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辻良樹

Books オールカラー 北海道の廃線記録 函館本線沿線編(仮)

オールカラー 北海道の廃線記録 函館本線沿線編(仮)

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    ココパナ  |  北海道  |  不明  |  13/April/2021

    オールカラー 北海道の廃線記録 (函館本線沿線編) 「函館本線沿線編」とある通り、本書の掲載対象となっているのは、すでに廃止された函館本線の支線群である。掲載対象路線は、江差線、松前線、瀬棚線、岩内線、札沼線、幌内線、函館本線・上砂川支線、歌志内線となる。なお、札沼線の新十津川−石狩沼田間は、1972年6月19日にすでに廃止となっているが、当該区間(期間)は、本書の撮影対象とはなっていない。本書全体を通じて、撮影時期は80年代が中心であるため、これに先んじて廃止された手宮線や南美唄支線も撮影対象とはなっていない。全128ページには一部白黒写真もあるが、大部分はカラー写真が掲載されている。掲載されている写真はどれも美しく、旅情をかきたてられるもの。もし80年代の前半のように鉄路が充実していたなら、私はどれほど多くの機会で鉄道を利用したことだろうか。本書におさめられた写真が描き出す沿線の四季の風景は、無類に美しい。北海道の大動脈である函館線から分岐し、日本海に面した港町を結んだ江差線・松前線・瀬棚線・岩内線はがすべて鬼籍に入り、最後に残った留萌線も、現在では廃止が取り沙汰されるようになってしまった。しかし、これらの線路はいずれも美しい車窓を持っていた。本書では江差線の末端部で、蒸気機関車が牽く貨物編成が日本海岸を行く姿、海岸段丘の間の谷を越える橋梁を行く松前線の普通列車、瀬棚駅の広いヤード、岩内駅の旅情あふれる風景などが紹介されていて、どれも無類に素晴らしい。また、国富駅(岩内線)、北住吉駅(瀬棚線)、茶屋川駅(瀬棚線)の貴重な駅舎の姿も、克明に記録されている。北住吉駅の土をつんだような簡易なホームもふさわしい。幌内線、上砂川支線、歌志内線はいずれも運炭を主目的とした線路。幾春別駅、幌内駅、上砂川駅、歌志内駅といった終着駅には、広いヤード内に、石炭の搬送作業のための側線が多く敷かれており、駅舎も貫禄を感じさせる。斜面にならぶ炭鉱住宅の風景にも独特のものがある。少ない平地を搬出のための鉄道施設が占める風景は、今の時代ではもう決して見ることができない。札沼線は、沿線に住んでいた私には思い入れの深い線路。よく両親に連れられて、浦臼や月形、当別といった町に遊びに行ったものだし、つい最近まで、気が向いた時には、ぶらりと乗って沿線を散策した。当書籍では、新十津川駅や石狩川橋梁の写真が紹介されている。1980年頃には新十津川駅に側線があったことも、掲載写真はよく伝えてくれる。旅情豊か、思い出深いというだけでなく、地域の歴史の記録と言う点でも貴重な写真だ。これに関して思うことがある。北海道の鉄道における観光資源としての価値は、きわめてポテンシャルが高かった。多くの路線が廃止された今も、ある程度のポテンシャルは残っているだろう。しかし、この観点で、魅力の啓発や掘り起こしのため、JRや地域が行っている事業が、きわめて脆弱だ。残念ながら、この国では、交通機関における観光面への価値に関して、理解が足りておらず、きわめて鈍感とさえ言える。観光利用が、まるで不要不急なものとでも考えているフシが多くあり、ビジネス目的の移動ばかりに都合をつけるのが交通機関の使命だと思い込んでいる。その目的に即して交通機関の価値や仕様を考えるから、本来のポテンシャルを発揮する方向性と別の実態が導かれてしまう。石狩川橋梁の不透過なスクリーンはその象徴に思える。JR北海道の特急系車両の窓は、ポリカーボネート性のフィルム塗装により、きわめて見通しが悪い。これらの事柄は、鉄道の観光価値への不感を端的に示しているだろう。「とにかく乗客を目的地にさえ運べればよい」、としか考えていないのだとしたら、特に北海道のような土地に置いて、鉄道需要の掘り起こしなんて、土台無理な話である。ビジネスの需要は減る。電子化が進む昨今では、移動が必要なビジネス自体が減少する。私は、これらの鉄道を利用していて、何度も何度もその無念さを実感してきた。北海道、自治体、JRは、今からでも鉄道の観光資源としてのポテンシャルを掘り起こすべきなのだ。それが唯一の可能性のある道なのだ。北海道はそれだけの価値がある風景に恵まれているのだ。つい最近、高波の災害から復旧することのないまま、日高線の廃止が、なし崩し的に決まった。しかし、日高線は、そのポテンシャルを考えると、あえて「価値」を眠らされていたとしか考えられない不遇の線路である。海の上を走るかのような素晴らしい車窓は、全国でもまれに見る絶景路線だった。また、石北線、宗谷線とくらべても、沿線には人口密度の多い自治体が並んでいる。かつては札幌から直通の急行が1日3往復も走り、相応の乗車率だった。これが無くなったのは、別にバスとの競争に敗れたからではない。苫小牧−札幌間の列車密度の関係で、日高線直通列車を間引いたのだ。加えて、長いこと、日高線では普通列車のうち、直通運転する便を減らし、静内以西と以東をあえて分断するようなダイヤを運用してきた。当時の日高線の利用者から、「路線の利用者数を減らし、廃止論に導くため、あえて不便なダイヤにしているとしか思えない」という新聞投書もあったほどである。鉄道路線の利便性を高めたり、観光資源としてのポテンシャルを掘り起したりすることについて、いくらでもやり様があったのに、取り組みがかなり不十分なものであったことは否めないだろう。そんな状況で心が寒々としてしまうものの、この書が伝えてくれるのは「それでも鉄道は地域の共有財産である」という事。その通りだ。美しいものは人を惹きつけるし、それを切っ掛けに訪れる人がいることは交流人口の増加につながる。交流人口は地域の経済を支える。鉄道は、過疎化への抵抗のシンボルだ。広大な地域でありながら、マップ上から鉄道線が抹消された状況は、交流の途絶えた証のように感じられるし、事実でもあろう。本書を見て、あらためて鉄道の価値の大きさに感じ入った。

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