SACD 輸入盤

【中古:盤質AB】 交響曲全集 オッコ・カム&ラハティ交響楽団(3SACD)

シベリウス(1865-1957)

中古情報

新品ジャケット
こちら ※参考のため、実際の商品と異なる場合がございます
:
AB
特記事項
:
3枚組み,SACD(ハイブリッド),BOX仕様,ブックレット付き
:
HMV record shop オンライン

基本情報

ジャンル
カタログNo
BISSA2076
レーベル
Bis
Sweden
フォーマット
SACD
その他
:
輸入盤

総合評価

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究極の音楽の至高の全集です。シベリウスの...

投稿日:2025/11/07 (金)

究極の音楽の至高の全集です。シベリウスの音楽は耳を(研ぎ)澄まさないと決して語りかけてこないように思います、私は10年以上交響曲第4番と第6番が全く理解出来ませんでしたが、本録音でかなり分かるようになりました。恣意性を排除した呼吸の深い自然な演奏です。シベリウス本人は「私は音楽的な思考とその発展が私の魂の中で自らの形を決定付けるようにするつもりです」と言っており、その為か主題提示展開的な輪郭が予め決定付けられず、内側から自己生成変容しつつ進捗するように聴こえる音楽です。「音楽素材の現代性が一種の発芽と増幅・多様化を含み、その過程で内容が最終的に構造を定義する」という論考もありました。つまり聴き手は意識的なテーマ素材探しをせず、シベリウスが提示する音響のありのままを感じるようにする方が、その音楽を理解し易いように思います。私個人としては彼の音楽を受け取る側なのに主体的に発振しているかのような感覚になります。まさにカイヤ・サーリアホが言った「音楽から離れ時間を超えて音楽空間へと足を踏み入れる(第7番)」感覚で、この内的に生じそこで移動するような空間性は戦後最前衛の外的空間構想からさえも先んじるものです。そのことをカムさんの演奏は完璧に実現しているように思います。森や湖、動物たちといった自然と共鳴的であることをシベリウスは追究していました。その共鳴する意識の生成に焦点を当てるのがシベリウスの孤高性であり、他の誰もが成し得ない音楽に結実しました。そこでこの全集で驚いたのが第4番です。私は今迄他のどの録音を聴いてもその陰鬱さが印象に残るだけだったのですが、カムさんの演奏を聴いていると、まるで自分自身を聴いているかのような、そして全幅の共感を(シベリウスの音楽から)得たような感覚になり、第7番に匹敵する程の感動がありました。シベリウスは人間の脳波や生理現象まで音化したのかと思えて、心底びっくりしました。普段からクラシック音楽史上の頂点に位置する作曲家だと思っていましたが、ここまでとは思っていませんでした。なので第4番(シベリウス本人が心理的交響曲と呼んだようです)が難解で茫洋としていてなんだか暗いだけだなあとお思いになっている方は、突然かなり分かると思える時が来ますので、一度聴いたら時間を空けてまた聴く等の方法を採ってみて下さい。セシル・グレイの絶賛の言葉は奇を衒うものではなく、真意のようです。

cevon さん | 大阪府 | 不明

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ベルグルンドを始めとしたほぼ全ての演奏を...

投稿日:2016/05/26 (木)

ベルグルンドを始めとしたほぼ全ての演奏を過去にしてしまうような全集。カムの指揮は各レビュアーの指摘する通りベルグルンドとは真逆のスタンスで、作為的な揺らし方を全くせず音楽の流れに完全に身を委ねています。しかし相当細部までスコアを読み研究したのでしょう、アンサンブルについてはそれと気づかぬように、発音をずらしたり合わせたりと、細かいところまで演奏し分けているのがわかる。2番の冒頭などではその効果がはっきりと聴こえます(間違ってもここの縦の線を合わせきってはならないという強い意志を感じる!)。それでも崩壊せず、音楽が自然に流れ、歌いに歌うさまはまさに至福。間違っても最近好まれがちな辛口演奏などではなく、そのほぼ全てが屈指の美演と言っても差し支えない演奏です。 更に特筆すべきはその録音。全て上質だけれど、特に5番はあらゆるクラシック音楽の録音の中でも最高級のものではなかろうか。絹のような弦の音色の上に、確かなホールの奥行きを感じる木管が合わさる…まではよくあるタイプの録音なのだけれど、そういった録音でここまで定位がはっきりしていて、楽譜の隅々まで見渡せる録音は聴いたことがありません。スタジオモニターで聴いて驚きました。BISのスタジオは、例えばEXTONなどと比べると機材はそれほど高価でもなくミックス環境もホームユースに近いものが多いようなのですが、それでここまで高品位な録音・編集ができるというのは、エンジニアの腕がよほど良いからなのでしょう。

Seiru さん | 千葉県 | 不明

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 1999年にこのオケが,ヴァンスカに率いら...

投稿日:2016/05/16 (月)

 1999年にこのオケが,ヴァンスカに率いられて初めてすみだトリフォニーHに登場した時の衝撃は今でも忘れられない。北欧の小都市の小さなオケである彼らが披瀝したのは,それまで聴いたこともない,緻密・精細で,あたかも一つの楽器が鳴っているかのように有機的な,しかもローカルでありながらローカリティに寄り掛からない,全く新しいシベリウス像だった。4夜のツィクルスに通い詰め,息をするのも忘れるほど夢中で聴き入った。客の入りはもう一つだったように記憶しているが,それが幸いして,当時の彼らにしか出せなかったであろう,楽員相互の聴き合いの賜物と思われる,全く濁りの無い音程による「究極のPP」を,身体全体を耳にして聴き取ることができた。  しかしながら,今回のカム盤を聴いてがっかりした。何だ,この焦点の合わなさは?自然体といえば自然体だが,アンサンブルの精度も落ちているし,オケ全体に強い表現意欲が感じられず,おおらかというより無神経に鳴っている印象だ。音量的にも「sempre mf」みたいなメリハリのないもので,ヴァンスカ時代の精緻さは全く影を潜めてしまっている。個人的に,元々カムという人の指揮は,私にはやはり少々無神経と感じられ,余り好きになれなかったのだが,今回のCD,更に東京オペラシティでのツィクルスを聴いて,「カムはカムで,基本的に昔と変わっていないのだ。」と思い知らされた。コンサート・ミストレスは,「マエストロは何をしても許してくれるので,私たちは自由に演奏できる」というような発言をしているようだが,果たしてそれで有機体としてのオーケストラが保たれるものだろうか?帝王のように君臨する必要はないが,プレイヤーがどんな演奏をしても許されるのでは,主張・方向性のはっきりした音楽にはならないのでは,と危惧する。尤も,それだけヴァンスカの指揮・指導が厳しいものだったのかもしれないが,それがあって初めて維持されていた,かつての素晴らしいラハティ・サウンドだったのではないだろうか。  なお,東京オペラシティの演奏会にはヴァンスカも来場していたが,彼は全く変貌してしまったかつての手兵をどう聴いたであろうか?

Abbadian さん | 東京都 | 不明

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