「卒業式とブルックナー」

Tuesday, March 27th 2012

連載　許光俊の言いたい放題　第204回

「卒業式とブルックナー」

　つい先日、私が務めている大学で卒業式があった。むやみとはしゃいでいる若者たちを見ながら、私は強い違和感を覚えた。たまたま、今は同僚の片山杜秀氏もそこにいて、「青春だねえ」などと言っていたが、彼もまた何か妙な印象を受けたらしかった。
　早い話が、どうして卒業式ごときでこんなに大喜びできるのかが不思議だったのだ。経済的にであれ、成績的であれ、卒業するのにものすごく苦労したというのなら理解できる。だが、大半の者はそうではあるまい。何となく人並みにやっていただけだろう。
　私は彼らを見ながら、哀れを催した。人生がつまらないので、何か楽しめるものを無理矢理見つけ出して楽しんでいるように見えてならなかったのだ。卒業パーティーでの乱痴気騒ぎは年々エスカレートしていると聞く。パーティーで騒ぐくらいしか楽しいことがないなんて、なんてつまらない、俗悪な人生だろう。苦労がなさすぎて退屈しているアメリカのセレブみたいだ。昨今、先進国の人間はますますドラッグやセックス、あるいはリゾートでのんびり、レストランでグルメといった、原始的で単刀直入で刹那的な喜びに傾斜しているようだ。若い人々を見ていると、痛感する。人間の動物化は激しく進んでいる。
　ホント、クラシックの精髄に触れて、震えるような感動を経験したことがある人は幸せです。

　さて、このコラムでも取り上げたことがあるブロムシュテット指揮ゲヴァントハウス管のブルックナーだが、しばらく前に出た第３番が実によい。他の曲ではゆっくりした楽章が味わい深い反面、快速な楽章が大味な傾向があったのだが、これは全然そんなことがない。
　基本的には禁欲的なイン・テンポで、はったりや効果狙いは見受けられない。これでもかという感情表現もないし、淡泊薄味。それでも物足りなくないのが偉い。
　オーケストラの実力もたいしたものだ。というより、このオケだからこそ到達した音楽だ。表面的な技術の問題ではない。全体の統一感がずば抜けているのだ。弦楽器が特に艶っぽいわけではないし、管楽器もハデさはない。わかりやすい感覚的なくすぐりはない。でも、ひとつの楽器として呼吸している。清らかな美しさがある。第２楽章１３分あたりからの荘厳さは、ブルックナーを聴く喜びの最たるものではないか。ゲヴァントハウスの底力を思い知らされる。
　全体に速めのテンポだが、それゆえフィナーレの特に低弦楽器の実力、金管楽器の雄大さには舌を巻くはずだ。勘ぐれば、おそらく残響で音が包まれてしまうナマではこれほど切れがよくは聞こえなかっただろうが、まあ、それは別の話。
　ヴァントのように突き詰めた解釈、演奏ではないし、１ミリ単位の精度を求めた演奏でもない。だが、日常的な豊かさとしてこれ以上何が必要だろう。文句を言ったらバチが当たるというものだ。これを日常的と言う私が贅沢すぎるだけである。
　初稿による演奏である。これまで、初稿というと、インバルの演奏がスタンダードとして通用していた。あれはあれでよい演奏なのだけれど、ブロムシュテットはもっと柔和で、素直で、普通である。物足りないとしたら、ワーグナーからの引用部分があっさりしすぎていること。突然、別世界のようなワーグナーが鳴り出すというのが、この交響曲のきわめてユニークな点だが、ブロムシュテットはギャップ感を強調することなく、どんどん通り過ぎていく。その分、まとまりよく聞こえるとも言える。この指揮者、ドレスデンあたりでは絶大な人気があるそう。
　かわいそうに、大半の若者はこんなすばらしいブルックナーも知らずに老いて死んでいくのか。ひとりひとりを椅子に縛り付けて、この盤をたっぷり聴かせてやりたいなどと考えるのは、まあ、私の余計かつ自分勝手な親切に過ぎまい。

（きょみつとし　音楽評論家、慶応大学教授）　