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Review List of つよしくん 

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     2011/09/11

    ミスターミュージック(カラヤンが悪意なくバーンスタインにつけた綽名)として、指揮者としてだけではなく作曲家としても多種多様な活動をしたバーンスタインであるが、作曲家バーンスタインの最高傑作としては、何と言っても「ウェスト・サイド・ストーリー」を掲げるというのが一般的な考え方ではないだろうか。本盤におさめられている演奏は、バーンスタインが、ブロードウェイ内外の一流のミュージシャンを特別に編成して1984年にスタジオ録音を行ったものであるが、「ウェスト・サイド・ストーリー」の演奏史上最高の超名演と高く評価したい。それは、もちろん自作自演であるということもあるが、それ以上にバーンスタインの指揮が素晴らしいと言えるだろう。バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。このような晩年の芸風に適合した楽曲としては、何よりもマーラーの交響曲・歌曲、そしてシューマンの交響曲・協奏曲が掲げられるところだ。そして、米国の作曲家による楽曲についても、そうした芸風がすべてプラスに作用した名演の数々を成し遂げていたと言えるだろう。したがって、本盤のような自作自演に至っては、バーンスタインの正に独壇場。水を得た魚のようなノリノリの指揮ぶりで、圧倒的な名演奏を繰り広げていると言える。テンポについてはおそらくは遅めのテンポなのであろうが、自作自演だけにこのテンポこそが必然ということなのであろう。そして、濃厚にして彫の深い表現は、同曲の登場人物の心象風景を鋭く抉り出していくのに大きく貢献しており、どこをとっても非の打ちどころがない完全無欠の演奏に仕上がっていると言える。独唱陣も、きわめて豪華なキャスティングになっており、とりわけマリア役のキリ・テ・カナワとトニー役のホセ・カレーラスの名唱は、本超名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。音質については、かつてマルチチャンネル付きのSACD盤で発売されていたと記憶するが、現在では入手難である。他方、抜粋版については、もともと従来盤での発売で私も当該盤を所有しており、それも十分に良好な音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、バーンスタインによる至高の超名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。そして、可能であれば、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤での発売を切に要望しておきたいと考える。

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     2011/09/11

    バーンスタインは、その晩年にウィーン・フィルとともにモーツァルトの主要な交響曲集のライヴ録音を行ったところであり、本盤におさめられた交響曲第40番及び第41番はその抜粋である。バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏もかなり行われていたように思われる。本盤の演奏においても、ゆったりとしたテンポによる熱き情感に満ち溢れた濃厚さは健在であり、例えば、これらの楽曲におけるワルターやベームの名演などと比較すると、いささか表情過多に過ぎるとも言えるところだ。もっとも、オーケストラがウィーン・フィルであることが、前述のような大仰な演奏に陥ることを救っていると言えるところであり、いささか濃厚に過ぎるとも言えるバーンスタインによる本演奏に、適度の潤いと奥行きを与えている点を忘れてはならない。近年のモーツァルトの交響曲演奏においては、古楽器奏法やピリオド楽器を使用した小編成のオーケストラによる演奏が主流となりつつある。そうした軽妙浮薄な演奏に辟易としている中で本演奏を聴くと、本演奏には血の通った温かい人間味を感じることが可能であり、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は私だけではあるまい。いずれにしても、本演奏は、近年の血の通っていない浅薄な演奏が目白押しの中にあってその存在意義は極めて大きいものであり、モーツァルトの交響曲の真の魅力を心行くまで堪能させてくれる人間味に溢れた素晴らしい名演と高く評価したい。音質は本従来盤でも十分に満足できる高音質であるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質がより鮮明になるとともに、音場がより幅広くなったように思われる。いずれにしても、バーンスタイン、そしてウィーン・フィルによる名演を、より良好なSHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。そして、バーンスタインがウィーン・フィルとともに晩年に録音した他のモーツァルトの交響曲(第25番、第29番、第35番、第36番、第38番、第39番)やクラリネット協奏曲の演奏についてもSHM−CD化していただくとともに、可能であれば、本盤も含め、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を切にお願いしておきたいと考える。

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     2011/09/11

    バーンスタインは、その晩年にウィーン・フィルとともにモーツァルトの主要な交響曲集のライヴ録音を行ったところであり、本盤におさめられた交響曲第40番及び第41番はその抜粋である。バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏もかなり行われていたように思われる。本盤の演奏においても、ゆったりとしたテンポによる熱き情感に満ち溢れた濃厚さは健在であり、例えば、これらの楽曲におけるワルターやベームの名演などと比較すると、いささか表情過多に過ぎるとも言えるところだ。もっとも、オーケストラがウィーン・フィルであることが、前述のような大仰な演奏に陥ることを救っていると言えるところであり、いささか濃厚に過ぎるとも言えるバーンスタインによる本演奏に、適度の潤いと奥行きを与えている点を忘れてはならない。近年のモーツァルトの交響曲演奏においては、古楽器奏法やピリオド楽器を使用した小編成のオーケストラによる演奏が主流となりつつある。そうした軽妙浮薄な演奏に辟易としている中で本演奏を聴くと、本演奏には血の通った温かい人間味を感じることが可能であり、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は私だけではあるまい。いずれにしても、本演奏は、近年の血の通っていない浅薄な演奏が目白押しの中にあってその存在意義は極めて大きいものであり、モーツァルトの交響曲の真の魅力を心行くまで堪能させてくれる人間味に溢れた素晴らしい名演と高く評価したい。音質は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが、音質がより鮮明になるとともに、音場がより幅広くなったように思われる。いずれにしても、バーンスタイン、そしてウィーン・フィルによる名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。そして、バーンスタインがウィーン・フィルとともに晩年に録音した他のモーツァルトの交響曲(第25番、第29番、第35番、第36番、第38番、第39番)やクラリネット協奏曲の演奏についてもSHM−CD化していただくとともに、可能であれば、本盤も含め、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を切にお願いしておきたいと考える。

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     2011/09/11

    ここ数年間は大病を経験するなど体調が思わしくなくて、ファンを焼きもきさせている小澤であるが、本盤におさめられたバルトークの最も有名な二大管弦楽曲の演奏は、小澤の体調が良かった頃(2004年)のものだ。それだけに、ライヴ録音ということもあるが、演奏全体にエネルギッシュな力感が漲っており、いずれも素晴らしい名演に仕上がっていると言える。バルトークの楽曲は、管弦楽曲にしても、協奏曲にしても、そして室内楽曲などにしても、奥行きの深い内容を含有しており、必ずしも一筋縄ではいかないような難しさがあると言える。したがって、そうした楽曲の心眼を鋭く抉り出していくような演奏も、楽曲の本質を描出する意味において効果的であるとは言える。また。その一方で、各楽曲は、ハンガリーの民謡を高度に昇華させた旋律の数々を効果的に用いるなど巧妙に作曲がなされており、それをわかりやすく紐解いていくような演奏もまた、バルトークの楽曲の演奏として十分に魅力的であるのも事実であると言える。小澤のアプローチは、明らかに後者の方であり、両曲の各楽想を精緻に、そして明朗に描き出して行くという姿勢で一貫していると言えるだろう。体調が良かった小澤ならではの躍動するようなリズム感も見事に功を奏しており、両曲をこれ以上は求め得ないほどに精密に、そしてダイナミックに描き出すことに成功したと言えるところだ。それでいて、抒情的な箇所は徹底して歌い抜くとともに、目まぐるしく変転する曲想の表情づけも実に巧みに行われており、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏に陥っていないのが素晴らしい。そして、実演における小澤ならではの、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と、前述のようなエネルギッシュな力感に溢れた強靭な生命力においてもいささかの不足はない。前述のように、かつてのライナーやムラヴィンスキー(弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽のみ)の演奏のような楽曲の心眼に切り込んだいくような鋭さは薬にしたくもないが、これら両曲のオーケストラ音楽としての魅力を存分に満喫させてくれるという意味においては、そして、これら両曲を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、素晴らしい名演と高く評価したいと考える。小澤の精緻にしてエネルギッシュな指揮の下、渾身の名演奏を繰り広げたサイトウ・キネン・オーケストラにも大きな拍手を送りたい。音質は、2004年のライヴ録音でもあり、従来盤でも十分に満足できる音質であると言えるが、数年前に発売されたマルチチャンネル付きのSACDハイブリッド盤が臨場感溢れるベストの音質であると言える。残念ながら当該SACD盤は入手難であるが、小澤による素晴らしい名演でもあり、仮に中古CD店で入手できるのであれば、多少高額でもSACD盤の購入を是非ともおすすめしておきたい。

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     2011/09/11

    ここ数年間は大病を経験するなど体調が思わしくなくて、ファンを焼きもきさせている小澤であるが、本盤におさめられたバルトークの最も有名な二大管弦楽曲の演奏は、小澤の体調が良かった頃(2004年)のものだ。それだけに、ライヴ録音ということもあるが、演奏全体にエネルギッシュな力感が漲っており、いずれも素晴らしい名演に仕上がっていると言える。バルトークの楽曲は、管弦楽曲にしても、協奏曲にしても、そして室内楽曲などにしても、奥行きの深い内容を含有しており、必ずしも一筋縄ではいかないような難しさがあると言える。したがって、そうした楽曲の心眼を鋭く抉り出していくような演奏も、楽曲の本質を描出する意味において効果的であるとは言える。また。その一方で、各楽曲は、ハンガリーの民謡を高度に昇華させた旋律の数々を効果的に用いるなど巧妙に作曲がなされており、それをわかりやすく紐解いていくような演奏もまた、バルトークの楽曲の演奏として十分に魅力的であるのも事実であると言える。小澤のアプローチは、明らかに後者の方であり、両曲の各楽想を精緻に、そして明朗に描き出して行くという姿勢で一貫していると言えるだろう。体調が良かった小澤ならではの躍動するようなリズム感も見事に功を奏しており、両曲をこれ以上は求め得ないほどに精密に、そしてダイナミックに描き出すことに成功したと言えるところだ。それでいて、抒情的な箇所は徹底して歌い抜くとともに、目まぐるしく変転する曲想の表情づけも実に巧みに行われており、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏に陥っていないのが素晴らしい。そして、実演における小澤ならではの、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と、前述のようなエネルギッシュな力感に溢れた強靭な生命力においてもいささかの不足はない。前述のように、かつてのライナーやムラヴィンスキー(弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽のみ)の演奏のような楽曲の心眼に切り込んだいくような鋭さは薬にしたくもないが、これら両曲のオーケストラ音楽としての魅力を存分に満喫させてくれるという意味においては、そして、これら両曲を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、素晴らしい名演と高く評価したいと考える。小澤の精緻にしてエネルギッシュな指揮の下、渾身の名演奏を繰り広げたサイトウ・キネン・オーケストラにも大きな拍手を送りたい。音質は、2004年のライヴ録音でもあり、従来盤でも十分に満足できる音質であると言えるが、数年前に発売されたマルチチャンネル付きのSACDハイブリッド盤が臨場感溢れるベストの音質であると言える。残念ながら当該SACD盤は入手難であるが、小澤による素晴らしい名演でもあり、仮に中古CD店で入手できるのであれば、多少高額でもSACD盤の購入を是非ともおすすめしておきたい。

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  • 7 people agree with this review
     2011/09/11

    全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団による演奏の凄さを味わうことができる圧倒的な超名演だ。セル&クリーヴランド管弦楽団は、「セルの楽器」とも呼称されるほどの鉄壁のアンサンブルを誇った名演奏の数々を展開した稀代の黄金コンビであった。すべての楽器セクションがあたかも一つの楽器のように聴こえるという精緻にして正に完璧な演奏の数々を繰り広げていたところである。もっとも、そうした完全無欠の演奏が、ある種の技量に偏ったメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であり、とりわけ1960年代の半ば頃までの演奏にはそうした演奏があまた散見されたところだ。もっとも、理由はよくわからないが、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽、そして独墺系の作曲家の中ではとりわけシューマンの音楽については、1960年代後半以降の最晩年の演奏において垣間見せた、情感豊かで柔軟性のある円熟の名演の数々を披露していたと言える。特に、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽には、ハンガリーの隣国の音楽ということもあり、深い愛着と理解を有していたと言えるのかもしれない。本盤におさめられたドヴォルザークのスラヴ舞曲全集も、実に素晴らしい圧倒的な超名演だ。いずれの楽曲も一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使した、正に完全無欠の演奏を展開しており、おそらくはオーケストラ演奏としてパーフェクトなものとさえ言えるだろう。それでいて、1962〜1965年にかけての演奏であるが、この時期のセルの欠点でもあったある種のメカニックな冷たさなどはいささかも感じさせず、どこをとってもチェコの民族色溢れる豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしい。ドヴォルザークのスラヴ舞曲全集の名演としては、クーベリック&バイエルン放送交響楽団による演奏(1973〜1974年)や、ノイマン&チェコ・フィルによる2度目の演奏(1985年)などが掲げられるが、本盤のセル&クリーヴランド管弦楽団による演奏も、これらの名演に肉薄する圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。音質は、1960年代のスタジオ録音であるものの、従来盤でも比較的良好な音質と言えるが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤はとてつもない鮮明な高音質であったところだ。セル&クリーヴランド管弦楽団による鉄壁のアンサンブルを駆使した完全無欠の演奏の凄みを味わうには望み得る最高の音質であったとさえ言える。もっとも、当該SACD盤は現在では入手難であるが、仮に中古CD店で入手できるのであれば、多少高額であったとしても、当該SACD盤の購入を是非ともおすすめしておきたい。

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  • 4 people agree with this review
     2011/09/11

    全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団による演奏の凄さを味わうことができる圧倒的な超名演だ。セル&クリーヴランド管弦楽団は、「セルの楽器」とも呼称されるほどの鉄壁のアンサンブルを誇った名演奏の数々を展開した稀代の黄金コンビであった。すべての楽器セクションがあたかも一つの楽器のように聴こえるという精緻にして正に完璧な演奏の数々を繰り広げていたところである。もっとも、そうした完全無欠の演奏が、ある種の技量に偏ったメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であり、とりわけ1960年代の半ば頃までの演奏にはそうした演奏があまた散見されたところだ。もっとも、理由はよくわからないが、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽、そして独墺系の作曲家の中ではとりわけシューマンの音楽については、1960年代後半以降の最晩年の演奏において垣間見せた、情感豊かで柔軟性のある円熟の名演の数々を披露していたと言える。特に、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽には、ハンガリーの隣国の音楽ということもあり、深い愛着と理解を有していたと言えるのかもしれない。本盤におさめられたドヴォルザークのスラヴ舞曲全集も、実に素晴らしい圧倒的な超名演だ。いずれの楽曲も一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使した、正に完全無欠の演奏を展開しており、おそらくはオーケストラ演奏としてパーフェクトなものとさえ言えるだろう。それでいて、1962〜1965年にかけての演奏であるが、この時期のセルの欠点でもあったある種のメカニックな冷たさなどはいささかも感じさせず、どこをとってもチェコの民族色溢れる豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしい。ドヴォルザークのスラヴ舞曲全集の名演としては、クーベリック&バイエルン放送交響楽団による演奏(1973〜1974年)や、ノイマン&チェコ・フィルによる2度目の演奏(1985年)などが掲げられるが、本盤のセル&クリーヴランド管弦楽団による演奏も、これらの名演に肉薄する圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。音質は、1960年代のスタジオ録音であるものの、従来盤でも比較的良好な音質と言えるが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤はとてつもない鮮明な高音質であったところだ。セル&クリーヴランド管弦楽団による鉄壁のアンサンブルを駆使した完全無欠の演奏の凄みを味わうには望み得る最高の音質であったとさえ言える。もっとも、当該SACD盤は現在では入手難であるが、仮に中古CD店で入手できるのであれば、多少高額であったとしても、当該SACD盤の購入を是非ともおすすめしておきたい。

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     2011/09/10

    本盤には、デュメイがピリスと組んでスタジオ録音を行った、フランク及びドビュッシーのヴァイオリンソナタ、そしてラヴェルのツィガーヌ等といった、フランスを代表するヴァイオリン曲がおさめられている。いずれも、至高の超名演と高く評価したい。デュメイのヴァイオリン演奏は超個性的だ。持ち前の超絶的な技巧をベースに、緩急自在のテンポ設定、思い切った強弱の変化、心を込め抜いた節回しや時として若干のアッチェレランドなどを交えつつ、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした演奏を展開しており、その情感豊かで伸びやかな表現は自由奔放で、なおかつ即興的と言ってもいいくらいのものである。楽曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や生命力にも申し分のないような力強さが漲っており、かかる強靭さや繊細な抒情に至るまで、表現力の幅は桁外れに広いと言える。また、各フレーズに込められたフランス風のエスプリ漂う美しい情感は、いかにもフランス人ヴァイオリニストならでは瀟洒な味わいに満ち溢れており、デュメイの自由奔放とも言うべき即興的な超個性的演奏に、気品と格調の高さを付加しているのを忘れてはならない。そして、このようなデュメイの個性的なヴァイオリン演奏をうまく下支えしているのがピリスのピアノ演奏であると言える。ピリスのアプローチは、各楽曲のフランス風の詩情に満ち溢れた旋律の数々を、瑞々しささえ感じさせるような透明感溢れるタッチで美しく描き出していくというものだ。その演奏は純真無垢とさえ言えるものであり、世俗の穢れなどはいささかも感じさせず、あたかも純白のキャンバスに水彩画を描いていくような趣きさえ感じさせると言えるだろう。もちろん、柔和な表情を見せるのみならず、重厚な強靭さにおいてもいささかも不足はなく、いい意味での剛柔バランスのとれた名演奏を行っていると評価したい。そして、このようなデュメイのヴァイオリンとピリスのピアノという両者の極上の名演奏が見事に融合した結果、おそらくは本盤におさめられた各楽曲の演奏史上最も格調が高く、そしてフランス風のエスプリ漂う美しさの極みとも言うべき至高の超名演を成し遂げるに至ったのだと考える。音質は本従来盤でも十分に満足できる高音質であるが、先日発売されたSHM−CD盤は、デュメイのヴァイオリンの弓使いやピリスのピアノタッチがより鮮明に再現されるとともに、音場が幅広くなったように思われる。デュメイ、そしてピリスによる至高の超名演をできるだけ良好な音質で味わいたいという方には、SHM−CD盤の方の購入をおすすめしておきたい。

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     2011/09/10

    本盤には、デュメイがピリスと組んでスタジオ録音を行った、フランク及びドビュッシーのヴァイオリンソナタ、そしてラヴェルのツィガーヌ等といった、フランスを代表するヴァイオリン曲がおさめられている。いずれも、至高の超名演と高く評価したい。デュメイのヴァイオリン演奏は超個性的だ。持ち前の超絶的な技巧をベースに、緩急自在のテンポ設定、思い切った強弱の変化、心を込め抜いた節回しや時として若干のアッチェレランドなどを交えつつ、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした演奏を展開しており、その情感豊かで伸びやかな表現は自由奔放で、なおかつ即興的と言ってもいいくらいのものである。楽曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や生命力にも申し分のないような力強さが漲っており、かかる強靭さや繊細な抒情に至るまで、表現力の幅は桁外れに広いと言える。また、各フレーズに込められたフランス風のエスプリ漂う美しい情感は、いかにもフランス人ヴァイオリニストならでは瀟洒な味わいに満ち溢れており、デュメイの自由奔放とも言うべき即興的な超個性的演奏に、気品と格調の高さを付加しているのを忘れてはならない。そして、このようなデュメイの個性的なヴァイオリン演奏をうまく下支えしているのがピリスのピアノ演奏であると言える。ピリスのアプローチは、各楽曲のフランス風の詩情に満ち溢れた旋律の数々を、瑞々しささえ感じさせるような透明感溢れるタッチで美しく描き出していくというものだ。その演奏は純真無垢とさえ言えるものであり、世俗の穢れなどはいささかも感じさせず、あたかも純白のキャンバスに水彩画を描いていくような趣きさえ感じさせると言えるだろう。もちろん、柔和な表情を見せるのみならず、重厚な強靭さにおいてもいささかも不足はなく、いい意味での剛柔バランスのとれた名演奏を行っていると評価したい。そして、このようなデュメイのヴァイオリンとピリスのピアノという両者の極上の名演奏が見事に融合した結果、おそらくは本盤におさめられた各楽曲の演奏史上最も格調が高く、そしてフランス風のエスプリ漂う美しさの極みとも言うべき至高の超名演を成し遂げるに至ったのだと考える。音質は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、デュメイのヴァイオリンの弓使いやピリスのピアノタッチがより鮮明に再現されるとともに、音場が幅広くなったように思われる。いずれにしても、デュメイ、そしてピリスによる至高の超名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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     2011/09/10

    これは素晴らしい超名演だ。このうち、ラプソディ・イン・ブルーについてはバーンスタインによる旧盤(1958年)との優劣を比較することは困難を極めるが、それ以外の諸曲については、それぞれの楽曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。本盤におさめられた楽曲はいずれも米国の作曲家によるものであり、それだけにバーンスタインの晩年の芸風がいずれもプラスに作用していると言えるのではないだろうか。ガーシュウィンのラプソディー・イン・ブルーについては、とてつもない超名演であった旧盤(1958年)と比較すると、テンポが遅くなるとともに濃厚な表情づけがなされていると言えるが、同曲特有の軽快なリズム感においてはいささかも損なっておらず、いい意味での円熟の名演に仕上がっていると言えるところであり、旧盤との優劣は容易にはつけられないのではないかと考えられる。コープランドの2曲については、バーンスタインとしても自家薬篭中の作品であり、あたかも水を得た魚のような生命力溢れる力強さと濃厚な表情づけがうまくミックスされた素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。その演奏の彫の深さなどを考慮すれば、今後ともこれ以上の演奏を成し遂げるのは困難を極めると言えるだろう。バーバーの弦楽のためのアダージョは、おそらくは同曲演奏史上最も遅いテンポをとっているのではないかとも考えられるが、その濃厚で彫の深い表現は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある名演であると言える。そして、自作自演でもある「キャンディード」序曲に至っては、正にバーンスタインの独壇場。同曲特有の躍動するようなリズム感と彫の深い濃厚さが一体となった稀有の名演と言えるだろう。音質については、従来盤でも十分に良好なものであったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。バーンスタインによる至高の超名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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     2011/09/10

    これは素晴らしい超名演だ。ショスタコーヴィチの交響曲第4番には、ラトル&バーミンガム市交響楽団による名演(1994年)、チョン・ミュンフン&フィラデルフィア管弦楽団による名演(1994年)があるが、本演奏もそれらとともに三強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。同曲は、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも最も大胆極まりない書法で作曲されていると言える。冒頭の強烈な不協和音による主題の後は、多種多様な旋律が貨物列車のように連続して連なっており、終楽章の終結部において冒頭の主題が再現されるまでは殆ど脈略がないとさえ言えるほどの複雑怪奇な曲想であると言える。ショスタコーヴィチは、第5番以降の交響曲においては、表向きは旧ソヴィエト連邦政府当局の意向に従って、できるだけ分かり易い作風にするようにつとめたことから、ある意味では第4番こそは、ショスタコーヴィチが自らの才能の赴くままに自由に作曲することができた交響曲と言えるのかもしれない。耳をつんざくような不協和音やブラスセクションの咆哮、霧のような弱音による旋律の繊細さなど、目まぐるしく曲想が変化する同曲にショスタコーヴィチが込めたメッセージを汲み取ることは困難ではあるが、スターリンによる大粛清が行われ、ショスタコーヴィチの知人にも処刑の魔の手が迫っていた中で作曲されたことに鑑みれば、死と隣り合わせの粛清への恐怖や粛清された者への鎮魂、そして独裁者スターリンへの怒りなどが盛り込まれていることは十分に想像できるところだ。したがって、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの演奏では、とても同曲の本質を描き出すことができないことは自明の理であると言えるだろう。本演奏も含めた前述の3強を占める演奏は、いずれも同曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みがあると言えるところだ。私なりに、この3つの名演の性格の違いを述べるとすれば、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力を有しているのはラトル盤、ラトルの表現をわずかではあるが抑制的にするとともに、演奏全体の造型をより堅固に構築したのがミュンフン盤、そして、本盤のゲルギエフによる演奏は、ミュンフン盤と同様にラトルの表現を若干抑制的にしつつ、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻な表現が施された演奏と言えるのではないだろうか。あたかも、ゲルギエフが指揮する際のこまやかな指の動きを彷彿とさせるかのように、楽曲の細部に至るまで入念かつ精緻に表現し尽くしているとも言えるところであり、他の演奏では聴くことが困難な音型をも聴くことが可能なのも本演奏の大きなアドバンテージと言えるであろう。いずれにしても3強の演奏はいずれも同格の超名演であり、優劣を付けるのは困難であるが、本演奏が有利な点が一つだけ存在している。それは、3強の中で唯一本演奏だけは、マルチチャンネル付きのSACDハイブリッド盤で発売されているということである。マルチチャンネル付きのSACDによる臨場感溢れる高音質によって、精緻なゲルギエフの演奏の魅力をより一層深く味わうことが可能になったとも言える。もっとも当該SACD盤は入手難であるが、同曲の3強の一角を占める超名演でもあり、仮に中古CD店で入手できるのであれば、多少高額でもSACD盤の入手をおすすめしておきたいと考える。

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     2011/09/10

    これは素晴らしい超名演だ。ショスタコーヴィチの交響曲第4番には、ラトル&バーミンガム市交響楽団による名演(1994年)、チョン・ミュンフン&フィラデルフィア管弦楽団による名演(1994年)があるが、本演奏もそれらとともに三強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。同曲は、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも最も大胆極まりない書法で作曲されていると言える。冒頭の強烈な不協和音による主題の後は、多種多様な旋律が貨物列車のように連続して連なっており、終楽章の終結部において冒頭の主題が再現されるまでは殆ど脈略がないとさえ言えるほどの複雑怪奇な曲想であると言える。ショスタコーヴィチは、第5番以降の交響曲においては、表向きは旧ソヴィエト連邦政府当局の意向に従って、できるだけ分かり易い作風にするようにつとめたことから、ある意味では第4番こそは、ショスタコーヴィチが自らの才能の赴くままに自由に作曲することができた交響曲と言えるのかもしれない。耳をつんざくような不協和音やブラスセクションの咆哮、霧のような弱音による旋律の繊細さなど、目まぐるしく曲想が変化する同曲にショスタコーヴィチが込めたメッセージを汲み取ることは困難ではあるが、スターリンによる大粛清が行われ、ショスタコーヴィチの知人にも処刑の魔の手が迫っていた中で作曲されたことに鑑みれば、死と隣り合わせの粛清への恐怖や粛清された者への鎮魂、そして独裁者スターリンへの怒りなどが盛り込まれていることは十分に想像できるところだ。したがって、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの演奏では、とても同曲の本質を描き出すことができないことは自明の理であると言えるだろう。本演奏も含めた前述の3強を占める演奏は、いずれも同曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みがあると言えるところだ。私なりに、この3つの名演の性格の違いを述べるとすれば、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力を有しているのはラトル盤、ラトルの表現をわずかではあるが抑制的にするとともに、演奏全体の造型をより堅固に構築したのがミュンフン盤、そして、本盤のゲルギエフによる演奏は、ミュンフン盤と同様にラトルの表現を若干抑制的にしつつ、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻な表現が施された演奏と言えるのではないだろうか。あたかも、ゲルギエフが指揮する際のこまやかな指の動きを彷彿とさせるかのように、楽曲の細部に至るまで入念かつ精緻に表現し尽くしているとも言えるところであり、他の演奏では聴くことが困難な音型をも聴くことが可能なのも本演奏の大きなアドバンテージと言えるであろう。いずれにしても3強の演奏はいずれも同格の超名演であり、優劣を付けるのは困難であるが、本演奏が有利な点が一つだけ存在している。それは、3強の中で唯一本演奏だけは、マルチチャンネル付きのSACDハイブリッド盤で発売されているということである。マルチチャンネル付きのSACDによる臨場感溢れる高音質によって、精緻なゲルギエフの演奏の魅力をより一層深く味わうことが可能になったとも言える。もっとも当該SACD盤は入手難であるが、同曲の3強の一角を占める超名演でもあり、仮に中古CD店で入手できるのであれば、多少高額でもSACD盤の入手をおすすめしておきたいと考える。

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     2011/09/10

    本盤には、ブーレーズが指揮したストラヴィンスキーの三大バレエ音楽のうち、「春の祭典」と「ペトルーシュカ」がおさめられている。このうち、「春の祭典」については、様々な指揮者による同曲の演奏史上でも今なおトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。ブーレーズは、同曲を本演奏も含め3度に渡って録音を行っている。最初の録音はフランス国立放送交響楽団との演奏(1964年)であり、クリーヴランド管弦楽団との本演奏(1969年)が続き、そしてDGへの録音となった同じくクリーヴランド管弦楽団との演奏(1991年)が存在している。このうち、最初の1964年盤については、圧倒的な名演との評価がなされてはいるものの一般配布されていなかったこともあって現在でも入手難。3度目の1991年盤は、一般論としては立派な名演と言えるのではないかと考えられる。もっとも、ブーレーズの芸風は、1990年代に入ってDGに自らのレパートリーを再録音するようになってからは、かつての前衛的なアプローチが影を潜め、すっかりと好々爺となり、比較的オーソドックスな演奏をするようになってきたように思われる。もちろん、スコアリーディングについてはより鋭さを増しているものと思われるが、当該指揮によって生み出される音楽は比較的親しみやすいものに変容しており、これはまさしくブーレーズの円熟のなせる業ということになるのではないだろうか。したがって、立派な円熟の名演ということには間違いないが、いわゆる普通の演奏になってしまっているとも言えるところであり、ブーレーズならではの強烈な個性が随分と失われてきていると言えるのではないかと思われる。これに対して、本演奏は徹頭徹尾、ブーレーズならではの個性が全開の快演であると言える。思い切った強弱の変化や切れ味鋭い強烈なリズムを駆使するなど、これ以上は求め得ないような斬新な解釈を施すことによって、ストラヴィンスキーによる難解な曲想を徹底的に鋭く抉り出しており、その演奏のあまりの凄まじさには戦慄を覚えるほどである。これほどの先鋭的な解釈が施されたのは、おそらくは同曲演奏史上でも空前にして絶後であり、ブーレーズによる本演奏によってはじめて、同曲が完全に音化されたと言っても過言ではあるまい。ブーレーズの凄みのある指揮の下、一糸乱れぬアンサンブルで最高の演奏を繰り広げたクリーヴランド管弦楽団にも大いに拍手を送りたい。このような豪演を聴いていると、セル時代の全盛期のクリーヴランド管弦楽団の鉄壁のアンサンブルと超絶的な技量の凄さをあらためて認識させられるところだ。「ペトルーシュカ」については、ブーレーズによる同曲の2度の録音のうち、本演奏は最初のものとなる。二度目のクリーヴランド管弦楽団との演奏(DG)(1991年)が、「春の祭典」の場合と同様に、いわゆるノーマルな名演になっているのに対して、本演奏は正に若き日の脂が乗り切ったブーレーズならではの先鋭的な超名演。これほど楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻な表現が施された演奏は比類がないと言えるところであり、「春の祭典」と同様に、ブーレーズによる本演奏によってはじめて、同曲が完全に音化されたと言っても過言ではあるまい。ブーレーズは、当時ニューヨーク・フィルの音楽監督に就任して間もない頃であったが、ニューヨーク・フィルもブーレーズの指揮にしっかりと応え、持ち得る実力を十二分に発揮した最高の演奏を披露しているのが素晴らしい。録音については、従来盤でも比較的良好な音質であったが、「春の祭典」については、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤が驚天動地の衝撃的な高音質であった。当該SACD盤は通常のボリュームで聴いても部屋が吹っ飛んでしまうようなとてつもない音圧であり、その圧倒的な超高音質に完全にノックアウトされてしまうことは必定である。当該SACD盤は現在では入手難であるが、ブーレーズによる衝撃的な超名演を味わうには不可欠のSACD盤であり、早急な再発売を大いに求めておきたいと考える。現在では、「ペトルーシュカ」も含めBlu-spec-CD盤がベストの音質と言うことになるが、前述の「春の祭典」のSACD盤の衝撃的な高音質を一度知ってしまうと、いささか物足りないと言えなくもないところである。

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     2011/09/10

    本盤には、ムターとオーキスが1998年に行ったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲録音(ライヴ録音)から有名な2曲を抜粋したものである。かつては巨匠カラヤンの指導の下、10代でデビューしたムターは、カラヤン&ベルリン・フィルという土俵の上で懸命な演奏を行っていたところであるが、1989年にカラヤンが鬼籍に入った後の1990年代に入ってからはその素質や個性を大きく開花させ、個性的な演奏の数々を披露するようになったところである。ムターのヴァイオリン演奏は、他の多くの女流ヴァイオリニストのように抒情的な繊細さや優美さで勝負するものではない。一部の女流ヴァイオリニストによる演奏において聴かれるような線の細さなどはいささかも感じさせることはなく、常に骨太で明朗な音楽の構築につとめているようにも感じられるところだ。もっとも、かような明朗さを旨とする演奏にはいささか陰影に乏しいと言えなくもないが、ムターの年齢を考えるとあまり贅沢は言えないのではないかとも考えられる。本演奏においても、そうした骨太で明朗な音楽づくりは健在であり、加えて、心を込め抜いた熱きロマンティシズムや変幻自在のテンポの変化、思い切った強弱の付加など、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を繰り広げていると言える。それでいて、お涙頂戴の感傷的な哀嘆調に陥ることは薬にしたくもなく、常に格調の高さをいささかも失うことがないのがムターのヴァイオリン演奏の最良の美質であり、これはムターの類稀なる豊かな音楽性の賜物であると考えられるところだ。加えて、卓越した技量においても申し分がないところであるが、ムターの場合は巧さを感じさせることがなく、いわゆる技巧臭よりも音楽そのものの美しさのみが際立っているのが素晴らしいと言える。また、ライヴ録音ということもあって、各楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出てくるような熱い生命力においてもいささかの不足はないところだ。このようなムターによる卓越したヴァイオリン演奏の引き立て役として、オーキスによるピアノ演奏も理想的であると言えるところであり、いずれにしても本演奏は、ムターによる円熟の個性的なヴァイオリン演奏を味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。音質は1998年のライヴ録音ではあるが十分に満足できるものであると言える。本SHM−CD盤もなかなかの良好な音質ではあるが、数年前に発売されたマルチチャンネル付きのSACDハイブリッド盤は更に素晴らしい高音質であり、その臨場感溢れる高音質は、ムターのヴァイオリン演奏の素晴らしさを心行くまで味わうのに十分であると言える。従来盤や本SHM−CD盤と比較するとやや高額ではあるが、これから購入されるという方には、当該SACD盤の方の購入を是非ともおすすめしておきたいと考える。

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     2011/09/10

    本盤には、ムターとオーキスが1998年に行ったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲録音(ライヴ録音)から有名な2曲を抜粋したものである。かつては巨匠カラヤンの指導の下、10代でデビューしたムターは、カラヤン&ベルリン・フィルという土俵の上で懸命な演奏を行っていたところであるが、1989年にカラヤンが鬼籍に入った後の1990年代に入ってからはその素質や個性を大きく開花させ、個性的な演奏の数々を披露するようになったところである。ムターのヴァイオリン演奏は、他の多くの女流ヴァイオリニストのように抒情的な繊細さや優美さで勝負するものではない。一部の女流ヴァイオリニストによる演奏において聴かれるような線の細さなどはいささかも感じさせることはなく、常に骨太で明朗な音楽の構築につとめているようにも感じられるところだ。もっとも、かような明朗さを旨とする演奏にはいささか陰影に乏しいと言えなくもないが、ムターの年齢を考えるとあまり贅沢は言えないのではないかとも考えられる。本演奏においても、そうした骨太で明朗な音楽づくりは健在であり、加えて、心を込め抜いた熱きロマンティシズムや変幻自在のテンポの変化、思い切った強弱の付加など、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を繰り広げていると言える。それでいて、お涙頂戴の感傷的な哀嘆調に陥ることは薬にしたくもなく、常に格調の高さをいささかも失うことがないのがムターのヴァイオリン演奏の最良の美質であり、これはムターの類稀なる豊かな音楽性の賜物であると考えられるところだ。加えて、卓越した技量においても申し分がないところであるが、ムターの場合は巧さを感じさせることがなく、いわゆる技巧臭よりも音楽そのものの美しさのみが際立っているのが素晴らしいと言える。また、ライヴ録音ということもあって、各楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出てくるような熱い生命力においてもいささかの不足はないところだ。このようなムターによる卓越したヴァイオリン演奏の引き立て役として、オーキスによるピアノ演奏も理想的であると言えるところであり、いずれにしても本演奏は、ムターによる円熟の個性的なヴァイオリン演奏を味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。音質は1998年のライヴ録音ではあるが十分に満足できるものであると言える。SHM−CD盤もなかなかの良好な音質ではあるが、数年前に発売された本マルチチャンネル付きのSACDハイブリッド盤は更に素晴らしい高音質であり、その臨場感溢れる高音質は、ムターのヴァイオリン演奏の素晴らしさを心行くまで味わうのに十分であると言える。従来盤やSHM−CD盤と比較するとやや高額ではあるが、これから購入されるという方には、本SACD盤の方の購入を是非ともおすすめしておきたいと考える。

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