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性と頽廃に彩られた乱痴気騒ぎ! 鬼才ノイエンフェルスによる「こうもり」

2003年3月25日 (火)

性と頽廃に彩られた乱痴気騒ぎ
鬼才ノイエンフェルス版、衝撃的な風刺劇「こうもり」

 2001年のザルツブルク音楽祭で前代未聞の騒動が起きました。10期目にして最後の年となったモルティエ監督が、最後の一撃として打ち出した新演出による「こうもり」の舞台が想像を絶するスキャンダルへと発展したのです。品のいい娯楽を期待していた保守的な観客の中には中途で席を立つ者も続出し、終演後、口を揃えて痛烈な演出家非難を繰り返したと伝えられます。その演出家こそ、ハンス・ノイエンフェルスその人です。現代ドイツを代表する奇才であり、前衛的な手法を巧みに使いこなす手腕に関して既に高い評価を獲得していました。

 しかし、奇抜で過激な演出は、彼がこれまで手がけて賛辞を集めていた、ワーグナーやモーツァルトといった本格的な歌劇にふさわしいというのが衆目の一致するところです。オーストリアの誇る珠玉のオペレッタ「こうもり」は、享楽的な内容に沿った形で、いかにもウィーン風といった風情の華麗でゴージャスな演出というのが通り相場です。いかに戦闘的なノイエンフェルスといえども、従来の「こうもり」像を踏襲せざるを得ないのではないかとの予想が大半でした。
 しかし、ノイエンフェルスはものの見事に期待以上に斬新な解釈を施し、趣味のいい紳士淑女に嘔吐感を催させるほど奇怪で狂気じみた悪い夢を見ているかのような舞台を現出させました。良い意味でも悪い意味でも既存の「こうもり」像を破壊し尽くすことに成功したのです。

 以下、かいつまんで内容を紹介してみますが、強烈な印象はとても言葉では語り尽くせません。ぜひともご自宅でじっくりとご鑑賞いただきたいです。何度観ても厭きない刺激的な映像が盛り込まれています。

 冒頭、序曲をミンコフスキ指揮ザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団が、古楽の名匠らしく、ややそっけないくらいに上品快活に演奏し始めます。ここではまだ波乱の予感はできませんが、途中から蝶の格好をしたダンサーが怪しげな円舞を披露し、怪異な装束を着けた数人が絡んでくるところから、続いて立ち現れる異常な世界が暗示されます。

 開幕(ただし照明の明暗のみ)すると、時代や地方は特定できませんが、少なくともウィーンとは思えない簡素な建物が舞台一面に拡がっています。闘牛士を思わせる服装のアルフレートがロザリンデに恋の歌を歌う冒頭の場面は、台本の設定とは異なりますが、常軌を逸しているとまでは言えない始まり方です。
 ところが、俗物の金持ち然としたでっぷり太ったアイゼンシュタインとサングラスをかけて珍妙な腕章を巻いた弁護士ブリントが登場するあたりからドタバタ劇の様相を呈し出します。アルフレートとロザリンデ(美人歌手デルーンシュ)の二重唱は真っ当な演出で常識的な美しさを表現していますが、安心して観ていられるのはここまでです。刑務所長フランクが奇妙な筒をすっぽり被って登場してくるとまたもや不穏さが前面に押し出されます。二人の愁嘆場の傍らでは半裸のダンサー達が露骨に性的な仕種を演じて終幕となります。このあたり、性愛を不可分なものと捉えて、深層心理の欲望をあけすけに表現する現代演出の常套手段とはいえ、実演に接した観客の中には絶句した人もいたことでしょう。

 圧巻は第二幕で、オルロフスキー公爵の舞踏会に集まった群集は、皆、戦前の労働者のような粗末な庶民の服装を身にまとっていて優雅さのかけらも無く、奇声を発しながら登場してくる公爵は汚らしいドレッド・ヘアにガウンを羽織ったパジャマ姿と完全にイカれたドラッグ中毒者です。バリトン歌手デイビッド・モスの怪演は、観る人の脳裏に焼き付いて離れないものでしょう。突然クラブ・ミュージックが大音量で流されて一同がディスコの中のように踊り狂ったりもします。いかがわしげなカルト宗教の教祖と狂信的な信者達といった趣もあります。

 公爵は舞台上でもドラッグを吸引しながら、裏声で「お客を呼ぶのが好きだ」のアリアを歌い、群集を扇動して騒ぎを起こさせたりします。ここで、ノイエンフェルス版「こうもり」では狂言回しの役を当てられている看守フロッシュ(演じているのはノイエンフェルス夫人である女優トリッセナール)がなにやら独演会を始めて一旦劇が中断します。

 アデーレの綺麗なアリア「公爵様」は、歌手ハルテリウスの魅力的な容姿もあり、最初は美しく上品な雰囲気で始まりますが、唐突に箱詰めされた子供の死体や血まみれの新聞紙が現れて猟奇的な光景に急転します。

 トルコの軍人を思わせる制服を纏った刑務所長とアイゼンシュタインが似非フランス語で気取ったやり取りをする場面でもフロッシュが闖入し、まったく意味不明の言葉を羅列して皆がドイツ語を要求していることを強調します。群集が口々に、「ドイツ語で」「ドイツ語で」と叫ぶこの場面は、おそらく極右勢力が政権に参加していた当時のオーストリアの政情を風刺しているのでしょう。この後、チャルダーシュを導入する場面でも、「国民(ナツィオーン)!」「国民!」といった強烈なシュプレヒコールが聞かれます。

 アイゼンシュタインと刑務所長が意気投合してひしと抱き合う場面の背景ではリストの「前奏曲」が流れますが、これはナチス時代のラジオ・ニュースを想起させるものとのことです。享楽的で不道徳な金持ちと権力者が結託していることを当てこすっているのでしょう。(この場面、実は男同士の結婚式で、さらに奇想天外な結果が待ち受けているのです。)

 アイゼンシュタインが変装した妻をそれと知らずに口説く場面では、アイゼンシュタインが周りの人を男女構わず抱きかかえてあからさまな動作をしかけることで彼の好色さを強烈に表現しています。ロザリンデのチャルダーシュの傍らでは、アイゼンシュタインが兵士から銃を奪って射殺し、その血を手に染めるといった不条理な寸劇が演じられ、皆がドラッグを吸っている中で、本題の蝙蝠の由来に関する回想話が始まります。

 そうこうするうちに舞台上の人物はほとんどドラッグで「らりって」酩酊状態となる中、またもやフロッシュが登場し、「皆様シェーンベルク編曲のシュトラウスの皇帝円舞曲をどうぞ。シェーンベルクは第二次世界大戦を逃れたユダヤ人で云々」といった演説を始め、本当にシェーンベルク編曲の室内楽版ワルツが流れる中、皮肉にも古典的なバレエ衣装のダンサーが優雅に円舞を踊りだします。これを公爵が奇声の雄叫びを発して台無しにし、フロッシュが観客に対して一方的に休憩を宣言します。

 一旦照明が消された舞台に皆が勢ぞろいし、シャンパンの歌が始まります。公爵は相変わらず裏声で悪ふざけ、ファルケ博士は蝙蝠に扮してあたり構わず乱舞します。アイゼンシュタインはアラブの成金風のスカーフ(カーフィア)をまとい、刑務所長と一緒に二人の間に生まれた乳児(金と権力の野合を象徴)をあやすかと思えば、ナチス党旗の配色にルーン文字のPがあしらわれた旗が振りかざされて妖しげな政治集会の様相を呈したりと、まさに百鬼夜行の有り様です。乱痴気騒ぎの興奮が高まり、ワルツに乗せて労働者の服装をしたダンサーが観客を挑発したり、舞台上で殴り合いをしたりと刺激的な光景が途切れることはありません。大合唱の中、筒を被ったアイゼンシュタインが引き立てられて行き、ようやく悪夢の舞台が閉じられます。

 第三幕では、刑務所が舞台ですが、フロッシュが反ファシズム(また新旧両キリスト教会をも皮肉っています)演説をぶち、毛沢東やキリスト、原理主義といった言葉が飛び交います。プロイセン人は邪悪の象徴となり、ウィーン気質が賛美され、「日本女性もウィーン女性なのだ!寿司もグラーシュも変わらないのさ!」と意味不明の文句が高らかに宣言されます。例によってトルコ風の刑務所長がドラッグでいい気分となっているところにアデレーデが乗り込んできて、「田舎娘をやるときは」のアリアを蠱惑的な仕種を交えて熱唱しますが、所長は露骨に鼻の下を伸ばした演技で絡み、看守の男達は下着だけになって纏わりつきます。

 この後、ブリントが再び現れアイゼンシュタインとナンセンスなギャグを演じますが、演劇として充分見られる水準に達した演技でのやり取りは観る人を厭きさせません。アルフレートがスペインのフランコ将軍を茶化した珍妙な軍服姿で顔を出し、弁護士に変装したアイゼンシュタインが妻の不貞の証拠を押さえて詰り、逆に自分の浮気の証拠を突きつけられて狼狽する場面でも、後ろの方では囚人同士がピストルで殺したり自殺したりと相変わらず賑やかです。またもリストの「前奏曲」が流れて全体の気分が変わり、蝙蝠に扮した群集が乱舞する中で一連の出来事はすべてファルケのたくらみであったとからくりを明かす場面でも公爵は最後までふざけた裏声を発し続けます。先ほどの乳児の成長した姿である金ぴかの猿の王様(!)が自分で乳母車を押しながら登場するという意表を衝いた幕切れで、音楽は本当のフィナーレを迎えます。

 カーテンコールのブーイングは凄まじく、拍手をかき消さんばかりにフェルゼンライトシューレに罵声が轟き、当日の観客の憤慨ぶりが感じ取れます。これだけ観た人の神経を逆なですることが出来て、ノイエンフェルスはしてやつたりとほくそえんだのではないでしょうか。

 しかし、表面的な淫猥さの陰に垣間見ることの出来るノイエンフェルスの真の意図は、真摯な問題意識と寸鉄人を刺す社会風刺が鏤められ、鋭い知性と旺盛な批判精神に裏付けられたものであり、むしろ倫理的と呼べるものでしょう。舞台作品としての美的な統一性にも充分意が払われた警抜なものと言えます。ヨハン・シュトラウスの時代に、ウィーンの人々が「こうもり」から感じ取った猥雑さ、不道徳さ、頽廃を現代人にも実感できる形に顕在化させたものとも言え、ためにする新解釈や読み替えといった次元を超越し、作品に新たな生命力を吹き込んだと評しても過言ではありません。

 1874年の「こうもり」初演時、ウィーンはバブル経済の崩壊直後で未曾有の不況下にありました。華やかで享楽的な欧州文明にも永遠の繁栄はありえないのだと人々が痛感していた時期に、この喜歌劇に一夜の憂さ晴らしが託されたのです。閉塞状況に喘ぐ現在の欧州や日本でこそ、同時代的な意味を持って上演されるべき可能性が秘められていたのかもしれません。ノイエンフェルスはコメディに隠蔽されていた警句を最大限引き出すことに成功したとも言えるでしょう。

 なお、純音楽面について記せば、舞台上の破廉恥騒動に目もくれず、淡々と鮮やかで引き締まった演奏を成し遂げたミンコフスキ指揮モーツァルテウム管弦楽団は、彼ら固有の上質な音楽性が内部から磨き上げられていることの好例を雄弁に呈示しています。推進力に富み精気に満ちた音楽はC.クライバーなどの過去の名演にも引けを取りません。

 特筆すべきは、合唱を担当したアルノルト・シェーンベルク合唱団です。折り紙付の優秀な合唱能力を披露するに留まらず、奇怪、卑猥、猟奇の入り混じった演技まで躍動感溢れる熱演で演じきり、この舞台の視覚上の完成にも大きく貢献しています。

 この大いに物議をかもした上演は仏独日の放送局によって高画質映像で収録され、今回ARTHAUSからソフトとしてリリースされることになりました。ヨーロッパ舞台芸術の「いま」が凝縮されたこの「こうもり」は、演劇ファン、映画ファン、文芸ファンにも強くアピールする知的な刺激に満ちた野心作であり、喜歌劇「こうもり」の現代的な変容として、すでに見慣れている人にも新たな発見を約束できるものです。ザルツブルク音楽祭が21世紀でも芸術的生命力を失っていない確かなあかしとも言えましょう。


ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」全曲

アイゼンシュタイン:クリストフ・ホムベルガー
ロザリンデ:ミレイユ・デルーンシュ
アルフレート:ジェリー・ハドリー
フランク:デイル・デューシング
ファルケ:オラフ・ベーア
オルロフスキー:デーヴィッド・モス
フロッシュ:エリーザベト・トリッセナール

マルコ・サンティ・ダンス・アンサンブル(マルコ・サンティ振付)
アルノルト・シェーンベルク合唱団(エルヴィン・オルトナー合唱指揮)
マルク・ミンコフスキ(指揮)ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団

ハンス・ノイエンフェルス(演出)


収録:2001年、ザルツブルク音楽祭
画面 NTSC方式 画像構成比16:9
音声 PCMステレオ ドルビー・デジタル5.1
収録時間 170分
記録方式 片面二層ディスク(DVD9)
字幕 英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・日本語


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