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Review List of 村井 翔 

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  • 4 people agree with this review
     2012/08/09

    今年はドビュッシーと並んでフレデリック・ディーリアスの生誕150年でもある。というわけで、待望の『人生のミサ』(個人的には『生のミサ』か『生命のミサ』という訳の方がいいと思うけど)の新録音。EMIのグローヴズ盤は懐が深い、鷹揚な持ち味があり、一方、CHANDOSのヒコックス盤はより精緻だけど、ちょっと低体温なところがもの足らなかった。当盤の指揮者、デイヴィッド・ヒルも経験豊かな合唱指揮者ではあるが、これは決して安全運転の演奏ではない。おそらく、これまでで最も劇的な起伏の大きい演奏と言っていいだろう。もちろん全体としてはディーリアスらしい叙情的な場面の多い曲だけど、第1部冒頭、第2部最初の合唱の出の部分、そして終曲などは非常に激しい音楽で、そういう所ではこの録音は、これ以上速くすると合唱がコントロールを失ってしまうほどのテンポをとっている。バリトン独唱のアラン・オピーはバス・バリトン寄りの深めの声の持ち主で、グローヴズ盤のベンジャミン・ラクソンのようなハイ・バリトンとは違ったキャラクターだが、これはこれで悪くない。録音の優秀さを考えると、しばらくはこの曲の代表盤になるのではないか。

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  • 3 people agree with this review
     2012/07/31

    プティボン演ずるルルは、ストラータス、シェーファーが比較的ニュートラルに、男によってレッテルを貼られない「素のままの女性」として演じたのに対し、人形のような童女から明確な悪女まで、表現のヴァラエティが多彩で豊富なのが特色。ルル像としては確かに一方の典型と言っていいだろう。同じ2010年夏のザルツブルクでのライヴも映像ディスクになったが、フェルゼンライトシューレという会場の使い勝手の悪さにかなり災いされているザルツブルク版よりも、全体としてはこちらの方が上か。ジュネーヴでの『ホフマン物語』ではプティボンに全裸に見えるボディスーツを着せたオリヴィエ・ピィだが、この上演では最初からボディスーツ(今回はアンダーヘア付き)着用のプティボン。第1幕第1場の画家とのからみでは早くも(見た目)全裸状態、しかも縄で縛られるという過激な展開に、この先どうなることかと思ったが、性的描写に関してはその後は一応穏健。しかし、舞台は前側と後ろ側に分割され、後ろ側(ゆっくりと移動する)では補助的な演技が展開。キッチュな着ぐるみの多用、原色をぶちまけたような装置と派手なネオンサイン、意味深な文字(独語、仏語、英語)を配するなど、きわめて猥雑で情報量の多い舞台だ。特にアンチリアルに徹した幕切れはなかなか秀逸ではなかろうか。
    主役以外の歌手陣では、こんなに見た目がぴったりのゲシュヴィッツも珍しいユリア・ユオン(ドイツ系スイス人のメゾ・ソプラノ)と相変わらず達者なグルントヘーバーのシゴルヒが見もの。シェーンとアルヴァは丁寧に歌われてはいるが、欲を言えば、少し崩れた感じが欲しかった。ミヒャエル・ボーダーの指揮は作品を完全に手の内に入れたもの、リセウのオケも底力を見せ、ザルツブルク版のウィーン・フィルと比べてもさして遜色ない。

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  • 7 people agree with this review
     2012/07/23

    演出は特定の主張を押し出さないタイプのもの。ダンサーを駆使してかなり意欲的な見せ方をした、同じカシアス演出の『ラインの黄金』と比べてもずっとおとなしい。演技はまあ普通についているし、少なくとも音楽の邪魔はしないという点は評価して良いだろう。CGも多用されるが、いわゆるバレンシア・リングのように、のべつまくなしに説明的な映像が流れるわけではなく、使い方は節約されている。第2幕後半の森の風景はとても美しいと思うが、その代わりジークムントの死の場面は非常にどぎついクプファー演出に比べると物足りない。
    これに対し、音楽面は現在望みうる最高水準と言っても過言ではあるまい。気力充実(この人の場合、指揮姿でそれが露骨に見えてしまう)のバレンボイムの指揮がまず素晴らしい。第1幕最後のアッチェレランドは彼としても会心の出来だろうが、一方、第3幕の幕切れでは遅いテンポでデリカシー重視の指揮、と表現の幅がきわめて広く、多彩だ。機能的な精度ではシュターツカペレ・ベルリンの方が上かもしれないが、スカラ座のオケも決して悪くない。幕切れ近くのヴァイオリンの豊麗さなどは彼らならでは。歌手陣も今やバイロイトでは望めない超豪華版。特にマイヤー、シュテンメという二大歌手の競演は圧巻だ。マイヤーがジークリンデを歌うのはこれが初めてというが、文句なしの出来ばえ。その圧倒的な存在感ゆえにジークムントのかなり歳の離れた「姉」に見えてしまうのも仕方あるまい。シュテンメの方は感情の振幅をあまり歌や演技にストレートに反映させないタイプだが、声そのものは申し分ない。コワリョフのヴォータンも『ラインの黄金』で歌ったルネ・パーペ(悪役寄りの性格的なキャラクターは駄目という定評を実証してしまった)よりはずっと良い。今のところは型通り演じているだけで、彼ならではの個性はないが、それは贅沢な不満だろう。オニールのジークムントもまだ悲劇的な陰影は足らないが、期待通りの見事なヘルデン・テノールだ。

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  • 1 people agree with this review
     2012/07/21

    指揮は決して悪くないと思うが、細部の明晰さが望めないバービカンでのライヴのために、ずいぶん損をしている。ビシュコフ/ケルン放送響が非常に鮮烈な音のする録音だったので、これと比べると可哀相なくらい。歌手陣もデノケ、パーマー、ストーレイ、ゲルネといった脇役は問題ない。特に前記ビシュコフ盤や同じビシュコフ指揮のスカラ座での録画にも出ているフェリシティ・パーマーは秀逸。クリテムネストラは性格的な歌唱を得意とするメゾ・ソプラノにとっては見せ場たっぷりの「おいしい」役だが、パーマーの歌で聴くと、虚勢を張っているだけで本当は臆病な、怯えたおばさんであることが良く分かる。画竜点睛を欠いた感があるのは主役のシャルボネ。歴代の名歌手と比較されてしまうのは録音の宿命だが、ニルソンの怜悧な切れ味もポラスキの貫祿もない。全体としてはいい線まで行ったのに、録音と主役だけが残念なディスクだった。さらに言えば、どうしてもCD2枚にならざるをえない作品だが、このディスクの切り方、つなぎ方はやはりまずくないか。

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  • 5 people agree with this review
     2012/07/17

    順調に録音を重ねるペトレンコのショスタコーヴィチ・シリーズだが、今回は書法としては全交響曲中でも最も前衛的な第2番と、いかにも晩年のショスタコらしい屈折した第15番という注目の組み合わせ。オケの各パート、隅々にまで血が通った第2番ももちろん文句なしに良かったが、第15番には完全にノックアウトされた。第1、第3楽章の尖鋭な音づくりもさることながら、思い切って遅いテンポをとった第2、第4楽章における音楽の何という深い呼吸。これがまだ30台の指揮者の指揮とは、到底信じられない。もはやほとんどオケをマッスとして使わない、室内楽的な書法の作品だが、音色に対するセンスの鋭敏さが、また素晴らしい。第15番に関しては、現在入手不能のBPO盤を含めたザンデルリンクの三種類の録音が他を寄せつけぬ絶対的な王座を形成してきたが、いつもながらの録音の優秀さを加味すれば唯一、その牙城を崩しうるディスクと言ってもいいかもしれない。その録音について言えば、この曲ではきわめて重要な金属打楽器の音色が、とても鮮麗にとらえられていることを特筆しておこう。

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  • 3 people agree with this review
     2012/07/15

    アルバン・ベルクSQの演奏はきわめて攻撃的でシャープだが、ギュンター・ピヒラーのいかにもウィーン的な甘い音色が絶妙な緩衝材になっていた。アルテミスの場合、そうしたウィーン風味がない分(意図的に排除しているのだろう)、演奏の印象は一段とハードだ。『死と乙女』など甘さがないわけではないが、べとべとする砂糖の甘さではなく、人工甘味料使用のゼロカロリー飲料のよう。しかし、これは必ずしも否定的な比喩ではなく、一気呵成の終楽章など実にスリリングだ。最も良いのはやはり第15番で、この曲に関してはアルテミス、ベルチャ、クスなど後続世代が完全にアルバン・ベルクに勝っている。一見、「天国的に長い」能天気な曲にも見えるが、実はこの曲は大変な傑作ではないかと以前から思っていた。アルテミスの演奏もまさにそのイメージ通りで、長大な第1楽章がきわめてポリフォニックな音楽に聞こえるし、第2楽章の中間部や終楽章などにも凄まじい緊張がみなぎっている。もはや決して第1ヴァイオリン主導ではない、4楽器対等の現代的なクワルテットならではの演奏。

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  • 5 people agree with this review
     2012/06/18

    2010年10月、ベルリン・フィル・デビューの際にネルソンスが振ったショスタコの8番はこれ一発だけで彼の名を忘れがたく刻みつけるほどの圧倒的名演だった(デジタル・コンサートホールのアーカイヴにある)。その約1年後のこの演奏は、それに比べればやや落ち着いた印象。煽られると燃え上がりやすいベルリン・フィルと渋めのコンセルトヘボウというオケの差も、感触の違いに影響しているだろうが、曲をしっかり手の内に入れたという安定感では、こちらの方が優っている。ネルソンスの美質はどこかと言えば、まず若さに似合わぬスケールの大きさ。若い指揮者らしく、速いテンポで畳みかけることもできる人だが(このディスクでは前座の2曲がまさにそう)、8番の第1楽章のような長大で、息の長い音楽を遅めのテンポで、じっくりと腰を割って聴かせることもできる。しかも、オケの各パートの隅々まで指揮者の意志が通い、スコアが余すところなく掘り起こされているのを実感することができる。第1楽章のクライマックスに続くイングリッシュ・ホルンの嘆き節など、実に老練だし、速くなりがちな第3楽章も「ノン・トロッポ」を守ったままで、この音楽の狂気を見事に描いて見せる。オーケストラ・コンサートとオペラの両方で、今や向かうところ敵なしの指揮者だ。

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  • 2 people agree with this review
     2012/06/11

    ネーメ・ヤルヴィ指揮/ベルリン・フィルの放送録音を、この曲の最善の演奏として愛聴してきたが、ついに息子のパーヴォが決定盤を作ってくれた。
    作者22歳の時の事実上の処女作、しかも作曲者はオーケストラで演奏されるのを一度も聴いていないわけだから、オーケストレーションに色々不備があるのは当然。にもかかわらず、作品の独創性もまた明らか。第2楽章末尾の強烈な不協和音は本当に19世紀末の音楽かと思うし、明るいスケルツォの曲調が一瞬にして陰るあたりも何とも魅力的だ。パーヴォの演奏にはオーケストレーションの単調さを可能な限りカバーしようという配慮がうかがえるし、CDではこれまでのベストだったセーゲルスタム指揮のBIS盤よりはテンポを速めにとって、音楽をだれさせないようにしている。

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  • 7 people agree with this review
     2012/06/11

    オペラの読み替え演出は可能な限り、その意図を汲んで肯定的に評価しようと考えている人間だが、結論から言えば、このクリストフ・ロイの読み替えだけは全く評価できない。ホフマンスタールの台本には、他ならぬシュトラウス自身が言い出したことだが、冷たく、頭でっかちで、概念の化身のような人物たちに血が通っていないという批判が昔からある。この批判についての当否はひとまずおくとしても、問題は1955年のゾフィエンザールに舞台を移すことによって、演出家の望んだような「血肉の通ったリアルな人間」を出現させることができたかどうかだ。シュヴァネヴィルムスが皇后役を演じるだけでなく、「皇后役を演じようとしている新人歌手レオニー・リザネック」の役も演じるという劇中劇化、メタオペラ化はかえって聴衆と舞台との距離を遠ざけることにならないか。演出家がストーリーの持つイデオロギー(子供を産まないことが倫理的に罪だというようなイデオロギーには、私も賛成しかねる)に問題ありとして、批判的な距離をとろうとしているのなら分かるが、ご本人の公式見解を聞く限りでは、そうではないようだ。第2幕第4場で皇后役の歌手以外、舞台上の録音スタッフが全員子供になるという仕掛けも空回り気味だし、最後をめでたしめでたしの大団円にしたくないという演出家の気持ちは分かるが(この舞台では乳母役がまだ舞台上にいるので、それが可能になる)、そのために払った犠牲が大きすぎる。ゾフィエンザール内部の再現にはそれなりに金がかかっているようで、経費節減のためという批判はあたらないかもしれないが、最後まで腑に落ちない舞台だった。歌手陣とティーレマン指揮のウィーン・フィルは上々の出来だったから、絵のないCDで出せば良かったのに。

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  • 4 people agree with this review
     2012/06/11

    イギリス室内管との旧全集は私にモーツァルト/ピアノ協奏曲の凄さを教えてくれた録音。文字通り、LPがすり切れるまで聴き込んでいたので、新しい「後期ピアノ協奏曲集」が8曲まとめてCDで発売された時には、旧全集との違いに正直言って違和感がぬぐえなかった。つまり、旧全集は極度に微細なニュアンスにこだわり、ロマンティックな歌い込みを尽くしたもので、テンポも当然ながら遅めだったのに対し、新全集はスクウェアな、すっきりした造形を優先させたもので、初期の曲では、緩徐楽章などアダージョがアンダンテになった位、テンポも速くなった。今にして思えば、二度目の録音をするのなら最初とアプローチを変えようというピアニスト=指揮者の考えは当然だし、オケが威力抜群のベルリン・フィルだったこともアプローチの変化の理由だろう。さて、この8曲は第21番がパイロット版として1986年11月に収録された後(これのみ、ジャン=ピエール・ポネルが映像監督)、1988年2月に4曲、1989年1月に3曲が録音・録画されたもの。「音」としては問題なくても「絵」的にNGで録り直しということもあったろうから、スケジュールとしてはかなりきつい仕事だが、修羅場になればなるほど力を発揮するというのはバレンボイムのいつものパターン。全集全体としては10番台までの曲では「やっつけ仕事」的な粗さも目立つものだったが、この8曲に関する限り、高品位な仕上がりと言って差し支えない。特筆すべきは、今回のリストアで絵が驚異的に鮮明になったこと。かつてLD4枚を要していたものが、BDでは1枚に入るというのも有り難い時代だ。なお、各曲とも緩徐楽章とフィナーレはほとんど間をおかずに続けているため、BDでは終楽章のチャプターを選択した場合、頭がずれる傾向があるが、致命的な問題ではあるまい。

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  • 4 people agree with this review
     2012/05/21

    鬼才ヘアハイムの冴えた演出が断然光る。通常の上演では、タチャーナは現代人としてはあまり共感しにくい「古風な」女だし、オネーギンは第2幕まではクール、虚無的で影がうすいのに、第3幕に至ってタチャーナに突然、熱烈な愛の告白をするのはどうも脈絡がなく、彼女の地位に目がくらんだ軽薄男とも見られかねない。これは台本のみならず、プーシキンの原作にも共通する重大な弱点だった。この弱点をカバーするために演出家が採用したのはハリウッド映画(たとえばジェームズ・キャメロン監督『タイタニック』)でもおなじみの全回想形式。オネーギンがタチャーナに再会する場面を冒頭に持ってきて、第2幕までの出来事はすべて彼と彼女の回想として描かれる。だからジャケ写真にあるように、手紙の場ではタチャーナが歌い、オネーギンが(タチャーナ宛の)手紙を書くのだが、これは第3幕でオネーギンが彼女への思慕を歌う時に全く同じ旋律が用いられることを先取りしたもの。演出家の音楽に対する洞察の鋭さは見事だし、回想と現実の二層構造を描くために、台本の言葉が実にうまく利用されている。さらに回想部分が百年前の帝政末期なのに対し、現実部分は21世紀の現代というギャップも面白く、回想から現実への移行部であるポロネーズでは百年間のパノラマが繰り広げられる。
    スコウフスの題名役は、もはや若くない男という演出コンセプトにぴったり。最高の歌と演技を見せる。ストヤノヴァも若い娘ではないという演出意図から言えば、正解。グレーミン公が台本通りの初老のおじさんではなく、むしろオネーギンより若い男なのは面白いが、ペトレンコの歌も出色の出来だ。特典のドキュメンタリーを見る限りでは、指揮者と演出家の考えは食い違ったままのようだが、ヤンソンスもいつもながらの手堅い職人仕事。

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     2012/05/13

    それなりの年齢になった(でも舞台姿は相変わらず美しい)ゲオルギューにとってアドリアーナはいかにもふさわしい役。彼女ならではの細やかな歌い口はイタリア・オペラとしては反ヴェリズモの優美な美しさを誇るこのオペラにとてもふさわしい。若い頃から彼女の弱点とされたヴィブラートもだいぶ改善されたように思う。ボロディナは2000年スカラ座の映像に続いての登場。ドスの効いた声は健在だが、彼女も年齢を重ねて、一層この役にふさわしくなった。カウフマンは相変わらずイタオペではちょっと違和感があるが、「サクソニアの伯爵」である彼はドイツ人という設定なので、まあ悪くないか。ミショネは誰がやっても儲け役だが、ヴェテランのコルベッリもとても良い。マクヴィカーの演出は全く彼らしからぬ正攻法の出来。何かひねりがあるだろうと期待した第3幕のバレエでも何事も起こらず、エンディング以外、ほとんど工夫らしいものはないが、それでも手堅く見せてくれる。エルダーの指揮は無難。できれば、もう少し新しいセンスを持った指揮者、たとえばパッパーノにこのオペラも振ってもらいたいところだが、それは無理な相談か。

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     2012/05/13

    リムスキー=コルサコフのオペラでは一番好きな作品で、ゲルギエフはもとよりスヴェトラーノフ、フェドセーエフ指揮のCDも持っている。同じ上演が先にCD化されているが、この作品のおそらく世界最初の市販映像だと思う(オペラ映画が盛んに作られたソ連時代にもこの曲は映画化されなかったはず)。珍しいオペラの発掘に意欲的なカリアリならではの上演だが、最大の魅力はボリショイの『エフゲニ・オネーギン』でも素晴らしい演唱をみせたモノガローワ。彼女あってのプロダクションだと言ってもいいほどだし、相手役のパンフィロフがロシアのテノールにありがちな喉の詰まったような発声をする人なので、いっそうモノガローワの良さがきわだつ結果になっている。もう一人のテノール、グリシュカ役のグビスキーは好演。演出は比較的簡素な装置ながら、なかなか健闘している。かなり悲惨な話だが、オペラとしてはあくまでメルヒェン的で劇的な緊張が表に出ない作品なので、演出は難しいだろうと思っていたが、『フィデリオ』の最終場みたいなカンタータ・フィナーレで退屈になりがちな第5幕もうまく見せてくれる。最後にちょっと驚くようなアクションがあるが、主人公たちが「もはや決して死ぬことのない」場所はどこかと考えてみれば納得がいく。指揮とオケは無難な出来。望むらくはオケにもっとシンフォニックな厚みが欲しいところで、これに関してはゲルギエフにかなわない。

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  • 2 people agree with this review
     2012/05/02

    予想通り、仕上げはきわめて精緻だが、余計な解釈だの色付けだのは排して、スコアの緻密な再現に徹した演奏。いつもより、ややテンポが遅めなのは、オケが弾き慣れていないせいかもしれないが、そのために一層、ニュートラルな印象が強い。パロディと見るかマジと見るか、そういう判断は聴き手にお任せしますというスタンスだ。このCDではじめて7番を聴くという人がいたら、ちょっと「取りつく島がない」と感じるかも。しかし、クレンペラーの再来かと思えるほど重くて濃いエッシェンバッハ/パリ管(ヴィデオ・オンデマンド)から、すべてパロディと腹を括って大乱痴気騒ぎをやらかしたラトル/BPO(デジタルコンサートホールのアーカイヴにある)まで、様々な演奏を聞き飽きた人にとっては、逆にこのストレートさが新鮮に感じられるかもしれない。個人的には、いくらニュートラルと言っても演奏する以上、解釈は避けられないので、どうせならもう少し旗色を鮮明にしてほしかったと思うのだが。

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  • 7 people agree with this review
     2012/05/02

    19世紀の聴衆はパガニーニやリストの人間離れしたテクニックに接して畏怖を覚えたに違いない。その後、レコードという便利なメディアのおかげでハイフェッツだろうがホロヴィッツだろうが自宅に招くことができるようになり、19世紀的なヴィルトゥオーゾの伝説も過去のものになったと思ったのだが・・・私はこのCDを聴いて心底、畏怖の念を覚えた。技術的には彼女に比肩すると思うが、どこまでも陽性なラン・ランとは全く違った個性。ヴィルトゥオーゾの「魔性(ましょう)」と「妖気」を現代に蘇らせることのできるピアニストだ。毎度ながら、今回もプログラムは実によく考えられている。まず最初の核となるラフマニノフは、よくもこれだけと思うほど、とびっきりの暗い曲ばかり。それに『オルフェオとエウリディーチェ』『カルメン変奏曲』『糸を紡ぐグレートヒェン』と死のオブセッションに関わる曲を続ける(エウリディーチェは最初から死者だし、カルメンもグレートヒェンも死の運命から逃れられない)。ここに加わると『魔法使いの弟子』のスケルツォすらも死へと駆り立てる音楽のように響くから面白い。後半の核のスクリャービンもかなり暗い曲を並べたあげく『詩曲Op.32-1』(ホロヴィッツの愛奏曲でもあった)で彼岸的な世界に達する。そして最後のシメが『死の舞踏』。これで黒い羽根をつけたジャケ写真に見事につながる。

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