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ブルックナー (1824-1896)

CD 交響曲第8番 クリスティアーン・ティーレマン&ウィーン・フィル

交響曲第8番 クリスティアーン・ティーレマン&ウィーン・フィル

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  • ★★★★★ 

    meijinobu  |  神奈川県  |  不明  |  2021年05月24日

    天下のウィーンフィルが全集ではなく1枚ずつ発売する辺りに本気度を感じる ティーレマンにはブルックナーが、ブルックナーにはウィーンフィルが合う

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  • ★★★★★ 

    クリングゾール  |  静岡県  |  不明  |  2021年03月14日

    ブルックナーは大好きだが、どうしても苦手な曲がある…わたしにとって、最高傑作と言われる第8番はまさに鬼門で、どうしても最後まで聴き通せない難曲の一つだ。 有名なクナは論外。シューリヒトもあかん。ヨッフム、カラヤン、ヴァント、朝比奈も途中でどうしてもリタイア。意外にもショルティ&CSOが最後まで聴き通せたのは、おそらくサクサクテンポのおかげかと思われる。問題は明白。終楽章で、どうしても飽きてしまうのだ。これは演奏のせいというより、わたし個人の嗜好のせいだと思う。このティーレマン・VPOを聴く前、ヨッフム・バンベルクSOの有名なライヴ録音を聴いたが、案の定第3楽章で大満足してしまって、終楽章は力尽きてしまった。そして、この演奏を聴いたわけだが、確かに並み居る名演・超名演と比べると、これといった個性とか凄みもなく、普通に聞こえる。だが、終楽章に入ってもダレずに、しかもクライマックスで大満足を得られたのは、この演奏がほとんど初めてかもしれない。これはやはり、VPOの途方もないスタミナのなせる技による勝利かと思うが、ティーレマンのペース配分がわたし的にはドンピシャだったのだろう。もし同じような症状がある方は、一度ぜひ試してみて下さい。結果はもちろん自己責任ですが(^^;;

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  • ★★★☆☆ 

    gakusei  |  北海道  |  不明  |  2021年02月22日

    ティーレマンとウィーン・フィルということで素晴らしい響きと即興性を期待していたが、録音も含めて普通であり、特別なディスクとは思えなかった。

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  • ★★★★☆ 

    てつ  |  東京都  |  不明  |  2020年11月16日

    私は、この演奏会をウィーンで聴いている。初めてのムジークフェラインだったのでもう聴きながら心臓バクバクだったことを思い出す。1楽章の最後とか、ティーレマンの身振りは小さいものの、ウィーンフィルが良く鳴っており、指揮者の腕の振りが小さくてもオーケストラはこんな音出すんだなぁって、昔のクナみたいなことを感じていた。細かい部分の作り込みもあって、ティーレマンって本当に巨匠っぽくなってきたなぁと変に上から目線で感心していたものだった。ということで思い入れもあるこの演奏、先日BSを見たら、どうも私の聴いた10/5ではなくて10/13の方を使っていたので、この演奏自体も13日の演奏中心なのかもしれない。もう一度ディスクで聴き込んでみると、やはり冷静になれたのか良し悪しが見えてきた。良いのはなんといってもこの完成度とウィーンフィルの鳴りっぷり。この音を聞いたら誰でも、惚れてまうがな〜という感じ。一方で、そうなんだよなぁ、この演奏ってウィーンフィルのための演奏なんだよなってところが気になる。ティーレマンはピッチャーに良い球投げさせるために乗せまくるキャッチャーみたい、そんな気がする。自分の配球よりもピッチャーを乗せる事が優先なのだ。ピッチャーが首を縦に振るまで、サインは変更される。力関係は明確にピッチャーが上なのだ。このディスクのジャケだって、クレジットはウィーンフィルが先。だから、この演奏には新しい発見とかそういうものはない。細部の隈取りの濃さも、ウィーンフィルにとっての許容範囲内。ウィーンフィルの魅力全開が主目的だから、超の付く名演とは言えないのではないだろうか。極めてレベルの高い予定調和、それがこのディスクなのではないか。これってネルソンスのベートーヴェンの全集でも同じ感じがした。このコンビならもっとすごい事ができるのかもしれないが、それをしちゃおしまいなのよ、というなんとももどかしい感じ。20世紀なら、毎月のように新譜が出ていた。スタジオ録音は、ほぼこの演奏のように高いレベルの完成度を目指していたが、爆演や超名演ではなかった。そんな中でたまに出たライブ盤の中にはものすごい演奏があった。カラヤンや一連のAltusの録音がその代表だ。ところが21世紀になるとメジャーオケの新譜はほとんど演奏会ライブだ。スタジオ録音なんてほとんどない。そうなるとライブ自体が以前のスタジオ録音同様失敗が許されないものになった。だから現在望みうるのはこのディスクのような演奏なのだ。それでもやっぱり、ライブって緊張感と燃焼度の高い物であり、一期一会を望んでしまう。しかしウィーンの聴衆は本当に熱狂していた。そうなのだ。現在これだけのブルックナーをウィーンフィルから引き出せる指揮者って他にいない。ウィーンフィルがやり易い指揮者を選ぶ、なんてたまに言われるが、それを求めているのは実はウィーンという街なのだ。無い物ねだりしてはいけないのかもしれない。

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