ハイドン中期の傑作を対向配置室内オケで
ハイドン:交響曲第43番、第44番「悲しみ」、第47番「回文」
モーテンセン&コンチェルト・コペンハーゲン
これまでハイドンのチェロ協奏曲、ピアノ協奏曲や、デンマーク古典派の交響曲などで澄んだ美しい演奏を聴かせていたモーテンセン&コンチェルト・コペンハーゲンが、ハイドン中期の交響曲を音響の良いクイーンズ・ホールでセッション録音。
小編成オケ
オケは14人で、第1ヴァイオリン3人、第2ヴァイオリン3人、ヴィオラ1人、チェロ1人、コントラバス1人、オーボエ2人、ファゴット1人、ホルン2人という編成。メンバーの出身はスウェーデン、クロアチア、ポーランド、アメリカ、フランス、オランダ、イタリアと国際的で、指揮のモーテンセンのみデンマーク人。
ブックレット
ディジパック仕様。テキストは英語とドイツ語。コンチェルト・コペンハーゲンのプロジェクト・マネージャーでもある音楽家フロエ・アナスンによる解説が掲載。
エステルハージ宮殿(フェルトゥード)殿の立地や気候、改築による巨大化について言及し、部屋数やスタッフ人数、ハイドンや楽員の待遇、出演回数など、各種の事情についてキーになる数字を出して簡潔にまとめてあります。
当初は夏だけのはずだったエステルハージ宮殿(フェルトゥード)殿への滞在が年に10か月に及ぶ長期拘束に変わったことへの不満だったり、上演成功の喜びだったりといった諸々の状況が、創作者個人の感情を意識、強調する思想である「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)」的な作曲スタイルに繋がった可能性を匂わせる面白い解説。ハイドン自身が書いた短いメモも掲載。
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Berlin Classics 検索
演奏者情報
◆
ラース・ウルリク・モーテンセン (指揮)
1955年11月9日、デンマークのエスビェアに誕生。3歳でピアノを習い始め、デンマーク放送少年合唱団で歌い、コペンハーゲンの高校で音楽を専攻して卒業した後、大学で音楽学を学び始めたモーテンセンは、ヴァージナル・ブック(曲集)に魅了され、さらにチェンバロに出会ってその繊細な音に惚れこみ、チェンバロ奏者になることを決意。まずコペンハーゲンの王立デンマーク音楽アカデミーで、チェンバロをカレン・エングルンドに、通奏低音をイェスパー・ボイエ・クリステンセンに師事し、その後ロンドンでトレヴァー・ピノックの指導を受けています。
プロになったモーテンセンは、1988年から1990年までロンドン・バロック、1990年から1993年までコレギウム・ムジクム90に所属し、ジョン・ホロウェイ、デイヴィッド・ワトキンと共にトリオ・ヴェラチーニを結成してもいました。
1999年、コンチェルト・コペンハーゲンの芸術監督に任命されてデンマークに帰り、ほどなくコペンハーゲンの王立劇場でオペラ指揮者デビューして高い評価を獲得。以後、同劇場でコンチェルト・コペンハーゲンと、。
「ジュリオ・チェーザレ」「パルテノーペ」、モーツァルト「イドメネオ」「フィガロの結婚」「皇帝ティートの慈悲」、モンテヴェルディ「ウリッセの帰還」などを上演。
モーテンセンは、ヨーロッパ、アメリカ、メキシコ、南米、日本、オーストラリアで客演指揮者、ソリスト、室内楽奏者としても幅広く活動。
CDは、Berlin Classics、CPO、Archiv、Paula、Kontrapunkt、Harmonia mundi、Chandos、Dacapo、ABC Classics、Caprice、Obsidian、ECM New Series、Estonian Record、Naxos、Brilliant Classics、BIS、Classico、Naim、Marco Poloなどから発売。
◆
コンチェルト・コペンハーゲン
1991年の最初のコンサート以来、コンチェルト・コペンハーゲン(CoCo)は、バロック、古典派、初期ロマン派の分野でスカンジナビアを代表するオーケストラに成長しました。芸術監督、指揮者、チェンバロ奏者のラース・ウルリク・モーテンセンを中心に、歴史的素材を扱うための特別なアプローチの代名詞ともなっています。CoCoは、芸術的真正性と革新性を融合させ、独創的で妥協のない解釈を通じて、音楽に新たな命を吹き込んでいます。
1999年以来、CoCoとラース・ウルリク・モーテンセンのコラボレーションは、エキサイティングな芸術的・音楽的旅路へとつながってきました。よく知られたヨーロッパ音楽とスカンジナビア発祥のあまり知られていない作品や新しい音楽を組み合わせたユニークなレパートリーで活動してきました。
CDは、Berlin Classics、CPO、Chandos、Dacapo、Jensen、Naxos、BIS、Classico、Musica Sveciaeなどから発売。
トラックリスト (収録作品と演奏者)
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン [1732-1809]
◆
交響曲第43番 変ホ長調 Hob.I/43「マーキュリー」
1. I. アレグロ 07'32
2. II. アダージョ 07'50
3. III. メヌエット & トリオ 02'39
4. IV. フィナーレ.アレグロ 05'48
◆
交響曲 第44番 ホ短調 Hob.I/44「悲しみ」
5. I. アレグロ・コン・ブリオ 06'30
6. II. メヌエット & トリオ.アレグレット. カノーネ・イン・ディアパゾン(オクターヴのカノン) 04'16
7. III.アダージョ 05'35
8. IV. フィナーレ. プレスト 05'06
◆
交響曲第47番 ト長調 Hob.I/47「回文」
9. I. アレグロ 09'08
10. II. ウン・ポーコ・アダージョ、カンタービレ 07'39
11. III. メヌエット&トリオ・アル・ロヴェルソ 02'06
12. IV. フィナーレ.プレスト・アッサイ 06'31
コンチェルト・コペンハーゲン
フレードリク・フロム(スウェーデン/第1ヴァイオリン)
イェセンカ・バリッチ・ジュニッチ(クロアチア/第1ヴァイオリン)
ハンナ・イドマルク(スウェーデン/第1ヴァイオリン)
ハンナ・ティvベル(スウェーデン/第2ヴァイオリン)
ガブリエル・バーニア(ポーランド/第2ヴァイオリン)
アリスン・ラスマース(アメリカ=カナダ/第2ヴァイオリン)
アンティナ・ヒューゴソン(スウェーデン/ヴィオラ)
ジュディト=マリア・ブロムステルベリ(スウェーデン=ドイツ/チェロ)
メーガン・アディ(アメリカ/コントラバス)
アントワーヌ・トルンチク(フランス/オーボエ)
ラース・ヘンリクソン(スウェーデン/オーボエ)
カミラ・マルチンコフスカ(ポーランド/ファゴット)
エマニュエル・フランケンベルフ(オランダ/ホルン)
ファビオ・フォルジャリーニ(イタリア/ホルン)
ラース・ウルリク・モーテンセン (指揮)
録音:2024年2月7〜11日、コペンハーゲン、王立図書館、クイーンズ・ホール
Track list
Franz Joseph Haydn 1732-1809
Symphonies Nos. 43, 44, 47
Symphony no. 43 in Eb major, “Mercury", Hob. I/43
1 I. Allegro 07'32
2 II. Adagio 07'50
3 III. Menuetto & Trio 02'39
4 IV. Finale. Allegro 05'48
Symphony no. 44 in E minor, “Mourning", Hob. I/44
5 I. Allegro con brio 06'30
6 II. Menuetto & Trio. Allegretto. Canone in Diapason 04'16
7 III. Adagio 05'35
8 IV. Finale. Presto 05'06
Symphony no. 47 in G major, “Palindrome", Hob. I/47
9 I. Allegro 09'08
10 II. Un poco adagio, cantabile 07'39
11 III. Menuetto & Trio al Roverso 02'06
12 IV. Finale. Presto assai 06'31
Concerto Copenhagen
Violin I Fredrik From
Jesenka Balic Zunic
Hanna Ydmark
Violin II Hannah Tibell
Gabriel Bania
Alison Luthmers
Viola Antina Hugosson
Cello Judith-Maria Blomsterberg
Bass Megan Adie
Oboe Antoine Torunczyk
Lars Henriksson
Bassoon Kamila Marcinkowska
Horn Emmanuel Frankenberg
Fabio Forgiarini
Conductor Lars Ulrik Mortensen
Recorded 7-11th of February 2024 at The Royal Library, Queens Hall, Copenhagen
作曲者情報
ローラウ (約6年間)
◆ 1732年、音楽好きの両親のもとに誕生。一家は父のハープの伴奏で歌うことが好きでしたが、その様子を見た親戚の学校長で音楽教師のヨハン・マティアス・フランクが自分のところに住み込ませて指導することを申し出ます。
ハインブルク、フランク家 (約2年間)
◆ 1738年、6歳から11km離れたハインブルクの親戚の音楽教師の家に住み込み、通常の学科に加えて、声楽、ヴァイオリン、管楽器、ティンパニなどを学んでいます。
ウィーン、シュテファン大聖堂 (約9年間)
◆ 1740年、ウィーンのシュテファン大聖堂の楽長ゲオルク・ロイター2世に才能を見出され、ロイター家に暮らしながらシュテファン大聖堂聖歌隊で声変わりまで9年間活動。素行不良などを理由に解雇。
ウィーン、大小ミヒャエルハウス、他 (約6年間)
◆ 1749年、聖歌隊を解雇されたハイドンは、ウィーンのミヒャエル教会のテノール歌手で聖歌隊員でもあったシュパングラーの家に間借りします。住居はミヒャエル教会隣の「小ミヒャエルハウス」。
◆ 1749年、教会や劇場の合唱のエキストラ、酒場の楽隊のエキストラ、野外のセレナード楽団などに参加して生活費を捻出。
◆ 1750年、ミヒャエル教会隣の「大ミヒャエルハウス」の屋根裏部屋にチェンバロを持ち込んで個人相手のクラヴィーア教師の仕事を開始して人脈が拡大。
◆ 1753年、同じ大ミヒャエルハウスに暮らし始めた著名なイタリア人作曲家・音楽教師であるポルポラの従者兼弟子となり、仕事を手伝い、雑用をこなしながら作曲や歌唱法、イタリア語も教えてもらい、師に同行することで知名度も向上。並行して以下のような複数の仕事をおこなっています。
◆ 1753年、ウィーン、レオポルトシュタット地区のホスピタル騎士団で、楽団の首席奏者として採用。日曜日と祝日の朝8時からの演奏で年俸60フローリン。
◆ ウィーン、ハウクヴィッツ伯爵の仕事で、朝10時から伯爵家の礼拝堂で音楽を指揮。
◆ ウィーン、シュテファン大聖堂の仕事で、朝11時からの合唱に参加。
ウィーゼブルク (約4年間)
◆ 1755年、フュルンベルク男爵家の音楽家として契約。ウィーン近郊、ウィーゼブルクのワインツィアール宮殿で演奏したり、ディヴェルティメント(弦楽四重奏のための)を作曲をする仕事を得ています。
ウィーン、ピルゼン (約2年間)
◆ 1759年、モルツィン伯爵家の楽長として契約し(フュルンベルク男爵の推薦)、冬はウィーンのモルツィン伯爵邸、夏は世襲領地のモルツィン宮殿(ボヘミアのピルゼン地方、ウンター=ルカヴィッツ)が職場。
フェルトゥード、アイゼンシュタット、ウィーン (約29年間)
◆ 1761年、エステルハージ家の副楽長として契約(モルツィン伯爵の推薦)、ウィーン近郊アイゼンシュタットの宮殿と、ウィーンのワルナー通りにある宮殿が主な職場。
◆ 1766年、楽長に昇格。オーストリア大公国領ハンガリーのフェルトゥードに巨大な宮殿が完成すると、ほどなくコンサートからオペラまで業務内容も拡大して楽団も増員、シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒涛)様式と言われるスタイルが導入され、数多くの交響曲やピアノ・ソナタ、弦楽四重奏曲、協奏曲、そしてオペラやオラトリオが書かれています。
◆ 1780年代なかば以降、ゲストの評判や出版によって名声が高まると、海外からの作曲依頼も舞い込むようになり、「十字架上のキリストの最後の七つの言葉(管弦楽版)」や、「パリ交響曲集」、「ドニー交響曲集」など新たな作品が誕生。
ウィーン、ロンドン (約19年間)
◆ 1790年、ウィーンに拠点を戻してからは活動は国際的になり、2度のロンドン長期滞在により、大型のオーケストラを駆使した数々の傑作を生み出しています。
年表
1732
1733
1734
1735
1736
1737
1738
1739
1740
1741
1742
1743
1744
1745
1746
1747
1748
1749
1750
1751
1752
1753
1754
1755
1756
1757
1758
1759
1760
1761
1762
1763
1764
1765
1766
1767
1768
1769
1770
1771
1772
1773
1774
1775
1776
1777
1778
1779
1780
1781
1782
1783
1784
1785
1786
1787
1788
1789
1790
1791
1792
1793
1794
1795
1796
1797
1798
1799
1800
1801
1802
1803
1804
1805
1806
1807
1808
1809
1732年/享保17年 (0歳)
◆ 3月31日、神聖ローマ帝国(962-1806)内、オーストリア大公国(1453-1804)のローラウに誕生。ウィーンの南東約40kmに位置する村。約50km南には、のちにエステルハージ宮殿(フェルトゥード)が建設されるフェルトゥードがあります。
◆ 父マティアス[1699-1763]は、ローラウの北東約11kmに位置するハインブルクの出身。ハイドン家は代々ハインブルクで車大工を営む一族で、マティアスもハインブルクで車大工のマイスターになったのち、ローラウに家を建てて開業して成功。納税記録によれば、農地や複数の牛、ワインセラーも所有。本業のほかにも1741年から1761年まではマルクトリヒターという村の世話役のような仕事まで任されており、村人にハラハ伯爵家の仕事を斡旋したり、教会に通うように促したりしてもいました。
マティアスは10年に及ぶ車大工の諸国修行時代に神聖ローマ帝国内の各地をまわっており、仕事の傍らハープの弾き方を覚え、歌うことが好きだった人物でもあります。
◆ 母マリア・コラー[1707-1754]は、ローラウのハラハ伯爵家で働く料理人で、マティアスと同じく歌好きでした。2人の間には子供が12人生まれてうち6人が成人。
夫婦の夢は、3人の息子をプロの音楽家に育てることで、実際に、フランツ・ヨーゼフ[1732-1809]、ヨハン・ミヒャエル[1737-1806]、ヨハン・エヴァンゲリスト[1743-1805]は音楽家になっています。
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1733年/享保18年 (0〜1歳)
◆ ローラウに居住。
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1734年/享保19年 (1〜2歳)
◆ ローラウに居住。
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1735年/享保20年 (2〜3歳)
◆ ローラウに居住。
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1736年/享保21年/元文1年 (3〜4歳)
◆ ローラウに居住。
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1737年/元文2年 (4〜5歳)
◆ ローラウに居住。
◆ 9月14日、弟のヨハン・ミヒャエル・ハイドン[1737-1806]、ローラウに誕生。作曲家・オルガニストとして有名になります。
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1738年/元文3年 (5〜6歳)
◆ ローラウに居住。
◆ ハインブルクの親戚で、学校長、音楽教師のヨハン・マティアス・フランク[1708-1783]が、ローラウのハイドン家を訪問。幼いハイドンに楽才を見出します。
◆ ハインブルクのヨハン・マティアス・フランク宅に住みながら学校に通い、通常の学科のほか、声楽、ヴァイオリン、管楽器、ティンパニなどを学びます。
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1739年/元文4年 (6〜7歳)
◆ ハインブルク居住。親戚の家。
◆ 3月6日、妹アンナ・マリア[1739-1802]とアンナ・カテリーナ[1739-?]誕生。
◆ ウィーンのシュテファン大聖堂の楽長ゲオルク・ロイター2世[1708-1772]に歌の才能を見出されます。聖歌隊員を探していたロイター2世に対し、ハインブルク教区の司祭がハイドン少年を推薦したもので、歌を聴いたロイター2世により採用が決定したというものです。
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1740年/元文5年 (7〜8歳)
◆ ハインブルク居住。親戚の家。
◆ ウィーンに転居。大聖堂隣のロイター2世の住居。
◆ ウィーンのシュテファン大聖堂聖歌隊に入り、解雇されるまでの9年間、中心的存在として活躍しますが、美声ゆえにカストラート手術を施されそうになったり、また、食事などの環境も劣悪だったりと、子供ながらに社会の汚さ・厳しさに晒されることとなります。
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1741年/元文6年/寛保1年 (8〜9歳)
◆ ウィーンに居住。大聖堂隣のロイター2世の住居。
◆ シュテファン大聖堂聖歌隊員。
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1742年/寛保2年 (9〜10歳)
◆ ウィーンに居住。大聖堂隣のロイター2世の住居。
◆ シュテファン大聖堂聖歌隊員。
● ミサ・ブレヴィス、作曲。
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1743年/寛保3年 (10〜11歳)
◆ ウィーンに居住。シュテファン大聖堂聖歌隊員。
◆ 12月23日、ヨハン・エヴァンゲリスト・ハイドン[1743-1805]、ローラウに誕生。テノール歌手、音楽教師として活動。
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1744年/寛保4年/延享1年 (11〜12歳)
◆ ウィーンに居住。大聖堂隣のロイター2世の住居。
◆ シュテファン大聖堂聖歌隊員。
◆ 弟のミヒャエル・ハイドンがシュテファン大聖堂聖歌隊に採用。
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1745年/延享2年 (12〜13歳)
◆ ウィーンに居住。大聖堂隣のロイター2世の住居。
◆ シュテファン大聖堂聖歌隊員。
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1746年/延享3年 (13〜14歳)
◆ ウィーンに居住。大聖堂隣のロイター2世の住居。
◆ シュテファン大聖堂聖歌隊員。
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1747年/延享4年 (14〜15歳)
◆ ウィーンに居住。大聖堂隣のロイター2世の住居。
◆ シュテファン大聖堂聖歌隊員。
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1748年/延享5年/寛延1年 (15〜16歳)
◆ ウィーンに居住。大聖堂隣のロイター2世の住居。
◆ シュテファン大聖堂聖歌隊員。
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1749年/寛延2年 (16〜17歳)
◆ ウィーンに居住。大聖堂隣のロイター2世の住居。
◆ シュテファン大聖堂聖歌隊員。
◆ 声変わりで美声を失ったハイドンは、他の聖歌隊員の髪をハサミで切るなどの奇行により聖歌隊を解雇されてしまいます。
◆ 着のみ着のままでウィーン市中をさまよっていたハイドンは、ミヒャエル教会のテノール歌手で聖歌隊員であるヨハン・ミヒャエル・シュパングラー[1721-1794]と出会い、彼の住居であるミヒャエルハウス(ミヒャエル教会付属のクライネスの方。当時は低層建築)に間借りすることとなります。同家を拠点に、教会や劇場の合唱のエキストラ、酒場の楽隊のエキストラ、野外のセレナード楽団などに参加して生活費を捻出。
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1750年/寛延3年 (17〜18歳)
◆ ウィーンに居住。ミヒャエル・シュパングラー家。
◆ シュパングラー家に2人目の子供が生まれて手狭になったため、ミヒャエル教会に隣接したミヒャエルハウス(グロセスの方)という大きな共同住宅の屋根裏部屋(=6階)に転居。古いチェンバロと理論書を入手し、作曲を勉強。ミヒャエルハウスはエレベーターが無い時代の中層建築のため、1階が上流階級向けで、階が上がるほど社会階層が低くなるという暗黙の取り決めがありました。当時の入居者では1階にエステルハージ家の未亡人、3階に教皇大使のマルティネス家と同居人の詩人メタスタージオがおり、1753年にはそこに作曲家のポルポラが加わっています。教皇大使マルティネスの娘、マリアンナ・マルティネス[1744-1812]はのちに作曲家、ピアニスト、歌手として活躍する人物で、幼少期からハイドンにピアノを習い、その縁でハイドンはマルティネス家の好意により屋根裏部屋に無料で住むことができたほか、ポルポラやメタスタージオとも知り合っています。
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1751年/寛延4年/宝暦1年 (18〜19歳)
◆ ウィーンに居住。ミヒャエルハウスの屋根裏部屋。
◆ 個人相手のクラヴィーア教師の仕事を開始。
● ジングシュピール「せむしの悪魔」、作曲。
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1752年/宝暦2年 (19〜20歳)
◆ ウィーンに居住。ミヒャエルハウスの屋根裏部屋。
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1753年/宝暦3年 (20〜21歳)
◆ ウィーンに居住。ミヒャエルハウスの屋根裏部屋。
◆ 大ミヒャエラーハウスに入居したイタリア人作曲家で音楽教師であるニコラ・アントニオ・ポルポラ[1686-1768]に月額25フローリンで従者兼弟子として採用(大ミヒャエルハウス3階居住者でクラヴィーアを教えていたマリアンナ・マルティネスの紹介)。
ポルポラはヨーロッパ各地を転々とし、ロンドンでヘンデルと競い合っていたこともある人物でメタスタージオ[1698-1782]の親友。彼はラテン語とイタリア語の文学に精通し、詩作もおこない、フランス語、ドイツ語、英語も得意で会話の機知でも有名。40数曲のオペラのほか、オラトリオ、カンタータ、モテット、声楽セレナードなど作曲。
ハイドンはポルポラのもとで、音楽教師の仕事を手伝いながら、作曲や歌唱法、イタリア語の指導も受け、師に同行したことで貴族社会との接点も増えています。
◆ ウィーン、レオポルトシュタット地区のホスピタル騎士団で、楽団の首席奏者として採用。日曜日と祝日の朝8時からの演奏で年俸60フローリン。
◆ ウィーン、ハウクヴィッツ伯爵の仕事で、朝10時から伯爵家の礼拝堂で音楽を指揮。
◆ ウィーン、シュテファン大聖堂の仕事で、朝11時からの合唱に参加。
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1754年/宝暦4年 (21〜22歳)
◆ ウィーンに居住。ミヒャエルハウスの屋根裏部屋。
◆ 2月22日、母マリア・ハイドン死去。47歳。
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1755年/宝暦5年 (22〜23歳)
◆ ウィーンに居住。ミヒャエルハウスの屋根裏部屋。
◆ 収入が増えたためウィーンのザイラーシュテッテに転居。
◆ 4月8日、思いを寄せるケラー家のピアノの生徒、テレーゼ[1733-1819]がクララ会の修道女ヨゼファとなり、ハイドンは失恋。
◆ 7月、父マティアス、19歳のマリア・アンナ・シーダーと再婚。この結婚で5人の子供が生まれますが、成人まで生きた者はいませんでした。
◆ カール・ヨーゼフ・ウェーバー・エドラー・フォン・フュルンベルク男爵[1720-1767年]の音楽家として雇用。ウィーンの西約50kmに位置するウィーゼブルクのワインツィアール宮殿が職場。
◆ フュルンベルク男爵家 音楽家 在職。ウィーゼブルク居住。
◆ ワインツィアール宮殿での音楽会のため、在任中に「ディヴェルティメント」として弦楽四重奏のための作品を10曲ほど作曲。
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1756年/宝暦6年 (23〜24歳)
◆ フュルンベルク男爵家 音楽家 在職。ウィーゼブルク居住。
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1757年/宝暦7年 (24〜25歳)
◆ フュルンベルク男爵家 音楽家 在職。ウィーゼブルク居住。
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1758年/宝暦8年 (25〜26歳)
◆ フュルンベルク男爵家 音楽家 在職。ウィーゼブルク居住。
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1759年/宝暦9年 (26〜27歳)
◆ フュルンベルク男爵家 音楽家 退職。
◆ モルツィン伯爵家の楽長として契約(フュルンベルク男爵の推薦)。冬はウィーンのモルツィン伯爵邸、夏は世襲領地のモルツィン宮殿(ボヘミアのピルゼン地方、ウンター=ルカヴィッツ)が職場。職員用の部屋と食事付きで年俸200グルデン。
● 在任2年間に交響曲を十数曲作曲(ウェブスターによれば、1、2、4、5、10、11、18、27、32、37、A。ランドンによれば、1、2、3、4、5、7、10、11、15、16、17、18、19、20、27、32、33、A、B)。
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1760年/宝暦10年 (27〜28歳)
◆ モルツィン伯爵家 楽長 在職。冬はウィーンのモルツィン伯爵邸、夏はボヘミア世襲領地のモルツィン宮殿に居住。
◆ 11月26日、ウィーンのシュテファン大聖堂エリギウス礼拝堂で、マリア・アンナ・テレジア・ケラー[1730-1800]と結婚。モルツィン伯爵との契約では結婚は禁じられていました。
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1761年/宝暦11年 (28〜29歳)
◆ モルツィン伯爵家の経済的困窮により解雇。
◆ エステルハージ侯爵家の副楽長としてパウル1世[1711-1762]と契約(モルツィン伯爵の推薦)。ウィーンの南約40kmに位置するアイゼンシュタットのエステルハージ宮殿(アイゼンシュタット)とウィーンのワルナー通りにある宮殿が職場。年俸は400フローリン(グルデン)。
● 交響曲「朝」「昼」「晩」、作曲。
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1762年/宝暦12年 (29〜30歳)
◆ エステルハージ侯爵家 副楽長 在職。アイゼンシュタットとウィーンに居住。
◆ パウル1世[1711-1762]の死に伴い、弟のニコラウス[1714–1790]が継承し、亡くなるまでの28年間、ハイドンの雇用主兼後援者となります。
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1763年/宝暦13年 (30〜31歳)
◆ エステルハージ侯爵家 副楽長 在職。アイゼンシュタットとウィーンに居住。
◆ 9月12日、父マティアス事故死。64歳。材木の山が崩れて下敷きになり亡くなっています。
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1764年/宝暦14年/明和1年 (31〜32歳)
◆ エステルハージ侯爵家 副楽長 在職。アイゼンシュタットとウィーンに居住。
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1765年/明和2年 (32〜33歳)
◆ エステルハージ侯爵家 副楽長 在職。アイゼンシュタットとウィーンに居住。
● 交響曲第31番「ホルン信号」、作曲。
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1766年/明和3年 (33〜34歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長に任命。前任オーストリア人楽長グレゴール・ヨーゼフ・ウェルナー[1693-1766]の死による人事。ニコラウス公のハイドンへの評価は高く、やがてエステルハージの雇用者で3番目の俸給を与えるようになります。
◆ アイゼンシュタットのフランシスコ会修道院の近くに1,000グルデンで自分の家を購入。
◆ エステルハージ侯爵家の楽団を22名ほどに増員し、「シュトゥルム・ウント・ドラング様式」とされる交響曲作曲時期が到来(1773年頃まで)。
◆ オーストリア大公国領ハンガリーのフェルトゥードに広大な離宮であるエステルハージ宮殿がほぼ完成。フェルトゥードはウィーンの南東約70kmに位置し、アイゼンシュタットのエステルハージ宮殿からは約35km離れていました。エステルハージ宮殿(フェルトゥード)は離宮なので、当初の滞在期間は年に2か月ほどでしたが、すぐにニコラウスのお気に入りとなり、オペラ専用劇場やマリオネット劇場まで建設し、滞在期間は年に10か月ほどと逆転。ハイドンや音楽家たちの喜びや不満のもとともなり、それがシュトゥルム・ウント・ドラングと結びついた可能性もあります。
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1767年/明和4年 (34〜35歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
● 「スターバト・マーテル」作曲。
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1768年/明和5年 (35〜36歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
◆ アイゼンシュタットの大火。
◆ エステルハージ宮殿(フェルトゥード)のオペラ劇場が完成し、オペラ「薬剤師」でこけら落とし。
● 交響曲第48番、第49番「受難」、作曲。
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1769年/明和6年 (36〜37歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
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1770年/明和7年 (37〜38歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
● 交響曲第41番、作曲。
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1771年/明和8年 (38〜39歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
● 交響曲第42番、第43番、第44番、第51番、第52番、作曲。
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1772年/明和9年/安永1年 (39〜40歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
● 交響曲第45番「告別」、第46番、第47番「回文」、弦楽四重奏曲集「太陽四重奏曲」、「聖ニコライ・ミサ」、作曲。
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1773年/安永2年 (40〜41歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
◆ マリア・テレジア、エステルハージ宮殿(フェルトゥード)を訪問。劇場を絶賛しウィーンで評判に。
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1774年/安永3年 (41〜42歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
● 「エステルハージ・ソナタ」、出版。
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1775年/安永4年 (42〜43歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
◆ オラトリオ「トビアの帰還」初演。
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1776年/安永5年 (43〜44歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
◆ アイゼンシュタットの大火。
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1777年/安永6年 (44〜45歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
◆ オペラ「月の世界」初演。
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1778年/安永7年 (45〜46歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
◆ アイゼンシュタット、フランシスコ会修道院近くの自宅を売却。
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1779年/安永8年 (46〜47歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
◆ エステルハージ宮殿(フェルトゥード)のオペラ劇場が火災で消失。
◆ 12月6日、オペラ「無人島」をエステルハージ宮殿(フェルトゥード)のマリオネット劇場で初演。
● オペラ「無人島」、作曲。
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1780年/安永9年 (47〜48歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
◆ 20歳の歌手、ルイジア・ポルツェリ
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1781年/安永10年/天明1年 (48〜49歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
◆ 7月29日、姉アンナ・マリア・フランツィスカ死去。50歳。
● 弦楽四重奏曲集「ロシア四重奏曲」、作曲。
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1782年/天明2年 (49〜50歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
◆ オペラ「騎士オルランド」初演。各地で上演されたハイドン生前の最も成功したオペラ。
● 「マリアツェル・ミサ」、作曲。
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1783年/天明3年 (50〜51歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
◆ 4月22日、愛人ルイジャ・ポルツェッリが次男アロイス・アントン・ニコラウス(アントニオ)・ポルツェッリ[1783-1855]をエステルハージ宮殿(フェルトゥード)で出産。夫が結核療養中なので、ハイドンの子供だとルイジャ夫妻は信じていましたが、既婚者であるハイドンは少なくとも手紙では認めていません。1803年、アロイス・アントンは、再開されたエステルハージの宮廷楽団のヴァイオリニストとなり、1855年2月18日ににブダペストで亡くなっています。
● チェロ協奏曲第2番、作曲。
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1784年/天明4年 (51〜52歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
◆ オペラ「アルミーダ」初演。
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1785年/天明5年 (52〜53歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
◆ モーツァルトより「ハイドン四重奏曲」献呈。
● 「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」オーケストラ・ヴァージョンを作曲。カディスのサント・ロザリオ教区教会から依頼。
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1786年/天明6年 (53〜54歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
● 「パリ交響曲集」(交響曲第82〜87番)、作曲。パリのコンセール・ド・ラ・ロージェ・オランピックより依頼。
● リラ・オルガニザータ協奏曲、作曲。ナポリ王フェルディナンド4世の依頼。
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1787年/天明7年 (54〜55歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
● 弦楽四重奏曲集「プロシャ王四重奏曲」、「トスト交響曲集」(交響曲第88〜89番)、作曲。
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1788年/天明8年 (55〜56歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
● 弦楽四重奏曲集「トスト四重奏曲」、「ドニー交響曲集」(交響曲第90〜92番)、作曲。
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1789年/天明9年/寛政1年 (56〜57歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
● 「ナクソスのアリアンナ」、作曲。
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1790年/寛政2年 (57〜58歳)
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 在職。アイゼンシュタットとフェルトゥードに居住。
◆ 9月28日、エステルハージ候死去。後継のアントン2世により楽団は解散。
◆ エステルハージ侯爵家 楽長 解雇。名誉楽長に。
◆ ウィーンに転居。
◆ 12月15日、ロンドンに向けて出発。
◆ ボンでマクシミリアン・フランツ選帝侯と会い、ベートーヴェンと交流。
● 弦楽四重奏曲集「第3トスト四重奏曲」作曲。
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1791年/寛政3年 (58〜59歳)
◆ ウィーンに居住。
◆ 愛人ルイジャ・ポルツェッリの夫アントニオ・ポルツェッリ[c.1750-1791]が結核により死去。アントニオは、1779年にニコラウス・エステルハージに雇われたときから結核に罹患しており、翌年、ニコラウスに解雇されそうになったところをハイドンのとりなしで働き続けることができたという経緯があり、ハイドンは彼女の2人の息子の後見人にもなっています。
◆ ロンドン滞在(翌年まで)。「ザロモン・コンサート」成功。オックスフォード大学より名誉音楽博士号を授与。
◆ オペラ「哲学者の魂、またはオルフェオとエウリディーチェ」初演が中止。5月31日に予定されていたものの、ジョージ3世とウェールズ皇太子の意見の衝突によって上演不能に。
◆ 6月1日、レベッカ・シュローター未亡人[1751-1826]が手紙でハイドンにレッスンを依頼。以後、親しく交流することになります。
● 交響曲第93番、第94番、第95番、第96番、ロンドンで作曲。
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1792年/寛政4年 (59〜60歳)
◆ ロンドン滞在。弟子のイグナツ・プライエル[1757-1831]を指揮者に迎えての「プロフェッショナル・コンサート」成功。「ザロモン・コンサート」も成功。
● 交響曲第97番、第98番、協奏交響曲、ロンドンで作曲。
◆ ボンでベートーヴェンと交流。
◆ ウィーンに帰還。
◆ 愛人ルイジャ・ポルツェッリの15歳の長男ピエトロ[1777-1796]を、ウィーンの自宅に引き取って音楽の指導をおこない、上流階級の家で教えるピアノ教師の職に就かせています。
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1793年/寛政5年 (60〜61歳)
◆ ウィーンに居住。
● 弦楽四重奏曲集「アポニー四重奏曲」作曲。
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1794年/寛政6年 (61〜62歳)
◆ ウィーンに居住。
◆ ロンドン滞在(翌年まで)。
● 交響曲第100番、第101番、ロンドンで作曲。
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1795年/寛政7年 (62〜63歳)
◆ ロンドン滞在。ヘンデルの「メサイア」を鑑賞。
● 交響曲第102番、第103番、第104番、ロンドンで作曲。
◆ ウィーンに居住。
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1796年/寛政8年 (63〜64歳)
◆ ウィーンに居住。
◆ ニコラウス2世よりエステルハージ家の楽団再建の依頼。
● 「メサイア」に影響を受け、オラトリオ「天地創造」に着手。トランペット協奏曲、「戦時のミサ」作曲。
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1797年/寛政9年 (64〜65歳)
◆ ウィーンに居住。
● 弦楽四重奏集「エルデーディ四重奏曲」作曲。
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1798年/寛政10年 (65〜66歳)
◆ ウィーンに居住。
◆ オラトリオ「天地創造」非公開初演。
◆ ジギスムント・ノイコムが弟子入り。
● 「ネルソン・ミサ」作曲。
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1799年/寛政11年 (66〜67歳)
◆ ウィーンに居住。
● オラトリオ「四季」作曲開始。「テレジア・ミサ」、弦楽四重奏曲集「ロプコヴィッツ四重奏曲」作曲。
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1800年/寛政12年 (67〜68歳)
◆ ウィーンに居住。
◆ 妻マリア・アンナ・テレジア・ハイドン死去。
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1801年/寛政13年/享和元年 (68〜69歳)
◆ ウィーンに居住。
◆ オラトリオ「四季」非公開初演。
● 「天地創造ミサ」作曲。
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1802年/享和2年 (69〜70歳)
◆ ウィーンに居住。
◆ 8月27日、妹アンナ・マリア死去。63歳。
● 「ハルモニー・ミサ」作曲。
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1803年/享和3年 (70〜71歳)
◆ ウィーンに居住。
● 弦楽四重奏曲第83番作曲(未完)。
◆ 愛人ルイジャ・ポルツェッリの次男アロイス・アントン・ニコラウス・ポルツェッリ[1783-1855]が、再開されたエステルハージの宮廷楽団のヴァイオリニストになります。アロイス・アントンの妊娠当時、夫アントニオは結核療養中なので、ハイドンの子供だとルイジャ夫妻は信じていました。
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1804年/享和4年/文化元年 (71〜72歳)
◆ ウィーンに居住。
◆ エステルハージ家の楽長を辞任。
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1805年/文化2年 (72〜73歳)
◆ ウィーンに居住。
◆ 5月10日、歌手で音楽教師の弟、ヨハン・エヴァンゲリスト・ハイドン、死去。61歳。
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1806年/文化3年 (73〜74歳)
◆ ウィーンに居住。
◆ 8月19日、作曲家でオルガニストの弟、ミヒャエル・ハイドン、死去。68歳。
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1807年/文化4年 (74〜75歳)
◆ ウィーンに居住。
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1808年/文化5年 (75〜76歳)
◆ ウィーンに居住。
◆ 4月25日、ルイジ・トマジーニ[1741-1808]、アイゼンシュタットで死去。エステルハージ家の宮廷楽団でコンサートマスター、指揮者を務めた演奏家・作曲家で、ハイドンの右腕だった人物。
◆ ウィーン大学でおこなわれた「天地創造」の演奏会に出席。
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1809年/文化6年 (76〜77歳)
◆ ウィーンに居住。
◆ 5月13日、ナポレオンがウィーンに無血入城。
◆ 5月31日、ウィーンで死去。
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年表付き商品説明ページ一覧
【バロック作曲家(生年順)】
◆
バード [c.1540-1623]
◆
カッツァーティ [1616-1678]
◆
ルイ・クープラン [1626-1661]
◆
クープラン一族
◆
グリューネヴァルト [1673-1739]
◆
ダンドリュー [1682-1738]
◆
スタンリー [1713-1786] ◆
ヨハン・エルンスト・バッハ [1722-1777]
【古典派&ロマン派作曲家(生年順)】
◆
ハイドン [1732-1809]
◆
ミスリヴェチェク [1737-1781] (モーツァルトへの影響大)
◆
モンジュルー [1764-1836] (ピアノ系)
◆
ベートーヴェン [1770-1827]
◆
ジャダン [1776-1800] (ピアノ系)
◆
リース [1784-1838]
◆
ブルックナー [1824-1896]
◆
マルトゥッチ [1856-1909]
◆
トゥルヌミール [1870-1939]
◆
ルクー [1870-1894]
◆
レーガー [1873-1916]
◆
ラフマニノフ [1873-1943]
【近現代作曲家(生年順)】
◆
レーバイ [1880-1953] (ギター系)
◆
マルティヌー [1890-1959]
◆
ミゴ [1891-1976] (ギター系も)
◆
サントルソラ [1904-1994] (ギター系も)
◆
ショスタコーヴィチ [1906-1975]
◆
ラングレー [1907-1991] (オルガン系)
◆
アンダーソン [1908-1975]
◆
デュアルテ [1919-2004] (ギター系)
◆
プレスティ [1924-1967] (ギター系)
◆
ヘンツェ [1926-2012]
◆
坂本龍一 [1952-2023]
【指揮者(ドイツ・オーストリア)】
◆
アーベントロート (ベートーヴェン 、
シューマン 、
ブルックナー 、
ブラームス 、
モーツァルト 、
チャイコ 、
ハイドン)
◆
エッシェンバッハ
◆
カラヤン
◆
クナッパーツブッシュ (ウィーン・フィル 、
ベルリン・フィル 、
ミュンヘン・フィル 、
国立歌劇場管 、
レジェンダリー)
◆
クラウス
◆
クリップス
◆
クレンペラー (VOX&ライヴ 、
ザルツブルク・ライヴ 、
VENIASボックス
◆
サヴァリッシュ
◆
シューリヒト
◆
スイトナー (ドヴォルザーク 、
レジェンダリー)
◆
フリート
◆
フルトヴェングラー
◆
ヘルビヒ (ショスタコーヴィチ 、
マーラー 、
ブラームス)
◆
ベーム
◆
メルツェンドルファー
◆
ヤノフスキー
◆
ライトナー
◆
ラインスドルフ
◆
レーグナー (ブルックナー 、
マーラー 、
ヨーロッパ 、
ドイツ)
◆
ロスバウト
【指揮者(ロシア・ソ連)】
◆
アーロノヴィチ
◆
ガウク
◆
クーセヴィツキー
◆
ゴロワノフ
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ペトレンコ
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マルケヴィチ
【指揮者(アメリカ)】
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クーチャー(クチャル)
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スラトキン(父)
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ドラゴン
◆
バーンスタイン
◆
フェネル
【指揮者(オランダ)】
◆
オッテルロー
◆
クイケン
◆
ベイヌム
◆
メンゲルベルク
【指揮者(フランス)】
◆
パレー
◆
モントゥー
【指揮者(ハンガリー)】
◆
セル
◆
ドラティ
【指揮者(スペイン)】
◆
アルヘンタ
【指揮者(スイス)】
◆
アンセルメ
【指揮者(ポーランド)】
◆
クレツキ
【指揮者(チェコ)】
◆
ターリヒ
【指揮者(ルーマニア)】
◆
チェリビダッケ
【指揮者(イタリア)】
◆
トスカニーニ
【指揮者(イギリス)】
◆
バルビローリ
【指揮者(ギリシャ)】
◆
ミトロプーロス
【鍵盤楽器奏者(楽器別・生国別)】
【ピアノ(ロシア・ソ連)】
◆
ヴェデルニコフ
◆
グリンベルク
◆
ソフロニツキー
◆
タマルキナ
◆
ニコラーエワ
◆
ネイガウス父子
◆
フェインベルク
◆
フリエール
◆
モイセイヴィチ
◆
ユージナ
【ピアノ(フランス)】
◆
ウーセ
◆
カサドシュ
◆
ティッサン=ヴァランタン ◆
ハスキル
◆
ロン
【ピアノ(ドイツ・オーストリア)】
◆
キルシュネライト
◆
シュナーベル
◆
デムス
◆
ナイ
◆
レーゼル (ブラームス 、
ベートーヴェン)
【ピアノ(南米)】
◆
タリアフェロ
◆
ノヴァエス
【チェンバロ】
◆
ヴァレンティ
◆
カークパトリック
◆
ランドフスカ
【弦楽器奏者(楽器別・五十音順)】
【ヴァイオリン】
◆
オイストラフ
◆
コーガン
◆
スポールディング
◆
バルヒェット
◆
フランチェスカッティ
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ヘムシング
◆
リッチ
◆
レビン
【チェロ】
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カサド
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シュタルケル
◆
デュ・プレ
◆
ヤニグロ
◆
ロストロポーヴィチ
【管楽器奏者】
【クラリネット】
◆
マンツ
【ファゴット】
◆
デルヴォー(ダルティガロング)
【オーボエ】
◆
モワネ
【歌手】
◆
ド・ビーク (メゾソプラノ)
【室内アンサンブル(編成別・五十音順)】
【三重奏団】
◆
パスキエ・トリオ
【ピアノ四重奏団】
◆
フォーレ四重奏団
【弦楽四重奏団】
◆
グリラー弦楽四重奏団
◆
シェッファー四重奏団
◆
シュナイダー四重奏団
◆
ズスケ四重奏団
◆
パスカル弦楽四重奏団
◆
ハリウッド弦楽四重奏団
◆
バルヒェット四重奏団
◆
ブダペスト弦楽四重奏団
◆
フランスの伝説の弦楽四重奏団
◆
レナー弦楽四重奏団