CD 輸入盤

交響曲第2番『復活』 ハンス・フォンク&ハーグ・レジデンティ管弦楽団、オランダ劇場合唱団、ヤルト・ファン・ネス、マリア・オラン

マーラー(1860-1911)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
BRL97390
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
Holland
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明


ハーグ・レジデンティ管弦楽団の自主制作録音が久々の復活

マーラー:交響曲第2番「復活」
ハンス・フォンク指揮レジデンティ管弦楽団、オランダ劇場合唱団、他


新ホール建設財源の一助として自主制作盤づくりに励んでいたレジデンティ管弦楽団が1985年にセッション録音した音源が久々の復活。会場はコンサートホールとして使用されていたハーグのニーウェ教会。指揮は首席指揮者就任5年目で、ドレスデン国立歌劇場音楽監督兼シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者にも就任したばかりのハンス・フォンク。

レジデンティ管弦楽団の不運
1904年に創設されたレジデンティ管弦楽団は、2,088人収容の多目的ホール「芸術科学館」を60年間本拠地としていましたが、老朽化のため使用中止となり、不動産会社が改修工事を計画中に全焼してからは、本拠地がない状態となり、劇場や多目的ホールなどを転々としていました。

新ホール建設計画
ハーグ市はオランダ王室や国会、国際会議場のある政治的中心都市であり、人口もオランダで3番目の規模であることからオーケストラの需要も見込め、なにより新首席指揮者ハンス・フォンクのもとでの実績が良好であったことから、1982年、レジデンティ管弦楽団は自分たちで資金を募って専用のコンサートホールを建設することを決断します。

資金調達に向けての自助努力
この建設計画は、資金を産業界や政府期間、個人など様々なところに求めるものでしたが、オーケストラの方でも自主制作録音で得た収益を建設資金にまわす目的で、1985年から新ホール「Dr.アントン・フィリップスザール」が完成する1987年にかけてニ十数点のアルバムを発売しています。

自主制作録音の内容
首席指揮者ハンス・フォンクの録音が中心ですが、ほかにハインツ・ワルベルク、フェルディナント・ライトナー、アラン・ロンバールの録音や、指揮者なしの室内アンサンブル録音もありました。

録音に使ったホール
録音会場は、1969年に閉鎖して改装しコンサートホールを含む多目的施設となっていたハーグのニーウェ教会(新教会)。17世紀なかばに、フローテ教会(大教会)が手狭になって信徒を収容しきれなくなったためつくられた教会です。この教会は新ホールに隣接していたことから、複合施設の一部となり、以後、紆余曲折を経て、現在ではより大きな舞台芸術複合施設「アマーレ」に組み込まれています。



 ハンス・フォンク情報

1966年からネーデルラント・バレエの指揮者兼リハーサル・ピアニストとなり、バレリーナのイェシー・フォルケルツと結婚。1969年からコンセルトヘボウ管弦楽団の副指揮者、1973年からオランダ放送フィルの首席指揮者、1976年からネーデルラント・オペラの首席指揮者、1980年からレジデンティ管弦楽団の首席指揮者と、プロ・デビュー以降のフォンクの多角的な経験蓄積にはすごいものがあり、それがブロムシュテットの後任として、1985年からドレスデン国立歌劇場音楽監督兼シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者に選ばれた理由とも思われます。
  しかしこの3年後にはフォンクは「ギラン・バレー症候群」を発症し、長期療養を余儀なくされ、回復後の1991年にケルン放送交響楽団の首席指揮者に就任し、1996年にはセントルイス交響楽団の首席指揮者に就任しますが、5年目の2001年に今度は「筋萎縮性側索硬化症」発症してしまいます。2002年にオランダに戻ったフォンクは、オランダ放送交響楽団の首席指揮者に就任し、2004年に亡くなるまで車椅子で指揮しています。
1942年
6月18日、コンセルトヘボウ管弦楽団のヴァイオリニストを父にアムステルダムに誕生。最初ヴァイオリンを習いますがピアノに転向。アムステルダム大学で法律を学んでいたものの(妹は弁護士)、音楽に強く惹かれるようになり、アムステルダム音楽院に入学してピアノと指揮を修め、1964年に特別賞を得て卒業。その後、シエナ、ザルツブルク、ヒルフェルスムでヘルマン・シェルヘンとフランコ・フェラーラのマスター・クラスを受講。

1964年
◆ アムステルダム音楽院を卒業。

1966年
◆ ネーデルラント・バレエ管弦楽団 指揮者兼リハーサル・ピアニスト 就任。

1967年
◆ ネーデルラント・バレエ管弦楽団 指揮者兼リハーサル・ピアニスト 在任。

1968年
◆ ネーデルラント・バレエ管弦楽団 指揮者兼リハーサル・ピアニスト 在任。

1969年
◆ ネーデルラント・バレエ管弦楽団 指揮者兼リハーサル・ピアニスト 退任。
◆ コンセルトヘボウ管弦楽団 副指揮者 就任。

1970年
◆ コンセルトヘボウ管弦楽団 副指揮者 在任。

1971年
◆ コンセルトヘボウ管弦楽団 副指揮者 在任。
◆ ネーデルラント・オペラ財団(現国立オペラ)。フォルトナー「ドン・ペルリンプリン」。

1972年
◆ コンセルトヘボウ管弦楽団 副指揮者 在任。

1973年
◆ コンセルトヘボウ管弦楽団 副指揮者 退任。
◆ オランダ放送フィル 首席指揮者 就任。

1974年
◆ オランダ放送フィル 首席指揮者 在任。
◆ サンフランシスコ交響楽団に客演(デビュー)。

1975年
◆ オランダ放送フィル 首席指揮者 在任。

1976年
◆ オランダ放送フィル 首席指揮者 在任。
◆ ロイヤル・フィルの副指揮者となり、1979年まで在職。
◆ ネーデルラント・オペラ財団(現国立オペラ) 首席指揮者 就任。

1977年
◆ オランダ放送フィル 首席指揮者 在任。
◆ ネーデルラント・オペラ財団 首席指揮者 在任。

1978年
◆ オランダ放送フィル 首席指揮者 在任。共同首席指揮者のジャン・フルネが運営陣との問題で辞任。
◆ ネーデルラント・オペラ財団 首席指揮者 在任。

1979年
◆ オランダ放送フィル 首席指揮者 辞任。
◆ ネーデルラント・オペラ財団 首席指揮者 在任。

1980年
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席指揮者 就任。
◆ ネーデルラント・オペラ財団 首席指揮者 在任。

1981年
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席指揮者 在任。
◆ ネーデルラント・オペラ財団 首席指揮者 在任。

1982年
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席指揮者 在任。
◆ ネーデルラント・オペラ財団 首席指揮者 在任。

1983年
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席指揮者 在任。
◆ ネーデルラント・オペラ財団 首席指揮者 在任。

1984年
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席指揮者 在任。
◆ ネーデルラント・オペラ財団 首席指揮者 在任。

1985年
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席指揮者 在任。
◆ ネーデルラント・オペラ財団 首席指揮者 退任。
◆ ドレスデン国立歌劇場音楽監督兼シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者 就任。「ばらの騎士」。

1986年
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席指揮者 在任。
◆ ドレスデン国立歌劇場音楽監督兼シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者 在任。

1987年
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席指揮者 在任。
◆ 東ドイツのドレスデン国立歌劇場音楽監督兼シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者 在任。

1988年
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席指揮者 在任。
◆ ドレスデン国立歌劇場音楽監督兼シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者 在任。
◆ ミラノ・スカラ座。ヨンメッリ「フェトンテ」。
◆ フランクフルト放送交響楽団。ドヴォルザーク9番、他。
◆ 「ギラン・バレー症候群」発症。1年間の治療と休養で健康を回復。

1989年
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席指揮者 在任。
◆ ドレスデン国立歌劇場音楽監督兼シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者 在任。

1990年
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席指揮者 在任。
◆ ドレスデン国立歌劇場音楽監督兼シュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者 退任。

1991年
◆ ハーグ・レジデンティ管弦楽団 首席指揮者 退任。
◆ ケルン放送交響楽団(現ケルンWDR交響楽団) 首席指揮者 就任。

1992年
◆ ケルン放送交響楽団(現ケルンWDR交響楽団) 首席指揮者 在任。

1993年
◆ ケルン放送交響楽団(現ケルンWDR交響楽団) 首席指揮者 在任。

1994年
◆ ケルン放送交響楽団(現ケルンWDR交響楽団) 首席指揮者 在任。

1995年
◆ ケルン放送交響楽団(現ケルンWDR交響楽団) 首席指揮者 在任。

1996年
◆ ケルン放送交響楽団(現ケルンWDR交響楽団) 首席指揮者 在任。
◆ セントルイス交響楽団 首席指揮者に就任。

1997年
◆ セントルイス交響楽団 首席指揮者 在任。
◆ ケルン放送交響楽団(現ケルンWDR交響楽団) 首席指揮者 退任。
◆ 11月、ネーデルラント・オペラ。「ドン・ジョヴァンニ」

1998年
◆ セントルイス交響楽団 首席指揮者 在任。
◆ 4月、ネーデルラント・オペラ。「エディプス王」

1999年
◆ セントルイス交響楽団 首席指揮者 在任。

2000年
◆ セントルイス交響楽団 首席指揮者 在任。
◆ 10月、ネーデルラント・オペラ。「エレクトラ」

2001年
◆ セントルイス交響楽団 首席指揮者 在任。
◆ 「筋萎縮性側索硬化症」発症。

2002年
◆ セントルイス交響楽団 首席指揮者 退任。
◆ オランダ放送交響楽団 首席指揮者 就任。亡くなるまで車椅子で指揮。

2003年
◆ オランダ放送交響楽団 首席指揮者 在任。
◆ 5〜6月、ネーデルラント・オペラ。「オイリアンテ」

2004年
◆ オランダ放送交響楽団 首席指揮者 在任。
◆ 5月、オランダ獅子勲章(騎士)授与。
◆ 8月29日、アムステルダムの自宅で死去。62歳。



 トラックリスト (収録作品と演奏者)

グスタフ・マーラー [1860-1911]
交響曲第2番 ハ短調 「復活」 79'02
1. 第1楽章 アレグロ・マエストーゾ 20'48
2. 第2楽章 アンダンテ・モデラート 9'45
3. 第3楽章 穏やかに流れる動きで 10'26
4. 第4楽章 原光:きわめて荘厳に、しかし簡潔に 5'07
5. 第5楽章 フィナーレ:スケルツォのテンポで 32'56

マリア・オラン(ソプラノ)
ヤルト・ファン・ネス(コントラルト)
オランダ劇場合唱団
ハーグ・レジデンティ管弦楽団
ハンス・フォンク(指揮)
録音:1985年、ハーグ、ニーウェ教会
 Track list

Gustav Mahler 1860-1911
Symphony No.2 ‘Resurrection'

Symphony No.2 in C minor ‘Resurrection'
1. I. Allegro maestoso 20'48
2. II. Andante moderato 9'45
3. III. In ruhig fliessender Bewegung 10'26
4. IV. Urlicht: sehr feierlich, aber schlicht 5'07
5. V. Finale: in Tempo des Scherzos 32'56

María Orán soprano
Jard van Nes contralto
The Dutch Theatre Choir
Residentie Orkest The Hague
Hans Vonk conductor

Total time: 79'23
Recording: 1985

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人物・団体紹介

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マーラー(1860-1911)

1860年:オーストリア領ボヘミア、イーグラウ近郊のカリシュト村で、グスタフ・マーラー誕生。 1875年:ウィーン楽友協会音楽院に入学。 1877年:ウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受講。 1883年:カッセル王立劇場の副指揮者に就任。 1885年:『さすらう若人の歌』を完成。プラハのドイツ劇場の

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