「究極の録音」

2007年9月29日 (土)

連載 許光俊の言いたい放題 第123回

「究極の録音」

前回は片山杜秀氏の本について述べた。私は大学生のとき、きわめて印象が強い3人の人間に出会った。片山氏、現在評論家として活躍中の宮崎哲弥氏、そしてもうひとりが嶋護氏である。とにもかくにもごく普通のつまらない人たちばかりの中で、この3人は目立っていた。片山氏、宮崎氏については今更説明するまでもないが、3人めの嶋氏については、知らない人も多いはずだ。
 嶋氏と最初に出会ったのは、確か東京タワー近辺で行われていた中古レコード屋ハンターのバーゲン会場においてであった(私も昔はそういうところに行って、珍しいレコードを漁っていたのである)。片山氏に紹介されたのではなかったか。私より若干年上の嶋氏の印象は、知識がふんだんにあって、妙な風に元気な人だな、というところ。しかし、氏を徐々に知るにつれ、この人がまれに見るエキセントリックな人間であることがわかってきたのである。嶋氏と私は違う学校に行っていたので、もしハンターのバーゲンに行かなければ知り合うこともなかったわけで、偶然とは不思議なものである。
 私の経験から言えるのは、本当に優秀な人は、明らかにごく普通の常識を逸脱している。人が作ったものさしの中でいい点を取るくらいでは満足しない。というより、そんなことには端から興味がない。そして、人と仲良くすることに興味がない。もっと個人的で根源的な欲望が彼らを動かしているのだ。こうした人間がどれほど少ないかは、今、偏差値の高い学校で教えていて、本当に痛感させられる。むろん、人が作ったものさしに自分を当てはめないということは、不安定や危険と隣り合わせだ。場合によっては、生活が成り立たないことだってあり得よう。しかも、そういう人は得意分野に熱中するあまり、隙や穴がある。いわゆる賢明さといったものを持ち合わせていないことも多い。が、そういう人がいなかったら、世界はどんなに退屈でつまらなくなるだろう。
 嶋氏の存在が徐々に世に知られるようになったのは、1980年代前半、LPレコードの初期盤をめぐってである。すでにCDがすっかり定着し、LPなど、たたき売りに近い状態で処分されている時代だった。ところが氏は、CDよりもLP、特に初期プレスのLPのほうが音がいいということを言い出したのである。今から思えば、とんでもない大学生だったと言うしかないだろう。その主張は、徐々にコレクションをCDに切り替えて行こうという普通の人々にとっては、まさに世迷いごととしか思われなかったに違いない。聞く耳を傾ける者はわずかであった。にもかかわらず、そうこうするうちに嶋氏の主張をそっくり取り入れたような中古レコード店が雨後のたけのこのごとく乱立したのは、周知の通りだ。
 さて、その嶋氏が初期盤の次に熱をあげたのが、菅野沖彦による一連の録音だった。この名前は、今となっては、知らない人も多いかもしれない。LP時代にはレコード制作者として一部で知られた人である。嶋氏は、菅野録音がいわゆる世評高い名録音など比べものにならないほどのクオリティを持っていることに気づいた。それだけでなく、録音技師(制作者)によって音質があまりに違うこと。技師によって特徴や個性があること。演奏家の個性ではなく技師の個性によって録音音楽を楽しむというやり方があること。こういったことを日本で初めて喧伝したのが嶋氏だろう。ここでもまた、嶋氏は、常識と真っ向からぶつかったのだ。今となってはこうしたことはだいぶ知られるようになっているが、昔はおおざっぱに、「DGの音」とか「デッカの音」とか言っていただけだったのだ。私とて、嶋氏のこだわりに対し「でも、音がいくらよくたって、演奏がつまらなくちゃ、お話にならないじゃないか」と否定的だった(もちろん、今もそう思うが)。そんなこと、大した問題じゃなかろうと思っていたのだ。実際は、何度もここで書いているように、録音によって演奏の印象などいくらでも変わるのだが。
 嶋氏はかねてから、菅野沖彦のディスコグラフィや本を書きたいと熱望していた。その願いを私が最初に聞いたのはもう十年以上前ではないだろうか。そしてとうとう、それが果たされたのである。しかも、ハイブリッドのCD付きで。論より証拠、誰でもすぐにその音を体験できるのだ。クラシックの収録曲は半分に満たないが、それは問題ではない。今から20年以上前に録音されたものばかりだが、その音質がどれほどすさまじいかは、自分の家で、普段の装置で聞いてみるのが一番手っ取り早い。私のささやかな装置からでさえ、まさに目の前でピアノが鳴っているような、あるいは大きな空間でオルガンを聞いているような、そしてジャズクラブの上等席で演奏を聴いているかのような音響空間が生まれる。和楽器のなまめかしい音色といい、チェロが空気をふるわせる様子といい、つばが飛んできそうなトランペットといい、気味が悪いほどだ。私はSACDを持っていないので、もう15年も使っているCDプレイヤーで再生しただけだが、それでもとてつもない音だとわかるのである。しかもただ生々しいというだけでなく、きわめて感情豊か、生命感豊か、ニュアンス豊かにに聞こえるのだ。こんなものすごい録音が、嶋氏が騒ぐまでごく一部の人しか知らなかったとは、唖然とするしかない事実なのである。
 これを聴いて、私は嶋氏がどうして菅野録音に入れあげたのか、ようやく理解した。予言者、郷に入れられず、という諺がある。嶋氏も人に先んじたことを主張し、なかなか理解されなかった。そして、固定観念に縛られた人間は(私も含めて)、その主張を理解しようともしなかったのである。
 なるほど、このハイブリッドCDに収録された演奏のすべてが最高だとは言わない。が、にもかかわらず、まさしく目の前に演奏者が存在しているような再生音からは、何とも言えない快楽が得られる。「そんなリアリティを求めるのなら、会場に行けばいいじゃないか」と言う人もいるに違いない。それはその通り。だが、そうした理屈を超えた快楽があることは否定できないのだ。これを聴いたら、最新録音のほとんどが音質的には取るに足らないという事実に気づくはずである。アナログ録音だの、ヒスノイズだのといったことは、ささやかな問題に過ぎないのだ。私は技術的なことは知らないけれど、もっともっと根本的に重要なことがあったのである。これほどの録音をなしとげた菅野氏、それを埋もれさせずに再び世に出した嶋氏や関係者に敬意を表したい。
 そして、私は妄想をたくましくするのである。もし菅野氏がチェリビダッケやヴァントやテンシュテットを録音したら、どんなことになっただろうかと。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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