ブリテン、ベンジャミン(1913-1976)

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CD 輸入盤

ピアノ協奏曲(改訂版)、ほか ミュートン=ウッド、キャメロン&ロンドン交響楽団

ブリテン、ベンジャミン(1913-1976)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
SBT1493
組み枚数
:
1
レーベル
:
:
Europe
フォーマット
:
CD
その他
:
輸入盤

商品説明

ブリテン:ピアノ協奏曲改訂版
初演者ミュートン=ウッドによる録音!


ブリテンのピアノ協奏曲は、1946年に大きく改訂されて魅力を増していますが、その改訂版初演をおこなったのは、ブリテンに信頼されていたピアニスト、ノエル・ミュートン=ウッドでした。ミュートン=ウッドは、31歳の若さで自殺してしまったため録音がほとんど遺されていないので、今回、初出音源であるブリテン作品の登場は歓迎されるところです。
 組合わせは、2つのイギリス歌曲で、ブリテンのパートナーでもあったピーター・ピアーズの伴奏をおこなっています。

【解説書より抄訳】
夭折のピアニスト、ノエル・ミュートン=ウッド
オーストラリア人ピアニスト、ノエル・ミュートン=ウッドが亡くなってから60年の歳月が経とうとしている。彼の才能を知る新しい世代もだんだん少なくなってきている。これは、ミュートン=ウッドが商業レコーディングをほとんど残さなかったことと、そのほとんどが有名曲を一流でないオーケストラや指揮者と小さなレーベルに録音したものだったという理由に他ならない。20世紀前半は、ラジオ放送のほとんどがライヴであり、そのうちの一部分だけが後の放送用に録音されるという時代であった。ミュートン=ウッドは31歳という若さで亡くなっており、それゆえにキャリア自体が大変短い。だからこそ、残された放送録音はどれも非常に重要なのである。
 ノエル・ミュートン=ウッドは1922年、オーストラリアのメルボルンに生まれた。最初は母親からピアノの手ほどきを受けたが、すぐにメルボルン大学音楽院のワルデマール・サイデルに師事するようになる。まさに神童と呼ばれるのに相応しく、あっという間に室内楽、管弦楽、器楽、オペラといったあらゆるジャンルの音楽を吸収しつくし、並外れた初見視奏能力により膨大なレパートリーの知識を得た。14歳にして、母親に付き添われてロンドンの王立音楽院の門をたたく。その1年後には、アルトゥール・シュナーベルに学ぶためにイタリアを旅した。1939年、ロンドンに戻るとフランク・ブリッジに師事して作曲の勉強を開始。
 サー・トーマス・ビーチャムのオーディションに合格し、1940年、クィーンズ・ホールにてベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番でデビューを果たす。第二次大戦の影響で故郷オーストラリアへのツアーが一旦延期されるが、1945年の夏にこれも実現した。1948年、超難曲とされるフェルッチョ・ブゾーニのピアノ協奏曲をビーチャム指揮BBC交響楽団と演奏した。現代音楽は常にミュートン=ウッドの関心事の中心にあり、多くの現代音楽作曲家の擁護者としても活躍した。1945年3月、ニュージーランドのピアニスト、リチャード・ファレルとともにストラヴィンスキーの2台のピアノのための協奏曲のオーストラリア初演を果たしてもいる。まったくの同時期に、ヒンデミットの『ルードゥス・トナリス』の事実上の英国初演も成している。
 ベンジャミン・ブリテン[1913-1976]は1938年のプロムスにてピアノ協奏曲の初演を行っているが、1945年には特に第3楽章に多くの加筆訂正を行っている。新しい版の初演は1946年7月2日チェルトナム音楽祭にてミュートン=ウッドによって行われた。バックは作曲家自身の指揮したロンドン・フィルハーモニー管弦楽団だった。タイムズ紙の特派員は以下のように綴っている。
 「ミュートン=ウッド氏はブリテン作品の持つ手に負えないほどの難所を克服しただけでなく、見事な成功にまで到達させた。大量の音符は打鍵の確かさだけにとどまらず、特に新しい楽章ではそのひとつひとつにまで表現力が求められるが、このピアニストは十分にそれらの要求に応えていた。」
 ロンドンでの初演は1946年8月2日のプロムスのことである。ここにもミュートン=ウッドは出演し、バックはベイジル・キャメロン指揮のロンドン交響楽団であった。この放送は残念ながら録音されていないが、同じ顔合わせでBBCトランスクリプション・サービス用に録音するために同年12月にウェンブリー市民ホールにて再演された。
 ブリテンがミュートン=ウッドを改訂版の初演ピアニストに選んだのは、ひとえに彼の才能を評価していたからである。確かに、ふたりは親密な友人であった。だからこそ1950年代初頭、ブリテンが歌劇『グロリアーナ』の作曲で多忙な際には、パートナーであったピーター・ピアーズの伴奏をミュートン=ウッドが代わって務めている。

2つの歌曲の録音
ピアーズがイギリス作曲家から2つの作品の演奏を依頼されたのもこの時期であった。1953年5月、マティアス・セイバー[1905-1960]の歌曲集『詩に寄す』と、アラン・ブッシュ[1900-1995]の『預言者の声』がピアーズとミュートン=ウッドにより初演されている。4ヶ月後、BBCはこのふたりの音楽家に将来の放送音源用にこれらの作品の録音を依頼する。1953年9月25日、ピアーズとミュートン=ウッドはメーダ・ベールにあるBBCのスタジオに午後2時半に到着しリハーサルをこなし、午後4時には録音を開始した。

ミュートン=ウッドの死
ミュートン=ウッドはパートナーであったウィルヘルム・フェドリックスとの関係に悩み患った胃痛を放置し続け、1953年年末、そのフェドリックスの突然の死のショックによりアスピリンの大量摂取で自殺を図った。友人達に発見され一時は救出されたが、意志は固く、数日後には青酸カリを服用し1953年12月5日遺体で発見された。この時まだ、31歳の若さであった。翌年、ブリテンはカンティクル第3番『なおも雨は降る』をミュートン=ウッドのために作曲し、1955年1月ウィグモアホールの追悼コンサートで披露された。60年の月日が流れたが、この並外れた才能を持ったピアニスト、ミュートン=ウッドの名前をクラシック界にとどめておくことは重要なことである。英国音楽と英国作曲家に大いに貢献したピアニストだった。その貢献だけでも、彼の名は英国音楽史上に刻まれるべきなのである。(©Jonathan Summers, 2013 訳:堺則恒)

【収録情報】
・ブリテン:ピアノ協奏曲ニ長調作品13 [34:12]

 ノエル・ミュートン=ウッド(ピアノ)
 ロンドン交響楽団
 ベイジル・キャメロン(指揮)

 録音時期:1946年12月
 録音場所:ウェンブリー市民ホール
 録音方式:モノラル(セッション)

・セイバー:『詩に寄す』[13:35]
・ブッシュ:『預言者の声』作品41 [16:41]

 ピーター・ピアーズ(テノール)
 ノエル・ミュートン=ウッド(ピアノ)

 録音時期:1953年9月
 録音場所:メーダ・ベール、BBCスタジオ
 録音方式:モノラル(セッション)

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