TOP > My page > Review List of 村井 翔

Review List of 村井 翔 

Showing 331 - 345 of 575 items

%%header%%

%%message%%

  • 4 people agree with this review
     2013/04/01

    これが『ヴォツェック』のモスクワ初演とは驚くが、いつもながら綿密なクルレンツィスの指揮のもと、ボリショイの面々がいつものルーティン・レパートリーとは全く違った緊張感を持って取り組んでいるのが分かる。チェルニャコフの現代版演出も良くできていて、主人公は現代の企業戦士たるサラリーマンだが、最初の場の「大尉」は軍隊フェチのおじさんとのロール・プレイとするなど、的確に読み替えられている。ジャケ写真の通り、方形に区切られた集合住宅が舞台で、その一室で殺人が起こっても、他の人々の暮らしは何の変化もなく続いてゆく。マンションの一角に設けられた深夜のバーで演じられる第2幕第5場(ここにいないはずのマリーも出てくる)、死んだ母親と(この演出では)心神喪失状態の父のいる室内で子どもが無邪気にテレビゲームを続ける最終場などは元の設定以上に秀逸。ただし、マンション内に「沼」を作るわけにはいかないし、「赤い月」を昇らせるわけにもいかないので、さすがに第3幕になると読み替えがちょっと苦しい。ビエイト演出ではちゃんと描かれていた「階級」「身分」の差がなくなってしまったのも、やはりまずかろう。グラマラスなマリーはやや大味だが、主役ニグル以下、歌手陣もおおむね好演。

    4 people agree with this review

    Agree with this review

  • 3 people agree with this review
     2013/03/30

    『イオランタ』は大好きな作品だが、きわめて至純なメルヒェンなので、下手をするとただのお涙頂戴物語で終わってしまう。その点ではソ連時代のオペラ映画も1982年ボリショイでの上演記録も満足にはほど遠かった。しかし、これはセンスの良い演出と鋭敏な指揮による素晴らしい上演。舞台はジャケ写真にある通り、鳥の羽根のような装飾が付いた扉の枠だけが置かれた象徴的なものだが、セラーズ演出は歌手を下から照らすフットライトを効果的に使って「闇から光へ」の物語を説得力豊かに見せる。クルレンツィスは私が最初に聴いたショスタコの交響曲第14番以来、何を振ってもある種の表現主義をはっきりと刻印する指揮者だが、それは派手な大芝居を仕掛けるというのとは違って、表現を徹底的に磨き上げた結果、これまで何とも思わなかった細部が雄弁に語り始めるというものだ。本作でも、イオランタが盲目であることにヴォデモンが気づいた後の、弦の胸をえぐるような響きなど、実に素晴らしい。フィナーレに挿入される無伴奏の聖歌風合唱(私の所有する三種のCD、二種の映像のどれにもこの部分はない。別作品からの挿入か?)の繊細さもまた絶妙だ。シェルバチェンコ、チェルノホの主役コンピ以下、歌手陣はみな好演。特にムーア人の医者(中世はイスラム圏の方が先進国だったのだ)を演じるウィラード・ホワイトが上演に一段の重みを添えている。
    これに続いて全く同じセットで演じられるのはストラヴィンスキーの『ペルセフォネ』。冥界の王ハーデスにさらわれた娘ペルセフォネを母のデーメテルらが救い出そうとする、ギリシア神話による一時間ほどの「メロドラマ」。ただし、ハーデスの妻になったペルセフォネは毎年、秋から冬にかけては冥府に住まねばならず、春になると「光」の世界に戻ってくる。語り部のエウモルペ(テノール)が盲目の男性と設定され、イオランタと同じ白い杖を持たされることで、前の演目との関連づけが図られている。ジイドのフランス語台本を語るペルセフォネ(語り役)にはカンボジア古典舞踊のダンサーが「ダブル(分身)」として付く。

    3 people agree with this review

    Agree with this review

  • 5 people agree with this review
     2013/03/30

    ヴェルザー=メストとウィーン国立歌劇場による最初の映像ソフトだが、その演目が『ニーベルングの指環』でも『影のない女』でもなく、『アラベラ』だというのは面白い。もちろんスケールの大きさはないが、繊細かつ緻密なメストの指揮が生きる曲であるのは確かだが、彼は同じ曲を5年前にチューリヒで録画したばかりだからだ。しかも、今回のベヒトルフ演出は2006/2007年シーズンに出されたもので、最新のプレミエというわけでもない。勘ぐるに、どうも指揮者はチューリヒでの録画に不満があったのではないか。あらゆる点で今回のウィーン録画の方がチューリヒより上だからだ。演出は時代を20世紀半ばに移しているが、もともと『ばらの騎士』のような純然たる貴族社会の話ではないし、これはこれで構わない。特にあっと驚くような仕掛けがあるわけではないが、第1幕のヴァルトナー家のうらぶれ加減、第2幕の舞踏会の「しょぼさ」も非常に的確。もともとこのオペラは、台本作者ホフマンスタールの死後、シュトラウスが独断で第2幕以降の台本をばっさりと削ってしまったので、ストーリー上、やや説明不足なところがある。たとえば、アラベラは(考えようによっては迷惑な)ズデンカの振る舞いをどう思っているのか、このまま破談になってもおかしくなかったアラベラとマンドリーカの仲がどうしてハッピーエンドになるのか、などテクストの上では明らかに言葉が足りない。その足りない部分を、演出が演技によってうまく補っているところも見ものだ。
    マギーは元来の演技の巧みさ(小学生になりきったコンヴィチュニー演出『ローエングリン』など圧巻)に加えて歌の方も堂々たる風格を備えるようになってきた。同じアメリカ出身だが、フレミングよりずっと賢い女性に見える。コニェチュニは演技するまでもなく、素のままで二枚目かつ三枚目のマンドリーカになりきっている。アップになるとちょっと老けて見えるが、けなげなキューマイアーのズデンカも素晴らしい。

    5 people agree with this review

    Agree with this review

  • 3 people agree with this review
     2013/03/02

    人気のドゥダメルといえども、録音コストの高いロサンジェルスでは何でもかんでも録音させてもらえるわけではなさそうだ。そうした中で選ばれた最初の録音曲目がマーラー9番とは何とも興味深い。速いところは十分にテンポが上がるが、それでも29:32/16:25/13:19/26:46という各楽章のタイムからも察せられる通り、非常にじっくり構えたスケールの大きな演奏。第1楽章展開部末尾のクライマックス(いわゆる「死の打撃」部分)への劇的な持ち込み方、第3楽章最後の猛烈な加速(その代わり、その前のアダージョ楽章先取り部分はかなり遅い)など、まぎれもない「ドゥダメル印」もちゃんと刻印されているし、かつてはなおざりにされることの多かったポルタメントなども、楽譜の指示通り、丁寧に実行されている。強いて言えば、ポリフォニックで複雑な味わいが望まれる所で、やや音楽が平板、ホモフォニックに流れる傾向があるのが弱点かもしれないが、9番自体は決して晩年様式の枯れた曲ではないわけだから、今はこの若い指揮者の意欲的な指揮ぶりを良しとしよう。

    3 people agree with this review

    Agree with this review

  • 7 people agree with this review
     2013/01/21

    ベズイデンホウトはモーツァルトのソロ作品全集でもとてもセンスの良いところを見せているが、協奏曲になってさらに「一皮むけた」感がある。フォルテピアノはオケ・パートにも通奏低音として参加、独奏楽器を円形に取り囲むようにオケを配置(だから木管楽器がフォルテピアノのすぐ向こうにいる)、緩徐楽章では独奏楽器の旋律装飾に呼応して、木管もわずかだが即興的に楽譜と違う動きをするなど、きわめて過激なことを「さりげなく」やっている。ピアノ協奏曲は今や全盛のピリオド・スタイル・モーツァルトの最後の未開拓地で、ビルソン/ガーディナーの全集もインマゼールの全集も「楽器にもう少しニュアンスがあれば」と感じさせたものだが、そんな不満はすでに過去のもの。アクセントの強い表現(両曲とも短調のエピソードに差しかかると、非常にエキセントリックな表情をみせる)も、繊細な表現力(たとえば第22番終楽章のカデンツァの終わりなど絶妙)も申し分ない。第22番冒頭のファンファーレ音型とその後の柔らかい木管のメロディー(+ホルンの対位旋律)の描き分けなど、オケの雄弁な表現も圧巻。第22番はモーツァルトのピアノ協奏曲中、最愛の一曲だったが、当分この一枚があれば十分。現代楽器で聴きたいとは思わない。

    7 people agree with this review

    Agree with this review

  • 2 people agree with this review
     2012/12/17

    第1楽章の「戦争の主題」が『メリー・ウィドウ』の「マキシムの歌」の引用だなんて、いかにもショスタコらしいと思うけど、その種のパロディを除けば、第7番は次の第8番の素晴らしさに比べると、外見は派手だが、どうも内容空疎な曲というイメージが否めなかった。しかし、これは曲についての見方の変更を迫るほどの圧倒的な名演だ。ほぼ同時に発売されたゲルギエフの再録音(これも悪い演奏ではないが)に比べると全曲で9分ほど短い演奏で、第1楽章第1主題もアレグレットにしてはかなり速いが、これは第2主題、つまりモデラートの「戦争の主題」とのコントラストをはっきりつけようという意図だろう。その「戦争の主題」はppという指定にも関わらず、最初からコル・レーニョ、ピツィカートを非常にはっきりと響かせて始まる。この一見楽しげな、だが実は不気味な旋律の後者の側面を強調した演奏で、メロディ・ラインにつきまとう対位旋律を克明に聴かせる。その後の凄まじい修羅場は全く見事な統率力。第3楽章は第5番第3楽章、第8番第1楽章などに通ずるレクイエムとしての性格を持つアダージョだが、私はこの演奏でこの楽章の「真実の声」をはじめて聴かせてもらった。拍手入りの一発ライヴだが、録音は優秀、会場ノイズもほとんど気にならない。

    2 people agree with this review

    Agree with this review

  • 1 people agree with this review
     2012/12/10

    指揮とオケ、メゾ・ソプラノ独唱者に関しては、文句の付けようがない。指揮はとても純音楽的にきっちりと、精妙に振っていて、かつてのような「死の想念」に浸された解釈とは、はっきり距離を置いている。この曲ではウィーン・フィルの耽美的な響きが忘れがたいが(特にワルターとバーンスタインのDECCA録音)、都響の繊細さも大いに賞賛に値する。フェルミリオンも決して「深い」声の持ち主ではないが、柔軟かつ知性的な歌いぶりで、きれいだけど「冷感症的」なクリスタ・ルートヴィヒより、むしろ好ましい。ただ一つだけ、ギャンビルの声は私には「許容範囲外」だった。もちろん楽譜通りちゃんと歌えているし、ドイツ語の発音も申し分ない。でも、歌手という生身の楽器の場合、その声が生理的に受け入れられぬということもまた起こりうるのだ。この曲のテノール・パート、私はヘルデンテノールよりもむしろリート歌手の繊細さが必要だと思うし(その点でインバルの前回録音でのペーター・シュライアーは良い選択だった)、ギャンビルも以前ほど無理に力まなくなったのは良い傾向。それでも第1楽章はまあ何とか我慢できるとしても、第3、第5楽章では、もっと伸びやかな本物のテノールの声が欲しかった。

    1 people agree with this review

    Agree with this review

  • 10 people agree with this review
     2012/11/11

    指揮者の顔ぶれも興味深く、出来ばえに多少の差はあっても、大変な見ものであることは間違いない。カメラワークは若干、凝ったところもあるが全体としてはごく普通のコンサート映像。声楽付き作品の歌詞は表示できないが、大した問題ではなかろう。では、気に入った順に各曲をご紹介。
    まずは驚異的なスコア解析力とオーケストラ・コントロールの見事さを見せつけるガッティ。指揮のジェスチュアもまことに明晰だが、人気曲とはいえ実は一筋縄ではいかぬ5番の総譜が徹底的に掘り起こされているのは凄い。次はルイージの『大地の歌』。バーンスタインのように強引に歌手を引きずり回す指揮ではないが、総譜の読みが緻密で尖鋭かつ繊細、指揮姿も美しい。ディーン・スミスも丁寧な歌唱で好感がもてるが(欲を言えば、もっと奔放さが欲しい)、ラーションの深い美声は圧巻。歴代の『大地の歌』歌手でも最上位クラスの声で、歌い回しのうまさが加われば無敵だろう。第10番クック版の初映像も、もちろん素晴らしい。やや速めのテンポで綿密に振っていて、曲の姿が良く分かる。特に終楽章「カタストローフ」以後のラスト100小節ほどは作曲者の魂が降りてきたような圧倒的名演。クック版のもともと少ない音符にこれだけ「物を言わせ」られるのは、まさしくインバルならではの技だ。一人でも多くの人に見てもらいたい映像で、これを見れば「全5楽章版はマーラーの真作とは言い難い」などと寝言を言う輩も減ることだろう。イヴァン・フィッシャー指揮の4番も室内楽的な妙味を生かした名演。ヤンソンスは、ホストゆえ仕方のないこととはいえ面倒な曲ばかりを任されることになった。なかではNHK-BSでも既に放送されている3番が最も良い。2番と8番では8番の方がやや上か。いずれも手堅い出来ばえではあるが、この3曲はデジタル・コンサートホールのアーカイヴにあるラトル/BPOがどれもケタ違いの名演なので、比べると見劣りするのは致し方ない。「老巨匠」組は3人ともちょっと残念な結果。6番はマゼール向きの曲ではあるし、スローテンポによる細部拡大趣味もそれなりに面白くはあるが、あまりにも鈍重だ。ブーレーズの7番も「昔とった杵柄」であるはずなのだが、クリーヴランドとのCDに比べると、彼らしいエッジの切れ味はだいぶ鈍っている。ハイティンクは今や全くの枯淡の境地。ただし、9番は決して枯れた曲ではなく、むしろ前衛的で意欲的な作品なので、曲との相性は悪い。最後、ハーディングの1番は熱演だが意外に凡庸。期待値から比べると、これが最も失望した。

    10 people agree with this review

    Agree with this review

  • 4 people agree with this review
     2012/11/03

    ワシリー・ペトレンコはナクソスに録音された『マンフレッド』交響曲やショスタコーヴィチ交響曲シリーズで見せるように、場合によってはかなり思い切った緩急の変化を採用することも辞さない指揮者だが、この曲に関しては、楽譜の指示から大きく逸脱するようなアゴーギグを持ち込むことはしていない。しかし、それでもペトレンコらしい鋭敏なセンスはこの録音の随所に感じられる。この曲は一面では情緒纏綿、さらに終楽章には同じ作曲家のピアノ協奏曲第2番、第3番の終楽章に相通ずるような豪華絢爛なところもある。けれども、この曲が初演された1908年はマーラーの第7交響曲(マーラーの場合は同じホ短調という主調にさほどの意味はないが)、スクリャービンの『法悦の詩』が初演された年でもあり、20世紀初頭の作品にふさわしい近代的な側面も持っている。この両面を演奏において両立させることはなかなか至難であり、マゼールのように後者に重きを置くと情緒的にはどうしても乾いた印象が避けられなかった。ペトレンコは第1、第3楽章の抒情的な美しさにも十分目配りしながら、第2、第4楽章では音色の多彩さ、思わぬ対位旋律の強調やリズムのシャープさに若い指揮者らしい才気を見せる。主旋律のみならずヴァイオリンの速いパッセージの隅々までも丁寧に弾かれているのは入念なリハーサル、つまり指揮者とオケの良好な関係のあかしと言えるだろう。

    4 people agree with this review

    Agree with this review

  • 5 people agree with this review
     2012/11/03

    第6番までの6曲と『未完成』の間には大きな断絶があることを改めて思い知らされる。それがまさしく全集として聴くことの妙味。第6番まではきびきびしたテンポ、鋭いアクセントで典型的なピリオド楽器オケらしい演奏。しかもブリュッヘン、インマゼールら先行するピリオド派全集と比べても、音色に対するセンスの鋭敏さ(シューベルト得意のかなり唐突な転調が実に映える)、初期ロマン派の音楽には欠かせないリズムの弾み(ドイツ語で言うSchwung)、この2点でさらに凌いでいる。しかし『未完成』第1楽章になると、アクセントの鋭い打ち込みは変わらないが(これはベーレンライター版の特徴でもある)、テンポはむしろ遅めで深沈たる味わいがある。『大ハ長調』になると管楽器は3管編成にして、もはや古典派の交響曲ではなく、ブルックナーやマーラーにつながる大交響曲というアプローチだ。第1楽章冒頭のホルンの主題など、たっぷりしたテンポだし、第1楽章主部もさほど速くならない。そして第1楽章末尾の序奏主題の回帰は、フルトヴェングラーやヴァントのように、完全にテンポをアンダンテに戻して終わる。つまり、フルトヴェングラーのようなロマンティックな解釈とピリオド・スタイル、両方の「いいとこ取り」を狙った実に興味深いアプローチ。悪くすればどちらも中途半端になりかねないところだが、私はかなりのところまで満足した。終楽章最後の音ももちろんディミヌエンドではなく、短く強いアクセント。

    5 people agree with this review

    Agree with this review

  • 2 people agree with this review
     2012/11/03

    ウィーン交響楽団自主レーベルの第1弾。来春にはルイージ指揮によるマーラー6番の発売が予告されている。そんなに華やかな響きのする録音、またオケでもないが、きわめて明確な主張をもった旗色鮮明な演奏で、チョン・ミョンフン/ソウル・フィルと並んで、近年の1番の録音では特筆すべき収穫だ。明確な主張の第1はきわめて柔軟な、変幻自在のアゴーギグ。しかし、指揮者の恣意的な解釈というよりは、楽譜の要求に忠実に応じようとした結果だろう。たとえば、葬送行進曲(冒頭のコントラバスはユニゾン)では練習番号6の箇所からデジタル的に速くなるが、これは「パロディをもって/引きずるな」という楽譜の指示通りの結果。スケルツォでは主部最初の3小節だけが目立って遅く、4小節目からテンポが上がるが、冒頭のリズム・モティーフが圧縮される楽想に応じたものと見ることができる。第2は現代のマーラー演奏では定番とも言える、特殊奏法を含めた細部の克明な処理。第1楽章再現部直前のいわゆる「突発」部(終楽章末尾でも繰り返される)直前では低弦の強調とホルンのクレッシェンドが印象的。第2楽章トリオは非常に遅いテンポで弦楽器のグリッサンドを入念に聴かせるし、終楽章でも疾風怒濤の第1主題部と、たっぷりと歌う第2主題が考えうる限り、最大のコントラストを作り出している。解釈自体は2006年の来日公演あるいは2008年収録のシュターツカぺレ・ドレスデンとのDVDの方がよりシャープだったかもしれないが、演奏の練り上げという点ではこのCDをとるべきだろう。

    2 people agree with this review

    Agree with this review

  • 6 people agree with this review
     2012/10/09

    これはナマでも聴きました。4番をナマで聴けるチャンスはまだ少ないですからね。そこでちょっと驚いたのは、この大変な演奏会がわずか1回しか行われなかったこと。インバル/都響の定期演奏会は同一プログラムで2回やっても、今や満席になるでしょうに。さて、肝心の演奏だが、いわゆる爆演では全くないし、最近のインバルで時折り見られる巨匠らしい風格のある演奏でもなく、むしろ私は若い頃からの彼の持ち味が復活したように感じた。細部まで、きわめてきっちりと振っていて、楽譜を最大漏らさず掘り下げて音にするという、王道中の王道と言うべきアプローチだ。1992年のウィーン響との録音と比べると、両端楽章が心持ち速くなっただけで、基本的な造形はほとんど差がないのだが、その「心持ち速く」が絶大な効果を発揮している。たとえば第1楽章、プレストのフガートから展開部終わりにかけての凄まじいクライマックスは都響盤を聴いてしまうと、ウィーン響盤は明らかにぬるい。インバルの指揮には時として、人間的なぬくもりを拒絶するような苛烈さ、文学的な表現をすれば「孤独の影」を感じることがあるが、この曲ではそうした彼のキャラクターが最大限に生きている。都響はナマでも全く破綻なく、驚嘆すべき合奏力を見せたが、第1楽章第2主題のなまめかしさ、終楽章アレグロ部、特に軽音楽的な展開になってからの意外な繊細さには、このオケの持ち味が生きている。指揮者のクールさとオケの繊細さとの、まさしく絶妙なコンビネーション。首席指揮者としての最後のシーズンである2013/2014年の曲目にショスタコーヴィチが見当たらないのは何とも残念だが、全集とは言わぬまでもあとせめて8番、14番ぐらいはこのコンピでの録音が実現しないものか。

    6 people agree with this review

    Agree with this review

  • 3 people agree with this review
     2012/10/07

    2つのオケの合同演奏、1000人を超える合唱団などイヴェントとしてはなかなかの見ものである。もともとこういった種類の「お祭り」的なところのある曲だから、ポリフォニーが押しつぶされてしまっただの、合唱団のドイツ語発音がどうも、などと細かいことを言わずに楽しむべき映像だとは思う。ただし、本来とても表現意欲旺盛な指揮者、オーケストラ(2つとも)だと思うから、これだけは付け加えておきたい。巨大オケ、巨大合唱団とも機敏な動きができず、強弱、緩急といった曲の「表現」そのものが十分に詰められなかった。その結果、ppはmpぐらい、速いところも本当の快速テンポはとれず、などかなり甘い出来にとどまったのは、やはりまずい。8番の演奏では往々にして起こりがちな事態だが、今回もまたその例に漏れず。

    3 people agree with this review

    Agree with this review

  • 1 people agree with this review
     2012/09/24

    ほぼ2年に1枚という悠然たるペースで進行しているピアノ協奏曲シリーズの第3作。「自然体の演奏」というのは普通はほめ言葉だが、当方は勝手ながら内田の演奏から複雑な、屈折した手練手管を常に期待している。その点で最も見事だったのは第9番のハ短調の第2楽章。遅いテンポできわめて濃厚、左手和音の崩し弾きなど、ほとんどロマンティックな演奏が繰り広げられている。一方、第21番の緩徐楽章は速めのテンポで名高い名旋律をすっきりと聴かせ、旋律装飾のセンスを見せる(これは簡単そうで、実はとても難しく、たとえば同時発売のピリスは第27番の第2楽章でほんの少し、やり過ぎた)。両端楽章については、当方はもはや内田に「溌剌たる」演奏は期待していないが、望むらくはもう少しニュアンスが濃くても良かった。今回は曲そのものが、濃い味わいを盛り込むのに向いていなかった、ということかもしれない。しかし、テイトとの共演盤とは全く違うものを弾いている第21番第1楽章のカデンツァは絶品。まさに内田ならではの出来ばえだ。

    1 people agree with this review

    Agree with this review

  • 7 people agree with this review
     2012/09/24

    モーツァルトの7つのオペラをCD録音だけするという、レコード業界不況の中では全く奇特な企画の第1弾。強力な歌手陣も単なる寄せ集めではなく、2011年7月にバーデンバーデンで3回の演奏会形式上演を行ったメンバーが全員そのまま録音に参加しているので、一体感があるし、レチタティーヴォの部分も舞台上演さながらに、いや舞台のライヴ以上にしっかりと芝居がついている(観客の笑い声が聞こえる箇所もあるので、一部はライヴの収録をそのまま用いていると思われる)。まず歌手について述べると、ターフェル同様、レポレッロ役からドン・ジョヴァンニに「出世」した(さらに前のアバド指揮の録音では、彼はマゼット役だった)ダルカンジェロ。普通にイメージされる通りの伊達男だが、バスなのでギャラントな中にも押しの強さがある。レポレッロのピサローニと似た声だが、これはこの二人をドッペルゲンガー(お互いの影)と見る最近の解釈を反映しているのだろう。女声陣ではディドナートのドンナ・エルヴィーラがかなり誇張した役作りをしているのが面白い。彼女に対するパロディの意図は、バロック的な大げさな身ぶりをする曲自体の中に既にあると言われるが、これほど戯画的な側面をはっきり見せるエルヴィーラは初めてだろう。ダムラウも復讐を求める叫びの背後に、ドン・ジョヴァンニに惹かれる心理の分裂があることを巧みに見せる。エイトマンは小悪魔というよりは、清純だが男の扱い方をすでに心得ている賢い女性。ビリャソンが歌ったからと言ってダメ男、ドン・オッターヴィオのイメージが大して変わるとは思えないが、もともとセリア系の役なので大過なく歌っているし、ジョヴァンニに部屋に押し入られたが何事もなかったとアンナが嘘を言うレチタティーヴォでのボケっぷりも的確。
    録音はティンパニや金管の突出をやや抑えているようだが、指揮はもちろんピリオド・スタイル。非常にアクセントの強い表現が随所にある。しかし、第2幕最後のドン・ジョヴァンニと騎士長の対決の場などは、これまでのピリオド派指揮者に比べると、遥かにテンポが遅い。18世紀にどう弾かれていたかは一応踏まえるが、歴史的正統性にはもはやこだわらないという現代の聴衆のためのピリオド・スタイルだ。

    7 people agree with this review

    Agree with this review

Showing 331 - 345 of 575 items