CD

交響曲第3番、第4番 シュタイン&バンベルク交響楽団(1997ライヴ)(2CD)

ブラームス(1833-1897)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
AVCL25482
組み枚数
:
2
レーベル
:
:
日本
フォーマット
:
CD

商品説明

「これだけ誇張もなく、自然であり、美しく溶け合った響きのブラームスは空前にして 絶後である。よく耳をそばだてて聴くと、きめの細かい仕上げに言葉を失ってしまう」――平林直哉(第3番&第4番のライナーより)

バイロイト音楽祭のFM中継、NHK交響楽団の客演指揮、そしてバンベルク交響楽団の来日公演で、広く日本のクラシック音楽ファンに親しまれたホルスト・シュタイン(1928-2008)。
 かつて、シュタインが1985年から首席指揮者(96年からは終身名誉指揮者)を務めたバンベルク交響楽団が、10月に行う日本公演(ブラームス・チクルス)に合わせて、97年に収録されたブラームス全集を2巻に分けて再発売します。
 これらは、シュタインの70歳(1998年)記念のためにオーケストラとバイエルン放送協会とが共同制作したもの。海外では4枚組でKochレーベルからリリースされましたが、その後は長らく廃盤になっており、ファンにとっては待望の復活、日本盤としては初登場となります。ライヴとは言いながら、リハーサルも合わせて編集され、拍手はカットされ、客席ノイズも目立ちません。
 日本盤としてリリースするにあたり、バンベルク交響楽団で四半世紀近くも首席ホルン奏者を務めた水野信行氏へのインタビュー(第1番&第2番)と、バイエルン放送協会のプロデューサー、ヴォルフラム・グラウル氏が寄稿したシュタインの回想(第3番&第4番)を掲載。
 シュタインは、1964年にバンベルク交響楽団に初登場して以後、生涯に500回以上も指揮し、生涯最後に指揮したのも2001年5月のバンベルク交響楽団の演奏会でした。その最後の演奏会の写真(1点)を第3番&第4番の解説書に掲載。尚、ジャケット写真は、1998年11月2日の東京芸術劇場におけるシュタイン&バンベルク響の演奏会において木之下晃氏が撮影したものです。(エイベックス)

【収録情報】
ブラームス:
・交響曲第3番ヘ長調
・交響曲第4番ホ短調
 バンベルク交響楽団
 ホルスト・シュタイン(指揮)

 録音時期:1997年
 録音場所:バンベルク、ヨーゼフ・カイルベルト・ザール
 録音方式:デジタル(ライヴ)

【ホルスト・シュタイン】
1928年にラインラント地方のエルバーフェルト(今日のヴッパータール市の一部)に生まれたホルスト・シュタインは、ケルン高等音楽院で学び、47年にヴッパータール市立劇場のコレペティートゥルを振り出しにプロのキャリアを始めた。歴任した主なポストはハンブルク州立歌劇場カペルマイスター、ベルリン州立歌劇場カペルマイスター、ハンブルク市の音楽総監督代理、マンハイム国立歌劇場の音楽総監督及び歌劇場監督、ウィーン国立歌劇場第一指揮者、ハンブルク市の高等音楽院教授及び州立歌劇場音楽総監督、スイス・ロマンド管弦楽団首席指揮者、バーゼル交響楽団の音楽監督。
 バイロイト音楽祭では、52年から55年にかけてカイルベルトやクナッパーツブッシュらのアシスタントを務めた後、62年の《パルジファル》でデビュー、70年の《ニーベルングの指環》で決定的成功を収め、80年代半ばまで指揮者陣の常連であった。バイロイトでの指揮回数は通算138回に上る。
 日本では、73年にNHK交響楽団に初登場し、早くも2年後に名誉指揮者の称号を受け、98年の最後の来日公演までドイツ音楽を中心に演奏会を重ねた。
2008年7月にスイスのヴァントゥーヴルで没した。
 シュタインがバンベルク交響楽団を初めて指揮したのは、64年のバート・キッシンゲンでの演奏会。以後、共演を重ね、85/86年シーズンから首席指揮者に就任。93年9月には、レグニッツ河畔に新設された本拠地ヨーゼフ・カイルベルト・ザールのオープニング公演でマーラー:交響曲第8番《千人の交響曲》を指揮し、大成功を収めた。96年に首席指揮者退任の意向を表明すると、同年3月の楽団創設50周年とシュタインの450回目の指揮を記念する演奏会において、オーケストラから終身名誉指揮者の称号を贈られて、その後も客演を続けた。バンベルク響との最後の演奏会(そしてシュタイン生涯最後の演奏会)は、2001年5月21日、オットーボイレン修道院での演奏会で、プログラムはガブリエーリの作品とブルックナー:交響曲第3番だった。シュタインとバンベルク交響楽団との演奏会は500回を越え、ヨーロッパの主要な都市のほぼすべてに加え、東南アジア、日本、南アメリカ、エジプトとトルコにまでツアーを行った。
 シュタインの華々しいキャリアに比べると録音は少ない。バンベルク響との録音には、シューベルト:交響曲全集、ブルックナー:交響曲第4番《ロマンティック》、ベートーヴェン:交響曲第3番《英雄》、リヒャルト・シュトラウス:《アルプス交響曲》《ツァラトゥストラはこう語った》(以上RCA)、マックス・レーガーの管弦楽作品全集(Koch/廃盤)などがある。

【バンベルク交響楽団】
ハプスブルク帝国の時代から、プラハはドイツやオーストリアとも密接な文化的交流を持つ国際的な文化都市であり、ドイツ語を話す人々による歌劇場が存在した。モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》はそこで初演された。その歌劇場のオーケストラは徐々に大きくなり、後にプラハ・ドイツ歌劇場管弦楽団を経てプラハ・ドイツ・フィルハーモニーになる。このオーケストラはヨーゼフ・カイルベルトの下で第二次大戦中も活動を続け、1945年5月初めまで演奏を行っていた。その後の混乱を避けて西側に脱出した音楽家達が最初にたどり着いたのが、チェコとの国境に近く、戦火を免れた数少ない都市バンベルクだった。彼らにカールスバードやシレジア等から逃れて来た音楽家達が合流してバンベルク交響楽団を旗揚げし、ヨーゼフ・カイルベルトが創設者として音楽監督に就任した。
 第2次大戦後のドイツ政府は、文化使節としてオーケストラの海外派遣を行ったが、最も多く起用されたのがバンベルク交響楽団だった。1949年には戦後最初のドイツ楽団としてフランスで演奏した。ヨーロッパ主要国、アメリカ合衆国、アジア、アフリカにも第2次大戦後初めて派遣されたドイツのオーケストラがバンベルク交響楽団であり、今日に至るまで非常に多くの演奏旅行を行っている。
 創設後のバンベルク交響楽団には、音楽監督ヨーゼフ・カイルベルトに加え、ハンス・クナッパーツブッシュ、クレメンス・クラウス、ルドルフ・ケンペ、ゲオルク・ショルティ、ヴォルフガング・サヴァリッシュらも客演して世界から注目を集めた。カイルベルトは、その後ドレスデンとベルリンを経て、1949年にバンベルクに再び戻り、68年に死去するまで首席指揮者を務め、録音や海外演奏旅行等の活発な活動を行った。以後、オイゲン・ヨッフム、ジェイムズ・ロッホラン、ホルスト・シュタインが首席指揮者を務め、95〜99年はインゴ・メッツマッハーが首席客演指揮者を務めた。2000年1月よりジョナサン・ノットが首席指揮者に就任し、今日に至る。ノットとバンベルク響は、スイスのTUDORレーベルからシューベルトの交響曲全集や、一連のマーラー交響曲シリーズなどの録音を発表し、高い評価を得ている。
 バンベルク交響楽団は、オーケストラ・サウンドの国際的な均質化・画一化が進む中でチェコ(ボヘミア)的な個性的サウンドを保つ一方、演奏面においては伝統に支えられた今日的なあり方を模索している。1993年9月、レグニッツ川に面した新たな本拠地バンベルク・コンサート・ホール(ヨーゼフ・カイルベルト・ザール。約1400席)を置き、定期演奏会に加えて、世界的にも注目される夏のコンサートシリーズ(94年〜)を開催している。年間120回程の演奏会(バンベルクで40回、ドイツ国内で30回、国外で50回)を行い、加えて35〜40日間ほどのラジオ・テレビ放送用の収録やCD用の録音等があり、ドイツで最も多忙なオーケストラの一つである。2003年からは4年おきにグスタフ・マーラー国際指揮者コンクールを開催。第1回の第1位に若きベネズエラ人グスターボ・ドゥダメルを選出し、注目を集めた。

【バンベルク交響楽団の日本ツアー】
資料提供:バンベルク交響楽団

第1回 1968年5月(12公演)
指揮:ヨーゼフ・カイルベルト(7回)、岩城宏之(5回)(ソリスト無し)

第2回 1982年9月(9公演)
指揮:オイゲン・ヨッフム(6回)、レオポルド・ハーガー(3回)(ソリスト無し)

第3回 1986年9月(8公演)
指揮:ホルスト・シュタイン(ソリスト無し)

第4回 1990年4、5月(12公演)
指揮:ホルスト・シュタイン
ソリスト:エリーザベト・レオンスカヤ(ピアノ)、フランク=ペーター・ツインマーマン(ヴァイオリン)、堤剛(チェロ)

第5回 1991年10月(5公演)
指揮:クリストフ・エッシェンバッハ
ソリスト:ツィモン・バルト(ピアノ)

第6回 1993年5月(10公演)
指揮:ホルスト・シュタイン
ソリスト:マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)

第7回 1995年10、11月(12公演)
指揮:ホルスト・シュタイン
ソリスト:山崎伸子(チェロ)、ルアナ・デ・フォル(ソプラノ)、ヴォルフガング・シュミット(テノール)

第8回 1998年10、11月(10公演)
指揮:ホルスト・シュタイン
ソリスト:ラドゥ・ルプー(ピアノ)、諏訪内晶子(ヴァイオリン)

第9回 2000年10月(7公演)
指揮:ミッコ・フランク
ソリスト:田部京子(ピアノ)、渡辺玲子(ヴァイオリン)

第10回 2004年2月(10公演)
指揮:ジョナサン・ノット
ソリスト:上原彩子(ピアノ)、五嶋龍(ヴァイオリン)

第11回 2006年5月(5公演)
指揮:ジョナサン・ノット
ソリスト:庄司紗矢香(ヴァイオリン)、宮田まゆみ(笙)
(第11回ツアーの最終公演が100回目の日本公演となった。)

第12回(予定)2009年10月(6公演)
指揮:ジョナサン・ノット
ソリスト:ピエール=ロラン・エマール(ピアノ)、クリスティアン・テツラフ(ヴァイオリン)

内容詳細

シュタインが得意としていたドイツ・ロマン派の王道、ブラームスの交響曲全集からの一枚。シュタイン70歳記念で発売された作品の久しぶりの再発となった。バンベルク響とのコンビで披露された、ドイツの伝統に根ざした堂々としたブラームスだ。(CDジャーナル データベースより)

収録曲   

総合評価

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98年秋のバンベルク交響楽団の来日公演で1...

投稿日:2011/02/25 (金)

98年秋のバンベルク交響楽団の来日公演で1番と3番は聴いた。シュタイン氏の追悼企画とはいえ、Kochから出ていた音源の復活はありがたい。悠然と構えた名演奏だ。永久の定番にはなりにくいだろうから、興味ある人は速やかに入手せられたし。4番の楷書体ながらも弦の重厚な演奏も良いが、意外な熱さを見せた3番の方が印象に残った。98年の来日公演では、ともに演奏された諏訪内晶子とのドヴォルザークの協奏曲やルプーとのブラームス協奏曲第一番も素晴しい名演であったと記憶する。放送録音などがあれば発売してほしいものだ。

eroicka さん | 東京都 | 不明

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2008年に亡くなったホルスト・シュタインは...

投稿日:2010/04/10 (土)

2008年に亡くなったホルスト・シュタインはNHKSOの名誉指揮者としても我々には馴染みある指揮者でその風貌からも印象的な人でありました。単に職人気質的な演奏だけに留まるのではなくそのキャリアから生まれる演奏は中々捨てがたいものがありました。1997年彼が70歳直前のブラームス交響曲の一連のライブ録音盤である本盤中第3番を取り上げたいと思います。演奏タイムからメモしますと@11’00A9’23B6’46C10’08と何れの楽章もじっくりと構えた演奏である事が分かります。第1楽章、少し粘っこくスタートする感じでとにかくスローであります。中ほど繰り返しに到るまで充分「溜め」を作って対応します。終わりの方も各パーツを確かめる如くゆっくり閉じます。第2楽章も然りでゆっくりだけに弦を充分たっぷりと聴かせます・・・伝統的な弦の音の中にも少しある華麗さを感じました。続く有名な楽章はこれまでのアプローチが更にピッタリ、ホルンの鳴りも秋の寂しさを予感させ相変わらずゆっくりの最終楽章は一節一節武骨なまでです・・・しかし決してダレません。最後小波が寄せるようにそして過去を反芻するようにテーマを散らばせながら終わります。全体聴き通してどっしり腰を据えた演奏であり(シュタインが演奏すると全てゆっくり感があるとは限らず例えば1980年代半ばのシューベルト交響曲集はマトモな?テンポで仕上げています・・・)、最近では聴けなくなった本来のこの交響曲のあるべき姿にデフォルメした様に私には思え・・・、私には最高ランクのこの曲でありました。なお、他の曲は聴いておりませんので素晴らしいランクに止めておきますね。(タイムについては盤により多少異なる場合があります)

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1番、2番同様、柔らかくて、暖かくて、優...

投稿日:2009/10/28 (水)

1番、2番同様、柔らかくて、暖かくて、優しいブラームスだと思います。私的には、3番がとても好きです〜心が癒されます♪

ねこまんま さん | 東京都 | 不明

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人物・団体紹介

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ブラームス(1833-1897)

1833年:北ドイツのハンブルクでヨハネス・ブラームス誕生。 1843年:演奏会にピアニストとして出演。作曲家、ピアニストのマルクスゼンに師事。 1852年:ピアノ・ソナタ第2番が完成。 1853年:ピアノ・ソナタ第1番、ピアノ・ソナタ第3番が完成。 1854年:ピアノ三重奏曲第1番、シューマンの主題による変奏曲が完成。

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