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辻良樹 Review List

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  • 「留萌本線、宗谷本線沿線編」とある通り、本書の掲載...

    Posted Date:2021/04/13

    「留萌本線、宗谷本線沿線編」とある通り、本書の掲載対象となっているのは、すでに廃止されたこれらの線の支線群である。すなわち、深名線、羽幌線、美幸線、天北線、興浜北線となる。また、2016年12月に廃止された留萌本線の留萌−増毛間も掲載対象となっている。留萌線の廃線区間では、終着、増毛駅の「絵になる風景」が本書の印象の大きな部分を占めるだろう。廃止前の増毛駅は一面一線の駅だったが、その広い構内には、かつて側線が敷かれ、多くの貨車たちが停まっていた時代があったのだ。深名線は、人口希薄な豪雪地帯を走る文字通りの「ライフライン」だった。廃止とともに、いくつかの集落が消滅に近い状態となったことは象徴的だ。幌成駅や朱鞠内駅の風景、現在も土木遺産として保存されている第三雨竜川橋梁、それに蒸気機関車の貴重なカラー写真も掲載されている。本書をご覧になられた方には、是非、伊丹恒氏の写真集「幌加内」も手に取る機会があったらご覧になってほしいと思う。深名線廃止の時、地域の人たちが、長年連れ添った肉親と別れるような目で、その日、列車を見送ったことが如実に伝わってくる。羽幌線は日本海に沿って、海岸丘陵付近を走る、たいへん美しい車窓を持つ路線だった。当書では、冬の蒸気機関車の写真、羽幌駅、それに天塩栄駅や北川口駅といった、大きな集落からは離れていた駅の貴重な写真が印象深い。また、日本海に面し、焼尻島、天売島、それに利尻島まで見渡す絶景が車窓に展開した金駒内橋梁を通る気動車の写真も忘れがたいシーンだ。美幸線は、本来は北見枝幸とを結ぶ予定で中途まで開業するという営業形態ゆえ、旅客が少なく、日本一の赤字線と呼ばれた路線。しかし仁宇布駅ではスキーをかついだ旅客が利用する姿が写っている。私の父も、登山をする際、美幸線を何度か利用していて、まだ小さかった私に、仁宇布駅近くにある松山湿原のキーホルダーを買ってきてくれたことなど、良い思い出である。美幸線の末端部は現在も観光トロッコ用に線路が残っていて、私も乗ることができた。天北線は、かつての宗谷線であった。実は、音威子府−南稚内の利用者数は、宗谷線より天北線の方が多かったのだが、線名の定義に従って、天北線側が切り離され、廃止された。江差線と松前線の関係(木古内駅以西は松前線の方が利用者が多かったが、函館まで連続している関係で、松前線が廃止され、江差−木古内は存続)に似る。広大な台地を走る列車、5両編成の急行「天北」、分岐駅で広い構内のあった浜頓別駅、さらに小頓別駅、敏音知駅、中頓別駅、猿払駅、クッチャロ湖岸の路線風景など紹介されている。興浜北線は、宗谷地方で稚内に次ぐ人口規模を持っていた枝幸町までの支線。枝幸町には、かつて小頓別から歌登を経る公営の軽便鉄道があった。美幸線建設にあたってその路盤が買い上げられたわけだが、結局、美幸線は開通せず、雄武へつながる予定だった興浜線も開通せず、それどころか唯一残った興浜北線も廃止となったというわけで、枝幸町は鉄道悲運の町でもある。夕景の浜頓別駅に停まる興浜北線の気動車、目梨泊駅、北見枝幸駅の風景が紹介されている。いずれも情緒豊かで、「情景」の名にふさわしい。鉄道を利用する人々や係る人々の姿も時折収められるが、こころなしか、現在よりも、地域の雰囲気が明るく感じられるのだけれど、どうだろうか。美しい、往時を偲ぶ写真集であるとともに、失われた空気感が閉じ込められたような、一冊となっています。ついでに、私が思うことは追加して書き記そう。私は北海道に住んでいるので、鉄道の利便性を享受できるき機会は多くない。路線網はさびしく、運行している列車本数も少ない。それでも鉄道が好きだから、しばしば鉄道にのってぶらりと出かける。列車の本数が少ないので、頻繁に下車するわけには行かない。ブラリと気軽に列車を降りることができる線区は、限られている。さらに支線がほとんど廃止されているため、行動範囲の制約も大きい。なかなかスケジュールを編み出すのも骨の折れる作業だし、ダイヤも融通性が低い。これは、80年代から今日まで続く、鉄道先細り政策の行く末にあった必然的結果である。鉄道は基本インフラだ。特に北海道の様に、広域で、大きな都市と地方の間に距離があり、冬季の気象条件が厳しいところでは、地域の生活を支える性格を多分に有する。それは、本来、鉄道単体の収支で評価されるものではない。歴史に少し触れると、北海道は江戸末期まで多くが未開の地であった。しかし、国力状況を喫緊の課題とする近代政府の主導により、開発が行われる。北海道の奥地に住んで開墾に従事した人々の多くは、関東大震災で罹災し、家を失った人や、東北地方の農家の次男・三男で、家業を長男に譲った人たちである。そういった人たちが、国家事業の枠組みで、未開の地、冬は酷寒となる土地に入植し、想像を絶する労苦の果て、開墾し、北海道を食料とエネルギーの生産基地とした。鉄道は、これらの事業を強力に補助し、のちには、厳しい土地において、その地を管理する人々が、拠点都市と移動することを可能とするものでもあった。まさにインフラである。その役割がすべて残っていたわけではないが、本来、地域の足、インフラとして整備したものを、後になって、突然収益性の評価に根拠を転換し、廃止を促進していくというのは、基本的にはき違えであり、厳しい土地を開墾し生産拠点とした人々への背信行為であるとさえ私は思っている。実際、北海道の地を何年もかけてめぐっていると、一度は切り開かれ、耕され、町がつくられ、鉄道も敷かれたところが、外部の支援もすべて絶たれる形で、退出を余儀なくされ、元の未開の地の姿に、打ち捨てられるように戻っていく様を何度も目撃することになる。鉄道の廃止は、現地にとって非情きわまりないことであるだけであり、かつそれを推進した人々の多くは、あいかわらず都市部で特に不自由のない生活を謳歌し続けているのである。なんともやりきれない話としかいいようがない。私は、いつしか廃線跡を訪ねるようになった。最初、それはすでに廃止された鉄道に乗ることへの代償行為であったが、その結果、廃村を巡ることに重なる場合も多なり、その土地が静かに物語る歴史に強く胸打たれるようになった。いろいろ思うことがあって、廃線事情に係る私の思いを書かせていただいたが、本書の美しい写真たちは、ただ、風光明媚だった沿線風景を伝えるにとどまらず、地域や地方が大切にされていた時代、極端に政策が都市中心的なものになる前の時代の空気感、価値観といったものを、併せて伝えているように感じる。合理性で押し切られない余情や暖かみといった、今の時代では失われつつあるものが、籠っている。私はそれをいとおしいと思う。

    ココパナ .

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  • オールカラー 北海道の廃線記録 (函館本線沿線編) ...

    Posted Date:2021/04/13

    オールカラー 北海道の廃線記録 (函館本線沿線編) 「函館本線沿線編」とある通り、本書の掲載対象となっているのは、すでに廃止された函館本線の支線群である。掲載対象路線は、江差線、松前線、瀬棚線、岩内線、札沼線、幌内線、函館本線・上砂川支線、歌志内線となる。なお、札沼線の新十津川−石狩沼田間は、1972年6月19日にすでに廃止となっているが、当該区間(期間)は、本書の撮影対象とはなっていない。本書全体を通じて、撮影時期は80年代が中心であるため、これに先んじて廃止された手宮線や南美唄支線も撮影対象とはなっていない。全128ページには一部白黒写真もあるが、大部分はカラー写真が掲載されている。掲載されている写真はどれも美しく、旅情をかきたてられるもの。もし80年代の前半のように鉄路が充実していたなら、私はどれほど多くの機会で鉄道を利用したことだろうか。本書におさめられた写真が描き出す沿線の四季の風景は、無類に美しい。北海道の大動脈である函館線から分岐し、日本海に面した港町を結んだ江差線・松前線・瀬棚線・岩内線はがすべて鬼籍に入り、最後に残った留萌線も、現在では廃止が取り沙汰されるようになってしまった。しかし、これらの線路はいずれも美しい車窓を持っていた。本書では江差線の末端部で、蒸気機関車が牽く貨物編成が日本海岸を行く姿、海岸段丘の間の谷を越える橋梁を行く松前線の普通列車、瀬棚駅の広いヤード、岩内駅の旅情あふれる風景などが紹介されていて、どれも無類に素晴らしい。また、国富駅(岩内線)、北住吉駅(瀬棚線)、茶屋川駅(瀬棚線)の貴重な駅舎の姿も、克明に記録されている。北住吉駅の土をつんだような簡易なホームもふさわしい。幌内線、上砂川支線、歌志内線はいずれも運炭を主目的とした線路。幾春別駅、幌内駅、上砂川駅、歌志内駅といった終着駅には、広いヤード内に、石炭の搬送作業のための側線が多く敷かれており、駅舎も貫禄を感じさせる。斜面にならぶ炭鉱住宅の風景にも独特のものがある。少ない平地を搬出のための鉄道施設が占める風景は、今の時代ではもう決して見ることができない。札沼線は、沿線に住んでいた私には思い入れの深い線路。よく両親に連れられて、浦臼や月形、当別といった町に遊びに行ったものだし、つい最近まで、気が向いた時には、ぶらりと乗って沿線を散策した。当書籍では、新十津川駅や石狩川橋梁の写真が紹介されている。1980年頃には新十津川駅に側線があったことも、掲載写真はよく伝えてくれる。旅情豊か、思い出深いというだけでなく、地域の歴史の記録と言う点でも貴重な写真だ。これに関して思うことがある。北海道の鉄道における観光資源としての価値は、きわめてポテンシャルが高かった。多くの路線が廃止された今も、ある程度のポテンシャルは残っているだろう。しかし、この観点で、魅力の啓発や掘り起こしのため、JRや地域が行っている事業が、きわめて脆弱だ。残念ながら、この国では、交通機関における観光面への価値に関して、理解が足りておらず、きわめて鈍感とさえ言える。観光利用が、まるで不要不急なものとでも考えているフシが多くあり、ビジネス目的の移動ばかりに都合をつけるのが交通機関の使命だと思い込んでいる。その目的に即して交通機関の価値や仕様を考えるから、本来のポテンシャルを発揮する方向性と別の実態が導かれてしまう。石狩川橋梁の不透過なスクリーンはその象徴に思える。JR北海道の特急系車両の窓は、ポリカーボネート性のフィルム塗装により、きわめて見通しが悪い。これらの事柄は、鉄道の観光価値への不感を端的に示しているだろう。「とにかく乗客を目的地にさえ運べればよい」、としか考えていないのだとしたら、特に北海道のような土地に置いて、鉄道需要の掘り起こしなんて、土台無理な話である。ビジネスの需要は減る。電子化が進む昨今では、移動が必要なビジネス自体が減少する。私は、これらの鉄道を利用していて、何度も何度もその無念さを実感してきた。北海道、自治体、JRは、今からでも鉄道の観光資源としてのポテンシャルを掘り起こすべきなのだ。それが唯一の可能性のある道なのだ。北海道はそれだけの価値がある風景に恵まれているのだ。つい最近、高波の災害から復旧することのないまま、日高線の廃止が、なし崩し的に決まった。しかし、日高線は、そのポテンシャルを考えると、あえて「価値」を眠らされていたとしか考えられない不遇の線路である。海の上を走るかのような素晴らしい車窓は、全国でもまれに見る絶景路線だった。また、石北線、宗谷線とくらべても、沿線には人口密度の多い自治体が並んでいる。かつては札幌から直通の急行が1日3往復も走り、相応の乗車率だった。これが無くなったのは、別にバスとの競争に敗れたからではない。苫小牧−札幌間の列車密度の関係で、日高線直通列車を間引いたのだ。加えて、長いこと、日高線では普通列車のうち、直通運転する便を減らし、静内以西と以東をあえて分断するようなダイヤを運用してきた。当時の日高線の利用者から、「路線の利用者数を減らし、廃止論に導くため、あえて不便なダイヤにしているとしか思えない」という新聞投書もあったほどである。鉄道路線の利便性を高めたり、観光資源としてのポテンシャルを掘り起したりすることについて、いくらでもやり様があったのに、取り組みがかなり不十分なものであったことは否めないだろう。そんな状況で心が寒々としてしまうものの、この書が伝えてくれるのは「それでも鉄道は地域の共有財産である」という事。その通りだ。美しいものは人を惹きつけるし、それを切っ掛けに訪れる人がいることは交流人口の増加につながる。交流人口は地域の経済を支える。鉄道は、過疎化への抵抗のシンボルだ。広大な地域でありながら、マップ上から鉄道線が抹消された状況は、交流の途絶えた証のように感じられるし、事実でもあろう。本書を見て、あらためて鉄道の価値の大きさに感じ入った。

    ココパナ .

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  • 「室蘭本線、日高本線、根室本線沿線編」とある通り、...

    Posted Date:2021/04/13

    「室蘭本線、日高本線、根室本線沿線編」とある通り、本書の掲載対象となっているのは、すでに廃止されたこれらの線の支線群である。すなわち、胆振線、富内線、万字線、夕張線、士幌線、広尾線、池北線、白糠線となる。最近、書類上の廃止となった日高本線は、対象となっていない。これらの路線の沿線風景の美しさは、本当に素晴らしい。今となっては残された写真でしか往時の姿を見られないことが惜しくてならない。特に、取り上げられた線区では、胆振線、富内線、万字線は本当に美しい車窓に満ちていたと思う。一般的に、万字線の車窓は、車窓の美しさが有名だった士幌線と比べて、それほど取り上げられる機会はないだろう。しかし。私は、「スイッチバック 北の鉄道」という映像作品のコメンタリーで、北海道で長年車掌を務めてきた田中和夫氏が、万字線の山側の車窓風景の美しさは素晴らしかったと繰り返し言及し、特に、深い渓谷を何度も高い橋梁で跨ぎ、谷を覗き込むようにして走る路線は、「それだけでも観光資源としての価値があった」と感じたほどとお話させるのを聴き、加えて廃線跡を訪ね歩くことで、その実感を濃くした。もちろん、士幌線も素晴らしかったが、私がこの線に乗車したとき、すでに糠平以北は運転していなかった。もちろん、それでも急峻な山間で、音更川の渓谷を高い橋梁で越えるところなど、本当に凄かった。北海道は、車窓風景だけで、十分な観光資源になりうる鉄路を、これほど多く持っていた。しかし、それらは失われた。さて、私の言いたいことを書かせていただくと、本来鉄道の価値は、単体の収支で図るべきものではない。まず、北海道の様に気候風土の厳しい土地において、冬季の主要都市間移動のための安定的交通機関は、基本インフラであり、収支で図るべきものではない。加えて言うと、その多くが未開の地であった北海道が、国土強靭化計画の一環として移住を進め、開拓者とそれを継いだ人々の努力により、食料生産基地となったことを知らぬものは少ないと思うが、その彼らのいざというときの交通手段を、収支の観点で奪うことは適切ではない。次に、鉄道の経済効果というのは、単に収益と費用の差額で計算できるものではない。鉄道により、人が地域を訪問し、人々と交流する機会を高めるとは、交流人口の増加、地域経済の底支えに大いに活用できるものである。2019年に夕張支線が廃止となった夕張市の市域のその後の衰退の加速ぶりは現地の人であれば実感しているだろう。沼ノ沢駅に入っていたレストランは廃業し、スキー場も営業を終了した。鉄道廃止ばかりが理由ではないだろうが、トリガーの一つであったことは大いに考えられる。(実際、私も廃止前は年に3,4回訪問していた夕張を、廃止後は1度も訪問していない・・・さすがに薄情な感じもするので、そろそろ訪問したいとも思っているが、やはり鉄道がないのは寂しい)。また、鉄道は観光資源としても利用できる。利用・啓発の方法によって、大きく地域に貢献するポテンシャルを持っている。まもなく廃止となる日高線だって、あれほど美しい車窓を持つ路線は、国内外を探してもそうはないだろうと思わせる線路であったが、そのことを知っている人がどれほどいただろうか。そして、そのポテンシャルは、地域の観光開発計画という枠組みの中で、その価値を図るべきものである。ほかにもいろいろあるが、地方の鉄道というのは、収益を維持・廃止の目安にしては成り立たないし、そういうものではないのである。例えば、ヨーロッパの多くの国が、鉄道を国営化したり、線路・駅等の施設を公有物とし(道路と同じ考えだ)、鉄道の運行のみを民間委託するなどの方法により、路線網を維持し、地域経済の組み込まれているのは、この「考え方」があるからである。ひるがえって日本では、そのような公的発想が乏しく、単にJRという私企業の交通事業としてしか認識されていない。これでは、地域の衰退は加速し、最終的には国が疲弊化するばかりである。「考え方」を改めなくてはならない。いろいろ書いてしまったが、本書に話を戻すと、その観光面、風光明媚な風景という「ポテンシャル」を記録した良書、と言う以外になく、美しく、そしてもの悲しさも感じてしまう一冊である。胆振線では、尻別川、長流川、昭和新山、羊蹄山といったこの路線ならではの風景の中、蒸気機関車や気動車たちの姿が捉えられている。雪を頂く昭和新山が美しい。鉄鉱石の搬出拠点であった脇方駅では、レールバスが停車している写真が紹介されており、貴重な一枚だ。富内線では、鵡川、そして分水嶺を越えて沙流川流域の谷あいの美しい風景が紹介されている。日高町駅は私も訪れたことがあるが、小さな町の端にある終着駅で、特有の旅情があった。本書で紹介されている写真も、その雰囲気を良く伝えている。万字線では、幌向川を越していた橋梁群、そして炭鉱街特有の万字炭山駅の様子がうかがわれる。駅の奥には選炭機をはじめとした工場建築物が並ぶが、現在かの地は、最後まで残っていた万字炭山駅の駅舎も取り壊され、林の中、ただホームの跡があるのを見出だせるのみである。夕張線では、歴史ある運炭路線にふさわしい風格と歴史を感じさせる写真が多い。夕張川を渡るD51が牽引する石炭列車の写真。よく見ると橋梁の手前に橋脚跡があり、夕張線複線時代の名残が刻まれている。1981年に廃止された登川駅の、駅舎、構内を俯瞰した写真も、フアンにはありがたいもの。士幌線では、やはり十勝川や音更川を渡る橋梁群が象徴的な風景であり、本書でも紹介される。また、十勝三股−糠平間が、バス転換される前の、貴重な列車風景も紹介されている。(ただし、タウシュベツ橋は、ダム建設に伴って1955年に付けけられた旧線にあるので、本書の紹介対象とはなっていない)。広尾線では、縁起切符で全国区の知名度を誇った愛国駅、幸福駅の現役時の姿、大正駅、広尾駅などの写真も掲載されている。結氷した札内川を渡る9600形蒸気機関車の姿も印象的。池北線は、第3セクターとしてちほく高原鉄道として長らえた路線であり、そのため90年代の写真も掲載されている。十勝平野、北見盆地のおおらかな風景の中、蒸気機関車や気動車の活動する姿が収められている。1999年に撮影された境野駅を発車していく気動車の風景に、郷愁の情をもよおす。白糠線では、なにもない終着駅、北進駅の風景に胸打たれる。本来であれば、足寄を経由し、北十勝線とともに、札幌と釧路を結ぶ高速鉄道路線の一端を担うことになっていた高規格での設計路線であるが、上庶路炭鉱の石炭の搬出に一定の活躍を果たしたとはいえ、国鉄再建法下の第1号廃線となったのは、この路線の哀しい現実であり、それが北進駅の風景に詰まっているように思われる。

    ココパナ .

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