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6 people agree with this review 2010/03/07
スクロヴァチェフスキは、ヴァントや朝比奈が他界し、ザンデルリンクが現役を引退した今、ブルックナーを得意とした巨匠の最後の生き残りであると言える。より若い世代では、ズヴェーデンやヤングなどがいるが、まだ円熟の域には達していないのではないかと思われる。既に、スクロヴァチェフスキは87歳。これから遺される録音は、貴重な遺産としていずれも見逃すことができないだろう。本盤は、ブルックナーの最後の交響曲である第9であり、否が応でも期待が高まる。そして、その結果は、決して期待を裏切らない超名演であった。第1楽章の冒頭は実に荘重で深沈とした開始であり、ここだけでも他の指揮者とはそもそもものが違う。ただ、いささか残念なのは中間部で、テンポをやたらいじっていることだ。これでは音楽が矮小化してしまわないか。本盤でマイナス点を指摘するとすればこの部分であり、他の箇所が素晴らしいだけに大変残念だ。終結部は再びインテンポによる堂々たる進軍だ。第2楽章は凄まじいスピードだ。それでいて、金管楽器などは決して上滑りすることなくしっかりと鳴り切っており、迫力においてもいささかの不足はない。そして本名演の白眉は終楽章。これは、ヴァントや朝比奈にも匹敵する至高・至純の高みに達していると思う。ゆったりとしたインテンポで一環しており、スケールの雄大さにおいても比類がない。正に、スクロヴァチェフスキのブルックナー演奏の総決算であると高く評価したい。録音はSACDマルチチャンネルによる極上の高音質であり、本盤の価値を更に高めている。スクロヴァチェフスキは今月末に、ついに読売日響を指揮して第8を演奏する。私も既にチケットを購入しているが、どのような名演を成し遂げてくれるのか、大いに期待が高まる。
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1 people agree with this review 2010/03/06
アシュケナージによるNHK交響楽団とのチャイコフスキー交響曲全集の完結篇である。アシュケナージについては、一般大衆はともかくとして、いわゆるクラシック音楽の通を自認する者の評判が芳しくないのは事実である。語り口が甘すぎるとか、表情付けだけは巧みであるとか、芸術家としての厳しさにかけるなど。。。確かに、そのような批判にも一理あるとは思うが、だからと言って、アシュケナージの指揮(あるいは演奏)する楽曲のすべてが凡演ということにはならないのではなかろうか。例えば、ラフマニノフの演奏。交響曲などを指揮しても、ピアノ協奏曲を演奏しても、いずれも、トップの座を争うほどの名演を成し遂げているではないか。少なくとも、ラフマニノフを指揮(演奏)する限りにおいては、アシュケナージはまぎれもない巨匠と言うことができると考えている。次いで、私は、チャイコフスキーを採りたいと思う。ピアノ協奏曲第1番の演奏では、既に名演を遺しているが、交響曲も、ムラがあるものの、曲によってはなかなかの演奏を行ってきていると言える。本盤の第5も、もちろん、ムラヴィンスキーやカラヤンなどの高みには達してはいないものの、なかなかの佳演と言ってもいいのではなかろうか。取り立てて指摘すべき強烈な個性があるわけではないが、オーケストラを巧くドライブして、チャイコフスキーの音楽の素晴らしさを余すことなく表現した嫌みのない演奏であり、よき中庸を得た佳演と言ったところではなかろうかと思う。NHK交響楽団の演奏も素晴らしい。また、エクストンが発売した久々のSACDマルチチャンネル録音であるという点も、本盤の価値を高めることに貢献している。
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3 people agree with this review 2010/03/05
ブーレーズにとって2度目の「青ひげ公の城」の録音である。かつての前衛時代とは異なって、最近ではすっかりと好々爺になりつつあるブーレーズであるが、「青ひげ公の城」は、バルトークの作品の中でも初期の作品だけに、幾分角の取れた円熟とも言うべきアプローチが楽曲に見事に符合していると言えるのではなかろうか。また、「青ひげ公の城」は、バルトークには珍しい幻想的で神秘的な雰囲気を有した作品であるが、そのような雰囲気の描出も実に巧みであり、このオペラの魅力を聴き手に存分に味あわせてくれるのが素晴らしい。歌手陣は、特に、ユディット役のジェシー・ノーマンが、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力である。主役の青ひげ公の影が薄くなるほどの絶唱であり、各7つの扉を開けた後の表情の絶妙な描き分けも実に卓抜したものがある。主役の青ひげ公のラースロー・ボルガールも、ノーマンと比較しなければ、なかなかの歌唱を披露していると言える。特筆すべきは、シカゴ交響楽団の圧倒的な名演奏であり、ショルティによって鍛え抜かれた極上のパワフルなサウンドが、本演奏の価値をより一層高めることに大きく貢献していると言える。
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5 people agree with this review 2010/03/04
バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは、作曲されてから約300年が経っているにもかかわらず、今なお世界のヴァイオリニストが弾きこなすのを究極の目標とするというのは殆ど驚異であると言える。しかも、無伴奏のヴァイオリン曲という分野でも、このバッハの曲を超える作品は未だに存在しておらず、おそらくは、今後とも未来永劫、無伴奏のヴァイオリン曲の最高峰に君臨する至高の作品であり続けるものと思われる。そのような超名曲だけに、古今東西の著名なヴァイオリニストによって、これまで数多くの名演が生み出されてきた。そのような千軍万馬の兵たちの中で、ミルシテイン盤はどのような特徴があるのだろうか。本盤は、ミルシテインにとって2度目の録音であるが、先ず特筆すべきは、超人的な名人芸ということになるだろう。実に鮮やかとも言うべき抜群のテクニックであると言える。もちろん、卓越した技量を全面に打ち出した演奏としてはハイフェッツ盤が掲げられるが、ミルシテインは、技量だけを追及するのではなく、ロマン的とも言うべき独特の詩情に溢れているのが素晴らしい。非人間的な音は一音たりとも発することはなく、どの箇所をとっても、ニュアンス豊かで、詩情豊かな表情づけがなされているのが見事である。最近話題になったクレーメルによる先鋭的な名演などに比較すると、いかにも旧スタイルの演奏とも言えるが、このような人間的なぬくもりに満ち溢れた名演は、現代においても、そして現代にこそ十分に存在価値があるものと考える。
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3 people agree with this review 2010/03/01
ファルスタッフは、アイーダやオテロと比較するとスケールは小さいが、人生の酸いも甘いも知り尽くしたヴェルディの人生を達観したような遊び心に満ち溢れており、音楽の素晴らしさも含め、ヴェルディ最後のオペラの名に相応しい大傑作ではないかと考えている。それだけに、これまで数多くの名演が成し遂げられてきた。例えば、老獪な円熟の至芸を見せるカラヤンの80年盤や、イタリアオペラの真髄である豊かな歌謡性が魅力のアバドやジュリーニ盤などがあるが、本盤のバーンスタイン盤は、これらの名演とは異なった魅力があると言える。それは、生命力溢れる気迫ということができるのではないか。冒頭の強靭な開始や終結部の力強さなどにもよく表れていると思うが、このような圧倒的な気迫は、ウィーン・フィルの力演によるところが大きい。本盤の録音当時のウィーン・フィルは、カラヤンと一時的な喧嘩別れをして、カラヤンに対抗できるヒーローが欲しくて仕方がない時期であった。それ故に、バーンスタインに大きな期待を抱いたに違いがなく、待望のヒーローを前にして、ウィーン・フィルが燃えまくっているのがよくわかる。バーンスタインは、本盤の録音について語る中で、ウィーン・フィルを指揮せずに指揮棒を降ろしていたなどという謙遜をしているが、逆に言えば、ウィーン・フィルにこれだけの演奏をさせたカリスマ性を高く評価すべきであろう。なお、ファルスタッフ役を、いささか不似合いなフィッシャー=ディースカウが演じているが、巧さにおいては群を抜いており、これだけの巧い歌唱を披露されれば文句は言えまい。
5 people agree with this review 2010/02/28
録音から50年経った現在においても、チャイコフスキーの後期三大交響曲集のトップの座に君臨する歴史的な超名演だ。いずれの曲も約40分弱という、史上最速の疾風の如き快速テンポで演奏されており、その装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一環している。ここには、陳腐なロマンティシズムなど薬にしたくもなく、高踏的で至高・至純の芸術性を決して損なうことがない。それでいて、素っ気なさは皆無であり、どこをとってもロシア音楽特有の情感に満ち溢れているのだから、これは驚異的な至芸と言わざるを得ないだろう。木管楽器や金管楽器の吹奏は、あたかも音符がおしゃべりをするような雄弁さであり、ロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。加えて、アンサンブルの驚異的な揃い方は、ムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、第4の終楽章や第6の第3楽章の弦楽器の鉄壁な揃い方はとても人間業とは思えない凄まじさだ。これだけの超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。一昨年にはSHM−CD化され、更に、昨年にはルビジウム・カッティング盤が発売され、その両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には及ばないような気がしていた。ところが、先日、ESOTERICからSACD盤が発売され、ついに長年の渇きが癒された。これこそ究極の高音質CDであり、全盛期のムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの鉄壁のアンサンブルを心行くまで満喫することができる。正に、歴史的遺産とも言うべき究極のCDと高く評価したい。
2 people agree with this review 2010/02/28
ブーレーズは、「モーゼとアロン」を二度にわたって録音しているが、本盤におさめられたのは旧盤。最近では好々爺になりつつあるブーレーズが、前衛的な切れ味鋭い演奏を繰り広げていた時代の名演であり、私としては、やや角が取れた新盤よりも本旧盤の方をより高く評価したい。シェーンベルクの未完の大作、しかも、十二音技法によって作曲された決して耳当たりのいいとは言えないこのオペラは、現在でこそ輸入盤を含めると何点かの録音が存在しているが、本盤が録音された70年代半ばでは、きわめて珍しいものであり、本盤登場時の衝撃は想像に難くはない。それほどまでに、本演奏の切れ味鋭い精緻なアプローチは、シェーンベルクがその複雑なスコアに記した音符の数々を明瞭に浮かび上がらせ、複雑怪奇な本オペラの魅力を余すことなく我々聴き手に提示してくれたのが素晴らしい。歌手陣も優秀であり、特に主役の2人。モーゼ役のギュンター・ライヒとアロン役のリチャード・キャッシーの重厚にして卓抜した歌唱が、本演奏の価値を高めることに大いに貢献している。BBC交響楽団や合唱陣の好演も見過ごすことはできない。併録の室内交響曲第2番も、この時期のブーレーズならではの透徹した尖鋭的アプローチが見事な名演だ。
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17 people agree with this review 2010/02/28
本盤は、バーンスタインがベルリン・フィルを指揮した唯一の演奏会の記録である。カラヤンがバーンスタインをベルリン・フィルの指揮台に立たせなかったとの説が横行しているが、私は、側近が親分であるカラヤンの気持ちを勝手に斟酌して、そのように仕向けたのではないかと考えている。比較のレベルが低すぎてカラヤンには大変申し訳ないが、我が国の某党の某幹事長のケースに酷似しているとも言える。しかも、カラヤンはこの時期、自分のレコーディング人生の最後を飾る作品として、ベルリン・フィルとともにマーラーの第9の究極の演奏を目指して、真剣に取り組んでいた。しかしながら、バーンスタインの同曲への解釈とカラヤンのそれとは北極と南極ほどに大きく異なる。そんな完全アウェイの中に、バーンスタインは果敢に飛び込んでいった。その結果、両者の試行錯誤がはっきりと聴き取れる演奏になった。バーンスタインは、あたかも不感症の女性のように、思い通りの音を出そうとしないベルリン・フィルをうなり声まで発して相当にいらいらしている様子が伺え、ベルリン・フィルもアンサンブルの乱れなどに、バーンスタインの大仰な指揮への戸惑いが見てとれる。このような指揮者とオーケストラの真剣勝負の格闘が、本盤に聴くような大熱演を生み出したと言えるだろう。正に、一期一会の奇跡の熱演である。しかしながら、本盤は、果たして繰り返して聴くに足りる演奏と言えるのかどうか。というのも、私は、ベルリン・フィルはともかく、バーンスタインが本演奏に決して満足していなかったのではないかと思うからである。本盤が発売されたのが、カラヤン没後バーンスタイン存命中ではなく、バーンスタインの没後2年も経ってからであるというのも、それを表しているのではないだろうか。バーンスタインのマーラーの第9の決定盤はあくまでもCOAとの84年盤。本盤は大熱演であることは認めるが、バーンスタインのベストフォームとは到底言えず、あくまでも一期一会の記録として記憶にとどめておきたい。
17 people agree with this review
1 people agree with this review 2010/02/26
グルダのショパンというのはきわめて珍しい。それもそのはず、本盤におさめられた楽曲の大半が、1950年代前半という若き日に録音されたものの、お蔵入りになっていたものだからである。どの曲も、いわゆる通説となっているショパンらしい優美な演奏とは言えない。いかにもドイツ人らしいゴツゴツした武骨さを感じさせるものものしい演奏だ。この野暮ったいほどの重々しい演奏は、はっきり言って、ショパンのファンからすれば許しがたい演奏かもしれない。しかしながら、例えば有名な前奏曲の雨だれ。このショパンの心臓の鼓動とも言われる苦悩に満ちた楽曲を、これほどまでにシンフォニックに演奏した例はあるだろうか。舟歌も、華やかな表情の下にあるショパンの心の闇を見事に描出している。したがって、ショパンを聴くというよりは、ベートーヴェンを聴くような崇高さを感じさせる演奏ということができるだろう。惜しいのは録音がいささか古い点。グルダの透徹したタッチがややぼけて聴こえるのは残念だ。SHM−CD化の効果も殆ど感じられなかった。なお、本盤には、グルダの即興演奏がおさめられているが、これは興ざめ。理屈っぽいブレンデルのような趣きで、せっかくの本盤の魅力が台無しになってしまった。
0 people agree with this review 2010/02/23
いわゆるショパン弾きと称されているピア二ストは数多くいるが、その中でも、フランソワは最も個性的な解釈を披露したピアニストの一人ではないかと思う。本盤におさめられた楽曲においても、実に自由奔放な弾きぶりで、自らの感性のみを頼りにして、即興的とも評されるようなファンタジー溢れる個性的な演奏を行っている。したがって、このあくの強いアプローチに対しては、弾き手によっては抵抗を感ずる者もいることと思うが、少なくとも、テクニックのみを全面に打ち出した表層的な演奏よりは、よほど味わい深い演奏と言えるのではないだろうか。もちろん、フランソワのテクニックが劣っていたというわけではない。バラードもスケルツォも、いずれもショパンが作曲した数多くのピアノ曲の中でも難曲の部類に入るものであり、フランソワも、このような難曲を弾きこなす技量は兼ね備えていたというのは当然の前提だ。ただ、その技量を売りにするのではなく、楽曲の魅力を自らの感性のみを頼りにして、ストレートに表現しようという真摯な姿勢が、我々聴き手の深い感動を誘うのだと考える。もっとも、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭ないことから、聴き手によっては、前述のようにそのあくの強さに抵抗を覚える者もいると思うが、フランソワの魔術にひとたびはまってしまうと、やみつきになってしまうような独特の魔力を湛えていると言える。
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10 people agree with this review 2010/02/22
アルゲリッチは、現在でも情熱的で変幻自在の個性的な豪演を披露しているが、本盤は、ショパン国際コンクールに優勝した直後の若き日の録音。ここでも、既に現在のアルゲリッチにつながる圧倒的な豪演を成し遂げている。むしろ、若さ故の勢いがあるだけに、その演奏の凄まじさは尋常な迫力ではないと言えるかもしれない。本盤におさめられたどの曲も、切れば血しぶきが巻き散るような燃焼度の高い演奏だ。ライブ録音でないにもかかわらず、アルゲリッチが燃えに燃えていることがよくわかる。私も、聴いていて手に汗をにぎるような興奮におそわれた。コンサートはともかく、CDを鑑賞していてそのような経験をするというのはあまり例がないことである。唖然とするような切れ味鋭いテクニックと力強い打鍵は、既に女流ピアノストの既成概念を覆すのに十分なド迫力であり、左手の絶妙な活かし方や緩急自在の奔放なテンポ設定も魔法のような魅力に満ち溢れている。灼熱のような燃えたぎるパッションの爆発は、ショパンの荒ぶる魂を伝えるのに十分であり、これだけ個性的な演奏を行っても、芸術としての品格にいささかの弛緩が生じないのは脅威でもあり、アルゲリッチの天性の才能の賜物と言えるだろう。特に感動したのは、冒頭のピアノソナタ第3番とポロネーズ第6番であり、この両曲については、古今の数々の名演の中でもトップの座を争うものと高く評価したい。
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6 people agree with this review 2010/02/21
ヴェルディのレクイエムは、三大レクイエムの中でも、オペラの世界を知り尽くした作曲者ならではの劇的な要素を有した作品である。それだけに、オペラを得意としたカラヤンも、この曲を重要なレパートリーとして、映像作品も含めて相当数の録音を遺した。私としては、映像作品も含めると、クルーゾーと組んだミラノ・スカラ座との演奏を第一に掲げたいが、CDということになれば、カラヤンの全盛時代に録音された本盤が随一の名演であると考える。他の録音もそうであるが、何よりも歌手陣が実に豪華である。特に、ソプラノのフレー二とアルトのルートヴィヒの熱唱は最高で、これを聴くだけでも大きな価値がある。加えて、ベルリン・フィルの好演についても触れざるを得ない。この時期のベルリン・フィルは、綺羅星の如きスタープレーヤーを擁した、楽団史上最高の状態にあったが、本盤でも最高のパフォーマンスを示していると言えよう。特に、雷鳴のようなド迫力のティンパニが圧倒的であり、これは70年に入団したフォーグラーだろうか。怒りの日の強烈な一撃は、過去のどの演奏をも凌ぐ凄さだ。カラヤンの指揮もスケールの雄大さが際立っており、ラストの聴きとれないようなピアニシモを除けば、これ以上を望めないような高みに達している。テ・デウムは、歌手陣が一段と豪華な顔ぶれであるが、ブルックナーとしてはいささか賑々しい演奏のような気がする。とは言っても、同曲でこれほどの重厚で迫力のある演奏は他には見られないものであり、これだけ堪能させてくれれば文句も言えまい。
10 people agree with this review 2010/02/21
道化師は、カヴァレリア・ルスティカーナと並ぶヴェリズモ・オペラの傑作であるが、主人公であるカニオはデル・モナコのはまり役であり、57年に録音されたブラッデリ盤が歴史的な名盤として知られている。しかしながら、指揮者の芸格やオーケストラの優秀さ、他の歌手陣の素晴らしさなどを考慮すれば、私は、本盤の方を上位に置きたいと考えている。ということは、本盤こそ、道化師の随一の名演ということになる。本演奏の成功は、何よりも、ベルゴンツィの迫真の歌唱によるところが大きい。確かに、デル・モナコと比較して様々な批判をすることは容易であるが、これだけの熱唱を披露されると、決して文句は言えまい。第2幕の第2場の、劇中劇と現実の見境がつかなくなる箇所の鬼気迫る歌唱は圧倒的なド迫力であり、カラヤン指揮のミラノ・スカラ座管弦楽団ともども、最高のパフォーマンスを示していると言えよう。次いで素晴らしいのはトニオ役のタッディ。道化師の影の主役であるトニオの屈折した性格を、絶妙な歌唱によって巧みに表現していく。ネッダのカーライルやシルヴィオのパネライなど、脇を固める歌手陣も豪華そのものであり、ミラノ・スカラ座の合唱陣も実に優秀だ。壮年期のカラヤンの生命力溢れるエネルギッシュな指揮ぶりもさすがと言うべきであり、前述のように、道化師の史上最高の超名演として高く評価したい。
5 people agree with this review 2010/02/21
ブーニンがショパンコンクールで優勝したのは1986年。その模様がNHKで放映されたこともあって、その後に日本のみで起こったブーニンブームには凄まじいものがあった。あれから25年。最近では、ブーニンの名すら知らない日本人も多いのではなかろうか。同じコンクールで第5位だったルイサダや第4位の小山実稚恵に名実ともに先行を許し、後輩のキーシンにも大きく水をあけられている現状に鑑みれば、今となれば一過性に過ぎなかったブーニンブームは一体何だったのだろうかと思う。本盤は、そんなブーニンブームが起きて約10年後の録音であるが、ここには先行しようというルイサダらの同輩や後輩であるキーシンを意識するあまり、何とか新機軸を打ち出そうとするブーニンの痛々しいまでの焦りが刻印されていると言える。ノクターンとスケルツォを交互に配置している点においても、ブーニンの並々ならない意欲が感じられるが、演奏を聴く限りにおいては、そうした意欲がいささか空回りしていると言わざるを得ない。もともと、ブーニンのショパンは、コンクール優勝時から異色の解釈として物議をかもしていたが、デビュー当時は、テクニックさえあればいかなる演奏でも許された面がある。しかしながら、デビューから10年も経てばそうはいかない。テクニックだけが目立ち、個性的と言うよりはあざとさだけが目立つような演奏では、心ある聴き手からは見放されるのは当然のことと言えるだろう。例えば超有名曲のスケルツォ第2番。ここの中間部など、ポゴレリチなどの手にかかれば、実に憂愁な雰囲気が漂うのに、ブーニンは、何とか表情づけをしようと懸命にふるまってはいるものの、空回りしてしまい、単に明るい能天気な音楽だけが紡ぎだされていく。これでは、いくら卓越した技量を有していたとしても、浅薄のそしりは免れないと言うべきである。
15 people agree with this review 2010/02/20
カラヤンはシベリウスを得意とし、DGやEMIなどにかなりの点数の録音を遺している。そのような中で、最高峰の名演は、やはり本盤におさめられた録音ということになると考える。カラヤンの指揮者としての全勢時代は60年初頭から70年代の後半くらいまでであるが、本盤が録音されたのは正にその全盛時代。当時、蜜月の関係にあったベルリン・フィルも最高の時代であり、両者による演奏が悪かろうはずがない。録音は、イエス・キリスト教会であり、ここの美しい残響もシベリウスの録音には最高のロケーションと言えるだろう。交響曲第4〜第7のいずれも非のうちどころのない名演であるが、いずれもベルリン・フィルの重量感溢れる低弦の響きや高弦による繊細な美しさはシベリウスの交響曲を聴く醍醐味というべきであり、金管や木管も最高のパフォーマンスを示している。一部評論家からは、大言壮語だとか、シベリウスの本質を逸脱しているとの批判があるが、シベリウスは北欧のローカルな作曲家ではない。20世紀を代表する国際的なシンフォニストであり、シベリウスの演奏はこうでないといけないというような様式などどこにも存在するはずがない。したがって、カラヤンの演奏が、シベリウスの本質を逸脱しているなどと、何を根拠にして言っておられるのであろうか。現に、作曲者であるシベリウスもカラヤンの演奏を高く評価していたと言うではないか。私としては、あらゆるシベリウスの交響曲演奏の中でもトップの座を争う至高の名演と評価したい。併録の管弦楽曲2曲もカラヤンが何度も録音した楽曲であるが、本盤の演奏が随一の名演。特に、タピオラの演奏の透徹した美しさはこの世のものとは思えない高みに達しており、おそらくは同曲の演奏史上最高の超名演と評価したい。
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