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0 people agree with this review 2011/06/18
本盤にはショパンとラフマニノフのピアノソナタを軸に、ショパンの有名な2つの小品がおさめられているが、その中でもダントツの名演はラフマニノフのピアノソナタであると考える。ラフマニノフのピアノソナタは、ピアノ協奏曲や交響曲、そして、フィギュアスケートの浅田真央の選曲で有名になった前奏曲「鐘」などの影に隠れた存在に甘んじており、レコーディングも著しく少ないと言えるが、そのような渇きを癒してくれる素晴らしい名演と高く評価したい。ラフマニノフの演奏は、これはピアノ協奏曲などでも同様であるが、ロシア風のメランコリックな抒情を美しく歌い上げた濃厚な表現が数多く行われていると言える。確かに、そういった濃厚な表現も十分に感動的であるが、グリモーは、もちろんロシア風の抒情の歌い方にも申し分はないのであるが、むしろ一音一音を精緻に描き出していくという純音楽的なアプローチを行っており、これはオーソドックスなアプローチではあるものの、ラフマニノフの演奏としては実に清新なイメージを与えるものであると言える。さらに、グリモーが素晴らしいのは、どこをとっても彼女の美貌を思わせるような気品の高さに貫かれていると言うことであろう。グリモーは、約20年前の1985年にもラフマニノフのピアノソナタを録音しており、それも名演の名に値する思うが、前述のような格調の高さや音楽性の豊かさにおいて、本演奏の方をより上位に置きたいと考える。なお、併録のショパンのピアノソナタ第2番や、子守歌、舟歌についても、グリモーの名をいささかも辱めることがない気高い名演であるとは言えるが、他の海千山千のピアニストによる名演が目白押しの楽曲であり、ラフマニノフほどの魅力はないと考える。録音は従来盤でも十分に満足できる音質ではあったが、今般のSHM−CD化によって、音質が非常に鮮明になるとともに音場も格段に幅広くなった。SHM−CDとピアノ曲との相性は抜群のものがあるところであり、グリモーによる名演をSHM−CDによる鮮明な高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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4 people agree with this review 2011/06/18
XRCDの潜在能力の高さをあらためて思い知らされる超高音質CDの登場だ。本盤におさめられた演奏は1977年のものであるが、今から30年以上の前のものとは思えないような鮮明な高音質であると言える。モーツァルトの交響曲の録音のポイントは、弦楽合奏をいかに鮮明に捉えることができるのかにかかっていると言えるが、本XRCDにおいては、各弦楽セクションの動きが明瞭にわかるほどの鮮明さであり、ある意味では、モーツァルトの交響曲の録音の理想の具現化と評価したい。これほどの鮮明な高音質であると、演奏がより一層魅力的に聴こえるのが実に不思議だ。モーツァルトの交響曲の演奏様式は、今やピリオド楽器の使用や、現代楽器を使用した古楽器奏法によるものが主流となっている。しかしながら、そうした演奏様式が時代考証学的には正しいものであっても、芸術的な感動を覚えるかどうかとは別問題と言えるのではないだろうか。本盤におさめられた交響曲第40番について言えば、ワルター&ウィーン・フィル(1952年)やワルター&コロンビア響(1959年)、ベーム&ベルリン・フィル(1961〜1962年)などのシンフォニックな名演があった。また、交響曲第41番について言えば、ベーム&ベルリン・フィル(1961〜1962年)などの名演があり、これら両曲の重厚な名演は、前述のような演奏様式が一般化している現在においてもなお愛聴している聴き手が多いのではないだろうか。本パイヤール盤は、そうした大指揮者によるシンフォニックな演奏の系列に連なる演奏ということが可能だ。イギリス室内管弦楽団という比較的小編成のオーケストラを起用はしているが、演奏自体はシンフォニックなものであり、ピリオド楽器の使用や古楽器奏法などとは全く無縁である。もちろん、前述のようなワルターやベームなどの往年の名演と比較して云々することは容易ではあるが、現在の演奏様式に辟易としている聴き手にとっては、本演奏を、故郷に帰省した時のような安定した気持ちで聴くことができると言えるのではないだろうか。本演奏に特別な個性や才能の輝きなどはないが、その分、フランス人指揮者ならではの洒落た味わいに満ち溢れており、私としては、楽曲の魅力を聴き手にダイレクトに伝えるという意味においては、豊穣な味わいの名演と高く評価したいと考える。
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5 people agree with this review 2011/06/18
本盤には、若き日のアシュケナージのピアノによる協奏曲が2曲おさめられている。このうち、特に、素晴らしい超名演は、アシュケナージが若干26歳の時の演奏であるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番だ。アシュケナージについては、音楽評論家の間でも賛否両論があるのは周知の事実だ。特に、とある影響力の大きい有名な某音楽評論家が、アシュケナージの演奏を甘口で厳しさが微塵も感じられないなどと酷評しており、それを真に受けた相当数の聴き手がアシュケナージに対してある種の偏見を抱いていることは十分に想定されるところだ。某音楽評論家の見解の真偽はさておき、本演奏におけるアシュケナージは、そのような見解を一喝してしまうような凄みのあるピアニズムを披露していると言える。楽曲の核心に向かって畳み掛けていくような凄みのある気迫や生命力は、圧倒的な迫力を誇っていると言える。卓越した技量は当然のことであるが、技量一辺倒の薄味な演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても、切れば血が吹き出てくるような灼熱の如き情感に満ち溢れている。アシュケナージは、その後もチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を何度も演奏・録音しているが、本演奏の凄みに迫っているものはないのではないだろうか。こうした阿修羅の如きアチュケナージのピアノを下支えしているのが、若き日のマゼールとロンドン交響楽団による豪演だ。1960年代のマゼールは、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような前衛的な指揮を行っていたところであり、本演奏でも、そうしたマゼールの凄みのある指揮を堪能することが十分に可能だ。いずれにしても、本演奏は、若き指揮者と若きピアニストの才能が奇跡的な化学反応を起こした一世一代の超名演と高く評価したい。これに対して、シューマンの方は、アシュケナージはなお若いとは言え、チャイコフスキーから14年後の録音であり、随分と落ち着いた演奏のように聴こえる。もちろん、演奏自体は決して悪い演奏ではなく、アシュケナージの美しさの極みとも言うべきピアニズムを味わうことが可能な演奏には仕上がっているとは言えるが、チャイコフスキーほどの魅力がないことは指摘しておかなければならない。録音は、かつて発売されていたSACDハイブリッド盤でも十分に高音質であったが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤はそもそも次元が異なる極上の超高音質である。特に、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の超名演を、このような至高の超高音質録音で味わうことができることを大いに喜びたい。
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0 people agree with this review 2011/06/17
アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は低迷期にあったと言えるのではないだろうか。というのも、それ以前にはロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などと豊かな歌謡性と力強い生命力が融合した素晴らしい名演の数々を成し遂げていたにもかかわらず、ベルリン・フィルの芸術監督に就任してからは借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになってしまったからである。アバドも、さすがにベルリン・フィルの芸術監督の荷が重かったせいか病に倒れてしまった。しかしながら、それが皮肉にもけがの功名となり、大病の克服後は、彫の深い凄味のある演奏の数々を聴かせてくれるようになった。そのようなアバドであるが、本盤はベルリン・フィルの芸術監督就任前の絶好調時代のアバドによる演奏だ。当然のことながら演奏が悪いわけがなく、これは前述のような豊かな歌謡性と力強い生命力が融合したアバドならではのアプローチによる至高の超名演と高く評価したい。両曲のうちシンフォニエッタについては、アバドは1966年にロンドン交響楽団とともにスタジオ録音しているが、本演奏の方がはるかに上出来と言えるだろう。そうなった理由は、もちろんアバドの円熟もあるが、それと同時にベルリン・フィルの好演によるところも大きいと考えられる。というのも、本演奏が録音された1987年当時のベルリン・フィルは、ザビーネ・マイヤー事件勃発以降不仲となりウィーン・フィルに軸足を移したカラヤンに対抗するため、ポストカラヤンと目される指揮者とは、圧倒的な名演奏を成し遂げていた。本演奏も、そうした一連の流れの中での名演奏であり、シンフォニエッタにおける金管楽器のブリリアントな響きなどでカラヤン色をあまり感じさせないのも、当時のベルリン・フィルの団員の心意気を伺い知ることができて大変興味深い。消えた男の日記におけるラングリッジやバリーズの歌唱も見事であり、RIAS室内合唱団も最高のパフォーマンスを示していると言える。なお、本盤には、ガーディナー指揮のタラス・ブーリバがおさめられている。演奏自体は優れたものであると言えるが、私としては、ベスト100を構成するCDとは言えども芸格があまりにも違いすぎる指揮者(もちろんアバドの方が格上)の演奏とのカプリングについては感心するものではなく、メーカーにもこのような安易なカプリングについてこの場を借りて再考を求めておきたい。録音は従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質が鮮明になるとともに音場がかなり広くなった。アバドによる至高の超名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。
0 people agree with this review 2011/06/16
古今東西の様々な指揮者の中でも、ネーメ・ヤルヴィほどレパートリーの広い指揮者はいないのではないだろうか。その旺盛なレコーディング意欲は、高齢になった現在においてもいささかも衰えていないが、これまでに行われた膨大な録音のすべてが名演というわけではない。一部の音楽評論家が粗製濫造と酷評するほどの凡演はさすがに少ないとは思うが、他の指揮者による演奏を圧倒するような名演ということになると、その数はかなり限定されると言えるのかもしれない。もっとも、そのようなネーメ・ヤルヴィが、他の追随を許さない名演を成し遂げたジャンルが存在する。それは、北欧音楽だ。エストニア出身ということで、祖国の大作曲家トゥヴィンの交響曲全集は依然として燦然と輝く名演であるし、最近手掛けているハルヴォルセンの管弦楽曲集など、名演には事欠かないところだ。グリーグについても、劇音楽「ペール・ギュント」の全曲録音を含めた管弦楽曲全集を録音(いずれもDG)しているし、シベリウスに至っては、BISレーベルに交響曲を含めた管弦楽曲全集、そしてDGに交響曲全集(SACD仕様)やCD3枚渡る管弦楽曲全集を録音しており、いずれもきわめて水準の高い名演に仕上がっていると言える。本盤におさめられた楽曲は、これらグリーグやシベリウスの各全集から有名なもののみを抜粋したものである。したがって、演奏が悪かろうはすがない。いずれの楽曲も、北欧の大自然を彷彿とさせるような豊かな情感と、演出巧者ネーメ・ヤルヴィならではの聴かせどころのツボを心得た明瞭な表現が施された名演と高く評価したい。手兵のエーテボリ交響楽団も、ネーメ・ヤルヴィの統率の下、素晴らしい演奏を展開しているのも本名演に大きく貢献していることを忘れてはならない。録音は、従来盤でも十分に満足できる良好な音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに音場が幅広くなったように思われる。ネーメ・ヤルヴィの素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
0 people agree with this review 2011/06/15
本盤におさめられたチャイコフスキーの交響曲第5番は、小澤による2度目の録音ということになる。前回はボストン交響楽団を指揮してのもの(1977年)であり、いかにも若武者ならではの爽快な名演であったが、本盤はそれから12年ぶりの録音である。前年に、同じくベルリン・フィルと第4番(1988年)を録音しており、それがなかなかの名演であったことから、私も随分と期待して聴いたのだが、残念ながら第4番ほどの感銘を受けなかったことを告白せざるを得ない。この程度の演奏であるならば、むしろ1977年盤の方が優れていると言えるのかもしれない。その理由はいろいろとあるが、小澤に起因するというよりもベルリン・フィルの方に問題があったのではないかと考えられるところだ。ベルリン・フィルは、例のザビーネ・マイヤー事件の勃発後、蜜月状態にあったカラヤンとの関係が修復不可能にまで決裂状態になった。したがって、カラヤンがウィーン・フィルに軸足を移すようになってからは、特にポストカラヤンと目される指揮者とは、カラヤンへの対抗意識からとてつもない名演を行うようになった。マゼールによるブルックナーの交響曲第7番及び第8番(1987〜1988年)、アバドとブレンデルによるブラームスのピアノ協奏曲第1番(1986年)、ムーティとのブルックナーの交響曲第4番(1985年)など、名演には枚挙にいとまがないところだ。小澤とのチャイコフスキーの第4番(1988年)もそうした名演の一つに掲げられるものと考えられる。ところが、本演奏の録音は1989年4月であり、これはカラヤンがついに終身の芸術監督を辞任した時にあたる。今まで対抗意識を持って戦ってきたカラヤンが自らその地位を投げ出したのであり、いくらプロフェッショナルに徹していたベルリン・フィルと言えども、これまで張りつめていた緊張が急に解けることになり、その演奏に影響が及んだことは十分に考えられるところだ。実際のところ、本演奏でのベルリン・フィルは、決して好調とは言えないところであり、小澤の意欲的な指揮も随分と空回りしているように思われてならないのだ。これに対して、併録の大序曲「1812年」は、ベルリン・フィルもアバドを芸術監督に迎えて心機一転を図るなど安定した時期に入った際の演奏(1992年)であり、小澤のエネルギッシュな指揮も相まって、素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。録音は、従来盤では特に交響曲第5番において音質がイマイチ良くないと指摘されていたところであったが、今般のSHM−CD化によって、そうした問題は解消され、素晴らしい音質に蘇ったと言える。このような音質の改善と、併録の大序曲「1812年」が名演であることを総合的に勘案して、★4つの評価とさせていただくこととする。
6 people agree with this review 2011/06/14
本盤には、シェーンベルクとシベリウスのヴァイオリン協奏曲という、20世紀に作曲された名作の演奏がおさめられているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。まずは、ヒラリー・ハーンのヴァイオリンの演奏が素晴らしい。ここでのヒラリー・ハーンのアプローチは、一音一音を蔑ろにすることなく精緻に曲想を描きだしていくというものだ。聴き手を驚かすような奇手を繰り出すことは薬にしたくもなく、むしろ地味な演奏のようにも感じさせられるほどだ。超絶的な技量は存分に発揮されてはいるが、無機的な演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても内容にコクがあり豊かな情感を失っていない点を高く評価したい。また、音色の美しさにも出色のものがあり、その艶やかな響きはヒラリー・ハーンの面目躍如たるものと言えるだろう。したがって、12音技法で作曲されたシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲においては、晦渋さが相当程度緩和され、いい意味での明朗で、なおかつ滋味溢れる演奏に仕上がっているのが見事である。他方、シベリウスのヴァイオリン協奏曲においては、北欧の大自然を彷彿とさせるような透明感溢れる清澄な美しさというよりは、むしろ明瞭で艶やかな響きが支配しており、その骨太でコクのある音色はシベリウスの協奏曲をそれこそベートーヴェンやブラームスの協奏曲の領域にまで引き上げるほどの奥行きの深さを湛えていると言っても過言ではあるまい。このようなヒラリー・ハーンのヴァイオリンを下支えしているサロネン&スウェーデン放送交響楽団による名演奏も、本盤の大きな魅力の一つであると言えるだろう。北欧フィンランドの出身であるとともに、現代音楽も自己薬籠中にしているサロネンだけに、両曲ともにスウェーデン放送交響楽団を巧みにドライブして、整然とした中にも情感の豊かさをいささかも失うことのない充実した演奏を展開している点を高く評価したい。録音は、従来盤でも十分に満足し得る音質ではあったが、今般のSHM−CD化によって音質がより鮮明になるとともに、音場がかなり幅広くなったのではないかと思われる。ヒラリー・ハーンの精緻なヴァイオリン演奏を、SHM−CD化による鮮明な高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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4 people agree with this review 2011/06/13
バーンスタインはマーラーの交響曲全集をDVD作品を除くと3度にわたって録音した唯一の指揮者であると言える。本盤におさめられた全集はその3度目のものであると言えるが、正確に言うと、バーンスタインは本全集を完成する前に惜しくも鬼籍に入ってしまったところだ。というのも、第8番、「大地の歌」そして第10番の新録音を果たすことができなかったからであり、それ故に、第8番については没後発見されたザルツブルク音楽祭でのライヴ録音(1975年)、「大地の歌」については英デッカにウィーン・フィルと行ったスタジオ録音(1966年)、そして第10番は2度目のDVDによる全集中の演奏(1974年)をCDに焼き直したものがおさめられているところである。このような若干の未完成というハンディはあるものの、本全集こそは、あまた存在する様々な指揮者によるマーラーの交響曲全集に冠絶する至高の超名全集と高く評価したい。バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚な表情づけの演奏をするようになった。それは本全集においても例外ではなく、その演奏は、これまでの1度目、2度目の全集と比較してもテンポの遅さや濃厚さが際立っていると言える。しかしながら、他の作曲家による楽曲は別として、マーラーの交響曲や歌曲においては、こうしたゆったりとしたテンポによる濃厚さがすべてプラスに作用していると言えるだろう。そして、バーンスタインのアプローチは、ゆったりとしたテンポや濃厚な表情づけを基軸としつつ、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、そして大胆なアッチェレランドを駆使してこれ以上は求め得ないようなドラマティックな演奏を行っていると言えるところだ。マーラーの交響曲のテーマは、楽曲によって一部に例外はあるものの、基本的には死への恐怖と闘い、そしてそれと対置する生への妄執と憧憬であると考えるが、バーンスタイン以上にそれを音化し得た演奏は、テンシュテットによる最晩年の演奏以外には存在しないと言っても過言ではあるまい。こうした渾身の大熱演が我々聴き手の肺腑を打つのであり、前述のように、第8番や第10番、そして「大地の歌」など、1970年代以前の録音も一部に含まれてはいるが、本全集の各演奏こそは、史上最大のマーラー指揮者であったバーンスタインがその最晩年になって漸く成し得た究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。マーラーに縁があった3つの超一流のオーケストラを起用したのも特徴であり、奥行きのある深沈とした表現が必要不可欠な第9番には北ヨーロッパの楽団ならではのくすんだいぶし銀の音色が魅力のコンセルトへボウ・アムステルダムを起用したり、壮麗な迫力を必要とする第2番にニューヨーク・フィルを起用するなど、各オーケストラの使い分けも実に考え抜かれた最善の選択がなされていると評価したい。第4番の終楽章ではボーイソプラノを起用するなど、若干のやり過ぎの感も否めないところではあるが、本全集全体の評価を貶めるほどの瑕疵があるわけではないものと考える。録音は、「大地の歌」と第10番を除くとすべてライヴ録音であり、とりわけ1970年代の録音である第8番や、本全集の最初の録音となった第9番など、やや冴えない音質のものも存在していると言える。数年前には、本全集全体のSHM−CD盤が発売されたが、リマスタリングされたものが第5番と「大地の歌」に限られており、音質改善効果がさほど見られなかったのは残念であった。いずれにしても、史上最高のマーラーの交響曲全集であり、今後はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化をしていただくなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。
1 people agree with this review 2011/06/13
本盤にはユンディ・リによるショパン及びリストのピアノ協奏曲第1番がおさめられておりいずれも名演ではあるが、私としては特にショパンの方をより高く評価したいと考える。2000年に開催された第14回ショパン国際コンクールの覇者であり、これまでにもマズルカ集やスケルツォ集などで数々の名演を成し遂げてきたユンディ・リにとっては、ショパンは特別な作曲家であるのではないだろうか。ショパンならではのロマンティシズムに満ち溢れた名旋律の数々に彩られた同曲を、ユンディ・リは、その持前の卓越した技量をベースとしつつ、変幻自在のテンポ設定や、特に各楽章の頂点に向けての畳み掛けていくような強靭な打鍵、それと対置する繊細な抒情的表現などを駆使して、実に表情豊かに描き出しているのが素晴らしい。特に、ユンディ・リの特徴でもある詩情に満ち溢れた情感の豊かさは、抗し難い美しさを湛えていると言えるところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると言える。他方、リストについては、さすがにショパンほどの魅力はないが、それでも卓越したテクニックと強靭な打鍵をはじめとした表現力の豊かさは健在であり、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。アンドリュー・デイヴィス&フィルハーモニア管弦楽団も、ユンディ・リのピアノを下支えする素晴らしい演奏を繰り広げており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質は本盤でも十分に満足し得る高音質であるが、先日発売されたSHM−CD盤は、ピアノ音楽との相性の良さが抜群のものであることもあって、本盤よりも若干ではあるが、ユンディ・リのピアノがより鮮明に再現されるとともに、音場が若干ではあるが幅広くなったように感じられるところだ。いまだ未購入で、ユンディ・リによる素晴らしい名演をできるだけ良好な音質で味わいたいという聴き手には、SHM−CD盤の方の購入をお奨めしておきたい。
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2 people agree with this review 2011/06/13
本盤にはユンディ・リによるショパン及びリストのピアノ協奏曲第1番がおさめられておりいずれも名演ではあるが、私としては特にショパンの方をより高く評価したいと考える。2000年に開催された第14回ショパン国際コンクールの覇者であり、これまでにもマズルカ集やスケルツォ集などで数々の名演を成し遂げてきたユンディ・リにとっては、ショパンは特別な作曲家であるのではないだろうか。ショパンならではのロマンティシズムに満ち溢れた名旋律の数々に彩られた同曲を、ユンディ・リは、その持前の卓越した技量をベースとしつつ、変幻自在のテンポ設定や、特に各楽章の頂点に向けての畳み掛けていくような強靭な打鍵、それと対置する繊細な抒情的表現などを駆使して、実に表情豊かに描き出しているのが素晴らしい。特に、ユンディ・リの特徴でもある詩情に満ち溢れた情感の豊かさは、抗し難い美しさを湛えていると言えるところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると言える。他方、リストについては、さすがにショパンほどの魅力はないが、それでも卓越したテクニックと強靭な打鍵をはじめとした表現力の豊かさは健在であり、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。アンドリュー・デイヴィス&フィルハーモニア管弦楽団も、ユンディ・リのピアノを下支えする素晴らしい演奏を繰り広げており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質は従来盤でも十分に満足し得る高音質であるが、SHM−CDとピアノ音楽の相性の良さは抜群のものがあることもあって、今般のSHM−CD化によりユンディ・リのピアノがより鮮明に再現されるとともに、音場が若干ではあるが幅広くなったように感じられるところだ。ユンディ・リによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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0 people agree with this review 2011/06/12
本盤は、バルトークの最も有名な管弦楽作品を2曲カプリングしたものであるが、いずれも素晴らしい名演だ。名演となった要因は、何よりもシカゴ交響楽団の卓越した技量にあると考える。本演奏の録音は1989年のスタジオ録音であるが、この当時のシカゴ交響楽団はショルティの圧倒的な統率の下に全盛期を誇っていた時代である。各ブラスセクションには、ハーセスやクレヴェンジャーなどのスタープレイヤーを数多く揃え、その圧倒的な大音量とブリリアントな響きには抗し難い魅力があった。木管楽器のテクニックも桁外れであったし、オーケストラのアンサンブルも鉄壁のものがあった。オーケストラの力量だけに限ってみれば、かのカラヤン指揮下のベルリン・フィルにも匹敵する実力を誇っていたと言える。本演奏でも、シカゴ交響楽団は圧巻の技量を披露しており、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽における厚みのある弦楽合奏や、管弦楽のための協奏曲における各管楽器の卓越した技量は唖然とするほどだ。そのようなスーパー軍団たるシカゴ交響楽団に対峙して、レヴァインも見事な統率を示していると言える。両曲ともに指揮によっては深刻な演奏になりがちであるが、レヴァインは、そのような深刻に陥ることを極力避け、各旋律を情感豊かに歌い上げることによって、極めて明瞭でわかりやすい作品に昇華させているのが素晴らしいと言える。両曲には、同じくシカゴ交響楽団を指揮したライナーやショルティの名演やカラヤンやムラヴィンスキー(弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽のみ)による名演などが目白押しであるが、とかく複雑で難解とされるバルトークの楽曲(特に、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽)を親しみやすく聴かせたという意味においては、本レヴァインによる演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。録音は、従来盤でも定評のある素晴らしい音質であったが、今般のSHM−CD化によって、さらに鮮明になるとともに音場が広がることになった。このような名演を高音質のSHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。
4 people agree with this review 2011/06/12
クーベリックは、本盤におさめられた「田園」を含め、1971年から1975年にかけてベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音している。当該全集は、各交響曲によってオーケストラが異なるという類例のない独特のものであった。しかしながら、これはクーベリックが意図して行ったというよりは、DG側の事情による側面が大きかったと言わざるを得ない。当時のDGは、カラヤンやベームと言った人気・実力を兼ね備えた大物指揮者を擁しており、同時期にはベーム&ウィーン・フィル(1970〜1972年)、更にはカラヤン・ベルリン・フィル(1974〜1976年)によるベートーヴェンの交響曲全集がスタジオ録音されている。このような状況の中で、クーベリックが、当時の手兵バイエルン放送交響楽団と全集をスタジオ録音することは大変難しい状況に置かれていたと言わざるを得ない。実際に、クーベリックは全集の録音開始前に、第7をバイエルン放送交響楽団と録音(1970年)しており、それは、全集中のウィーン・フィルとの第7の演奏(1974年)よりも数段上の名演なのであるが、長らくお蔵入りで現在でも入手困難であるところだ(かつてレコード芸術誌が企画・監修した「蘇る巨匠たち」シリーズでCD化されていた。)。このことは、クーベリックがこの当時に置かれていた困難な状況を察するに余りあると言えるだろう。ともあれ、クーベリックが、バイエルン放送交響楽団とベートーヴェンの交響曲全集を録音できなかった(第9のみがバイエルン放送交響楽団と録音である。)のは、前述の第7の名演に鑑みると残念ではあるが、いずれにしても本盤におさめられた田園は、素晴らしい名演と高く評価したい。オーケストラはパリ管弦楽団であり、このオーケストラは指揮者によっては気が乗らない粗雑な演奏をすることもあるのだが、本演奏においては、クーベリックの統率の下、その持ち味を活かした色彩感溢れる美演を披露しているのが素晴らしい。田園という楽曲の性格に鑑みれば、クーベリックとしてもバイエルン放送交響楽団を起用できなかったのは残念ではあったであろうが、本演奏に関してはパリ管弦楽団の起用はプラスに働いていると言えるだろう。ホルンや木管楽器の雰囲気豊かな美しい音色が、本演奏に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。クーベリックの指揮は、「田園」の標題には必ずしも拘泥しない純音楽的なアプローチであり、ゆったりとしたテンポによる重厚にして彫の深い表現で、深沈とした含蓄のある奥行きを感じさせるのが素晴らしい。第1楽章の反復を省略しているが、テンポがゆったりしていることから、冗長さに陥らないためにもこれは賢明であったと言える。録音については、かつてSACDハイブリッド盤が発売されていたが、これが今一つ鮮明とは言い難い冴えない音質であった。しかしながら、本盤のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は見違えるような鮮明な高音質に生まれ変わったと言えるところであり、このようなクーベリックによる素晴らしい名演を望み得る最高の高音質SACDで味わえることを大いに喜びたい。
5 people agree with this review 2011/06/12
ブーレーズは、かつては前衛的な解釈で聴き手を驚かすような演奏を数多く行ってきたが、1990年代に入ってDGに様々な録音を行うようになってからは、すっかりと好々爺になったように思われる。もちろん、だからと言って、演奏自体の質が落ちたということはいささかもない。老いても前衛時代の残滓はなお残っているところであり、むしろ、いい意味での硬軟バランスのとれた名演奏を行うことが多くなったと言えるのではないだろうか。特に、1990年代から2000年代の長きにわたって録音されたマーラーの交響曲全集には、そうした名演奏が数多く含まれているように思われる。交響曲「大地の歌」も、そうした近年のブーレーズの芸風がプラスに働いた名演と高く評価したい。「大地の歌」の名演としては、ワルター&ウィーン・フィル(1952年)とクレンペラー&フィルハーモニア管(1964年、1966年)が双璧とされてきた。前者はどちらかと言うとウィーン・フィルの美演を最大限に活かした耽美性を強調した演奏、後者は同曲の心底にある厭世観を鋭く抉り出した演奏と言うことが可能ではないかと考えられる。これら両名演に対して、ブーレーズの演奏は、「大地の歌」が有する耽美性や厭世観を極力排して、徹底してスコアに記された音符を精緻に表現することにつとめた演奏と言えるのではないだろうか。もっとも、かつてのブーレーズであれば、さらに徹頭徹尾、冷徹な演奏を繰り広げることもあり得たと思うが、本演奏では、精緻な中にも随所に豊かな情感が込められているのが素晴らしい。このような演奏を聴いていると、かの前衛的なブーレーズに対して、到底似つかわしくない円熟という表現をついに使わざる得なくなったのではないかと感じずにはいられない。メゾ・ソプラノのウルマーナとテノールのシャーデも、このようなブーレーズの新しい円熟の芸風に符号した見事な歌唱を披露していると言える。録音は、かつて発売されていたSACDハイブリッド盤でも、マルチチャンネルが付いていたこともあって十分に満足できる高音質であった。ところが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、それをはるかに凌駕する究極の高音質であると言える。マルチチャンネルが付いていないにもかかわらず、これだけの幅広い音場を構築できるというのは驚異的ですらある。いずれにしてもブーレーズの素晴らしい名演を、このような超高音質SACDで味わうことができることを大いに喜びたい。そして、ブーレーズによる他のマーラーの交響曲の演奏についても、本盤と同様にシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化して欲しいという聴き手は私だけではあるまい。
10 people agree with this review 2011/06/12
本盤におさめられたマーラーの交響曲第3番の演奏は、ホーネック&ピッツバーク交響楽団によるマーラーチクルス第3弾である。このコンビは、既に交響曲第1番と第4番を録音しており、今後は残る大規模長大な交響曲の中でどれを一番最初に採り上げるのか興味深々であったが、第3番というマーラーの交響曲の中でも最も規模が大きい交響曲を手掛けたところに、このコンビの自信のほどを伺い知ることが可能だ。これまで録音された第1番や第4番においてホーネックが行ったアプローチは、マーラーが記した複雑なスコアを細部に至るまで精緻に描き出すというものであった。これはいかにもヴァイオリン奏者出身の指揮者ならではのものと言えるが、そうした精密とも言える演奏をエクストンによる極上の高音質録音が下支えし、第1番や第4番の演奏史上、最も精緻な美しさを誇る名演として高い評価を受けたのは記憶に新しい。今般は、第3番という長大な交響曲であり、果たしてこれまでと同様のアプローチを徹底させるのは困難ではないかと思ったところであるが、ホーネックはその困難を見事に克服してしまった。本演奏は、その精緻さといい、細部への拘りといい、おそらくはマーラーのスコアをこれほど精密に音化した例は同曲演奏史上はじめてと言えるのではないだろうか。もちろん、無機的でメカニックな演奏に陥っていないのは、第1番や第4番の場合と同様であり、どこをとっても情感の豊かさを失っていないのが素晴らしい。そして、随所において聴かれる優雅なレガートにも格調の高さをいささかも損なっていないのも見事であると言える。このような精緻なアプローチを徹底させるにはオーケストラの卓越した技量が必要となるが、必ずしも一流とは言い難いピッツバーク交響楽団が、本演奏では精度の高い圧巻の名演奏を繰り広げていると言える。これは、紛れもなくホーネックによる薫陶の賜物と言えるだろう。とりわけ、第1楽章におけるサリヴァンによるトロンボーンソロや、第3楽章のハーセスの直弟子であるヴォスバーグによるポストホルンは秀逸であり、抗し難い美しさを誇っていると言える。第4楽章におけるミシェル・デ・ヤングの歌唱も美しさの極みであるし、第5楽章におけるメンデルスゾーン合唱団やチルドレンズ・フェスティバル合唱団も最高のパフォーマンスと誇っていると言える。そして、第1番及び第4番でも話題となった名録音は、本盤においても健在である。若干、残響が多すぎるきらいがないわけではない(とりわけ第1楽章冒頭)が、エクストンが手掛けたSACDによる優秀録音は、圧巻の高音質を誇っており、ホーネックによる精緻な名演のグレードを更にアップさせるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。なお、本盤のレビューとは直接の関係はないが、オクタヴィアに対して一言。今年に入ってから、オクタヴィアがSACD盤の発売に及び腰になりつつあるのが大いに気になるところだ。例えば、インバル&東京都響によるブルックナーの第6、ブラームスの第1、チャイコフスキーの第5などが通常盤で発売されるというのはいかがなものだろうか。私も含め、これらがSACDでないことで購入を諦めたクラシック音楽ファンが多いということをオクタヴィアは肝に銘じておくべきだ。最近では、ユニバーサルやEMI、そしてアルトゥスレーベルまでもがSACDの発売に積極的になりつつある中で、オクタヴィアのこのような消極姿勢はかかる良好な傾向に水を差すものとして大いに猛省を促しておきたいと考える。本盤のような良質な演奏を高音質SACDで販売するというオクタヴィアの基本方針に立ち返っていただくことをこの場を借りて強くお願いしておきたい。
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3 people agree with this review 2011/06/11
リストは交響詩の創始者として、管弦楽曲の分野においても多大なる貢献をしたにもかかわらず、その録音はさほど多いとは言えないのではないだろうか。リストの管弦楽曲の中でも特に有名な交響詩「前奏曲」なども、近年では新録音さえ途絶えている状況にあると言えるところであり、その人気の凋落ぶりは著しいと言わざるを得ないだろう。そのような嘆かわしい現状にはあるが、2001年に51歳の若さで急逝したシノーポリが、しかも天下のウィーン・フィルを指揮して、リストの代表的な管弦楽曲のスタジオ録音を遺してくれたのは何と言う素晴らしいことであろうか。本盤におさめられた演奏は、いずれもそのような期待をいささかも裏切られることがない素晴らしい名演と高く評価したい。本演奏におけるアプローチは、いかにも精神医学者出身で作曲家でもあるシノーポリならではのものだ。各演奏ともに、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さが際立っており、いずれの楽曲についても、その隅々に至るまで楽想がこれほどまでに明瞭に描き出された演奏は史上はじめてと言えるのではないだろうか。テンポもややゆったりとしたものであり、スケールも極めて雄大であると言える。このような細部に拘った演奏は、時として音楽の自然な流れを損なってしまう危険性があると言えるが、かかるシノーポリの精神分析的な演奏に適度の潤いと情感の豊かさを付加し、音楽がごく自然に滔々と流れるように仕向けているのが、ウィーン・フィルによる名演奏であるということも忘れてはならない。録音は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって若干ではあるが鮮明さが増すとともに、音場が幅広くなったように感じられるところである。シノーポリによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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