったのだ。パーヴォが予定通り、1シーズンに1曲ずつマーラーを振ってくれるなら、この水準の演奏がおそらく東京でも聴けるわけだ。

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  • 4 people agree with this review
     2015/04/13

    この種の音楽には少し広すぎる祝祭大劇場でのライヴだが(拍手はなし)、ややインティメートな雰囲気に欠けるとしても、音そのものはきれいに録れている。ここでも指揮者自身がライナーノートを書いていて、シュトラウス・ファミリーの音楽にとってテンポ・ルバートがいかに重要かを力説しているが、なるほど『ジプシー男爵』序曲(HMVレビューの収録情報は誤り。『こうもり』序曲ではありません)に始まり、ヨーゼフのポルカ・マズルカ『とんぼ』、ワルツ『オーストリアの村つばめ』、珍しいエドゥアルトのフランス風ポルカ『蜜蜂』と、盗み(ルバート)なしではどうにもならない曲を並べている。一方、ポルカ・シュネルでは俊敏な身軽さとめざましいノリの良さが印象的。こういう演奏、どこかで聴いたことあるなと既視感(既聴感)を感じたが、そう、カルロス・クライバーだ! ホーネックは確かにカルロスの後継者と言われることがあるらしいのだが、このディスクを聴いて初めて、なるほどと納得できた。最後の『雷鳴と電光』など、カルロス以上にカルロス風ではないか。

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  • 2 people agree with this review
     2015/04/12

    2010年6月のブルックナー・ツィクルス最終日の録画。このコンビの近年におけるベスト・フォームを記録した演奏に挙げていいだろう。第1楽章冒頭からトゥッティ(かつての言い方だと第1主題提示)に至るまでのテンポの動かし方(徐々に加速+最後に急減速)はフルトヴェングラーそっくり。かつてのバレンボイムの場合、こういう所がどうも「とってつけたように」不自然に聴こえたのだが、今やフルトヴェングラー様式−−と呼んでいいのでしょうね。今やわれわれはフルトヴェングラーしか聴かないが、20世紀前半の演奏ではこういうテンポ操作はかなり普遍的であったはず−−は完全に消化され、彼の身についたものになっている。たとえば、前日に演奏された第8番最後のアッチェレランドも、確かに加速はしているのだが、今やごく自然に納得できるものになっている。ただし、8番の場合は手抜きのない誠実な演奏ではあるが、表現が穏当なものになった代わりに、かつてのようなスリリングさが失われたとも言える。それに比べるとこの9番は最後まできわめてテンションが高く、表現意欲がみなぎっている。第1楽章再現部冒頭やコーダの圧倒的な気迫、スケルツォ主部の荒々しさも出色。第3楽章のいわゆる「生への訣別」部の壮絶な響き、コーダ直前の不協和音の強烈さも凄まじいかぎりだ。

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  • 1 people agree with this review
     2015/04/04

    3番はともかく、まさか4番までエーベルバッハ修道院で収録するとは思わなかったが、すこぶる世俗的な「愛が私に語るもの」(作曲者自身は「神の愛」とか何とか言っているが、カムフラージュに過ぎないと思う)や(ヤルヴィ自身も言う通り、子供が語るという設定によって隠蔽されているが)キリスト教に対する悪意ありありの「天上の生活」が聖堂内で奏でられるというアイロニーはなかなか捨てがたい。ただし、指揮者はポリフォニックな線の絡み合いを克明に表出しようというアプローチをとっているので、残響の長い響きは逆効果ではある。3番はヤルヴィ自身「好きな作品」と言う通り、全曲録画最初の収録作品。そんなにきわだった特徴のある演奏ではないにもかかわらず、非常に聴き応えがあるのは、個々の楽想が和声の変転も含めて、適切なテンポで明晰に描かれているせいだろうか。やや速めの終楽章は、この指揮者らしからぬ「熱い」演奏。私はこの楽章、第4楽章のニーチェの歌詞の内容を純粋器楽で描いたものだと思うが、「苦痛」と「快楽」の永遠の繰り返しがまことに迫真的だ。4番はその次の収録作品。コンサートホールでの収録でないために、精妙さではインバル/都響に及ばないし、弦のグリッサンドもそれほど律儀にはやらないが、やはり勘どころは外さない。第3楽章は逆に遅めのテンポで「冷たい」音楽だが、終盤のクライマックスの作り方は実にうまい。

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  • 6 people agree with this review
     2015/04/04

    珍しいフランス語オリジナル版での上演だが、ヘアハイム演出に手抜きなし。序曲の間にパントマイムで「過去の因縁」を克明に見せた後、幕が上がると舞台上に観客席が出現。ドラマ全体が劇中劇という仕様だ。フランス人たちは明らかに19世紀の服装で、13世紀のシチリア島民vsフランス占領軍の対立に19世紀半ばのパリ(初演の時代)における若い芸術家vs保守派の対立が重ねられている。プロシダが新芸術の守護者たるバレエ・マスターという設定もあって、第3幕に挿入される本来のバレエ「四季」はないにもかかわらず、ロイヤル・バレエ団の出番は豊富。オペラの要所要所にバレエを重ねるこの手法は実に新鮮だ。第2幕ではナイフをかざすテロリスト御一党がバーにつかまってバレエのポーズをとるのに笑ってしまうし、第5幕でのシュロットの女装(見てのお楽しみ)もいゃあ、やりますね。ここまであれこれいじっても、話が見えなくなるどころか、むしろ明晰で分かりやすくなるところが、さすがヘアハイム。
    パッパーノの指揮もまことに強力。もちろん演出に沿った解釈だが、『ドン・カルロス』仏語版などに比べればまだ定型的な音楽が多いと思ったこのオペラから、これほどの深層心理学的な深みを引き出すとは驚きだ。歌手陣ではいわゆる二枚目テノールとは一味違ったイーメル(ハイメル)の悩める主人公ぶりもなかなか良いが、この演出で遥かに彫りの深いキャラクターになったフォレ、シュロットの宿敵同士が圧巻。できればこの演目を日本に持ってきてもらいたいところだが、NHKホールにこのセットを作るのは無理か。ともあれ、演出と指揮の圧倒的勝利。必見である。

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  • 10 people agree with this review
     2015/03/20

    メトでの『ジークフリート』が素晴らしかったので(『神々の黄昏』も悪くはないが、こちらの方が遥かに上)、大いに期待して買った録音。演奏、選曲ともに明確な主張があり、見事な出来ばえのCDだ。演奏の特徴は、かつては厚塗りの油絵だったワーグナーの響きが水彩画になった、と言えば分かりやすいだろう。響きがスリムに、見通しよくなり、埋もれていた声部がクリアに聴こえるようになった。「ジークフリートの葬送行進曲」のクライマックスでは、これまで金管の咆哮に押しつぶされがちだった高弦の対位旋律が明確に聴こえるし、低弦が引きずるような「英雄の死の動機」を繰り返しているのも、はっきり聴き取れる。カラヤンやサヴァリッシュ、ベームに対しても、前の世代のワーグナー指揮者に比べて響きが透明になったと言われたものだが、ルイージはさらに一歩進んでいる。彼の演奏自体は HIP(Historically informed performance)とは呼べないだろうが、その影響を受けていることは間違いない。しかし、響きがスリムになったからといって演奏自体が「草食系」になったわけではない。「ジークフリートのラインへの旅」のアッチェレランドによるクライマックスへの持ち込み方など、堂に入ったものだし(ちなみに、演奏されているのは『黄昏』の第1幕終わりとも違う、独自の終結部をつけた版)、『トリスタンとイゾルデ』のつややかな官能美も見事なものだ。
    選曲は『パルジファル』前奏曲から珍しい『妖精』序曲へと、ワーグナーの音楽語法の発展を逆向きにたどれるように工夫したもの。『妖精』から『ローエングリン』までですら、同じ作曲家とは思えぬほどだ。ただし、ちょっと画竜点睛を欠いた感があるのは『さまよえるオランダ人』序曲がないこと。同時期にアルティノグル指揮によるチューリッヒでの『オランダ人』全曲録画が出るので遠慮したのかもしれないが、CDの収録時間にも余裕があるわけだから、あと一曲入れてもらいたかった。
     

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  • 6 people agree with this review
     2015/03/19

    チョン・ミョンフンのマーラー9番は東フィル(2006年)、N響(2008年)との演奏を聴いたことがある。指揮者と曲との相性の良さは間違いなく感じたが、技術的に難のあるオケに足を引っ張られて(あくまで一昔前の話。両オケとも今は非常にうまいです)、必ずしも会心の演奏ではなかったように思う。しかし、このCDは見違えるような素晴らしい出来。ほぼ半年後に収録されたインバル/都響と実にいい勝負だが、演奏の性格は全く対照的だ。対位声部が克明に表出されたインバルの演奏はいかにもがっちりと作られた構築物という印象だが、チョンの方はさらに細かく緩急の変化をつけ、デリケートな陰影と柔軟な歌に富んでいる。写真を見ると弦の編成が非常に大きいことが分かるが(18型。ただし対向配置ではなく、指揮者の右横はヴィオラ)、決してゴリゴリ弾かせることはなく、弦の豊麗な歌はしなやかに流動する。特に第1楽章の構えの大きさ、呼吸の深さは出色。第2楽章も流麗な演奏だが、ここでは苦みの効いたアイロニーと3主題の描きわけが欲しい。こういう音楽はこのコンビ、意外に苦手かもしれない。第3楽章は副主題部でテンポを落とすほか、終盤の終楽章先取り部が遥かに遅いので、物理時間はインバルよりかかっているが、基本テンポはこちらの方が速い。技術的には限界ぎりぎりの猛烈なスピードだが、演奏からは強靱さよりもむしろ軽やかな俊敏さを感じる。もちろん最後は凄まじい突進を見せるが、大見得を切るようなアゴーギグは非常に個性的。終楽章ではインバルが強音のアタックを強調する楷書風演奏なのに対し、チョンは角を丸めて音楽を流線型につなげようとする。見事に正反対だ。ソウル・フィルの弦は強音よりも弱音、息をひそめて歌う部分の繊細なデリカシーに持ち味があるが、それはこの楽章最終盤で絶大な威力を発揮している。

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  • 4 people agree with this review
     2015/03/17

    今や世界で一番面白いコンビと言っても過言ではないホーネックとピッツバーグ響のリファレンス・レコーディングズへの録音三作目。今回も指揮者自身がライナーノートを執筆していて、演奏意図はそこに全部書いてある。ブルックナーが手紙など色々なところで書いたこの曲についての説明、今やほとんど顧みられることもないアレを全く字義通りにとって、交響曲を標題音楽、事実上の交響詩として解釈してみようというのが今回の作戦。第1楽章冒頭は「中世の町で、町役場の尖塔から朝を告げるホルンが響いてくる」、第3楽章は「狩りのスケルツォ」なんてのは、ごく常識的な曲のイメージ通りで何ということもないけど、第1楽章第2主題は「シジュウカラの鳴き声」ということで、HMVレビューの記述通り、かなりテンポが速い。第2楽章は「若者が恋人の窓辺に忍び寄ってセレナードを歌おうとするが、拒まれる」のだそうだ。そんなイメージでこの楽章を聴いたことはなかったが、葬送行進曲と言うよりはもう少し足どりの軽いこの演奏なら、確かにそのようにも聴こえる。第4楽章冒頭は「晴れた一日の後に突然、夜の嵐が襲ってくる」。これもなるほどという感じ。第8番でこんなことをやられちゃかなわないが、第4番ならこれも面白いと思える。全体としては先の二作、R.シュトラウスとドヴォルザークほど過激ではないが、やはりかなり細かくテンポを動かす演奏。スケルツォのトリオのように民俗音楽(レントラー)の語法を露骨に使うところでは、テンポ・ルバートが巧みだ。終楽章第2主題が意外な快速調で、リズミックな弾み(田園風景の中をスキップするような感じ)を見せるのも新鮮だった。なお、録音は相変わらず優秀だが、第3楽章冒頭など編集が荒っぽいと感じる。音が切れているわけじゃないと言われれば、確かにそうなのだが。

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  • 2 people agree with this review
     2015/02/27

    バーバラ・ハンニガンの題名役は確かに一見に値する。コヴェントガーデンの『リトゥン・オン・スキン』でもセックス・シーンを含むなかなか大変な役を体当たりで演じていたが、こちらでは全裸にこそならないものの、最初から「あられもない」姿で登場。演技も非常にうまいし、歌の方も難しい「ルルの歌」など技術的にもきわめて高度。本格的に踊るシーンこそないものの、トウシューズで爪先立ちできるバレエの素養もこの役には有利だ。他には見事なハマリ役と言えるヘンシェルのシェーン博士、軽めの声だがとても丁寧に歌われているワークマンのアルヴァ、魅力的なペトリンスキーのゲシュヴィッツ(最近、どの上演でもこの役は魅力的に演じられている)と歌手陣は揃っている。問題は演出。舞台中央の透明な檻のような空間を一貫して副舞台として使うほか(ルルはこの中で切り裂きジャックに刺されるので、観客から丸見えだ)、舞台後方でも常に何らかの演技が展開。上部のモニターにも常に映像が映っているので、舞台前面の本来の演技空間と合わせて三元、あるいは四元同時進行でストーリーが展開してゆく。情報量が多いこと自体は悪いことではないが、シェーン博士射殺というような重要なアクションすらも、あちこちで同時進行する演技の重なりの中に埋もれてしまうのは、やはりまずかろう。さらに言えば、ルルがサロメやマリエッタ(『死せる都』)同様、「踊る女」であるというのは確かに物語の重要なファクターであるし、そもそもバレエは非常にエロティックな芸術ではあるが、この演出ではバレエがらみのネタが多すぎないか。指揮者はイングリッシュ・ナショナル・オペラで英語版全曲を録音していた人のはずだが、あまりに猥雑な舞台に押されて、ほとんど印象に残らない。

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     2015/02/27

    演出のアンドレア・ホモキが相変わらずいい仕事をしている。舞台は一貫してダーラントの家、正確に言えば貿易商社ダーラント商会のオフィスの中。時代は20世紀初頭といったところか。第1幕では幽霊船は姿を見せず、オランダ人は事務所の中にまさしくゴーストのごとく忽然と登場する。つまり、舞台を支配しているのは1920年代ドイツ怪奇映画の雰囲気。歌に合わせて壁の絵(実はテレビモニター)が動く「ゼンタのバラード」もまさしくそうしたテイストだ。ちなみに娘たちはもはや糸紡ぎはしておらず、商会のタイピスト達という設定。タイプライター、電報、電話といった当時の最新メディアが登場している。このオペラをハッピーエンドで終わらせようとするのは、もはや欺瞞でしかないと思うが、クプファーと同じ1843年初演時の稿を採用していることからも分かるように、最後は予想通りの結末。他には幽霊船の船員たちの歌とともに壁のアフリカ地図が燃え上がる第3幕第1場もなかなか秀逸。第1幕からダーラントの召使いとして黒人の青年が登場していたのは、この伏線だったのかと合点がいく。
    歌手陣はきわめて強力。ターフェルは声の力、表現力ともに申し分ないが、例によって、ちょっと作り物めいた歌。でも、この演出ではゴーストという設定なので、これで構わない。カンペは声の力自体は圧倒的とは言えないが、思い込みにとらわれた乙女を的確に表現して、まことに素晴らしい。半世紀前のアニア・シリアもこんな感じだったろうか。ダーラントがサルミネンというのも豪華だが、声自体の衰えをさほど気にする必要のない役だし、娘を金品同様にやりとりしてしまう家父長制の象徴としては、これぐらい貫祿があってもいい。指揮はもう少しワイルド、粗削りであってもいいと思うが、響きをあまりふくらませず、初期ワーグナーらしい節度を守った上で、十分な劇的迫力は確保している。

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     2015/02/11

    『ツァラトゥストラ』と『ティル・オイレンシュピーゲル』はこれに先立ってバーミンガム市響とのライヴ録音があったが、そちらの方がはるかに個性的で、精彩がある。ショスタコの8番も一年前のベルリン・フィル・デビューの時の演奏と比べて、コンセルトヘボウとの映像ディスクではだいぶ大人しくなったが、この曲に関しては「若さに似合わぬ」内省的な演奏も悪くないかなと思った。しかし、シュトラウスのポピュラー名曲での安全運転演奏は買えないな。もちろんバーンスタイン以後、最も絵になる(指揮台上でのアクションと出てくる音がぴったり一致している)指揮者と言える、ネルソンスの指揮ぶりが見られるのは楽しいけれど、演奏そのものは物足りない。これならパリ管との『アルプス交響曲』の録画をディスク化した方が良かったかも(ちなみにその前座、セルゲイ・ハチャトリアン(Vn)とのベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲は驚異的名演)。まだ前途洋々の才能なのだから、このままただ器用なだけの指揮者にはなってほしくないな。「ポピュラー名曲」ではない『マクベス』でも、もともと粗削りなこの曲らしさをもっとアグレッシヴに見せてほしかった。

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     2015/02/11

    ルイージ指揮の『リゴレット』にはドレスデンでの録画もあったが、フローレス、ダムラウといった大物歌手出演にもかかわらず、いまだ映像ディスク化されていない。まあ当然だろう。レーンホフのゴテゴテと飾りたてただけで、焦点の定まらない演出が何もかもぶち壊しにしてしまったからだ。それに比べて、このギュルバカ演出の何と素晴らしいこと。HMVレビューの通り、大道具のほとんど何もないアンチリアルな舞台だが、それが逆に観客の想像力をかき立てる。そもそもこのオペラでは、ジルダがなぜマントヴァ公の身代わりで死のうとまでするのか、「うぶな乙女の思い込み」以上の説得力ある説明が見つからない。今回の舞台では第3幕の「女心の歌」から「四重唱」にかけて、通常と全く違った展開になるが、女性演出家らしくジルダの心情にさらに切り込もうという意図を見ることができる。彼女の「救い」を表現した最終景もなかなか秀逸。
    主役三人はいずれも好演だが、特にめざましいのはクルザク。ジャケ写真が彼女なのも偶然ではあるまい。技術的にもきわめて繊細、緻密だが、無理をすればハイティーンに見えないこともない容姿も高得点だ。彼女に「命をかけて」愛されるマントヴァ公は、ただの軽薄男ではなく、それにふさわしいキャラである必要があるが、ピルクは声楽的に輝かしいのみならず、そういう要求にもちゃんと応えている。ペテアンはヌッチのように鬼気せまる演唱
    ではないが、父親らしい暖かみを感じさせる歌。過去の歌手ではブルソンに近いタイプか? ルイージの指揮も全く見事。心理的な綾の表現が鮮烈、克明でシノーポリの録音を思い出させるが、遅い所でシノーポリほどもたれないのがさらに良い。

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     2015/02/03

    フランクフルト放送響音楽監督時代のパーヴォ・ヤルヴィ最大の仕事であるマーラー交響曲全曲録画がいよいよリリース開始。このツィクルスでは三箇所の収録地を使い分けるということだが、第1番はユーゲント様式の装飾が美しい、20世紀初頭に建てられたヴィースバーデンのクアハウス付属のコンサートホール(設計者の名前をとってフリードリヒ・フォン・テイアシュ・ザールと呼ばれる、座席数1300ほど)で収録。第2番はラインガウのエーベルバッハ修道院で収録、客席後方に置かれたバンダとの掛け合いではさすがに縦の線が合わないが、残響の長い聖堂内での録音にもかかわらず、音そのものは予想以上にきれいに録れている(イーリー大聖堂でのバーンスタインの録画とはケタ違い)。さて、肝心の演奏について。この2曲はマーラーとしてはまだ独自スタイルに至る完成途上の作品で、意外に因習的な書法ときわめて斬新な書法が混在しているが、指揮者は前者の側面には目もくれない。だから第1番にはもう少し甘やかなロマンティシズムが、第2番にはスケール感と宗教的な雰囲気が欲しいという不満も出てこようが、指揮者は相変わらずスリムなフランクフルト放送響の響きを生かして(このオケのこうした特質はインバル時代と少しも変わらないが、技量自体は遥かに上がっている)、クールかつ鋭利に、マーラー音楽の前衛的な側面に切り込んでゆく。細かいクレッシェンドとディミヌエンド、弦楽器のグリッサンド、ホルンのゲシュトップト奏法など総譜の細部が克明に音化されているのも、現代のマーラー演奏としては通例通り。だから全体としては曲にのめり込まない、客観的な解釈なのだが、表現の振り幅自体は、たとえばインバル/都響などより遥かに大きく、随所で細かいアゴーギグ(加速・減速)を駆使している。さらに特筆すべきなのは、ボーナストラックでの指揮者の曲についてのコメント。そんなに雄弁に語るというタイプの人ではないが、全くダメだった某指揮者とは段違いの、知性の高さを証拠立てるような非常に鋭い言葉が随所に聞かれる。たとえば「マーラーが多くを望んだのは衝撃、時には醜さ」(第1番)、「明らかに復活を信じていない人が書いた『復活』交響曲」(第2番)など。つまり、ヤルヴィは第2番をマーラーがキリスト教世界に迎え入れてもらうための自己偽装、自己演出の作品と考えているわけで、聖堂内での演奏にもかかわらず、第2番の演奏が全く非宗教的である理由がこれで納得できる。

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     2015/01/19

    演出はなかなか秀逸。映像投影を全く使わず、最小限の装置と星空を散りばめた前面扉の開閉だけで手際よく見せるが、型通りではない一味違った趣向があちこちにある。もちろん人物の服装は現代のもので、ドンナ・アンナは婚約者は押さえておきたいが、ドン・ジョヴァンニとはしっかり「お楽しみ」してしまうし、ツェルリーナも純朴な田舎娘ではなく、もう少しヤンキーな姐ちゃんになっている。第2幕のセレナードの場で、天井から垂らされたシーツを伝ってエルヴィーラのメイドが降りてくるというアクロバットがほぼ唯一の派手な見せ場。地獄落ちの場も地味ながらしっかり作られていて、舞台に置かれた石像たちはこの伏線だったのかと合点がいく。
    スター揃いの歌手陣だが、まずシュロットの主役が魅力的。今どきこんなスーパースター型ドン・ジョヴァンニをやって、サマになるのは彼ぐらいだろう。ネトレプコにとってドンナ・アンナは既に手に入った役。堂々たる安定感だが、女声陣の中で最も目立つのは、実はエルンマン。シリアスかつ滑稽、かなりパロディの気味を漂わせつつ、狂気さえ垣間見せる役作りで、見事に主役の対抗軸になっている。完全なプラハ版なので第2幕のアリアがないのが惜しいほどだ。画像つきカタログの収集に余念のないカメラ小僧のピサローニも相変わらずの芸達者。カストロノーヴォの繊細さも出色だ。ヘンゲルブロックの指揮がまた実に素晴らしい。そんなにピリオド臭を前面には出さないが、緩急自在の指揮で、抱腹絶倒の場面が一瞬にして修羅場に変ずるこの難しいオペラを鮮やかに仕切ってみせる。コンティヌオのフォルテピアノはかなり雄弁、歌手たちも随時、即興的なカデンツァを加えるというスタイルの演奏だ。

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