チャイコフスキー(1840-1893)

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CD 輸入盤

交響曲第6番『悲愴』 チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル

チャイコフスキー(1840-1893)

基本情報

ジャンル
:
カタログNo
:
5565232
組み枚数
:
1
レーベル
:
Emi
:
Europe
フォーマット
:
CD
その他
:
限定盤,輸入盤

商品説明

チェリビダッケ/《悲愴》

1992年デジタル・ライヴ。トータル56分を超える遅い演奏ですが、この曲に関してはバーンスタインの再録音盤が58分以上かかっている例もあり、チェリビダッケが特別に遅いというわけではありません。
 問題はチャイコフスキーのこの作品に何を求めるかにかかってくるわけですが、華麗なオーケストラ・ピースとしてカッコ良くスマートに演奏したカラヤン盤や、極限と言ってさしつかえない感情移入によって、特に終楽章では凄まじい慟哭を聴かせたバーンスタイン盤に較べ、チェリビダッケの場合には、まずこの曲が、管弦楽法の見本市といって良いくらい、雄弁な楽器法と、表現のロジカルな要素が結び付いた傑作であることを思い知らせてくれるのが特徴的です。
 ロシア情緒を生(き)のままに出すことを嫌い、洗練という名のオブラートでくるみ続けたチャイコフスキーには、とてもふさわしい配慮と言えますが、実際、ここでのサウンドは実に素晴らしいものとなっているのです。
 ピアニシモの緊張はもちろん、千変万化する色彩の繊細なうつろいや、第1楽章展開部後半での強大なトゥッティの臓腑をえぐるような凄絶な響きなど、この曲の演奏でかつて聴いたことのない表現的な音が膨大に蓄積され、強靭なロジックによってまとめあげられるさまは圧倒的。
 ティンパニのザードロによる巨大合奏の引き締め効果も特筆されるべき水準に達しています。

収録曲   

クラシック曲目

  • Peter Ilyich Tchaikovsky (1840 - 1893)
    Symphony no 6 in B minor, Op. 74 "Pathetique"
    演奏者 :

    指揮者 :
    Celibidache, Sergiu
    楽団  :
    Munich Philharmonic Orchestra
    • 時代 : Romantic
    • 形式 : Symphony
    • 作曲/編集場所 : 1893, Russia
    • 言語 :
    • 時間 : :
    • 録音場所 : , [Studio]

総合評価

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本盤は限定販売でもう完売らしいですよ。以...

投稿日:2012/06/11 (月)

本盤は限定販売でもう完売らしいですよ。以前同演奏別盤に書き込んだ者ですがタイムデータを追記させていただきます。チェリビダッケは何故か「禅」に凝っていて自分の音楽創りにも影響があるようなことがかつての本演奏CD説明書に載っていたように記憶しております。本盤演奏は1992年チェリビダッケ80歳の頃にミュンヘンPOを振ってのライブ録音(演奏タイム@25’45A9’11B11’08C13’10)で、曲の遅い運びは第1楽章の極めて荘重な序奏からもう超有名なもので他の評者が既発盤に度々書き込まれておりますので重複は避けますが絶叫楽章を経て最終楽章のあのピークでは地獄の底を見せライブの醍醐味というか憂鬱・怒涛・沈滞の最後の音が止んでからの空隙の時間とその後ゆっくり・パラパラ・やがて熱狂的な拍手が沸きあがる雰囲気はこのようなドラマ仕立ての演奏による悲愴コンサート特有に付随するものでトータルで「すばらしい」と言えましょう。録音嫌いだった彼に晩年の思いか冒頭に触れた自己表現としての傾向があったにせよ多少「力技」にせよ説得力ある本盤演奏を含め一連の演奏記録が残っていたわけですね。なお、チェリビダッケ指揮の悲愴交響曲CD盤には1957年録音ケルン放送SO(同@21’41A8’18B9’29C10’42)や1960年録音RAIミラノO(同@20’40A8’08B9’39C10’16)等があり更に1993年東京ライブ録音や1987年DVDとかもある様ですが彼の心を聴く盤として私はこの演奏を重宝しております。(タイムについては盤により多少異なる場合があります。)

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正直に述べますと、この曲のレヴューを行う...

投稿日:2011/03/14 (月)

正直に述べますと、この曲のレヴューを行うのは辛いです。 それは、この音楽が、その内に、 「自己破滅」「絶望」「自暴自棄」といったイデーを内在しているためかもしれません。 ただ聴くのみだけでしたら、そう問題にはならないかもしれません。 しかしこれはレヴュー(断じて感想ではない!)ですので、 作品の本質に可能な限り近づかないといけないという思いが私の中にあります。 よって、この曲のレヴューはきついなぁと思ってしまいます。 以前も記述しましたが、繰り返させて頂きます。 この曲は、チャイコフスキーの交響曲としてだけではなく、ロマン派の交響曲としても、最高のものの一つです。 (あとは、ベートーヴェン、ブルックナー、ドヴォルザーク、(マーラー?保留)位でしょうか。) (ちなみに、私はブラームスの交響曲は、余り好んで聴きません。) この曲に関して、チャイコフスキー自身は自身の最高傑作であると確信していたようです。 それを裏付けるエピソードとして、 人間としてのチャイコフスキーは極端なペシミストで、 常に自分の作品がどのように評価されるのか気になって仕方なかったそうです。 また、自身の作分を否定的に、 例えば「チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲」の初演を、 ヴァイオリニストのレオポルド・アウアー(当時の楽壇の権威)に依頼し、 「この曲は演奏不可能」であるとの返答をうけて、非情にショックを受けています。。 この交響曲第6番 『悲愴』の初演での評価は芳しいものではありませんでした。 しかし、チャイコフスキーはこの作品に関してのみは、 「自身の最高傑作」であるとかたく認識していたようです。 初演の9日後にチャイコフスキーはコレラ及び肺水腫で死亡しています。 様々な説がありますが、そのことについては触れません。 悲愴は「急 - 舞 - 舞 - 緩」という4楽章形式で創り上げられています。 ―演奏について― 第1楽章 Adagio - Allegro non troppo 序奏付きソナタ形式、ロ短調 交響曲第5番でも述べましたが、 通常、このこの交響曲第6番の第一楽章の冒頭部分は、 悲しみを帯びた音色で奏されます。 しかし、チェリビダッケはの演奏で感じるのは、 「諦念」です。 なにか。。。 すべてを諦めているような。。。 それでも懸命に生きようとしているような。。。 しかし、「暗い」、絶望的なまでに「暗い」音楽です。 序奏部での上行3音形(ミ → ♯ファ → ソ)は、 この曲全体を通して、ある時は逆行形の形で姿を現します。 これはそのまま、第一主題 (ヴィオラとチェロの合奏(両パートの奏者の半分のみで奏する。))に受け継がれます。 チェリビダッケは執拗にこの音形を強調します、 それが、曲全体の統一感をもたらしています。 ここでのチャイコフスキーの管弦楽法の巧みさに圧倒されます。 私はこの曲のスコアを分析しましたが、 実に合理的、かつ有機的にオーケストレーションが為されています。 また、pppppp(ピアニッシッシッシッシモ?) 等の極端な強弱記号を使用するなど、表現意欲にあふれているように感じます。 そしてチェリビダッケとミュンヘン・フィルは、 オーケストラの全ての楽器が有機的な繋がりを持つよう演奏します。 圧巻なのは再現部の最後の辺りです。 全ての楽器がフォルテッシモで鳴り響いているのに、 全てのパートを俯瞰することが出来ます。 私はこの部分を初めて聴いたとき、 全身に稲妻が走ったような経験をしましたことがあります。 そのぐらい衝撃的です。 なんで、トロンボーンがこんなに強奏しているのに、木管の音が聴こえるのでしょうか? ここは、最もチャイコフスキーとチェリビダッケの天才性が明らかになる個所の一つです。 音楽は徐々に、自然(不自然)?に優しさ(救い)?を取り戻していこうとします。 そして、最後のコーダの美しさ、今にも消えそうな儚さは何なんでしょうか? 救い? いえ、違います。 このコーダの儚さは、後の楽章で完膚なきまでに、蹂躙されます。 第2楽章 Allegro con grazia 複合三部形式、ニ長調 非常に優雅な音楽です。 が、 4分の5拍子という混合拍子によるワルツなので、どこか不安定です。 (この音楽では踊れませんね。) 中間部の暗さは恐ろしいようです。 チェリビダッケの演奏で感心させられるのが、 アゴーギクが非常に適切に為されているということです。 (特に弦楽器群のセクションに顕著に現れます。) 第3楽章 Allegro molto vivace スケルツォと行進曲(A-B-A-B)、ト長調 12/8拍子のスケルツォから、 4/4拍子の行進曲が姿を表し、 スケルツォから取って代わります。 この行進曲での高揚は凄まじいものがあります。 ここ部分でのアッチェレランドはなんていう自然さなんでしょう! 終楽章のことを考えると、 とても捻くれた(悲しい)音楽のように感じます。 第4楽章 Finale. Adagio lamentoso (Andante lamentoso) 当時、緩急楽章を交響曲の結部に配置することは稀でした。 このことからも、チャイコフスキーのこの曲に対する表現意識の強さを推して知ることができます。 主題も、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが主旋律を1音ごとに交互に弾くという異常な形式を用いています。 オーケストラの音色は澄み切っています。 (澄み切っているという言葉だけでは表現したくありませんが、 非情に独特で透明で色彩が豊かで音色が深くて、 この時期のチェリビダッケとミュンヘン・フィルにしか、 達成し得なかった音色です。) 最後、曲は消え入るように終わります。 そして、諦念、無常感を感じさせます チャイコフスキーの絶望を表現し尽くした演奏ではないのかもしれませんが、 この支離滅裂な交響曲に全体的な一体感を与えることが出来た希有な演奏だと思います。 ちなみにこの曲は1993年の来日コンサートで取り上げられています。 ALTUSさん、音源をリリースして下さい。

HIRO さん | 広島県 | 不明

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曲への忠誠心を感じます。一音一音を作曲者...

投稿日:2008/09/21 (日)

曲への忠誠心を感じます。一音一音を作曲者がどんな思いで書き入れたのか。どういう意味があるのか。クラシック音楽が差別化を出し生き残るにはどうすればよいのか。演奏者、指揮者はすべてに責任を追うべきである。久しぶりに聞き直し、そんなことを考えさせられました。 予備知識のないお客さんが人生1回の演奏会でこの曲に含まれる情報をすべて理解するには、すなわち生を前提とした演奏であれば、このテンポ設定は必然と思えます。

こうじ さん | 東京 | 不明

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チャイコフスキー(1840-1893)

1840年:ロシアのウラル地方ヴォトキンスクで鉱山技師の次男として誕生。 1859年:法務省に勤務。 1861年:アントン・ルービンシュタインが設立した音楽教室(1962年にペテルブルク音楽院となる)に入学。 1863年:法務省を退職。 1866年:交響曲第1番『冬の日の幻想』初演。初のオペラ「地方長官」を完成。 1875年:ピア

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