【インタビュー】 MUROと、レゲエと、ボブ・マーリー 〈2〉
2011年6月7日 (火)
- --- 資料には、「やや荷の重い仕事だっただけに・・・」というMUROさんのコメントがあるのですが、これはすごく率直なご感想かなと。
今回に関しては、レコードでミックスができなかったこともあって・・・今までは全部レコードでやってきたんで、まぁちょっと勝手が違ったという部分でですね。ホントはすべてレコードでっていう気持ちはもちろんあったんで悔しいんですけど、しょうがないですよね。
- --- いま現在の蒐集ペースだと、次回は全てレコードで、というのが早々実現しそうですよね?
けっこう買い倒しましたからね(笑)、今回のミックスに向けて。ただ、レゲエはコンディションがいいのがなかなか見つからないんですよね・・・
- --- 掘る作業自体にしても、ディープ・ファンクなどとはまた勝手も違うというか・・・
そうなんですよ。オリジナル・ジャマイカ盤を必死になって見つけても、「この曲だったらUK盤の方がいいですよ。そっちの方がテイクがかっこいいし、ダブも入ってるから」みたいなことをあっさり言われて、
「え〜っ、ジャマイカ盤でかけたかったのに・・・」っていうのはしょっちゅう(笑)。- --- (笑)でも、たのしい長旅になりそうな。
いや、ホントそうですね。色々な人に助けていただきながらっていう感じで。でまた、シュンとした気分のときにルーツがマッチするんですよね、これが(笑)。僕ぐらいの年だったら日本酒とか焼酎を呑んでひとしきり浸るところを、ルーツ・レゲエと交わってますからね、僕は。ホントしあわせですよ(笑)。
- --- また選曲や流れが絶妙ですよね。この「レインボー・カントリー」は、リー・ペリーのブラック・アーク・スタジオ音源でしたよね。こういった曲をつかみで入れてくるのがさすがというか。
(註)「レインボー・カントリー」は、80年代にUK盤の12インチで出ていたものですね。レコーディングされたのは、70年代の中頃だと思いますけど。かっこいいですよねぇ(笑)。1曲目の「ナチュラル・ミスティック」と、この「レインボー・カントリー」が僕はドツボですね。今回のミックスのお話しをいただいた時点で、このアタマ2曲の流れは決めてましたからね。
- --- ピーター・トッシュがリード・ヴォーカルをとる「ステッピン・レイザー」にしても、こんなテイクがあったとは知りませんでした。
今回自分も「こんなのあったんだ・・・」っていうのばっかりでしたよ(笑)。ホントに勉強になったというか。で、圧倒的にダブが少ない人だと思うんですよ、ボブ・マーリーって。当時から「歌なしのものはいらない」ってはっきり言ってたみたいなんで。だから、リー・ペリーもあとからこっそりダブを出したりしてたんでしょうね。
- --- 今までは『Legend』や『Live!』がボブ・マーリーの入り口としては定番だったかもしれませんが、今回の『Kings From Kingston 12(MURO'S Bob Marley Mix)』にあるJAD音源を入り口にする人もこれからかなり増えてくるんじゃないかって思うんですよね。
だから、レアグルーヴを聴いてた人にとってはいちばん入りやすいところかなって思ってるんですよね。むしろアイランド時代の音源よりとっつきやすさはあるような気がします。
でもまぁ、この時期の音源をオフィシャルでミックスできるっていうこと自体、革命的なことですよね。で、コンピレーションでもアルバムでも味わえない何かを出さなきゃいけないわけじゃないですか? ミックスのご賞味として。そうなるとやっぱり、僕が打ち出せるところっていうのはグルーヴ感しかないんで。だから、全体の流れを作るのは相当時間かかりましたね。それがレコードだったらまだしも、CDだと「あれ? あの曲、このコンピの何曲目だっけ?」とか、「テイクこれじゃないなぁ・・・」みたいなことがちょいちょいあったんで(笑)、それがさっき言ってた“重荷“の部分では正直あったかなって。でもホント、今回使った曲のオリジナルをレコードでまた買い直して、現場でいいサウンド・システムでかけたいなって思ってますよ。
ジャケットのアートワークも(註)SASSA FRAS(ササフラス)に書き下ろしてもらって、ホントにありがたいですよね。体調すごく悪かったみたいなんですけど、ギリギリでやってもらって。僕、オリンピック周期ぐらいで、ササフラスみたいなレジェンダリーの人を紹介できたらなっていうのが昔からすごいあって。『East River Park』のときの(註)リー・キュノネスもそうだし。ちょっと前にベスト盤の『BACK II BACK』で、昔Tuff City レーベルのジャケットなんかを描いてたジョイ・ヴェガ、ルイ・ヴェガの弟なんですけど、彼に無理言って手描きのアートワークをお願いしたりとか。だから音源と同じぐらいこういうジャケットのアートワークにもこだわりたいんですよね。- --- JAD音源の”黒さ”に加えて、こうしたジャケットのアートワークと、今回のミックスCDはすごくMUROさんらしい1枚だなとあらためて感じました。
昔J-WAVEで番組をやってる頃なんかは、僕にとってマーリー・マールがプロダクションの神様っていうか絶対的な存在だったんですけど、その見方がちょっと変わってきたというか。ある日ふと(註)『Roots, Rock, Reggae』だったりのドキュメンタリーDVDをいくつか観直してたら、ヴォーカル・ヴァージョンにしろダブ・ヴァージョンにしろ、その当時から音の抜き差し、タイム感も、四分飛ばし、八分飛ばしみたいなエフェクトのかけ方も、その感覚がものがすごく研ぎ澄まされてて、それこそ衝撃的だったんですよね。そういう意味でも大きかったのは、ボブ・マーリー周辺のミュージシャンの存在。プロデューサーのリー・ペリーはもちろん、バックの(註)アストン “ファミリー・マン” バレット然り、(註)アール “チナ” スミス然り。
- --- バレット兄弟のリズム隊!
絶品ですよね。買い集めてたルーツやダブのレコードを聴き直してると、その辺の名前がどんどん出てきて、つながっていくんですよね。
- --- リー・ペリーの名前で “プロデューサー買い” していってもキリがないぐらいで。
(註)プリモがリー・ペリーになっただけみたいな(笑)。
(註)DJ プレミア(プリモ)・・・言わずと知れたヒップホップ・グループ、ギャング・スター(2010年、MCのグールー死去)のDJ/トラックメイカー。80年代末にWild Pitchと契約後に「DJ プレミア」と名乗り、誰も使用したことのないサンプル素材を探し出し、ストイックなまでに「ループ」にこだわったトラックを制作。また「チョップ/フリップ」を多用したスタイルで独特のドラマを演出。ギャングスター楽曲はおろか、数多くのヒップホップ・アーティストのトラック制作、またはR&Bのリミックスを手掛け、そのほとんどをクラシック入りさせた。 ”プリモ”の愛称でファンのみならず同業者たちからも絶大なプロップスを受けている。 - --- そう言えば、MUROさんのブログにリー・ペリーのドキュメンタリー映画「The Upsetter: The Life Of Lee Scratch Perry」の宣伝ポスターがアップされていたんですが、あの映画はもうご覧になったのですか? 海外ではすでに公開されているそうなんですが。
友達に教えてもらっただけで実際観てはいないんですけど、70年代当時の映像なんかがたっぷり入ってたら絶対に観たいですよねぇ。
- --- 2、3年ぐらい前の「プレイボーイ」誌に掲載されたリー・ペリーのインタビュー記事をご覧になったことってあります?
へぇーっ、そんなのがあるんですか? それはレアだなぁ。
- --- 本人曰く、前世は「魚」なんだそうですよ(笑)。しかも、セックスの達人。
すげぇー! 次元が違うなぁ、ホントに。やってること、(註)ラメルジーより早いですからね(笑)。
- --- たしかに(笑)。
間違いなく竜宮城まで行ったことありそうだしなぁ(笑)。
- --- ちなみに、MUROさんのレゲエの入り口自体も、ボブ・マーリーの『Legend』だったり、リー・ペリー&ジ・アップセッターズのアルバムだったりするのですか?
いえ、それこそ「ロッカーズ」のサントラだったと思いますよ、入りは。あとは、(註)「ハーダー・ゼイ・カム」だったり。
- --- あるいは(註)「カントリーマン」とか。
そうですね。映画から音楽に入るっていうパターンは僕の場合多いですね。
(註)映画「The Harder They Come(ハーダー・ゼイ・カム)」・・・ジャマイカで初めて自国の姿を描いた作品となる、ペリー・ヘンツェル監督のレゲエ・ムーヴィ。悪名高き脱獄囚ヴィンセント・マーティンのルーディな実話に則り、主人公アイヴァン・オー・マーティンのキングストン東西奔走物語が、ジミー・クリフの歌う主題歌に乗って進む。1972年当時勃興期にあったレゲエが持つパワーを見事に描き出しながら、同時に貧窮のキングストン・ゲットー=黒人社会が抱える様々な問題をも抉っている。出演は、ジミー・クリフほか、トゥーツ&ザ・メイタルズ、プリンス・バスターら。サントラ盤『The Harder They Come』には当時の名曲がずらりと並べられ、まさにボブ・マーリーのアイランド・デビューと時を同じくしながら、レゲエの世界進出を大いにアピールした。
(註)映画「Countryman(カントリーマン)」・・・ボブ・マーリーのマネージャーを務めていたディッキー・ジョブソンが、ボブの歌に込められた彼の生き様や思想を主人公、”正義のラスタ”カントリーマンに投影し、コメディ・タッチのアドベンチャーに仕上げた1980年公開のジャマイカン・ムーヴィー。アイランド・レコードの創設者クリス・ブラックウェルが製作を手がけ、全篇にボブ・マーリー、リー・ペリー、トゥーツ&ザ・メイタルズなどレゲエ黄金期の名曲が盛り込まれ、特にボブの8曲は、オリジナルでは聴けない別テイク、オーバーダブなど貴重なテイクが採用された。2006年にリリースされた『レゲエ・ムーヴィー・コレクションDVD-BOX』には、「The Legend of the COUNTRYMAN」と題された製作当時のドキュメンタリーが特典映像として収録されている。 - --- スカやロックステディなどもよく聴かれているんですか?
その辺も食わず嫌いせず聴いてますね。特にその時期のものって「何でこんなカヴァーやってるんだろう?」っていうおもしろさがあったりして。60年代初期ぐらいのジャマイカって、アーティスト名も知らずにただラジオから聴こえてくるソウルやリズム・アンド・ブルースなんかを勢いひとつでカヴァーしてるってことがかなりあったと思うんですよ。そういうところがまたおもしろくてしょうがないんですよね(笑)。
ただ、昔はやっぱりアップセッター音源なんかがド真ん中だったりもしてたんですけど、今色々聴き直したりしてると、(註)アビシニアンズあたりのディープなところにまで行っちゃうっていうか。アフリカ的というか、「ナイヤビンギいいよなぁ」みたいな(笑)。すごい土っぽいのがマッチしちゃって。自分でもパーカッション類を叩きはじめなきゃいいなって思うぐらい(笑)。- --- 次のMUROさんのアルバムはドロドロになりそうですね(笑)。
(笑)いやでも、2000年に(註)『Pan Rhythm』っていう音楽旅行的なコンセプトのアルバムを出してて、その続編をインストでっていうわけじゃないんですけど、昨日ちょっと三味線を弾いてレコーディングしてたんですよね。今ちょうど、そういうのを直感的にやりたいなって思ってて(笑)。
世界各地を島唄みたいな音楽に乗って周るっていうか、沖縄からジャマイカ、アフリカのベナンあたりまでを自家用ジェットで気ままに小旅行してるような感じで。おもしろいものができるんじゃないかなぁって。
(註)MURO『Pan Rhythm:Flight No.11154』・・・2000年にリリースされたソロとして初めてのフル・アルバム。ピート・ロックとダイアモンドが手掛けた楽曲以外はすべてMUROのセルフ・プロデュース(一部DJ WATARAIが共同制作)となった本作は、架空の航空会社「Pan Rhythm Airlines」の飛行機に乗り込んで巡る「リズムの旅」がコンセプトとなり、ブラジル、ラテン、カリブなど南国音楽のエッセンスがふんだんに取り込まれている。サイゲンジのギターが爽やかに響き渡るミレニアム・サマー・アンセム「El Carnaval」をはじめ、ステッツァソニック「Hip Hop Band」のリメイク、名曲「病む街」のパート2、ロイ・エアーズを迎えた「The Vibe Obsession」など名曲揃い。乞・再発! - --- 実際ジャマイカに行かれたことというのは?
ないんですよ。レゲエは、自分の性格上聴き始めちゃったら“どっぷり”っていうのが何となく分かってたんで、あえて深く入り込まないようにしてたところがあったんですけど、まぁこの2、3年で気持ちよくダイブして(笑)。だから、持ってるレコードはかなり変わってきましたね。レゲエのレコードの分量が増えてきたというか。
- --- すでに半分近くはレゲエですか?
3分の1ぐらいですかね。僕、レコード掘り出した入りがサントラなんで、サントラのレコードは相変わらず多いんですよね。むしろ減ったのはヒップホップ、R&B。一部屋分倉庫として使っていたんですけど、そこはかなりダイエットしましたね。3月11日の地震で、90年代〜00年代のラップのレコードがガーッとくずれ落ちて、一応割れたりはしなかったんですけど・・・かなり傷付いたこともあって・・・僕の周りにも結構いますけど、DJやってたりレコード買ってたりする人って、今回の地震でコレクションをあらためて見直して整理するようになったんじゃないですかね。まぁそういうことも重なって、今のうちに無理してでもやりたいことをやろうっていう感じにはなりましたよね。
- --- 近いうちにジャマイカにも行って。
もちろんすぐにでも行きたいですよねぇ(笑)。実は去年、行こうと思えば行けるタイミングがあったんですけど、ちょうどそのとき(註)キングストンの暴動があって。マイティ(・クラウン)ですら「今はやめておいたほうがいいよ」みたいな感じになってたんで諦めました。
(註)キングストンの暴動・・・2010年5月、ジャマイカ国防軍、ジャマイカ保安隊、ジャマイカ警察によって、同国のギャング団「シャワーパシ」の首領であり麻薬王のクリストファー・コークの逮捕作戦が行われ、キングストン市全域に非常事態宣言が発令された。5日間にわたる衝突により73人以上の死者と500人以上の逮捕者が出た。
もっと言うと、『Pan Rhythm』に入っている「El Carnaval」っていう曲のPVを撮影するときに、「じゃあ、カリブ海辺りの島国で撮ろう」ってことになったんですよ。そのときジャマイカも候補に挙がっていたんですけど、ちょうどバルバドスとかバハマのファンクを聴き始めた頃だったんで、「お宝レコードいっぱいあるんだろうなぁ」とか「(註)ビギニング・オブ・ジ・エンドとかに会えんのかなぁ」っていうノリで(笑)、結局バハマに行ったんですよね。ジャマイカはニューヨークから行ってる人は結構多いけど、あまりバハマ行ったっていうのは聞いたことがなかったんで。あと、マイアミもジャマイカからすごく近いんで、音楽的な交流が盛んなんですよね。(註)T.K. プロダクションは、レコーディングでレゲエのリズム隊を起用してたりもして。例えば、(註)キング・スポーティなんかは、T.K.からもジャマイカのレーベルからもリリースしてるんですよね。
(註)ビギニング・オブ・ジ・エンド・・・西インド諸島バハマはナッソー出身でマイアミを拠点に活動していたファンク・バンド。レアグルーヴ&ブレイカーズ古典「Funky Nassau」や「When She Made Me Promise」などを所収した1971年のアルバム『Funky Nassau』、さらにカリビアン〜アフロ濃度が増した76年の2ndアルバム『Beginning of The End』の原盤LPは、いずれも中古市場では5ケタ、6ケタを下らないレア・アイテムとして知られている。
(註)T.K. プロダクション・・・1974年、フロリダ州マイアミの音楽事業家ヘンリー・ストーンが、Alston、Glades、Cat、Blue Candle、Kayvetteといった地元周辺のインディ・レーベルをひとつにまとめあげ、「T.K. プロダクション」を設立した。第1弾作となったジョージ・マクラエ「Rock Your Baby」のブレイクスルーを皮切りに、KC&ザ・サンシャイン・バンドの「Get Down Tonight」、「That's The Way」、グウェン・マクラエ「Rockin' Chair」といったヒット曲を連発。たちまち世界中に「マイアミ・サウンド」の大ブームを巻き起こした。カリブ海地域のカリプソ、レゲエ、スカのリズムなどを取り入れた乾いた明るさを感じさせる曲調が、このレーベルの最大の特徴だろう。
いやでもホント行ってみたいですよねぇ、ジャマイカ。まだ乗ったことないですけど、「Air Jamaica」の飛行機のポップとか家に飾ってあるぐらいですからね(笑)。
映画「The Upsetter: The Life Of Lee Scratch Perry」宣伝ポスター
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[追悼] 二木崇さん
5月20日にブラストやリディム、各種ライナーノーツ、その他多数のレビューで活躍していた音楽ライター/プロデューサーの二木崇氏が急逝されました。音楽ファンであれば、一度は二木さんの文章を目にすることがあったと思います。このHMVオンラインでも国内外のアーティストのインタビューを数多く手がけていただき、インタビュー以外でも交流のあるMUROさんの連載(Radio King 〜King Of Diggin' Mixx Show〜)の橋渡しをしてくださったりと、大変お世話になっておりました。 この場をお借りして御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
二木さんの明るく楽しいお人柄と、音楽愛溢れる文章はいつまでも私たちの心に残っております。
謹んでお悔やみを申し上げるとともに、心からご冥福をお祈りいたします。
Interview by Takashi Futatsugi
- Kings From Kings 12 MURO'S Bob Marley Mix
- キングストンのキング=ボブ・マーリーのジャマイカ時代音源を、渋谷のキング=MUROがDJミックス! マイティ・クラウン、Cojieとの『Dig On Summer 2009』、『Rockers』30周年に捧げた『Rockers Revenge 2010』に続く、”KING of DIGGIN'” によるレゲエ MIX CD企画第3弾。数あるボブ・マーリー音源の中でも「ボブが最もボブらしかった」と評されるジャマイカ時代(JAD音源)の珠玉の名曲、さらにリー・ペリーがプロデュースした音源や貴重なダブ・ヴァージョンもピックアップ。まるで70年代初頭のキングストン、砂埃立ち込めるトレンチタウンの空気を封じ込めたような最高にルーディでウィキッドなミックス。世界でも稀に見るボブ・マーリー音源のみを仕様した完全永久保存盤。
- Bob Marley / Live Forever: September 23, 1980, Stanley Theatre, Pittsburgh, P.A.
- 没後30年。ボブ・マーリー最後のライヴ・パフォーマンスがついにオフィシャルCD化! 1980年9月23日米ペンシルバニア州ピッツバーグのスタンリー・シアターで行なわれたボブ・マーリー”生涯最後のライヴ”を完全収録。亡くなる7ヶ月前、すでにボブの身体は病魔に蝕まれ、序盤数曲の歌唱力は全盛期からは程遠いものとなっているのは否めないが、徐々にヒートアップする中〜後半からは、最後の力をふり絞るかのように絶唱するボブの姿に震えがとまらない。初出となる「Redemption Song」、「Work」、「Get Up Stand Up」の3曲に加え、国内盤のみ高音質SHM-CDを採用。2枚組通常盤と、3LPに復刻版ツアー・パンフレットを付属したデラックス・エディションの2ヴァージョンでのリリース。
ユニバーサル アイランド レゲエ SHM-CD 再発シリーズ
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DIGOT
営業時間:12:00〜20:00
住所:東京都渋谷区神南1-3-3 サンフォーレスト神南MORITA BLDG 1F
電話:03-6809-0861
www.digot.jp
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本文中に登場する主要人物について |
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Earl ”Chinna” Smith (アール ”チナ” スミス) レゲエにおけるリズム・ギターの真髄を伝えた第一人者でもある、ジャマイカのギタリスト。レゲエ・バンド、ソウル・シンジケートでの活躍の一方で、流動的ではあったがバニー・リーが集めたセッション・バンド、アグロヴェイターズに参加するなど、数多くのシンガーの録音に参加し、そのバッキングにおいても類稀な才能を発揮。グラミー賞を受賞しているレゲエ楽曲の半分近くでチナがギターを演奏している、とまで言われている。特筆すべきは、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの1975年7月18日ロンドン・ライシアム・ホール公演を収録した『Live!』における「No Woman, No Cry」のギター・ソロ。ルーツ・レゲエとロック的な要素が絡み合う時代のドラマが映し出されたポピュラー・ミュージック史に燦然と輝き続ける名演と言えるだろう。ソロ・アルバムとしては、77年に『Sticky Fingers』、83年に『Dub It!』、91年に『Home Grown』、2005年に『Inna de Yard』、2009年に『Inna de Yard Vol.2』とコンスタントにリリースを続けている。ダンスホール全盛の現在においても、シズラやジギー・マーリーのアルバム制作に参加し、アレンジャー/プロデューサーとしてその腕を揮っている。 |
Abyssinians (アビシニアンズ) リードシンガーのバーナード・コリンズと、カールトン&ザ・シューズで活動していたリンフォードとドナルドのマニング兄弟によって1968年に結成されたルーツ・コーラス・トリオ。1969年にStudio One レーベルに吹き込まれた「Satta Massa Ganna」は、2年後の71年に彼らが立ち上げたClinch レーベルの第1弾としてリリースされた。この伝説の名曲は、現在に至るまで多数のアーティストにカヴァーされ、ビッグ・ユースやディリンジャーといったDeejayたちが同リディムを使用してトースティングした曲もヒットを記録した。崇高なラスタ思想に基づいた歌詞と美しいコーラス・ワークでジャマイカ国内外で絶大な人気を得た。バーナードの脱退に伴ってグループは80年に解散するが、98年にオリジナル・ラインナップで再結成を果たし、新録アルバム『Reunion』もリリース。2004年からは、80年代から行動を共にしていたシンガー、デビット・モリソンとツアーを行なうなどして近年も精力的に活動を続けている。 |
King Sporty (キング・スポーティ) 本名ノエル・ウィリアムス。ジャマイカのポート・アントニオ出身で、60年代のスカ黄金期から「キング・スポーティ」という名義で活動を開始。60年代後半には、トミー・マクックのバンド、スーパーソニックスと「For Your Desire」などを吹き込み、のちの80年代には、ボブ・マーリー「Buffalo Soldier」の共作者としてもその名を広く知られるようになる。70年代半ば頃から、ティミー・トーマス『Touch To Touch』のプロデュースを手掛けるなど、ソウル・シーンに急接近。その頃からマイアミに移住し、ベティ・ライトと結婚。T.K. 傘下に設立した自身のKonduko レーベルやその傍系Tashamba、さらにはジャマイカのKingston レーベルなどから、『Deep Reggae Roots』、『Mr. Rhythm』といった2枚のアルバム、さらにシングルでは「Concrete Jungle」のカヴァー、「Don't Kill The Goose」など、自身のソロ作品をリリース。その他様々な名義を使い分けながら、マイアミ・ディスコ、エレクトロ・ディスコの佳盤を制作している。ジャマイカ音楽史上最重要ギタリスト、アーネスト・ラングリンの83年マイアミ録音アルバム『From Kingston J.A. To Miami U.S.A』では共同プロデュースを手掛け、レゲエ、ダブ、ソウル、ファンク、ディスコなどマイアミ〜カリブ周辺の南国音楽要素すべてを惜しみなくつぎ込んだ、稀に見る異色作を作り上げた。 |