フランク、セザール(1822-1890)
新商品あり

フランク、セザール(1822-1890) レビュー一覧 7ページ目

フランク、セザール(1822-1890) | レビュー一覧 | CD、DVD、ブルーレイ(BD)、ゲーム、グッズなどを取り扱う【HMV&BOOKS online】では、コンビニ受け取り送料無料!国内最大級のECサイトです!いずれも、Pontaポイント利用可能!お得なキャンペーンや限定特典アイテムも多数!支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利です!

商品ユーザーレビュー

305件
並べ替え: 新着順| 共感数の多い順| 評価の高い順
  • 既出の盤を所有しているが、解説書にもあるように、オ...

    投稿日:2015/03/07

    既出の盤を所有しているが、解説書にもあるように、オリジナルマスターテープが紛失していているらしく、音質が悪い。音が割れたり、耳にきついです。今度発売されるこの盤がオリジナルマスターテープからの復刻であることを祈りたい。評価はその点が不明なので、★3つとした。

    カバポチ さん

    2
  • この曲には、最晩年のモントゥーがシカゴ交響楽団を振...

    投稿日:2015/01/19

    この曲には、最晩年のモントゥーがシカゴ交響楽団を振った極めつけの名演を、RCAの名人ルイス・レイトンがそのサウンドをオーケストラホールの空間ごとテープに収めた夢のようなリヴィングステレオ盤が、他の全てのディスクの存在価値を無きものにせんと最高峰に鎮座している。モントゥー盤だけをもって最高とすることには異論があるかもしれないが、クレンペラーが曲の構造をまるでX線を照射したかのような医学的アプローチで深く切り込んだEMI盤は、箱庭のような窮屈サウンドがなんとももどかしいし(せめてアビーロードスタジオではなくキングスウェイホールで録音してほしかった)、パレーによるF1マシーンのような速さとパワーが充満するマーキュリー盤は、いかんせん音質が硬直気味で古めかしい(手許の国内盤CDが悪いだけかもしれない)。一方デジタル録音ではどうかというと、一般の評判の高いデュトワ盤では、演奏が常識的で面白みに欠け、聖ユスターシュ教会の豊か過ぎるレゾナンスがフランクのオーケストレーションとマッチしなかったのか、J・ダンカーリーとしては平凡なサウンドに終始している。そうなるとアナログ録音の円熟期に収録されたこのマゼール&クリーヴランド盤がモントゥー盤に継ぐ名盤ということで俄かにクローズアップされることになる。こんなことを言うと誰もが「若いマゼールがモントゥーやクレンペラー、パレーに比肩しうる演奏なんてできるわけがない」と極めて無邪気な疑念を抱くに違いない。もちろん細部にこだわれば未熟な解釈を見つけ出すことは容易だが、ここで特筆すべきは御大ケネス・E・ウィルキンソンによる録音の素晴らしさであり、録音の優秀さがマゼールの演奏をモントゥー盤に肉薄するほどの高みに引き上げているというのが正しいかもしれない。ウィルキンソンのアメリカ大陸での録音といえば、ショルティ&シカゴのメディナテンプル(初期はイリノイ州立大学クラナートセンター)での一連のセッションがあまりに有名だが、これ以外にも数は少ないもののドラティ&ナショナル(orデトロイト)、マゼール&クリーヴランドの演奏が残されており、特に後者の「ローマの祭・松」は、オーディオファイルの間で伝説的なデモンストレーションディスクとして有名である。このフランクは1976年5月10〜14日にメイソニックオーディトリウムで組まれた一連のセッションで収録されたもので、アシスタントとしてコリン・ムアフアットとマイケル・マイルズの名が記されている。メイソニックホールは写真で見るとプロセニアムステージの前に円形状の平土間客席を有しているが、録音の際はステージが平土間まで拡張され、そこにオーケストラがいっぱいに展開するデッカのお家芸配置が採用されていたことは間違いなく、これらの録音で聴かれる広大なサウンドステージがそのことを何よりも雄弁に物語っている。なお、パスカル・ロジェのピアノが加わったフランクの交響的変奏曲が最終日に廻されていることから、オーケストラのみのレスピーギの二作とフランクの交響曲は、ステージ上の楽器配置もマイクセッティングも同一であったと考えられるが、フランクではレスピーギで聴かれるような華麗でスペキュタクラーなサウンドは聴かれない。しかしこれは、曲のオーケストレーション違いに過ぎず、これをもって「フランクの方が録音が劣っている」と評するのは根本的に誤った判断だ。フランクの管弦楽曲は、同じく教会のオルガニストを本業としていたブルックナーのそれと似て、オルガンのストップをそのままオーケストラの楽器に割り振ったかのような「グレースケールトーン」が特徴で、そこには旋律を高らかに歌い流れるようなストリングスも、鳥のように囀る木管楽器も、軽快にリズム刻み閃光を放つ打楽器も、咆哮するホルンも、地を穿つようなグランカッサも無く、陰鬱な循環主題が、うねうねと転調と漸強・漸弱を繰り返しながら、幾度も繰り返されていく。ウィルキンソンによる録音は、このようなフランク特有のサウンドの特徴を余すところなくマイクで拾い上げており、指揮台のやや後方からオーケストラを俯瞰した原寸大のパースペクティブといい、フルオーケストラが奏する広大なダイナミックレンジをパワー感を欠落させること無く、混濁とは無縁のトランスペレンシーを保ってアナログテープに納めており、その魔術的ともいえる仕事ぶりには、いつものことはいえやはり驚きを禁じえない。聴き所は随所に現れるが、ここでは2箇所を紹介したい。まず第一楽章終結部のトゥッティによる循環主題のカノンだ。最初の主題はフルート、オーボエ、コールアングレ、クラリネット、トランペット、ホルン、バイオリンで盛大に奏されるのに対して、これを受ける模倣部はバスクラリネットとファゴット、バストロンボーン、テューバ、コントラバスと明らかにパワー不足であるため、バストロンボーンとテューバがしっかりと収録されないと、腰砕けのなんとも締まりのない終結となってしまうが、ウィルキンソンはこれらの楽器の獰猛なまでのパワ−を余すところなく切り取っており、ホールの側壁が微振動する様子まで目に見えるようだ。もう一箇所は第二楽章冒頭で、コールアングレのソロを受け主題の後半を奏するクラリネットとホルンのユニゾン。オーケストラ録音においてウィルキンソンほどホルンを重要視したエンジニアは皆無といってよく、録音でホルンがホルンとして聞こえることにおいてウィルキンソンの右に出るものは居ない。ホルンの音色を特徴付けるのは肉薄で円錐形のマウスピースに唇を振動させながら息を吹き込む際発生するアタック音と、それが一瞬減衰して定常の管振動に入るまでの複雑な共鳴音であり、録音においてはこの微妙な音にならないような空気の振動と倍音成分のミクロディテールまで収録しないと、ホルンがホルンらしく聞こえない(実際巷にはホルンともユーホニウムとも区別がつかないような録音がいかに多いことか)。ウィルキンソンはこのことを誰よりも理解しており、彼がステレオ録音の最初期段階からすでにホルンにピックアップマイクを向けていた理由もこれによる。ここではホルンとクラリネットとが、録音時の配置そのままに3Dのようにリスナーの前に姿を現す。そのあまりのリアルさに聴き手は一瞬戸惑うが、やがてフルートが加わって主題がピアニッシモの中に消え弦合奏のざわめきが始まるころになると、リスニングルームが40年前のメイソニックホールに置き換わっていくのを、甘美な陶酔感とともに味わうことになるだろう。マゼールによる指揮は、フランクがスコアに細やかに書き込んだ強弱や強弱変化や、ひとつの小節内での表情変化に至るまで極めて丁寧に描き分けているし、このマゼールの細かな要求に正確に応じるオーケストラの技術とアンサンブルも見事というほかない。最後にこのCDではなぜか第2楽章のみテープヒスや暗騒音がしっかり残っており、それだけに臨場感も豊かだが、どうして第1、第3楽章ではマスタリングの際にこれらを除去してしまったのか理解に苦しむ。とはいえ、意外に知られていないこのマゼール&クリーヴランド盤を全ての音楽ファンとオーディオファイルに薦めることに何の躊躇も感じない。

    meji さん

    7
  • ラロの交響曲は録音されること自体珍しい作品だが、ビ...

    投稿日:2014/03/06

    ラロの交響曲は録音されること自体珍しい作品だが、ビーチャム盤は今なおこの曲の決定盤でありCDで復刻された事を素直に喜びたい。 ところで、フランクはサン=サーンスや同時代のフランスの楽壇を牛耳っていた保守派のお偉方達から冷遇され、逆に若手からは熱心に支持されて「フランキスト」という一派を生んだ事でも有名だが、ラロはフランクと同世代の作曲家中、最もフランクと懇意で、子息ピエール・ラロをフランクに師事させている。 ラロとフランクの交響曲を、こうして続けて聴くと、二つの交響曲が、ともに「循環形式」を活用して作曲されているという事実に、両者の友好関係を感ぜずにはいられない。

    吉川英治 さん

    2
  • フランクは、ドイツのすぐお隣り、ベルギーの豊かな家...

    投稿日:2014/02/18

    フランクは、ドイツのすぐお隣り、ベルギーの豊かな家に生まれ、その後、様々あって、フランスに帰化。フランス音楽の様でもあり、ドイツの重厚な面も、持っています。そのバランス、上手く取れた演奏。ひょっとしたら、リストより早く交響詩なるもの発表していたかも知れぬ、フランクの美しいプシュ。コーラスの入った版、ある様で、尾高さん、ウエールズ管は、そちらで録音していらっしゃいます。ホント、目立たないけど、美しい、独特の意外な響き、音楽哲学があるフランクの音楽。いいです。

    sunny さん |50代

    0
  • 確かに、シャキシャキとした速めの演奏ですが、決して...

    投稿日:2014/02/05

    確かに、シャキシャキとした速めの演奏ですが、決して疎かに弾いている様な演奏ではない。しっかりと、意味、意思を持たれて弾かれている演奏。なかなか出来る事じゃない立派な秀演。ヤノフスキさんは、やっぱり、名職人と言われるだけの事はある。フランス系のオケらしい演奏。

    sunny さん |50代

    1
  • ジュリーニが、折に触れて取り上げ、録音もしてきた愛...

    投稿日:2014/01/24

    ジュリーニが、折に触れて取り上げ、録音もしてきた愛奏曲、フランク唯一の交響曲ニ短調。充分晩年と言っていい、72歳でのベルリン公演後のセッション録音では、これでもか、と言う位のじっくり演奏で、この曲への愛情、独自性を明らかにしています。私は、この曲、速いテンポのヤノフスキ、スイス・ロマンド管のシャキシャキ推進、明るめの演奏で、親しんできたので、随分違和感が、ありました。冒頭からして、重く、超暗く、絶望的。ジュリーニのこの盤は、殆んど、チェリビダッケの様に、刻銘、情感深く、孤高の作曲家の、祈りをたっぷり込めての演奏。2楽章、冒頭のピッチカート、ハープから美しく、怖ろしい位。この遅さで納得。人生を凝縮した様なこの曲、と言われますが、勝利、と言うより、喜び、迷い、諦め、達観した様に、聴こえました。この10年後に、録音されたライヴ録音では、更に、テンポが遅くなっているらしい。これ以上の遅さで、音楽が解体されていないとしたら、途轍もない事だ、怖ろしい境地に達しているだろう。私には、この演奏で充分・・・。プシュケとエロスも、流石、ジュリーニ、ベルリンフィル。ジュリーニの代表的一枚。フランクは、ヴァイオリン・ソナタはもちろん、ピアノ付き交響詩や、ピアノ五重奏曲、あまり知られてない、素朴なハーモ二ウム作品も、素晴らしい。

    sunny さん |50代

    0
  • 清涼感溢れる演奏だ。 巷では、フランクのソナタと言えば...

    投稿日:2014/01/03

    清涼感溢れる演奏だ。 巷では、フランクのソナタと言えば俄然デメイ&ピリス盤の評価が高い。 しかし、難を言えば、ピリスのピアノにコシがなく、残響も多過ぎて輪郭がはっきりしないのが気に食わない。ピリスはブラームスのソナタでも、デュメイのヴァイオリンに呑まれるようなナヨナヨとした演奏だった。それを“透明感溢れる演奏だ”などと評価する向きもあるようだが、僕は賛同し難い。 そこで、明晰なるタッチで定評のあるブロンフマンがバックなら、無論不満はないだろう(ダジャレ!?)と思い、当盤をチョイス。 買って正解!勿論、ヴァイオリニストが下手ではお話にならないが、さすがパガニーニで至高の名演を繰り広げたミンツだ。技術や情緒に些かの不足もなく、余分な肉付けを排したキリリと引き締まった音色で聴かせてくれる。 特に、二人の息がピタリと合わないと出来ないであろう絶妙な“間”に惚れ惚れする。中でもフランクは絶品であり、有名なカントロフ盤に比肩するであろう内容だ。

    遊悠音詩人 さん

    1
  • ショーソンとフランクの交響曲という、よくあるカップ...

    投稿日:2013/12/21

    ショーソンとフランクの交響曲という、よくあるカップリングではあるが演奏はそこらにある物とは全く違う。 ショーソンはあまりにもゆっくりした演奏なので途中でこの曲はなんという曲だったか一瞬忘れてしまう。 ショーソンの交響曲は最晩年の2002年録音ということもあり感慨深い。 一方フランクの交響曲は1979年の録音でオーケストラを力強く引っ張っているのが魅力だ。

    ユローヂィヴィ さん

    2
  • ペトルーシュカについてのみの感想だが、他のどの演奏...

    投稿日:2013/10/24

    ペトルーシュカについてのみの感想だが、他のどの演奏よりもメロディーの美しさ、音数の多さが綾なす楽しさなど、音楽的な懐の深さに脱帽するばかりだ。 ただし、学校で譜面から音楽を学んでしまったリスナーには、アンサンブルがあっていないように聴こえるかもしれないが、そういう人は、音楽の譜面の縦のラインを合わせることをアインザッツだと勘違いしている。 このモントゥーを聴くと、一拍と一拍の間にこれほどの『幅』が無ければ音楽の推進力とか、スケール、味というものが出ないということが分かる。 そろっていないのではなく、揃えていないのである。 最近の音楽の演奏はすべて縦に音符がそろってしまっているが、これはジャンルにかかわらず、音楽という名の【信号】にすぎない。 音楽を好きな人、これから音楽を専門に志す人は須らく、こういう、モントゥーのような、変幻自在の拍と拍の間を行き来するリズム感を培うべきなのだ。

    のんじょんれ さん

    3
  • カラヤン&パリ管の演奏でこの曲を知り、重苦しい曲だ...

    投稿日:2013/10/21

    カラヤン&パリ管の演奏でこの曲を知り、重苦しい曲だなぁと思いながらも、随所に素敵なメロディーがあって、何となく心惹かれている曲です。最近では、モントゥーやジュリーニを主に聴いていますが、このクレンペラー盤もすばらしいものでした。大きなうねりをもって曲の魅力をよく引き出していると思います。特に2楽章のコールアングレのうまいこと!これだけでも聴きものですよ。聴き終えて「ああ、よかった」と思える演奏です。

    古渡 弁蔵 さん |50代

    0

既に投票済みです

ありがとうございました

%%message%%