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オールカラー 北海道の廃線記録(留萌本線、宗谷本線沿線編)

辻良樹

User Review :5.0
(1)

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784802132336
ISBN 10 : 4802132336
Format
Books
Release Date
March/2021
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

目次 : 留萌本線(留萌〜増毛)/ 深名線/ 羽幌線/ 美幸線/ 天北線/ 興浜北線

【著者紹介】
安田就視 : 1931(昭和6)年2月、香川県生まれ、写真家。日本画家の父につき、日本画や漫画を習う。高松市で漆器の蒔絵を描き、彫刻を習う。その後、カメラマンになり大自然の風景に魅せられ、北海道から九州まで全国各地の旅を続ける。蒸気機関車をはじめとする消えゆく昭和の鉄道風景をオールカラーで撮影(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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「留萌本線、宗谷本線沿線編」とある通り、...

投稿日:2021/04/13 (火)

「留萌本線、宗谷本線沿線編」とある通り、本書の掲載対象となっているのは、すでに廃止されたこれらの線の支線群である。すなわち、深名線、羽幌線、美幸線、天北線、興浜北線となる。また、2016年12月に廃止された留萌本線の留萌−増毛間も掲載対象となっている。留萌線の廃線区間では、終着、増毛駅の「絵になる風景」が本書の印象の大きな部分を占めるだろう。廃止前の増毛駅は一面一線の駅だったが、その広い構内には、かつて側線が敷かれ、多くの貨車たちが停まっていた時代があったのだ。深名線は、人口希薄な豪雪地帯を走る文字通りの「ライフライン」だった。廃止とともに、いくつかの集落が消滅に近い状態となったことは象徴的だ。幌成駅や朱鞠内駅の風景、現在も土木遺産として保存されている第三雨竜川橋梁、それに蒸気機関車の貴重なカラー写真も掲載されている。本書をご覧になられた方には、是非、伊丹恒氏の写真集「幌加内」も手に取る機会があったらご覧になってほしいと思う。深名線廃止の時、地域の人たちが、長年連れ添った肉親と別れるような目で、その日、列車を見送ったことが如実に伝わってくる。羽幌線は日本海に沿って、海岸丘陵付近を走る、たいへん美しい車窓を持つ路線だった。当書では、冬の蒸気機関車の写真、羽幌駅、それに天塩栄駅や北川口駅といった、大きな集落からは離れていた駅の貴重な写真が印象深い。また、日本海に面し、焼尻島、天売島、それに利尻島まで見渡す絶景が車窓に展開した金駒内橋梁を通る気動車の写真も忘れがたいシーンだ。美幸線は、本来は北見枝幸とを結ぶ予定で中途まで開業するという営業形態ゆえ、旅客が少なく、日本一の赤字線と呼ばれた路線。しかし仁宇布駅ではスキーをかついだ旅客が利用する姿が写っている。私の父も、登山をする際、美幸線を何度か利用していて、まだ小さかった私に、仁宇布駅近くにある松山湿原のキーホルダーを買ってきてくれたことなど、良い思い出である。美幸線の末端部は現在も観光トロッコ用に線路が残っていて、私も乗ることができた。天北線は、かつての宗谷線であった。実は、音威子府−南稚内の利用者数は、宗谷線より天北線の方が多かったのだが、線名の定義に従って、天北線側が切り離され、廃止された。江差線と松前線の関係(木古内駅以西は松前線の方が利用者が多かったが、函館まで連続している関係で、松前線が廃止され、江差−木古内は存続)に似る。広大な台地を走る列車、5両編成の急行「天北」、分岐駅で広い構内のあった浜頓別駅、さらに小頓別駅、敏音知駅、中頓別駅、猿払駅、クッチャロ湖岸の路線風景など紹介されている。興浜北線は、宗谷地方で稚内に次ぐ人口規模を持っていた枝幸町までの支線。枝幸町には、かつて小頓別から歌登を経る公営の軽便鉄道があった。美幸線建設にあたってその路盤が買い上げられたわけだが、結局、美幸線は開通せず、雄武へつながる予定だった興浜線も開通せず、それどころか唯一残った興浜北線も廃止となったというわけで、枝幸町は鉄道悲運の町でもある。夕景の浜頓別駅に停まる興浜北線の気動車、目梨泊駅、北見枝幸駅の風景が紹介されている。いずれも情緒豊かで、「情景」の名にふさわしい。鉄道を利用する人々や係る人々の姿も時折収められるが、こころなしか、現在よりも、地域の雰囲気が明るく感じられるのだけれど、どうだろうか。美しい、往時を偲ぶ写真集であるとともに、失われた空気感が閉じ込められたような、一冊となっています。ついでに、私が思うことは追加して書き記そう。私は北海道に住んでいるので、鉄道の利便性を享受できるき機会は多くない。路線網はさびしく、運行している列車本数も少ない。それでも鉄道が好きだから、しばしば鉄道にのってぶらりと出かける。列車の本数が少ないので、頻繁に下車するわけには行かない。ブラリと気軽に列車を降りることができる線区は、限られている。さらに支線がほとんど廃止されているため、行動範囲の制約も大きい。なかなかスケジュールを編み出すのも骨の折れる作業だし、ダイヤも融通性が低い。これは、80年代から今日まで続く、鉄道先細り政策の行く末にあった必然的結果である。鉄道は基本インフラだ。特に北海道の様に、広域で、大きな都市と地方の間に距離があり、冬季の気象条件が厳しいところでは、地域の生活を支える性格を多分に有する。それは、本来、鉄道単体の収支で評価されるものではない。歴史に少し触れると、北海道は江戸末期まで多くが未開の地であった。しかし、国力状況を喫緊の課題とする近代政府の主導により、開発が行われる。北海道の奥地に住んで開墾に従事した人々の多くは、関東大震災で罹災し、家を失った人や、東北地方の農家の次男・三男で、家業を長男に譲った人たちである。そういった人たちが、国家事業の枠組みで、未開の地、冬は酷寒となる土地に入植し、想像を絶する労苦の果て、開墾し、北海道を食料とエネルギーの生産基地とした。鉄道は、これらの事業を強力に補助し、のちには、厳しい土地において、その地を管理する人々が、拠点都市と移動することを可能とするものでもあった。まさにインフラである。その役割がすべて残っていたわけではないが、本来、地域の足、インフラとして整備したものを、後になって、突然収益性の評価に根拠を転換し、廃止を促進していくというのは、基本的にはき違えであり、厳しい土地を開墾し生産拠点とした人々への背信行為であるとさえ私は思っている。実際、北海道の地を何年もかけてめぐっていると、一度は切り開かれ、耕され、町がつくられ、鉄道も敷かれたところが、外部の支援もすべて絶たれる形で、退出を余儀なくされ、元の未開の地の姿に、打ち捨てられるように戻っていく様を何度も目撃することになる。鉄道の廃止は、現地にとって非情きわまりないことであるだけであり、かつそれを推進した人々の多くは、あいかわらず都市部で特に不自由のない生活を謳歌し続けているのである。なんともやりきれない話としかいいようがない。私は、いつしか廃線跡を訪ねるようになった。最初、それはすでに廃止された鉄道に乗ることへの代償行為であったが、その結果、廃村を巡ることに重なる場合も多なり、その土地が静かに物語る歴史に強く胸打たれるようになった。いろいろ思うことがあって、廃線事情に係る私の思いを書かせていただいたが、本書の美しい写真たちは、ただ、風光明媚だった沿線風景を伝えるにとどまらず、地域や地方が大切にされていた時代、極端に政策が都市中心的なものになる前の時代の空気感、価値観といったものを、併せて伝えているように感じる。合理性で押し切られない余情や暖かみといった、今の時代では失われつつあるものが、籠っている。私はそれをいとおしいと思う。

ココパナ さん | 北海道 | 不明

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Book Meter Reviews

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

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  • えすてい

    北海道の道北の廃線は長大路線も少なくない。いずれも炭鉱もしくは過疎地であり極端な人口密度の少なさから鉄道を維持できなくなり廃線となった。天北線は宗谷バスが宗谷岬経由になり、本数もかなり減らされている。天北線は国土地理院の地図によると、稚内空港の随分南を通り空港アクセス路線にはとてもなれなかったのは一目瞭然だ。声問〜宇遠内仮乗降場の川は稚内市民にとっての釣りのメッカだったそうだ。稚内市の市街地に近いとはいえ写真を見る限りとても鉄道に需要が見込めそうな光景ではない。天北線も組合の廃止反対スローガンが生々しい。

  • kaz

    蒸気機関車の迫力もさることながら、大自然の風景や駅舎の周囲等も興味深い。車両の横に書かれた廃線反対を訴える文字は、痛々しい印象を与える。図書館の内容紹介は『北海道のローカル線が元気な時代の記録。留萌本線(留萌〜増毛)と沿線の深名線・羽幌線、宗谷本線沿線の美幸線・天北線・興浜北線の現役時代をオールカラーの写真で紹介する』。

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