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Review List of つよしくん 

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     2011/05/25

    本盤にはシューベルトの室内楽曲の中でもとりわけ有名なピアノ五重奏曲「ます」と弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」がおさめられており、いずれも素晴らしい名演と評価し得るところであるが、とりわけユニークなのは、ピアノ五重奏曲「ます」と言えるのではないだろうか。というのも、同曲の演奏に際しては、既存の弦楽四重奏団が名のあるピアニストを招聘して行うのが主流であると言えるからである。本演奏の場合は、ウィーン・フィルやベルリン・フィルのトップ奏者に、専業指揮者であるレヴァインによるピアノが加わるという、ある意味では極めて珍しい組み合わせと言えるであろう。本演奏においては、ヘッツェルやクリストなどの弦楽合奏の美しさは言うまでもないところであるが、何と言ってもレヴァインのピアノが素晴らしい。私も、聴く前はその体躯を活かした大味な演奏をするのかと思っていたがさにあらず、繊細にして清澄な美しさに満ち溢れた情感豊かな演奏を披露してくれていると言える。前述の弦楽奏者との相性も抜群であり、ピアニストも含めた各奏者の息の合った絶妙のハーモニーの美しさにおいては、同曲の他の名演にもいささかも引けを取っていない素晴らしい名演と高く評価したい。弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」は、いかにもハーゲン弦楽四重奏団ならではの情感豊かな演奏であるが、同曲特有の劇的でドラマティックな表現においてもいささかの不足はない。音質は、従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質はピアノのタッチや弦楽の弓使いまでがさらに鮮明に再現されるようになったところであり、音場も若干ではあるが幅広くなったように思われる。いずれにしても、このようなシューベルトによる室内楽曲の名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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     2011/05/24

    クラリネット五重奏曲の二大名曲であるモーツァルト及びブラームスによる同曲の組み合わせは、カプリングの定番とも言うべきものであり、古くはウラッハ盤をはじめライスター、プリンツ、最近でのマイヤーなどに至るまで、錚々たるクラリネット奏者によって数多くの演奏・録音が行われてきた。したがって、これら海千山千のクラリネット奏者による数々の名演の中で存在感を発揮するのは並大抵の演奏では困難であると言えるが、本盤におさめられたシフリンによる演奏は、エマーソン弦楽四重奏団による名サポートも得て、その音楽性の豊かさにおいて十分に存在感のある名演に仕上がっていると高く評価したい。シフリンのクラリネットの魅力は、卓越したテクニックはさることながら、その明瞭で腰の据わった音色ということになるであろう。高音から低音に至るまで芯が一本通った力強さが漲っており、いかなる再弱音に至っても曖昧模糊としたところがないのが素晴らしい。他方、モーツァルトによる同曲に込められた晩年の寂寥感や悲哀感、ブラームスによる同曲に込められた孤独な独身男性の孤独感などもその明瞭な音色から滲み出てきており、表現力においてもいささかも不足はなく、いい意味での剛柔バランスのとれた重厚な演奏が持ち味と言える。なお、シフリンには、本盤の約10年前の1984年にもチェンバー・ミュージック・ノースウェストと組んでモーツァルトのクラリネット五重奏曲を録音しているが(デロス)、円熟味といい、演奏の彫の深さといい、断然本演奏の方を上位に掲げたい。エマーソン弦楽四重奏団も、シフリンの明瞭かつ表情豊かで重厚なクラリネットをしっかりと支えつつ、おそらくは両曲の演奏としてもトップの座を争うような最美の演奏を展開しているのが素晴らしい。録音は、従来盤でも十分に満足できる音質ではあったが、今般のSHM−CD化によって音質がさらに鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。シフリン&エマーソン弦楽四重奏団による至高の名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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  • 5 people agree with this review
     2011/05/23

    近年ではモーツァルトの楽曲の演奏においても、ピリオド楽器の使用や現代楽器を使用した古楽器奏法などが主流になりつつある。確かに、モーツァルトの時代の演奏様式を再現することは歴史的には意義の大きいことであると言えるが、芸術的な感動を与えてくれる演奏というのは果たしてどの程度あるのであろうか。著名な音楽評論家が推奨する演奏ですら、浅薄でとても聴くに堪えないものも散見されるところであり、私見では、かかるピリオド楽器の使用や現代楽器を使用した古楽器奏法による芸術的な名演というのはほんの一握りではないかと考えている。クラシック音楽ファンにとっては、芸術的な感動を与えてくれる演奏であればそれで十分であり、音楽学者の学問的な関心などどうでもいいのである。本盤におさめられたモーツァルトのレクイエムは、ピリオド楽器の使用や古楽器奏法などの近年の演奏様式に一切背を向けた、大編成のオーケストラを活用した壮麗な演奏だ。近年の古楽器奏法やピリオド楽器による軽妙な演奏に慣れた耳でこのような演奏を聴くと、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになるのは私だけではあるまい。そして演奏内容も素晴らしい。このような演奏を聴いていると、あらためてティーレマンが次代を担う独墺系指揮者として将来を嘱望されている理由がよく理解できるところだ。独墺系指揮者ならではの堅固な造型の下、重厚にして壮麗な演奏を行っているところであり、オーケストラと合唱とのバランスも絶妙。これはオペラ指揮者を軸足とする独墺系指揮者の伝統を受け継ぐティーレマンならではの至芸であると言える。独唱陣はいずれも素晴らしい歌唱を披露しており、ティーレマンの確かな統率の下、ミュンヘン・フィルやバイエルン放送合唱団も最高のパフォーマンスを示していると言える。録音は、ライヴ録音であるにもかかわらず、従来盤でも十分に満足できる音質を誇っていたが、今般のSHM−CD化によってさらに鮮明さを増すとともに、音場が幅広くなったと言える。現代を代表するモーツァルトのレクイエムの名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 4 people agree with this review
     2011/05/22

    アバドはレパートリーがきわめて広範であるために、一般的にはそのような認識がなされているとは必ずしも言い難いが、いわゆるマーラー指揮者と評しても過言ではないのではないだろうか。マーラーの交響曲全集を一度、オーケストラや録音時期が異なるなど不完全な形ではあるが完成させているし、その後も継続して様々な交響曲の録音を繰り返しているからだ。ライバルのムーティが第1番しか録音していないのと比べると、その録音の多さには際立ったものがあり、こうした点にもアバドのマーラーに対する深い愛着と理解のほどが感じられるところである。アバドのマーラー演奏の特徴を一言で言えば、持ち味の豊かな歌謡性ということになるのではないか。マーラーの長大な交響曲を演奏するに当たって、アバドの演奏はどこをとっても豊かな歌心に満ち溢れていると言える。したがって、マーラー特有の随所に炸裂する不協和音や劇的な箇所においても歌謡性を失うことがいささかもなく、踏み外しを行ったりするなど極端な表現を避けているように思われるところである。もっとも、アバドもベルリン・フィルの芸術監督に就任するまでの間にシカゴ交響楽団などと録音された演奏では、持ち前の豊かな歌謡性に加えて、生命力溢れる力感と気迫に満ち溢れた名演の数々を成し遂げていた。しかしながら、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は借りてきた猫のように大人しい演奏が多くなり、とりわけ大病を克服するまでの間に演奏された第5番は、物足りなさ、踏込み不足を感じさせる演奏であったとも言える。しかしながら、大病にかかる直前、そして大病降伏後の演奏では、豊かな歌謡性に加えて、楽曲の心眼に鋭く踏み込んでいくような彫の深さが加わったと言えるところであり、特に、ベルリン・フィルとの第3番、第4番、第6番、第7番及び第9番、ルツェルン祝祭管との第2番は圧倒的な名演に仕上がっていると言える。本盤におさめられた第1番は、ベルリン・フィルの芸術監督就任直前のアバドによる演奏だ。彫の深さといった側面ではいささか物足りないという気がしないでもないが、楽曲がマーラーの青雲の志を描いた初期の第1番であるだけに、かかる欠点は殆ど目立つことなく、持ち前の豊かな歌謡性が十分に活かされた素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。これほどまでに、歌心に満ち溢れるとともに情感の豊かさを湛えている同曲の演奏は類例を見ないところであり、バーンスタインやテンシュテットなどの劇的な演奏に食傷気味の聴き手には、清新な印象を与える名演であると言っても過言ではあるまい。新しい芸術監督に対して最高の演奏で応えたベルリン・フィルに対しても大いに拍手を送りたい。録音は従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によってさらに鮮明な音質に生まれ変わった。アバドによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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  • 5 people agree with this review
     2011/05/22

    アバドはブラームスの楽曲を数多く指揮しており、交響曲や管弦楽曲、協奏曲、声楽曲などあらゆる分野の楽曲の演奏・録音を行っているが、アバドの芸風に符号した楽曲も多いこともあって、少なくともベートーヴェンよりは多くの名演を遺していると言えるのではないだろうか。そうしたアバドによる数あるブラームスの楽曲の名演の中でもトップの座を争うのは、ブレンデルと組んだピアノ協奏曲第1番(1986年)と本盤におさめられたハンガリー舞曲集ではないかと考えている。本ハンガリー舞曲集については、ブラームスが生誕150年を迎えるのを記念して録音が行われたものであるが、古今東西の指揮者による同曲の多種多様な演奏の中でも、フィッシャー&ブダペスト祝祭管による名演(1998年(旧盤(1985年)も名演であるが、どちらを上位にするかは議論の余地があるところだ。))と双璧を成す至高の超名演と高く評価したい。本演奏においては、何よりもアバドの指揮が素晴らしい。この当時のアバドは次代を担う気鋭の指揮者として、ロンドン交響楽団などと素晴らしい名演の数々を行っていた時代である。ここでも、そのような気鋭の指揮者アバドならではの生命力溢れる力強さとともに、豊かな歌謡性に満ち溢れた快演に仕上がっていると言える。確かに、本演奏には、前述のフィッシャー盤のような民族色の濃さは感じられないが、豊かな音楽性や歌謡性、そして湧き立つような躍動感においては、ハンガリー舞曲集の演奏としていささかも不足はないと言えるだろう。このようなアバドとともに、豊穣な美しさを誇る名演奏を繰り広げたウィーン・フィルにも大きな拍手を送りたい。本名演の成功の半分はアバドの指揮によるものであるが、ウィーン・フィルの優美にして豊麗な響きも、本演奏に独特の魅力や味わい深さを付加していることを忘れてはならない。録音は、従来盤でも十分に満足し得る音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質がより鮮明になるとともに、音場が広がったように思われる。アバド&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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  • 2 people agree with this review
     2011/05/22

    本盤におさめられた弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽は、正に強烈無比な演奏と言える。本演奏でのライナーのアプローチは、やや早めのテンポで曲想を描き出しているが、全体として引き締まった音楽が特徴であり、飾り気がいささかもないいわば辛口の演奏で一貫しているとさえ言える。そして、演奏全体に漲っている気迫や張り詰めた緊迫感には尋常ならざるものがあると言えるところであり、我々聴き手も本演奏の始まりから終わりまで手に汗握るような緊張感を強いられるほどだ。もっとも、このように強烈無比な演奏とは言っても、決していわゆる血も涙もない演奏には陥っていない。一聴すると素っ気ない表情の各フレーズの端々から聴き取ることが可能な奥深い情感は、抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところである。古今東西の指揮者による同曲の演奏の中でも、これほどまでに楽曲の心眼に鋭く踏み込んだ彫の深い演奏を行ったものは、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル(1965年)以外には類例を見ないところであり、ムラヴィンスキー盤の音質がいささか良好とは言い難いことを考慮に入れると、本演奏こそは、同曲のあらゆる名演に冠絶する至高の超名演との評価をするのにいささかも躊躇するものではない。ライナーによる確かな統率の下、素晴らしい演奏を成し遂げたシカゴ交響楽団による超絶的な技量も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。併録の5つのハンガリー・スケッチは、民謡の採取に生涯をかけたバルトークならではの比較的親しみやすい民族色溢れる名作であるが、ここでは、ライナー&シカゴ交響楽団が弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽とは別人のような温もりのある演奏を繰り広げているのが素晴らしい。これだけの超名演だけに、これまでSACD化やXRCD化など高音質化への取組がなされているが、私としてはXRCD盤、それも数年前に発売されたSHM−CD仕様によるXRCD盤の方をより上位に置きたいと考える。今から50年以上も前のスタジオ録音であるが、SHM−CD&XRCD化によってきわめて鮮明な音質に蘇ったところである。現在ではSHM−CD&XRCD盤は廃盤ではあるが、ライナーによる超名演でもあり、今後再発売をしていただくことをこの場を借りて大いに望んでおきたい。

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  • 6 people agree with this review
     2011/05/22

    バルトークの最晩年の傑作である管弦楽のための協奏曲にはこれまで多数の録音がなされ、その中には名演との評価がなされているものも数多く存在している。そのような中で、録音から50年以上が経過してもなお、これまでの同曲のすべての名演に冠絶する至高の超名演こそは、本盤におさめられたライナーによる演奏であると考える。本演奏におけるライナーのアプローチは、テンポは幾分早めであり、全体として引き締まった筋肉質の演奏であると言える。他の指揮者による演奏が、聞かせどころのツボを心得たわかりやすい表情づけを随所に施しているのに対して、ある意味ではいささかも微笑まない辛口の演奏で一貫しているとさえ言えるほどだ。しかしながら、演奏全体に漲っている気迫や張り詰めた緊張感には尋常ならざるものがあり、我々聴き手の心胆を寒からしめるのに十分なものがあると言える。また、一聴とすると何の飾り気もない各フレーズの随所から滲み出してくるような奥深い情感には、抗し難い魅力が満ち溢れていると言えるところである。これは、ライナーの同曲への深い理解や愛着とともに、同曲に込められたバルトークの心底にあった寂寥感や絶望感などを敏感に感じ取っていたからに他ならないと言える。このような楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫の深い表現は、バルトークと親交があり、バルトークと同じ苦難の時代を生きたライナーだけが成し得た究極の演奏とさえ言えるだろう。ライナーの確かな統率の下、これ以上は求め得ないような完全無欠の演奏を披露したシカゴ交響楽団の卓越した技量も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。これだけの歴史的な超名演だけに、これまでSACD化やXRCD化など高音質化への取組がなされているが、私としてはXRCD盤の方をより上位に置きたいと考える。前述のように50年以上も前のスタジオ録音であるが、XRCD化によってきわめて鮮明な音質に蘇ったところであり、ライナーによる超名演をこのようなXRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 1 people agree with this review
     2011/05/22

    本盤には、アバド&ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲第3番及び第4番がおさめられているが、両曲ともに若干甘い気はするものの名演と評価したい。アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任間もない頃に、本盤におさめられた第3番及び第4番を含めブラームスの交響曲全集を完成させた。もっとも、カラヤン時代の猛者がいまだ数多く在籍していたベルリン・フィルを掌握し得た時期の録音ではないことから、第1番などは名演の名には恥じない演奏であるとは言えるが、アバドの個性が必ずしも発揮された演奏とは言い難いものであった。他方、楽曲の性格とのマッチングや録音時期(芸術監督就任前の1988年)の問題もあって、第2番はアバドならではの豊かな歌謡性が発揮された素晴らしい名演であった。このようにベルリン・フィルの掌握の有無なども演奏の出来に作用する重要な要素であるとは思うが、根本的には、アバドの芸風に符号する楽曲かどうかというのが演奏の出来不出来の大きな分かれ目になっていると言えるのではないだろうか。アバドのアプローチは、前任者のカラヤンのような独特の重厚なサウンドを有していたわけでもない。むしろ、各楽器間のバランスを重視するとともに、イタリア人ならではの豊かな歌謡性を全面に打ち出した明朗な演奏を繰り広げていると言える。このようなアプローチの場合、第1番ではいささか物足りない演奏(もっとも、第1番はカラヤン時代の重厚な音色の残滓が付加されたことによって、けがの功名的な名演に仕上がった。)になる危険性があり、他方、第2番については、楽曲の明朗で抒情的な性格から名演を成し遂げることが可能であったと考えられる。他方、本盤におさめられた第3番及び第4番も、楽曲の心眼に踏み込んでいくような彫の深さ(とりわけ第3番の両端楽章や第4番の終楽章)と言った面においてはいささか生ぬるい気がしないでもないが、とりわけ第3番の第2楽章及び第3楽章や第4番の第1楽章及び第2楽章などの情感豊かな歌い方には抗し難い魅力があり、第2番ほどではないものの、比較的アバドの芸風に符号した作品と言えるのではないだろうか。また、第3番については、第2番と同様にアバドが芸術監督に就任する前の録音でもあり、ウィーン・フィルに軸足を移したカラヤンへの対抗意識もあって、ポストカラヤンの候補者と目される指揮者とは渾身の名演を繰り広げていたベルリン・フィルのとてつもない名演奏が、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。もっとも、大病を克服した後のアバドは、凄みのある名演を成し遂げる大指揮者に変貌していると言えるところであり、仮に現時点で、ブラームスの交響曲全集を録音すれば、より優れた名演を成し遂げる可能性が高いのではないかと考えられるところだ。いずれにしても、アバドはベルリン・フィルの芸術監督就任直後にブラームスの交響曲全集を完成させるのではなく、芸術監督退任直前に録音を行うべきであったと言えるのではないか。録音は従来盤でも十分に満足できる音質ではあったが、今般のSHM−CD化によってやや音質に鮮明さが増すとともに、音場が幅広くなったといえるところだ。いずれにしても、アバドによる名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 4 people agree with this review
     2011/05/22

    リストの悲愴協奏曲はアルゲリッチとしても非常に珍しい曲目と言えるが、リストのピアノ協奏曲第1番とラヴェルのピアノ協奏曲はアルゲリッチの十八番であり、それこそ何度も演奏を繰り返してきた楽曲である。本盤はその中でも最も録音が新しいものであるが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。アルゲリッチによるリストのピアノ協奏曲第1番の名演として名高いのはアバド&ロンドン交響楽団と組んで行ったスタジオ録音(1968年)であり、ラヴェルのピアノ協奏曲には、アバド&ベルリン・フィルと組んで行ったスタジオ録音(1967年)とアバド&ロンドン交響楽団(1984年)の2種の名演がある。これ以外にもライヴ録音などがあるのかもしれないが、特に名演とされているのは以上の3つの録音であると言える。いずれも、指揮者がアバドということで共通していたが、今回の演奏の指揮者は、両曲ともにかつての夫君であるデュトワがつとめている。そしてオーケストラはデュトワの手兵モントリオール交響楽団であり、加えてライヴ録音である。前回の録音からリストのピアノ協奏曲第1番については30年、ラヴェルのピアノ協奏曲については13年も経っているが、アルゲリッチのピアニズムの基本は変わっていないように思われる。アルゲリッチのピアノは自由奔放そのもの。持ち前の卓越した技量を発揮しつつ、変幻自在のテンポ設定や猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、ドラマティックの極みとも言うべきスリリングな演奏を展開している。強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、表現の幅は桁外れに広く、それでいて特にラヴェルのピアノ協奏曲において顕著であるが、同曲の演奏に必要不可欠のセンス満点の瀟洒な味わいにおいてもいささかの不足もない。アルゲリッチを下支えするデュトワ&モントリオール交響楽団の演奏も見事であり、とりわけラヴェルのピアノ協奏曲については、フランスのオーケストラ以上にフランス風のエスプリ漂う味わい深い演奏を展開しているのが素晴らしい。また、併録の悲愴協奏曲は、盟友であるネルソン・フレイレとの息が合ったスリリングな激しさと豊かな情感を兼ね備えた稀有の名演と高く評価したい。録音は、前述のように1997年〜1998年のライヴ録音であり、従来盤でも十分に満足できる高音質であった。しかしながら、今般のSACD盤は、従来盤をはるかに凌駕する究極の超高音質であり、おそらくは現在望み得る最高の音質に仕上がっていると言える。アルゲリッチによる至高の超名演を、このような鮮明な超高音質で味わうことを喜ぶとともに、SACD化を行ったEMIに対して感謝の意を表したい。

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  • 3 people agree with this review
     2011/05/21

    アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後間もない頃にブラームスの交響曲全集を完成させたが、私としては、アバドがブラームスの交響曲に取り組むのはいささか早過ぎたのではないかと考えているところだ。というのも、ベルリン・フィルはカラヤンの指揮の下でブラームスの交響曲を何度も演奏しており、本演奏ではアバドの解釈がベルリン・フィルに必ずしも浸透しているとは言い難いからである。したがって、第1番などは名演ではあるが、それはカラヤン時代の遺産が作用しているというけがの功名的な側面もあり、アバドの個性が発揮された演奏とは言い難いものであったとも言える。しかしながら、第2番はむしろ、第1番とは異なりアバドの個性がそれなりに発揮された名演と言えるのではないだろうか。本盤におさめられた第2番がこのようにアバドならではの名演となった理由はいくつかあると考えられるが、先ずは楽曲の性格がアバドの芸風に符号している点が掲げられる。第2番は、ブラームスの交響曲の中でも最も牧歌的な雰囲気に満ち溢れており、流麗で伸びやかな曲想が特徴的なブラームスの田園とも称される楽曲である。したがって、アバドの純音楽的で歌謡性豊かなアプローチに最も適した交響曲であると言える。第2の理由としてベルリン・フィルによる名演奏が掲げられる。本演奏については1988年の録音であり、これはカラヤンが存命でなおかつ芸術監督であった時代のものである。この当時のベルリン・フィルは、ウィーン・フィルに軸足を移したカラヤンへの対抗意識もあり、ポストカラヤンの候補者と目される指揮者とは渾身の名演を繰り広げていた。本演奏もその例外ではなく、ここにはアバドの指揮に必死に喰らいついていった(というよりも、アバドを立てた)ベルリン・フィルの猛者たちの圧倒的な名演奏を聴くことが可能だ。なお、アバドは、1970年代初頭にもベルリン・フィルとともにブラームスの第2を録音しており、それも若きアバドによる生命力溢れる素晴らしい名演であったが、本演奏においては、さらに円熟味とスケールの雄渾さが加わっていると評価することも可能であり、私としては本演奏の方をより上位に掲げたい。併録の大学祝典序曲も交響曲第2番と同様のアプローチによる文句の付けようがない名演であり、ハイドンの主題による変奏曲は、アバドならではの豊かな歌謡性を活かした歌心溢れる美演であると言える。音質については、今般のSHM−CD化によって若干鮮明になるとともに、音場が広くなったように感じた。いずれにしても、アバドの名演をこのようなSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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  • 2 people agree with this review
     2011/05/21

    本盤におさめられたブラームスの交響曲第1番は、アバドがベルリン・フィルの芸術監督に就任直後に完成させた全集に含まれるものである。本演奏を聴き終えた感想は、アバドもなかなか健闘しているのではないかと言ったところだ。というのも、この時期のアバドは低迷期に入っていたと言えるからである。アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督の就任前であり、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などと数々の名演を成し遂げていた時期であると考えている。ところが、アバド自身も全く想定していなかったベルリン・フィルの芸術監督に就任してからは、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始し、かつての輝きを失ってしまったように思われる。そのようなアバドが再び凄みのある演奏を繰り広げるようになったのは、大病を克服した後であり、それは皮肉にもベルリン・フィルの芸術監督退任直前のことであったと言える。アバドは、前任のカラヤンや前々任のフルトヴェングラーなどとは異なり、カリスマ性など皆無であったことから、プライドの高い楽員で構成され、カラヤン時代に全盛を誇った大物奏者が数多く在籍していたベルリン・フィルを統率するのは、とても荷が重いことであったのかもしれない(アバドのライバルであったムーティもそのことを予見していたと言われている。)。そもそも本演奏では、アバドのやりたい音楽とベルリン・フィルの奏でる音楽に微妙なずれがあるのではないかと考えられる。というのも、ブラームスの交響曲第1番はカラヤンの代名詞のような楽曲であり、その重厚にして華麗な演奏はカラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の象徴のようなものであったからだ。カラヤン時代の名うての奏者が数多く在籍していたベルリン・フィルとしても、カラヤンのようにオーケストラを最強奏させるのではなく、各楽器間のバランスの重視に軸足を置いたアバドのやり方には相当手こずったのではないかとも考えられる。したがって、本演奏は、全体としてはアバド流の歌謡性豊かな演奏にはなっているが、随所にカラヤン時代の重厚さが入り混じると言う、アバドの個性が全開とは言い難い演奏であり、私としては、アバドがブラームスの交響曲に取り組むのはいささか早過ぎたのではないかと思われてならないところだ。もっとも、本演奏も見方を変えれば、カラヤン時代の重厚さとアバドの歌謡性が融合した新時代を象徴する演奏とも評価し得るところであり、アバドの健闘が光る名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。悲劇的序曲は、アバドが芸術監督に就任する直前の演奏ということもあって、アバド、そしてベルリン・フィルによる畳み掛けていくような気迫と力感、そして豊かな歌謡性が漲る豪演であり、交響曲第1番以上の名演と評価したいと考える。SHM−CD化による若干の高音質化も本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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     2011/05/21

    アバドはベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集を2度完成させている。最初の全集は、芸術監督就任から10年近く経った頃の録音で、アバドが大病に倒れる直前に完成されたものである。これに対して、2度目の全集は、大病を克服した後、ローマにおいて第1番から第8番をライヴ録音で収録したもの(DVD作品のCD化)であり、第9番だけは最初の全集におさめられたライヴ録音をそのまま採用している。要は、アバドは最初の全集の中でも、第9番だけには自信を持っていたということを伺い知ることが出来るところだ。このように、アバドが自信を持っていたこともあり、私としても、アバドによるベートーヴェンの交響曲全集の中で最も出来がいいのは第8番と第9番であると考えている。全体を約62分という、第9番としては相当に早いテンポで演奏しているが、せかせかした印象をいささかも与えることがなく、トゥッティに向けて畳み掛けていくような力感溢れる気迫とともに、どこをとっても情感の豊かさと歌謡性を失うことがないのが素晴らしい。特に、第1番から第6番では軽妙さだけが際立ったベルリン・フィルも、この第9番においては、さすがにフルトヴェングラーやカラヤンなどの往年の指揮者による重厚な演奏にはかなわないものの、倍管にしたことも多分にあるとは思うが、重心の低い奥行きのある音色を出しているのが素晴らしい。特に、終楽章の合唱の壮麗さは抗し難いほどの美しさを誇っており、これは世界最高峰とも称されるスウェーデン放送合唱団の起用が見事に功を奏していると言える。独唱陣もいずれも素晴らしい歌唱を披露しており、スウェーデン放送合唱団とともにエリック・エリクソン室内合唱団も最高のパフォーマンスを示していると言えるだろう。いずれにしても、新しい研究成果に基づくペンライター版使用による本演奏は、近年の古楽器奏法やピリオド楽器の使用による演奏の先駆けとなったものであり、アバドによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては第8番と並んで最高峰にある名演と高く評価したい。録音は従来盤でも十分に鮮明な高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質がさらに鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。かつて発売されていたDVD−audio盤が廃盤ということを考慮すれば、現時点では本SHM−CD盤がベストの音質になるのではないかと考えられる。アバドによる名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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     2011/05/21

    アバド&ベルリン・フィルによる1度目のベートーヴェンの交響曲全集のうち、第1番から第6番については、少なくとも往年の名指揮者による重厚な名演に聴きなれた耳からすると、天下のベルリン・フィルを指揮したにしてはあまりにも軽妙浮薄な演奏であると言えるところであり、私としてもあまり高い評価をして来なかった。ところが、本盤におさめられた第7番については、第6番までとは異なり、アバドによるベートーヴェンとしては少なくとも軽妙浮薄とまでは言い切れないのではないだろうか。もっとも、同曲の過去の名演、例えばフルトヴェングラー&ウィーン・フィル(1950年)、クレンペラー&ニューフィルハーモニア管(1968年)、さらにはカラヤン&ベルリン・フィル(1978年ライブ(パレクサ))などと比較すると、さすがに音の重心は低いとは言い難い。もっとも、本演奏では、ベルリン・フィルの音色にもかつての伝統的な重厚な音色の残滓を聴くことが可能であるとともに、アバドならではの豊かな歌謡性が演奏全体に独特の艶やかさを付加しており、アバド&ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては、後述の第8番や第9番に次いで、佳演と評価するのにいささかの躊躇もするものではない。また、新しい研究成果を踏まえたペンライター版使用による本演奏は、近年主流となっている古楽器奏法やピリオド楽器の使用による演奏の先駆けとも言えるところであり、その意味においても相当の評価をせざるを得ないとも考えられるところだ。次いで、第8番については、楽曲の性格も多分にあるとは思うが、アバドの演奏にも第7番以上に違和感を感じるところがない。フルトヴェングラーなどかつての大指揮者たちが名演を遺していないことも功を奏しているのかもしれないが、それ以上にアバドによる歌謡性豊かな指揮が、往年のワインガルトナーによる名演の如き極上のワインのような味わいを演奏全体に付加するのに成功しており、少なくとも、アバドによるベートーヴェンの交響曲演奏の中では、前述の第7番を凌駕するとともに、第9番と並んで名演と評価してもいいのではないだろうか。録音については従来盤でも十分に高音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質はより鮮明になるとともに音場が幅広くなった。DVD−audio盤がこれまで発売された中ではベストの音質であったと言えるが、現在では入手難であり、現時点では本SHM−CD盤が最もベターな音質ということになるであろう。いずれにしても、第8番が名演であることや、SHM−CDによる若干の高音質化を加味して、第7番が佳演どまりで若干甘い気もするが★5つの評価とさせていただくこととする。

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     2011/05/21

    凄い演奏だ。アルゲリッチはスタジオ録音の時でさえ、自由奔放でスリル満点の豪演を展開するのが常であるが、ライヴ録音においてはとてもその比ではない。まして、本盤におさめられた録音は今から30年以上も前の若き日のアルゲリッチのコンサートのライブであり、切れば血が出てくるような灼熱のように燃え上がる生命力に満ち溢れた壮絶な豪演を堪能することが可能だ。いずれもアルゲリッチが得意とする楽曲で構成されているが、特にラヴェルの2曲は、他のいかなるピアニストによる名演に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。両曲ともに、華麗にして繊細なラヴェルのピアノ曲の縮図のような楽曲であり、弾きこなすには卓越した技量と表現力が必要だ。アルゲリッチは、人間離れした超絶的な技量をベースとしつつ、変幻自在のテンポ設定や思い切ったアッチェレランド、リタルランドを駆使している。強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、表現の幅は桁外れに広く、正に圧倒的な音のドラマの構築に成功していると言える。これだけ自由奔放でドラマティックな演奏を行っているにもかかわらず、全体の造型はいささかも弛緩することはなく、それでいてスケールの雄渾さを失わないのは、アルゲリッチだけに可能な圧巻の至芸と言える。シューマンの幻想小曲集は、ラヴェルと異なり他のピアニストの名演を凌駕するとまではさすがに言えないが、同曲の演奏における情感に満ち溢れた詩情の豊かさは至純の美しさを誇っていると言えるところである。また、構成する各曲の描き分けも実に巧みに行っており、アルゲリッチの卓越した表現力の幅の広さを感じることが可能だ。本盤の録音については、1970年代後半のライブ録音であるが、リマスタリングによってある程度は満足できる音質であった。ところが、今般のSACD化によって、最新録音にも匹敵するような鮮明な超高音質に生まれ変わった。クラシック音楽業界が不況にある中で、EMIが果敢にSACD化を進めていることを心から讃えるとともに、アルゲリッチによる歴史的な超名演を望み得る最高の音質で味わうことができることを大いに歓迎したい。

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     2011/05/21

    本演奏の評価に入る前に、EMIがフルトヴェングラーの遺産にとどまらず、他の演奏家による名演のSACD化を開始したことについて大いに歓迎したいと考える。今回はアルゲリッチによる一連の演奏のSACD化であるが、今後は、クレンペラーやシューリヒト、カラヤン、テンシュテットなどによる名演のSACD化を大いに望みたいと考える。本盤には、アルゲリッチ&デュトワによるショパンのピアノ協奏曲第1番及び第2番がおさめられているが、両曲の様々な名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。アルゲリッチのピアノは、卓越したテクニックをベースとして、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅は桁外れに広く、テンポの緩急も変幻自在であり、正に自由奔放とも言うべき圧倒的な表現を披露している。それでいて、全体の造型が弛緩することはいささかもないというのは圧巻の至芸と言える。ショパンの演奏では、陳腐なロマンティシズムに拘泥した感傷的なものも散見されるが、アルゲリッチのピアノはそのような感傷的要素とは無縁であり、どこをとっても気高い芸術性を失うことがないのは、アルゲリッチの芸術家としての類稀なる才能の証左であると考える。こうしたアルゲリッチの自由奔放なピアニズムに、適度な潤いと瀟洒な味わいを付加しているのが、デュトワ&モントリオール交響楽団による名演奏であると言える。デュトワが指揮するモントリオール交響楽団の演奏は、フランスのオーケストラ以上にフランス的と言われていたが、本演奏でも、そうしたフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいのある美演を披露してくれているのが素晴らしい。そして、デュトワの指揮も、かつての妻であるアルゲリッチのピアノをしっかりと下支えする献身的な指揮ぶりであり、アルゲリッチのピアノの頼もしい引き立て役に徹していると言える。これら両曲の名演の中で、特に評価が高いものとして、ツィマーマンによる弾き振りによる超個性的な名演(1999年)が掲げられる。本演奏は、さすがにツィマーマンの名演ほど個性的ではないが、アルゲリッチの自由奔放なピアノとデュトワ&モントリオール交響楽団によるセンス満点の味わい深い演奏が融合した稀有の超名演と高く評価したい。録音は、これまでのHQCD盤でもかなり満足し得る音質ではあったが、今般のSACD盤はそれをはるかに凌駕する究極の高音質録音であると言える。アルゲリッチによる超名演をこのような究極の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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